帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

181 / 199
思いのほか前置きが長引く……。
流石に次で遠征前の前置きを終わらせて、次の次で遠征本番に入る予定です。


第百七十三話 飼い犬の躾は大切という話

「そうだ、倉庫の寒冷地用の防寒具は全部放出するんだ。……分からないのか?まだ冬場なんだぞ、下手に放置して凍死は兎も角、低体温症で凍傷になる可能性は十分あり得るだろう?今時のハイネセン市民がそんな事にまで気が回っていると思うか?……あー、少し待て。……何だ?物資配給の割り当てならもうした筈だぞ?星道を警察が封鎖している?全く、縦割り行政はこれだから……」 

 

 スパルタ市の首都防衛軍司令部後方参謀と輸送参謀を兼任するアレックス・キャゼルヌ准将は、電話に出る傍ら書類の決裁と副官からの報告の応対も同時にこなしつつ嘆息する。

 

 上の娘の三歳の誕生日という事で今日の業務を時間に余裕を持って終わらせて、繁華街の玩具屋で予約していたぬいぐるみを受け取ってから官舎に帰ろうとしていた所だ。そんな中で正に司令部ビルを出ようとしていた時に生じたハイネセンポリスの大停電である。首都防衛軍がその事態収拾に駆り出されるのは当然の事であり、特に市民に対する対応のためにロジスティックスの専門家たる彼がこき使われる事もまた、自明の理であった。

 

「すげぇ、あれだけの案件を次々と……」

「信じられねぇ、限られた情報を基にあんなに正確で素早い指示が出せるものなのかよ……」

 

 部下のスタッフ達が少し遠くのデスクで冷や汗を流しながら呟く。

 

 ハイネセンポリスの人口は優に三〇〇〇万を超える。そして技術への過信からか、大規模な停電等を殆んど想定してなかったがために市庁を始めとした行政組織と民間企業もこうした大停電の対策や備えもおざなりとなっていた。ましてや通信や物流もストップしてしまったのだ。大量の不正確かつ雑多な情報が首都防衛軍司令部に集まり、その情報の整理と分析だけで他のスタッフ達の対応能力はパンクしかけていた。

 

 そんな中で、雑多に集められ濁流のようにもたらされる情報の中から確実な情報を見出だし、それを基にこの大停電に対応する計画を立てて指示していくキャゼルヌ准将の姿は部下達を瞠目させるに十分過ぎた。

 

「流石ワン大将の教え子って所だな」

「あの分だと艦隊に補給する麦袋一つまで脳内で記憶しているって冗談もあながち嘘じゃないな」

 

 幾人かのスタッフ達が他人事のように語り合う。

 

「聞こえているぞ、口より手を動かせ」

 

 鋭い視線と剣呑な言葉にスタッフ達は肩を竦めて慌ててその場を去る。その情けない姿を見てから、毒舌家の後方参謀はその険悪な態度を消して心底憂鬱そうに溜め息をつく。

 

「……全く、参ったな。これは洒落にならん被害だぞ?」

 

 市街地全域が停電した訳ではないとしてもそれでも一〇〇〇万人は被害を受けたであろう。丸一日だけ停電したとしてもその経済的損失は何十億ディナールに及ぶ事か……。防寒具や電源車、食料の配布も必要だ。負傷者の治療に星道を塞ぐ車両の撤去、火事が起きている建物もあるかも知れない。現在も降雪しているから雪掻きもしなければならない。何よりも動員した首都防衛軍将兵の人件費!!

 

 ただでさえ同盟は財政難であるのにこれでは泣きっ面に蜂である。迅速に、かつ可能な限り予算を圧縮してこの事態を乗り切らねばなるまい。何より悲しい事実は官舎のあるシルバーブリッジ街は停電の範囲外という事だった。今頃娘は父親が誕生日プレゼントを持って帰ってくる事を心待ちにしている事だろう。当然ながらその願いが叶えられる可能性は限りなく零である。

 

「あぁ、これはサービス残業だな。……この分だと暫くは冷たい飯の世話になりそうだ」

 

 管理職の悲哀を感じさせるようにげんなりと肩を下げた。何故なら、ロジスティックスの専門家はその脳裏に冷えきったアイリッシュシチューを凍えるような笑みで自分に差し出す白い魔女の姿を幻視していたから……。

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。

 

 大停電の直後、ケッテラー伯爵家の少女は天井の電灯が前触れもなく消灯した事に僅かに驚き、編み物をしていた手を止めていた。

 

「御嬢様!御無事で御座いますか!!?」

 

 同じく異変に気付いた女中達が慌てて部屋の中に飛び込んで来てグラティアの無事を確かめるように傍に駆け寄った。

 

「えぇ、問題御座いません。停電……でしょうか?」

 

 グラティアは窓辺の景色を見て尋ねる。ホテルカプリコーン・ハイネセンポリスの大窓から見える輝く摩天楼は、しかし現在進行形でビル単位、あるいは区画単位で次々と照明が消えていっていた。遠目から見るに照明やネオンが消えていない地域もあるようだが、残念ながらこのホテル周辺はあっという間に漆黒の世界に変貌してしまっていた。

 

「ハイネセン程の惑星でこの規模の停電なんて……」

「何か事件でもあったのでしょうか?それとも災害でも?ねぇ、情報は何か無いの?」

「すみません、ネットに繋ごうとはしているのですが……電波が届かないようでして………」

 

 口々に不安そうに話し合う女中達。彼女らも辺境のド田舎なら兎も角、同盟の首都惑星でこれ程の大停電が起きるなぞ想定していないようであった。

 

「御母様達の向かったシェーネベルク区の方はどうなっていますか?彼方も停電を?」

「し、少々お待ち下さいませ……!」

 

 主人に命じられた女中の一人が慌ててテラスに向かい、双眼鏡でハイネセンポリスの帝国人街の事第二一区の広がる方角を確認する。

 

「いえ、彼方の方は電灯が点いております!確認出来る限り第二〇区と二二区も健在です……!!」

 

 シェーネベルク区は元々歴史的理由から非効率を承知でハイネセン在住の帝国人達が独自に電気会社を設立して発電・送電を各地の帝国人街に対して行っているのでこの大停電でも影響を受けない事自体は可笑しくはない。それ以外の区画も電灯が点いているという事は恐らくはテロを始めとした事件が原因ではなかろう。事件性があるとすればこの規模の停電では中途半端過ぎる。となれば過信は禁物であるがこの事態は十中八九事故か何かであろう。

 

「では御母様やヘルフリートの方は安心ですね。……とは言え、一応の警戒は必要でしょう。警備の者達にそう申し付けておいて下さい」 

 

 それは同盟国内の反貴族、あるいは反帝国移民を掲げる極右勢力の組織的な襲撃というよりかは単純に混乱に乗じる物取りや暴徒に対する警戒であった。特にホテルカプリコーンは同盟の高級ホテルブランドとして有名であり、下手をすれば略奪の対象にもなり得たからである。

 

「それはそうとして……まだ電気は戻らないのですか?」

 

 使用人達にある程度の指示を出し終えてから、グラティアはその事に気付く。停電したのは仕方無いにしても、ホテル自体の自家発電もないのだろうか?

 

「お待ち下さい。今、ホテルの者から聞いて参ります」

 

 一〇分程してホテルのオーナーが慌ててグラティアの前に現れ頭を下げたが、その内容は愉快なものではなかった。

 

「まさか自家発電を何年も点検していなかったので動かないなんて……!」

 

 女中達は呆れかえり、同時に心底不快そうにオーナーが語った説明を思い返し囁き合う。

 

 ……ケッテラー伯爵家の名誉のために言わせて貰えば、ホテルカプリコーンは決して三流ホテルではない。寧ろ純同盟系の高級ホテルとしては五本の指に入るであろうサービスを提供してくれる老舗である。しかし、そんなホテルでも油断はある。

 

 ハイネセンポリス程の大都会で大停電なぞ約半世紀ぶりの事、ホテルカプリコーン側も大規模な停電が起こる事を殆んど想定していなかった。いや、正確にはここ数十年の経営陣は、であろうか。

 

 約一世紀前、ホテルが完成した直後は真新しい自家発電機があり、毎年の保守点検もなされていたのだが……今となっては発電機は埃まみれの油まみれであり、動かそうものなら怪しい音を立てる程であって到底安全を保証出来るものではなかった。歴代のオーナー達は使う事があり得ない発電機よりも、ホテルサービスの質の向上に資金を使うのが合理的と判断していたらしかった。

 

「本当に呆れ果てたものですわ」

「見てくださいな。彼方のフェザーン資本のホテルは電気が点いてましてよ。守銭奴のフェザーン人の方がここの経営陣より優秀ですわね」

「彼方の方が格が低いので此方を選びましたが……どうやら失敗でしたわねぇ」

 

 グラティアの傍で女中達は口々に、姦ましくホテルの悪口を言い合う。不満が溜まっているのもあるだろうし、恐らくは暇潰しも兼ねているのだろう。

 

 ……尤も、ケッテラー伯爵家の方もホテルを一〇フロアを丸ごと借りた際に流石にそこまで確かめていなかったので余り追及し過ぎれば墓穴を掘りかねないのだが。

 

 どちらにしろ、グラティアからすれば今更そんな事はどうでも良かった。寧ろ、気になる事と言えば………。

 

「流石に……この状況では難しいでしょうね」

 

 グラティアは窓の外の状況を見ながら小さく呟く。つい数刻前まで絢爛と光輝いていた摩天楼は今では真っ暗となり、しんしんとビルも街道も雪が降り積もっていた。普段ならば除雪用ドローンがある程度回収してくれるのだが、交通管制システムまで部分的に停止しているせいか情報の共有が出来ず作業効率は低かった。

 

 恐らくはこの分だと約束は無理であろう。交通システムは停止し、無人車両の多くは交通管制センターとの連絡が取れないし、信号も動かないので走る事も出来ない。そもそも、軍部はこんな事態となれば帰還を命令するだろう。態態上官の公的な命令に逆らい私的な約束を守る必要性はないし義務もない。

 

「………」

「御嬢様……」

「いえ、大丈夫です。……少し冷えますね。暖炉の火を強くしてくれますか?」

 

 年配の女中が心配そうに主人の事を呼べば、グラティアは優しげに、そして少し無理した笑みを浮かべてそう頼みこむ。彼女はそうしなければならない事を理解していた。誰もが指示を待っているのだから。

 

 そんなグラティアを一瞥して、年配の女中は一礼して薪を暖炉に追加でくべて火を強くする。別の女中は主人が冷えないように毛布を主人の背中に被せる。

 

「ありがとう。もう少し洋灯を近付けてくれない?手元が暗いから」

 

 そう言うと、彼女は黙々と静かに編み物を再開した。

 

「………」

 

 女中達はそんな物静かな伯爵令嬢を心底哀れそうに見つめる。元々政治の道具として扱われるのは仕方無いにしろ、彼女を取り巻く環境は余りに不憫過ぎ、不幸過ぎ、不遇過ぎた。彼女自身は健気で忍耐強い性格なのもあり、その境遇は仕える女中達の同情を誘っていた。尤も、グラティアからしてみればそんな憐れむような視線を向けられても嬉しくはなかったが。

 

(そう、ですよね。……仕方無い事です。責める事は出来ません)

 

 グラティアは内心での苛立ちと悲しみをそう誤魔化す。結局二度も約束がご破算した事になるが、双方共に理由はあるのだ。相手を責める事なぞ出来る訳がない。その事は理解している。それに、ある意味でこの停電は彼女にとっては幸運だった。

 

(会うのも……苦しい事ですしね)

 

 正直の所、グラティアは今夜の約束に憂鬱だった部分があった。しかし、それは決して相手を嫌っているからではない。

 

 確かに約束が破られる事は理由があっても辛い事ではある。ナウガルト家の存在も彼女にとっては焦燥感を与える案件ではあった。だが、それはまだ良いのだ。それよりも彼女が会うのを戸惑う理由は………。

 

「………」

 

 殆ど無意識にグラティアは自身の髪に触れていた。金糸のように輝く『メッキ』の髪を彼女は美しいとは思えなかった。寧ろ余りに醜く、浅ましくも思えた。

 

(……メッキですか。ある意味私にお似合いの髪なのかも知れませんね)

 

 如何にドレスや宝石で飾り立てようとも、所詮は下級貴族や成り上がり諸侯の血を引く存在として敬遠されている事を、彼女はもう散々に思い知らされていた。そうだ。お似合いの髪ではないか。青銅像にケッテラー伯爵家という金のメッキを塗りたくり黄金像に誤魔化している自分には………。

 

「………はは」

 

 グラティアは笑った。力無く、乾いた声で笑った。そして彼女は自分が安堵し、同時に悲嘆している事を自覚する。そして嗚咽を漏らさず、その光のない瞳は静かに涙を流していた。その理由を、彼女は言語化出来なかった………。

 

 

 

 

 

「……意外と、皆緊張感が無いんだな」

「この分では、寧ろちょっとしたイベント扱いですね。お気楽なものですよ。まぁ、ハイネセンでこんな事が起きるなんて本来有り得ないですから、程好く非日常を味わう機会とでも思っているんじゃないですかねぇ」

 

 雪が降り積もる街道を進む私のぼやきにレーヴェンハルト大尉が答える。実際、彼女の言葉は一面では的を射ていた。

 

 実の所、ハイネセンポリス市民の過半数以上はこの大停電をある意味楽しんでいた。大都会に住む彼らにとって停電自体が生まれて初めての経験であり、しかも一両日中には解決すると聞かされればさもありなんである。街が雪化粧に包まれる光景もあり、市民の多くはこの小さな事件を心行くまで楽しんでいた。

 

 実際、酒場等では蝋燭の光等で照らしながら若者達がはしゃいでいるし、外の様子等を携帯端末でネットで実況する動画配信者もちらほら見られた。ドローンが処理出来ずに積もる雪でかまくらや雪ダルマを作る子供もいる。何処から用意したのか外で炊き出しを始める者もいて、市民達がざわざわと愚痴交じりのお喋りをしながら並んでいた。切り取ったドラム缶を使って、あるいは新聞紙等を燃やして道端で焚き火をする者もいたし、挙げ句その火を使って焼き芋や焼き魚をするお気楽者達までいる有り様だった。

 

 ……これだけ言えば市民の大多数がこの事態に何の緊張感も抱いていない事が分かろうものだ。無論、より視野の広い者達からすればこの大停電が一過性のものではない事も、この大停電が同盟社会の大きなターニングポイントになるであろう事も理解していよう。

 

 ……それでも、今のところは多くの市民はこの事態を悲観する事なく、ちょっとした話題として楽しんでいた。

 

「っ……、それにしても揺れるな。下手したら振り落とされそうだ」

「ですから若様、安全のために私めにぎゅっと抱き付いてくれても構いませんよ?というか抱きつきましょうよ!!そのまま暖を取るためなんて言い訳しながらカーセックスしましょうよ!!」

「お前に抱き付く位なら振り落とされて地面に頭部強打した方がマシだね」

 

 公序良俗に違犯して逮捕されるだろうが、と内心で思いながらそう吐き捨てる。いつまで立っても成長しない従士の性格に肩を竦めながら私は激しく揺れる艝の手刷りを強く掴んで正面を見た。

 

 その視線の先には防寒具を着て手綱を握るレーヴェンハルト大尉、そしてその手綱の先にいるのは大柄な二頭の犬……いや響狼であった。雌雄で毛並みの色が異なる大型有角狼犬は、一応プロブリーダーなら届け出と刺や角の切除処置さえすればギリギリペットとして認可はされるが……。

 

「オルガロンで犬艝なんて……もっと良い足はなかったのか……?」

 

 そう、私は今レーヴェンハルト大尉が手綱を引く犬艝に乗って大量の地上車が放置されて塞がれている街道の路肩を突き進んでいた。

 

 原種を地球統一政府時代の軍用犬に辿る事が出来、銀河帝国においてはルドルフ大帝が愛育した事が切っ掛けで軍用から民間まで幅広く飼育されている有角犬。今、犬艝に使っているのはその中でも特に狂暴で大柄な犬種だった。牙獣種有角目響狼科に属するオルガロンは犬というよりかは狼犬、ないし狼と呼ぶべき種だ。法律により幼体の飼育と繁殖はプロが行う必要があり、帝国では軍警察や警備会社、貴族の狩猟園で運用される程気難しい事で知られる。下手しなくても専門の訓練をしたオルガロンは銃を持った人間すら十秒程度で噛み殺す。よりによってこんなので……

 

「寧ろ、この交通状況ですと一番マシですよ。この雪ですと他の足は使えませんから!オルガロンなら大の大人の乗る艝二つ位簡単に引き摺れますし!!」

 

 自信満々にかつご機嫌に答えるレーヴェンハルト大尉。今回のイゼルローン要塞遠征任務に参加せずアルレスハイムの民間警備会社に出向していたこの従士が私の呼び出しに応えて持って来た足が二人乗りの犬艝に警備会社で飼育している軍用犬ならぬ軍用狼犬二頭であった訳だが……うん、流石にこんなもの持って来るとは想定してなかったので私も驚愕した。

 

 ……一応弁護をしてやるとすれば、話を聞く限り彼女の判断は間違ってはいないのだ。交通網が麻痺しており、しかもこうしている間にも刻一刻と雪が街道に降り積もり続けている。当然ながら同盟の地上車は殆んどが無人運転を前提にしているのでこの状況では大量の車両が道を塞いでいた。大型車両の類は使えない。

 

 かといって自転車や自動二輪車、ホバーバイク等の小型車両や軽車両の類も使えない。前者二つは道が雪で埋まっているから、後者は市街地でのホバーバイク使用が法律に抵触するためだ。

 

「犬艝は交通法ですと軽車両みたいですからね!当然市街地でも使えます!しかもこの渋滞と降雪の中ですと他の車両よりも小回りが利きやすいと来ています。となれば当然この選択肢をするのが一番という訳ですよ!!」

 

 ふふん!!と自慢気に語る大尉であった。こうやって言われてしまうと納得出来てしまうのが悔しい。だが、普通に考えればここで犬艝なんて発想が出てくる奴なんて変態的な思考回路を持つ奴だけだと思い至る。うん、だったら仕方無い。

 

「あれ?今私、若様に内心で罵倒された……?こ、興奮で身体がゾクゾクしますねぇ!下着がぐちょぐちょに濡れてしまいそうです……!!」

「………」

 

 身体を蛞蝓みたいにくねらせて頬を赤く染めて悶える従士を無視して、私は腕時計を見つめる。

 

「………間に合うかな?」

 

 これまでがこれまでだ、出来れば余り待たせたくないし、帰りが遅れたら洒落にならない。私一人のために遠征軍を遅らせる訳ないだろうから置いてけぼりにされかねない。後から駆逐艦の一隻でもチャーターしてくれるだろうが……顰蹙だろうなぁ。

 

「大丈夫ですよ!この距離ならばこのまま進めば十分間に合いますから!」

「だといいがな。……たく、これじゃあ見世物だな」

 

 恐らく避難なり屋内待機が知らされたのだろう、周囲の市街地は次第に人気が少なくなる。それでも街道を犬艝で走破する連中なぞ悪目立ちするものだ。幾人もの通行人がぽかんと口を開いて犬艝が通り過ぎるのを見ていたのを私は見ている。

 

「法律違犯じゃなくても、これでは後々騒がれそうだな……」

「いやぁ、ヘリを使う選択肢もあったにはあったんですがね?速攻で首都防衛軍がハイネセンポリス上空を全て飛行禁止空域に指定してしまいまして。手続きするのも通信自体が混雑していますし、彼方の司令部も混乱しているので無駄に時間がかかるかと思ったものでして」

「別に弁明はいらんよ。お前さんが態度は兎も角、一応仕事は真面目にしてるのは理解しているからな」

 

 出来れば認めたくはないがね。

 

「デレた……!!若様がデレた……!!」

「いや、デレてはいないからな?」

 

 後何処ぞのアルプスの少女みたいな発音で言うのやめーや。

 

「ぐへへへ、これで若様の心の壁がまた一枚剥がれましたね!!このまま好感度を上げていけば遂に私とも肉欲と愛欲に爛れたフラグが立ちそうです!!流石に気分が高揚しますね!身体中が火照ります!!」

「おう、私の気分は氷点下まで下がってるよ」

 

 きゃーきゃー、と発情した獣のような顔で綱を激しく振る変態。そんなのだから喪女なんだよ、てめぇは。

 

「酷い!私のような美女がこんだけ好意を向けているのにそんなそっけない表情!釣った魚には餌をやらないなんてサディスト過ぎますよぅ!!」

「釣った覚えもないけどな」

「うわぁぁん!!若様のイケズ!人でなし!畜生貴族っ!!って……うおおっ!?」

「余りふざけた事……!?うわっ……!!?」

 

 変た……レーヴェンハルト大尉の悲鳴に私が正面を向いたのとそれはほぼ同時だった。正面に雪の中から飛び出すように黒い何かが現れるのが見えた。艝がその上を通り過ぎると共にガコッという何かが削れる嫌な音が艝から響く。

 

 恐らくはそれは雪に埋もれながらも除雪作業をしていた除雪ドローンであったのだろう。元々の数不足に交通管制センターとのデータ通信も満足に出来ず、結果半分雪に埋もれてしまったのだと思われた。ましてや大停電によって視界が悪い。そのせいで接触する直前まで気付けなかったのだと思われる。

 

 いや、それは良い。そんな事は良いのだ。問題は除雪ドローンの上を凄まじい速さで通り過ぎた結果で、艝がバランスを崩した事にあった。もしかしたら艝が少し削れたかも知れなかった。物凄い振動が艝を襲う。レーヴェンハルト大尉は先程までのふざけた態度を消し去って慌てて速度を落とすべく手綱を引き締めた。急停止しようとする響狼二頭。しかし、残念ながら少しだけ遅かった。

 

「あっ、やばっ……!!」

 

 正面にガードレールが見えた。速度から見てほぼ確実に衝突は免れないだろう。私は慌てて頭を守る。そしてその直後……。

 

「失礼致します……!!」

 

 大尉の鋭い声、同時に強く抱き締められる。そして……激しい衝撃と共に私の身体は空中を跳んでいた。

 

「痛………!!?」

 

 そして叩きつけられるように雪の上に衝突する。一瞬意識が飛んだのが分かった。意識がふらつく。糞……今日は厄日だ。一日二回も交通事故に遭うとはな。

 

「あいたた……若様、御無事ですかぁ?」

 

 何処か間の抜けた声は私の下から響いていた。私は視界を下に向ければ、丁度私と雪原の間でクッションになるようにレーヴェンハルト大尉が雪の中に沈んで倒れていた。

 

「あぁ、済まない。今退くぞ……」

 

 年上かつ背が高いとは言え、女性をいつまでもシート代わりにするほど私も畜生ではない。ガードレールから庇われた負い目もあるのでとっとと退く事にする。

 

「ええぇ……!!そこはこのまま雪の中で獣欲に身を任せて野外プレイに興じるのがお約束でしょう!?」

「何のお約束だよ………」

 

 前言撤回である。別に感謝しなくても良いかも知れない。

 

 立ち上がる私に、大柄な黒白の狼犬が駆け寄る。一瞬、その獰猛な姿に身体を竦ませるがそれが尻尾をブンブンと振りながら近寄っている事と、ハアハアと興奮した息遣いをしている事から警戒を解く。狼犬側も此方の警戒感が薄れたのを見計らったように前足を上げて此方に抱き付き、舌を出して頬を舐め始める。それは犬や狼が怪我をした場所を舐める時の動きに似ていた。

 

「随分と懐かれるな。初対面の筈だが……」

「匂いで調教してますからねぇ。万一にも若様にお怪我をさせる訳にはいかないので生まれて直ぐに伯爵家の方々には敵意を向けないように育てています」

 

 私の疑問にふらつきながら雪の中より起き上がったレーヴェンハルト大尉が答える。調教、ね。まるで従士と同様だな。

 

「……これは酷い、乗るのは難しいかな?」

 

 番のオルガロンを宥めながら、ガードレールにぶつかって半壊した艝を一瞥して私はぼやく。とてもではないが、これに乗るのは無理だろう。

 

「派手にぶつけてしまいました。不甲斐ない限りです。申し訳御座いません」

「仕方無い事だから気にするな。というかお前が真面目に謝って来ると何か気持ち悪いな……」

「流石にちょっと酷すぎません!?」

「普段の行いを省みろよ」

 

 苦笑しながら私は大尉を起き上がらせるために手を差し出す。しかし、私の差し出す手を一瞥した大尉は、私の視線を見つめて答える。

 

「私の事はお構い無く。先にお行き下さいませ」

「先に、とは言うが……この雪に足を取られながらか?」

 

 この大停電から何時間経ったのだろうか、場所によるが雪は既に足首を完全に沈ませる所まで降り積もっていた。しかもまだまだホテルまで距離がある。当然ながらこれから更に降り積もるだろう。この分だと行って帰って来るまで、時間的にかなり厳しかった。

 

「艝は使えませんが、足は残っています」

「……おい、まさかと思うがこいつらに乗れと?」

 

 私は顔をしかめて、ハアハアと荒い息を吐きながらペロペロと人の顔をキャンディーみたいにしゃぶるオルガロン二頭を指差して尋ねる。当の狼犬達の方はわたしの指差しに何を思ったのか遠吠えを上げる。……御近所様から五月蝿いって言われるから静かにしような?犬科のペットは吠えるのが難点だよね。

 

「一応背中の刺は大体処理してますので問題ないかと。……もし気になるのでしたら」

 

 と、口笛をすれば黒い毛皮をした雄の方のオルガロンが舌を出しながらレーヴェンハルト大尉の方に来てお座りした。

 

「よしよし、良い子です」

 

 懐から餌であろうジャーキーを出して口に投げ入れてやれば必死に干し肉にかぶり付く狼犬。私の元にいた白毛皮の雌が不満そうに唸るが、大尉が待ての指示を出せば渋々と言った態度で下を向いて鳴く。

 

「雌よりも雄の方が体力があるので良いでしょう。指示は馬と大体同じ要領で調教してますので難しくはないかと」

 

 そういって自身の防寒具を脱いでオルガロンの背中に乗せる。鞍代わりという訳だろう。手綱は艝のそれを代用出来そうだった。

 

「鐙がありませんので少しゆっくり行かなければなりませんがどうにかなるかと。……若様、士官学校でも馬術はトップクラスだったので大丈夫ですよね?」

「同盟人に乗馬する奴が何人いるんだよ……」

 

 残念ながら平均レベルが低かったのでトップクラスになれただけである。というか、門閥貴族の癖に乗馬すら首席になれないとか恥ずかしくないのかな?

 

 というか、エル・ファシルに続きハイネセンでも乗馬をするのか。しかも、正確には乗『馬』ですらないし……。いや、本当私何やってんだろ……。

 

「では他に代案が?」

「………分かった。それで行こう」

 

 十秒程、余り役に立たない脳細胞をフル回転させて、脳細胞が全会一致でレーヴェンハルト大尉の意見に(渋々)賛成したのを確認した私は、かなり葛藤しつつもそう答えた。糞ったれが……!!

 

「行かずに諦めるという選択肢は無いんですねぇ」

「……流石に結婚した日に背中刺されたくないからな」

 

 視線を逸らして白状する。あるいは絶望して喉切って自殺されそうですし。どちらにしろ、積極的に恨まれる必要性はない。

 

 ……それに、今更のようではあるが私も婚約者を不幸にしたくはなかった。

 

「分かった。で、お前は?」

「流石に私でも手綱も鞍もないままでは無理ですよぅ!」

 

 もう一頭のオルガロンにビーフジャーキーを見せて近寄らせながら大尉は答える。それもそうだな。

 

「分かった。じゃあ私だけで失礼しようか。……だがその前に」

「?」

 

 何用かとへらへらとした表情で首を傾げる大尉に、私は着こんだ防寒着を投げ渡す。

 

「若様?」

「流石にこの雪だと寒いだろう?まぁ、私は最悪彼方でコートでも貰うさ。余り気にするな」

 

 私は半分程照れ隠ししながら答える。余り認めたくはないが、いざという時には頼りになる部下としてはそれなりに彼女の事を信頼はしているのだ。先程もガードレールにぶつかりそうになった時に助けられたばかりだ。この位の事はするのが道理というものだ。

 

「若様……ううう、このような御厚意を頂けるとは感動です!ううう……ぐへへ、若様の汗の匂いがしますねぇ?あぁぁ、興奮して来ました!」

 

 ……やっぱり、信頼しない方が良いかも知れない。

 

 私はジト目になりながら、雄の方の狼犬の背中に乗ると、そのまま半分逃げるようにホテルカプリコーンへと向かわせた。婚約者を待たせたくは無かったし、何よりも私の身の危険があったためであった……。

 

 

 

 

 

 

「……行きましたかね?」

 

 スーハースーハー、と蕩けるような表情で防寒具の匂いを食い入るように吸っていた従士は、漸く我に返ると自身の右腕をゆっくりと動かす。そして……。

 

「痛たたた……これは……流石に骨が折れましたかね?」

 

 ガードレールから主人を庇った際の衝撃であろう、右腕は重症とは行かないものの、まず折れているのは間違いなかった。少しでも指を動かすだけで悶えそうな程の激痛が走る。

 

「つ~、これは中々辛いですねぁ。あー、腫れてるじゃないですかぁ!」

 

 服の右袖を捲れば、腕が若干赤く膨らみ、腫れていた。その腫れている場所を軽く触れて軽く涙目になるレーヴェンハルト大尉。

 

 正直辛かった。この怪我を誤魔化すのは簡単ではなかった。以前スパルタニアンが被弾して右腕に破片が捻れ込んだ経験が無ければ流石に我慢仕切れなかっただろう。その意味では幸いであった。少なくとも、腕や足が可笑しな方向に曲がったり、肩の骨が外れた訳でもないのだから。激痛であるがこの程度なら我慢出来る。

 

「余り痛がると、心配されちゃいますからねぇ……」

 

 受け取った防寒具を着込み、口笛を吹けば寄り添い、支えるように雌のオルガロンがレーヴェンハルト大尉の傍らに立つ。オルガロンに左肩を貸して、ゆっくりとレーヴェンハルト大尉は近場の店に向かった。

 

 どうやら店員や客は避難しているらしい酒場に無断入店すると、近場にあった高アルコールのスコッチを掴み、そのまま店のテーブルに座りこんで呷るように喉に流し込んでしまう。口元から一部が零れてしまうが気にしない。寒さを誤魔化し、腕の痛みを和らげるには酒精の力を借りるのがこの場において唯一の選択肢であったのだ。

 

「ぐっ……、ふぅ‥‥…まぁ、これでどうにかなるでしょう」

 

 小さな一瓶をあっという間に飲みきって、スコッチの瓶を床に捨てたレーヴェンハルト大尉は若干震える声で呟く。それが寒さからか、痛さからか、それ以外の理由からかは第三者には見当がつかなかった。

 

 はぁはぁ、と僅かに深呼吸をした後……漸く落ち着いたのか、従士は受け取った防寒着に触れる。そして、僅かに考え込んだ。……そして呟く。

 

「薄着で送っちゃいましたねぇ……」

 

 匂いが惜しくてつい貰ってしまったが……よくよく考えればこの寒さで薄着で送り出すのは少し配慮が足らなかったかも知れない。下手したら自分が実家に叱られてしまうだろう。

 

「………まぁ、これはこれで彼方様へのパフォーマンスとしては有り、ですかねぇ?」

 

 それは呑気な、しかしその中に僅かに嘲りと冷笑を含んだ声であった。その脳裏に過るのは亜麻色髪に『メッキ』をした薄幸そうな伯爵令嬢の姿であった。

 

「さて、ではここはお一つ若様の女誑しで詐欺紛いな話術のお手並みを拝見するとしましょうかね?」

 

 近くの棚から新しいスコッチの瓶を拝借すると、真っ暗な店の天井を仰ぎ見ながら、ポツリとレーヴェンハルト大尉は嘯いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 上着に防寒帽を被り、雪避け用の傘を持ったグラティアはホテルの廊下をゆっくりと下っていく。残念ながらエレベーターもエスカレーターも動かないために徒歩で何十階という階段を下りなければならなかった。

 

「まだ電気が通らないのですか?噂では市庁や軍の発電車が投入されているそうじゃないですか、どうしてここには来ないのです……!?」

「此方としても催促はしているのですが……発電車については病院等の公共施設やインフラに優先的に回すように通達が来ておりまして……」

「まぁ!このまま丸一日お嬢様に寒い室内で凍えていろと仰るのですね!?流石同盟最高級のホテルですわね!」

 

 漸く一階フロント前に来た時、そこではオーナー達を女中や執事達が激しく責め立てていた。彼ら彼女らにとって自らの主君であり、ティルピッツ伯爵家に献上される『貢ぎ物』がぞんざいに扱われる事も、ましてや寒さで健康を害する事も許容出来る事ではなかった。

 

 無論、グラティアはこれだけオーナー達を責めた所でどうにもならない事は理解していたが。同盟政府の行政組織は帝国政府や亡命政府とは全く異なる論理と理念で動いている。同盟の行政組織は貴族だからといって特別扱いしてもらえる程甘くはない。ましてや、ケッテラー伯爵家のような影響力の低下した家ならば尚の事である。

 

「余り騒いではいけませんよ?たかが電気程度でみっともない騒動を起こす必要もないでしょう。静かに、淡々と待つ事にしましょう」

 

 此方に気付いたように礼をする使用人やホテルの職員達。そんな彼らに対してグラティアはにこり、と義務的な笑みを浮かべ、ホテル側を激しく追及していた使用人達を宥めた。

 

 正直、彼女自身も少し参ってはいたが、騒いだ所でどうにかなる問題でもない。ましてやそれが元で新聞なりゴシップ紙のネタにされたらそれこそ恥の上塗りというものであろう。ならば、静かに耐える以外に道はない。そう、これまでの人生のように………。

 

「お嬢様、これは……」

「余り部屋に籠っていても気が滅入りますからね。少し手間が掛かりますが周囲を散歩するだけの事です。……そうですね、帰りもまた階段を上るのは流石に面倒ではありますから、一階か二階で、大部屋があれば借りたいのですが、宜しいですね?」

 

 実際、電気が無ければ彼女の部屋の換気は簡単ではなかった。ホテル自体がそもそも停電を想定した設計ではないし、電気が切れているので換気扇が動かず、部屋を暖めるのは原始的な暖炉である。最悪窓を開ければ良いのだが、それはそれで部屋が凍てつくように冷え込む。再び部屋を暖めるまでの間、寒さに耐えねばならないだろう。ならば気分転換も兼ねて、散歩に出るのも一つの案ではあった。

 

 無論、それだけが理由ではないのだが。寧ろ、それは副次的な理由だった。本当の理由はあの部屋で待っていたくなかったから………。

 

「……それでは失礼致しますね?」

 

 朗らかに、しかし何処か虚無的で取り繕ったかのような笑みを浮かべて、グラティアはホテルのフロントを退出する。

 

「お嬢様………」

 

 フロント前にいた使用人達は心配そうに小さく呟く。元より小柄な事もあるが、それでも彼ら彼女らが見る主君の後ろ姿は寂しげで、とても小さなものに見えたからだった。

 

 

 

 

 恐らくはこれが雪雲に覆われる季節でなければ夜の空はもっと美しかっただろう。これが夏であれば、ハイネセンポリスの夜空は満開の星空が彩った筈だ。ハイネセンの冬の大三角形も見る事が出来たと思われる。オーディンやフェザーンと並び銀河の三大惑星として数多くの称号を持つ惑星ハイネセンは星座や彗星観賞の有名観光スポットだ。

 

 残念ながら冬の雪雲に空が覆われているために、今宵のハイネセンポリスはただの停電の日以上にどんよりと暗かった。

 

 ホテルカプリコーン・ハイネセンポリスの広大な庭先を散策するグラティアに随行するのは約半ダースの女中に、同じく半ダースの護衛であった。皆同じくコートを着込み、女中達はグラティアと同じく傘で雪で衣類が濡れるのを避ける。護衛達は残念ながらいざという時の動きが遅れないために傘を差していない。

 

「雪がこんなに積もるものなのですね。領地は兎も角、ハイネセンでもここまで雪が積もったのを見た事がないで新鮮ではあります」

 

 雪化粧に美しく彩られたホテルの庭園を観賞しながら、グラティアは女中達に向けて囁いた。ケッテラー伯爵家の領地たるフローデン州は荒れ地が多いものの、冬場とは言えそこまで冷える訳でもなければ雪が降る事も少ない。ハイネセンポリスは言わずもがな、毎年雪が積もるような不便な地域に態態人口一三〇億に上る超大国の首都なぞ置く事はない。

 

 実の所、同盟の正式に定められ固定化された首都としては、ハイネセンポリスは三つ目の首都であった。自由惑星同盟建国期の最初の十年間は加盟国の輪番制で中央議会のある惑星を指名し、その後は惑星ハイネセンにおける最初の植民都市であるノア・ポリスが、同盟が周辺勢力との抗争を本格的に始めると軍都にして後に自由惑星同盟軍総司令部の置かれるスパルタ市に首都が移転、その後宇宙暦581年頃に移転したのがハイネセンポリスである。

 

 ハイネセンポリス自体は、当時名前負けしているとからかわれるような北大陸の小都市に過ぎなかったが、特に地質学・気候学的に災害等で被害を受ける可能性が極めて少ない事、小都市であるがために再開発による同盟経済の発展に都合が良い事、また他の放漫に拡大した初期植民の大都市とは違い一からの計画的な都市開発計画が可能な事が首都として選ばれた理由とされている。

 

 そんな側面もあり、滅多に大雪の降らないハイネセンポリスの雪景色は珍しい筈であったが……しかし、随行員達は気付いていた。主人の発した言葉は文面上は感嘆していても、その実その言葉には殆ど正の感情が籠っていない事を。この散歩の途中、グラティアの表情は何処か上の空で、厭世的で、虚無的であった。

 

 そして、時々遠くをぼんやりと見つめている事もまた、彼ら彼女らは気づいていた。そう、それはまるで誰かを待っているかのようで………。

 

「ふふ……」

「お嬢様……?」

 

 それは漏れるような、そして嘲るような笑い声であった。自身を不安そうに呼ぶ女中に対して、グラティアは顔を向ける。その表情は何処か疲れきっていた。

 

「いえ、今更何を考えているのでしょうと思いましてね。………本当、何を考えているのでしょう、私は」

 

 最後に呟いた部分は控える女中達にも聞き取れない程に小さく、そして凍えた声音であった。それは単に空気が寒いだけが理由ではなかっただろう。寧ろ、凍てついているのは彼女の心の方であった。

 

(恥ずかしい。今更期待しているなんて……)

 

 グラティアは自身が随分と未練がましい事を考えていたのだと自分を冷笑した。まともに考えれば来る筈ないのは道理なのだ。それをいつの間にか恋に恋する乙女の如くやって来るのを期待しているなぞ……我ながら実に女々しく、純情な事だろうか。……どうせ、来たら来たで辛いだけの癖に。

 

(あぁ……そうです。淡々と、期待せずに、流されるがままにお役目だけを果たせば良いだけですのに。何故私はこんな事を考えるのでしょうね?)

 

 グラティアは思う。遥か昔に祖父から指導されたではないか。ただ家と家臣と、領民の繁栄のために……自分はそのためだけの『人質』であり、『道具』な筈だった。それも混じり物に『メッキ』しただけの紛い物だ。元より期待する方が間違っているのだ。『道具』は『道具』らしく何も考えなくて良い。ただ、全てを受け入れて、甘受するのが一番楽なのだ。

 

 それが……それが………あぁ!いつから自分は期待しているのだろうか!何度も裏切られているのに馬鹿みたいに……!!

 

 そうだ!部屋で待っているのが辛いと言っておきながら、散歩なんてかこつけて自分は待っているのだ!!来ないと分かっている癖にもしかしたらと期待して、一分一秒でも早く会うためにこの庭先で………!!何て馬鹿馬鹿しい……!!

 

「っ……!!」

 

 ぎゅっ、と傘の柄から僅かに軋む音が響く。自分の腹立たしい思考と行いにやり場のない怒りを感じたからだ。

 

「………気分が悪くなりました。帰りましょう」

 

 顔をしかめて、グラティアは踵を返す。こんな所でいつまでも自分を誤魔化して待っている自分が酷く惨めに思えて、同時に顔を合わせた所で何も知らない彼にどんな表情を向けたら良いのか分からなく怖くて、何よりも彼女自身自分が何をしたいのかが分からなくて、それら全てから逃避しようとしての行動だった。

 

 しかし幸か不幸か、その決断は少し遅かった。

 

「お嬢様、お待ち下さいませ……っ!?この音はっ!!?」

 

 控える女中の一人が不愉快そうで、それでいて泣き出しそうな主人を追おうとして、暗闇の中で響いたその奇妙な音に気付いた。それは獣の唸るような響き声だった。

 

「………?」

 

 グラティアも、そして、他の女中や護衛達も一瞬遅れてその音を認識する。そして、同時にそれが余りに近すぎる所から聞こえてくる事にも気付いた。

 

「あっ………」

 

 グラティアはそこで気付く。雪化粧に覆われた庭先で、しかしその真っ黒な影に。そして、それは余りに近過ぎた。恐らくは暗闇と雪が降り積もった並木のせいで視認出来なかったのだろう。その巨大な影は彼女から五メートルも離れてなかった。

 

「っ……!?お嬢様、御下がり下さい!!オルガロンです!!」

 

 そして、その影が何であるかを知った護衛が腰元のハンドブラスターを引き抜いて叫ぶ。その言葉に幾人かの女中は顔を青ざめさせる。あんな狂暴で獰猛な有角犬が何故こんな場所にいるのか、彼ら彼女らにはその理由が分からなかったし、想定もしていなかった。それでもその実、極めて危険な事だけは分かっていた。

 

 闇夜から現れたその偉容に、グラティアは恐怖から一歩足を下げた。この数メートルの巨体は、転がるだけで身長一六〇センチメートルと少ししかない彼女を押し潰す事が出来るだろう。その鋭い牙は彼女の柔肌を簡単に切り裂き、その強靭な顎は骨を砕く事も容易かろう。

 

「ひゃっ…………!?」

 

 グワッ!!と口を開き威嚇するオルガロンにグラティアは思わず腰を抜かし、小さな悲鳴を上げてその場に倒れた。

 

「グオオォォォッ!!!」

「い、いや……!!た、助け……!?」

 

 そんなグラティアに反応して、咆哮を上げつつ今にも飛び掛かろうとする狼犬。その姿を前に、思わず彼女は震える声で思わず誰かに向けて助けを呼ぶ。いや、それは誰かではなかった。助けを呼ぶ彼女の脳裏には極々自然にその姿が過っていたから。その人物の名は………。

 

「っ……!?おい待て!!噛みつくなっ!!」

 

 突如として響いたその声に今にも飛び掛かろうとしていたオルガロンは立ち止まり、威嚇を止めた。それどころか膝まで突いて、尻尾を振ってクゥンと鳴き声を上げた。

 

「えっ……?」

「何が………?」

 

 突然の狼犬の態度の変わり様にグラティアも、護衛達も困惑する。狂暴なオルガロンは、しかし先程とは打って変わって今では飼い犬のような態度を取り続ける。

 

「よしよし、落ち着け……良い子だ………」

 

 グラティア達はそこでオルガロンの背中に乗馬するように乗るその人影に漸く気付いた。暗闇の中で、その騎乗する青年は明らかに寒さに身体と声を震わせていた。

 

「済まない。この種類は直ぐに威嚇してしまって困るよ。……だから余りこの犬種を市街で走らせたくはなかったんだがなぁ」

 

 そういって、悴んで弱った身体でオルガロンから降り、そのまま震えながら狼犬の傍らで凭れながら青年は語る。その声に、彼女は聞き覚えがあった。

 

「貴方は………」

 

 まさか!と、グラティアは思わず震えた声で呟く。そして思わず立ち上がって護衛の一人が持つ洋灯を奪い取る。そのまま彼女は洋灯を前に出してゆっくりと一人と一匹の元に近付く。そして、彼女は絶句した。

 

「悪い。この辺りにホテルカプリコーンって所、あるかな?」

 

 殆ど凍傷寸前で身体中を震わせながら尋ねる彼女の婚約者の姿が、そこに照らし出されていた………。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。