帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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七十六話9時投稿
七十七話12時投稿の予定


第七十六話 請求書はコクラン大尉宛てでお願い

 テレジア・フォン・ノルドグレーン少尉は、その時点でほぼ手足の自由を回復したと言ってよい。一応縄は巻かれているがその実、良く確認すれば多少力を入れてやれば解くのは極めて容易な状態である事が分かる。

 

(行きましたか……)

 

 呼び鈴の音に一瞬緊張した。訪問者によっては一層状況が悪化する事もあり得たのだ。住民の姉弟、特に姉の方に指で文字を書いて尋ねたが、どうやら客や親族が訪問する予定はないようであった。そうなると考えられる訪問者は限られてくる。特に外は夜となれば警察か、軍人の可能性がこの状況では一番有り得る。

 

 どうやらトラブルもなく訪問者は去ったようであった。出来れば事態に気付いてもらいたいが………。いや、期待は禁物だ。常に最悪を前提に行動していくべきだろう。

 

 腕時計の針から現在の時間を民間人の姉弟に尋ねる。小さな指で掌に書かれた数字は2000である。つまり午後の20時、という訳だ。

 

(明日頃になってから行動した方が良いですか……)

 

 早くどうにかしたい、という焦燥感を押し殺すノルドグレーン少尉。

 

「あ、あの……私達は、どうすれば……」

 

 おどおどと緊張気味に尋ねてくる幼い少女の小声。その強張りぶりは、ある種愛らしくもある、が状況が状況である。彼女達にも役目を与えるほかない。

 

 事が起きれば彼女達には窓からでも逃げて近所や警察に連絡に行ってもらうつもりだった。自分が制圧され、殺害されても情報だけは伝えなければならないし、人質にされる危険もある。逃げる途中に狙撃される危険もあるが、どうせこの屋敷を引き払う時に皆殺しにしかねない事を思えばその方がマシだ。

 

(酷な事ではありますが………)

 

 暴力や脅迫に屈してはならない、それが帝国の治安維持の基本である。市民一人一人が社会を壊乱させる危険思想と叛徒と戦う意志を示し、妥協せず、屈せず、抗わなければならない。全ての市民が「私」より「公」を優先するが故に社会の害悪は迅速に取り除かれ、それによる新たな犯罪の発生を防ぐのだ。

 

 まして秩序維持の尖兵たる士族階級であれば尚更である。子供とは言え最低限の義務を果たさなければならない。そのための身分制度であり、それに付属する名誉と特権である。

 

「い、いいんですか……?そ、その……私達も戦った方が……」

 

怯え気味に、伺うように進言する姉。

 

(これはまた……)

 

 子供の分際で随分としっかりしている姉だ。士族階級としての自覚を良く教育されているようだ。好ましい、が……。

 

 少女の掌に「否」と文字を書く。心意気と義務感は認めるが実力が伴わなければ弾除け、いや子供では弾除けにもなるまい。その善意だけはもらっておこう。

 

(本当に、しっかりした姉ですね……)

 

 その心の中で反芻し、複雑な心境になる。自分だけが引き摺っているのは分かっている。それでも割り切れないのも確かなのだ。

 

(御姉様……)

 

 最近は忙しく実家に帰って来ない。元気にしているだろうか?今度久々に会いに行こうか?

 

(………私も愚かですね)

 

 ここまで醜態を見せたのだ。結末はどうあれ、全て終わった後生きていれば自決しなければ恥を雪ぐ事は出来まい。姉に会う時間があるとは思えない。そんな事を思いつく自分はやはり未熟者であった、という事か。

 

 思わず自嘲の笑みが零れる。自分は未熟者か。ああ、その通り未熟者だ。実戦経験なぞない。予備役だ。それどころか従士の分際で「主人」に対して不満と怒りも抱いている。従士の立場でだ……!多くの恩寵を受けて来た従士家の生まれの癖に!

 

 止めはこの状況だ。笑うしかないだろう?身を挺して庇って死ぬならまだしも、関係無い場所で捕囚となるなんて……!

 

 陰鬱で、屈託した表情で自身の状況と醜態につい思いを巡らす少尉。目元と口元を塞がれた彼女の表情を見つめる姉弟はつい、自身の過失でもあったのかと不安そうに手を握るが、少尉にはそれを視認する事は出来なかった。

 

 尤も、そんな事をしていられる内は幸せだったかも知れない。

 

 突如、勢いよく扉を開く音が響いた。物置部屋に光が差し込む。

 

「ひっ……」

 

 しかし、七歳になるユルゲンはようやくの光に怯えながら小さな悲鳴を上げた。

 

(逃亡兵ですか……)

 

 何の用だ、と逡巡する。が、すぐに冷静にそんな事を考える余裕は消える。

 

「うぐっ……!?」

 

いきなりその細い首を鷲掴みにされ、立たされる。

 

『け、やっぱり良い体しているこった。貴族様は美容に金かけられるからか?』

 

 赤ら顔に酒気を纏ったまま、舐めるような表情で軍服越しにそのスタイルを推し量るのは少尉を背負って屋敷まで運んでいたアムル上等兵であった。

 

 元々、逃亡兵達の中でも特に素行の悪い上等兵はその軍歴も酷いものだ。12歳から少年兵として戦ってきたが、その間に陣営を変える事四回、上官ないし同僚の殺害三回に及ぶ。戦闘の後の略奪や虐殺も「命令」の名の下に平然と行い、金歯を生きたままペンチで引き抜く事や指輪を指ごと頂戴する事もあった。強姦致死や窃盗も当然ながら経験がある。流石にサイオキシン麻薬は同僚に廃人になった者がいるためやっていないがアヘンやコカインは嗜みとして常用していた。

 

 同盟政府の後ろ盾を得た暫定星系政府がバハルダールで最後の有力地方独立勢力を制圧した際も従軍した。戦闘自体は同盟政府より装備や情報、訓練、精密爆撃等の支援を受けた暫定政府軍の勝利に終わったが、その際彼の部隊は同盟マスコミが撮影する中で住宅の放火や略奪を行ったがために暫定政府軍より武装の取り上げと解雇を命じられた。その際、後三日で給与受け取りだっただけに怒りのあまりに上官と数名の兵士を殴り飛ばしたためにすぐに豚小屋に放り込まれた(尤も給与が安定して耳を揃えて支払われるようになったのは近年の事だが)。

 

 その後、昔ならば銃殺ものであるが人道がどうの、法整備がどうの、とその上官が小難しい事を言い、書類を渡された。亡命軍とやらへの志願書らしい。その給与目当てに即刻サインし解放されたが、この新天地でもやはり問題はあった。

 

 厳しい軍規、窃盗一つでも揉める上、コカインどころかアヘンすら取り上げられた。アルコールの購入すら面倒な手続きがいるし、娼館に行く事も出来ない。何より厳しい教練が不満を与えた。多くの軍閥や武装組織での訓練は取り敢えず人間に銃を撃てれば良かった。そこに身の隠し方や銃剣術、投擲技術があれば満点だ。同盟軍式の訓練を受けた暫定政府軍の精鋭部隊は兎も角、大半の兵士達は実際このレベルであり、亡命軍の訓練に中々馴染めないものだ。反乱は師団長以下の士官達の実力と監視から難しい。そのために突発的な今回の逃亡劇に参加した。

 

 特に女日照りしており、そこらから誘拐でもしようかと思った所でこの人質、だがフェデリコから止められたためにストレスを溜めていた。特に親しいザルバエフ上等兵と酒を飲みながら愚痴り合っていた所、後ろか口ならいけるだろう、と提案され、酔いの勢いもあり顔を赤らめながらここに一人来たのだった。 

 

『へへ、まぁお楽しみと行こうや』

 

 そしてぎろり、姉弟を睨み付け、片言の帝国公用語で逃げればこの貴族を殺す、と命じる。同時に姉の方を見て、幼いがこっちも後で使ってもいいか、等と考える。貴族でないから多少乱暴に使い潰してもいいだろうと言う訳だ。

 

 人質の貴族をベッドに投げ捨てて上から襲いかかろうとする上等兵。一方、少尉はここで抵抗するべきか、一瞬迷う。ここで仕掛ける事は可能だ。靴底のナイフなり胸元のボールペン型仕込み銃を使えばこの距離ならいけるだろう。問題は仕掛けた以上最後までやれるか、だ。

 

 そこまで考えて、少尉は戦略を決定した。迅速にこの野獣を気付かれずに処理して、そのまま姉弟と窓から逃亡するのがベストだろう。

 

「オトナシクシロ、テイコウスル、ガキヲツカウ」

「っ……!」

 

 その言葉の意味を理解すると、同時に少尉の動きが一瞬鈍る。

 

 つまり、自身が相手にならないならばそこにいる士族の娘が代役になる、と言う意味であると理解したためだ。

 

 その事にふと、恐怖を抱いた。本来ならば全く痛くも痒くもない言葉である筈であった。相手はついさっき会ったばかりの子供である。その上貴族ではなく士族だ。自分より格下の身分である、どうなろうと問題ない筈だ。

 

 だが……だが、その「姉」が犠牲になる、という事実を理解したと同時に身体が強張る。それを狙ったのか、偶然か。兎も角もその一瞬の抵抗の空白が徒になった。手首を抑えられた。

 

「………!!」

 

 もし口元が塞がれていなければ悲鳴を聞く事が出来ただろう。

 

 慌ててもがいて逃げようとするが蛮国の野人らしく腕っぷしだけは本物らしい。男女の筋力の差もあろう。腕の拘束は解ける事はない。

 

 モスグリーンの上着を胸元から掴まれて、力任せに引き裂かれる。軍用品だけあって防刃繊維で作られた丈夫なものであったが釦が飛び、糸が千切れる音が響いた。

 

『けっ、やっぱり良く成長しているなぁ?』

 

 その言葉の意味は分からなかったが、凡その意味は本能的に察していた。目元から熱い何かが溢れ出し、体が急速に熱くなるのを感じた。これまで以上に激しく抵抗をする、しかし感情的に暴れては意味がなかった。

 

 そして、男が白いカッターシャツに手を伸ばして引き千切ろうとしたと同時であった。雷撃のような轟音と共に窓硝子が粉砕されたのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青白い電流の光が一瞬発光したかと思えば、次の瞬間には大音量で窓硝子が粉々に砕け散り、そのエネルギーはベッドの上で狼藉を働こうとしていた兵士を貫いた。

 

「グゴッ…………!!?」

 

 凡そ人体が耐えられる最大レベルの電撃を背中から撃ち込まれた兵士は短い悲鳴を上げて倒れる。下手すれば神経系に障害が残りかねないが致し方なかった。窓硝子を破壊してから改めて相手に一撃与えるような危険で器用な真似を期待されても困る。

 

 一方、倒れた兵士が覆いかぶさった少尉の方は困惑……いや、混乱していた。視界が塞がれた状態で雷が鳴るような轟音が響き、すぐ後に先程まで揉めていた逃亡兵が力無く倒れていれば残当である。

 

 恐らく今の銃声で異変に気付かれた筈だ。ここから先はスピード勝負だ。

 

 私は割れた窓から室内へと身を乗り出すように侵入する。同時に怯えたように抱き合っていた子供達に帝国公用語で声をかける。

 

『そこは危ないっ……ベッドの下に潜れ!』

 

 銃撃戦が始まれば流れ弾が飛んで来る可能性は高い。物置部屋に隠れるのも手だが、それより身を低くしてベッドの下に隠れる方が余程安全だろう。

 

「少尉っ……大丈夫かっ!?今助け……」

 

 そのまま子供達を誘導してベッド下に潜らせた後、少尉の縄を外そうとして振り向くと……次の瞬間には両手足首の縄を全てほどいていた従士を視界に見出だした。

 

……あっはい。自力で逃げ出せたんですね。

 

……少し恥ずかしい。

 

 口元のガムテープを勢い良く外した少尉が明らかに驚いた調子で口を開いた。

 

「若様……!?一体何故……!?」

「話すのは後だっ!」

 

 奴さんが来たようだ。少尉の近くにブラスターを投げた後、廊下を挟んで居間と子供部屋から私と逃亡兵は銃撃戦を開始する事になる。

 

 乾いた火薬式小銃の銃撃が廊下に響き渡る。辺境外縁域の連中はブラスターよりも火薬式のアサルトライフルの方が馴染み深く、そちらを好んで使用する事が多い。同盟地上軍正式採用のM4自動小銃であろう。発砲音が士官学校の射撃練習で聞き覚えがある。

 

「畜生……好き勝手撃ちやがって……!」

 

 大電力を使用するパラライザー銃は最低威力(人体を30分行動不能にする威力)でも30発、先程の最大威力は一撃に5発分の電力を使う。電力を使うのでバッテリー式であるが、ブラスターと違い少々大型であり、二つ分しか用意出来ない。最低威力で後85発分である。銃撃戦であると考えると無駄遣いすればあっという間に撃ち尽くす事になろう。

 

 それでも牽制射撃に数発の電撃を撃ち込む。青白い電撃が拡散しながら廊下の向こう側に叩き込まれるが有効打は与えられない。

 

不味いな。体勢が整う前に勝負を付けたかったが……。

 

 焦燥感を感じつつも更なる射撃を行おうとした瞬間……隣から影が飛び出た。  

 

「少尉……!」

 

 身を低めて疾走する少尉。反応した逃亡兵が少尉に向け銃撃するが転がるように銃弾を回避する。まるで猫のようなすばしっこさだ。

 

『ちぃ……!』

 

 弾切れからマガジンの交換をしようとした所に接近してブラスターを構える少尉。

 

 頭に向けた銃撃を紙一重で回避する逃亡兵は、しかしそのためにこちらへの警戒が薄れた。

 

「そこっ……!」

 

物陰から飛び出すと私は電撃を二発連続で撃ち込んだ。

 

 所謂軍用の野戦服は簡易な対レーザーコーティングの為された鋼質繊維や難燃繊維、断熱繊維等の化学素材からなり、軽度のブラスター、火薬銃、火炎放射器や赤外線暗視装置等に対する耐性を有している(気休めレベルだが)。当然パラライザー銃等の電気兵器に対する対抗策として絶縁能力を有する特殊合成ゴムも素材に混ぜこまれていた。

 

 無論、所詮大量生産品の野戦服、重装甲服とは違い無いよりマシ、という程度の意味しかないがそれでも反撃される訳にはいかない。衣類の防護を受けていない手か首回り、頭部を狙った。

 

 一発が胴体に、もう一発が首の近くに命中したのを確認した。

 

『ぎやぅっ!?』

 

 鶏が締められる時の断末魔のような悲鳴を上げるとそのままうつ伏せになり倒れる。二発も食らえば数時間、いや下手すれば半日は動く事も出来まい。

 

「少尉、止めは刺すな、そいつらは軍法会議行きだ」

 

 恐らく私がパラライザー銃を装備している事から理解出来るであろうが、念のため伝える。壁際でしゃがみながら隠れる少尉に駆け寄る。

 

「若様っ……!なぜ御一人でこのような所へ……!?」

 

 顔を周囲に回しながら警戒しつつ、私に尋ねる少尉。良く見れば手に持つブラスターはハンカチか何かで縛られ右手と固定されていた。左肩と右腕に銃創があるのが分かった。恐らく痛みでブラスターを落とさないようにするための工夫であろう。

 

「そりゃあ、味方の危機を放置出来んだろ?」

 

 強姦場面を窓から見守るとか「人間失格」かよ。悪いがそんな特殊嗜好はない。

 

「まぁ……一人でどうにか出来たみたいだから、逆に足を引っ張ったようだが……」

 

 先程の動きを見る限り、少尉ならば静かに相手を無力化出来た可能性がある。そうなるとド派手に窓硝子を吹き飛ばしてほかの逃亡兵に気付かれるような行いをした私は足を引っ張ったと言える。

 

そして一旦ちらりと少尉を見た後慌てて目を泳がせる。

 

「少尉、こんな時に……ちぃ、新手か!」

 

 連続する銃声に廊下から広間に繋がる扉を影に身を伏せる。

 

 障害物に隠れつつ広間に手鏡をちらりと出す。広間の奥にソファーを盾に隠れながら銃撃を敢行する兵士が二名。その傍のテーブルの下には老夫人が身を伏せて怯えている。

 

 幸運にも人の盾にはされていないようだ。唯でさえ人質の効果の薄いこの星で、生い先短い老人では人質にはならないとでも判断したのか。その意味では比較的やりやすくなっている。

 

……それでも困難には違いないが。

 

「……迂回する。少尉、ここで奴らを牽制しろ。無理して仕留めなくて良い。あの婆さんに当たらないよう適当に撃ってくれ。その隙に横の廊下を通って背後から襲撃する」

 

私が命令すると、少尉が強い声で反対する。

 

「若様、危険です!迂回ならば私が……」

「いや、少尉では両腕の怪我で重いパラライザー銃を持つのは厳しいし、射撃の精度も期待出来ない。私の方が適任だ」

「しかし……!」

「時間がない。援護しろ!」

 

 少々横暴であるが、実際立ち直りの時間を与える訳にもいかないので強引に議論を打ち切り命令する。まぁ、階級上だし、身分も上だから、多少はね?

 

私はそう言って立ち上がり駆けだす。

 

「若様……!?」

 

 悲鳴に近い声を上げつつも少尉は自身の仕事を完璧に果たしてくれた。廊下をかけ、横の扉を通り過ぎるために数秒間私が絶好の的になる事を防ぐため、咄嗟にブラスターを連射して相手の応戦を封じた。すぐさま反撃の銃撃が襲い掛かるが私は既に射角から外れ、少尉も壁を盾にして身を守っていた。

 

 パラライザー銃を構えながら廊下を曲がり、居間に繋がる書斎に向かおうとする。

 

「げっ……!?」

 

 同時に階段を下りて味方と合流しようとしていた逃亡兵の一人と鉢合わせした。

 

「「……!」」

 

 互いに横に突っ込むように跳びながら銃撃。当然双方ともに命中する事は無かった。転がるように互いに着地して再度の発砲。小さな爆発音。

 

「熱っ…痛ぇ……!?」

 

 パラライザー銃にブラスターライフルの閃光が命中すると放電と共に銃身が小さな爆発をする。銃身を構成する細かな部品が発火し、煙を出しながら弾けて軽い火傷をする。この様では恐らく壊れたか、そうでなくても次引き金を引けば暴発しそうであった。

 

 尤もそれは相手も同様だ。パラライザー銃から放射された電撃は精密電子機器とエネルギーパックを利用するブラスターライフルの内部構造に致命傷を与えたらしく、逃亡兵の手にあるうブラスターライフルからは明らかに良くない煙と金属が焼ける臭いが周囲に流れる。

 

 私と目の前の兵士は、コンマ一秒唖然とし、沈黙する。だが、次の瞬間には逃亡兵は腰の回転式自動拳銃を、私は伸縮式電磁警棒を引き抜いていた。相手が私に向けて引き金を引く。が、互いに近距離であったのが幸運だった。全長四十センチの電磁警棒は拳銃を横から殴りつける。発砲と共に銃弾は私の、恐らく額から十数センチ横を通過して壁に小さな穴を開けた。

 

『ぐおっ………!?』

 

 余りの衝撃であったからだろう。拳銃を持つ手に受けた痛みに小さな呻き声を上げる逃亡兵。だが、相手も歴戦の兵士なのだろう。反対の手は胸に備えた軍用ナイフを瞬時に掴んでいた。

 

 野球ボールを投げるように投擲してきた軍用ナイフを転がるように殆ど反射的に避ける。チュンや不良学生の訓練用戦斧を避ける経験が無ければ間違いなく胸元に命中していた。一応装着している簡易防弾着と軍服には防刃機能があるが前線で使うものではないし、そもそも軍用品の常として入札で一番安い価格で生産された装備だ。過剰な期待は出来ない。

 

「く……このぅ……!」

 

 私は崩した体勢を全力で立て直しつつ殆ど前のめりになって逃亡兵に近接する。私にはもう飛び道具はない。対して相手には旧式もいい所だが拳銃がある。距離を取られたら勝ち目がなくなる。

 

 相手もそれを理解しているのだろう、拳銃をこちらに向け慌てて一歩後方に下がり……。

 

『……!?』

 

 壁に背が当たり動揺する逃亡兵。戦闘に必死になりここが室内だと忘れていたのか、そうでなくても半日どころかせいぜい数時間しかいない屋敷の空間全体を完全に把握するのは簡単ではないだろう。その一瞬の動揺が徒になる。

 

『ぎぃっ……!?』

 

 私は逃亡兵の拳銃を持つ手を、より正確にはその指を警棒の突きで潰した。壁と警棒にサンドされた指の骨は折れた、少なくとも重度の打撲は負った筈だ。そこに電磁警棒の電流を受ければ恐らく腕は火の中に突っ込んだような激痛を受けている事だろう。

 

 憎悪の視線に瞳を潤ませて予備のナイフを引き抜こうとする逃亡兵。この距離から投擲、いや普通に斬り付けても間違いなく首元に致命傷を与える事は可能だろう。当然それを許しはしない。

 

 次の瞬間には電磁警棒が斜めに走り逃亡兵の頭部を殴打する。死なない程度に、しかし電撃も相まって確実に意識を刈り取る。

 

 目の前の逃亡兵を無力化する……と共に汗をどっさりと流して、一瞬膝を折る。

 

「はぁ‥はぁ……毎度毎度、宇宙暦に近接戦闘とか気が狂ってるな……!」

 

 おい、今の戦闘で何度殺されかけた?何で貴族の士官なのにこんな所でこんな戦闘しているんですかねぇ……!

 

「……はぁ、行くか!」

 

 息を整えて当初の目的に戻る……には問題がある。パラライザー銃がやられた。仕方ないので目の前でぶっ倒れている逃亡兵から拳銃と予備の弾薬を拝借する。回転式自動拳銃ならば使用経験はある。貴族様は黒色火薬の先込め銃を決闘で使うのだ。回転式自動拳銃だって使う。

 

「狙いは手足、頭は可能な限り狙わない、か」

 

 無論、出来ればだが。流石に自分の命と引き換えにするつもりはない。

 

 廊下を走り書斎から広間に出る。ナイスだ。ソファーを盾に少尉と銃撃戦をしている二人組がこの角度ならば丸裸だ。

 

『……畜生!アンネンコフの奴、殺られたか!』

 

 浅黒い顔立ち……恐らくムタリカ伍長がこちらに素早く火薬銃の銃口を向ける。

 

「ちぃ……!」

 

 拳銃を数発撃ち込むとすぐさま身を翻して物陰に隠れる。同時に連続して金属の弾ける音が響き渡る。ヒュンヒュンと鉛弾が宙を切り裂く音が響き渡る。

 

 銃撃の間隙を縫い、私は身を乗り出し発砲する。悪いが身を隠すものがある以上、私の方が圧倒的に有利だ。

 

『ぐっ……!糞貴族がっ!』

 

 何やら罵倒に近い言葉を吐き捨てながら伍長は銃口をこちらに……やべ、グレネード……!

 

 私は全力でその場から逃げる。同時にポンッ、とある種間抜けな音と共に射出されたグレネード弾は壁にめり込むと共に大爆発を起こした。床に伏せ、巻き上がる黒煙と火炎から身を守る。畜生、派手に吹き飛ばしやがって……!後で来る請求書と始末書が怖いだろうが!

 

 グレネードの爆音で耳鳴りが酷いが(鼓膜破れてないよな?)、急いで立ち上がり、再度応戦しようとするが、その時には既に二人の逃亡兵の姿は消えていた。

 

「ちっ……どこに行きやがった……!」

「若様!御無事ですか!?」

 

必死の形相でこちらに向かう少尉。

 

「大丈夫だ!それより……」

 

 恐らく激しい銃撃戦の真ん中でひたすら耐えていたであろう夫人に駆け寄る。

 

「フラウ・ブロンベルク、御怪我は!?」

 

耳鳴りが酷いので大声で、少々荒々しく尋ねる。

 

「い、いえ……私は大丈夫で御座います。そ、それより孫と夫が……」

「この家の人質は何人ですか!?」

 

 大声で怒鳴るように聞くので夫人も少々怯えるが、すぐに答える。

 

「ま、孫が二人に、夫が二階に……後、女性の軍人の方が……」

「孫と軍人は安全です!少尉!フラウを子供達の下に!その後二階の主人の方を!」

「わ、若様は……!」

「奴らを放置出来んだろうが!少尉はのびている逃亡兵に手錠して、家族の保護をしろ!」

 

 怪我をしている少尉を比較的安全な場所に待機させる目的もあり電磁手錠を投げてそう命令した後、私は拳銃を構え、恐らく逃亡した先であろうキッチンの方向に向かった。

 

そして、キッチンのある広間に入ると同時の事であった。

 

「うおっ……くっ!?」

 

 私は爆風と黒煙に身を伏せる。逃亡兵達がグレネード弾で吹き飛ばした窓硝子から外に逃亡したのは……。

 

 

 

 


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