帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第九十一話 不審者の話には耳を貸すな!

 5月16日1600時、長らくどちらが優位かを断定出来なかった戦況に変化が見られた。

 

 同盟軍右翼第二艦隊が戦隊単位の小集団となり相互に連携した援護と後退運動を始めたのだ。これはこれまでの消耗や過去の戦闘の推移から見て同盟軍の全面撤退の一環である事は間違い無かった。

 

 無論帝国軍はこの事態を放置する事はない。要塞駐留艦隊は二個梯団を持ってこれを微速前進しつつ追撃する。

 

「想定に比べて迫撃が緩やかだな」

 

 第二艦隊旗艦「サガルマータ」艦橋に陣取る艦隊司令官マイケル・ワイドボーン中将が呟く。

 

「恐らくはこちらの意図を読んでの動きか。だが……」

 

 意図を読んでいる事と行動出来るかとでは決してイコールでは無いのだ。第二艦隊は後退しつつも長距離砲で帝国軍を拘束し、第三・一一艦隊の後退を援護する。宇宙艦隊の主力を担う駆逐艦の主砲射程は同盟軍が上、一〇光秒前後の距離を維持する同盟軍は駆逐艦の光子レーザー砲を存分に活用出来た。

 

「各艦、このまま第三艦隊が最前線を整理して後退するまで付かず離れず撃ち続けよ。近接戦闘にさえ持ち込まれなければ反撃は来ない、焦らずに眼前の任務に専念せよ!」

 

 無論、ワイドボーン中将の言は決して嘘ではないが同時に事態は単純でもない。  

 

 第二艦隊は兎も角、近距離戦が多いために戦線の一部が混戦状態にある第三艦隊が脱落部隊を出さずに、しかし帝国軍に「雷神の槌」を使う隙を与えないように砲撃で動きを封じるように後退を開始するのは容易ではない。

 

 しかし真っ先に後退を開始した第二艦隊の行動により第三艦隊から見て右翼方向に宙域の空間的余裕は確保されている。

 

 これにより第三艦隊は艦隊運用面において柔軟性を保持する事に成功し、戦術面での自由度も広がった。決して無謀な行動とは言えない。

 

 2100時頃になると第三艦隊を始めとした同盟軍の諸部隊が航空母艦から空戦隊を発艦させ始める。

 

 単座式戦闘艇部隊は戦力の引き離しのためには打ってつけの部隊だ。混戦状態の戦線に向かえば帝国軍艦艇の索敵機器や機関に損傷を与えその迫撃能力を削り、襲い掛かる雷撃艇やミサイル艇を迎撃し、追い縋るように先行する駆逐艦に複数機で襲い掛かり撃破する。

 

 無論、帝国軍はそれを易々とは許さない。純白色に輝くワルキューレ部隊が帝国軍の各艦より舞うように発艦する。

 

 各地で互いの尾に食らいつくように戦闘艇がドッグファイトを繰り広げる。

 

 帝国軍要塞駐留艦隊に所属する戦艦「クルッケンベルク」は船体に設置された無数の防空レーザー砲や防空電磁砲、対空ミサイルでワルキューレ部隊の防衛線を抜けて襲い掛かる同盟軍の戦闘艇部隊の迎撃を開始する。

 

 L‐11電磁対空砲塔の下級士族出身のフーゲ曹長は一流の砲手であった。彼の割り当てられた対空電磁砲はマッハ9の速度で毎分35発のウラン238弾を襲い掛かる重装型スパルタニアンの編隊に撃ち込む。

 

 先頭を切る第146独立空戦隊第3大隊第2中隊所属のベドフォード軍曹のスパルタニアンは正面からウラン238弾を食らった。機体の前半分が吹き飛んだベドフォード機はそのまま機体バランスを崩し回転しながら火達磨になり「クルッケンベルク」の真横を通り抜け虚空に消える。

 

 続いて激しい砲火に編隊から逸れてしまったチョウ伍長が機体の腹にプラズマ化した劣化ウランの塊を叩き込まれた。コックピットは機体に設けられた僅かな装甲と対レーザーコーティングごと瞬時に飴のように引き裂かれ、融かされる。そのまま機体の半分近いサイズの対艦ミサイル事爆散する。

 

「やった!曹長!二機やりましたよ!」

「ぼさっとするな糞餓鬼!次の目標を教えろ!」

 

 L‐11電磁対空砲塔内にて奇声に近い歓声を上げる索敵班のアダム一等兵にどなりつけるようにフーゲ曹長は叫ぶ。次の瞬間、雨あられのような砲火を掻い潜ったキタムラ准尉のスパルタニアン爆装型が撃ち込んだレーザー水爆ミサイルがL‐11電磁対空砲塔の設置された「クルッケンベルク」左舷エンジンを青白い光の中に包み込んだ。左舷エンジン内に詰めていた砲兵達や機関員達は大半が瞬時に消し炭になり、運悪く即死出来なかった者は数秒の間地獄のような苦しみを味わう事になる。

 

「左舷エンジン分離急げ!」

 

 狙いが浅かった故にそのまま爆沈しなかった「クルッケンベルク」の艦橋内で艦長が叫ぶ。激しく揺れる艦橋内では船体の危険を知らせるブザーが気が狂ったように鳴り響く。船体内の隔壁が次々と降り、無人ドローンが射出され損傷部位に瞬間凝固樹脂を吐き出しながら修復を図る。左舷エンジンがパージされると同時に爆散した。紙一重で「クルッケンベルク」は誘爆を回避する事に成功した。

 

 しかし幸運は続かない。次の瞬間スパルタニアンの一個小隊がレーザー機銃で船体のエネルギー中和磁場発生装置を狙い撃ちするという職人芸をして見せる。同時に第三艦隊所属戦艦「デュソルバード」から放たれた中性子ビームの光筋が「クルッケンベルク」の船体を貫通して爆炎の中に数百もの人命を飲み込んだ。

 

 だがその撃沈に貢献したスパルタニアンの小隊は「クルッケンベルク」所属の防空隊のワルキューレ編隊の執拗な迫撃を受け奮闘の末全滅する事になる……。

 

 油断すれば……否、油断せずとも次の瞬間に生死が決まる激烈な戦い。戦闘は始めるよりもそれを収拾し終わらせる方が遥かに困難であることを前線の破壊と殺戮が如実に表していた。

 

 尤も、全ての戦域が、全ての兵士が地獄の前線に身を投じているわけでもなかった。

 

「あー、見つかんねぇなぁ」

 

 巡航艦「ファレノプシス」艦橋内でオペレーターがぼやいた。

 

 大艦隊が殴り会う主戦場から距離を置いたデブリ帯をゆっくりと進む「ファレノプシス」はその展開宙域にて「政治的重要人物」の救難任務を命じられそれを実施していた。

 

 尤も広い宇宙、回廊という比較的狭い空間とて艦隊なら兎も角人一人にとっては充分過ぎる程に広大だ。ましてその救難対象が生きているかすら定かではない。肉片一つ見つかるかすら怪しいものだ。

 

しかも……。

 

「また外れか」

 

 救難信号を受けて来てみれば相手は目的の人物ではなく悪運強く残骸内で生存していたり、救難ポッドで漂流している兵士であった。

 

「ファレノプシス」だけでも既に六回救難信号を受信して六〇名余りの友軍兵士と一〇名余りの捕虜を回収していた。周辺に展開しているほかの救難艦艇や血走った目で辺りを探し回る亡命軍艦の成果を含めればその数は十倍以上になろう。

 

「げ、あいつらまたこっちに押し付けやがって……」

 

 亡命軍から送られて来た受信情報をコンソールを操作して開いた別のオペレーターが吐き捨てるように呟く。

 

「またか?」

「ああ、まただ」

 

 呆れと、不快感を混合させた表情どオペレーター達は互いを見やる。此度の任務に同伴する亡命軍の艦艇は同盟のそれの二倍、二二隻に及ぶ。彼らはしかし、目的の救難対象以外には一切興味が無いようでいざ駆けつけて目的のそれでなければそのまま待機させて同盟軍に救助させる艦艇も多々存在した。

 

「ち、俺達は雑用かよ……」

「あんなものまで用意して……異様なやる気だな」

 

 艦橋のスクリーンからでもうっすらと見える影を見やるオペレーター達。その先には全長九〇〇メートル余りの巨艦が映る。周囲に情報索敵型スパルタニアンや救難型スパルタニアンを飛ばしながら鎮座するホワンフー級宇宙母艦である。

 

 こんな場所にホワンフー級宇宙母艦が展開している事実に多くの乗員が呆れていた。近年は新型のラザルス級の配備が始まっているとはいえ、未だに第一線で活躍する事が出来る大型母艦をこんな任務に投入するとは。

 

「何、考えようによってはそう悪い事でもないさ。お陰様で俺達は前線に比べて安全な場所で手当てを貰えるんだからな」

 

半分皮肉気に別のオペレーターが嘯く。

 

「そうは言ってもなぁ……っ、二時の方向、距離四〇〇、ワルキューレ二機、来るぞ!」

 

 索敵要員がセンサーによって発見した脅威を報告する。恐らくゲリラ戦なり本隊から逸れたか、あるいは警戒部隊、といった所であろう。艦長が対空戦闘の用意を命じる。

 

 だが全ては取り越し苦労であった。次の瞬間に「ファレノプシス」のすぐ真横を通り過ぎた亡命軍所属のスパルタニアンがワルキューレに躍り込む。

 

 正面からウラン238弾を装填したバルカン砲の精密射撃を受け一機が四散した。慌ててもう一機がスラスターを回転させてスパルタニアンには不可能な曲線運動でその射線から外れる。そのまま真横から仰角変更したビーム機銃を撃ち込もうとし………。

 

『っ………!?』

 

 次の瞬間機首を真上に向けたスパルタニアンによってその攻撃は紙一重で躱された。同時にそのまま突っ込むワルキューレに対してスパルタニアンはその場で回転してワルキューレの直上に出た。

 

 驚愕する帝国軍のパイロットはしかし、次の瞬間それ以上の思考を強制的に停止させられた。両機が交差するコンマ数秒のその瞬間直上から操縦席やエンジン等の急所を集中的に撃ち抜かれた戦乙女はそのまま慣性の法則に従い直進しつつその機体を飛散させ、数秒後には細やかで短命な小太陽を生み出した。

 

「おお、すげぇ」

 

 その空戦の様子を見ていたオペレーターの一人が思わず呟く。二対一で勝ち越すだけでも称賛に値する。まして曲芸を披露しながらあんなにあっけなくとは……。

 

「エースか、なら納得だな」

 

 別のオペレーターは機体に刻まれたマーキングを見て納得する。艦艇(大型戦闘艇含む)五隻に単座式戦闘艇単独撃破三八機という数字はエースとしては駆け出しを過ぎた頃ではあるがそもそもエースになれるパイロットなぞ二十人に一人もいない事を考えればその技量がどれ程のものか分かろうものだ。

 

「亡命軍の機体か、まさかエースをこんな戦域に送り込んで来るとはな。ん、スパルタニアンより連絡、脅威の排除を完了したとの事です」

「うむ、各員戦闘態勢解除、第一級警戒態勢に移行せよ」

 

 艦長の命令に場の空気が弛緩する。艦橋の各々が息を吐き、珈琲やら御茶、ホットココアを飲み、軽食を取りながら片手間に端末の操作を再開する。

 

 一方、先程ドッグファイトを演じたスパルタニアンは母艦に戻らずに周辺の救難信号を索敵しながら哨戒を続ける。本来ならば戦闘の後は一旦母艦に戻るものなのだが……。

 

「随分とまぁ、勤勉なパイロットな事で」

 

 肉を二枚重ねしたハンバーガーを頬張りながらオペレーターはぼやく。亡命軍将兵が気味が悪いほど勤勉で規則が厳しいのはいつもの事だった。

 

 オペレーターはすぐに戦闘艇への関心は失せて食事に集中した。戦場では食べられる時に食べるのが鉄則だ。

 

 一方、スパルタニアンは彷徨えるように、そしてその動きからして必死な動作で周辺を捜索し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……流石に少し辛いな」

 

 小さなザワークラフトの缶詰めを食べ終え、残り三分の一余りになったペットボトルの水を口元に含み、私は呟いた。

 

 正確な時間は分からないが二日程度はこの臭い独房の中にいる。

 

 狭く暗い室内は我慢出来るが流石に粗末過ぎる食事と水分不足と無重力状態の吐き気のトリプルコンボは私の肉体と精神を蝕んでいた。うん、胃袋がムカつくというか気持ち悪いし、栄養不足からか体が少しだるい。耐えられない訳ではないが……。

 

「………そろそろ、か?」

 

 恐らくもうそろそろそれが来ると考えていると……薄暗い牢獄に光が射し込んだ。何の偶然か、どうやらもうその機会が来たらしい。

 

「……喜ばしいな、どうやら後先考えずに水を飲み干す程低脳ではないらしい」

 

 独房を開き目の前で佇む若い少尉は私の手元にある飲みかけのペットボトルを見て口を開く。

 

「眩しいな、何だ?食後のデザートでも用意してくれたのか?卿もようやく貴族の遇し方を覚えたのかな?」

 

 皮肉げに、(そして強がりを言うように)私は言い返した。その様子に肩を竦めるファーレンハイト少尉。

 

「悪いがこの艦でデザートと言えるものと言えば我々下っ端が食べられるのは味気ないフルーツミューズリーか甘さ以外の味のないチョコエナジーバー位だ。要るかな?」

「要らんな」

「だろうな」

 

 栄養価以外を一切考慮にいれていない帝国軍保存用レーションは同盟軍の軍用レーションタイプライヒ以下の味だった。比較すれば辛うじてタイプイングリッシュやタイプアライアンス以上と言う誉めるべきか貶すべきか分からない代物だ。欲しいか、と言われて嬉しそうに首を縦に振る同盟人はマゾだろう。

 

「まぁ、元気そうで何よりだ、おま……」

「若様っ……!?」

 

 ファーレンハイト少尉の声を妨げた声に私は次の瞬間を目を見開いた。だが、口を開く暇も無かった。次の瞬間にはファーレンハイト少尉の横を通り抜けた影が私に駆け寄る。

 

「ああ、おやつれになられて……若様、御怪我は御座いませんかっ!?申し訳御座いません、またもや若様をみすみす危険に晒してしまい、何と言えば良いのか……」

 

 顔を引き攣らせながら懺悔の言葉を吐く帝国軍服を着た従士に対して、私は即座に行うべき事を理解してその口元に人差し指を立てる。途端に高速で動く口を止めるベアト。

 

「言いたい事は分かる。だがそれを悠長に聞いてやれる余裕は無い……だろう、少尉?」

 

 私が少尉に視線を移せば我が意を得たりとばかりに頷いて指で下士官を呼びつける。

 

「理解が早くて何よりだ。今は監視カメラの映像を差し替えている、恐らくは卿は今頃ベッドで御眠しているように副長には見えているだろう、だがいつまでも誤魔化せん。早急にザンデルス軍曹と衣服を取り換えて欲しい」

 

 そういうや早くザンデルス軍曹と呼ばれた若い下士官が上着とズボンを脱ぎ始める。歳と体形は比較的似ている、暗闇と荒い映像を使えば誤魔化せるそうだ。

 

ここは文句は言わず淡々と衣服を交換して着替える。

 

「……ベアト、気にする事は無い。私は(血の出る)怪我はしていないし、捕虜になったのも考えがあっての事だ。お前の働きはそこに一切関係無い、分かったな?」

 

 帝国軍下士官の上着に軍帽を被りながら私がベアトにそう説明する。というかそうしないとベアトも始め複数人が不幸になりかねないしな。

 

「ですが……」

「ベアト」

 

 そう注意ように名を呼べば肩を竦める従士。上目遣いでこちらを不安げに見つめている。

 

「言っただろう、考えがあっての事だと。その結果が今だ。だから気にする事は無い、お前より出来が良い付き人がいたとしてもこの選択をしている筈だからな。目を見て分かったよ、こいつが私を必要としているとな、だから捕虜になる「振り」をしてやった」

 

 そう言ってファーレンハイト少尉に視線を移し潜入捜査でも終えたような態度をする。

 

 ……うん、真っ赤な嘘だ。せいぜい降伏すれば命は助かるかな?程度の考えなのが斜め上過ぎる状況が追い風になっているだけで、頭にハンドブラスターを突きつけられた時点では限りなく詰んでいた。正直な話、最悪このままベアトも降伏させて一緒に帝都に連行されようかな?と想定していたよ。世話役としてベアト一人位なら傍におけるだろうし、下手に置いていったら自決か処断だろうし。

 

 ……何で従士が戦死するよりも、味方にギロチンに処される方を心配しないといけないんだよ。

 

「そうとも、捕虜の身で随分とまぁ自身の立ち位置を理解していただけたようで、看守達と大層仲良く話していたようですしな」

 

 意味ありげにこちらを見やる少尉。尤もそれはある意味出来レースでもあった。

 

 目の前の少尉は私を捕虜とした時に不自然に多くの情報を提供してくれやがった、その上交代に来た看守達は皆田舎者や士族の出で少しおだてれば警戒心が薄く色々話が聞けた。あからさまに聞きやすい看守達ばかりである事を考えるとわざとであるのは明白、恐らくはこちらに状況や背景の理解と生存者達との面識作りのために仕組まれたのだろう。少尉に褒められる程のものではないが……咄嗟に私とベアトの関係を把握してのフォローであろう。好都合だ、ここ数日の捕囚生活を全て茶番劇扱いしてくれるならばこちらも賛成である。

 

「そういう事だ、さて時間が無い。行こうか?」

 

 私は深く帽子を被り顔を誤魔化すと私は目でベアトに命じる。すぐさまにベアトは目付きを変え、私を護衛するように傍に立つ。我は身代わりのザンデルス軍曹を牢屋に置いてベアトと少尉と共に薄暗い室内から二日ぶりに出たのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

「我々の狙いは艦長から副長の指揮権剥奪と新しい代表への付与を宣言して貰うことだ。ようは神輿を担いで我々を切り捨てようと言う副長の正統性を奪おうと言う訳だな」

 

私が具体的な企みの内容を尋ねると食い詰めの帝国騎士はそう口を開いた。

 

 場所は誰も寄り付きもしない死体袋だらけの安置室。このブロックは監視カメラも破壊されているようで盗聴や監視される可能性は低い。だがどこかどんよりとして、吐き気がする空気が充満していた。気密性の高い特殊素材を使っている筈だが………。

 

「本来ならば艦長が指揮不可能であれば副長が代行するのは当然の選択、それに反発しようものならば軍規に則った対応が為される」

 

即ち拘禁や略式裁判による銃殺である。

 

「無論、我々としてはこのままでは切り捨てられる事は確実だからな、副長に義理立てする必要はない……とも言えないのが面倒な所だ」

 

 腐っても軍規は軍規、奴隷根性の染み付いた地方生まれの下級兵士にとっては軍規違反承知の反乱に意気揚々と参加するか、となれば副長への不満はあれどやはり尻込みしてしまう者も多い。何よりも帝国軍本隊の救助ののちに事が露見すれば軍法会議で死刑は当然として家族にまで累が及びかねない。無理矢理決起しても士気は劣悪であろう。

 

 故に必要なのは正統性。副長への反逆に誰もが支持をする事が出来る免罪符が必要な訳だ。

 

「ではその正統性をどのように手に入れるか、そこで最初に戻るが副長はあくまでも艦長の代理でしかない。つまり艦長が副長より指揮権を剥奪すれば良い。そして艦長が指揮が出来ぬ以上代わりの人物に再度指揮権を付与する必要がある、そこで……」

「私を祭り上げよう、と言う訳か?」

 

私は皮肉げに尋ねる。

 

「いやいや、それではまるで傀儡ではないか、滅相もない。私はあくまでもこの場は選ばれし指導者階級の下に将兵が一丸となる事を望むのみですよ」

「心にもない事を……」

 

 私がそう言い捨てても食い詰め騎士はどこ吹く風と言わんばかりだ。この雰囲気をどこかで知っているぞ……まるで不良騎士殿のような胡散臭さだ。

 

「……言いたい事は分かる、が実際可能なのか?私は貴族と言っても亡命貴族だ。そんな私に対して艦長は指揮権を明け渡すと本当に考えていると?」

「制度的には問題は……無い事も無いが、不可能でもない」

 

 亡命貴族は一応は帝国においても貴族として扱われる。即ち帝国においても相応の特権が(形式的には)あると解釈する事が出来る。

 

「そして門閥貴族ともなれば予備役の義務がある」

 

 私兵軍を(形式上)指揮し、領地の治安維持や航路維持を担う関係もあり、門閥貴族の当主や主だった者には武門でなくとも予備役の階級が存在する。

 

 当主は基本的には男爵を准将として扱うのを始め、子爵は少将、伯爵は中将、侯爵は大将、公爵は上級大将として扱われる。原作でクロプシュトック侯爵が予備役大将、ブラウンシュヴァイク公爵が予備役上級大将(後に予備役元帥)であったのはこの事が理由だ。フレーゲル男爵はこの制度に基づけば予備役准将扱いになるが恐らくはブラウンシュヴァイク公爵の七光りのお陰で少将扱いなのだろう。

 

「伯爵家の嫡男、しかも長子ともなれば制度上は予備役准将辺りが妥当、そして予備役准将ならば大尉の代わりに指揮権を移譲する相手としては申し分ない訳だ」

「だが予備役だぞ?いや、それは良いとしてもそもそも亡命貴族に指揮権を与えるというのは正気の考えとは思えんが……その辺りはどう考えている?」

 

 予備役軍人が勝手に現役復帰するのは許されないのはまだ良かろう、現地において正規軍人が必要に応じて事後承諾と言う形で臨時復帰させる例もあるにはある。だが門閥貴族とは言え亡命貴族、階級的に問題は無くても心理的にはどうか?寧ろこの場ではそちらの方が重要であろう。

 

「その点は問題ない。艦長とは付き合いが長い訳ではないが価値観は理解している」

 

 艦長たるダンネマン少佐は一〇代二〇〇年余り続く富裕な上等帝国騎士家ダンネマン家の当主に当たる。この程度の歴史があれば帝国宮廷でもようやく新参者扱いされなくなる時期であり、貴族階級としての誇り(選民意識ともいう)が強くなる頃合いだ。

 

 そして貴族としての誇りが強くなるという事は爵位や序列を強く意識し始めるという事だ。

 

 さて、ではそこに一〇代二〇〇年の歴史を持つ上等帝国騎士に二〇代以上五〇〇年、帝国開闢以来の伯爵家の人間が来ればどうなるか、あまつさえ証拠の品やら待遇なりを言われればどういう反応をするかなぞ、想像するに容易い。

 

 まぁ、ここまで説明した所で同盟軍人には理解出来ない事であろう、身分制度がある帝国軍と帝国人相手だからこそ出来る芸当だ。実際私自身内心でいけるのか?と言う不安も無いことは無い。

 

「成程、そしてそこで指揮権移譲に皆が従えば良し、従わなくても兵士達は後の処置に怯えずに戦闘に参加出来る、と」

「不満気に見える、どこか不審な点が?」

 

 私の返答に含むものがあると感じたのか、こちらに対して窺うような視線を向けそのように尋ねるファーレンハイト少尉。

 

「………いや、少尉も事態は理解している筈だ。物資は不足し、脱出するための装備は足りない、となれば……まさかとは思うが戦闘で口減らしやら捕虜の殺害を行う、などと考えてはいないだろうか、とな」

「………」

 

 沈黙したまま私を見つめる帝国騎士。私はその先を口にすべきか少し迷ったが、意を決してその先も口にする。

 

「……それに今更な事を言えば私や従士の存在も本来は余り宜しくはないのだろう?副長達を拘束するにしても、殺害するにしてもその後同盟軍人たる私達が出しゃばる事に卿が思う所が無いとは言い切れん。作戦が成功すれば用無しとばかりにどさくさに紛れて私達に後ろ弾を撃つ、なんて事を考えているのではないかと思ってな。無論下種の勘繰りだが……つい少し前まで互いを殺そうとしていた間柄だ、それくらいの警戒はする」

 

 その辺りをどのように考えているのか、と私は目の前の端正な新任少尉に問いかける。私も目の前の人物が十中八九「あの」ファーレンハイトであると理解するがしかし、いやだからこそその真意を確認しなければならない。原作だけではその人物の内面を理解しきるのは不可能であるし、原作前のこの時期、同じ価値観とは限らない。故に多少の危険は承知で聞かねばならなかった。

 

 傍で護衛として控えていたベアトが不穏な空気をかぎ取り、薄暗い室内で腰のハンドブラスターに気付かれないように手を添えている事に気付く。そして私はすぐさま視線を食い詰め少尉に戻した。

 

暫し場は重苦しく沈黙し………。

 

「……用心深いな、予想はしていたが特権を無意識に振りかざす考え無しでなくて安心したぞ」

 

 身構えながら答えを待っていた私に対して、しかし帝国騎士は寧ろ安堵と満足感を湛えた表情でこちらを見た。

 

「正直な話、そこに触れなければ実際終わった後本当に後ろ弾を撃とうかとも思っていた」

 

 にやり、と笑みを浮かべながらぶっちゃけ話を行う。おい、今とんでもない爆弾発言をしやがったぞ、こいつ。

 

 すかさずベアトが間に入り込んできてハンドブラスターを構える、が私はこの場で行うべき演技を理解するが故に敢えて飄々とした表情でベアトを下がらせる。

 

「詳しく聞きたいな。悪いがこちらは生まれつきの特権階級でな、どの辺りが合格点だったのか今後の参考のために聞かせてもらおうか?」

 

 偉そうに、冗談を言うように語るが、本音の所彼自身がどのように考えているのか、その地雷ワードを知りたいがための質問だった。

 

「いや、皮肉を承知で言わせてもらえば大貴族様ならば「あの」副長を唯の捕虜とするとは思えなくてな。寧ろ伯爵様こそ頭に一発御見舞いするかと思っていた」

「いやいや、平民の癇癪程度でいちいち怒ってやる程私も暇ではないのでね、副長の事にはもう興味はない」

「成程、興味はない、か。思慮深くて結構」

 

 ベアトが怪訝な表情を浮かべる、が敢えて具体的な内容を教える必要は無い。飛び膝蹴りや踏み付けの事を教えて下手に暴走されても困る。既に興味を失い「忘れた」事をいちいち掘り返す事も無いのだ。

 

 ………いや、バレたら下手したら同盟軍の軍法会議だしね?

 

「安心して欲しい。どこぞの後先考えない馬鹿貴族ならば副長の代わりに問題児が増えるだけだが……自身の立場が盤石ではない事も、自身の生命が無制限に安全ではない事も理解しているらしい。これならば我々を無駄に危険に晒す命令を下す事もあるまい、と思ってな。……出来ればそこの御付きを宥めてくれないかね、非礼は謝罪する」

「若様、発砲許可を下さい」

 

 ファーレンハイトの助命嘆願に、しかしベアトは冷たく塵を見る目で私に頼み込んでいた。ハンドブラスターの銃口は手を上げる帝国軍少尉の頭を慎重に狙いすます。

 

「ベアト、構わんから銃口を下げろ」

「若様……!」

 

 隙を見せないように僅かにこちらに目配せしてベアトが訴える。

 

「冗談だ、気に留めるな。撃ち殺すのなら奴が本当に後ろ弾を撃ってきた時に容赦なく脳天に叩き込んでやれば良いさ。お前なら出来るだろう?」

「……了解致しました」

 

 不承不承と言った表情ながらベアトは、しかし私が何度か説得するとどうにかハンドブラスターを警戒しつつも下ろす。ファーレンハイトはあからさまにほっとした表情を浮かべる。  

 

「いや、助かった、このまま撃ち殺されても死体袋が切れているからどこかの袋と同棲する事になる所だった……そう怖い顔をしないで欲しいものだ、私だって伯爵に手を上げるデメリットは了解している」

 

 それなりに知恵が回る味方は貴重であるし、部下の戦闘技能は一流、それだけでもヴァルハラ行きにするより生かした方が得であるし、暗殺に失敗すれば下手すれば貴族主義の味方を敵に回す事になる。また帝国軍にしろ、同盟軍にしろ回収された時には私達の存在が恩賞なり恩赦の材料に使えるのだ。

 

「今の状況を見てのリスクヘッジや損得勘定から見て私がサイオキシンでも使わない限り卿らに手を上げる事は無いさ」

 

 ベアトに冗談を言うように笑みを浮かべるファーレンハイト少尉。不快気にベアトは表情を歪め、続いて視線を離す。一秒でもこの帝国騎士を視界から追い払いたいみたいであった。それでも耳を研ぎすまし、いざという時は素早く射殺出来るように警戒は怠らない。

 

「そうだな、どうやら暫くは互いに銃口を向ける事は無さそうで安心したよ。……それよりも話を戻そう、私としては反乱ごっこの後の卿の考えを知りたいものだ」

「ふむ、そこで体面ではなく話の本質について尋ねるとは、やはりただのどら息子ではないな」

「茶化して誤魔化すな。この艦の中で小さな革命を起こした所で問題の本質は変わるまい」

 

 副長達を無力化するのは宜しい、放置しても見捨てられるか不安要素にしかならない。問題は先程言った通りそうした所で酸素も食料も、脱出用の装備も限界が来るという事だ。この小さな残骸の中で権力闘争した所で食料が増える訳でもランチの員数が増える訳でもない。

 

「やっぱりあれか?さっき言った通り体よく銃撃戦で口減らししようという腹か?」

 

 私が訝し気にそう尋ねると少尉は少しだけ不機嫌そうになる。

 

「違う、と言った所で信じはすまいな。まぁ確かに少し口減らしにはなるか、という考えも否定は出来ん」

 

 生々しく、グロテスクではあるが極限状態の艦内では何が起きても可笑しくないのだ。巡航艦「カナリアス」の救助劇のような美談や戦艦「ペンシルベニア」生存者達のような偉業は少数派であり、多くの場合は不安も物資不足から末期になると発狂する者や殺人や口減らし、それどころか食人やら自殺やらもある。同盟軍のような女性兵士がいて、しかも生存していたらもっとエグい。

 

「無論、缶詰一つのために殺し合いなぞ馬鹿馬鹿しい。私としてもそれ以外の道を選びたい」

「というと?」

「卿の立場、まさかとは思うが捜索隊がいない訳でもあるまい」

「………想定はしていたがそういう事か」

 

 以前にも触れたが帝国軍人とて昔は兎も角、今では降伏する者も少なくない。だがやはり大帝陛下の決められた軍規を破り奴隷共からなる反乱軍に頭を下げた投降兵に対する帝国社会の目は未だに厳しい。捕虜交換式で故国に戻ろうとも「危険な共和思想」に伝染していないか厳しい思想検査を受け平均して二割前後が流刑地で思想矯正を受ける事になる。それをパスした所で最前線の激戦地や辺境外縁部での海賊戦闘で酷使される者、部隊内で虐めの標的になる者、自殺を強制される事もある。

 

 本人だけではない、家族も国賊扱いされ、就職や結婚にも影響が出る。家族の名誉のために捕虜の中にはそのまま戦死扱いを受けた上で同盟に仕方なく帰化する者も多い。

 

 ……だがそこにも抜け道がある。それが同盟軍とは別物扱いされる亡命軍への降伏だ。同じ帝国貴族率いる亡命軍への降伏ならば形式的には奴隷共への不名誉な投降ではなく貴族に対する名誉ある降伏扱いされるのだ。特に貴族階級が同盟軍より亡命軍に降伏する場合は多い。というより帝国が亡命政府の貴族を対等の存在と認めている一因でもある(長く戦争が続けば捕虜になる貴族も多いからね)。

 

 小賢しい平民の一部にはその辺りの事情を嗅ぎ取り同じように同盟軍ではなく亡命軍に降伏する者もいる。また現帝国に反発はあるが奴隷共の下で戦いたくない、という者達も亡命軍に降伏してそのまま投降兵となり亡命軍の兵士に転属する場合もある。

 

「私が行方不明となれば生死に関わらずに近辺に捜索が来るからな、そこに便乗しよう、と言う腹積もりか」

 

 尤も、これは私を処分するとしても使える手ではある。私の捜索隊に頼る事に私の存在は必須ではない。私が使いにくい場合は反乱前か後に「事故死」させられた可能性も否定出来ない。

 

 その辺りを私が思い至っている事を少尉も理解している筈だ。補足するように話を付け足す。

 

「無論、ただ降伏しただけでは後々面倒事に巻き込まれた時に不足かも知れませんし、いつ返還されるかも知れませんので伯爵殿には捕虜返還の際の口添えを御頼みしたいと考えております」

 

 帝国に戻ってから後々に政治の陰謀やら生け贄目的で過去をほじくり返され難癖が来ないように亡命政府を通じて無罪放免の口利きをして欲しい、という訳だ。

 

 そうでなくても帝国としても使い潰す事が出来る同盟軍から返還された帝国兵は汚れ仕事や危険な任務に使う事が出来るので亡命軍に捕虜になった者達よりも返還が後回しになる傾向がある(そして帰る宛がなくそのまま亡命政府に帰化する者もいる)。そういったアフターケアの御願いを頼みたいらしい。

 

「成る程ね、そういう面で利用すると」

 

 完全に良いように利用されている訳だが……まぁ良いや、今更だし。

 

 具体的な計画を立て(というか予め計画を練っていたようなのでその説明を受けるだけだが)、内容を理解する。

 

「あ、待て。付け足すべき事がある」

 

 食い詰め少尉の計画説明中に私は思い出したようにそう提案する。

 

「そもそも、本来はそのためにここに来たのだからな……」

 

 一応、計画に付け加えても構わない、いや寧ろ場合によっては好都合な形で本来の目的も急遽付け加えるように私は提言した。

 

「それは……いや、確かにその通りだ。だが……良いのか?いっその事そのまま吹き飛ばした方が効率的だが?」

「いや、流石にそれは寝覚めが悪いし、余り派手にやると二次被害も怖い、残骸の軌道変更が主目的ならこれくらいが無難だろうさ」

 

 若い少尉は一瞬怪訝そうにしつつも、私の意見も聞き最終的にはその意見を承諾する。そのほか計画成功後の救助が来るまでの方策についても話合い意見を統一する。

 

「……こんな所だろうな」

 

 幾つかの段取りと穴が無いかを見返して、これ以上の修正点が無いのをベアトと少尉と共に確認する。

 

 ……さて、では計画も煮詰まった所で、そろそろ動き出すとしようか?

 

 

 

 

 

 

 

 軍艦の中で頑丈に作られている区画と言えば幾つかある。機関室や弾薬庫、艦橋、艦長室等が挙げられるだろう。そしてそれらと同じ程度に防御が厳重になされている区画が医療区画だ。独立した空調と予備電源、エアロックがあり、その生存性は艦橋や艦長室にも匹敵する、いや部分的にはそれをも上回る。

 

 ブレーメン級標準型巡航艦においては特に船体の余裕から医務室も広く三台の手術台と五十余りのベッド、二つの集中治療室と隔離室が用意され、外傷だけでなく感染症や歯科にも対応している。

 

 尤も、感染症等なら兎も角、多くの場合宇宙戦闘では即死する場合も多いし、重傷の場合医務室で治療を受ける事が出来れば八割方生存出来るものの大概その前にショック死なり失血死してしまうのが御約束だ。損傷した軍艦内部で迅速に重傷者を医務室まで運び込むのは困難なのだ。

 

 そういう意味ではクリストフ・フォン・ダンネマン少佐は幸運であった。艦橋の爆発による破片は少佐の左腕を切断したが、余りに切断面が綺麗であったために却って出血の量は比較的少なく止血をすれば辛うじて医務室まで体力は保てた。

 

 その上手術も困難なものではなく、体の衰えは仕方ないとしても、輸血した血液により、少なくとも当面の生命の安全は保証されていた。

 

 だが、当然その体は艦長として指揮出来るものではない。医務室に運ばれる直前に副長に指揮権を委ねて以来、彼は艦長用の高級な特別ベッドの上である。

 

 尤も重力制御装置が損傷しているために安全帯でベッドと自身を固定しなければならず、どうやらその寝心地を味わうという訳にはいかないようでもあった。

 

「うぐっ………流石に腕が痛むな」

「麻酔切れですな、追加しますかな?」

「これは我慢し切れん、済まんが頼む………」

 

 短髪で厳しい表情を微かに歪めるダンネマン少佐に軍医のフックス中尉が麻酔を打つ準備をする。六十を過ぎた老軍医は二ダースの負傷兵と三ダースの助からない兵士達を楽にするために半分以上使い切った麻酔を薬棚から取り出し無針注射に注ぎ込む。そして艦長の切断された方の腕に注射する。

 

「通常の半分ですので鈍い痛みは続きますが、宜しいでしょうか?」

「うむ、構わん。……他の者もいるからな、私ばかりが使っては皆が困ろう」

 

 事実、艦長を含め負傷兵のうちで半ダース程がベッドが起きれない重傷者であり、彼らは定期的に麻酔を必要としていた。無論、麻酔の数は有限であり、その節約のために通常一回分を半分にして誤魔化していた。無論、麻酔だけが不足している訳ではない。抗生物質や包帯、消毒液等のその他の医療品も今すぐとは言わないが少しずつ目減りしていた。

 

「副長の方は……どうだ?兵達を良く纏めておるか?」

「問題無いとは報告が来ておりますが………」

 

 心配するように尋ねる艦長にそう誤魔化すように答える軍医。定期的に顔を出す副長の苛立ちを隠さない表情を思い返すと到底そのようには思えない。行きがけの駄賃に胃薬と睡眠薬を注文している事も含め明らかに追い込まれていた。

 

 尤も、それを言うべきか軍医自身も判断しかねていた。艦長に連絡して解決出来るか分からないし、副長や兵士が暴発しかねない。それ以上に疲労の色の濃い艦長にこれ以上負担をかける訳にはいかないのだ。

 

 結局、そこに行きつき軍医中尉は口を噤む。所詮軍医は軍医であり戦傷の応急処置や緊急時の治療法等は分かっても純軍事的な問題は理解し切れないし権限もない。無論、責任も負えない。結果現状維持以外の選択肢は無かった。

 

「それでは艦長、私はほかの患者の方を見て参ります」

「うむ、頼む」

 

 そう言って席を外そうとしたフックス軍医中尉はしかし、次の瞬間物音に気付く。

 

「?何事だ?」

 

 上方、恐らくは換気口に何かが蠢く物音。正体は分からないが状況が状況である。咄嗟に腰のハンドブラスターを引き抜く。

 

「軍医、どうした?」

「分かりません、御注意下さい……!」

 

そう叫んで換気口に銃口を向け、警戒を強める軍医。

 

そしてその音は次第に大きくなり………。

 

「ちょっとタンマ!怪しくないから!不審者じゃないから!」

 

 明らかに不審者にしか見えない伯爵家長子は換気口から顔を出しながら慌ててそう弁明したのだった。

 

 


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