帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

169 / 199
第百六十二話 大人になるという事はお年玉を貰う側からあげる側になるという事(挿絵的なもの有り)

「社長……」

「うむ、これは好機だ。奴らが、どこからこれだけの人手をかき集めて来たかは知らぬが……これで一応の言い訳も立とう」

 

 自治領主府ビルの一室、そこで防弾硝子製の窓から散発的な襲撃を受ける省庁街を見やるスペンサーは秘書官や数名の側近達と顔を見合せて、頷く。

 

「では動くとしようか」

 

 手袋をして机の引き出しから抜き取るのは闇ルートで製造した製造番号も刻まれていない拳銃である。

 

 フェザーンに限らず、同盟や帝国においても一般市民の武器の保有は法律的な規制を受けて所持記録が残る上、軍や警察等の政府機構、民間軍事会社の保有する銃器も当然通常は各工場で充てられた登録番号が存在し使用者や貸与者の記録が残される。故に今回のような企てに関しては足跡を辿られないように正規ルート以外の、番号記入もなく記録にも残らない機密工廠ないし犯罪組織や外縁宙域勢力が建てた違法な武器工廠で製造されたものを使うべきであり、スペンサー達も当然その事を理解していた。

 

「ふっ、まさか直接私が武器を取る事になろうとはな。……銃を持つのは久し振りだな、腕が鈍っていないと良いが」

 

 ハンドブラスターのエネルギーパックの残量を手慣れた手つきで確認するスペンサー。彼は半世紀も前に飢えと暴力に満ち満ちていた外縁宙域の名もなき惑星に孤児として生を受け、地獄のような故郷から逃げるために商人の密貿易船に潜りこみ、餓死寸前の状態でフェザーンに辿り着いた。そして『裏街』の物乞いから鉱山労働者、傭兵、フェザーン市民権を手に入れ貿易会社や民間軍事会社の社員として上司の合法非合法問わず無理難題をこなしていき、出世のためにライバルを陥れ、あらゆる努力の果てに遂には元老にまで上り詰めた。そんな老人の身体は、自身が戦わなくなってから二〇年以上経た今でもその感覚を失っていないようであった。

 

「よし、行くぞ……!!」

 

 事前に自治領主府ビルの上層階は人払いを済ませ、数名の銀河帝国亡命政府からの来訪者を除けば自治領主の信頼する職員とスペンサーの子飼いの部下達以外は存在しない。自治領主にはそれを工作員の潜伏を危惧してのものと伝えているが、その実はこれから行う行為の目撃者を最小限に抑えるためのものである。

 

「もう少しだ。もう少しで自治領主の椅子が手に入るのだ。手が届く所まで来たのだ。こんな所で終わって堪るものか……!!」

 

 そうだ、全ては自治領主の椅子のために努力して来たのだ。故郷で、フェザーンで、企業で、孤児である事を、密入国者である事を、『裏街』の住民である事を、傭兵である事を、名誉フェザーン市民である事を嘲笑されて来た。彼は多くの迫害と差別と陰謀と試練を乗り越えて来た。耐えて来た。全てはフェザーンの頂点に君臨し、フェザーン社会を変えるためだ。

 

『フェザーンを真に自由の国に、そして平等の星に変える』……そしてそのために自治領主となり、フェザーン市民の特権を打破し、移民法を撤廃する……スペンサーはそのために如何なる行いも辞さなかった。

 

 そのためならば余所者に冷淡な民族主義的な自治領主にも近づくし、強欲なカストロプ家の弱者を食い物にするビジネスにも協力しよう。多くの挫折と裏切りを経験してきたスペンサーは理想主義者であっても夢想家ではないし、理想のためならば幾らでも現実主義にでもなれた。権力を手に入れるためには金と暴力とコネクションが必要不可欠である事を多くの経験から彼は理解していた。

 

 表向きは自治領主に近づくために民間軍事会社の親同盟派を装い、裏では帝国で五本の指に入るカストロプ家と協力し密貿易で莫大な利益を上げる。表裏双方の世界で金と暴力とコネクションを蓄えて来た。後少し、もう少しだったのだ。本来ならば老い先短い自治領主の引退か自然死で問題なく自治領主の座に就ける筈だった。

 

 それを……以前から多くの者達が自身を追い落とそうとしていたのは彼も承知していた。表としての顔でも、裏としての顔でもスペンサー程の立場になればその存在自体が目障りと思う者は幾らでもいる。帝国の主戦派に反カストロプ派やカストロプ系列と対立する犯罪組織、フェザーンの親帝国派や勢力均衡派、同盟の反戦派、アトラス社内の反スペンサー派に同盟の治安機関、幾つかの宗教勢力に、ワレンコフの片腕として次期自治領主の椅子を争うアドリアン・ルビンスキー……それでも長年彼は上手くこの危険な橋を渡り歩いて来たし、二重三重の保険をかけて来た。全ては万全の筈だった。

 

「それをあんな小さな一件でここまで追いつめられる事になるとはな……!」

 

 間違いなく全ての歯車が狂ったのは昨年のエル・ファシルの一件だ。

 

 表向きは典型的な帝国の道楽貴族将官、裏の顔はサイオキシン麻薬の密売や軍需物資を横流しするカストロプ公爵系列の犯罪組織の幹部、真の顔は帝国軍内部でスパイ活動をする貴族社会内の隠れ共和主義者……権門四七家ではないとは言え、帝国諸侯の上位五パーセントに名を連ねる大貴族フォルゲン伯爵家の三男坊にして地上軍の主計准将と言う立場は犯罪組織の幹部としても、共和主義者のスパイとしても有用であった。

 

 カストロプ公らからしても別にフォルゲン伯爵家の三男が共和主義者のスパイをしていようがどうでも良い事であった。

 

 寧ろこれでいざ密貿易で帝国警察総局なり憲兵本部、社会秩序維持局に追及された時に何も知らないフォルゲン伯爵家を無理矢理共犯に仕立て味方に引き入れる好機と考えていた。恐らくは警察総局に探りを入れるためだろう、ハルテンベルク伯爵家の令嬢にカール・マチアスが接近したのも好都合だった。連座制が適用される帝国司法である、警察総局の局長を脅迫出来るネタが出来て万々歳だ。

 

 だが、組織を裏切るのは良くない。どれだけ帝国軍や宮廷の情報を同盟に渡そうともカストロプ家もその利権の関係者も気にしなかったであろうが、その売る情報に彼ら自身の事も含まれているならば話は別だ。危険の芽は早めに折ってしまうに限る。

 

 それ故にカール・マチアスが犯罪に手を染めた隠れ共和主義者である事が極自然な流れで発覚するように彼らは仕向けた。フォルゲン家とハルテンベルク家はリヒテンラーデ侯やエーレンベルク元帥の助力を受けカール・マチアスを『名誉ある戦死』に追い込み、それはすぐに果たされる筈だった。

 

 偶然の積み重ねの結果と誰が信じよう?最悪の結果がカストロプ家とその取り巻き達に伝わった。カール・マチアスは亡命政府と同盟政府の保護下となり、多くの情報が流れた。密貿易に関するルートと協力者の芋蔓式の摘発は時間の問題だった。

 

 カストロプ家はあらゆる手を使い被害の最小化を図った。同盟辺境部での反同盟勢力や宇宙海賊の活動活発化は帝国軍の敗残兵の流入もあるが、カストロプ家の武器と資金の援助も一因だ。いや、帝国兵の流入すらカストロプ家が一枚噛んでいる。アルレスハイム星系方面への出兵もそうだ。全てはカストロプ家の保身のため、各種の政治工作を行う時間を稼ぐためのものだ。

 

 スペンサーもまた少しずつカストロプ公から遠ざけられ始め、当然スペンサーもカストロプ公に代わる協力者を探し求め、見つけ出した。皇太子は確かに未熟で政治的なハンディキャップも多いが、それでもその理想と理念はスペンサーの野望とシンパシーが強く、また勝利した際のリターンも大きい。

 

 それ故、スペンサーは新しい協力者とのパイプを強化し始めた。そこに来たのがあのボンボン貴族である。

 

 客観的に見た場合、このタイミングで使節団にティルピッツ伯爵家の嫡男が随行した事を深読みしないなぞ有り得なかった。相手はエル・ファシルにおいてカール・マチアスの保護に一役買った存在だ、その人物の随行にスペンサーは警戒したし、その疑念は同盟軍の諜報員が補佐として配属され、ブラウンシュヴァイク公爵家に連なる裏事情に詳しい男爵と接触した事で決定的となった。スペンサーは伯世子の影に同盟政府そのものを見た。疑惑が決定的となり次第、自身の命は無いものに思えた。

 

 しかしそれは神の視点で俯瞰した場合、それは過剰な警戒であり、深読みし過ぎた事であった。同盟政府も亡命政府もカストロプ公のシンパが数多くいる事自体は把握していてもスペンサーに対してはその手は及んでいなかったし、唯一それについて決定的な情報を有しているのはアドリアン・ルビンスキーのみ、それも彼自身はその情報をワレンコフにすら伝えていなかった。警戒される訳が無い。

 

 それでも後ろめたい秘密を持つ者は疑心暗鬼になるものだ。そこに追い打ちを掛けたのが新しい協力者からの要請だ。ブラウンシュヴァイク一門の男爵に、男爵が保護する人物、その双方を標的とした皇太子からの要請は危険でもあったが、相応の政治的リターンが期待出来、何よりも絶好のタイミングであった。標的と自身を探る(とスペンサーは認識していた)者達を纏めてヴァルハラに送り届け、しかも殺害の嫌疑は元より周囲から危険視されるカストロプ家のそれも良い噂のない道楽の放蕩息子に押し付ける……上手くいけば彼は野望に一気に近づく筈であった。……上手くいけば。

 

 スタジアムでの策は失敗に終わり、それどころかカストロプ家の放蕩息子の介入を許す事になる。しかもその放蕩息子が彼方此方で勝手気ままに動いてくれるお陰で事はどんどん大事になってゆく。アドリアン・ルビンスキーと伯世子達が接触したのを襲うのは良い。だがスラムとは言え街中で迫撃砲を撃ちこみ、大騒ぎを起こした挙句に取り逃がすとは……!

 

「狩猟などと……馬鹿馬鹿しい……!!」

 

 マクシミリアンかスペンサーを内心で冷笑するように、スペンサーもまたマクシミリアンを内実侮蔑していた。彼が何を考えているのかはどうでも良い。彼の悪ふざけが成功しようと失敗しようと全ての責任を押し付ける準備は出来ている。

 

 何にせよ、後はこの襲撃を受けたタイミングに乗じて自治領主と使節に消えてもらうだけだ。本来ならばテロか事故か、あるいは交渉が険悪化した事による殺人事件でも仕組む積もりであったが……これはこれで好都合だ。このタイミングであれば死亡したとしてもそれは襲撃者によるものと弁明しても違和感は持たれず、疑惑を向けられたとしても幾らでも偽装出来る。

 

 そして使節と自治領主の死は自治領主府の政治的な混乱を招き、その混乱は借款交渉そのものを潰す事になるだろう。その悪影響は最終的には同盟政府と亡命政府のカストロプ系列密貿易組織の摘発の延期にも繋がろう。

 

 そして自治領主の椅子を手に入れると共に裏で怪しげに動く黒狐を始末し、次いで皇太子から要求されている目標も確保すれば良い。それで全ては闇に葬られ、危機は遠のく。

 

 そうだ、確かに追い詰められてはいるが絶望的ではない。この危機を機会に変えろ。それこそがフェザーンに住まう者の本質ではないか。与えられた状況で最大限の利益を生み出す、それがフェザーン市民の主義であり、スペンサーもまた幾度も自らの生命を賭け金として危険の橋を渡ったものだ。この程度の危険、乗り越えられない訳が無かろう……!

 

「ちぃっ……!あの放蕩貴族めっ!何をしているっ……!?」

 

 自治領主の執務室に向かう最中、侵入者阻止のために停止しているエスカレーターの下方から銃声が響く。鉛弾はスペンサー達のすぐ傍の壁を削り、周囲の側近達が慌てて反撃の銃撃を浴びせる。

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプの警告から、一応念のために取り逃がした伯世子達が自治領主府ビルにまで侵入してくる事を想定はしていた。その上で目撃者を最小限にするためにビル上層階は手薄にし、その代わりにマクシミリアンの要求を受け入れ彼に登って来る侵入者の排除を受け持ってもらっていた。にも拘らずこんな所にまで侵入を許すとは……!!

 

 まさかスペンサーも数十名の兵士を連れながらマクシミリアンが目的の伯世子以外興味がなく、足止めすらせずに傭兵達を見逃すとは想定もしていなかった。そのような常軌を逸した異様な行動なぞ思いつく筈もない。それ故スペンサーは下層階にいたマクシミリアンがもう敗れ去った事を想定し、その頭脳はこの場での最善の判断を導き出した。

 

「ここは我々が足止めします……!」

 

 秘書官以下数名の側近達がスペンサーの出した結論を先読みして志願する。彼らは末端の金目的で密貿易に加わる者達とは違い、スペンサーと志を同じくする同志であった。彼らもまたスペンサーのように格差と差別の激しいフェザーンで苦汁と辛酸を舐めて、才能と努力と幸運で今の地位を手に入れた。そして地位を得る事でより一層不公正で悪徳に満ちたフェザーンの実情を知り、それを変えるために手を組んだ同胞だった。

 

「……うむ、頼むぞ」

 

 僅かに苦虫を噛み締めた表情を浮かべ、しかしスペンサーは秘書官達の言葉を受け入れる。マクシミリアン達が敗れ去った可能性から考えればここで傭兵共を拘束するのは最優先するべき問題だ。彼らが使節や自治領主と接触し、保護すればスペンサー達は終わりだ。

 

 無論、足止めする彼らの中には直接戦闘の経験が殆どない者もいる。その動きから恐らくプロと思われる傭兵相手にどれだけ持ちこたえられるかは怪しい。それでも彼らの志願を受け入れて足止めとして切り捨てる。切り捨てざるを得ない。ここまで来るのに多くの犠牲を払って来たのだ。その犠牲を無駄にしないためにも非情でもやらねばならぬ事がある。

 

「何、我々の中にも犠牲がいた方が怪しまれずに済むことでしょう。無論、我々とてここで死んでやる積もりはありませんがね」

 

 両親共に『裏街』生まれで父を鉱山事故で、母を貧困と病気で失った秘書官は苦笑しつつ答える。苦難の末に貧困から抜け出してもその先にあるのは『裏街』出身というだけで受ける差別だった。『裏街』出身というだけでまるで犯罪者扱いされ、明らかに不当な評価を受け続けた秘書官はスペンサーの計画に全てを賭けていた。それは他の側近も同じである。

 

 秘書官以下の側近達が下階から駆け上がろうとする傭兵達を迎撃している間にスペンサーは残りの側近達と共に自治領主執務室へと向かう。そして合理主義を優先とするフェザーン建築らしい自動扉の前に立つ。この扉にはセンサーと自動ロックシステムがあり、入室者を記録しつつ専用のIDカードを保持しない者の入室を拒む仕様だ。当然、扉自体は合金製で携帯火器による銃撃や爆弾の炸裂に十分耐えられるように設計されている。だが、その防犯システムにもまた改修時にスペンサーは罠を仕掛けていた。

 

 入室記録を残さない特殊仕様のIDカードで扉のロックが解除される。一〇年前にアトラス社に防犯システムの近代化改修の発注が為された際、何等かの役に立つだろうと裏鍵を作っていたのだ。無論、自治領府のシステムエンジニアが調べても問題ないように表向きは自治領主が記録に残らない会談を行うため、という理由をつけて幾枚かのIDカードは自治領主府に提供している。スペンサーの使ったカードは自治領主府にも伝えていないものだ。

 

 正規のIDカードで入室したように見せかけるスペンサー達は、照明を消しているために暗くそして広い執務室の奥、扉から離れた壁際のソファーに視線を向ける。向かい合う形でそこにいたのは自治領主ワレンコフに銀河帝国亡命政府から来た皇族の使節、そして彼らの数名の補佐官兼護衛。

 

「自治領主、まさか照明を消しておられるとは」

「この騒動だからな、君の警備体制を疑う訳ではないが念を入れるべきだろう。照明は消して窓際からは退避させてもらったよ。流石に堅牢なこの部屋から出てはいないがね」

 

 ソファーに座りながら老人特有の皴枯れた声で答える自治領主。この自治領主執務室は実際堅牢だ。窓はロケット弾にも耐えられるし、壁は防音の上に装甲を張っている。空気清浄機はほかの部屋とも独立していて放射線や毒ガスに対応したフィルター付きだ。

 

「成程、賢明な御判断です。……御話の方の進展は?」

「互いの利害は一致していますからね、スムーズに進んでいますよ。それはそうと、貴方は何故此方に?」

 

 亡命政府の若い皇族将官が微笑みながら尋ねる。恐らくスペンサーが同じ歳の頃は戦闘技能以外無知で無学な傭兵の一人に過ぎなかった筈だった。

 

(まだまだ私は完全には疑われてはいないらしいな、だが……)

 

 だが、それも時間の問題だ。時間が経てば疑惑は事実となり、政治的にも、生物学的にも彼の破滅は確実だ。それ故、スペンサーは次の行動に移る。

 

「少し前より外部からの攻撃を受けているのはご存じでしょう」

「あぁ、ここも危ないので避難の要請かな?」

「避難、いうのは間違ってはおりませんな。尤も、避難されるのは少将の御言葉を借りればヴァルハラという事になりましょうが」

 

 淡々とそう答えたスペンサーはハンドブラスターを目の前の集団に向けた。側近達もそれに続く。

 

「まさかっ!?裏切るのかっ!?スペンサー……!?」

「……表立っただけですよ、自治領主殿」

 

 此方に銃口を向けるスペンサーにワレンコフは叫び、当のスペンサーは淡々とハンドブラスターの引き金に指をかける。ドラマや映画の悪役のように無駄話なぞしない。迅速に、かつ確実に彼らには死んでもらう積もりだった。

 

 驚愕に目を見開く自治領主は、しかし次の瞬間には苦虫を噛む。そしてこの部屋に居座る第三者に向けて不本意そうに声をかけた。

 

「そうか。……残念だがどうやら君の言う通りだったらしいな、少佐」

「っ……!?」

 

 その気配に最初に気付けたのはスペンサーだった。それは第六感というべきものだっただろう。若い頃、いや幼い頃から幾度も生命の危機に出くわした事による直感が背後からの殺気に気付けたのだ。

 

「がはっ……!?」

 

 だが、それだけだった。既に傭兵としての現役の時代は遠い過去の事である。ましてや五〇代ともなれば経験の差で肉体の衰えをカバーするのも難しい。そして相手は間違い無くプロだった。背後の数名の人影から撃たれるブラスターの光はスペンサーとその側近達を確実に戦闘不能にした。

 

「ぐっ……この……がっ!?」

 

 致命傷こそ受けずとも手足や関節を撃たれて戦闘能力をほぼ喪失したスペンサーは、尚も激痛を気力で堪えて床に落ち血塗れになったハンドブラスターを拾おうとするが、それはハンドブラスターを踏み抑える足によって阻止される。

 

「社長、どうかご抵抗はお止め下さい。その歳では体力も落ちてるでしょう?我々としても貴方に死なれるより生存している方が価値がありますから」

 

 床のハンドブラスターを踏みつけ、スペンサーの額にブラスターライフルの銃口を向ける暗視装置を装備したラウル・バグダッシュ少佐は淡々とした表情でそう口にする。その背後には同じく銃器を持った同盟の工作員が二名。恐らくはデスクやソファー等の家具に隠れていたのだろう。照明を消せば元からいると知らなければ先入観も手伝いその存在に気付けようもないだろう。いや、それよりも問題は……。

 

「ぐっ……馬鹿な、どうしてここに……」

 

 侵入者達は未だ下の階にいる筈だ。少なくともこの自治領主執務室に入室した者がいない事は扉に備え付けられている防犯システムの記録がある限り間違いない。それなのに何故この同盟軍の諜報員はこの部屋にいる……?

 

「いえいえ、そんなに難しく考える必要はありませんよ」

 

 そう言うバグダッシュ少佐の背後の壁が割れると中から数名の銃を構える兵士達が現れる。その出で立ちからして恐らくは同盟軍情報局の工作員であろう。

 

「まさか……隠し扉から逆に侵入したのかっ……!?」

 

 恐らくは自治領主が有事の際に利用する隠し通路から逆に執務室に侵入したのだろう。隠し通路の扉にセンサーなぞつける筈もなければ機密である以上その存在を知るのは本当に一部しか有り得ない。

 

「くっ……何故だ?こんな隠し通路があるならば外の、下の階の者共なぞ必要ない筈……!?」

 

 そうだ、こうして直接侵入出来るなら各地で陽動の破壊工作をする必要も、別の隠し通路から自治領主府ビルに侵入する必要もない筈だ。スペンサーはそう考えていたからこそ既に執務室内の隠し通路からの侵入はないと思い込んでいた。それを………。

 

「少佐、それは私も疑問に思っていた点だ。大佐は何故そのような回りくどい手を打ったのかね?しかも、よりによって大佐自身は少佐と同行しないとは……」

 

 護衛に守られながら裏切り者の疑問に同意してワレンコフはバグダッシュ少佐に尋ねる。始めから執務室に繋がる隠し通路からのみ使えば室外での戦闘はなく、市街地での破壊工作も必要無かったのではないか……?

 

 何か裏の理由があるのではないか?ワレンコフがそう訝しむのは飛躍した考えではない。バグダッシュ少佐は自治領主の瞳に疑念の色が浮かぶのを察し、慌てて弁明を述べる。

 

「いえ、何せ隠し通路には遮蔽物がありませんので……万一隠し通路の存在が露見していればその時点で我々は全滅です。資産は分散せよ、と言えば自治領主には御理解頂けるかと」

 

 無論、それだけが理由ではない、と更に少佐は付け加える。

 

「更に加えるならば、隠し通路から御避難後の追っ手の事もあります。外の部隊が騒ぎを起こしていればその分此方に向けられる人手も減りますし、何よりも今回のように油断を誘える訳です。その結果、このようにスペンサー氏の裏切りも御見せ出来た訳ですな……!」

 

 そう言って少佐は倒れ伏しながら密かに床に落ちた拳銃に手を伸ばそうとしていたスペンサーの側近を電磁警棒で殴り倒す。スペンサーはそれにより反撃の手段を完全に断たれたのを見せつけられ、項垂れる。

 

「……さて、理由については御理解頂けましたでしょうか、自治領主殿?」

「……うむ」

 

 渋々ながらもワレンコフは諜報員の言に賛同せざるを得なかった。実際少佐達がこの執務室に入室して事情を説明した際にはワレンコフは信頼するスペンサーの裏切りを信じ切れず、その結果本当に裏切るのかをこのように目の前で証明する必要があった。そしてその結果がこれだ。

 

「スペンサー、志を同じとする君には期待していたのだが、このような事になるのは残念だよ」

 

 ワレンコフは心底失望した表情で縛られていくスペンサーにそう言い捨てた。一方のスペンサーは自治領主を心底侮蔑する顔を向ける。

 

「貴方が言えた義理ですかな?その隠し通路が何よりの証拠ですよ。やはり貴様らは身内贔屓の差別主義者だ、強欲なフェザーン人め……!!」

 

 そこまで言ってハンドブラスターにより出来た銃創の痛みに呻き声を上げつつ連行されていく社長。その背中を一瞥した自治領主は小さな溜息をついて力なくソファーに座り込む。

 

「……少佐、そう言えばまだ言っていない事があるんじゃないかな?少なくとも大佐が君と別行動する必要はないだろう?……少なくとも此方の班に同行しないのなら隠れ家で吉報を待つ選択肢もあっただろう?」

 

 場の空気を換える積もりか、はたまた純粋に疑問が浮かんだのか、使節団から来ていたアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムが少佐に尋ねた。尤も、その表情から見て質問は何方かと言えば確認に近いように思われた。その口ぶりは既に大方の理由は理解しているようだった。

 

「確かにそうだ。それについては弁明はあるのかね?」

 

 場の重苦しい空気の払拭を狙ってか、ワレンコフも皇族軍人の質問に乗る。一方、質問を受けたバグダッシュ少佐は何とも言いにくそうな表情を浮かべる。それは言えない理由があるというよりも馬鹿馬鹿しさから説得力がないので答えるのを渋っているように見える。

 

「いえ、特に理由もなく……正直、私も居残るように進言はしたのですが……」

「が?」

 

 歯切れの悪い言い方にワレンコフは首を傾げる。バグダッシュ少佐は観念したように、可能な限り淡々と言葉を紡ぐ。

 

「いえ、大佐が仰るには『居残って隠れ家を危険に晒したり、少佐の班に付いていって成功率を下げるより、それが一番悪影響が少ないだろう』、との事だそうです」

 

 上官の言葉を自分で口にして呆れつつ、しかし一切の合理的理由もない癖に、その理由はどんな理屈よりも論理的なようにバグダッシュ少佐には思えたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざわめきが聞こえた。それは上方に控えるカストロプ公爵家の私兵と使用人達の困惑と動揺によるものだった。

 

 ボンボンが『狩り』と称する馬鹿げた催しを行っている間は決して無かった事だ。公世子の発言も含めて考えると恐らくはこれまでも似たような行いを幾度も実施してきて、そして全てにおいて勝利してきたのだろう。彼らも主人の行いに賛同しなくてもまさか返り討ちに遭うとは考えていなかったらしい。

 

 まぁ、人質取って三対一の戦いだ。実際、公世子が舐めたような戦い方をせず、そして私の悪運がなければ勝負は彼らがいつも見ている通りになっていた筈だ。そう考えると今更ながらぞっとする。

 

 色々と皆が好き勝手に暴れたせいでズタボロに散らかる食堂ホールに暫しの間立ち尽くし、息を整え、精神を落ち着かせた私は宣言する。それは未だホール上方の吹き抜け廊下でライフルを構えるカストロプ家の私兵達に向けたものだった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ………撃つんじゃねぇぞ?別にこいつの首を狙いにここまで来た訳じゃねぇからな、お前達が下手な事しない限りは此方も下手な事はしねぇよ。……但し、鍵を貰うぞ?元々そのために付き合ったんだからな」

 

 そう宣言してから、ゆっくりと、私兵達を刺激せずにその場にをしゃがみ込んだ私は鼻の骨が折れ、鼻血を垂れ流しながら白目を剥いて倒れているボンボン貴族の懐に手を入れる。無論、いきなり起き上がって襲い掛かって来る事も想定して最大限、警戒は怠らない。

 

「どこだ……糞っ……頭が痛てぇな……これ……か……?」

 

 頭痛と額から流れる血が目に少し入る事で視界がふらつき、霞む中、どうにか私はそれを見つけ出す。遠目で見た純金製の鍵をマクシミリアンの懐から抜き取る。

 

「……一応、これも拝借しておくか」

 

 偶然視線の先に映った『それ』を安全と(言い訳の)土産物として折り畳み懐に入れる。そして若干ふらつく足取りで私は従士の元へと向かった。時限爆弾付きの首輪である、起爆する前にさっさと外さなければなるまい。

 

 手を縛られ、顔に若干殴られた傷を作っている従士が此方を唖然とした表情で見ていた。まぁ、普通の反応だわな。というか何で私は刺されて死にかけてるのに黙々と行動しているんだろう……慣れ?さいですか。

 

「うっ……」

「あぁ、動くな。酷いものだな、顔を殴る事なんて無いだろうに。跡が残ったらどうする積もりだよ、糞が」

 

 嫁入り前の娘なのに……そう半分冗談交じりに、しかし確かに不快感を滲ませて毒づく。何やら言いたげな視線を向ける従士に、私はしかしお喋りするよりも先に首輪を外す事を優先しなければならなかった。赤い液晶パネルのカウントダウンの数字は二分を切っていた。外してもカウントダウンが止まるかは分からない。サイズ的には精々人一人を殺せるかどうかの炸薬量しか無かろうが……捨てて避難する時間も考えればさっさと外してしまうべきだった。

 

「動くな、今すぐ外す」

 

 従士にそう言い聞かせてから長い金髪を纏め、顎を上げさせる。そうやって鍵を差し込みやすくしてからその鍵穴に拝借した鍵を差し込み……。

 

「まだゲームは終わらんよ、伯世子殿?」

「ちぃ……がっ……!?」

 

 背後から、耳元で囁くその粘り気のある声が何であるか私は即座に理解し、次の瞬間には左手で裏拳を放っていた。だがその一撃は手首を掴まれた事で阻止される。同時に左頬に鋭い衝撃を受けた。明らかに拳鍔を嵌めた拳による殴打によるものだった。衝撃で口の中は切れたが歯は折れなかったのは幸運だった。無論、それだけの事だが。

 

「ふふふ、油断したなティルピッツ?狩猟で最後の最後に油断するのはご法度だぞぅ……?」

 

 私の髪を掴み、後ろから引っ張り上げる鼻血を流したままニタニタ笑うマクシミリアン。テレジアが立ち上がって私に助勢しようとするのを懐から取り出した電磁警棒で殴りつける事で阻止する。こいつ、まだそんな物を持っていやがったのか……!

 

「てめぇも人の事言えねぇだろう……ぎゃあぁぁ!!?」

 

 売り言葉に買い言葉を言い放った途端全身の神経が焼けたと錯覚するような激痛が走り、私は獣のような悲鳴を上げる。電磁警棒が首の裏に触れた事による電流の痛みだ。ぐっ……散々人に使った経験があるがこんなに痛いのかよ……!!?

 

「安心するが良い。これの電流は低く設定してあるからな。ふふふ、失神した獲物を仕留める趣味はない。やはり止めは意識があるままやらんとな?」

「ぐぉ……だからてめぇ……悪趣味なんだよ………!!」

  

 身体を痙攣させて、憎悪に満ち満ちた視線をマクシミリアンに向ける。しかし当の公世子は、寧ろその反応に嬉々とした笑みを浮かべ、流れる鼻血を狩猟着の袖で拭く。

 

「ここまで手古摺ったのは初めてだよ。まさか鼻をへし折られるとは、後で手術せねばなるまい。……だが、だからこそこの狩猟には価値がある。ここまで苦労して仕留めた獲物だ、貴様の皮は剥製にして、骨は削ってパイプにして、それぞれ私のコレクションの一番のお気に入りに並べてやろう。くくく、泣いて喜ぶが良い……!!」

「もう喋るんじゃねぇ、このサイコパスが……!」

「なっ……があぁっ!?」

 

 次の瞬間、マクシミリアンの悲鳴が響く。私が先程鍵と一緒に拝借した剃刀を死角から取り出してマクシミリアンの左足太腿に突き刺したからだ。崩れ落ちるボンボン貴族。私はその隙を見逃さず、電磁警棒を奪い取り、相手の顔面にフルスイングを食らわせる。やったぜ、奥歯が二本飛んで行きやがった!

 

 これ以上この馬鹿と付き合う時間なぞない。電磁警棒を遠くに投げ捨てると身体を殆ど無理矢理動かす。床を探し回り黄金色に輝く鍵を見つけるとそれを拾い、電流で痺れる身体を這いずらせて従士の元に向かう。

 

「うっ……うぅ………」

 

 電磁警棒の一撃を食らい、床に蹲り呻きながら虚ろな視線を向ける部下。その様子だとかなりダメージを受けているようだった。金髪の間から見える首元のタイマーの秒読みは既に一分を切っていた。

 

「糞ったれが……!!」

 

 ぜいぜいと息切れしつつ私は従士の元に辿り着く。その震える視線が何を訴えているのかはタイマーの残り時間から考えて大体予想はついていたし、当然それを受け入れるのは論外だった。

 

「安心しろ、急げば……急げばまだ間に合う。はっ、この位の修羅場ならまだまだマシだぜ……!」

 

 少なくとも石器時代の勇者や糞熊相手に無理ゲーするのに比べたら可愛いものだ。え?比較対象可笑しい?私もそう思うよ。

 

 私は震える手で鍵を鍵穴に差し込もうとするが、やはり若干麻痺気味の手では中々鍵穴に差し込めない。

 

「糞っ……!落ち着け……落ち着け……!」

 

 自分自身にそう言い聞かせるが既にカウントダウンは三〇秒に差し掛かっていた。不味い、早く何とかしない……と……!?

 

「てめぇ、マジでしつこいんだよぅ!!噛ませは噛ませらしく退場しろよ……!」

 

 足に掴みかかるマクシミリアンにもう片方の足で蹴りを入れる。どかどか、と顔に足蹴りを受けるが当の御曹司様はギラギラと肉食獣を思わせる眼光を向け続け此方に一層向かって来た。そろそろ得体の知れない恐怖すら感じて来そうだった。

 

「ちぃ……!」

 

 もう時間がない。この気違いの対処は後回しだ。それよりも首輪を……。

 

「ぎゃっ……あっ……!?」

「ううううぅぅぅ………!!?」

 

 次の瞬間、突如として視界の半分が黒く塗り潰された。顔の左半分に激痛が走ると共に悍ましい感触が広がる。残る右側の視界では従士が目を見開き、恐怖に顔を歪ませていた。おいおい……こりゃあ……マジかよ……?

 

「ふふふ、どうだ……!?流石にこれは堪えただろう……!!?」

 

 奇声に近い叫び声をあげるマクシミリアン。ごにょごにょと、ぐちゃぐちゃと、左目の眼孔の中で特大の蚯蚓が這いずり回るような感触が広がる。あー、つまりこれはアレだな。目が潰れたか。

 

「ぐっ……やってくれる……!?」

「ははははっ!そんな女無視して私の首を狙えば良いものを!ティルピッツ!判断を誤ったなっ……!!」

 

 何やら叫ぶボンボンの声はもう反応するのも面倒になって来たので無視しておく。左目の中でごりごり動く指の感触がキモいが我慢するしかあるまい。うん、右腕斬り落とされた時に比べればマシだ。幸い、電磁警棒の一撃のお陰で痛覚は若干麻痺している。やはり私は悪運にだけは恵まれているらしかった。

 

「入った……!」

 

 漸く鍵穴に鍵が差し込まれる。すぐに回転させ首輪を外す。秒読みは既に一〇秒を切っていた。強引に私は首輪を掴み取るとそのまま自身の内股を通して後方に滑り込ませるように投げ込む。

 

「伏せろ……!」

 

 私は背後で色々と勝ち誇ったように喚き散らす馬鹿を無視して従士を抱きしめそのまま伏せる。上方からカストロプ家の私兵や使用人達の叫び声が響き渡る。それに反応してマクシミリアンが歪んだ笑みを浮かべながら背後を向いたのがちらりと見えた。もう遅いわ……!

 

 次の瞬間、クラッカーの弾けるような音と共に獣の叫び声のような悲鳴が食堂ホールに響き渡った。

 

 

 

 

 

 まぁ、あれだ。種明かしは簡単な事だ。明らかに私に夢中になっていたマクシミリアンは私が滑り込ませた首輪爆弾に寸前まで気付けなかった。爆弾は彼の背後で爆発し、その鉄片は、無防備な彼の背中を傷つけた。

 

 悪運が強い事に爆弾自体は小型のために死んではいないようだが……流石にこのズタボロの姿で尚襲って来たらホラーだな。

 

「ぐっ……痛てぇ、てめぇいつまで人の目玉に指捻じ込んでんだよ……!」

 

 起き上がる私は痺れる手でマクシミリアンの腕を掴み、若干荒々しく目玉に突っ込まれる指を引き抜く。次いでにボキッと指を折っておいた。小さな呻き声が聞こえるがどうでも良かった。それ位どうせすぐに治るだろうがっ!

 

「はぁ…はぁ……少し待ってろ。まずは手の方を……」

 

 唖然とした、それでいて恐怖に震える従士の、その手を縛る綱を外し、次いで悪趣味な猿轡も外す。同時に私に抱き着いた従士は私の顔に手をやり私の顔を、正確には多分左側を凝視していた。震える口元が何か言おうとするがそれは言語化される事は無かった。それだけ気が動転しているようだった。

 

「わ……わかさ……「ふふふ……ふはははっ!フハハハハハ!!」

 

 そして、漸く口を開いた従士の声を、狂ったような嗤い声が遮った。おい、マジお前邪魔なんだけど。

 

 胡乱気な私の視線にも関わらず、全身血塗れのままで床に倒れるマクシミリアンは唯々嘲るように嗤い続ける。心底楽しそうに、意地の悪そうに。

 

「ははははっ!くくくっ……!!ティルピッツ……私をここまで惨めにして囚われの姫を奪還した手腕は素晴らしいよ。げほっ……だが……だが私は非常に残念な事実を伝えねばならないようだなぁ?」

 

 ぜいぜいと死にそうな息切れをしながら、それでも心底楽し気に顔を歪ませる変態である。正直、私は恨みとか嫌悪とかそんなものすら忘れまだこんな大声で笑う元気がある事にドン引きしていた。おい、その怪我で良くそんだけ笑う元気あるな?

 

 一方、解放された従士は顔をさっと青くさせる。それはまるでこれから死刑を待つ囚人のようだった。

 

「貴様のお気に入りの雌の事なら調べたぞ……!?スタジアムで貴様を庇ったあれはゴトフリート家の小娘だろう?げほっ……くくく、眼球を犠牲にしてまで助け出した覚悟は騎士道物語らしく麗しいが……残念だったなぁ?それは貴様のお気に入りじゃあない!!それは……「ノルドグレーン家のテレジアだろうが。何年の付き合いだと思っているんだよ、人の目を節穴扱いするな。それ位知っているわ」

 

 声が五月蠅過ぎるのでとっとと黙らせるために先に私は言い切る事にした。マジで耳障りなんだよ、貴様は。

 

「………はっ?」

 

 死にかけの癖に腹立つ程の笑みを浮かべ続けていたマクシミリアンは遂に初めてその表情を強張らせ、凍らせ、唖然とする。それはまるでずっと楽しみにしていた大好物のおやつを目の前で取り上げられた子供のようだった。

 

「若様………?」

「全く悪趣味だよな?こんなコスプレみたいな古臭いドレスに同僚の化粧だものな。そりゃあ見慣れていない奴相手なら誤魔化せるだろうが……流石に何年も仕えている従士相手ならよっぽどの事がなければ間違えるかよ、なぁ?」

 

 小動物のように怯え、不安そうに此方を見やるテレジアを安心させるように苦笑を浮かべる。

 

「そ……そうです…か。私は……それ程ゴトフリート少佐とは違うのですか」

 

 暫く沈黙し、歓喜と、絶望のない交ぜになったような震える口調で、テレジアは漸くと言った風に言葉を紡ぎだした。

 

「そうだな、テレジアはベアトとは違う。性格も物腰も特技もな、ベアトとは別に色々助けられているよ」

「っ……!!」

 

 従士の恐れている事に予想はついていたので私はその差異を認める、認めた上で感謝した。

 

 テレジアとベアトはそりゃあ似ているが近くで長年一緒にいれば幾らでもその差異が、その個性の違いが目に映る。技能は当然として、テレジアはベアトよりも髪はウェーブがかっており色素は薄い。その紅玉色の瞳はより大きく開いている。物腰は柔らかく、表情が豊かだ。化粧していようが幾らでも区別をつけるポイントは口に出来る。間違える訳がない。

 

 そしてその差異は別に不快なものではない。テレジアはベアトのスペアではないのだ。寧ろベアトが二人いても困る。確かに長所ばかりではないだろうが、それでも二人ともそれぞれ強みと個性があり、だからこそ私は二人を傍に置いている。それが厳然たる事実だ。私も物好きではない、自分が生き残る上で役立たずの無能を控えさせる余裕なんてない。ましてその忠誠心はとっくの昔に知っている。

 

 だからこそ私は命がけでこの馬鹿げたショーに付き合ったのだ。主催者は狂っているし、舞台の趣味も最悪だが……それでも目の前の従士の命と引き換えとしてならば喜んでこの下らない演目にも付き合うし、替えの利く目玉の一つ位なら捨てる覚悟がある、というか実際捨てた。前述したが四肢を一つ失うのに比べれば安い犠牲だった。

 

「若様……わ、私は……私は………」

 

 そこまで口にするが、そこから先は言葉にならなかった。これまでの恐怖や様々な感情が爆発したのか瞳を潤ませ、啜り泣き始める。

 

「テレジア……」

 

 私は一瞬戸惑うが、すぐに啜り泣く目の前の従士の、その頭を撫でて彼女か泣き止むまで慰める。無論、周囲の警戒は怠らないがね。

 

 一方、タッタッタッ!!と慌ただしけな複数の足音が室内に響き渡る。幾らかの使用人達が必死の形相で螺旋階段を降り立ち瀕死のマクシミリアンの下に駆け寄る。恐らくは応急処置をしようと言うのだろう。流石に勝敗が決まった後の主君をそのまま見殺しにする訳にはいかないらしい。

 

 「馬鹿な……こんな……こんな事……ゲボッ……これでは…これでは私は完全に敗北したと言うのか?この私が……カストロプ公爵家の嫡男たる私が……?有り得ん……そんな事有り得ん……そんな事……!」

 

 使用人達に治療と介抱をされながら、そんな事一ミリも関知せず唯々吐血しながら絶望にうちひしがれ、喚き散らすマクシミリアン。いや、こんな状態の時点でどう考えてもお前の負けだろうが。そもそもてめぇの勝利条件って何なんだよ?私が元から人質の正体に気付いていた事位でそこまでショック受けてるんじゃねぇよ。

 

「ひくっ……ひく……あぁ……何て事……若様……も、申し訳御座いません。私が情けないせいで……こんな……目が…………っ!!」

 

 未だ涙目に嗚咽を漏らしながらも、すぐにテレジアは精神を落ち着かせ立ち直り、同時に再度絶望したように顔を曇らせる。私の顔を見て、死人みたいな表情となる従士に、しかし言いたい事は既に分かっているので先に答える。

 

「何、人格は兎も角家は腐っても公爵位だ。そこの嫡男相手にしたんだ、片目位安いものだと思わないか?……それよりもお前は大丈夫か?」

「私の怪我は大したものではありません。それよりも血を……!!」

 

 高級なドレスの裾を躊躇なく破いてそれをハンカチ代わりに私の頭と左目から流れる血を拭き、次いで左目を覆う眼帯のように頭に巻く。蜂蜜色に染色された絹地はしかし、じんわりと左の眼球のある場所から深紅色に染みが生まれ、広がっていく。その様を見て、従士は再度沈痛な表情を浮かべ、顔を青くする。

 

「若様……あぁ、何て事に……」

「あー、気にするな。目玉位なら今時どうにでもなるだろ?」

 

 培養して作った目玉を移植するなり、義眼嵌め込むなりやりようは幾らでもある。流石宇宙暦8世紀である。脳さえ無事ならば大体どうにかなる。寧ろ足蹴りで頭蓋骨に罅入ってそうだけど中身大丈夫かな………。

 

「……さて、ではショーの幕引きなのでそろそろ決算と後始末をしたい訳だが……執事、其方の代表は其方で宜しいかな?」

 

 テレジアを守るように抱き寄せつつ、私は背後に控えるカストロプ公爵家の執事を見据え、尋ねる。確か上方でマクシミリアンの最も近くで控えていた老執事だ。恐らくは名門従士家出身のマクシミリアンの付き人なのだろう。いや、あのボンボンの性格から見て目付け役と言った方が正解に近いかも知れない。

 

「ぐおおおぉぉぉぉ!!!ラアァァデエェェン!!勝手に出しゃばるのではないぞおおぉぉ!!?私は!私はまだ負けていないぃ!!このマクシミリアン・フォン・カストロプが!選ばれし真の天才である私がっ!!負ける筈がないだろう……!!」

 

 私が幕引きを願うのとは反対に、マクシミリアンは口から吐血しつつ、目玉が飛び出さんばかりに眼を見開いて、鼻や全身からダラダラと赤黒い血を垂れ流しながらも介護しようとする使用人達を振り払い、立ち上がる。その顔は怒りと屈辱に満ち満ちており、般若の如き形相であった。

 

 対して、ラーデンと呼ばれた老執事は粛々と、淡々とした様子で短く事実の報告をする。

 

「いえ、主君よ。私の如き下賤の身が高貴なる方々の話し合いに口を挟む資格なぞ御座いません。私は唯お知らせに参っただけで御座います。交渉人ご到着の由、お知らせ申し上げます」

 

 老執事が言い切ると共にその音が室内に響いた。遠くから、次第に近付くそれは機械音だった。その場にいた我々は全員命じられた訳でもなくそちらに視線を向ける。

 

 それはドローンだった。首のない馬か牛を思わせる四足歩行型ドローン。首の断面に当たる部分にはカメラが嵌め込まれ、その柔軟で強靭な足部は機械と人工筋肉で形成されどのような険しい地形でも問題なく走破出来る。恐らくは山岳部等での部隊随行用物資運搬に使われているのだろう。

 

 てくてくとどこか生物染みた足取りでドローンは我々の目の前に来た。カメラがキュィィィンと動いて我々を暫し見つめる。

 

「……何なんだ?」

 

 私はそのドローンが意図する事を計りかね、自覚なくそう呟いていた。

 

 そのすぐ後の事だった。ドローンは私達の目の前で姿勢を横向きに変え、座りこみ、次いでその背部からスクリーンが現れる。とうやら本来物資を詰め込む格納庫部分を丸ごと換装して液晶ディスプレイを容れているようだった。

 

 電源がついて液晶ディスプレイが明るくなり、映像が映し出される。ほぼ同時に私は、いや傍らのテレジアも、カストロプ公爵家の私兵や使用人達すらも目を見開き、絶句していた。

 

 ディスプレイに姿を見せる人物は大柄だった。脂肪の塊のように膨らみ弛んだ顔つき、口と顎に生えるのは白い髭であり、白髪交じりの髪はうっすらと禿げている。

 

 醜悪……だが、そんなことはどうでも良かった。

 

 その眼はどんよりと濁っていた。蛇のように絡みつき、それでいて昆虫のように無機質気味で、それでいて全てを剥ぎ取り、見透かし、嘲笑うような瞳……それに比べればその堕落した外見なぞ取るに足らない。本当に見かけ通りの人物であればそんな瞳なぞ持っていない。

 

「はは、漸く真打の登場って訳だな……」

 

 私は苦笑いを浮かべる。それはこれから来るであろう困難から逃避するための行動だった。

 

 頬杖をして、鑑賞するような態度でカストロプ公オイゲンは映像の向こう側から我々を見つめていた………。

 




近年のAIの発展は素晴らしく、今ではどうやらAIでキャラクターデザインも可能らしいです。作者もちょっとした御遊びでAIで本作キャラのイラストを制作して見ました。

軽いノリで作ったのと、結構ラノベ風のデザインなのとで銀英伝の作風とは合わないかもです。「糞作者の妄想デザインなんかで俺の脳内イメージが壊れるか!ぶっ殺してやらぁ!」という気概の方だけ、どうぞ以下のイラストをご覧下さい。

AI作成の限界でノイズや変な所もあるのでご注意を



【挿絵表示】

ベアトリクスです。少し幼い頃かも?



【挿絵表示】

ノルドグレーンさんです。これも作ってからきゃぴきゃぴしてるように思えたので多分十代の頃です。



【挿絵表示】

天使な妹様です。尚、ルートを間違えると将来紫色のマスクを装備して主人公のド頭ぶち抜きます。


【挿絵表示】

変態さんです。身体の部分の衣装がAIのせいで何か変態チックにも見えるかもですが良く考えれば元より変態なので問題ない事に後から気付きました。


【挿絵表示】


【挿絵表示】

家主様です。何故か二枚作りました。


以上です、これらのイラストを皆様が気に入られたのであれば幸いです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。