帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第八十七話 ロビンソン・クルーソーの正式な作品名は長すぎる

 個々の兵士達の奮戦空しく、戦闘は5月13日の時点で尚、どちらが優勢か解らぬままに前線各所では小競り合いが続いていた。

 

「反乱軍の補給も続くまい、恐らくは5月16日以降、遅くとも20日頃までに奴らは撤収する事になろう。我らはそれまでに奴らの正面戦力を叩き、可能であれば迫撃で更なる損害を与えねばならぬ」

 

 イゼルローン要塞司令部とモノレールで直通する最高級指揮官用の大食堂で食事を摂るミュッケンベルガー大将は答える。

 

 きらびやかなシャンデリア、軍楽隊によるクラシック演奏、従兵とコックが恭しく控え、天然高級木材の長テーブルの上には金塗りの燭台に銀のフォークやナイフ、美しい高級食器にはそれに相応しい豪華絢爛な料理の数々が並ぶ。無論、料理の食材は全て要塞内に設けられた農耕区画で作り出された天然有機栽培である。

 

 だが、卑しき平民共なら兎も角、そのような席に座る者達はその程度どうと言う事はない。華美な内装も、豪華な料理にも特に感動せずに要塞防衛司令官の言葉を反芻する。

 

「要塞主砲さえ撃てれば戦況はひっくり返す事が出来ますが……」

「今や敵味方共に要塞砲の射程内、一部では混戦状態の戦線まである。これでは早期の決着はつけられませんな」

 

 ナプキンで口元を拭う要塞陸戦隊司令官シュトックハウゼン少将、続いて従兵にグラスにワインを注がせる要塞後方支援部隊司令官グライスト少将が口を開く。

 

「左様、お蔭で私なぞ職務がなくなり退屈している程ですからな。働くのは艦隊や後方支援職ばかり」

 

 要塞主砲管制司令官リッテンハイム技術准将は肩を竦めながら銀食器の上のラム肉のソテーをフォークで突き刺し特に感動もなく口に運ぶ。

 

「空戦については若干こちらが優勢に傾きつつありますな。これも要塞の後方支援の賜物です」

 

 自身が三桁の単独撃墜記録を持つ元エースパイロットの要塞空戦隊司令官シュワルコフ少将は自身の指揮する空戦隊の善戦に機嫌良さげにシャンパンを呷った。体力と精神力が生死を別けるパイロット達にとって艦艇の中よりも要塞の中の方が安堵して休息をとれるのは言うまでも無いことだ。

 

「ふん、詰まらん。これでは前線まで来た意味がないわ。いっそ反乱軍共の一個軍団でも揚陸してくれば良いものを、これでは腕が鈍ってしまう」

 

 三羽目の七面鳥の丸焼きを食べきった屈強な偉丈夫はナプキンで汚れた口元を拭う。装甲擲弾兵副総監兼装甲擲弾兵第三軍団司令官オフレッサー大将は明らかに暇をもて余していた。余りに暇なせいで要塞内の闘技場で鍛錬どころか部下達と勝ち抜きのトーナメント戦を行う程だ。尤も、部下達からすれば一個分隊で襲いかかっても薙ぎ払われる上官と一対一で戦うなぞ罰ゲームに等しい。

 

 蛇足ではあるがこの試合は要塞内の下士官兵達にも好評であった。酒のつまみの余興や賭けの対象にして要塞内での娯楽の一つにしてしまった。見世物にされる者達からすれば不本意ではあるだろうが。

 

「卿が暇なのは良い事だ。卿が仕事に精励する頃には私は要塞失陥の責任を取り毒を呷らねばならん」

 

 ミュッケンベルガーの言葉は一見不機嫌そうではあるが、実の所それは生来の威厳と同時に険しさのある顔のせいである。実際は嫌みでも何でもなく、ただ淡々と事実を口にしているだけだった。

 

「グライフスは軍功を挙げているというに、同じく増援として来た俺が要塞内でお遊びに興じては話にならんのです」

 

 実際、精強な装甲擲弾兵軍団を引き連れてやることは毎日鍛練と試合ばかりと来れば口の悪い一部の艦隊要員や後方支援要員からすれば最前線で何をしに来たとも思いたくもなるもので陰口を叩く者もいない訳ではない。

 

 無論、そんな彼らも当の装甲擲弾兵達の目の前で糾弾する勇気はありはしないのだが……。

 

 つまらなそうに鼻を鳴らすオフレッサーはそのまま苺と生クリームのたっぷりかかったチョコレートババロアの大皿に手をつけ始める。

 

 恐らくは十人分はあるだろうそれを頬に傷跡の残る武人が大きな口を開き黙々と食べ続ける姿はシュールではあるが今更諸将も従兵達も誰も驚かない。ぎょっと見つめるのは彼がこの要塞に赴任した初日の晩餐会で経験済みであった。

 

「卿にはこの戦の後の反攻に助力願いたい、叛徒共が撤退すれば各地の惑星で持久する友軍の救援が必要となろう。その際に好きなだけ暴れれば良いのだ」

 

 イゼルローン要塞から同盟側出口の幾つかの惑星では同盟軍の攻勢により取り残された帝国地上軍や宇宙軍陸戦隊が地下に、残存宇宙軍が小惑星帯や辺境星系などに籠り抵抗を続けている。彼らは反乱軍の兵站を脅かすために時として星間ミサイルによる攻撃や、偵察と情報送信も担っている。

 

 そのため反乱軍も帝国軍の残存部隊の拘束と兵站の警備のため相応の地上軍と宇宙軍を展開せざる得ない。帝国軍から見れば反乱軍の遠征軍が撤退次第、これらの残存部隊と連携した反攻作戦を行い回廊出口周辺の制宙権の奪還を予定している。ミュッケンベルガー大将も態々一〇万もの増援の陸戦部隊を遊ばせるつもりはない。

 

「尤も、叛徒共もここでむざむざ兵站の限界が来るまで無策という訳も無かろう。さて、どのような策を仕掛けて来るのだかな」

 

 そう語りつつ、グラスを揺らす要塞防衛司令官。その呟きに少々浮かれ気味であった諸将が沈黙する。

 

 そこにまるで見計らうように従兵がミュッケンベルガー大将の耳元に耳打ちに来る。小さく頷いたミュッケンベルガー大将は席を立ち、場の者達に通達する。

 

「どうやら晩餐はここまでのようだ、叛徒共が動き出した」

 

 諸将は次々に立ち上がり、司令部に向かう。その場に残されたのは煌びやかに彩られた食事の山だけであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひはっ………!!?」

 

 私がどことなく息苦しさと不快感を感じ、目覚めたと同時に目にしたのは暗黒の世界だった。

 

「な、なんだこれはっ……ひっ!!?」

 

 パニック状態になった私は次の瞬間思い出す。そうだ、私はシャトルの座席でうつ伏せの状態で身体を保護していた筈だ。だが突如凄まじい衝撃がシャトルを襲い気が付けばシャトルの前半分が無くなっていた。視界は激しく揺れるシャトル内部でそこら中を舞いながら破片が空気と共に吐き出される光景がフラッシュバックする。

 

 私は悲鳴を上げていた。引き千切られた回線からは火花が散っていた。緊急警報のアラート音は空気が薄れる事で次第に消えていた。私は慌ててヘルメットのグラスを閉めていた。外に出されそうになる私の手を握ってベアトがヘルメット越しに何やら口を開いていた筈だ。そして次の瞬間シャトルはデブリに向けて突っ込み………。

 

「ベアトっ!?ベアトっ!!どこだっ!?どこにいる!!?」

 

 私は慌てて周囲を見渡す。どうやら私はシャトルの残骸内部に固定されているらしい。衝撃に備えた安全帯のお陰で宇宙空間に放り出される事態は避けられたらしいが今大事なのはそんな事ではない。

 

 私は何分……いや、何十分、あるいは何時間気を失っていた?残念ながら腕に付けている発条仕掛けの腕時計は宇宙服越しでは見る事は出来ない。宇宙服内部の不快感からそれなりの時間は経っている筈ではあるが……。

 

「そ、そうだっ!酸素残りょ……うえっ……ヴえぇぇっ!?」

 

 酸素残量メーターから気絶していた時間を逆算しようとするがここで今更のように吐き気がぶり返し、緊張感から宇宙服内で吐き出す。

 

「はぁ…はぁ……はぁ………くそっ…うえぇぇ……!!」

 

 こんな目に合う前にビニール袋の中で粗方吐き出していて幸いだった。お陰で吐き出した量は少なく、臭いもそれほどでもない。それでも胃が気持ち悪く、目元からは涙が出る。動悸が激しくなり、呼吸が荒くなる。

 

 落ち着け……!ここで無駄に酸素を浪費するなっ!酸欠で死ぬぞ!私は自分に言い聞かせるが体は相変わらず過呼吸に近い状態になっていた。

 

「ち、畜生……!」

 

 私は息苦しさと吐き気に耐え、必死に頭を働かせて酸素メーターを確認しようとする。ベアトが近くにいないのならどこかに飛ばされた可能性が高い。ならばベアトを早く回収し、酸素を確保出来る場所に向かわなければ二人共死んでしまう。いや、デブリの破片で負傷している可能性もあった、その場合は治療もしなければならない。こんな所で情けなく漂っている訳にはいかないのだ。

 

「濃度は……はぁ…はぁ……」

 

 理解している。しなければならない事は理解している。だが、それでも私は恐怖と緊張と不快感から完全に錯乱していた。

 

「あっ……ああっ……い、嫌だっ!し、死にたくない!だ、誰かっ!だれかいないのかっ!?たすけて……べ、ベアトっ!おねがい……おねがいたすけてっ………!」

『若様っ!』

 

 殆ど子供が泣きじゃくるように助けを求める私の声に、宇宙服内部のオープン回線からの良く聞き慣れた声が答えた。

 

 私は涙で曇った視界で必死に周囲を見る、そしてようやく遠くからこちらに近づく人型をを見つける。

 

「べ、ベアトっ……!」

 

 私は必死にそちらに向かおうと宇宙遊泳しようとして、安全帯で固定されている事に気付きそれを切断しようとする。

 

『若様っ!お止めください!そちらに行きますのでそれを切断してはなりません……!』

 

 慌ててベアトが注意する。その声に私はようやく冷静になる。そうだ、宇宙遊泳なぞ私が特に苦手な分野ではないか。人体を固定する安全帯を切断したが最後自身の体がどこに飛んでいくか分かったものではない。情けないがここはベアトが来るまで待つべきだ。

 

 私は未だ荒れる呼吸を可能な限り落ち着かせる。気が付けばベアトはこちらのすぐ近くまで近づいていた。相対距離や慣性、バックパックの空気の残量を気にしているのだろう、ゆっくりと、慎重に近寄り……そのまま私に抱き着く。

 

 その意味を理解した私は無線通信を切り、ヘルメットの視界確保用のグラス部分をベアトのそれにくっつける。無線では電力を使う。グラスの震動により会話をするのだ。

 

「申し訳御座いません、若様。御一人を残してしまいました」

 

 グラスの向こう側の金髪の従士は沈痛な表情をこちらに向ける。心から悔やんでいるようであった。

 

「若様が気絶為されておりましたので、こちらに固定させて頂き周辺の調査を行っておりました。若様は無重力が苦手で御座いますので下手に意識を取り戻されても不快感を感じると考え事前に御伝えせず申し訳御座いません」

 

 その説明は私を納得させるに十分だった。確かに私が意識を取り戻しても先程のように狂乱状態になるだけであろう。私が無駄に時間と酸素を消費するばかりか、このまま面倒を見る事になれば周辺調査の邪魔でしかない。

 

「い、いや……大丈夫だ。お前の考えは当然の事だ……。済まない、思わず取り乱した」

「いえ、若様の混乱は当然の事です。配慮を怠った私の責任です」

 

 ベアトは私の言に、しかし寧ろ罪悪感を感じるような表情を浮かべていた。

 

「そ、それで……どうだった?周囲はどうなっている?どれ程時間が経った?これからどうすればいい?」

 

私は懇願するように尋ねる。

 

「はい、まずここは見ての通り戦闘後の艦艇の残骸が漂うデブリ帯です。シャトルはどうやら主戦場から離れた宙域に移動していたようです」

 

一拍置いてベアトは続ける。

 

「時間は酸素の残量からの推測ですが遭難より一時間余りは経過しております。最後に今後の事につきましてはこのままでは最大でも二時間以内に酸欠状態に陥ります。ですので周囲のデブリに避難するべきでしょう」

 

 宇宙艦艇は損傷具合にもよるが大概はダメージコントロールのために隔壁で気密状態になっており、特に損傷の少ない残骸に乗り移ればモジュールのどこかは酸素の密閉されたエリアもある筈だという。運が良ければ物資の補給、通信や電源の復旧が出来れば救難部隊の派遣を要請出来る可能性も高いという。

 

「わ、分かった、お前がそう意見するならそうしよう。今もまだ気が動転していて冷静に考えるのは難しい。今は私よりお前の判断の方が正確だろう」

 

 私は可能な限り気を落ち着かせながらベアトの意見を分析し、理に適っている事を理解し肯定する。

 

「では、私が調査中に見つけた残骸に向かいましょう。外見から見て機関部から後ろが引き千切られておりますがそれ以外は然程損壊が無いようです。恐らく気密状態のブロックも相応にある筈です」

 

 ベアトはシャトル内にある緊急遭難キットのトランクを手に取って私の宇宙服と自身のそれとを安全帯で繋げその強度を確かめると私に語りかける。

 

「今からスラスターで目標まで向かいます。ですが私もスラスターの残量に自信が御座いません。若様のバックパックも必要になる可能性が高いですので僭越ながら私の合図に合わせてスラスターを噴かして頂けますか?」

 

 恐る恐る頼み込むような声。当然私がその頼みに反対する理由はない。

 

「分かった、任せてくれ、バックパックの利用程度ならば私でも出来る。ベアトも合図を頼む、信頼しているぞ」

 

 私はベアトの肩を叩いてそう激励する。実際私自身よりも地頭は信頼出来る。

 

「は…はいっ!お任せください!」

 

 ベアトは緊張しつつも力のこもった声で答える。呆れた忠誠心だが、だからこそ信頼出来るのも事実だった。

 

 ベアトが私とシャトルとを繋ぐ安全帯を外す。同時に私はベアトに抱き着く形で密着した。ベアトは周囲を見渡した後、私に「行きます」と伝える。

 

 体が浮遊した。上も下もない冷たい虚空の世界に放り出された私は恐怖感でベアトにしがみつく腕の力を強める。ベアトは冷静に、慎重にバックパックのスラスターを噴射して私と自身をデブリを避けつつ移動させる。

 

 二〇分余りの宇宙遊泳の後にそれは見つかった。細々とした残骸の中にある一際大きなモスグリーン色の鉄の塊。巡航艦であろう、船体の後ろ半分が失われていたが、逆に言えば前半分は表面の装甲にデブリの破片が衝突して凹んでいるものの貫通しているものはなさそうだった。船体に刻まれた番号からみて此度の遠征に参加した第二艦隊所属のものと思われる。

 

「若様、失礼ながらこちらのスラスターは切れそうです。若様の物を御願いします」

「あ、ああ……」

 

 私は片手でバックパックを操作する左腕のコンソールに触れる。

 

「左の一番、二番スラスターを、3……2……1……今!」

 

 その合図に従いスラスターを噴射する。二人の体は軌道を変更して巡航艦の残骸へと向かう。

 

「続いて下方一番スラスターを、3……2……1……今!」

 

 その命令に従い私はコンソールを操作してスラスターを噴かす。我々のすぐ傍数キロの位置を帝国軍戦艦の千切れた艦首部分が通り過ぎる。一見遠くに見えようとも宇宙空間である以上実際はかなりの速さで移動している。この程度の距離は加速すれば至近に近かった。

 

「流石若様です、もう少し御辛抱下さいませ。後少しです」

「ああ、分かっている。慌てずに行こうか」

 

 そう言いつつも私は内心心臓が張り裂けそうな程に緊張していた。怖くて怖くてたまらない。即死なら兎も角酸欠で苦しんで死にたくない。いや、即死でもこんな暗くて寒い世界で死にたくない。ベアトがいなければ完全にパニック状態であった事だろう。

 

 数回の軌道変更後、ようやく残骸のすぐ近くまで我々は近づく。ベアトはワイヤーガンを船体に撃つ。船体にワイヤーの先が吸着したのを確認すると減速しつつワイヤーを引き戻して我々は巡航艦の表面に着陸した。

 

「若様、御疲れ様で御座います。ここまでくれば後はそう難しくは御座いません」

 

 ベアトの表情に喜色の笑みが浮かんでいた。心からほっとしているようで、よく見れば彼女も相当緊張していたようであった。尤も、その緊張は恐らく私の御守りのせいであろうが……。

 

 船体に杭を打ち、安全帯で私と結ぶベアト。そしてその後私との安全帯を外して船体表面を探索する。数分もせずに船体のハッチを見つけると手元のコンソールからケーブルを取り出しハッチの差込口に結び付け、操作を始める。

 

『若様、危険ですので頭をお下げ下さい!』

 

 無線機でそのような指示を受け私は船体表面に平伏す。次の瞬間開いたハッチから資料やら雑貨やら機械の部品やら人の形をした何かが勢いよく飛び出した。

 

 深淵の宇宙に投げ出されたそれらを暫く見つめ、空気の排出が止まったのを確認して私とベアトは漸く船内へと侵入した。

 

 ハッチを閉め、二つ先のエアロックを抜け、そこでようやく息苦しく、むず痒くなる宇宙服を脱いだ。流石に重装甲服の如く二時間が限度、という訳ではないがそれでも宇宙服に何時間も包まれて愉快な訳はない。宇宙服を脱いだ体は蒸れて汗をかいていた。ようやくまともに呼吸した感覚がした。

 

「ベアト……」

「何でしょうか、若様?」

「………いや、何でもない」

 

 私は咄嗟に話を切り、そのまま背を向け座り込む。長時間の緊張と宇宙服の着用で疲れていた事も事実だが、それ以上に居心地が悪かった。

 

 ベアトに泣きじゃくるように助けを求めたのは今更だから別に問題はない(問題なくはないが)。

 

 だが、流石に汗だくの彼女の姿を無遠慮に見つめるのは宜しくない。

 

 白いカッターシャツは汗で少し濡れていて、細い体の線がよく分かり、下の黒い下着も僅かに透けて見えた。湿気がある鮮やかな金髪を下げる姿も、その髪を纏めたために見えるうなじが妙に艶めかしく見えたのも私の緊迫感の無い愚かな精神が為せる技であろう。

 

 今更ながらにやはり私の従士は世間一般の感性から見て美人なのだと理解する。貴族は美人率が(代々の美女イケメン食いのせいで)高いので忘れがちだがベアトが士官学校でラブレターをよくもらっていたのも当然だ。

 

 ベアトは僅かに首を傾げ不思議そうにこちらを見やるがすぐにやるべき事をやり始めた。ベアトは私と違い遥かに真面目で利口だった。

 

 まずベアトは緊急遭難キットの中身を開いて備品の検査を始めた。

 

 塩化ナトリウムを果糖でコーティングした塩の錠剤、濃縮ビタミンの調合された栄養ドリンクのペットボトル、ロイヤルゼリーと小麦蛋白の混合チューブ、エナジーバー等からなる栄養補給セット、これらは二人が五日は生きていける分がある(大概の場合その前に酸素が無くなるだろうが)。

 

 瞬間凝固樹脂スプレーは宇宙服に亀裂が生じた時に、瞬間冷凍止血スプレーは出血時に止血するためのものだ。カルシウムの注射薬は長時間の無重力状態で人体からカルシウムが減少した場合注射する事になる。

 

 信号弾とハンド・カタパルトは救難信号を知らせるためのもの、予備の安全帯は人体の固定のために、小型救難信号器は作動と共に三週間は信号を放つ。

 

 簡易機械工作器具セットが一つに保熱性化学繊維の寝袋が二つ、自衛用のスタングレネードが四つにブラスターは二丁、エネルギーパックは四つ、最後にファインティングナイフ二本、以上が中身の全てだった。

 

 続いて携帯端末でベアトは艦内システムにアクセスした。

 

「動力は当然ながら喪失しておりますがこの際は寧ろ幸運です。誘爆や放射能汚染の心配がありませんので。気密状態で呼吸可能なモジュールブロックは一一区画、内換気設備・温度調整設備が生きているのは六区画です」

 

 予備電源は緊急時に備えモジュールブロックごとに置かれている。通常モードでは一週間程度しか持たないが生命維持用の最低限の環境維持のために節約すれば最大二か月は持つだろう。

 

「食料等は各モジュールに設置された緊急用保存食でどうにかなる筈です。救助が来るまでこれで持たせましょう」

 

 ベアトはそう説明する。二人でならば限られた酸素と物資でも相応の期間は生存出来る筈だった。歴史を紐解けば撃破された戦艦の残骸から一年ぶりに生還した生存者の記録もある。節約と工夫を凝らせば暫くは持つ筈だ。

 

 暫く休憩を取った後、護身用にブラスターを手に艦橋にまで向かう。データの大半は放棄の際に破棄されていたが修復用の暗号をダウンロードしてこの艦についての情報が手に入った。

 

 第二艦隊第三分艦隊第22戦隊第78巡航群第339巡航隊所属780年C2V3型巡航艦「ハービンジャー」、艦の記録によれば5月8日1440時頃に船体に電磁砲撃を受けて後方が引き裂かれた状態で大破、幸運にも誘爆はせずに乗員は同日1530時までに艦を放棄して撤収したと記録されている。

 

「どうやらこの宙域まで流れてきたようですね」

 

 後数百年ないし数千年もすれば回廊の危険宙域に落ちるなり、恒星アルテナの重力に捕まり引き摺られる事になるだろう。あるいは帝国軍か同盟軍の工作艦艇により航行の障害デブリとして撤去させられる可能性もある。

 

「かなり今の主戦場から離れているな……救難信号に気付くか怪しいな」

 

 とはいえ救難信号を出さなければ生還はまず不可能だ。取り敢えず救難信号の発信と共に艦内の予備電源は全て艦橋の気温と換気に使う。気密区画の空気漏れが無いかを調査し、艦内に残留する物資を集積する。集積する主な物資は食料・医薬品・武器である。

 

「センサーはどうする?」

「アクティブセンサーは賊軍に逆探知される可能性もあります。パッシブ金属探知センサーはこのデブリでは使えませんが、熱探知センサーや光学センサーで周辺の警戒は行えるはずです」

 

 無論、暫しの間放置されていたため多少の回線の修理は必要であった。

 

「重力操作と慣性操作が生きていたら良かったが……贅沢は言えんな」

 

 私は顔を青くしながら回線を繋ぎ直していた。残念ながら双方ともお釈迦になっていたし、生きていたとしても電力をかなり食う代物だ。残念ながら無重力酔いは耐えるしかない。

 

 日付は変わり5月14日0130時頃、行える事は全て行った私達は艦橋で食事を摂る。当然ながら第二艦隊所属の艦艇のためライヒなぞない。プロテインとビタミン入りミルク、ヌードルスープ、チキンとチーズのグラタン、ツナサラダ、エナジーバーの食事を淡々と食べる。加熱処理は可能だが無重力状態での食事を想定された非常食のため水気が少ないものや袋詰めのものが殆どだ。それでも今の私達にとっては数少ない娯楽ではあるのだが……。

 

「酸素は後どのくらい持ちそうだ?」

「船内の全ての酸素を二人で使うと仮定すれば二か月は持つかと」

「二か月、か……」

 

 広大な宇宙空間においてその時間を長いと見るか短いと見るか……いや、それ以上に問題は同盟軍がいつまでこの回廊に展開しているか、だ。

 

「遠征軍司令部も撤退を考え始めていたからな。これまでの遠征の前例から見ると後三、四日……多めに見ても一週間で撤収するだろう。そうなれば……」

 

 同盟軍が撤収すればここで自決するか、酸欠か餓死するか、あるいは降伏か……。

 

「はっ……」

 

 思わず小さな笑い声をあげていた。自虐の笑みだった、どうやら私もかなり門閥貴族精神に汚染されているらしい、降伏を一番最後の忌むべき選択として考えていたのだ。

 

「……若様、申し訳御座いません。再三、若様の寛大な処置により御傍に置いてくださいましたのにこのような危機に置いてしまいました。これではもう伯爵家にも実家にも、先祖にも顔向け出来ません……」

 

 私の笑い声を状況に対する苛立ちか何かであると解釈したのか、ベアトは悲壮な、泣き出しそうな顔でそう口にする。

 

「えっ……あっ、いや、その事は気にするな」

 

慌てて私はベアトの勘違いを否定する。

 

「ですが……!」

「いやいや、落ち着け。冷静に考えろ、お前の落ち度がどこにある?」

 

 任務に参加する意思を示したのは私であり、しかも贅沢にもシャトルのパイロットは一流で護衛の質も量も奮発してもらった。遭難時もパニックになる私の代わりに適切な行動を取り、このような目前の生命の危機からは解放された。明らかにベアトには功績があろうとも失態は無い。

 

「寧ろ助かった。正直宇宙遊泳は本当に苦手でな、ベアトがいなければ途方に暮れていた」

 

 冗談抜きで真空で真っ暗な宇宙で一人取り残されたらその孤独感は半端なものではない。宇宙服一枚隔てた先は生命の生きられない音も無い極寒の世界、徐々に減る酸素、無重力状態による吐き気、到底一人で正気を保てたとは思えない。

 

「本当に感謝している。ここまでの働きだけでも、正直これまでの失態の帳消しにお釣りが来る程さ」

 

 客観的には異様なほどにベタ褒めする私だが、主観的には実際それ程までに助かっていた。相変わらず私は重力に魂が引かれているようだ。

 

「しかし……いえ、若様の御言葉ありがたく頂戴します」

 

 一瞬否定しようとしたベアトは、しかしそう語る私が心からそう考えている事を察すると心底有難そうに恭しく頭を下げる。

 

「……さぁ、早く食べよう。室内気温は低いから冷めやすい」

 

 電力の節約のために艦内の空調は若干低めに設定していた。お陰で加熱処理した食事もすぐに冷えてしまう。そのため出来るだけ早く食べる必要があった。

 

 ……まぁ、私の場合吐き気と戦いながらだからちびちび食べるしかないんだけど。

 

 食事の後、我々は保温繊維製の寝袋にそれぞれ入り艦橋のモニター以外の照明は切る。これもまた電力の節約のためだ。

 

 兎も角も、今はさっさと寝てしまい疲労した体を休ませなければならなかった……。

 

 

 

 

 

「………いやまぁ、そう簡単に寝れたら苦労はしないんだけどな」

 

 就寝から二時間程経過して、私は寝付けずに起き上がる。理由は分かっていた。

 

「………やっぱり思い出すな」

 

 額から流れる嫌な汗を拭い、私は深く、深く深呼吸して精神を落ち着かせる。

 

 瞳を閉じてフラッシュバックするのはシャトルが切断された時の場面だ。何が起きたか分からず、悲鳴を上げていた。あの時、私は文字通り死を覚悟した。あの恐ろしさは形容出来ない、或いは航空機事故に遭う時はああいう最後なのかも知れない。

 

 気持ち悪い……無重力酔いもあるが文字通り一歩間違えれば死んでいたあの瞬間を思い浮かべると今現在が死ぬ直前に見ている夢では無いかと疑ってしまう。寒い室内の気温のせいで自分の体が死人のそれではないかと錯覚する。瞼を閉じればあの暗い真空の世界を思い出す。

 

「………死にたく無いなぁ」

 

 心の底から何かを信仰している訳ではないが、手を重ねて祈るように呟く。こんな寒い所で死にたくない……軍人である以上もっと酷い死に方は幾らでもあるし、そもそも退役まで生存出来るか怪しい以上、贅沢過ぎる願いではあるあろう。

 

……だがそれでもやはり死にたくない。

 

 子供っぽいと笑われそうだが怖いのも、寒いのも、痛いのも、苦しいのも嫌なのだ。

 

「んっ……」

 

 すぐ傍で声を立てる音がした。びくっ、とそちらに目を向ければ従士が寝袋の中ですぅすぅ、と小さく寝息を出していた。

 

 私は安堵の息を吐き(びびりとか言わないで)、何となしにその寝顔を見つめる。

 

 端正で線の細い顔立ちは未だに幼さがあった。小さな寝息を反復する姿はどこか保護欲を駆り立てる。尤も、保護されているのは私だが……。

 

「………」

 

 腕を伸ばしその髪に触れてみる。さらさらとした触り心地の良い毛並みだ。ほんのりと柑橘類の香りが漂う。

 

 頬に触れてみた。染みもない良く手入れされている白く柔らかいそれは優しい温かみが感じられる。

 

そして手を頬から首元に流すように動かし………。

 

「おい、待て。何を考えている」

 

 そこで我に返り腕を止める。危ない、もう少しでらいとすたっふルールに抵触する所だった………って、冗談は置いておいて……。

 

「はっ、動物かよ」

 

 つい、自嘲するように笑った。死に直面するとそちらへの欲求が増すという話は聞いたことあるが……。

 

「いや、けどなぁ……」

 

 客観的に考えてここで力尽くで襲ってみろ、信頼関係壊れるなんてものじゃないぞ。自身の命を助けてもらいながらここでそんな事したら凄惨な事件が起きそうだ。信頼は築くのは難しく壊れるのは一瞬だからな?

 

 そもそも戦闘技能では男女の体格差があるが技量面で油断すればベアトに負ける。襲った次の瞬間口を塞がれて寝技で首折られる可能性もなきにしもあらずだ。暗いと敵襲と思って確認せず即殺してくるかも知れん。

 

 ……毎度思うがこんな思考が出てくる時点で私も随分と門閥貴族的価値観に侵食されていると認めざる得ない。やはり心のどこかでは従士を好き勝手出来る「私有資産」と考えているのかも知れない。美少女が洗脳教育のせいで甲斐甲斐しく世話してくれるせいで勘違いしてしまう。

 

分かってはいる、分かってはいるが………。

 

「………」

 

 どことなく心臓が高鳴る音が激しくなるのを感じる。それは緊張と恐怖と背徳感、そして動物的な下世話な欲望の不安定な混合物であった。

 

 道徳面と合理面で理性がその行いを非難しているが、同時に度重なる死への恐怖が激しく欲望を刺激していた。どうせ死ぬのなら最後くらい好きにしてやろう、とでも言うのだろうか?

 

暫しの間、脳内で二つの思考が激しく争う。

 

「……寒いなぁ」

 

 限りなく拮抗していた両者の争いの勝敗の明暗を分けたのはこの艦橋の室温だった。どこか肌寒い室温が私に温かい人肌への欲求を後押ししたのだ。

 

 再び自身の眼に邪な情欲の光が宿るのを自覚する。止めておけ、と自身に言い聞かせるがそれとは別に夢遊病者のように手元は従士の下に伸び……。

 

「若…様……?」

 

 その声に私は一瞬竦みあがる。見れば眠そうにぼんやりとこちらを見つめる従士の視線に気付く。その視線には敵意や猜疑心、警戒心なぞ一切無く、純粋無垢な子供のように私を不思議そうに見つめていた。

 

「………」

「若様……?」

「いや、済まん起こしたな」

 

 その姿を見て再度芽生えていた醜い劣情は再びに霧散する。なぜならそこにいたのは子供時代に泣きじゃくる私を慰めてくれた少女の姿だったのだから。彼女にどうしてそんな卑しい感情を向けられよう?

 

「何かお困りでしょうか?」

 

 忠義深い従士は私が何事かに困り傍に来たのではないかと考えたらしい。眠たげな表情でそう尋ねる。

 

「いや、少し肌寒くて起きてしまってな」

 

 半分誤魔化すように私は答える。少なくとも丸っきり嘘ではない。

 

「………それでは一緒に寝ますか?」

 

 寝ぼけた表情で暫し私の言を反芻していた従士は恐らく疲れと眠気で頭が余り働いていないのだろう、そんな事を言ってのける。

 

「そうだな、それは良い案……んんんっ?」

 

 私はその返答は想定していなかったので一瞬肯定してしまいそうになった。

 

 私の困惑を他所にベアトの方は寝袋を開き、いつも通りに微笑み(しかし眠気から緊張感の緩い表情で)、こちらを招く。

 

「さぁさぁ、こちらへどうぞ」

「どうぞって言ってもなぁ……」

 

 いきなりはい分かりました、と言う訳にもいかないのだが……。

 

「わ、私また粗相を行いましたか……!?」

 

 私の反応に対して自身に過失があったのかと考えたのかベアトはびくりと怯えるように答える。

 

「いや、そうでは無くて……そうだな、ではその提案に従おうか」

 

 私が一転して提案を受け入れたのは疲れから宥めるのが面倒に思ったのとやはり肌寒い事が理由だった……いや、言い訳は止めよう。まだ僅かに残っていた人肌恋しさをこの機に多少なりとも解消しようとしていたのだ。

 

 私は誘われるように寝袋に入り込む。……あ、マジで結構温かくて心地好い。

 

「狭くはありませんか……?」

「いや、大丈夫だ」

「それは良かったですぅ……」

 

 ほんわかとした眠たげな笑みを浮かべる従士はそのままうとうとと再び眠りについてしまう。極限状態で足手まといの私に注意しながらデブリ帯で探索活動をしてきたのだ。宇宙遊泳だけでも思いのほか重労働なのを考えれば仕方ない事だった。

 

「……お休み」

 

 目の前ですやすやと小鳥のような寝息を立てる従士にふと呟いた。いつしか睡魔に誘われ、私はゆっくりと夢の世界に落ちる。

 

 ………寝袋の中は温かく、私は不安も恐怖も感じずに安心して意識を手放せた。

 




小ネタ・国家革新同盟結成祝賀会にて
ルドルフ「ファルストロング!なぜ会場がドイツ式パブではなく鳥○族なのだ!?」
ファルストロング「黙れや、お前のせいでこの前ニンジャに家吹き飛ばされてんだよ、金欠なんだよ取り敢えず殴らせろ」

ボゴッ!ドスッ!バキンッ!(醜い争いが起きている音)

エリザベート「皆さん、夫と兄は無視してどんどん飲んでくださいね?」
リッテンハイム「今だファルストロング!顎だっ!顎を殺れ!」
カストロプ「ロリ巨乳人妻の御酌キタコレ!」
ブラウンシュヴァイク「かゆ…うま……」

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