帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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感謝感激です!


第百八十話 UA200万突破とかマジかよ!

 その前触れに気付いたのはイゼルローン要塞の主砲付近で護衛任務に展開していた要塞防衛司令部直属第三要塞護衛群所属の巡航艦『エギールⅢ』であった。主砲と副砲を四方八方に乱射して、要塞に取りつこうとしている同盟軍駆逐艦や単座式戦闘艇を迎撃している最中、オペレーターがその事実に気付く。

 

「艦長!要塞主砲が……!」

 

 丁度巡航艦の下方にあった八つの要塞特殊砲塔群、そこから放電する青白いエネルギーの輝きは、明らかにその強さを増しつつあった。巡航艦に搭載されたセンサーは要塞主砲から放たれる熱量が指数関数的に増大しつつある事実を彼らに伝えていた。

 

「これは……!?」

「要塞防衛司令部より通信!っ……!!?要塞防衛部隊所属の各艦艇及び戦闘艇部隊はただちに要塞主砲射線上より退避せよとの命令です!」

「何い!?た、ただちに回避運動に入れ!急げ……!」

 

 艦長の命令に慌てて兵士達は要塞主砲射線からの避難のために動き出す。

 

「我々はまだ間に合うが……何故要塞駐留艦隊は動かぬのだ!?このままでは叛徒共もろとも消し飛ぶぞ!!?」

 

 戦況スクリーンに映し出された要塞主砲射線上で混乱する敵味方の艦艇の動きに『エギールⅢ』艦長は叫ぶ。いや、実際は同盟軍の艦艇群はまだそれなりに組織的な動きで要塞砲の射線上から退避しつつあるが、要塞駐留艦隊の方は文字通りに混沌としていた。

 

 要塞駐留艦隊は要塞主砲がエネルギーを充填して発射の準備に入ろうとしているにもかかわらず個艦、或いは部隊単位で完全にバラバラに動いていた。お構いなく砲戦を行う艦、あるいは組織的に退避しようとする部隊があったかと思えば、我先に逃げようとして敵どころか味方に衝突する艦艇まで散見された。少なくとも、その統一性のない動きが明確な軍令に基づいたものではない事は確実だった。

 

「これはまさか……要塞防衛司令部は、クライスト司令官は要塞駐留艦隊に警告を………!?」

 

 そこまで艦長が呟いたと同時の事であった。巡航艦のスクリーン全体を、眩いばかりの黄金色に輝く『悪意』が呑み込んだ………。

 

 

 

 

 

 限りなく同盟軍の密集率の高い宙域を狙い、同時に味方の巻き添えを最小限するために拡散率を絞って放たれた要塞主砲の一撃は、しかしそれでも一隻の味方も巻き込まずにいる事は物理的に不可能であった。

 

 敵味方合わせて数千隻の艦影が光の中に溶けて、消えていく。主砲が放たれる直前に彼女らは、その所属に関わらず持ちうるエネルギーを全て中和磁場に注ぎ込んでこの光の濁流を凌ごうとしたが、それは限り無く徒労に終わった。

 

「うわっ……誰か助け………」

「か、母さ………」

 

 同盟軍の戦艦『オケアノス』の乗員達の言葉は最後まで紡がれる事は無かった。必死に要塞主砲射程外に避難しようとしていた『オケアノス』は周囲の敵味方と共に光の渦に飲み込まれて消えていく。

 

 余りにも強大なエネルギーの奔流は要塞主砲射程内にいた彼女達の必死に展開した中和磁場を瞬時に飽和させた。次いで装甲の対ビームコーティングを蒸発させ、三重の複合装甲を焼き焦がし、船体そのもの、更には目の前に迫る死に悲鳴を上げる兵士達のその最期の絶望の断末魔さえをも、全てを光の中に平等に、無慈悲に、そして残酷に虚無に還元していく………。

 

 数十秒に渡り放出された巨大な光の柱は漆黒の宇宙を爛々と照らし上げ、そしてそれが静かに消えた後、そこに残されたのは完全に分解された幾千という宇宙艦艇であったものの残骸だけであった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「第八二戦艦群半壊!第八四三、八四四巡航艦群壊滅!」

「第六六戦隊司令部応答無し!第一六九戦艦群旗艦『ライデン』撃沈を確認……!」

「第九〇六駆逐艦群は戦力の八〇パーセントを喪失の模様……!」

「ぐぅ……思いの外持っていかれたな……!」

 

 第六艦隊旗艦『ペルガモン』艦橋にて、司令官ラザール・ロボス中将は渋い表情を浮かべて立て続けに届く損害報告を聞いていく。第六艦隊右翼を消し飛ばした『雷神の鎚』の一撃は、物心両面で同盟軍に衝撃を与えた。

 

 事前に帝国軍が味方ごと要塞主砲で吹き飛ばす事は想定はしていたし、そのために艦隊を狭い回廊内で可能な限り散開させ、いざとなれば緊急回避出来るように準備もしていたとは言え……それでもその被害は馬鹿にならない。

 

 推定被害はまだ統計が取れていないものの、同盟軍の艦艇損失は第六艦隊を中心に一二〇〇隻から一三〇〇前後と予想された。戦死者数は一〇万人を軽く超えるだろう。過去の要塞主砲による損失を思えば比較的損害は限りなく極小化されてはいるが、それでも二、三個戦隊が一瞬で消滅してしまったのである。これは本戦闘が始まってからこの瞬間までに生じた損害の三割から四割に当たる。

 

 より深刻なのは心理的なものであろう。勝利を目前に放たれた『雷神の槌』は兵士達の浮わついた心を凍りつかせた。『雷神の槌』は同盟軍にとってトラウマと呼んでも良い。ましてそれを味方ごと撃つなどと…!!

 

「慌てるな!『雷神の鎚』の再充填まで時間の猶予はある!今の内に要塞に肉薄せよ!要塞にさえ取りつけば要塞主砲に狙われん!未だ我らの方が戦力面で敵よりも圧倒的に有利にある事を忘れるな……!」

 

 ロボス中将が叱責するように叫べば、動揺しつつあった第六艦隊所属の各艦艇は隊列を建て直し、要塞主砲が放たれる直前と同じように前進を開始する。何はともあれ事前に味方撃ちの可能性が伝えられていた事と、四倍から五倍の戦力差は彼らの統制を回復する上で大きな心の支えとなっていた。

 

 実際問題、ロボス中将の言う通り要塞に取り付けさえすれば『雷神の鎚』は無力化出来る。そして完全にD線の内側に展開している以上、今更無防備な背中を晒して要塞主砲射程外に逃げるよりかは遮二無二突撃する方が勝算は高いように兵士達には思われた。敵味方が入り乱れているため、最悪周囲の敵を道連れに出来る。ならば腹を括って前に出るのが最善の判断であった。

 

 一方、激しく動揺したのは帝国軍であった。特に要塞駐留艦隊のそれは大きい。

 

 同盟軍ごと消し飛ばされた帝国軍の艦艇は推定で六〇〇隻から七〇〇隻と推定された。同盟軍よりも数的には損害は小さいが、それは何の慰めにもならない。寧ろ両軍の総戦力数から考えれば多すぎる位であろう。事前にある程度の対策していた同盟軍に比べて、要塞駐留艦隊にとっては文字通り背後からの一刺しであった。要塞主砲発射の予備動作を一種のブラフであろうと考えていた艦も少なくなく、本気で撃つ積もりであろうと察した艦もその衝撃を前に迅速な判断が出来なかったのも多かった。それが要塞駐留艦隊の被害の甚大さに直結した。

 

「何と言う……何と言う事を……!」

 

 レンネンカンプ大佐は目を見開き、友軍の引き起こした暴挙に絶句する。モニターには直撃こそ回避したものの、要塞主砲のエネルギーの余波を受けて甚大な損傷を受けた敵味方の艦艇が、黄金の柱が消えた後に遅れて次々と爆発して小太陽と化していく姿が映し出されていた。シャトルやランチが殆どスクラップ同然となり現在進行形で炎上する艦艇群から次々と、我先にと離れていく。

 

 しかし間に合わずにそのまま艦の爆発に巻き込まれるもの、あるいは四散したデブリで破壊されたり、慌てて逃げだして別のシャトルやランチと衝突するものも散見された。絶望的な状況で必死に逃げ惑う兵士達の姿……その光景は正に地獄絵図と言うに相応しい。

 

「き、救助作業を急げ!装甲の厚い艦艇が反乱軍の攻撃に対して盾となりその間に小型艦は兵士達の救助作業に入るのだ……!」

 

 レンネンカンプ大佐は同盟軍との戦闘に対応しつつも目の前の兵士達の救助作業を命じる。古臭い軍国主義的な士族と思われるかも知れないが、実の所第二次ティアマト会戦以降の帝国軍構成人員の変化の影響もあり、階級や出自を全く気にせず平等主義的なレンネンカンプ大佐は名門士族階級としてはまだ(比較的)先進的な考えの持ち主であった。これが帝国では絶滅寸前な本当に古い価値観の武門貴族や士族であれば一応最低限の合理性のあるこの味方撃ちは想定出来ない行いではなかっただろうし、舌打ちしつつも絶句する程ではなかっただろう。寧ろ……。

 

「ふむ、要塞の司令官は漸く撃ったか。今更ではあるが……撃つならばもっと早くすれば良いものを」

 

 要塞主砲射程外にて長距離砲と長射程ミサイルでの掩護攻撃に徹していた銀河帝国亡命政府軍イゼルローン要塞遠征派遣軍司令官ヴィクトール・フォン・ヴァイマール中将は眼鏡の汚れをハンカチで拭きかけ直すと無感動に目の前の惨状をそう評した。亡命政府軍において決して武闘派でも過激派でもない彼ですら、イゼルローン要塞防衛司令部の愚かで遅すぎる判断に冷笑を浮かべていた。

 

「寧ろ、第六艦隊が受けて正解でした。幸い損害は艦隊全体の一割と少し、犠牲としては最小限です。被害要員となった事で戦後の我ら帰還派の発言力は寧ろ高まりましょう」

 

 副官の従士の冷徹な言葉にヴァイマール中将は頷く。

 

「そうだな。……ふん、クライスト、だったか。あれほど要塞に肉薄されて、外壁を傷つけられてからやっても遅いだろうにな。やはり非武門貴族となれば最善の行動を選べぬか」

 

 ヴァイマール中将は痛烈な言葉で道義ではなく効率性を基に批判の言葉を吐き捨てる。

 

 ……クライスト大将の暴挙は、結局の所、全ての立場の者達から顰蹙を買う行いであった。亡命政府の大多数を占める古い帝国貴族達からしてみれば味方ごと撃つにしては余りに遅すぎる判断であったし、同盟軍の多くの将兵からしてみれば味方撃ちなぞ論外である。

 

 帝国軍においても、一族の子弟を奴隷共と纏めて吹き飛ばされたという事実に特に地方貴族や文官貴族達は怒り狂おう。武門貴族達は行為自体にはまだ理解を示すだろうが、行ったのが非武門貴族であり地上軍の工兵科出身のクライスト大将の手によるものというだけで条件反射的に蔑視する事だろう。富裕市民を始めとする平民士官からすればそれは貴族階級の高慢な行いに見えたであろう。士族階級にとってはクライスト大将が貴族であるために武門貴族程には本人の存在そのものに含む所はないのだが、遅すぎる判断が結果的に無駄な損害を増やしたと考え不満を抱いたであろう。

 

 何よりも、クライスト大将が事前に駐留艦隊に警告を一つもせずに要塞主砲を放った事が彼らの怒りを買った。クライスト大将からすれば下手に警告して要塞主砲による戦果、そして同盟軍に与える衝撃を減少させたくなかったという理由はあったものの、だからといってそれを許せるはずもない。要塞駐留艦隊は要塞防衛司令部に不信感と憎しみを募らせる。

 

 結果として要塞駐留艦隊の動きは明確に鈍り、そして精細を欠き、混乱していた。武門貴族や士族はクライスト大将と要塞防衛司令部に罵詈雑言を吐きつつも、兎も角目下の課題の解決……即ち、同盟軍と距離を取りつつ戦闘を続行しようとするが、平民や非武門貴族の将校は文字通り狂乱して戦闘どころではなかった。我先に要塞砲の射線から逃げようとする。同盟軍はそんな彼らを撃ち、彼らの混乱に乗じて戦線を突破して次々と要塞への肉薄を図る。

 

「は、反乱軍更に進出してきます……!」

「何ぃ!そ、そんな馬鹿な……!」

 

 要塞主砲発射と共に沈黙が暫し支配していた帝国軍要塞防衛司令部は動揺する。それはクライスト大将も同様だった。これが仮に同盟軍が味方撃ちを想定してなければ同盟軍は混乱の中にあっただろう。恐らく全軍が我先にと逃げ出し始め、それは結果的に同盟軍と帝国軍の引き離しを促した筈だ。同盟軍の遠征軍総司令部にそれを止める術はなく、クライスト大将はその機会を逃さず今度は敵だけを狙った第二撃発射を命じた筈だ。実際、クライスト大将はそこまで想定して最初の要塞主砲発射を命じた。

 

 だが、同盟軍はクライスト大将の経験と知識から来る予想を裏切って前進を開始した。特に帝国系同盟人の比率が高い第六艦隊の動きは素早い。要塞主砲で最も被害を受けたにも拘わらず半ば捨て身の覚悟で突進する。尤も、それは自殺願望ではなく、彼らに言わせれば死中で生を掴み取るための行動ではあったが。

 

「『雷神の鎚』第二射用意……!叛徒共の肉薄を何としても阻止するのだ!」

「っ……!?り。了解!!」

 

 クライスト大将の命令に防衛司令部のオペレーター達は動転してその指示に従うべきか迷うが、要塞が再び爆雷攻撃で揺れ出せば必死の形相で作業を開始する。

 

「『雷神の鎚』充填率三〇……三一……三二……」

「一〇〇パーセントでなくても良い!五〇パーセントになり次第要塞に接近してくる叛徒共の一団を吹き飛ばすのだ!拡散率二五パーセント、仰角六五度、銀河基準面に対してプラス三〇の地点に照準!」

 

 クライスト大将の言に従い要塞主砲管制室では要塞主砲の仰角調整に入る。突出して接近を図る第六艦隊第四分艦隊を中心とした先頭集団に照準が定められる。無論、味方ごとである。

 

「『雷神の鎚』、エネルギー充填率五〇パーセントに到達!システムオールグリーン、管制室より発射権限の委譲を確認!」

「『雷神の鎚』発射……」

 

 クライスト大将が声を荒げて要塞砲の第二射を放とうとした瞬間、同盟軍の切り札が切られる。

 

「っ……!?ミ、ミサイル群確認!直撃来ます!!」

「なっ!?」

 

 オペレーターの絶叫と共にそれは濁流のようにイゼルローン要塞に襲い掛かって来た。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 要塞防衛司令部のスクリーンに映し出されるのは暗黒の宇宙に星空のように輝くレーザー水爆ミサイルのブースターの光だった。直後迎撃対策として予備燃料に着火して最終加速に移ったミサイルの雨は、次の瞬間には要塞の流体金属層に次々と着弾して青白い火球を産み出していった。要塞内部は再び激しい衝撃に襲われる。

 

「ぐおっ!?な、何故直撃を許した!!?」

 

 雨霰のように降り注ぐ大量のレーザー水爆ミサイルの爆発の衝撃で大きく揺れる要塞防衛司令部、シュトックハウゼン中将が疑問半分怒り半分に敵の接近を許した理由を問い質す。

 

「完全に死角を突かれました!まさか……!?正面敵主力艦隊の動きは陽動です!!」

「馬鹿な!六万隻の艦隊が、陽動だとぉ……!!?」

 

 今度こそクライスト大将はその人生で最も驚愕に目を見開いた。それは最早目玉が飛び出しそうな程であった。当然である。六万隻の大軍を囮にするなぞ、まともな戦略ではない。つまりは、反乱軍にとっては無人艦特攻すら陽動に過ぎなかったというのか……?

 

 クライスト大将が動揺する中でも、同盟軍の攻撃は続く。要塞はミサイル攻撃の前に先程からずっと激しく揺れ続けていた。

 

「ミサイルの衝撃で流体金属層が吹き飛ばされています!隔壁が露呈!第一が破壊!第二層に損害が及びつつあります!」

「攻撃を受けているのは第二宇宙港のあるブロックです!このままでは第二宇宙港が破壊されてしまいます……!」

 

 流体金属層自体はレーザー水爆の攻撃なぞ元より想定しているが、それでも限度があった。同盟軍のミサイル攻撃は文字通りその打撃力を持って流体金属を『吹き飛ば』し、『押し流す』と言う荒業で無力化、そして要塞本体を守る四重の複合装甲を無理矢理に晒け出させる。

 

 要塞外壁にミサイルが直接着弾するようになり、要塞内部の震動は最早地震のように激しさを増す。要塞防衛司令部の動揺は既に末端の兵士達だけでなく幹部達にも共有されていた。不安げに彼らは司令官に視線を向ける。

 

「ぜ、前方で戦闘中の戦闘艇部隊を呼び戻させますか……?」

「狼狽えるでないわっ!!それこそ叛徒共の思う壺だぞ!そもそも既に前線の戦闘艇部隊にそんな余裕なぞないわ!!」

 

 イゼルローン要塞防衛司令部副官シャンネハイム少佐の意見に怒鳴るようにクライスト大将は否定する。

 

「で、では……!」

「浮遊砲台で迎撃せよ!敵は少数だ、イゼルローン要塞の防空能力を見せつけてやれ!!」

 

 クライスト大将の命令は、しかし完全には実行されなかった。慌てて移動と浮上をした浮遊砲台は余りにも少数であったのだ。一つには要塞前方での戦闘に既に多くの浮遊砲台が投入されていた事、第二に同盟軍の別動隊が要塞の帝国側の外壁に攻撃を仕掛けたためだ。帝国本土のある方角から敵が来るなぞ少なくとも組織的には限りなく困難であり、そんな場所に待機させている浮遊砲台は圧倒的に少数派であったのだ。折角健気に迎撃の中性子ビームの弾幕を形成する帝国軍防空部隊は、しかし十倍……いや二十倍はあろうという火力の滝の前に瞬時に破砕されていく。

 

「第三層まで突破されました!第四層に被弾!外壁が破られるのは時間の問題ですっ……!」

「単座式戦闘艇第三格納庫大破!」

「第一七三層連絡途絶えました!」

「第四通気口全壊!このままでは軍属用居住区が危険です!」

 

 要塞防衛司令部の通信は事態が急速に悪化している事を示していた。要塞駐留艦隊は身動きが取れず、要塞直轄の戦闘艇部隊も粗方出払っている。浮遊砲台だけではこの苛烈な攻撃に対抗するのは不可能だった。クライスト大将は要塞の重力磁場を調整して流体金属をミサイルにより攻撃されているブロックに集中させようとするが、その度に大量のミサイルで流体金属は弾き飛ばされ、あるいは強力な熱線により蒸発させられる。

 

「くくく!いいぞぅ、もう一息だ!各艦、攻撃を緩めるんじゃねぇぞ!」

 

 別動隊司令官キャボット少将は獰猛な笑みと共に叫んだ。八〇〇隻程のミサイル艦は絶え間なくレーザー水爆ミサイルを吐き出し続ける。同盟軍別働部隊のミサイル艦部隊に割り当てられたレーザー水爆ミサイルは凡そ三二万発、計画ではその全てをミサイル攻撃開始から一五分以内で撃ち尽くす事になっていた。

 

 三二万発……数もそうだが、真に驚くべきはその集弾率と攻撃のタイミングであろう。

 

 元より流体金属層を押し剥がすためには狭い範囲で集中的にかつ大量のミサイルを叩きつけなければならず、それは広大な距離のある宇宙空間では容易ではない。それは別動隊のミサイル艦部隊の練度の高さを証明するものであっただろう。

 

 同時に要塞主砲の第二射を実施しようというタイミングでの攻撃は絶妙だ。要塞主砲の第一射で駐留艦隊が動揺して動きが鈍くなった直後であり、同時に主砲が移動出来ないため別動隊の攻撃が『雷神の槌』に晒される事もない。そして何よりも要塞主砲の発射そのものを封じられる。

 

 別動隊のミサイル攻撃の予定は僅かに一五分、そして既に一〇分が経過しており流体金属層の厚化粧は無惨にも吹き飛ばされて、露呈している要塞外壁はその第四層までミサイルの雨によって破壊されていた。浮遊砲台の抵抗は最早殆ど沈黙していた。

 

「よし、今だ!揚陸部隊前進……!!」

 

 別動隊の艦列から前進するのは強襲揚陸艦一五〇隻とその護衛として戦闘艦艇一二〇隻である。旗艦は戦艦『プトレマイオス』、護衛部隊の司令官は艦隊運動の専門家でもあるエドウィン・フィッシャー准将、揚陸部隊司令官は同盟軍において屈指の宙陸両用戦の専門家であり、第三次イゼルローン要塞攻防戦にて要塞表面への揚陸にも成功したレオポルド・カイル・ムーア少将である。

 

 

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「正面、敵防衛部隊……!」

「迎撃せよ!揚陸部隊に手を出させるな……!!」

 

 要塞主砲射程内に突入して肉薄を図る別動隊揚陸部隊の前に立ちはだかるのは明らかに雑多に寄せ集めた一〇〇隻余りの艦艇と戦闘艇であった。恐らくは周辺宙域に偶然展開していたか、要塞内部に残留していた予備部隊等なのだろう。急行していたためか、隊列も碌に整えられずにがむしゃらに揚陸艦に砲撃を仕掛けるそれを、護衛部隊は一隊が揚陸艦の盾になるように中和磁場で受け止め、次いでもう一隊が側面に回り込み苛烈な砲撃で一蹴する。その鮮やかさは副司令官の艦隊運用能力を証明すると共に索敵網を抜けるために少数に留めざるを得なかった護衛部隊が、しかしその質は選り抜かれたエース級のみで編成されている事を示していた。

 

 迎撃部隊を打ち破り、その間に駆けつけた少数の帝国軍をも足を止めずに撃破し、続いて要塞外壁で待ち構える生き残りのワルキューレと浮遊砲台を護衛部隊がミサイル攻撃で叩き潰せば、次々と揚陸艦艇群が要塞表面に取りつき、そのまま流体金属の『海』に波を打ちながらその船体を沈めていく。当然ながらそれは沈没ではなく揚陸であった。

 

 同時期、ミサイル艦部隊によるミサイル飽和攻撃が止む。ミサイルを撃ち尽くしてしまったのだ。三二万発のレーザー水爆ミサイルはその三割が浮遊砲台や艦砲射撃、妨害電波で無力化されたものの大半はイゼルローン要塞に打撃を与えていた。しかし……それでも尚、帝国が国家財政を傾かせながらも構築した要塞の流体金属層による『海』とその下に設けられた数十メートルに及ぶ四重装甲の外壁は文字通り首の皮一枚で同盟軍のミサイル攻撃に耐えきって見せた。そうミサイル艦の攻撃には。

 

 次の瞬間、金切り声のような轟音が要塞全体に響き渡る。それは帝国軍にとって絶望を意味していた。

 

「敵揚陸艦艇群より爆雷攻撃っ……!が、外壁の第四層が完全に破壊されましたっ!!続いて第二宇宙港管制塔より連絡、爆雷で出来た亀裂部より大量の流体金属の流入を確認との事!それに………!敵揚陸艦艇を確認、繰り返します、敵揚陸艦艇を確認!反乱軍が要塞内部に侵入して来ました……!!」

 

 要塞防衛司令部のオペレーターは悲鳴に近い声で叫ぶ。それはこの瞬間、イゼルローン要塞はその歴史上初めてその無敵の外壁を突破された事を意味していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「港内の防空隊に迎撃させろ!!要塞内の全兵に通達、第一級戦闘態勢に移行せよ!要塞内の無人防衛システムを作動、装甲擲弾兵第一三軍団を送れ!!一兵たりとも生かして返すなぁ……!!!」

 

 クライスト大将の怒声が、要塞防衛司令部に鳴り響いた。それは新たな惨劇の幕開けを意味していた……。

 

 

 

 

 

 突如として宇宙港にサイレンの音が鳴り響いた。何処か不気味な、聞く者を不安にさせるその音は、四半世紀以上前の要塞建設時に宇宙港への敵軍侵入を警告するように用意されたものであったが、同時にこれまで演習は兎も角実際の戦闘において流された事は一度もないものであった。

 

「凄い、こんな巨大な宇宙港初めて見ましたよ……!?」

 

 流体金属の『海』を泳ぎきり、そのまま爆雷によって生じた要塞外壁の亀裂から要塞内部に侵入し、雷雲を切り裂きながら突き進んだ同盟宇宙軍所属、強襲揚陸艦『ケイロン三号』……その陸兵待機室に設けられた強化硝子の窓、その窓越しに現れた景色を見て、今年六月に第五〇一独立陸戦旅団『薔薇の騎士旅団』に転属したライナー・ブルームハルト准尉は思わず感嘆の声を上げた。

 

 イゼルローン要塞には駐留艦隊を始めとした二万隻の宇宙艦艇を収容するために最小で数個隊規模、最大で一万隻近くを収容可能な大小六〇を超える宇宙港が整備されている。その中でも帝国側の方向にあり、艦艇五〇〇〇隻を収容可能なイゼルローン第二宇宙港は文字通り要塞内の宇宙港の中で二番目の規模を誇る巨大な要港施設である。

 

 一番小さい駆逐艦でも一五〇メートルを超える、そんな軍艦を五〇〇〇隻も収容し、整備と補給を行う第二宇宙港はそれ自体が一つの都市のようなものだ。しかも、そんな第二宇宙港すら巨大な空間を擁するイゼルローン要塞のほんの数パーセントを占めるに過ぎない。それだけでイゼルローン要塞がどれだけのスケールを有するのか理解出来るだろう。恐らくは第二宇宙港に侵入に成功した他の揚陸艦艇でも多くの兵士達が同じく同盟軍が初めて目にするイゼルローン要塞内部の威容に驚愕し、瞠目している事であろう。

 

「子供のようにはしゃぐのも良いが、精神衛生のためにも余り外は見ない方が良いぞ?」

 

 窓越しに宇宙港を見続けるブルームハルト准尉に、直ぐ近くの座席でシートベルトを締めて腕を組む上司がバリトンボイスで警告する。重装甲服に身を包んだ第五〇一独立陸戦旅団第二大隊長ワルター・フォン・シェーンコップ中佐である。

 

「え?隊長、それはどういう……」

 

 ブルームハルト准尉がそこまで呟いた時であった。宇宙港の一角から閃光が上がる。次の瞬間にはすぐ傍らを飛行していた強襲揚陸艇『ヒューイ七号』に突っ込み、次いで爆散する。横腹を吹き飛ばされた『ヒューイ七号』は破片と人間を大量に吐き出しながら急速に高度を下げ……大爆発を起こして四散した。

 

「あ……う…あ……」

「さてさて、随分と手荒い歓迎な事だな、これは?」

 

 直ぐ近くの味方艦艇が爆散した事に衝撃を受けて唖然とした表情であうあうと口元を震わせるブルームハルト准尉、一方バリトンボイスの子持ち大隊長は肩を竦ませてそんな新入りの姿に困り顔を浮かべた。船内の他の陸兵達は不敵な笑みを浮かべ、別の陸兵は口笛を吹き、あるいは敬虔なオーディン教徒は戦神か、あるいは戦乙女への祈りを捧げる。

  

 『ヒューイ七号』の撃墜を皮切りに、第二宇宙港の各所から次々と対空ミサイルの光弾と防空レーザーの光条が放たれた。イゼルローン要塞防衛軍の第二宇宙港防空隊による攻撃だった。

 

「怯むな!こっちもお返しの爆撃をしてやれ……!!」

 

 揚陸部隊の司令官ムーア少将は司令塔となる揚陸艦『ノルマンディー』から叫ぶ。その命令通り、『ノルマンディー』が先頭に立ちながら、各種揚陸艦艇の船底に設けられたハッチが開かれ、そこから絨毯爆撃をするかのように返礼の爆弾が落とされる。あるいは揚陸艦艇に装備された電磁機関砲や低出力レーザー、ハードポイントに装着された空対地ミサイルやロケット弾等が第二宇宙港の各所に放たれる。一気に第二宇宙港全体で爆発の光が発生し、港は地獄絵図と化した。

 

「レーダーが高速飛翔体確認!これは……!?こ、航空機です!敵航空機部隊の発進を確認しました!!」

 

 揚陸艦の艦橋でオペレーターが驚愕の声を上げる。レーダーと光学カメラは宇宙港の電磁カタパルトデッキから次々と上がる帝国軍の大気圏内戦闘機の姿を捉えていた。

 

 流石に音速越え、となると空間的余裕がなかったのだろうが、それでもティルトローター戦闘機等という代物が中部を飛び回るだけの広さがあるなぞイゼルローン要塞のような超巨大要塞位のものだ。同盟軍も捕虜や諜報員からの情報で存在そのものは聞いていたが、実物を目にするとなると驚愕せざるを得ない。

 

「慌てるな!此方も宙陸両用戦闘艇を出せ!迎撃させろ、格闘戦だ……!!」

 

 ムーア少将からのその声と共にビームバルカン砲と空対空ミサイルを搭載した同盟宇宙軍陸戦隊の宙陸両用戦闘艇部隊が揚陸艦から発進し、帝国軍要塞防衛軍の要塞航空隊との空戦を交え始める。余りに広大なせいで雲すら存在する第二宇宙港の『空』で次々とドッグファイトによる黒煙と爆発の光が生じる。そんな光景を横目に同盟軍の揚陸艦艇群は次々と低空を滑空して着陸態勢に移る。

 

「叛徒共にこの要塞に足を踏み入れさせるな!撃ち墜とせ……!」

 

 悪足搔きとでもいうように宇宙港から現れた黒衣の軽装陸戦隊が個人携帯可能な機関銃や携帯式地対空ミサイルで着陸態勢に移る揚陸艦艇に攻撃を仕掛ける。あるいは整備員であろうか?つなぎを着た人影ががむしゃらに小火器を乱射するが……流石に大気圏突入すら想定した揚陸艦艇の頑強な装甲にそんなものは殆ど効果はない。下部に設けられた銃座からの制圧射撃に軽装陸戦隊や臨時陸戦隊は次々と殲滅される。圧倒的な火力の差によって宇宙港の防空部隊はその戦力の大半を喪失した。

 

『乗り上げるぞ!乗員は衝撃に備え……!!』

 

 『ケイロン三号』の艦長が叫ぶ。その数秒後には船内を地震と思わんばかりの激しい衝撃が襲った。『ケイロン三号』は艦首の低出力レーザー砲で港内の戦艦用ドックを、その封鎖用シャッターを吹き飛ばした後無理矢理突入した。ドック内のクレーンや作業車を艦首が吹き飛ばし、船腹がドックと擦れてけたたましい悲鳴を上げる。当然『ケイロン三号』の方も無傷とは行かずアンテナが何本か持っていかれた。

 

『艦長、勢いが強すぎます!このままでは正面から衝突します……!!』

『分かっている!!今だ、艦首バーニア全開!!』

 

 艦長の叫びと共に艦首のバーニアを逆噴射してその勢いを殺す事で『ケイロン三号』は頭から激突する事なくドック内に着岸する事に辛うじて成功した。同時にこの瞬間、『ケイロン三号』は揚陸部隊において最初に着岸に成功した艦艇としての栄誉を手に入れる事となった。同時にその栄誉は乗員する兵士達もまた同様であった。

 

『着岸成功!繰り返す、着岸成功……!!』

「よし、総員降船しろ!行け行け行け……!!」

 

 『ケイロン三号』の横腹に設けられたハッチが降りるやいなや、白い甲冑姿の人影が次々と躍り出る。同盟軍の重装甲服に身を包んだ兵士達が凡そ六個小隊及び中隊・大隊司令部要員。総員にして三六七名……宇宙暦792年五月六日1800時、この瞬間『薔薇の騎士旅団』の第二大隊第一中隊は今次作戦において、そして同盟軍兵士として初めてイゼルローン要塞内部に降り立った戦士達となったのである。

 

 ……尤も、この段階においてはそんな事は誰も気にも止めていなかったし、その事実に感慨を抱く余裕も無かったのだが。

 

 薔薇の騎士達は『ケイロン三号』周辺に展開すると、敵が存在しない事を確認して即席の陣地を築き上げる。

 

「橋頭堡を確保しました!これより他中隊との合流のために前進を……」

「おいおい、余所見をするな。危ないぞ?」

「はい?うおっ!?」

 

 周辺警戒の後、大口径の火薬銃を肩に下げてから報告をしようとした若い陸兵の肩を不良騎士は引っ張った。次の瞬間、若い陸兵の頭があった空間を炭素クリスタル製の鏃が通り過ぎて、その先にあった『ケイロン三号』の船体装甲に火花を散らしながら弾かれる。

 

 正面を向いた薔薇の騎士達の前に現れたのは灰色の甲冑に身を包んだ髑髏に赤い瞳を湛えた剣呑な集団だった。ドック内で待ち構える帝国軍装甲擲弾兵の一団……より正確に言えばイゼルローン要塞に駐屯する装甲擲弾兵第一三軍団第五五師団第一一八連隊第一大隊に属する者達であった。挽き肉製造機が直々に率いる装甲擲弾兵第三軍団には流石に及ばずとも、精兵である事は彼らの立ち振る舞いから見てまず間違いなかった。

 

「さて、御迎えの御到着だな」

「ひえぇ、随分と大層なおもてなしなこったな、モテる男は辛いぜ」

「目標は要塞主砲管制室、工作員からの地図が正しいのならここから六キロといった所ですね」

「とっとと片付けようぜ?他の部隊も目標に向かっているんだ。一番乗りにはボーナス支給らしい、負けられねぇよ」

 

 軽口を語り合いながら薔薇の騎士達は次々に戦斧を構えた。それに応じるように髑髏の軍団は雄叫びを上げながら戦斧を両手に携え突貫を始める。薔薇の騎士達は獰猛な声と共にそれを迎え撃った。

 

 激しく鳴り響く足音、戦斧同士のぶつかる金切り音が音楽のように鳴り響き、悲鳴と共にドックは鮮血に彩られた……。

 

 

 

 

 

「別動隊より連絡。揚陸した陸戦部隊、要塞内部への揚陸に成功……!」

 

 オペレーターがその事実を伝えた瞬間、遠征軍旗艦『ヘクトル』艦橋は歓声に支配された。宇宙暦767年にイゼルローン要塞が完成して以来二五年、その間四度の大規模遠征、大小十数回の特殊部隊や諜報員による工作作戦、莫大な兵力と資産と時間、優秀なエリート参謀の頭脳をつぎ込んでも尚、同盟軍は一兵すらあの忌々しい虚空の女神の内に送り込む事すら果たせなかったのだ。それを数万規模の揚陸部隊の上陸に成功したのだ、興奮しない筈がない。

 

「気を緩めるな!まだ要塞が陥落した訳ではないぞ!第七機動戦闘団は要塞駐留艦隊から別動隊を守れ!第四艦隊は再編成と補給完了次第散開陣形で再攻撃を行わせよ!此方の揚陸部隊も投入するぞ、突入準備に入らせろ!」

 

 シトレ大将以下の遠征軍総司令部の最高幹部達は一時の興奮に囚われる事なく、矢継ぎ早に命令を下していく。

 

「イゼルローン要塞内部の敵戦力は五〇万から六〇万前後、半数以上が後方支援要員であるとしても陸戦部隊は二〇万から三〇万と言った所でしょう。此方の別動隊に随行させた陸戦部隊は艦艇要員や司令部要員等も含めて三万名、帝国軍も正面からの揚陸を警戒していたでしょうから直ぐに大軍を投入される事はないでしょうが……精鋭を集めたとは言え、地の利が敵にある以上そこまで期待は出来ません。我が方も可能な限り早く主力を揚陸させるべきでしょう」

 

 作戦部長マリネスク少将が語る。以前会議で目付きの悪い第六艦隊司令部副官が高慢に別動隊こそが主役と語っていたが、それを唯々諾々と認める程マリネスク少将は楽観的ではなかった。無論、要塞司令部や主砲管制室を制圧出来れば喜ばしい事ではあるが、それを期待するだけで何もしないというのは作戦参謀としては唯の怠惰というべきであろう。

 

「現在、帝国領に建設した監視基地より帝国軍の増援部隊が移動している事が確認されています。オーバーライン帝国クライスの第一〇胸甲騎兵艦隊先遣部隊がリューゲンより出港したのが確認されております。周辺宙域の正規軍及び一部私兵軍も招集を始めているようです」

「フォーゲル少将か、流石に動きが早いな。想定ではもう少し時間がかかると思ったのだがな」

 

 情報部長ホーウッド少将からの報告に顔を顰めるのは航海部長クブルスリー少将である。帝国軍の動きを過少評価していた訳ではないが、それでもその迅速さには舌を巻かずにはいられない。

 

イゼルローン回廊に繋がる帝国の国境宙域たるオーバーライン帝国クライスはイゼルローン要塞が建設されるまで帝国の対同盟戦争の最前線であった。そのため軍役農奴や士族の入植する『軍役属領』(シルトラント)を始めとした皇帝直轄領が多く、代々大総督や軍司令官も実戦主義的な武門貴族や士族出身者が任命される傾向にあった。

 

 尤も、イゼルローン要塞が建設され帝国本土が大規模な侵攻を受ける可能性が低下してからはその情勢も変化があり、イゼルローン要塞の後方支援として、今一つには新たな利権の温床として文官貴族や地方貴族、後方適性のある軍人が行政や軍の責任者として配属される例が増えていた。現オーバーライン帝国クライス大総督ロッテンシュタイン伯爵等はその代表格であり、典型的な官僚的で俗物的な貴族である。

 

 同盟軍が今回の遠征においてオーバーライン帝国クライス内において最も警戒した人物が本クライス内における帝国地方宇宙艦隊の主力たる第一〇胸甲騎兵艦隊司令官フォーゲル少将であった。名門士族出身の帝国軍でも希少になった古風で実績ある提督である。二年前までの帝国軍による同盟国境宙域への大規模侵攻、その鏑矢となったエル・ファシル攻防戦時の帝国側司令官でもある。

 

「後方の様子はどうだね?」

「其方は各戦線の部隊が奮闘中ですので、今少し此方に向かって来るには時間がかかるでしょう」

 

 シトレ大将の質問に通信部長ガエナ准将が答える。遠征軍の通信状況は比較的良好であり、後方の状況をほぼ正確にかつリアルタイムで把握出来ていた。

 

「そうか。彼らの奮闘に報いるためにもここでイゼルローン要塞を落としたいものだな」

 

 そう呟いて気難しそうに、そして深刻そうに腕を組むシトレ大将。しかし、彼は思う。本当にこのまま上手くの行くのかを。敵は……帝国軍は半ば狂乱状態に陥っていたと言え味方ごと同盟軍を吹き飛ばすような暴挙を行うのだ。

 

(事前に想定してなければこの時点で勝負がついていたな……)

 

 それは幸運な事であった。だが、味方撃ちをする程覚悟を決めている敵がこのままみすみす要塞が陥落するまで指を咥えているであろうか?シトレ大将には到底そんな気楽な事は考えられなかった。

 

(まさかとは思うが……)

 

 ちらり、とシトレ大将は艦橋を見渡し、その人物を発見する。後輩の中尉と何某かを話しながらデスクで足を組み紙コップに入った紅茶を啜る教え子でもある少佐……。

 

「………」

 

 一瞬、シトレ大将は彼に自身の疑念をぶつけて見ようかと考えるが、すぐにその考えは頭の片隅に押しやられる。傍らに立つ数名の参謀スタッフが書類を持って並んでいたから。九〇〇万近い大軍を指揮する大将にはこうしている間にも多くの判断するべき課題と裁可するべき書類があった。時間も体力も有限、そのため現状作戦は順調に進んでいる事もあり、その脳裏に過る疑念の解決は後回しにされてしまう。

 

 それ故シトレ大将は、後回しにする。それ自体は当時の状況から言って特別に非難される判断ではなかったし、仮に質問して答えを得てもそこからどうするかはまた極めて厳しい判断であっただろう。結果的には何も変わらず、あるいは悪化した可能性すらある。

 

 それでも……それでも大将は後にどれだけ後悔した事であろう?それはこの五回目のイゼルローン要塞を巡る攻防戦の第二のターニングポイントであったのだから。

 

 そして……。

 

「パーカー少将、戦局は重要な局面に入った。この『ヘクトル』はイゼルローン要塞に取りつく訳にはいかん、君には総司令部からの代理として揚陸部隊の陣頭指揮は頼めるかね?」

 

 シトレ大将は若い少佐の知恵に頼る事はせずとも可能な限り作戦成功のための布石は打った。実戦部隊長としても勇将として名声を馳せるパーカー陸戦部長を総司令部からの代理人として送る判断をする。

 

「承知致しました。ですが、揚陸部隊も大所帯です。それにあの乱戦の間隙を縫って乗り上げるとなると簡単ではないでしょう。艦隊運用面で参謀を一人御貸し頂きたい」

「うむ、その点は承知している。問題はその参謀であるが……」

 

 シトレ大将はパーカー少将の申し出に頷き、次いでその参謀を任命しようとする。問題はこの切迫した重要な時期に艦隊運用に能力があり、かつ階級としては大佐か准将、その上で手の空いていそうな参謀がいるかどうかであるが……。

 

 キョロキョロと艦橋を見渡して、ふとシトレ大将はその人影に視線を止める。そして、僅かに逡巡した後、その能力が最低限必要十分なものを満たしていると判断した大将は決断する。そして口を開いた。

 

「ティルピッツ准将、暇しているのならこれから命じる任務を頼まれてくれるかね?」

「………はい?」

 

 サンドイッチを片手に間食を摂っていた貴族将校は、思いもかけない呼び掛けに首を上げてきょとんと、次いでその意味を理解して額に一筋の汗を垂らし顔を引き攣らせたのであった。

 

 

 

 ……恐らくは、それは誰もが予期し得なかった三番目のターニングポイントであった。


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