激しいブリザードが吹くカプチェランカの冬は、視界が非常に悪い。特に夜になると、照明を点灯させていても数メートルの視界も確保出来ない。結果として、カプチェランカにおける視界確保手段は光学的な手法以外のものが利用される。
所謂レーダーや音波、赤外線等を利用し半径数十メートル以内の地形情報を収集、それを視覚的に理解しやすいように映像化して液晶画面に、あるいはVRゴーグルに表示して、それを基に運転手は運転する。長征系資本の同盟軍事企業ではこれをさらに発展させて、脳波コントロールでより迅速に、タイムラグの無い運転を出来るようにする新型車両の開発を行っているらしい。それにより運転に必要な訓練時間を短縮し、より感覚的な運転を可能とするのが目的だそうだ。
……かなりフラグの香りがするが今の私にどうこう出来るものではないので放っておく。そもそもソフトウェアのハッキングなんて誰でも思いつく。問題は実現出来るかどうかであり、当然ながら同盟軍のハッキング対策は帝国よりも進んでいる。それを基に開発を中止に追い込むなぞ不可能だ。やっぱり金赤コンビは頭可笑しい。あるいは実戦投入から日が浅く、バグ等が多かったのかも知れない。どちらにしろすぐに対策された筈で、実質的に原作のあれは一度きりだからこそ出来た事の可能性が高い。
まぁ、何はともあれ、今の我々の乗り込んでいる61式雪上車にとっては関係の無い事だ。宇宙暦761年採用のこれは軽歩兵部隊輸送用の非戦闘車両だ。各種センサーで収集した情報を基に、運転手が周辺地理を把握して運転する。最高時速65キロ、最大輸送可能人数は運転手を含め10名。対レーダー透過塗装、対金属探知透過塗装等が施されているが、気休めにしかならない。装甲は無く、銃座こそあるが然程役に立つとも思えない。唯一褒めるべき点は、備え付けられた暖房が非常に頑丈という点だ。40年以上使われていた前任の14式雪上車の暖房はすぐ壊れ、「凍土の進軍」の歌に歌われる有様であった。
「……大丈夫か?疲れたならそろそろ運転を代わるが?」
「いえ、御安心下さい。この程度の長期運転なら何度も経験がありますので」
もう何時間も雪上車を運転するライトナー兄のテオドール・フォン・ライトナー曹長は貨物室を兼ねる後部座席からの私の提案にそう答える。
出立から既に40時間が経過していた。通信基地まで450キロ、B-Ⅲ基地まで900キロの道のりは、通常の車両でならば全力で飛ばせば1日2日で走破は可能だろう。だが帝国軍の警戒網を避けるため迂回、しかも山岳部の雪原を走るとなると簡単ではない。視界が悪いので、全力で走れば次の瞬間崖やクレバスから転落して、目出度く二階級特進になる可能性だってあるのだ。そのため実際の速度はせいぜい30キロ程度、履帯が傷み交換する必要も出るかも知れないし、帝国軍から隠れる必要も出てくるだろう。まだまだ長い旅になりそうだ。
「若様ぁ、余り気を張らなくてもいいですよぅ?どうせぇ、ブリザードの中ですと賊も索敵の目が鈍りますしぃ、銃撃も射線がずれますからぁいきなり奇襲で吹き飛ぶなんてありませんよぅ?」
助手席の妹さんがブラスターライフル片手に眠そうな表情で答える。
「誘導弾が来たらどうするんだ?」
「それこそ、この山岳地帯ですと本格的な対戦車ミサイルを運用するのは簡単じゃあないですぅ。展開出来るのは携帯運用の近距離ミサイル……この環境ですと射程なんて1キロもありませんよぅ。待ち伏せでもなければ撃たれるなんて有り得ませんしぃ、その程度なら簡易のジャミング装置で欺瞞出来ますぅ。このブリザードの中ですと、動く目標にロケット弾のように撃っても命中なんて滅多にありませんよぅ?」
「……成程」
つまり金赤コンビは誘導を諦めて肉眼でロケット弾を移動目標に撃ち込んだと言う訳か。ちょっとあいつらヤバくね?
「……軍曹の言葉に疑問があるかも知れませんが、その点では私も同意です。未熟な経験ながら、確かにこのような状況下ですと誘導兵器による奇襲は考えにくいかと」
私の態度に納得していないと思ったのか補足するように兄の方が答える。
「いや、大丈夫だ。お前達が安心するよう言うのならそうなのだろう。つまらん事を聞いたな」
少なくとも原作キャラでも出てこなければ、何も分からないうちにこの雪上車ごと吹き飛ぶ事は無いらしい。
「若様、御心配は分かりますがそろそろお休みになられた方が良いかと考えます。細事は気にせずお任せ下さい」
携帯端末で地理情報や電波を傍受を試みていたベアトが口を開く。
「といってもな。寧ろ少し運転しただけで比較的私は体力が残っている方だぞ?ベアトこそ寝た方が良いだろう?」
「問題ありません。それこそ私は端末を使っているだけですので。それに若様はこの伝令班の指揮官です。有事に備え体力を温存する義務があります」
「義務、ね」
物は言いようだな。確かに、戦闘時に正しい指揮をするために体力を温存するのは指揮官の義務の一つではある。尤も本来ならばベアトの方が班長に相応しいので、その意味では前提条件が間違っているのだが……。
「……分かった。5時間だ。それだけしたら起こせ、交代だ。護衛が疲労で役に立たないのも困る。食事もしておけよ?」
「了解しました」
私の命令に微笑むように優しい声で答える従士。まぁ、これ以上言っても仕方無い。寝袋を取り出してその中に潜り込む。これは寒冷地用に作られた保温性の高い特殊繊維で出来ておりかつ熱にも強い。また表面にはサーモグラフィに投影されないようにコーティングがされており野外での就寝中に爆撃を受けないように対策されている。こういった装備一つ見ても無駄に高度な技術が使われており、この150年に渡る戦争が物量と共にハイテク技術の戦争である事を物語っていた。
寝袋の中で身体を揺らしながら瞼を閉じる。それほど自覚は無かったがすぐに睡魔は襲ってきた。地上車というものは乗っているだけでも体力を使うらしい。
そして私はそのまま微睡みに身を任せて意識を暗転させた……。
遠い昔の記憶だった。恐らくは6、7歳くらいの筈だ。私が自身の立ち位置とその絶望的な将来、そしてそれを変える困難を理解した頃の事だ。
絹に金糸を縫い込まれた見事なデザインの服装は、しかし私には豚に真珠と言うべきだろう。それでも、安くて気楽な服装なぞしたら伯爵家と仕える従士や奉公人にまで迷惑をかけるので許されない。そんな事すれば「本家の嫡男にまでそんな服を着せるなぞ、伯爵家はそれほど落ちぶれたのか?」と思われ噂になるそうだ。皇族から妻を迎えた伯爵家にそんな恥ずかしい事は出来ないし、もっと着易い服を望むのもそれはそれで我儘であるように思えるから口を噤む事にしていた。
どの道、こんな所にいれば汚れてどうしようも無いけど。
「わかさま、あまりおやしきをはなれるのはあぶないです。もどりましょう?」
「戻りたいなら戻ったらいいだろう?ついて来るなよ」
森の中を進む私に少し怯えた声で幼女が後ろから尋ねるが、私は不機嫌そうにそう言い捨てる。実際問題、出来れば離れて欲しい。
新美泉宮……だったか、同盟に亡命した帝国貴族の道楽と趣味で建てられた宮殿、その北苑は所謂狩猟区であり広大な平原や森が広がっている。
毎度毎度どうでもいい催事で呼びつけられパーティやら園遊会に参加するのは私には苦痛でしかなかったし、更にうんざりするのは同年代の皇族の少年に懐かれた事だ。
大体理由は分かる。皇族だから気軽に人付き合いなんか出来ない。兄弟姉妹は上が3人続けて女子のせいで、兄と歳が離れすぎている。同年代かつ母が皇族の私は対等……少なくともそれに近い数少ない遊び相手な事だろう。今日も彼の住む屋敷全体を使ったかくれんぼに付き合わされた。
しかも、どういうわけかどこに隠れても見つかる。そんなに私の考えは分かりやすいのだろうか?私は静かに自宅に帰るまで時間を潰したいだけなのに、騒がしい限りだ。使用人達も事あるごとに、何でもかんでも赤子のように世話を焼いてくる。それが下手に前世のある私の詰まらないプライドを刺激した。
その結果、誰にも構われたくないためにフェンスに穴を開けて人の少ない北苑にこっそりと逃げた訳だ。夕方になるまでひっそり隠れておきたい。
最初の頃は周囲の歓心を買って将来に向けて布石でも打とうと思ったが、今ではそんな事もない。どうせどうしようも出来やしないなのだ。貴族の社会の保守性も柵も散々理解した。
「……お前も、無理に付き合わなくていいから」
「い、いえ……だいじょうぶです。わかさまがいかれるならどこまでもついていくのがおやくめですから」
森の中である事を不安そうに、しかし年にしてはしっかりとした口調で幼女は答える。
通算で十八人目の付き人候補だった。最初は歳上か同年代の男子ばかりだったが十四人目辺りから候補者不足でついに女子まで現れた。
所謂四六時中付きまとう従卒であるが、そんなもの欲しくない。ようは常日頃貴族の振りをしないといけない訳だ。やってられるかよ……!!
原作の門閥貴族共にとっては好きに命令出来る下僕にしか過ぎないだろうが、私にとってはただの監視に過ぎない。そのため、難癖つけては実家に送り返してもらっていた。本家の付き人である以上、付き人もある程度の家でないと駄目らしい。該当する者を全員追い払ってやるつもりだった。まさか女子までも動員して付き人を付けようとするとは思わなかったが。
「お役目ね。よくもまぁ、その歳で言えるもんだな。良くわかってもない癖に」
親に言われて言っているだけでその意味を理解しているとは思えない。主人のために弾避けになる事もお役目であることを理解しているのだろうか?
「そ、そんなことはありません!おとうさまからそばつきはとてもめいよあるおしごとときいております!」
慌てるように幼女は答える。だが私には寧ろ相手が然程理解していないという考えを補強したに過ぎなかった。
「そもそもお前、私の使い走りなんてやって楽しい訳?本当は面倒だと思っているんだろ?」
嫌みを含んだ声で私は言い放つ。私の傍に控えないといけないので当然ながら子供らしく同年代と遊ぶ事は出来ないし、生活のリズムは他人に合わせないといけない。警護役として気を抜けないし、その分学習をしないとならない。毒味役をする場合すらある。子供には耐え難い環境の筈だ。
そもそもが頭可笑しい制度だ。命を含めて全てを主家の者だからというだけで捧げないといけない。産まれた時から上下関係が決まっているのを含めて、正直そんな立場を有り難がる気持ちなぞ理解出来ない。
「そんなことありません!わたしなんかがわかさまのそばつきなんてみにあまるえいよです!」
心底そう考えている、とばかりに力強い声で語る幼女。
「……あっそう。こっちからすれば期待外れも良いところだよ」
皮肉気にそう伝える。これまで追い出すのに色々無茶ぶりしたり癇癪気味に我が儘言ったりもした。だがこいつは、これまで相手した候補者の中でも特に粘り強い奴の一人だった。これ以上の無理な命令は下手したら怪我するので流石に出来ないので、最近は監督責任や名誉毀損を狙って嫌がらせしているが……追い出すのはもう少しかかりそうだ。
「も、もうしわけございません……」
縮こまって消え入りそうな声で答える付き人候補。正直虐めているよう……実際客観的には虐めでしかない……に思えて罪悪感を覚えない訳ではないが、そんな考えを振り払う。
……どうせ、獅子帝が同盟を滅ぼしたら真っ先に死にそうな立場なのだ。そんな奴の付き人なんて不運なだけだ。少しでも私と離れている方が生存率は高くなるだろう。寧ろ功徳とも言える。……そうでも思わないとやってられない。
そうこうしている内にかなり森の深い所まで来ていた。付き人候補者が根を上げるまで歩いていたが流石に深く入り過ぎた。これ以上は下手すれば戻れなくなる。仕方無く元の道を戻る。
「もどられるのですか?おともいたします!」
てくてくと後ろについていく子供。餓鬼の癖に一丁前に付き人の振りしやがって。
私は不機嫌そうに鼻を鳴らしてずけずけと進む。少し彼女には追い付くのに苦労する速さだ。尤も文句一つ言わずについてくるが……。
「よくやる……ん?」
ふとざわざわと森の茂みがざわつく。
「わかさま……」
「どうせ動物だろ?ここには肉食獣はいない筈だ。怖がらなくていいだろう?」
流石に大型肉食獣の放し飼いは危険なので、狩りの時以外は檻の中だ。狐のような雑食獣は兎も角狂暴な動物はいない筈だ。
と、動物を甘くみていた頃が私にもあった。
「えっ……?」
私は思わず間抜けな声を上げていた。
確かに草食獣ではある。だが、草食獣だから安全と考えていたのは、やはり想像力が足りないと言うことを思い知った。
……取り敢えず一つだけ言える。アメリカヘラジカってヤバいな。
獰猛に鳴き声をあげて威嚇してくる3メートル近い巨体に、私は圧倒され腰を抜かす。後で知ったがあいつら体重が1トンはあり、時速50キロで襲い掛かるらしい。信じられるか、有角犬と違って遺伝子操作していないんだぜ?動物ってスゲーよな?
明らかにこちらを睨みつけ唸り声を上げるヘラジカは本来ならば唯の狩りの獲物だが、それは武器を持った人間にとってであり、唯の貴族のぼんぼん息子には猛獣と変わらない。
「ひぃっ……!?」
ゆっくりと巨体を揺らしながら近づいてくるヘラジカを見て私は悲鳴を上げる。目の前の存在がその気になればすぐにでも自分を踏みつぶせる事が分かっていた。原始的な巨大生物に対する恐怖が思考を支配した。前世なぞ関係ない。それだけの威圧感だった。子供の体の分、一層巨大に見える事も一因だろう。
宇宙戦艦に乗るとか戦斧を振るうとかの段階ではない。暴力沙汰や流血沙汰なぞ経験が無く、その訓練すら殆どしていない餓鬼には野生動物相手でも荷が重すぎた。
だが……。
「わ…わかさま、ゆっくりとこうたいしましょう?」
情けなく涙を浮かべる私を支えながら、何者かが耳元で囁いた。ちらりと見れば、表情を強ばらせつつも自身の数倍の巨体を睨み付けながら目を逸らさない子供がいた。前世持ちの私が情けなく腰を抜かしているのとは大違いだ。
「わかさま……!」
「あ……ああ」
そう曖昧に返事をして震える足を立たせてゆっくりと距離を取っていく。その間決して正面の獣から目を逸らさない。反らしたら襲ってくると半ば本能的に理解していた。
ゆっくり……ゆっくりと静かに距離を取る。何十秒か、何分かをかけて漸く距離を取れてきた。……そう油断したのが悪かった。
「うおっ……!?」
足元の小枝に気づかずそのまま踏み抜きバランスを崩すと共に視線を反らす。
それが不味かった。次の瞬間興奮したヘラジカが唸りながら走る。
「わっ……!?」
驚く私の手を取り幼女が森の中を走った。私はそれに逆らう事なく、ただすがるように足を動かす。こんな所で死にたくなかった。死ぬのは怖かった。
幸運な事に、ヘラジカはそれ以上追いかけてくる事はなかった。もし追いかけられていたら踏み殺されていた。そう言う意味では幸運だった。
尤も問題は……。
「はぁはぁ、だ、だいじょうぶですか……?」
顔を上気させた幼女は心配そうに尋ねる。
「はぁはぁ……ああ。……なぁ……」
「な、なんでしょうか?」
「……ここ、どこだ?」
「えっ……?」
私の言に幼女はその表情を再び、そしてより強ばらせた。
必死に走って息を切らした私は恐怖から立ち直り漸くしてそれに気づいた。
屋敷の方角が分からない。
空が少し曇り、私はとても嫌な気分がした。そしてそのまま私は八つ当たり気味に幼女を睨み付け……。
「わ…きし……て…です。……かさ…」
遠くから良く知った声がする。ぼやけた視界に人影が映り何かを口にする。その声は少しずつクリアになり、そして意識も覚醒していく。
「若……若様……御起床下さい……若様?」
「んっ…?んんっ……?何だ?時間か?」
従士にそっと体を揺すられ私は現実の世界に帰還した。
「いえ……確かにそれもありますが御判断を頂くべき事案が御座いまして……」
少し歯切れの悪そうにベアトは口を開いた。
「……要件を聞こうか?」
私は状況について説明を求めた。
9月2日同盟標準時間19時20分、伝令班は最初の関門に遭遇した。山岳地帯を抜けると、その先は200キロメートルに渡り遮蔽物の存在しない雪原が出現する。山岳地帯と違いレーダーや熱探知により発見される確率は高く、本来ならばブリザードに紛れ可能な限りの速さで突き抜ける予定であった。
だが……。
「哨戒部隊か……」
山岳部の丘線から僅かに身を乗りだした私は多機能双眼鏡を目元にやり、それを見る。
数十キロ先の目標に向け、自動でレンズに映るそれを拡大する。内部のコンピューターが映像を編集してブリザードの大半を消去し、赤外線で闇夜を明るくした風景を作り出す。因みに、やろうと思えば熱源探知モードや音響探知モードもある。
「帝国軍……戦闘装甲車が2……いや3台か?」
双眼鏡のレンズは帝国軍の主力戦闘装甲車の一つ「パンツァーⅢ」の寒冷地帯対応型を捉えている。水素電池により920馬力の出力を備え、主砲は120ミリの電磁砲、副武装は汎用荷電粒子ビームバルカン砲一門、場合によっては銃座に機銃なり対戦車ミサイルを追加装備出来るだろう。最高時速は110キロ、有機強化セラミックと酸化チタニウム等の複合装甲が備え付けられ、電波・赤外線・低周波等による索敵に対抗するためのコーティング処理が為されている。電子機器では同盟軍や亡命軍には一歩譲るが、装甲材や塗装によるステルス処理や物理的防御能力は軽視出来ない。
「はい。雪原に近づいたので哨戒部隊を警戒し徒歩で偵察に出たのですが……」
「見つかって良かったというべきか、見つけてしまって不幸と言うべきか……何とも言えないな」
ブリザードの中、丘線の影でブラスターライフル片手に私の隣に控えるライトナー兄。彼が見つけてくれたおかげで、危機を事前に察知出来た。
「あれが退いてくれないと我々は目的地に行けない、と言う訳か?」
「はい。ここから先は遮蔽物はありません。ましてこちらの雪上車のステルス対策は気休め程度です。戦闘装甲車の索敵機器を誤魔化せるかと言えば……」
そもそも雪上車は半分トラック扱いだからな。軍用ではあっても戦闘用ではない。そして戦場用の車両は全て基地に置いていった。せめて装甲兵員輸送車であれば欺瞞も出来たかも知れんが……。
「離れるまで待つ、という案は?」
「問題はいつ離れるか、です。既に40分以上山岳部を監視出来る位置に展開しています」
「我々の存在を勘づかれたか?」
最悪の事態を想定する。山岳部の偵察兵に見つかったか、衛星軌道の偵察衛星に発見されたか。絶望的なものは、潜水艦が拿捕され伝令の存在を察知された事だ。
「その可能性は低いかと」
「理由は?」
私もそれは確信していたが確認のため敢えて聞く。
「第一に数が少なすぎます。周辺に散らばっているとしてもこの倍程度は展開可能な筈です。第二に賊共の練度が低い事です。待ち伏せとすれば、もう少し発見されにくいやり方があります。あれでは見つけてくれと言わんばかりです。恐らくは賊共の後方警備部隊でしょう」
「同意見だ。という事は、近隣に帝国軍の後方支援部隊が展開していると考えて間違いない。となるとこのまま待っても動く可能性は低い訳か」
私は軽く舌打ちする。少し面倒な事になったな。
「賊軍の通信傍受を試みてみましたが、秘匿回線のため内容については分かりませんでした。ただ通信頻度が極めて少ないので、賊軍の本隊との連絡が暫く途絶えても気取られる可能性は低いと思われます」
そして永遠に連絡が来なくても暫くなら誤魔化せる、という事だ。
「つまり……殺れ、か?」
「御命令さえ頂ければ」
私が曹長を見やると私を見据える曹長は決心したように答える。
「………どうやって仕留める?」
装甲戦闘車両3台に正面から戦っても勝算は無い。
「隘路に誘き寄せ、待ち伏せする。それが基本でしょう」
「地雷と対戦車ミサイルを使えば一両は殺れるか。いや、仕留められなくても待ち伏せされたとなれば隘路で乗ったままは自殺行為だ。車両を捨てざるを得ないな」
待ち伏せされたのなら相応の戦力と考える筈、その上で全滅を防ぐため徒歩での脱出を図る、そこに白兵戦を仕掛ける訳だ……なんか既視感があるシチュエーションだな。
「よし、白兵戦は任せる。奇襲はこちらで受け持とう」
私は決心して雪上車に向かいながらそう言う。すると……。
「えっ!?若様も戦うのですか?」
「えっ!?戦わないの!?」
……よし、少し御話ししようか?
「危なすぎます!若様はここで我々が戦いを終えるまでお控え下さい!」
雪上車の中で金髪の従士が叫んだ。
「そうですよ!装甲戦闘車への近接攻撃を行うのは危険です!ここで吉報をお待ち下さい!」
「大変失礼ながらぁ、白兵戦技能に関して若様は私達に一歩譲りますのでぇ、安全を考えるならぁお控えしていただきたいのですがぁ」
「ははは、否定の嵐でワロス」
満場一致での邪魔だから退いてろ宣言に私の硝子のハートは既にボロボロだ。
「若様に何かあれば一大事です……!若様は本家筋の唯一の跡取りです。このような詰まらない場所で危険に身を曝すべきではありません!我々が雑事を引き受けますので伝令の役目を御果たし下さい……!」
恭しく上申するベアト。
「若様、逸る御気持ちは分かります。ですがここはどうぞ御自重下さい。万事我々が対応致します」
「そうですよぅ、態態雑兵共相手にぃ御身を晒す必要なんてぇありませんよぅ?」
装備を手入れしながら双子がベアトに同意する。確かに可能であれば出来るだけ身の安全は確保したい。だが……。
「そういってもな。実際問題3名で確実に殺れるのか?」
その問いに三者は沈黙する。
「相手は最低でも12名、上手く一台仕留めても8名だ。3名では安全に仕留める事が出来るとは限らない」
返り討ちにあうかもしれない、とは言わない。3名の実力は本物だし、態態彼らの気分を害する必要もない。
「私達がぁ、失敗するという事ですかぁ?」
しかし、私の発言の意味を理解したように間延びした声で軍曹は尋ねる。ふわふわした声に聞こえるがどこか剣呑な響きが混じっているように思えるのは気のせいではないだろう。
「軍曹……!」
兄が主人に敵意を向けた妹に鋭い声で注意する。妹も直ぐ様頭を冷やしたように視線に混じった威圧感を拭い去る。
『……若様申し訳御座いません、御無礼を謝罪致します。如何なる罪も甘んじてお受け致します』
腐っても貴族の末裔であると証明するように宮廷帝国語を口ずさみ、礼節に基づいて頭を下げる。
『……気にするな。卿とその一族の武勇は良く聞き及んでいる。それに疑問を挟まれた心象は理解出来る』
長年貴族をやって来たのでどう対応するべきか私はすぐさま察する。同じく宮廷帝国語でそのように答える。
『軍曹、今は有事のため咎めんが非礼である事に変わりない、良く注意する事だ』
そこまで軍曹を見て語る。そしてそのまま残り二人にも目配せして畳みかけるように私は続ける。
「……さて、話を戻そう。卿らの実力は良く理解しているつもりだ。だが、ここは敵地同然だ。伏兵の存在が有り得るし、思わぬ偶然に足を掬われる可能性もある。クラウゼヴィッツの「戦争論」にもある通り、戦場の摩擦を軽視すべきではない。人数が多ければその分対応の幅は広がるし、戦力の集中は軍事の常識だ。安全を求めるならば寧ろ全員で敵に当たるべき、違うか?」
「た、確かにそうですが……」
尚も渋るようにする従士達。うむ……ここは後一押し必要か。
「それに私も戦闘の経験は一度しかないし、海賊相手、それも随分前の事だ。詰まらない戦いと言うが、私としては大きな戦を経験する前に小さな戦いで戦いの空気に慣れたいという意図もある」
「御気持ちは分かりますが……」
「それに」
私はベアトの声を遮るように言葉を紡ぐ。
『賊共は雑兵、こちらは優秀で忠実な従士が三名、お前達が控えてくれるならこちらとしては安心して戦える訳だ。迷惑をかけるが我儘に付き合ってくれないか?』
それは本音だった。どうせこの先も戦いはあるのだ。ならば早くに慣れた方が良い。同時に私は自身の言葉の与える印象を計算して言い放った事も否定出来ない。そうでなければ宮廷帝国語で頼み事なぞ言わない訳で……。
『若様……この不肖の従士をそこまで御信用いただけるとは、このベアト必ずや御期待に応えて見せます!』
金糸色の髪を持つ従士は頬を高揚させて深々と礼をする。
『そこまでの御言葉、分家生まれの我々には勿体ないものです……!このテオドール・フォン・ライトナー従士、卑しくも分家の生まれながらライトナー一族の代理としてぜひとも御供させてもらいます!』
『私もで御座います。先程の御無礼御許し下さい。このネーナハルト・フォン・ライトナー従士、一命を賭しても若様の御要望に応えさせて頂きます!』
全員同盟軍人なのに新無憂宮の言葉しか聞こえないって地味に凄いよな。後妹、口調変わってる。どんだけ興奮しているんだよ。
………いや、火をつけたの私だけどね?
何はともあれ、方針が決定した以上、後は下準備をして実行するだけだ。
帝国軍部隊を引き寄せるのは難しくない。まずは待ち伏せる隘路に対戦車地雷を埋設する。金属探知機に反応しないように出来ている代物であるが、念のため雪を良く上に乗せる。その周囲には時限式の簡易電波妨害用ジャマーも散布する。
次に無線機を使い、帝国軍の周波数で断続的な救難通信を行う。極めてネイティブな帝国語を話せ、帝国軍の通信の様式を良く知る我々には然程難しい事ではない。詳しい内容は伝えなくても良い。同盟軍のジャミングにより通信が妨害されている振りをすれば良いだけだ。
帝国軍の警備部隊は本隊に一報を入れ、その後三両が味方の救援のために山岳部に突入した。戦力を逐次投入しない、という基本的な戦術に沿った動きであり、その選択は間違っていない。
弱弱しい助けを求める通信を頼りに、反乱軍を警戒しながら戦闘装甲車三両は隘路を進む。だがそれは友軍を追う反乱軍に対しての警戒であり、足元の警戒は疎かになるものでもあった。
「地雷で足が止まった所で上から狙う、か」
隘路を見渡せるような山岳部の影から私は呟く。地雷による足止め、味方の通信を聞くためジャミングは出来ず、狙いやすい高所から、奇襲のため対応の時間は少ない。時限式ジャマーは地雷で履帯が吹き飛ぶと共に発動する事になっている。
それでも次の瞬間反撃を受ける可能性もあるので、歩兵携帯用の対戦車ミサイルでの近接攻撃は危険がつき纏う事に変わりない。
「……若様、大丈夫ですか?」
傍に控えるベアトが心配そうに尋ねる。ブリザードに揺れながら輝く金髪は幻想的だった。そして、そんな髪を持つ少女が大きな対戦車ミサイルランチャーを抱えているのは少しシュールに思えた。
「……ああ、少し緊張しているだけさ。お前だってそうだろう?」
私はどこか落ち着きの無い従士に不敵な笑みを浮かべてそう言って見せる。半分強がりであるが、確かにベアトが少し緊張しているのも事実だ。
「いえ、このランチャー……少し重いので息が上がっただけです。お気遣いは無用です」
「なら、尚の事だな。私も運ぶのを手伝って正解だろう?」
「若様にやって頂くべき事ではありませんでした」
「どうせ見ているのはお前だけだ。墓場まで持っていけば秘密は守られる」
冗談ぽく私は反論する。実際、ベアトが一人で運んでいれば、撃った後ランチャーは放棄したとしても疲れて迅速に逃げられるか分からない。やはり私が同行して正解だ。
「……申し訳御座いません」
バツの悪そうな表情を浮かべるベアト。
「何度も御迷惑をお掛けしております。その上若様の御厚意に甘えて……お恥かしい限りです」
ランチャーを調整しながらベアトは落ち込んだ声で答える。
「何、気にするな。こちらこそ甘えてばかりだからな」
昔から、な。
「それは……来ました」
雪上を走行する音が響き私達は息を潜める。岩陰の中その時が来るまで待ち続ける。車両の走行音が近づく。一両、二両……と微かな走行音が響く。
私はベアトが重そうに持つランチャーに手を添える。
「……若様?」
「……私が撃つ。支えてくれるな?」
女子であるために射撃なら兎も角、このような反動の大きい大口径の実弾兵器の命中精度は私の方が成績が良かった。私が撃つのは寧ろ当然だ。ベアトには反動を支えてもらう。
「……分かりました。お任せください」
私の意図をすぐさま理解してベアトは笑顔で肯定する。
それと同時であった。先頭の「パンツァーⅢ」の履帯を炸裂したM710対戦車地雷が引き千切ったのは。
後方の車両が慌てて車体を止める。ほぼ同時に、周囲のジャマーが賊軍が本隊に救援要請を出すのを阻止した。
次の瞬間、私とベアトはランチャーを手に身を乗り出す。私達は立ち往生する三両の戦闘装甲車の後ろ姿を見た。
照準器越しに最後部の装甲戦闘車を見据える。ベアトはランチャーをがっしり支え、照準がずれないように固定していた。各車両がほぼ自動で照準を狂わせるためのジャミングやフレアを放った。構わない。無誘導で仕留めてやるつもりだった。
私はほぼ事務的にトリガーを引いていた。衝撃と僅かな爆発音とともにランチャーから吐き出されたミサイルは、ブリザードの吹き荒れる中一直線に目標に襲い掛かった。
偽りの静寂は鼓膜を乱打する爆発音によって引き裂かれた。炎と煙が戦闘装甲車を包み、破壊された車体の破片が熱風に乗って宙を乱舞する。
「まずは一台」
炎上する戦闘装甲車を見据え、私は小さく呟いていた。自分でも怖いほどに低く冷たい声だった。
……正直既に人を殺した身ではあるが、あの時は半分自衛のような物であったし、すぐ撃たれて寝ていたので言う程に葛藤は無かった。そのため今回ちゃんと撃てるか不安であったが……信じられない程に淡々とトリガーを引けていた。
まぁ今生の人生の半分を幼年学校と士官学校で過ごしてきたのだ。ようは、人を殺す技術を学ぶのに人生の半分を費やしたのだ。心は兎も角、体は惚れ惚れする程に教育の成果を証明して見せた。あるいはそういった過去の事例から、学校が心理的に葛藤を抱きにくい教育をしているのかも知れない。まぁ、どうでも良い事だが。
残る戦闘装甲戦闘車から次々とブラスターを構えた帝国軍の軽装歩兵が勢いよく降り立った。味方が殺られたのは誘導兵器によるものだと言う事は一目瞭然であるから、装甲車に乗ったままでいるのは危険極まりない。人数は予想通り合計八人。
「降りるぞベアト。まぁ後はあの二人が片付けてくれるから大丈夫だと思いたいが……ベアト?」
ぼーっとこちらを見つめている従士に私は声をかける。
「えっ……は、はい!」
慌てて、しかし喜色の笑みを浮かべながらベアトは返答する。
「大丈夫か?気分が悪くなったか?」
「いえ、問題ありません。それよりも早く離脱しましょう!」
彼女らしからぬ少々浮足立った声を怪訝に思うが、実際早く離脱すべきであるのは明白だった。
勿体ない気もするが、一つ9000ディナールするランチャーを捨て、私はベアトに先導されブリザードに紛れながら迅速にその場を離れる。
ちらりと一度だけ後ろを見た。捨てられたランチャーは既に半分雪に埋もれていた。