帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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つ、次の話の頭からはちゃんと戦闘に入るから……(震え声)


第百七十七話 嫌な夢程大概記憶に残るもの

『我が忠良にして精強なる『有翼衝撃重騎兵艦隊』全将兵に通達する!

 

 知っての通り、先日哨戒に出た部隊が重要な情報を司令部に報告してきた。

 

 即ち、現在自由惑星同盟軍を僭称してサジタリウス腕を不法占拠する反乱軍は、推定六万隻に及ぶ艦隊をもって帝国本土を守護せしこのイゼルローン要塞に接近しつつある!これは真に不遜にして傲慢な行為であり、皇帝陛下に向けて剣を向けようという許されざる大逆行為に他ならない!

 

 我ら一騎当千の要塞駐留艦隊は、これより全軍をもってこれを迎え撃つ!敵軍に比して数の上においては劣勢なれど、私は一抹の恐れも抱いていない。何故ならば諸君らは常勝無敗の銀河帝国軍の精鋭であり、卑しき奴隷共が寄り集まっただけの烏合の衆に劣る等、絶対にあり得ぬ事である事を私は確信しているためである!

 

 我らは堂々と要塞前方に展開し、突撃してくる敵先鋒部隊を、その精強さを以て出鼻を挫く!そして時期を見て無知蒙昧な奴隷共を要塞主砲『雷神の槌』の射程内に誘いこみ、要塞砲にて纏めて殲滅、その後に取り逃がした残敵を掃討せんとするものである!

 

 思いあがった身の程知らずの反乱軍に対して、降伏はこれを認めず、完全に撃滅し、もって皇帝陛下の栄誉と帝国の権威を知らしめること、全艦出撃せよ……!』

 

 

              第五次イゼルローン要塞攻防戦における要塞駐留艦隊出撃時に発せられた艦隊司令官ヘルムート・フォン・ヴァルテンベルク大将の訓令より抜粋

 

 

 

 

 

 同盟軍は、その存在が帝国軍に発覚したために速攻に転じた。隠密の進軍を放棄して堂々と全軍が隊列を整えてイゼルローン回廊奥にまで大艦隊が雪崩れ込む。一方、帝国軍もまた各方面からの友軍に対して救援要請を行いつつ、哨戒部隊を下がらせて要塞駐留艦隊本隊を宇宙港から抜錨させた。

 

 宇宙暦792年五月六日0250時、ヴァルテンベルク大将を司令官とするイゼルローン駐留艦隊の内、この時点で即応展開可能な全戦力に当たる一万三〇〇〇隻はイゼルローン要塞の壁となるように要塞より三・六光秒の位置に展開した。

 

 同日0400時には要塞駐留艦隊最前衛部隊がイゼルローン要塞同盟側出口より凄まじい数の宇宙船舶の光を確認する。その総数、推定六万隻以上……過去四度の遠征軍を遥かに超える規模のそれは同盟軍による十年に一度の、いや二十年に一度あるかどうかの大侵攻であった。

 

 同日0450時、自由惑星同盟軍イゼルローン要塞遠征軍は第四・第五艦隊を先鋒に、第六艦隊及び各種独立部隊、銀河帝国亡命政府軍派遣軍を第二陣に、戦略予備として第八艦隊を中核とした戦闘部隊を最後衛として地上戦部隊、後方支援部隊を控えさせた三列の横陣を形成し、要塞前方に展開した。

 

 第一列を構成する第四艦隊は、780年代軍備増強計画において乙編成として再編された比較的コンパクトかつ機動力に富んだ艦隊であり、小型艦を中核として艦艇一万二二〇〇隻、司令官は教育・参謀畑を歩んだドワイト・グリーンヒル中将である。優秀な軍人である事は間違いないが、本人は不本意であろうが世間では『銀河の妖精のパパ』としての肩書きの方が有名であるかも知れない。

 

 同じく第一列を構成する第五艦隊は正面決戦を前提とした大型艦を中核とした甲編成の艦隊である。艦艇は一万四一〇〇隻、司令官は第三艦隊司令官ルフェーブル中将と共に老練かつ戦歴豊かな老将として誉れ高いアレクサンドル・ビュコック中将である。

 

 第二列の主力を構成するのは乙編成の第六艦隊だ。艦艇数一万二六〇〇隻。その人員の七割は帝国系、ないし帝国系の混血が占める所謂『インペリアル・フリート』である。司令官は帝国系ハーフにして次期宇宙艦隊司令長官候補としても期待されるラザール・ロボス中将、先年のエル・ファシル会戦では消極的で精細を欠いたが本来は豪快かつ思い切りの良い大胆な機動戦闘を得意としている猛将であり、遠征軍の副司令官も務める。

 

 その他、第二列には第六艦隊の左右を支える第四・第七機動戦闘団を中核とした各種独立部隊五七〇〇隻の艦艇が控える他、銀河帝国亡命政府軍もまた六二〇隻を派遣していた。艦艇数はここ数年の戦乱により亡命政府軍自体が相当に疲弊しているため少ないものの、練度は同盟正規艦隊に引けを取らない。

 

 後詰めと予備戦力を兼ねる第八艦隊が第三列である。司令官は宇宙艦隊司令長官と第五次イゼルローン要塞遠征軍総司令官も兼ねるシドニー・シトレ大将であった。乙編成の艦隊の定数は一万二七〇〇隻、シトレ大将自身は全軍の司令官としての職務があるために実質的な指揮運用は副司令官アル・サレム少将が執ると思われる。その他司令部直属の工作艦・補給艦・輸送艦・病院船等の後方支援艦艇が伏せて二〇〇〇隻、地上軍を輸送する揚陸艦が一九〇〇隻に及ぶ。

 

 シトレ大将の艦隊司令官としての実力はこれまでの戦歴から疑いなく、数個艦隊を指揮する能力も先年の『パレード』の結果から問題は無かった。副司令官アル・サレム少将は参謀等のデスクワークを中心とした経歴の持ち主であるが、それでも尚一個艦隊を指揮するだけの実力は十分に有していた。

 

 現在時刻は0530時、両軍は凡そ四五光秒の距離で相対する。帝国軍の有する長射程の戦艦ですらその最大射程は三〇光秒、有効射程となれば二五光秒である事を思えば、両軍は互いに相手を捕捉しつつも戦いの火蓋を切るには未だ遠すぎる距離にある。

 

 とは言え、実際に相対する両軍兵士達からすれば既にこの瞬間から凄まじい緊張と圧力に晒されており、戦う前より相応に疲弊していた。これから数十分以内に殺し合いが始まる事を理解していれば当然の事だ。

 

 無論、例外もあるのだが……。

 

「糞っ、何たる事だ!キルヒアイス、見てみろ!六万隻だ!六万隻……!二十年に一度あるかないかの同盟軍の大侵攻だぞ!?折角軍功を稼ぐ機会だというのに……どうして俺達は出撃出来ないんだ……!?」

 

 要塞内部の小宇宙港の一角で巨大なソリビジョンモニターを睨みつけながら金髪の少年……ラインハルト・フォン・ミューゼル銀河帝国宇宙軍少佐は苦虫を噛む。その表情は苦渋に満ち満ちていた。

 

「艦隊司令部が出撃禁止等と……!これも嫌がらせの一種なのか!?」

「いえ、恐らくは完全な善意だと思いますが……」

 

 悔しがる親友であり主君である少年に、キルヒアイス中尉は何とも言えない表情で呟く。そう、これは善意。完全に善意であったのだ。

 

 六万隻の同盟軍を最初に捕捉する事に成功し、あまつさえ小さくはあろうとも強かな一撃を敵に与えその鼻っ柱をへし折って見せた哨戒艦隊とそれを指揮するラインハルトは、要塞に帰港するや否や要塞駐留艦隊司令部から英雄扱いされた。その場で鉄十字章を受勲された上に、要塞全体に生中継された式典でヴァルテンベルク大将から直々に感服状が授与される栄誉を与えられた。こうして、ラインハルトと彼の駆逐隊は士気高揚のための道具として祭り上げられた。

 

 そして、当然ながらこの手の宣伝工作は当の英雄が何等かの要因で死亡すれば一気に冷え切り、重苦しくなるものでもある。しかもその出自と来たら皇帝のお気に入りの寵姫グリューネワルト伯爵夫人の弟と来ている。そんな人物を駆逐艦に乗せて最前線で六万隻の大軍と戦わせる?ナンセンスだ。既に昇進するのには十分な功績は立てた。要塞駐留艦隊司令部からすればこの機会に英雄の保護を兼ねて休暇を与えるのが一番であり、それ故にこの一隻でも多くの軍艦が必要とされる時期でありながら第六四〇九駆逐隊は流体金属と四重装甲に守られたイゼルローン要塞の要塞港での待機を命じられたのだった。

 

「駐留艦隊司令官から昇進の推薦状を頂いたのです。今回はこれで良しとしましょう。これ以上の望みは少々欲が深いと言うべきでは?」

「………お前はそう思うのか?」

「客観的に見れば、ですが。それに今回の要塞攻防戦、見るに恐らくはこれまでとは様相が違いそうです。下手に最前線で危険を冒すよりかはこの安全な要塞で敵味方の用兵ぶりを観戦する方が良いかと」

 

 好戦的な主君を諌めるように赤毛の副官は進言する。

 

「……そういう考え方もある、か。キルヒアイス、お前はいつもながら前向きな性格だな?」

「楽天的なだけかも知れませんが……」

 

 困り顔で乾いた笑みを浮かべる副官に、ラインハルトは優しく、温かな微笑で応じる。

 

「謙遜するな。俺は短気だからな、キルヒアイスがいなきゃ今頃俺は死んでいたかも知れない。お前には感謝してもしきれない位さ」

「恐縮です」

 

 心底恐れいる、とばかりに頭を下げるキルヒアイスに、ラインハルトは苦笑で応じた。と、そこに人影が近付いて来る。

 

「これは艦長に副官殿!こんな所で何をしておいでで?折角頂いた麦酒、このままだと空になっちまいますがお飲みにならないので?」

 

 上機嫌そうな砲雷長がビールジョッキ片手にやって来た。その頬は若干赤い。ほんのりと酔いが回っている事を表していた。背後からやって来る他の兵士達もそれは同様だ。

 

「砲雷長、程々にしておく事だぞ?確かに今は待機中だがいつ出撃命令が下るか分からん。二杯位に我慢しておく事だ、いざその時になって酔っ払ってたせいで撃沈されただなんて笑えないからな」

 

 ラインハルトは渋い顔を浮かべて指摘する。先日の軍功で駆逐隊に賜下された高級麦酒樽(各駆逐艦に一樽ずつの計九樽)にはしゃいで、売店で買ってきた摘み片手に軍港内で軽い飲み会を始めてしまっている兵士達に金髪の司令官は呆れた溜め息しか出てこない。

 

 軍務中、しかも正にこれから戦闘が始まろうとする中でかなり異例の事ではあるが……公然と黙認されて、いや暗に推奨すらされたのは部隊を出撃させないための駐留艦隊司令部の策略だろう。上位部隊司令官たるレンネンカンプ大佐も、本来ならば憲兵隊を連れて兵士達を取り締まり独房入りさせていただろうが、今回に限っては渋い顔で放置するしかなかった。

 

「それにしても受けましたよ。艦隊司令官からの褒美に、兵士全員に厚切りベーコンの提供をお求めなさるとはね!」

 

『エルムラントⅡ』の砲雷長は式典の時の場面を思い出したように大笑いし、他の兵士達もそれに続く。兵士にあるまじき緩んだ笑い声であったが、実際それ程まで笑えてしまう内容であったのだ。

 

 要塞帰還時の式典で勲章と感服状を与えられたラインハルトは、更にヴァルテンベルク大将から大将の裁量の範囲での要望を尋ねられた。多くの場合、報奨金やら休暇やら、後方への人事異動、あるいは酒場や売店、娼館等の要塞内の施設の無償利用権が嘆願されるのが相場なのだが……ラインハルトが要塞全体で生放送されている中で要求した褒美は以下の通りであった。

 

『日夜反乱軍と相対する要塞の将兵のため、全下士官兵の食事に一日辺り一〇〇グラムのベーコン、及び卵二個の追加を嘆願致します』

 

 当然ながら式典会場は一瞬静まり返り、次いで参列していた駐留艦隊司令部と要塞防御司令部の幹部達が困惑しきった表情を浮かべていた。ヴァルテンベルク大将が思わずもう一度聞き返してラインハルトが即座に同じ要求を口にすれば、大将は遂に真顔で黙りこんでしまった。

 

 その次の日から毎日の朝食がパサパサした数本のヴルストから厚さ一センチメートルの大きなベーコンが豪勢にも二切れ、半熟で焼けた目玉焼き三つに胡椒と粉チーズを振りかけたベーコンエッグセットに変貌した。それどころかおやつとばかりに熱々のアプフェルシュトルーデルまで追加されていた。三ダース程に分散されている要塞各所の下級兵士用食堂が歓呼の声で満ち足りた事は言うまでもない。

 

 現金なものだと思われるかも知れないが、やはり戦いが迫っているともなれば出来るだけ美味しいものを食べたいというのが人情であるし、特に帝国軍の下級兵士の食事は唯でさえ粗食である上、しかも一部では予算の中抜きがされているので更に質が悪くなる。

 

 敵軍がかつてない規模である事も要因だろう。難攻不落のイゼルローン要塞に駐留する彼らは精兵ではあるが、それでも六万隻と正面からぶつかるともなれば平然としてはいられない。兵士達のはしゃぎようはある意味では現実逃避であり、その事は上層部も承知している。だからこそ要求が容易にかつ、おまけまで付けられて通ったのだから。たかだか食事代でこの危急の事態において兵士達の士気崩壊を防げるならば安すぎる出費だ。

 

「あの時のお偉方の顔と言ったら……!艦長殿にまさか御笑いのセンスがあったとは、お見逸れしましたよ!」

 

 最早半分涙目になりながら爆笑するのを堪える砲雷長。一方、憮然とした表情を浮かべるのはラインハルトである。

 

「……言っておくがあれは別に他意があった訳じゃないぞ?俺だって幼年学校や任官先での食事は酷いものだと常々思っていたさ」

 

 幼年学校での食事はディナーですら主食にドライフルーツを混ぜたシュヴァルツヴェルダーブロート、ベイクドビーンズにスープは具の少ないオニオンコンソメ、そこに乾ききったクラッカー数枚、チョコレートバーであり、アクタヴでの食事に至っては最前線のため基地の食事が補給が滞り節約していたとはいえ基本缶詰のヴルストに硬い黒パンと来ていた。士官ですらそれなのだから、下士官兵の食事内容は推して知るべしである。栄養価は計算されているのだろうが、到底食事と呼べる代物ではないだろう。家畜の餌というべきだ。

 

「しかもだ。幼年学校の校長は自室に高級ブランデーやキャビアを隠していてな。大貴族の子弟なんぞ学校側で用意した食事を捨てて実家から連れて来た料理人に高級食材を調理させていた程さ」

 

 開祖ルドルフ大帝は特に厳しい戦いに耐え、競争心を高めるためと言う建前で兵士の食事を粗食とし、階級を上げるごとに待遇に大きな差を与える事を定めたという。本当の理由は恐らくは予算の節約であっただろうが……何はともあれその建前に従い待遇としては下士官に過ぎない門閥貴族の子弟も通う幼年学校での給食もまた、敢えて粗末にして彼らの忍耐心を鍛えるように努めて来た筈なのだ。

 

 しかしラインハルト達が入学した時にはルドルフの定めた校則は完全に骨抜きにされていた。下級貴族や小諸侯の師弟に鞭を打って口汚く叱責する鬼教官達ですらぞろぞろと使用人を連れて身の周りの世話をさせる某公爵家のボンボン息子に対しては見て見ぬ振りをしていたのをラインハルトは記憶している。

 

「高級将校方は毎日ステーキにチョコレートケーキを戴いているんだ。戦いの直前位、兵士達に少しでも美味いものを食わせてやるべきだと思っただけだ。……実際に血を流して戦うのはお前達だからな、先日の戦闘もお前達が冷静に命令を遂行してくれなければ今頃俺もキルヒアイスも宇宙の藻屑だった。ならば少しは労ってやるのが道理というものだ」

 

 当然のように淡々と、そして堂々と持論を述べたラインハルト。そこに見栄や虚栄心、ましてや下心なぞ皆無である事は実際にその場で彼の話を聞いた者であれば確信出来た筈だ。実際、ラインハルトも先日の戦闘に対して冷静にかつ的確な指示を出してはいたが、一番の懸念はそれが正確に遂行されるかであった。どんな正しい指示であろうともその通りに行われなければ意味がない。そして彼の部下達は期待通り、あるいはそれ以上の結果を出した事をラインハルトもまた認めていた。

 

「艦長殿……」

 

 砲雷長以下の兵士達は息を呑み、金髪の若い少年の言葉に驚愕した。階級社会である帝国において、目上の者は目下の者の忠誠と奉仕を当然のもののように甘受する者が多い。そしてラインハルトは上官であり、同時に貧乏貴族とは言え二等帝国騎士であり、何よりも皇帝の寵愛深いグリューネワルト伯爵夫人の弟である。将来的には少なくとも将官になるであろうし、爵位も得るであろう未来の雲上人である。そんな人物が当然のように礼を述べると言う事実は砲雷長達にとっては天地がひっくり返るような出来事であったのだ。

 

(こりゃあ……年甲斐もなく感動するなんて似合わねぇな)

 

 中年間近の砲雷長は内心で苦笑する。帝都に店を構える肉屋の三男が就職口に困って大昔に比べて入りやすくなった専科学校を経て、最前線で軍功を重ねて漸く少尉となった身である。元々帝都は家から放逐されたり勘当されるような若い放蕩貴族が良く見かけられる場所である。まして軍人となってからも家柄や財産ばかりある無能か、理不尽で冷酷な、あるいはそれらを全て兼ね備えた貴族の上官なら幾人も見て来た。既に貴族階級なんてものに幻想を抱くような頃ではない。

 

 にも拘らず、彼の心中に生じた感情は感動であった。まさか遥かに年下の貴族の少年からの言葉に自分が心を揺さぶられるとは思っていなかった。同時にそれだけ彼は自身が目の前の上官を気に入っている事実を自覚し、そしてその事を自分でも意外な程に気に入っていた。

 

 にやり、と笑みを浮かべる砲雷長以下の兵士達。一方、その態度に気恥ずかしさかむず痒さでも感じたのかラインハルトは小さく鼻白み、その姿を赤毛の副官は穏やかに見つめる……と、そこで彼らは漸くその騒ぎに気付いた。

 

「何事だ?」

 

 宇宙港の入り口でなにやら人だかりが出来、騒がしい声が響き渡る。

 

「ありゃあ『バーデンⅦ』の奴らですな。喧嘩でも始めましたかね。少し釘をさしてきますよ」

「私もいこう。部下の監督責任は隊司令官たる私にもあるからな」

「……了解致しましたよ。お前達、艦長殿を御守りしつつ馬鹿野郎達を懲らしめにいくぞ!!」

 

 砲雷長の宣言に『エルムラントⅡ』の兵士達はがやがやと叫んで応じる。数分後にはラインハルトを先頭にした隊列が騒ぎの仲裁と鎮圧のために宇宙港のターミナル内で行進を開始していた。

 

「お前達、何をしている!余りに軍規が緩むのなら慰労は取り止め全員独房入りを厳命するぞ!……ん?なんだこれは?」

 

 堂々と騒ぎの場所に足を踏み入れて、まるで元帥のような威厳と覇気で兵士達にそう宣言したラインハルトは、しかしそこで見た光景に思わず眉を顰めた。

 

 ラインハルトの目の前で、酒精で悪ノリした兵士達によってアルハラ紛いに麦酒を飲まされ、結果的に泥酔して白目を剥き口から泡を吹き出したグレゴール・フォン・クルムバッハ少佐以下二個分隊の憲兵達が床に倒れていたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 喧騒、悲鳴、怒声、銃声、警報、爆発音、轟音………それが義眼が失われ、生の眼球だけとなった私の視界に映り込む赤黒い世界で満ちていた音の全てだった。そこに小さな、しかし決して鳴ってはならなかった音が混じった。目の前で生じた肉の抉れる、あるいは弾ける音であった。

 

「あっ………?」

 

 生暖かな液体を頭から浴びた私は、小さな声を上げていた。それは何が起きたか分からずに子供が発した声のようであり、そして実際私はその瞬間何がおきたのか一瞬理解出来なかった。正確には理解したくなかった。

 

「テレ……ジ…ア………?」

 

 正面から私に倒れかかる従士に私は震える声で声をかける。返事は無かった。虚ろな瞳からは光が失われていた。そしてただただ、砕かれた頭部から流れる液体が溢れ出し、私の軍服を恐らくはじんわりと赤色に染め上げ、広げていた。

 

 幸運な事に既に照明は非常電源の赤色灯しかついていなかったお蔭で、彼女が流す液体の色も、私を庇って食らった鉛弾で床に飛び散った『中身』もはっきり見えなかった。もし、通常の蛍光灯であったら今頃私は狂乱しつつ床に散った脳の欠片を拾い集めていただろう。

 

 大切な、そして信頼し、親愛する従士の遺骸を抱きながら私は正面に立つ長身の青年を見据える。分かりにくいが恐らくは赤毛の人当たりの優しそうな少年は目を見開いて私を見ていた。その片手には火薬式のライフルがあり、その銃口からは淡い発砲煙がたなびいていた。

 

 私はその少年を良く知っていた。一度も会った事もない癖に良く知っていた。その赤毛でのっぽの少年が、しかし偉大な黄金獅子の片腕にして、朋にして、忠臣である事を私は知っていた。そして……今まさに私にとって復讐するべき相手である事も!!

 

「っ………!!」

 

 殆ど反射的に私は手にしていたハンドブラスターを発砲していた。光条は、しかし利き腕である右腕の義手は戦いの最中に動かなくなっており、ために左手で構えた射撃は目標の額ではなく胸元を射抜いた。

 

「っ……!?」

 

 驚愕の表情を浮かべて口から吐血する少年。一回り以上年下の少年を撃つという道徳的に唾棄すべき行いをしたにもかかわらず、その時の私は少年から吐き出された血を浴びながら口元を歪めていた。そして引き攣った、凄惨な笑みを浮かべていた。同時に頭の中で罵倒を浴びせる。ふざけるな、即死させられなかったなんてどれだけこいつらは幸運の女神に愛されているんだ……!!?

 

「キルヒアイス……!」

 

 その透き通った美声の悲鳴と共に、私が目の前の赤毛の少年に止めをさそうと半ばまで引き金を引いていたハンドブラスターに光に当たったと思えば弾け飛ぶ。同時に私の左手の人差し指と中指が失われた。

 

「あがぁぁあぁぁぁあああ!!!??」

 

 全身既に生傷だらけである癖に、今更出来た指の欠損程度の痛みに私は獣のような悲鳴を上げる。右腕が動かせないために傷口を抑える事すら出来ない私は出血して震える左手に何も出来ず唯々その激痛を耐え忍ぶ事しか出来ない。そんな私に瀕死状態の赤毛の少年が最後の力を振り絞って再度火薬式のライフルを私に向け……。

 

「若様っ!!」

 

 MG機関銃の、その鋸で木材を削り取るような音と同時に赤毛の少年は薙ぎ払われた。流石に憲兵隊と死闘を演じ、テレジアによって更に負傷し、私に胸元を撃ち抜かれたともなればその攻撃を察知する事は出来なかったようだ。七・九二ミリのタングステン合金弾は確実に赤毛の少年の命を刈り取った。

 

 床に倒れる直前、私は少年と目が合った気がした。しかしその相手の瞳からもすぐに光は消え去る。その事実に私は嘲りと勝利の確信に暗い愉悦の笑みを浮かべた。本当ならば、こんな運命でもなければ私は寧ろ彼がこんな所で命を奪われた事実を悲しみ、怒り狂った所だろう。原作を知っている生粋のファンであれば彼の幸福な運命を願っただろうし、もし可能ならばそのために手段を講じただろう。私だって力があり、それが可能な立場ならばそうしたかも知れない。……しかし、寧ろ今の私にとっては彼の死は歓喜すべき事だった。彼がいなければあの忌々しい孺子が同盟を滅ぼす事も、故郷や家族が失われる事もない事を知っていたから。何よりも、大切な従士の仇を取れた事が最高だった。

 

 遠くで先程の美声が響いた。怒りと絶望と悲しみを掛け合わせた慟哭の声だ。しかし再度MG機関銃の独特の銃声が響けばそれも掻き消される。そして息を荒げて私が良く知る彼女が絶望した表情を浮かべて駆け寄って来た。

 

「若様……!?ああ、何と言う……!撤退命令が出ています、撤収致しましょう……!!」

 

 自分でもどうして生きているのか分からない血塗れの傷だらけの姿にベアトは血の気を引かせて、手にするMG機関銃を落とす。しかし直ぐに為すべき事を思い出したように重装甲服を着た部下二名に命令してから私の左手の出血をハンカチで抑えると、そのまま私に肩を貸して立ち上がらせようとする。

 

「あっ……ま、待ってくれ……テ、テレジアが……」

「遺体を連れていく余裕はありません。既に揚陸艇の大半が脱出を開始しています。早くいかねば置いて行かれます……!」

 

 私が立ち上がったために床に頭から落ちて鈍い音を響かせる従士の死体。私が譫言のようにそれを連れ帰ろうとするが従士は淡々と要求を拒否する。

 

「そんな事……!」

 

 私はその事に怒りの余り罵倒しようとするがその気持ちもすぐに霧散した。横目に見る彼女の耐え忍ぶ表情を見て何故なおも我儘を言えようか?彼女の冷酷な決断は何よりも私のためでもあるというのに。

 

「中佐!早く撤収を……!!時間の余裕はもうっ……!!」

「……っ!分かっています!!」

 

 部下の兵士達の促しに応えてベアトは私を背負って走り始める。朦朧とする意識の中、近くで銃声と怒声が響くのが聴こえる。

 

「新手だ……!いや、こいつっ!?さっきの……がはっ!!?」

「何っ!?ぐがっ!?」

 

 後方から二人の兵士の悲鳴が漏れた。視界を横に移せばベアトが信じられないという表情で後ろを振り向いているのが見えた。慌てて腰のハンドブラスターを引き抜く従士……次の瞬間には激しい衝撃が私達を襲った。

 

「あ…がっ………!?」

 

 床に前のめりに叩きつけられた私は横腹と背中に焼けるような、そして鋭い痛みを感じながら悶える。騒音が満ちる中、かつかつと妙に印象的な足音が響く。

 

「わ、若様…は、早くお…にげ…がっ………!?」

 

 銃声が鳴り響いた。視界の端に映った最愛の彼女の最期に私は声は上げなかったが同時に無力感と虚無感に襲われていた。……まぁ、正確に言えば声を上げる体力も無かっただけなのだが。

 

「俺の友を良くもやってくれたものだな、忌々しい……!!」

 

 従士に止めを刺した『奴』は次いで私の存在に気付いて此方へと歩み始める。その表情は明らかに激昂していた。

 

「ちっ……腹立つ位美形なこったな。畜生……!!」

 

 薄暗い中でも輝いて見えそうな鮮やかな黄金色の髪だった。美女神の寵愛を一身に受けたような端正な顔立ちは下手すると美女のようで、その美しさと神々しさは額から血を流しても尚、健在だった。そんな少年が怒りと屈辱に顔を歪めてハンドブラスターの銃口を私に向ける。

 

「俺の驕りのせいだな。キルヒアイスが殺られるとは……貴様らが銀河帝国亡命政府等という浅ましい組織に属しているのは知っている。宮廷に独自の繋がりがある事もな。という事は俺達の命を狙うように宮廷の何者かに要請でもされたのか?その傷では助かるまい。素直に話せば楽に死なせてやるぞ?」

 

 冷淡な表情で少年は疑念を尋ねる。そりゃあそうだろう。同盟軍人にして将官たる私が態態一少佐を付け狙い要塞内で追い掛けっこをしていれば訝りもする。私が誰かと繋がっているのではないかと考えるのは可笑しくない。

 

「………」

 

 私は指が欠損して震える手で横腹に触れる。ぬるりという感触と激痛を感じた。はは、こりゃあ中身が少し出ているな。確かにこの状況じゃあ助からねぇ。

 

 私は口元を強く結んでゆっくりと視線を上向ける。ラインハルトはそれで私の意志を理解したらしい。首を小さく横に振る。

 

「答える気はない、か。ならば良い。貴様はそこでゆっくり苦しんで死ぬが良い」

 

 そういって悪鬼のように美貌を歪ませる未来の大英雄様。こりゃあ……駄目だな。逃げようがねぇ。

 

(私が死ぬのは良いが……)

 

 ちらりと私は床に倒れる従士の亡骸に視線を向ける。私の愚かな賭けに彼女らを付き合わせた結果がこれか……漁夫の利を狙って介入して、結局仕止められたのは半身の方だけとは。収支としては大幅黒字なのだろうが、私個人として失ったものは余りに多すぎる。私だけが死ぬなら兎も角彼女達までとは。

 

(済まない………)

 

 私は心の中で深く、深く謝罪の言葉を呟く。二人には最初から最後まで迷惑をかけてしまった。ましてや私のためにその命まで散らさせてしまった。余りに私のためには勿体なさ過ぎる従士だった。

 

「げぼっ…だが……せめて………!!」

 

 口から赤黒いものを大量に吐き出して、私は最期の力を振り絞ろうとする。ベアトが引き抜こうとしていたハンドブラスターに手を伸ばした私はその銃口を背を向けて赤毛の少年の死体を抱き抱える金髪の孺子に向ける。ベアト達は命を以て片腕を仕留めたのだ。私も義務を果たすべきだろう。赤毛の片腕がいないとは言え、運命の女神は残酷だ、暗殺から奴を助ける者が別に見繕われないとは限らない。残された家族と家臣のために不安要素を極力排除しなければならなかった。

 

「く、た……ばれ……き…んぱ………おげっ………!!?」

 

 再度大量の血を吐き出した私は急に全身の力が抜けてしまった。引き金を引く直前だったハンドブラスターは床の血溜まりに落ちて、感覚を失った手がその上から力なく落ちてくる。

 

「ま、まぢか…よ……!?じょ…だん、だろ!!?ぐぞ……!!あ……あどい、いつ…ぼ…ごぼっ…なの…に………!!」

 

 血を吐きながら、その血が肺に入るのも最早気にせず私は叫ぶ。視界がだんだんと暗くなり、全身が冷たくなっていくのを感じる。急速に孤独感と恐怖が私の精神を支配し、同時に情けなさに私は涙を浮かべる。

 

(畜生……!畜生……!ここで終わりかよっ!こんな形で終わりなのかよ………!!?)

 

 結局、最期の最期まで私は情けなく、みっともなく、締まらない人間だった。あるいは奴が運命に愛され過ぎているのか。どちらにしろ、私がもうお仕舞いである事に変わりはなかった。

 

「……ぐ…いや、だ……じ……じにだぐ、ない、…いだい…いだ、い………ざむ、い……だす…け……」

 

 血と涙を一緒に流しながら私は嘆き、助けを求める。しかしいつもならいの一番に助けてくれるその相手が既に死んでいる事を思い出し一層絶望と孤独感を覚えて、私は更に絶望する。

 

「う、うぐ…いや、だ……いや……い………べあ……」

 

 感覚の消え行く身体を芋虫のように動かして、私は直ぐ傍に倒れる彼女の亡骸に手を伸ばす。最早彼女が返答をする事も、ましてやその身体に温もりがない事も百も承知していた。

 

 それでも私は彼女に向けて残り少ない命を削ってでも近寄る。それだけが……そう、それだけが私が体験する恐ろしい程に痛くて、孤独で、寒くて、苦しい自身の生命の終わりに際して自らの恐怖を誤魔化せ、その意識を逸らせる目的であったから。そして……そして…………。

 

 

 

 

「うう……いたい…いたい…さむい……いたい……こわい…こわい…こわい……!!」

「あっ、んんっ……!?わ、若様……流石にそれは痛いです……」

「………えっ?」

 

 寝惚け半分にがしり、と力一杯に温かくて、柔らかくて、心地よい香りに誘われてそれに爪を立てて顔を埋めるように抱き締めているとそれは、いや彼女はそう艶めかしくも困ったような声を上げて苦言を漏らした。そして、それによって私は現実の世界に戻された。

 

 ぐずった赤子のように顔を赤くして、涙目の、ひしゃげたような表情で私は片方しかない目を見開く。目の前にあったのは黄金色の髪だった。鼻腔に感じた心地よい香りは次第にはっきりとして来てそれが甘味のある柑橘系の香水のそれである事に気が付いた。

 

 顔を上げれば半分しかない私の視界は此方を見下ろす彼女の顔を映し出した。同時に私は気付く。自身がベッドの上にいて、従士の膝枕に乗り上げる形でその腹部に顔を埋もれさせていた事に。彼女の軍服の腹部や膝は涙やら鼻水やらではっきりと分かる位にぐちょぐちょに汚れていた。

 

「若様……大丈夫で御座いますか?何か悪い夢でも見ましたか……?」

 

 目の前の従士は私を見下ろしながら心底心配そうな表情で尋ねる。

 

「ベア、ト……?ほ、本当にベアト……だよ、な?」

「?はい、ベアトはここにおりますよ?」

 

 私が確認するように尋ねれば僅かに怪訝な表情を浮かべて、しかし直ぐにいつも通りの温かい笑顔で微笑む幼馴染み。

 

「そうか……そう、か…………ゆめ?ゆめ、だったんだな……?」

 

 私は安堵の溜め息を漏らし身体を崩す。しかし、直ぐにまた全身に凍えるような寒気を感じて私は再度彼女に抱きついた。

 

「あ……あぁ……あ…あ………あああぁぁぁああああぁぁ…………!!??」

 

 そして今度こそ子供のように泣き出した。恐らくこの姿を第三者が見ればドン引きされる事間違いなしであろう。良い歳した大人がいきなり女性にしがみつき、奇声を上げるかのように号泣しているのだから。

 

「ふっ、んんっ……若様、御安心下さいませ。ベアトはここに居ります。いつでも若様が御望みとあれば馳せ参じますし、御要望があればどのような事でも承ります。ですのでどうぞ落ち着き下さいませ」

 

 少しむず痒そうにしながらも優しく、慈愛に満ちた声で、従士は自身の腰に縋りつくように抱き着いた主人である私を慰める。いや、頭を撫でて、背中を摩るその姿は母親が赤子をあやしているようにも見えたかも知れない。何方にしろ、私の姿はみっともなく映った事であろう。

 

 それでも尚、私は恐怖に打ち震えながら彼女の膝に乗り上げて、彼女の胸元に顔を埋めるように抱き着いて打ち震え続けていた。今は少しでも人肌の温もりが欲しかったし、慰めの言葉が欲しかった。何よりも彼女が、ベアトが生きているという確証が欲しかった。

 

「ひくっ……そ、そうか……ひっ……そうか……はぁ、夢、か。あれは……本当に夢だったんだな……?」

 

 どれくらい経っただろうか?号泣し続けて泣き疲れた私はベアトに抱き着きながら何度も呟き、確認する。それはどちらかと言えば自身に言い聞かせるための言葉であった。余りに現実的な夢は、私にそれが本当に夢なのか現実なのかを混乱させていた。だからこそ、私は五感を総動員して今こそが現実なのだと何度もしつこく確認する。

 

「となると、ここは………」

 

 心を落ち着かせてから、私は尋ねる。従士は恭しく返答の言葉を口ずさむ。

 

「『ヘクトル』の医務室のベッドで御座います。……失礼ながら、お眠りになる前の事は覚えておられますか?」

「あぁ、問題ない。……済まないな、離れる」

 

 そう言って、しがみついていた左手と身体を彼女から離そうとする。しかし……それはベアト自身の両手によって止められた。

 

「ベアト……?」

「御無理なさらないで下さいませ。まだ顔が青いですし、手も震えております。もう少し横になられた方が良いかと」

 

 心底心配そうに従士は私にそう勧める。

 

「……そう、だな。じゃあもう少しだけ休憩させて貰おうか?」

 

 私は彼女の言に従い、再度うつ伏せの体勢でその膝枕に顔を埋める。埋めた上で目を閉じて呼吸を整え、考えを纏めていく。

 

「……テレジアの姿が見えないが、どちらに?」

「二人共抜ける訳にも行きませんので……ノルドグレーン大尉とは交代で職務を遂行しております」

「そうか……。世話をかけるな」

 

 ベアトの返答に、私は一応確信はしていたがテレジアが無事な事に安堵の溜息を零した。一方、私の声に「いえ……」と返答したベアトは、次いで迷うような仕草をして、しかし覚悟を決めたようにおもむろに口を開いた。

 

「……若様、恐縮ながら私なぞには若様のお考えを全て理解する事が出来ません」

「………ベアト?」

 

 私はゆっくりと目を開き、無言で彼女を見上げた。沈黙に、ベアトは何か憂いの表情を浮かべ、しかしそれを直ぐに消し去って続ける。

 

「当然ですが、若様がその点について御説明を好まぬのでしたら私めも言及は致しません。唯、御命令さえ頂けたなら万難を排してお望みのままに致しましょう。ですから……」

 

 何処か頼み込むように、そして願うように彼女はその先の言葉を紡ぐ。

 

「ですから……、必要でしたらいつでも御頼り下さいますよう御願い致します。どうか、御一人で苦しまれる事なきよう」

 

 少し寂しげな、しかしやはり慈愛に溢れた微笑みを浮かべての言葉であった。

 

「……そうだな。じゃあ、さっきみたいに優しく頭を撫でてくれないか?出来れば子守唄も頼みたい。職務復帰の前に、過労対策としてリラックスでもしたくてね」

「……承知致しました」

 

 暫し沈黙した後に、私の口にした頼みを彼女は嬉しそうに応えてくれた。まるで私の全てを肯定しようとでも言う態度である。

 

 実際ベアトの動きにためらいは無く、次の瞬間には私の頭を再度優しく、愛しげに撫で始め、静かに子守唄を口ずさみ始めた。プラームスの子守唄であった。同時に極自然に差し伸べられたベアトの手は気付けば私の左手に重ねられて指一本一本まで絡め合わせる。所謂恋人繋ぎであった。

 

(………さて、どうするべきかな) 

 

 ベアトの世話になりながらその膝で横たわる私は、穏やかな子守唄をBGMとして項垂れつつ、気絶させられる直前の事を思い出す。そして心を落ち着かせて考える。

 

 ……恐らく、十中八九あの駆逐隊にあの忌々しい金赤コンビがいたのは間違いない。あんな事が出来るのがそう何人もいては堪らない。

 

(原作から外れているから今回は配属されていないかもと思ったが……ふざけやがって、何だよあれは!?寧ろ強化されてやがるじゃねぇか……!!)

 

 現状奴らの階級が何なのかは不明だ。原作では確か少佐で、帝国軍において駆逐隊司令官は通常少佐、駆逐艦艦長は少佐ないし大尉と定められているのでその辺りだとは思うが……どちらにしろあの戦果だけでも昇進は確実だろう。糞ったれ、折角奴らをヴァルハラの面食い戦乙女共に明け渡す機会が……!!

 

 まさか、あんな事になるなんて思ってもなかった。六万隻を手玉に取るなぞ……しかもだ、士官学校に通った者であれば普通に考えてあれ以上深入りなぞ考えもしないだろう。余りに鮮やか過ぎて元から待ち伏せていたと考えても可笑しくない。別の罠の存在を恐れて様子見するのが定石だ。当然ながら私なんかではシトレ大将やエリートな参謀方に全力追撃なんていう悪手な提案をし、しかも賛同を得る事なぞ不可能だった。

 

 加えて参謀長ならいざ知らず、私は一介の参謀に過ぎず形式的には一兵、一艦すら指揮する権限はない。何よりも時間がなかった。故に亡命政府の影響が強い第六艦隊や第四機動戦闘団に通信を入れようとしたのだが……まぁ、今となって思えば通信したとしてもあんな命令を聞いてくれるか怪しい所だった。

 

(結局、周囲から顰蹙を買っただけ、か)

 

 今更ながら自分の行動を呪う。お陰様で医務室で寝込む事になってしまった。

 

「……医務室の静けさを見るに、戦闘は……まだ始まっていないのかな?」

「両軍共に戦列を整えて相対している所で御座います。恐らくは今頃戦闘艇による制宙権確保の小競り合いが生じている頃かと」

「じゃあ、本当にもうすぐだな」

 

 持って後数時間か。ならばそろそろ退院しないといけないな。私に出来る事は少ないにしろ、何もせずにベッドで寝続けるのは外聞が悪過ぎる。

 

「……流石に遠征中ずっと医務室って訳にはいかないよなぁ。後一時間位したら職務に復帰するとするかね?」

「その前に若様に始末書の提出が通達されていますが……」

「えっ!?マジ?」

 

 ベアトからの一言に私は心底げんなりとする。うーむ、自業自得ではあるが………。

 

「……急にやる気がなくなってきたな。もうこのままヘイト集めるの覚悟で戦闘が終わるまで仮病していた方が良い気もしてきたぞ……?」

「若様がお望みであればその通りに対処致しますが………」

 

 私のぼやきに、心配そうにベアトは答える。いや、冗談だからな?

 

「本気にしなくても良いからな?余り甘えてばかりは不味いのは私も分かっているさ。まぁ、今だけはもう少し休んでおきたいけど、ね……?」

「えっ……きゃっ……!?」

 

 次の瞬間、半分悪ふざけでそのまま膝枕してくれているベアトを左手で押し倒して上下逆転した。僅かに驚いた表情を浮かべたベアトは次の瞬間目と鼻の先にいる私を見上げた。その表情は困り顔だ。

 

「若様、流石に今この場所では……」

「少しじゃれただけだ。本気にするな」

 

 そういいつつ、私は当然の権利のように彼女の白磁のような頬に触れ、彼女もまた当然のようにその行為を受け入れた。私も別にこんな場所で始める程放蕩ではない。私も時と場所位は考える。唯……。

 

(温かいな……)

 

 左手から伝わる温もりに改めて安堵の溜息を漏らす。

 

「ベアト」

「は、はい……何で御座いましょう?」

「………いや、何でもない」

 

 首を傾げるベアトの頭を理由もなく撫でる。何処かくすぐったそうに、しかし微笑みながら、優しそうにその行為を受け止める従士。その姿を見ながら私は考える。

 

(本当に……夢でよかったな)

 

 これまでの経験のお陰か、あの光のない瞳も、冷たい身体も、嫌な位リアルだったせいで思い出すだけで私の体は震える。

 

「っ……!!」

 

 私は頭を振って、先程の夢を忘れようとする。しかし、そうしようとすればするほど先程の夢の記憶がこびりつくように思い出せてしまう。本当に忌々しい。

 

「若様……?」

 

 私の心境の機微に気付いたのか、身体を震わせて少し怯えるベアト。その姿に私は気まずさを覚え、次いで可愛らしく思い、しかし若干の苛立ちを覚えていた。彼女が私の焦りと恐怖と絶望を完全に共有は出来ない事は分かっていたから。……無論、この考え自体八つ当たりに過ぎないが。

 

「………」

 

 私はその瞳に怪しい光を映しながら視線を下に移動させていく。潤んだ瞳、柔らかそうな口元、白く細い首にその下の膨らみから引き締まった腰、腹の部分までの布地は濡れていた。私の涙と鼻水によるものだった。その事に、私はそれが下劣な感情だと理解しつつも優越感と満足感を感じていた。

 

「ベアト……」

 

 愛らしくその名前を口ずさみ、私はその豊かな黄金色の髪を弄んでいた手を下にゆっくりと下ろしていく。頬から首に、肩口から横腹……同時に私は首を下げる。こつん、と額同士が当たった音がした。互いの吐息が良く分かった。

 

「わか……」

「大丈夫だ。唯じゃれてるだけだから、な?」

「あ……う………」

 

 不安そうな、しかし熱に魘されたように頬を赤くして、瞳を潤ませて、子犬のような哀れな視線を向ける彼女の姿に私は黒い、黒い欲望の炎が灯る。確かに自分が『これ』を髪の毛一本まで『所有』しているのだという事実を再確認し、歪んだ安心を覚える。きっと彼女は今『所有者』たる私が望めば、最後までそれを受け入れてしまうのだろう。その上で全身全霊を以て奉仕してくれる事だろう。その事に独占欲が燃え上がる。

 

(そうだ。奴らにくれてやるものかよ……!!)

 

 私も、私の所有物の命も、故郷も家族も、何一つとしてあの孺子共にくれてやるものか。寧ろ奪ってやる。そう、奴らからあらゆるものを。そうでなければ、そうでなければ私は……私は………!!

 

「ゴトフリート中佐、どうだ?ティルピッツの方は目覚めた、か……?」

 

 堂々と扉を開いてホーランドが見たのは、丁度従士に覆いかぶさって加虐的で悪役的な笑みを浮かべていた糞貴族……つまり私だった。

 

「……」

 

 私は表情を凍り付かせて、ゆっくりと半開きの扉の方向を振り向いた。この状況に何処か既視感があった。具体的には一六七話位前に。

 

「……取り込み中に邪魔したな」

 

 真顔でそっと扉を閉めるホーランド。そっ閉じである。尚、一緒にいたテレジアの瞳からはハイライトが消えていて、コープは蔑みしかない表情で舌打ちしていたのを追記しておく。

 

「いや、ちょっと待ってえぇぇぇ!!?」

 

 私はベッドから飛び上がると半泣きで弁明を開始したのだった……。


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