帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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2020年、新年明けましておめでとうございます。本年が皆さまに幸多き年となる事を願います。


第百六十一話 新年最初のサービスサービスぅー♪(CV三石 琴乃)

 時間は僅かに遡る。

 

「門閥貴族とは何か?それは人類種の指導者であり、強者であり、優良種に他ならない」

 

 薄暗い室内で赤葡萄酒の注がれたワイングラスを揺らし、傍らに執事を控えさせるマクシミリアン・フォン・カストロプは、銀河帝国においても五本の指に入る権勢家の嫡男は高慢に、傲慢に、尊大に、目の前の人質に宣った。

 

「……」

 

 目の前の敵意と殺意に満ち満ちた鋭い眼光を向ける従士の娘は、しかし何も言わない。いや、何も言えないというべきであろう。猿轡に加えて手足も縄で縛られてしまえば口を利く事も、身体を動かす事すら叶わない。故にすぐ傍らで女中達が彼女の衣服を一枚ずつ剥ぎ取り、その豊満で美しい肢体を少しずつ晒されていく事に抵抗も出来やしなかった。そしてその事を一番理解しているがために鮮やかな金髪の従士は喚く事をしなかった。

 

「……やれやれ、年頃の雌ならばそのようなあられもない姿にひん剥かれて泣き言の一つや二つ叫ぶのが道理であろうに。これまで遊んできた玩具と勝手が違うな、面白くない」

「ひぐっ……!」

 

 公世子のすぐ下で小さな悲鳴が漏れる。マクシミリアンが詰まらなそうに深く、そしてより一層深く座った事で重心がズレ、下着すらろくに着させてもらえない傷だらけの背中を椅子代わりにさせられている幼い奴隷の少女が苦しみその手足を震わせる。尤も、そんな事に高貴な公爵家の嫡男は一切興味も関心も持たなかったが。椅子が壊れたなら別の物に交換し、使い古しは粗大塵に出すまでの事でしかない。

 

「さてさて、話を戻そうか?先程述べた通り、我々高貴な血の使命は蒙昧な愚民共を導いてやる事だ。それこそが偉大なる開祖ルドルフ大帝の理想、優秀な血をひたすらに混ぜ合わせ、それに最高の環境を与える事で強大な権力と責任を背負うに値する鉄人を生み出す。それこそが我々選ばれし血統、門閥貴族だ。……ふ、ふふふ……ふははははっ!」

 

 そこまで応揚で芝居がかった口調で説明し、次いで公世子は吹き出すように笑い声を漏らす。周囲の使用人はそんな主君に対して一切何も尋ねず、顔色一つ動かさない。唯々目の前で下着姿の従士だけが青年貴族の態度の意味を理解しかね怪訝と不審の視線を向ける。

 

「はははっ!くくくっ……!実に滑稽な建前と思わんかね?ルドルフの妄想のなんと愉快な事か!優秀な血脈?強大な権力と責任を背負うに値する鉄人?馬鹿馬鹿しい事だ」

 

 銀河帝国、そして貴族社会にて有数の権力を誇る一族の末裔は彼自身の生きる世界の基本原理そのものを否定し、嘲笑する。

 

「物欲、色欲、食欲、所有欲……この五〇〇年、ひたすらに我欲を膨らませ、自尊心を肥大化させたのが我々だよ。権力はそれが誕生した瞬間に腐敗を始めるものであって、保持すればするだけ所有者を堕落させる麻薬に過ぎん。あの成り上がりの男にはそれが理解出来なかったらしい」

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプはそれが宮廷に漏れれば致命的ともいえる暴言を気紛れに口にする。その発言に衝撃を受ける従士は青年貴族を信じられないとばかりに目を見開き睨みつける。

 

「くくく、怖い顔だ。だが、それはそれで中々そそるな」

 

 これまで幾人かの少女を様々なシチュエーションで弄んで来た経験のある彼も、ここまで反抗的な態度を向ける者は珍しいために、寧ろ楽し気に従士の反応を鑑賞する。その反抗的な精神を決定的に貶め、凌辱し、侮辱し、へし折って、完全に屈服させたその姿を持ち主の前に見せ付ける、それはそれで楽しめそうだが……残念ながらそんな事はもう遠の昔に実演済みである。折角の二度と狩猟の機会があるかも分からぬ極上の獲物、二番煎じのシチュエーションを行うのは勿体無い。もう少し趣向を凝らすべきであろう。

 

「ふふふ、『偉大なる』大帝陛下を貶されて御立腹か。まぁ、貴様からすればルドルフの思想を貶められるのは自身の一族とその主家を否定されるようなものだろうからな。だが……私は違う」

 

 一言で言えば、マクシミリアン・フォン・カストロプは決して無能ではなかった。確かに退廃的で、享楽的で、嗜虐的であるが、彼の知能は決して低くはない。

 

 当然だ。その一族の血統を遡れば地球統一政府の宇宙引っ越し公社最後の総裁に行き着き、シリウス戦役ではその勝敗を最も早期に予期してタウンゼントと接触、銀河統一戦争の戦乱を掻い潜り、銀河連邦の成立のスポンサーに名を連ねた。連邦最盛期には巨大な財閥を形成、その衰退期には辺境で半独立国家を建国し、国家革新同盟の成立時にはルドルフを早期に援助し、帝国の最も古い公爵家の一つに名を連ね、その後も陰謀渦巻く宮廷を泳ぎながら合法非合法数々の手段でその財と権勢を拡大し続けて来たのがカストロプ家だ。

 

 代々優秀な当主を生み出すために一族の行って来た教育はエリート教育やスパルタ教育等というレベルではない。ある種非人道的とも言える程の凄まじい教育方法がカストロプ家の代々の天災的な当主を生み出した。

 

「私を有象無象の門閥貴族共と同じにして欲しくはないものだな」

 

 その果てに生まれたのが目の前の青年だ。歴代当主達ですら文字通り狂気に支配され、血反吐を吐く思いで達成した試練の数々を平然と乗り越えて見せた目の前の公世子は、間違いなくカストロプ家の最高傑作とも言える存在だ。帝国最難関の大学の最難関の学部を一五歳で卒業し、既に複数の企業を経営してその全てで多大な利益を生み出している。

 

 多くの者はその荒唐無稽な実績を父オイゲンが箔付けのために手を回したと噂するが、それは間違いだ。冷酷にして残酷なカストロプ公は子供にそんな情をかける男ではない。全てはこの若い御曹司の実力によるものだ。

 

 だが……。

 

「優秀なのも困ったものでな。何でも出来るのは詰まらんものだよ」

 

 才能と財産と血統……手に入らぬものはなく、成し遂げられぬ事はなく、しかしそれが当たり前過ぎて面白みもない。故にこの青年貴族の心中に渦巻くのは砂のような味気のない倦怠感と退屈であった。

 

 そして、彼は恐らくは最も捻れた手段でその欲求不満を解消する事にしたのかも知れない。

 

「命は素晴らしいものだ。そうは思わんか?皇帝も、貴族も、平民も、奴隷も、いや畜生や虫ですら命は平等だ。平等に一つしかなく、定命の存在だ」

 

 誰しもが命は有限で、そして替えが効かない不可逆的なものだ。それ故に生命は尊い。

 

「だからこそ、狩猟は素晴らしい。その命の限りに、あらゆる手段を、知恵を使い抗う獲物の姿は、そして苦しみもがきつつも最後に無念にその命を奪われる時の絶望した瞳……あぁ、その命の散り際の輝きは正に美しき芸術品と言えるだろう。そう、それがどれ程才能もない詰まらぬ者共であろうとも、な」

 

 グラスの中の赤い液体を恍惚の表情を浮かべて見つめる公世子。その脳裏に浮かぶのはこれまで弄び、絶望に叩き落としてから仕留めて来た幾多の獲物の最期の姿である。どれ程下等な、地位も権力も才能もない者達ですらその散り際は素晴らしいもので、まして有能で長く抵抗を重ねる者のそれを奪う時なぞ……その達成感と快感は長年かけて醸造した葡萄酒を呷いだ時のそれに似ていると彼は思った。

 

「ふっ……」

 

 そして正面に向き直したマクシミリアンは立ち上がるとドシドシと駆け足気味にテレジアの目の前に来るまで近寄る。そして傍で人質に着替えをさせていた女中達を押しのけ、囚われの少女の胸元の白いレース下着を無遠慮に握り……一気に引き裂いた。

 

「っ……!!」

「ほぉ、中々魅力的なものだな。だが、勿体ない。その様子ではまだ男を知らない生娘と見える。……意外なものだ、未使用品だったとはな」

 

 幾ら気丈な従士でも流石に下着を破かれその身体を露わにされるのは応えるらしく、羞恥と憎悪の表情を浮かべるテレジア、そしてマクシミリアンはその態度に興味深そうに瞳を細め宣う。それは情欲にまみれるというよりかは家畜を見定めるような目付きであり、これまでの多くの経験から目の前の女性がどのような『経験』を重ねて来たかを限りなく正確に見抜いていた。

 

「ふむ……」

「ひっ……あっ……!」

 

 青年貴族は訝し気な表情を浮かべ、女性特有の柔らかさを兼ね備えたそれをワイングラスを持たぬ方の手で厚かましく、乱暴に、汚辱するように掴み、揉みしだき始める。その手つきは似たような行為に随分と慣れ親しんでいるようだった。人質から屈辱と羞恥と不快感、そしてほんの僅かな快楽からの小さな悲鳴が漏れ聞こえる。その反応にマクシミリアンはより一層目を細めた。

 

「本命の方ではないが、態々似せた物をもう一つ手元に置いているのだ。代用なり、同時に楽しむなりしていると当たりを踏んでいたのだがな。いやはや、それだけ一途なのか、性癖が変わっているのか、中々興味深いものだな。おや……?」

 

 そう嘯いた公世子は、目の前の従士の驚愕するように目を見開く姿に疑問を浮かべ、次いでその聡明な頭脳はすぐに僅かなヒントだけで正答を導き出す。

 

「おやおやおや、これはまた愉快な事だな。貴様、付き人として傍にいながらそんな事すら気付かなかったのかね?くくく、唯の代用品として化粧した積もりだったが……!」

「っ……!?」

 

 凄惨な笑みを浮かべるマクシミリアンは揉みしだくその手を鋭く爪を立てる。薄っすらと血が流れる程のその痛みにテレジアは身体を震わせる。いや、確かに鋭い痛みも震えの一因であろうが、それだけが原因ではないのもまた確かであった。

 

「ふふふ……ふふふふふ、これはワクワクとするな。心が躍る……!たかが暇潰しのためのフェザーンの遊興であったが……本番前で既にここまで気分が高揚出来るとはな!」

 

 ワイングラスの中身を見つめ、マクシミリアンは独白する。その顔は純粋で、天真爛漫な子供のように興奮していた。

 

「さぁ、今回の獲物よ。その命を以て、存分に私を楽しませてくれたまえよ?」

 

 最早目の前の存在への興味を失い、身を翻した公世子は、心の底から楽しそうにグラスの中の液体を呷った……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてさて……これは面倒な事になったな」

 

 目の前の人質に我々を囲む兵士達、そして目的……それらを吟味し、推測し、この場での『正解』を導き出した私はフェルナー中佐に声をかける。

 

「中佐、折角苦労した所を悪いがこのルートは駄目みたいだ。遠回りになるが他の道から上に向かってくれ!」

「そうしたいのは山々ですが……この状況で簡単に後退出来るとでも?」

 

 此方を見下ろし、囲み、ブラスターライフルの銃口を向けるカストロプ家の私兵達を見やりながら呆れ気味に答える傭兵隊長。

 

「いんや、その心配は多分無用だ。なぁ、公世子様?」

 

 私が尋ねるように呼びかければ人質の金色の長髪を指に絡めて弄んでいた青年貴族様が楽し気に微笑む。

 

「あぁ、構わんとも。私が興味があるのはそこのレア物だけでね。貴様らおまけに興味はない。この舞台の邪魔をしなければ何をしようと構わんよ」

「だ、そうだ。中佐、時間がない。早く行ってくれ。……あ、ブラスターライフルと予備のエネルギーパックだけもらって良い?」

 

 心底どうでも良さそうな声で答えるマクシミリアンと、それに甘えてフェルナー中佐に急ぐように言う私である。

 

「大佐……了解しました。では我々は別ルートから上階に向かいます」

 

 フェルナー中佐は奇妙な、珍獣を見るような視線を向けた後、暫し逡巡してからそう答える。うん、返事が早いのは助かるけどそれより武器頂戴ね?

 

「私の銃を寄越せと?」

「私雇い主だから。それ位配慮しろよ」

 

 私はブラスターライフルと弾薬を(中佐と少しの間奪い合いをしてから漸く)受け取る。代わりにハウプトマン大尉の銃を横から失敬したフェルナー中佐は恭しく敬礼した後(一刻もここから逃げたいかのように)颯爽と部下達と後退する。……あくまでも後退だよな?逃亡じゃあないよな?

 

 ジト目で傭兵達の背中を見つめ、内心で訝しみつつも私は視線を上方に戻す。そこには先程から興味深そうに此方を鑑賞なされる御貴族様がおられる。

 

「随分と好き放題しているらしいな公世子殿?ここに顔を出す事、御父上に連絡も許可も貰ってないだろう?」

 

 それどころかこの騒動にこんな形で首を突っ込む事すら想定外であろう。態態一族の嫡男が自ら顔を出してこの場に出てくる事を普通は許すまい。即ち、この舞台そのものが目の前の男の独断専行に過ぎない訳で……。

 

「ふふふ、気遣いは無用だ。我が父ならばこの程度の不祥事、上手く切り抜けてくれるだろうさ。切り抜けられないのならば、父上の器量はそれまでの事、大人しくヴァルハラに旅立ってもらうまでの事よ」

「正気かよ?こんな下らん余興のためにルードヴィヒ大公とスペンサーに手を貸すのか?スタジアムでの騒動を見るに、責任を押し付けるために公世子殿を巻き込んだのだろうに。敢えてそれに乗ると?」

 

 慌てて密貿易の証拠を揉み消して事業を店終いする中で、カストロプ公が拘束される危険性の高いスペンサー氏と縁を切り、それに反発するようにスペンサー氏はルードヴィヒ大公と接近、両者の思惑が合致した結果がスタジアムでの襲撃に始まる一連の騒動……という解釈は大体合っているだろう。最初の地上車の爆弾テロはカストロプ家のものであるにしろ、それ以降の出来事は基本的に無関係な筈。それを……。

 

「まさか、利用されているって気付いてないのか?」

「重々、理解しているとも。だが、それがどうした?奴らが私に、私の一族に疑惑を肩代わりさせようとしようがそんな事はどうでも良いのだ。そんな事、この舞台を準備するための必要経費に過ぎん」

 

 陰謀に巻き込まれ、下手すれば一族の滅亡すらあり得る状況にあるにも関わらず道楽放蕩貴族様は一切気にしていないらしい。マジでこいつ気が狂ってんな。

 

「なぁに、最悪は御父上に自裁して頂くだけの事よ。ブラウンシュヴァイクにしろリッテンハイムにしろ、どうせ死ぬなら私のような放蕩者よりも何度も辛酸を舐めさせられて来た御父上を指名するだろうからな、私の心配は無用だよ」

 

 いや、お前さんがどうなろうがどうでも良いんだけどな?いや、原作展開的に良くはないが……まぁ、原作乖離なんて不安に思うのも今更だけど。

 

「ははは、私ってそんな気を引くようなアピールしたかな?悪いが婚約者相手にすら心掛けの足りない恋愛下手なんだがな?」

「少なくとも私は君の魅力に夢中さ」

「そりゃあ、どうも」

 

 どうせならもっと美人な御姉さんに言われたかったな。変態公世子に惚れられるとか誰得だよ?

 

「見ての通りだ、君の興味を引きたくて引きたくて、恋する乙女のように心踊らせて拵えた舞台だよ。君がここに来る事は分かっていたし、コレを前にしてまさか私を袖にする事はあるまい?」

 

 そう語りながら拘束される人質を引っ立ててより私の見易い位置に引き寄せる公世子。その首元には何か光る物が確認出来た。おいおいこれは………!!

 

「時限爆弾だよ。見ての通り外すためには鍵穴に鍵を嵌め込まんとならん。そして鍵は……私が持っている」

 

 手元に金製の鍵を揺らしながら見せつけるボンボン貴族。ちっ……!面倒な趣向ばかり凝らしてくれる……!!

 

「君の御気に入りを助けたければ私の催すこのショーで私から鍵を奪い取る以外に手はない、という訳だな。お分かり頂けたかな?」

「あぁ、お前さんが最高にイカれているって事がな」

「お褒めの言葉と受け取っておこうかな?」

 

 私の言葉にそう鼻を鳴らし、懐に鍵をしまうマクシミリアン。実際、私の言葉はこの場ではただの負け惜しみに過ぎなかった。

 

(はっ!そりゃあフェルナーも疑問を抱くだろうさっ!!合理的に動く積もりがない気違いの思考回路はマジで訳が分からねぇな……!!)

 

 内心で陥ったこの状況をそう吐き捨てる。無論、いつまでも現実から目を反らし、罵詈雑言を喚き散らす時間なぞなかった。目の前の御曹司が仕掛けたからだ。

 

「さぁ、御行き。カフカ、ラヴクラフト!」

 

 青年貴族のその掛け声と共に上方の吹き抜け廊下から飛び降りて来たのは二頭の、いや二体の影だった。

 

 それは犬の形をした鉄の塊だった。鋭角状の頭部には左右三つ、計六つの赤いカメラアイ、その口には鋸状の炭素クリスタルの牙が並び、尻尾は鋭いナイフ状となって宙を触手のように舞う。機械の稼働音のようなくぐもった唸り声……!!

 

「犬型のドローン……いや、サイボーグかっ……!?」

 

 一瞬またドローンと思ったがその動物的な動きからそれが恐らくは狩猟用の有角犬から脳を抜き取り機械のボディに載せ替えたサイボーグである事に私は気付いた。何と悪趣味な。

 

『グウゥゥゥゥ!!』

『ガルルル!』

「はっ……趣味もネーミングセンスも糞みたいだ……!」

 

 唸り声を上げ、襲撃のための体勢を執る二体の猟犬に対して私は吐き捨てるようにぼやく。ただの猟犬でも危険なのにまして機械化してるとなるとその危険性は二段階位上げなければなるまい。その牙は間違いなく骨を噛み砕くだろうし、その爪は軍用ナイフのように肉を引き裂き、その尻尾の一撃は四肢を綺麗に切断するだろう。

 

「貴様らは手を出すなよ?……さぁ!心躍るショーを始めようではないか!!」

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプは銃口を下方に向ける私兵達にそう厳命した後、はしゃぐような声で舞台の開幕を告げた。そして、掛け声と共に飛び掛かる二体のサイボーグ犬に、次の瞬間に私はブラスターライフルを構えていたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 サイボーグ犬は当然、生身の猟犬よりも手強かった。プログラムで動くドローンと違い予想がつきにくい思考、鋼鉄のボディと炭素クリスタルの牙と爪、それだけでもかなり厄介な存在であった。しかもその変幻自在に動かせる尻尾は只の猟犬には不可能なトリッキーな戦法を生み出していた。

 

 ある個体が牙や爪を以て飛び掛かる。それを避ければ振るわれる尻尾の一撃、それを避けても一体が横合いから襲いかかって来て反撃の隙を与えない。

 

「ちぃ……!!」

 

 背後から襲い来る猟犬の頭を、振り向き際にブラスターライフルの銃床で思いっきり殴り付ける。

 

『キャインッ……!?』

 

 おぞましい見た目の癖に妙に可愛らしい悲鳴を上げるサイボーグ犬。そのままブラスターライフルを発砲するが直ぐにボディを捻るように閃光を回避する。

 

「ふーん♪ふんふんふんふんふんふんふん♪ふんふんふんふんふーんふふん♪」

「うー…うー!うー!!」

 

 私がサイボーグ猟犬と戯れている間に拘束され猿轡をかけられているためにヴーヴー唸る事しか出来ない人質に首輪をして引き摺っていく公爵家嫡男様である。ご機嫌に鼻唄を歌いながら螺旋階段を下りているが、恐らく歌っているのはベートーホーフェンの『歓喜の歌』であろう。音調は腹立つ程合っていて優美であるが、今の私からしてみれば妹のぎこちないヴァイオリン演奏の方が百万倍マシに思えた。

 

「ちぃ……!何が歓喜だよっ!糞ッ垂れがっ……!!」

 

 猟犬のナイフ状に研ぎ澄まされた尻尾の一振りを頭を下げてどうにか避ける。パラパラと切れた髪の毛が宙に舞うのが一瞬見えた。危ねぇ、頭蓋骨切断で中身をぶちまける所だった……!!

 

『グウゥゥゥ!!』

 

 二頭の機械仕掛けの猟犬は威嚇するように唸り声をあげる。どうやら脳味噌はドローンと違い生のままのために、いつまで経っても決定打を与えられない事に苛立ち始めているらしい。……こいつはチャンスっ……て!?

 

「糞っ……!!?」

 

 猟銃の発砲音とほぼ同時に跳び跳ねてその場から逃れる。コンマ数秒後には床に弾丸がめり込み床材を削って石片が飛び散る。

 

「ふむ、やはりスラムでのあれは偶然ではないな」

 

 命からがら避けた私に対して螺旋階段の上から猟銃の調子を調べながらふむふむと呟く青年貴族様である。人を狩りの獣扱いしやがって!!

 

「うー!うー!」

「ふむ、少し黙ってくれたまえ」

 

 人質が暴れようとすれば猟銃の銃床で腹を殴りつけて黙らせる公世子である。糞っ垂れが、誉ある公爵家の御曹司ならもっと紳士らしく淑女を扱えよ!

 

「人の従士を手荒に……くっ……!?」

『グルルル……!!グァウ!!』

 

 私が文句を言おうとするのを邪魔するように一体のサイボーグ犬が疾走して襲いかかる。同時に上方から降りてきたマクシミリアンが再び猟銃を向けて来る。やべっ、これ片方に対処したらもう片方に殺られるパターンだ!!

 

「こんのぉ!!」

 

 私は半分程ヤケクソになりながらも覚悟を決めて賭けに出た。

 

 襲い来る猟犬の炭素クリスタルの牙の一撃を寸前で身を翻して回避すると、同時にその頭を蹴り上げる。

 

『ギャウンッ!!?』

 

 金属を蹴る鈍痛を足の先に感じるが、しかしこれは正しい判断であった。次の瞬間蹴り上げられて宙に浮いたサイボーグ犬は私と猟銃の間を遮った。

 

 殆ど同時に鳴り響く銃声、目の前で火花が刹那に弾け、次いで頭部を粉砕されて周囲に部品をぶちまけるサイボーグ犬の姿が目の前に映る。

 

「ラヴクラフト……!?」

 

 驚きに満ちた御貴族様の声が室内に響く。はっは!ザマァ見やがれって……。

 

「糞っ!少しは隙を見せやがれっ……!」

 

 すぐに鳴り響く発砲音に私は身を一回転してその場から退避する事でどうにか回避に成功する。続いて駄目押しに来る鉛弾を走りながら避け、そのままハッキングされた事で機能停止した中型ドローンの影に滑り込むように逃げ込んだ。

 

「おぉ、ラヴクラフト……!やってくれたなヴォルター・フォン・ティルピッツ!」

 

 マクシミリアンは頭部が吹き飛んで機能停止した愛犬の元に駆け寄るとそう叫び、震える声でライフル銃に銃弾を装填する。その足元では仲間の死を悲しんでか、クゥーンと沈痛そうな鳴き声を上げるもう一体のサイボーグ犬。

 

「知るかボケっ……!!そもそも三対一とか卑怯だぞ!!正々堂々戦えこの野郎……うおっ!!?」

 

 私はドローンの影から身を乗りだしそう吐き捨て、此方に向けて鳴り響く銃声と共に再度隠れる。危ねぇ……!!

 

(畜生め、人質は……まだそれほど離れていないな)

 

 そっと再度ドローンの影から相手側を見やる。先程犬公を一体仕止めたのは公世子のヘイトを集めて人質と引きはなそうという魂胆もあったのだが……この距離ではまだまだ駄目だな。

 

「私の銃撃を避けた上に可愛いラヴクラフトがこんなあっけなく……狐や鹿の類ではないとは思っていたがこれではまるで獅子狩りだな。そう言えば君の家の家紋は鷲獅子だったかな?成程、となればこれは鷲獅子狩りと言う訳か……!」

 

 公世子の質問に、私はブラスターライフルでの狙撃で答える。光条は、しかし良く狙ったにもかかわらず最小限の動きで回避されたが。ちっ……銃撃が来る……!!

 

「カフカ、追いこむぞ……!」

『グルルルル!』

 

 猟銃での銃撃で私の射撃を押さえた後に、マクシミリアンが猟犬をけしかける。主人の命令に答えるように遠吠えをした後に疾走するサイボーグ犬。糞っ、どっちから来る?右回りか!?それとも左回りか……!?

 

 シャットダウンしたドローンの影で左右交互に首を振るう。さてさて、答えは……。

 

「上かよ!」

 

 足元に浮かび上がった影ですぐにその答えを導き出して上方を向く。そこにはドローンの背中を乗り越え口を開いて襲い掛かって来る犬公の姿……。

 

「人間舐めるなよ、畜生の分際でっ!!」

 

 爪を立てて飛び掛かるサイボーグ犬の一撃をブラスターライフルを盾にして受け止める。そのまま腹部を蹴飛ばすと床に叩きつけられる犬公。

 

『ガウッ!』

「おらお座りだぞ、ポチ!!」

 

 そう言い捨ててから威嚇のためか唸り声を上げるサイボーグ犬の顔面を銃床で殴り付け、ブラスターライフルの銃口を捩じ込み即座に発砲する。

 

「糞熊を相手にするよりはマシだな。っ……!!?」

 

 その視線に気付いて咄嗟にブラスターライフルを構えるが次の瞬間には猟銃から撃ち込まれた弾丸で銃身が弾けてブラスターライフルは唯のでかい文鎮同然の存在に成り下がる。

 

「舐めるんじゃねぇぞ……!」

 

 腰のハンドブラスターを引き抜き発砲、身を翻したためにレーザーの閃光は公世子の肩を掠るだけだった。再度の銃声をバク転で回避、御礼の御返しの発砲……!

 

「ほぅ、やるな……!だが……!」

 

 胸を狙ったのに気付いたのだろう、瞬時に猟銃を盾にして致命傷を回避したマクシミリアンは使い物にならなくなった猟銃を投げつける。

 

「この程度……!何っ!?」

 

 投げつけられる猟銃は囮だった。猟銃を回避するために一瞬私がマクシミリアンから視界を外したと同時に彼は此方に向けて距離を詰めつつ袖の下に隠していた電気鞭を引き抜き作動させた。電流が流れる鞭が生き物のように振るわれ、ハンドブラスターを持っていた義手にその先端が叩きつけられる。

 

「糞がっ!」

 

 電流の衝撃で義手が一瞬不具合を起こしハンドブラスターを落す。そこに追い打ちをかける一振り……!

 

「精々良い鳴き声を上げてくれ!」

「ざけんな、ボンボンがっ!」

 

 私は咄嗟に腰元から実用性と機能性のみを重視した炭素クリスタル製軍用ナイフを引き抜く。鞭の一振りを凝視し、その軌跡を注視する。獲物を狙う蛇のように襲い来る攻撃をギリギリで回避すると、同時に一歩進みナイフの一振りでその鞭を途中で切り払った。正直賭けに近かったが上手くいったな……!

 

「ほぉ、お見事!!ふふふ、まさかこの私がここまで追い詰められようとはな……!!」

 

 一方、電気鞭を失った御曹司様が次の瞬間に懐から取り出すのは銀製の芸術的なデザインの折り畳み式の西洋剃刀だった。いや、剃刀というには少し丈夫で大きすぎる。明らかにそれは髭反り以外の目的のために造られていた。良く見れば剃刀には西洋竜の刻印がある。宝物を守る貪欲な黒竜はカストロプ家の家紋を象徴していた。

 

「これは私のお気に入りの一つでね。これで幾多の獲物の喉笛を切り捨てたものさ」

「犬といい鞭といいお前、マジで悪趣味なんだよ……!!」

 

 私はうんざりした口調でそう吐き捨てながら自由惑星同盟軍宇宙軍陸戦隊近接ナイフ格闘戦技の教本通りに軍用ナイフを構える。んな事実知りたくねぇよ……!!

 

 ニヤリと歪に歪んだ笑みを浮かべ突貫する美青年。私は咄嗟に横にステップして回避、そのまま遠心力を利用して回転しつつ相手の喉元に刃を振る。おう、当然のように肘で腕を殴り付けられて失敗したな。

 

「痛っ……!!」

 

 私は体勢を立て直すためにワンステップ、そしてツーステップ後方に跳んで距離を取る。ちぃ!この動きは装甲擲弾兵の近接格闘戦技、しかも特級か……!!

 

「くくく!本当に素晴らしいなぁ!ここまで手古摺る獲物は……本当に初めてだ!君は本当に素晴らしい!」

「さいですか、私は最悪の気分だよ……!」

 

 瞬時に距離を詰めて来た公世子の首を狙う一撃を首を捻り回避、御返しに死角からナイフを首元の動脈を狙い振るうが上半身を後ろに曲げて優雅に避けて見せる。イナバウアーかよ!?てめぇ、貴族なんか辞めてフィギュアスケートでもしてやがれ……!

 

「ふふふっ!そう邪険にしてくれるな。寂しいじゃあないか!折角私と肩を並べられる程の腕前なのに……!」

 

 身体を起こしながら私のナイフを持つ手を掴み上げ、そのまま私を背負い投げをっ……!?

 

「がはぁ!!?」

 

 視界が回転し、次の瞬間には背中と頭に強い衝撃!私が床に叩きつけられたのは間違い無い。目の前には私のナイフを持つ手と肩を掴み此方を見下げる無駄に顔は良いボンボン貴族が上下反転して映り込む。

 

「才ある者達はいつだって孤独さ。周囲の無能共に理解されず、排斥され、疎まれる。だがそれもまた真理であり、特権だ」

 

 ニタニタと気味の悪い笑みを此方に向けるマクシミリアン。

 

「それが正しい姿だ。草食獣が肉食獣の思考を理解する必要も、その逆も必要ない。捕食者は唯高慢にあれば良い。有象無象の雑種の運命なぞ気にする必要はない。孤独を受け入れ、孤独を恐れず、我が道を行くため周囲を養分として搾取する。搾取される弱者に同情する必要なぞない。弱者を貪り、強者と争い食らう!」

 

 ルドルフ的選民思想をより濃縮したような持論を語りながらマクシミリアンが剃刀を振るう。その一撃を私は相手の手首を反対の手で掴み抑える事でどうにか阻止する。うおっ!?腕の力強いいいいぃぃぃ!!?

 

「故に君は素晴らしい!あのオフレッサー男爵から生き残ったと聞いた時には眉唾物かと思ったが!スタジアムで見た時に注目し、スラムで銃撃を避けた時に確信したよ!間違いなく君は食う側の人間さ!爵位なぞではない!才能によって選ばれたね!」

「知るかよ……!」

 

 身体を捩じって右側に回転しながら拘束を引き剥がす。そのまま回転しながら立ち上がると剃刀を振り下ろして来る御貴族様がいるので頭を捩じってギリギリで避ける。ちぃ!頬が少し切れた……!

 

「そしてだからこそ一層興味がそそられるな!身分と才能、双方ある君も相当孤独だった筈だろう?それを……!」

 

 剃刀の二撃目を振るわれる手首を掴む事で抑える。反撃のナイフの一撃を贈呈しようとするが彼方さんもまた私と同じように手首を掴み上げて抑えつけられる。互いが互いの武器を持つ手を掴み、互いに相手の拘束から逃れようと力を加え、状況は膠着する。

 

「それを……私は見ていたぞ?あれは唯の快楽目的の肉体関係ではあるまい?貴様、あの雌と何があった?何故貴様は……!!」

「中二病を卒業しただけだよ……!」

 

 苛立ちと焦燥と呆れを混合した声でそう言い捨てる。お前の自分語りなんざ一ミリも興味は無いんだよ!誰得だよ糞が……!

 

「はぁはぁ……そもそもっ……!何が才ある者だよっ……!自分が天才なんざ口にするんじゃねぇよ、自惚れやがって……!」

 

 互いにこれ以上は限界だと悟り相手を押しやり後方に後退してから、体勢を整え息を整えながら私は言い捨てる。てめぇは所詮赤毛の噛ませだろうが!噛ませの分際の癖に戦闘力高過ぎるんだよ……!

 

「私よりも肉弾戦の上手い奴なんざ幾らでもいるんだよ!ましてや、他の才能含めその程度の実力で悲劇のヒロインぶって私なんかに注目してるなんざ……はっ!井の中の蛙とはこの事だな……!」

 

 私は本物の天才を、いや天災を識っている。一人は士官学校で既に遠目ながら肉眼で見た事があり、今一人は恐らく肉眼で見るのは私が殺される時だろう。

 

 それ以外にも幾らでも化物共はいる。予め名前を知る奴らとの実力は隔絶しているし、予め知らなくても絶対に勝てないと確信出来る奴らもごまんといる。

 

 彼らに比べて自分が雑魚の凡人だって事位理解している。そして、そんな彼らだって完全な孤独ではない。少なくともそんな下らん事を理由にこんな悪趣味なショーを主催する奴らなぞいない。

 

「はぁはぁはぁ……ふふふ、貴様の言う強者共にも興味はあるが………それは今は後回しだ。ここまで苦戦しようとはな。全く、心底楽しませてくれるものだな貴様は!」

 

 明らかに何度か死にかけているというのに目の前の放蕩貴族は楽し気に口元を歪める。マゾ属性でもあるのかよ貴様は……!

 

「いやいや、これは最高のスリルだよ。私とて一方的な狩りばかり楽しんできた訳ではない。ちゃんと相手にも対等の条件でゲームをした経験もあるのだぞ?尤も、どいつもこいつも手ごたえのない雑魚ばかりだったがね?……よもやこれ程のスリルを味わえるとは!」

「そりゃあどうも。最高のエクストリームスポーツだろう?満足したならそろそろ本日の営業終了だ、さっさと失せろよ……!」

「それは出来ないな。こんなわくわくするタイミングで終了なぞ生殺しも良い所だ。今暫く楽しませてくれたまえ伯世子殿?」

「シット……!」

 

 心底うんざりした心境で私は舌打ちする。何で私がこんな異常者のために命懸けの付き合いをしないといけないんだよ!?

 

「そう毛嫌いするな、名門カストロプ家の嫡男が夢中になっているのだぞ?泣いて喜んで欲しいものだな?」

「情愛が深すぎないかね?」

「情愛は深すぎるくらいが丁度良いものさ。気狂いするほどでなければそれは愛ではないよ」

「今時パスカルかよ……!」

 

 互いにお喋りしつつ体力の回復と相手の隙を窺っていた我々の内で、先に仕掛けたのは私だった。身を低めての吶喊、瞬時に上半身を影にしてナイフの軌跡を誤魔化しながら下から上に振るう。首筋を狙った一撃は、しかし剃刀で受け止められる。火花が散る。

 

「流石は権門四七家なだけあって今の引用が分かるかっ!余り教養ある獲物を狩る機会は少ないのでな、このような会話が出来るのは嬉しい限りだ……!」

「糞して寝てろっ!教養なんざ所詮マウント取りの道具だろうが!」

「それもパスカルの言葉だな……!」

 

 自身が押されている事に気付いた私は、覚悟を決めて互いの刃が交差する中で一歩前進する。そして、機械仕掛けの義手のリミッターを解除した。

 

「っ……!?」

 

 腕力が瞬時に向上して刃の鍔迫り合いは一気に私の優位に傾いた。飛び散る閃光、マクシミリアンの剃刀が弾けて宙に弧を描いて手から離れる。

 

「止めだ……!」

「甘いな!」

 

 私がナイフで止めを刺そうとしたのは結果的に早計だった。公世子の回し蹴りは私の手からナイフを奪い去る。どの方向にナイフが跳んだのか確認している暇はなかった。視界の端から高速で近づいて来る影が頭部を狙っていた。

 

「ちぃ……ぐっ!?」

 

 金属同士のぶつかる鈍い反響音。咄嗟に義手で頭を守ったがこの音と衝撃……!野郎、靴に鉄板を仕込んでやがったな!?まともに食らっていたら頭蓋骨に罅が入って脳震盪を起こしていたぞ!?

 

「ほぅ、防いだか……!っ……!」

 

 私は素早くしゃがみこみマクシミリアンの足を払い姿勢を崩そうと図る。しかしそれはダンスのステップのように跳躍された事で失敗に終わる。そのままの飛び膝蹴り……!

 

「ぐっ……うおぉぉ!!」

 

 姿勢と距離から回避が不可能と即座に判断した私はその力を受け流す事にする。近付いて来る足を掴みそのまま相手の運動エネルギーを利用して逆に床に叩きつける。

 

「がっ……!?」

 

 上手く決まったのか驚愕と共に激痛に耐える表情を浮かべる青年貴族である。端正な顔立ちが苦し気に歪む。ザマァ!!……ってうおっ!?

 

 私はもう片方の足による頭部への一撃を防御しようとするが、しかしそれはただの囮だった。防御に意識が向かった事で拘束が緩む。次の瞬間にマクシミリアンは後ろ回転しながら立ち上がり、振りかぶっての拳の一撃……!

 

「ちっ!?」

 

 義手の掌でそれを受け止める。機械の腕に生身で全力で殴りかかれば当然ながら生身の腕の方にダメージが向かう筈だ。そう、普通に殴りかかったのなら。

 

「ぐっ……!?拳鍔か…!?」

 

 その一撃の衝撃に私は直ぐに答えを導き出す。その拳にはいつの間にか炭素セラミック製の拳鍔が嵌め込まれていた。電気鞭といい、鉄板仕込みの靴といい、この野郎随分と用意が良い……!!

 

「猟銃の一撃を避けた貴様の事だ!私も本気で準備させて貰ったよ!流石にここまで追い詰められるのは想定外だがな!?」

 

 拳鍔を両手に嵌め込んだままプロボクシング選手並みの動きでジャブを放ってくる公世子。この野郎、殴り慣れてるな……!?

 

「ぐっ……くっ……!!痛いだろうが……!!」

 

 両手でジャブを受け止めるが義手の右手は兎も角、生身の左手で防ぐのはマジで痛い。絶対内出血していた。このまま殴られっぱなしでは骨に罅が入るだろう、故に反撃に義手で全力の一撃で殴りかかる。

 

「ふっ……!流石に疲れたか?動きが単調だぞ!?」

 

 鼻っ柱をへし折る積もりの一撃を紙一重で回避され、そのまま右腕を引っ張られる。肘で此方の腕関節に上から一撃を受ける。所謂肘打ちである。だがその目的は純粋な攻撃というよりも此方の姿勢を崩すためのように思えた。ただの攻撃ならば態態機械の腕関節なぞ狙うまい。

 

 肘打ちした後に返す刀で手刀で私にチョップを横合いから掛けてくるマクシミリアン。

 

 拳鍔を備えた上での顔への手刀は思いのほか凶悪だ。当然だ、顔面に金属が狭い表面積で叩きつけられるからだ。痛いに決まっている。だからこれは絶対に防がなければならない。

 

 直接チョップを止めるのは危険なので咄嗟に出した左手は掌ではなく相手の手首を掴みその動きを止める。そのま裏拳で相手のイケメン顔にカウンターをしてやる。

 

 だが……。

 

「これは先程の御返しだ……!」

 

 裏拳にかかった運動エネルギーを逆用する形で私は腕を掴まれ、次いで足払いによって重心を失った私は一気に形勢を逆転される。腕を掴まれて持ち上げられて受けるのは先程私がマクシミリアンに対して行った、そして既に一度食らった背負い投げだった。

 

「ぐっ……!?二度もノーガードで食らうかよ……!??」

 

 床に叩きつけられる直前義手の右腕でガードして身体にかかる衝撃を最小限に抑える事に成功する。そしてすぐに立ち上がろうと顔を上げたと同時に網膜に映ったのは此方に向けて全力キックを放つ御曹司の姿で……。

 

「ぎぃ……!?」

 

 横合いから頭部に対して激しい衝撃と激痛が走った。視界が揺れて、次いで転がる。それは靴底の鉄板で攻撃力を増強しての一撃であった。この野郎、人の頭をサッカーボール扱いしやがった……!

 

「がっ……ぐっ……!?」

 

 流石に頭部にこの一撃は重すぎる。余りの苦しみと痛みに私は床に倒れこみ、切れた頭皮を抑える。一瞬、意識が飛んだのが分かった。ちぃ……血が止まらねぇ……!!

 

「はぁ……はぁ…………ふっ、中々良い勝負だったな。だが……これでチェックメイトだ……!!」

 

 額に汗を流し、息継ぎをしながらも不敵な笑みを浮かべる公世子。ゆらゆらと疲労の色が深い表情で周囲を見渡し、自身の剃刀を見つけるとゆっくりとそちらに向かいそれを拾い上げる。

 

 マクシミリアンが剃刀を手にゆっくりと近付いて来るのが分かった。歪む視界の中で見えるその顔は勝利を確信しているに違いない愉悦の笑みに歪んでいた。糞っ……!痛みで思考が纏まらねぇ……!

 

「ぐう……ぅ……!!」

 

 必死に立ち上がろうとするがそれも腹を全力で蹴られてしまえばどうしようもない。咳き込み、頭痛に耐える以上の行動は困難を極めた。目の前には私の髪を掴み剃刀を構える男の姿があり……。

 

「ううううぅぅぅ………!!!」

「何……?ぐっ……!?」

 

 たたた!と言う足音にマクシミリアンは振り向くと共に自身に突っ込んで来た人影に押し倒される。それは猿轡をされ、腕は未だに拘束されながらも足だけは拘束から抜け出した金髪の従士だった。必死の形相で公世子に襲い掛かる。

 

「何を……がっ……!?」

 

 起き上がろうとするマクシミリアンに全力の頭突きをお見舞いする従士。小さな悲鳴と共にボンボン貴族は額を押さえる。

 

「ぐっ……どう…して……?っ……!!私のナイフかっ……!」

 

 私は視線を移して床に落ちた切れたロープとナイフを見て答えを導き出す。恐らくは蹴りを受けて思わず手元から落としてしまった私の軍用ナイフで密かにロープを切断していたのだろう。手足まで切らなかったのは時間が無かったからか……私がもう少し頑張るべきだったな……!!

 

 私はゆっくりと、頭痛で意識が朦朧とする中、従士に加勢しようとよろよろと立ち上がろうとする。だが精神ではそれを理解していても身体は簡単にそれに答えてはくれない。内心の焦りと裏腹に疲労の溜まった身体の動きは緩慢過ぎた。

 

「うー!!う……ううー!!」

 

 手足が縛られたままでマクシミリアンを押さえつけようとする従士。だが、只でさえ男女の性差に体格の差まであるのだ。そこに手足が縛られていては勝ち目なぞ元から無かった。

 

「ちいいいぃぃぃ!!いつまでも小賢しいぞ、女がっ!!」

「うっ……っ!?」

 

 暴れる従士の顔を殴り、次いで腹を蹴りあげて数メートル飛ばし床に叩きつけるマクシミリアン。ゲホゲホ噎せる少女。てめぇ……だから女の扱いが荒すぎなんだよ、肉食系かよ、ボケが……!

 

「はぁはぁはぁ……神聖なゲームを邪魔するな凡俗がっ!!……ふっ、精々そこで観賞するが良い。目の前で貴様の主君の殺される姿をな……!!」

 

 嫌悪を剥き出しに、次いで嘲るようにそう言って、マクシミリアンは私の元に早歩きで近づく。やっべ、まだ意識が回復仕切っていないんだぞ………!?

 

(不味い……っ!!?)

 

 必死に突き立てられる剃刀の一撃を避けようとしたが私の状態とアスリート選手のように鋭い御貴族様の素早い動きからして、それは難しかった。

 

「さぁ、これで鷲獅子狩りも締めだなっ……!!」

「っ……!!」

 

 せめて足を動かそうとしたが無駄だった。その時には既にマクシミリアンが私の肩を掴み、次いで一気に剃刀を心臓のある場所に突き立てていたからだ。

 

 ザクッ、と音と衝撃が胸に響いた。

 

「うーーー!!!??」

 

 恐らく猿轡されてなかったら大声で叫んでいただろう。従士の言語化されぬ悲鳴。

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプは勝利を確信していた筈だ。剃刀は間違いなく心臓のある場所に突き刺さっていたのだから。そして心臓を刺されれば現状治療しようにも機材も、時間もありやしなかった。即ちこの場ではどうしようとも助からない訳である。詰みであろう。

 

 そう、詰みだ。誰だって心臓を刺されたら助からない。……心臓を刺されていたら、な?

 

「何……?」

 

 文字通り額同士がくっ付き合う位の距離で口元を吊り上げ笑みを浮かべる私に、マクシミリアンは驚愕の表情を浮かべていた。唖然としていたと言って良い。そりゃあそうだ、私も心臓を刺した相手が此方見て笑ったらドン引きするね。

 

「……まぁ、毎度毎度私は幸運には恵まれなくても悪運は良いみたいだな」

 

 自嘲するようにそう言って……私は次の瞬間、目の前の男の肩を掴み逃げられないように固定する。そして笑顔を浮かべて全力でその鼻っ柱に頭突きを食らわした。鼻の骨が折れる嫌な音がボロボロの食堂に響き渡る。人が倒れる音がそれに続いた。

 

 場は静まり返るように静かだった。カストロプ家の使用人や私兵達も、私の従士も一言を発しなかった。何が起きたのか良く分かっていないようだった。

 

「まぁ、そりゃあそうだろうさ……」

 

 私は暫くぽつんと佇み、次いで懐からそれを取り出した。家主様から受け取ったにも関わらず、近接戦闘にもつれ込まされたために引き抜くタイミングが無かったハンドブラスターには、一目で分かる深い刺し傷が出来ていた。この分ではもう使い物にはならないだろう。

 

「弁償物だな、これは」

 

 悪鬼のように怒り狂う小娘の姿を脳裏に浮かべ肩を竦ませて、私は産業廃棄物と化したハンドブラスターを床に投げ捨てたのだった……。




次いでにどうでも良い豆知識
主人公の家の家紋にもある鷲獅子は伝承によれば馬を嫌い、敵視しているらしいです。そして牡馬は食い殺し、牝馬は無理矢理犯して仔を生ませるそうです。

どうでも良いですが婚約者の家の家紋は一角獣です。

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