帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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主人公は出ません、主人公が楽しい宇宙遊泳していた間の戦闘についてです


第九十五話 油断大敵、はっきり分かんだね

 時は少し巻き戻る。5月16日2200時頃、同盟軍第二・第三艦隊は帝国軍と一応の距離を置く事に成功していた。後は第二猟騎兵艦隊を半包囲状態においている第一一艦隊が後退出来れば撤収作戦は成功と言えよう。

 

 事実、撤収作戦の殿を受け持つ第一一艦隊は遠征軍総司令部や亡命軍より戦力と物資の抽出を受けてその戦闘効率は飛躍的に向上していた。このまま行けば同盟軍は「雷神の槌」の洗礼を受ける事なく全面撤退する事も不可能ではなかった。

 

 しかし、5月16日2245時頃、状況は暗転する。この時同盟軍は通信妨害とレーダーの攪乱と言った情報不足の中にあっても帝国軍の意図に気付く事に成功していた。

 

「奴らの狙いは第一一艦隊の後背を遮断する事だ……!」

 

 要塞駐留艦隊は第三艦隊が撤収した宙域を先頭とした雁行ともいうべき斜線陣を敷きながら前進していた。そして偵察部隊による強行偵察の結果、その後方では第四弓騎兵艦隊が隠れるように展開していたのが発見されたのだ。そしてこれら戦闘艇部隊の多くは長距離レーザー砲を装備した砲艇部隊であり、その進行方向は第一一艦隊の後背であった。

 

「機動力と砲戦能力、そして隠密性に優れた砲艇部隊を以て第一一艦隊の側面に十字砲火点を敷くつもりなのでしょう。このままでは後方に下がれなくなった第一一艦隊は前方の第二猟騎兵艦隊、そして回廊危険宙域に挟まれ孤立、殲滅の危険性もあります」

 

 遠征軍総参謀長ゴロドフ大将は帝国軍の狙いを乏しい情報からすぐさま見抜いた。

 

「第二艦隊……では間に合わんの。第三艦隊に突入を命じよ、帝国軍は斜線陣を敷いておる。半包囲には時間がかかろう、薄い陣形を突破してその先の戦闘艇部隊の横腹を突くのじゃ」

 

 ブランシャール元帥の命令に従い後退しつつあった第三艦隊はすぐさま前進を開始する。

 

「全艦、密集隊形!戦艦部隊を前に!正面から受け止める!」

 

 要塞駐留艦隊司令官ブランデンブルク大将の命令に従い神聖不可侵の帝国本土を守る精鋭は迅速に隊列を変更、エネルギー中和磁場を全開にして展開した戦艦が第三艦隊の一斉射を受け止める。その最前列には旗艦「アールヴァク」の姿もあった。両脇に盾艦を侍らせた旗艦の姿に前線部隊の士気は上がる。

 

「各艦傾聴、この戦いが本会戦の分水嶺である、全艦一糸の乱れなく我が命令を遂行せよ!特別の武功を上げた者は私より勲章と報酬の推薦をする事を約束しよう。諸君、命を惜しむな!」

 

 その宣言と共に要塞駐留艦隊は一層激しく砲撃を行い始める。斜線陣による戦力分散により要塞駐留艦隊は第三艦隊に比べて火力で不利でありながらも練度と士気により一時的であれ互角に近い戦いを繰り広げる。

 

「気圧されるな!火線を調整して戦列を乱れさせるのだ!急げ!」

 

 ヴァンデグリフト中将は帝国軍の戦列に叩きつける火力に敢えて部分的に強弱をつける。これを不規則に変更する事でそれに合わせて戦列をシフトする帝国軍の陣形に混乱を生じさせた。

 

 流石に帝国軍の精鋭艦隊とはいえ、火力の不利をいつまでも誤魔化す事は出来ない。最前列では次々と戦艦が撃破されていく。

 

 遂には旗艦「アールヴァク」にも砲火が襲い掛かる。無論、それらの砲撃は艦のエネルギー中和磁場により弾かれる。

 

 しかし、通常の三倍のエネルギー中和磁場と一・五倍の装甲厚、二・五倍の防空能力を有する旗艦級大型戦艦といえどもいつまで激しい砲火を前に持つか分からなかった。

 

 「はははっ!全艦続け!止まるなよっ!?足を止める馬鹿は死ぬぞ!!」

 

 そこに第三艦隊の最前衛を受け持つ第94戦隊が要塞駐留艦隊の戦列に躍り込む。キャボット准将の乗り込む旗艦「アウゲイアス」を先頭に正面突破を図るのだ。

 

 帝国軍は小癪な反乱軍に砲火を集中させようとするが第94戦隊は無人の野を駆けるが如く砲撃を受け流しながら突き進む。相変わらずの命知らずの吶喊の前に帝国軍は照準を合わせる前に撃破されていく。

 

「提督!要塞駐留艦隊の旗艦「アールヴァク」を捕捉致しました!」

「良くやった……!」

 

 2335時、日付が変わろうという時に「アウゲイアス」のオペレーターからの報告にキャボット准将は歓喜の声を上げる。ここで敵旗艦を撃沈すれば帝国軍の指揮系統は混乱し、劣勢な戦局は一気に逆転する可能性があった、いや撃沈出来なくても損傷させるだけでも十分な効果はある筈だ。

 

 第94戦隊の猛攻を前に二隻の盾艦が「アールヴァク」を守るように前進した。旗艦に襲い掛かる砲火から彼らは文字通り身を挺して庇う。

 

 同盟にて帝国貴族の非人道性の象徴として扱われる盾艦は、しかし帝国社会においては名誉と羨望の象徴でもあった。

 

 基本的に大貴族が自腹で艦の建造費と乗員を用意し、常に主人の傍に侍る盾艦はその気になれば装備する防空レーザー砲で主人が座乗する艦を撃沈する事も可能である。そのため基本的に乗員は主人から厚い信頼を得ている臣下達に限定され、また乗員の給与や各種手当、福利厚生、遺族年金は通常艦艇の乗員よりも遥かに厚い。

 

 また艦自体の武装は誘爆の可能性が少ない防空用レーザー砲に限定され、その分のエネルギーを中和磁場発生装置に振り当てられた結果その出力は標準型戦艦の倍、また対ビームコーティングと複合装甲も通常艦艇のそれよりも強固、何よりも余程の事が無ければ最前線に出る事が無く実際の生存率は通常艦艇よりも寧ろ高いと言えた。

 

 無論、だからと言って盾艦の存在は張り子の虎と言う訳ではない。主人と体制に対して絶対の忠誠心を持つ貴族主義者達が搭乗する盾艦は文字通りその時が来れば盾としてその役目を全うする。更にはその内部にはチャフフレア機能も兼ねたゼッフル粒子発生装置が内蔵されており、場合によっては自爆して敵部隊の索敵機能を一時的に無力化、主人の座乗艦の脱出を支援する設計思想となっている。その異様なまでの献身は同盟人にとっては狂気そのものであり、嫌悪の対象とするに十分であった。

 

 盾艦は強力な中和磁場でエネルギーの奔流をはじき返し、襲い掛かる対艦ミサイルを側面に装備された特注の高性能防空レーザーシステムで迎撃する。

 

「逃がすな!追え!」

「貴族めっ……!逃げるな!」

 

 機動力に勝る駆逐艦が最大戦速で攻撃を加える。艦首の光子レーザーを斉射しながら対艦ミサイルをばら撒く。それらを迎撃するのは盾艦「シュヴァンデン」は低出力の防空レーザーを巧みに駆使して駆逐艦に擦れ違い様に近接攻撃を加え先頭の一隻を大破に追い込む。だが次の瞬間に三隻の巡航艦の一斉攻撃を受け、その攻撃は中和磁場の障壁を貫通し「シュヴァンデン」の装甲を引き裂いた。

 

「ぐぉっ……おのれ叛徒共………唯では終わらんぞ!」

 

「シュヴァンデン」艦長ルスドルフ大佐は燃え盛る艦橋内で命じる。同時に艦内タンクの化学物質が急速に化合されゼッフル粒子が生成される。

 

「不味い!散開しろっ!気狂いの自殺に巻き込まれるぞ!」

 

同盟軍は盾艦に砲火を集中させつつ散開行動に移る。だが盾艦は傷ついた船体で砲火を掻い潜る。

 

「我らが主君ブランデンブルク伯エヴァルト様に大神オーディンの加護あれかし!総員、敬礼!!」

 

生存する乗員が一斉に主君の乗り込む「アールヴァク」に最敬礼を取った。

 

 同時に自爆して小太陽と化した盾艦、その爆発の衝撃に数隻の同盟艦艇が巻き込まれ、爆発と同時に生まれた電磁波と光の前に最前衛に展開する部隊は一時的に「アールヴァク」の索敵と精密な砲撃が困難となる。

 

 続けてその爆発を突き抜けて「アールヴァク」に迫る同盟軍駆逐艦「フレッシャー」を盾艦「エスターライヒ」が艦首の衝角で横腹から殴りつける。「フレッシャー」を真っ二つにした「エスターライヒ」はそのまま巡航艦「カンダハール」の旗艦に向けた砲撃を自身の船体を叩き込む事で阻止した。

 

「糞っ、カルト共め……!」

「馬鹿!よせ!」

 

「カンダハール」の砲手の一人が中性子ビームを近距離から盾艦に撃ち込んだ。だがそれは悪手だった。内部のゼッフル粒子に引火した「エスターライヒ」は「カンダハール」のみならずその周辺の同盟軍艦艇も巻き添えにして吹き飛んだ。

 

 二隻の盾艦の犠牲を前に「アールヴァク」は悠然と後退し、その狂気に近い行動を前に第94戦隊を始めとした同盟軍部隊の士気は低下してその動きは精彩を欠き始める。

 

 それでも第三艦隊の後続部隊は第94戦隊の切り開いた血路に殺到して日付が変わり0100時には遂に要塞駐留艦隊の陣形を突破した。そして……正に「雷神の槌」を撃ち込もうとするイゼルローン要塞の姿を正面に捉えた。

 

「強力なエネルギー反応確認……!これは……『雷神の槌』……!」

 

 第三艦隊旗艦「モンテローザ」のオペレーターが悲鳴を上げるように報告する。と同時に「モンテローザ」のメインスクリーンは光に満たされる。

 

 だが、その事に対してヴァンデグリフト中将は怯える事は無かった。当然だ、何故なら第三艦隊は要塞主砲の射程に侵入していないのだから。

 

 光の柱はしかし第三艦隊の最前列に届く前にエネルギーを拡散させ無力化される。どのような強力な兵器であろうとも届かなければ何らの脅威にはなり得ない。そう、物理的には。

 

「っ……!止まるな!射程外だぞっ!怯えるなっ!」

 

 その意図を察した第三艦隊参謀長ロウマン少将が無線越しに艦隊を叱責した。

 

「一本取られたな……!」

 

 ヴァンデグリフト中将は思わず苦虫を噛む。

 

 そう物理的には要塞主砲は第三艦隊には届かない。だがだからと言って兵士達の恐怖が収まる訳ではないのだ。唯でさえ狂信的な盾艦の所業をその目で見た直後、今度は目の前で要塞主砲を撃ち込まれた兵士達は殆ど条件反射で体を竦ませ、その動きを一時的に停止させた。いや、兵士達だけではない、艦長や提督と言った者達でさえ、思わず艦を止め、あるいは隊列を乱してしまった。

 

 第三艦隊の過半の部隊が足を止めてしまい、それは戦いにおいて致命的であった。

 

「全艦砲撃開始!」

 

 ブランデンブルク大将の命令と同時に左右からの砲撃が第三艦隊を襲う。第三艦隊の砲撃を受け止めつつ中央部を後退させ、要塞駐留艦隊は少しずつ第三艦隊を半包囲下に置きつつあった。そして中央突破をされたと同時に同盟軍の両翼に展開した要塞駐留艦隊が苛烈な報復を行ったのだ。

 

「ファイエル」

 

 そう命じたのはメルカッツ中将であった。同時に第一一艦隊の後方を遮断するために移動しているように見えた第四弓騎兵艦隊は反転して第三艦隊の正面に展開すると待ってましたとばかりに砲撃を開始する。正面と左右からの砲撃を前に第三艦隊は瞬く間に数百隻を喪失した。

 

「隊列を立て直すぞ!大型艦は左右に展開し盾となれ!駆逐艦群を正面に展開!近接戦闘に持ち込ませるな!」

 

 遠征前に比べて二キロ体重が減少した航海参謀ロボス少将はただちに陣形を適切にシフトさせた。密集した防御陣形を形成しその損害率を瞬く間に減少させた。

 

 更に遠征軍総司令部もこれに呼応する。後退していた第二艦隊が第三・一一艦隊の間にねじ込まれる。要塞駐留艦隊右翼をそのまま第二猟騎兵艦隊の展開する宙域に押し込んだ。

 

 これにより第三艦隊は危機を脱する事に成功する。しかし………。

 

「何て事だ、こんな狭い戦域に敵味方が密集するとは……!」

 

 ワイドボーン中将が舌打ちする。戦況は混沌の色を深めていた。双方が緩やかなS字型の陣形で相手に張り付き、その両端、第三艦隊は第四弓騎兵艦隊主力と要塞駐留艦隊左翼に、第二猟騎兵艦隊は第一一艦隊にそれぞれ半包囲され、中央では第二艦隊が要塞駐留艦隊右翼と第四弓騎兵艦隊の一部と正面から砲戦を演じる。

 

「不味いのぉ、前線が釘付けにされてしまった」

 

 遠征軍旗艦「アイアース」艦橋で細く、乾いた手で白い髭を撫でるブランシャール元帥は困ったように呟く。唯でさえ物資が欠乏気味の同盟軍にこれ以上の消耗戦は下策であり、状況は決して宜しくない、ないのだがこの老元帥が口を開くと深刻な問題でもどこか老人のぼやきに思えてしまう。

 

 だが、逆に元帥の場違いなこの口調が艦橋内の重苦しい空気を緩和し、参謀達を落ちつかせる意外な効果を発揮していた。尤も、参謀達の大半はその事実を否定するであろうが……。

 

「ふむ……ゴロドフ参謀長、第一一艦隊を以て帝国軍右翼を中央に押し込む事は可能かね?」

 

 戦況スクリーンを見やる元帥は尋ねる。すぐさま作戦参謀グリーンヒル少将、後方参謀ホーウッド准将、航海参謀キングストン准将等と相談したゴロドフ大将は頷いた。それは肯定のサインだった。

 

 0245時頃、同盟軍は再び反撃に移る。側面から砲撃を実施していた第一一艦隊第三・第四分艦隊及び第五機動戦闘団が前進し第二猟騎兵艦隊を中央へと押し込み始めた。

 

「よし、今だっ!全艦斉射三連!一気に叩きこめっ!」

 

 帝国軍の隊列の乱れを狙いラップ中将は全面攻勢を仕掛ける。正面を主力が担い、横から一気に殴りかかる。所謂典型的な「槌と金床」戦術であるが、無論教科書通りに行えば誰でも成功する訳ではない。ラップ中将の予備戦力投入のタイミングと崩れた帝国軍の戦列の隙を逃さずに拡大させた第一一艦隊の機動力、フェルナンデス少将による艦隊の陣形変換の適切な指示があってこそだ。

 

 0330時まで同盟軍は優勢を維持する、が同盟軍の物資不足がここに来て顕著となる。日用品は兎も角、弾薬の供給が追い付かず、酷使を重ねた各種装備の故障や誤作動の発生率が加速度的に上昇する。

 

 遠征軍司令部は迅速な撤収が必要と決断した。帝国軍の迫撃を抑えつつ損傷艦艇を優先して後退を実施させる。

 

 だが、そこに決定的な隙が生まれた。

 

 0420時、第一一艦隊は8時方向から思いがけない攻撃を受けた。

 

「どこからの攻撃だっ!?」

 

 事前に要塞駐留艦隊より引き抜かれて第二猟騎兵艦隊に移籍していたヴァルテンベルク中将率いる第Ⅱ梯団は、しかし戦闘に参加せずに要塞の影をしつつ捻じれた回廊の危険宙域の影に潜んでいた。要塞側からは視認出来るが同盟軍からは死角となる宙域に展開していた帝国軍は同盟軍に対して完全な奇襲を加えた。

 

「落ち着け、敵は寡兵、たかだか一個分艦隊に過ぎん。一隻一隻撃破していけばよい!」

 

 ラップ中将の命令は正しく正確だ。しかし……。

 

「何をしているのだっ!散開するな!密集体形を取れ!」

 

 メインスクリーンを見つめるフェルナンデス少将は叫んだ。第一一艦隊の動きは醜悪であった。

 

 司令部の命令自体は適切な内容であった。しかし反撃する第一一艦隊は奇襲に加え元々疲労困憊でありその動きは精彩を欠く。そうなると衝突に注意しなければならない密集体形を取るのは困難になり、戦列はどうしても各艦が間隔を広めに取ろうとしてしまう。

 

 そこに図ったように猛将ヴァルテンベルク中将の集中砲撃が襲い掛かり第一一艦隊は寡兵に押し込まれ戦列は緩やかに崩れ出す。それどころかその混乱はすぐ近くに陣取る第二艦隊にまで波及する。そして……。

 

「不味い!このままではっ……!」

 

 メインスクリーンに映る戦況を見つめ参謀達がどよめく。帝国軍の圧迫を前に遂に第一一艦隊と第二艦隊は戦列を崩壊させつつその射程内に押し込まれる事になった。

 

 同時に同じく射程内にあった第四弓騎兵艦隊が後退を始める。それが意図する事が分からぬ程彼らも無能ではない。

 

「要塞表面、異変!」

 

 0455時、遠征軍旗艦「アイアース」の索敵オペレーターが強張った口調で口を開いた。その声に艦橋に詰める将兵が、いや四〇〇万を超える同盟軍兵士達がイゼルローン要塞の外壁を注視した。同時に全ての艦艇が要塞から距離を取り始める。

 

「最後尾は間に合わぬか………」

 

 オペレーター達が必死に各方面に退避命令を伝える中、老元帥は誰にも聞こえないような小さな声で無念そうにそう独白していた。

 

 一方同時刻、それ自体がモジュール化しており三重の複合装甲に守られた要塞防衛司令部では総勢一〇〇名を超えるオペレーターが各部署からの情報を受け取り、あるいは通達していた。

 

「『雷神の槌』エネルギー充填率九八……九九……一〇〇%、臨界点に到達」

「主砲仰角調整、銀河基準面に対して三四度の地点で固定、エネルギー拡散率は七五%に設定完了」

「主砲射線上の友軍部隊の撤収を確認致しました」

「全要塞要員に通達、主砲発射に際しての衝撃に備えよ」

「主砲管制室より連絡、要塞主砲に関わる全システムオールグリーン、主砲発射許可を要塞防衛司令部に移管するとの事です」

 

 要塞防衛司令官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー大将は要塞防衛司令官用の椅子に深く座り込み、正面の巨大なメインスクリーンを睨みつける。モスグリーンに塗装された艦艇の群れに最早秩序はなく、一ミリでも要塞から遠くに離れようと唯々逃げ惑っていた。

 

 その一角に照準が定まる。要塞防衛司令部に詰めるオペレーターやスタッフ、参謀達の視線が次の瞬間ミュッケンベルガー大将に集中した。命令を待っているのだ。

 

 そしてそれに答えるようにミュッケンベルガー大将は鷹揚に頷き、鋭い表情でメインスクリーン上の敵艦隊を射抜き……手を振り下ろした。

 

「『雷神の槌』、発射せよ!」

 

 

 

 

 

 

「要塞表面エネルギー反応急激に増大!」

 

 第一一艦隊旗艦「ドラケンスバーグ」でも異変は当然のように察知されていた。艦橋に詰める参謀やオペレーターがどよめきながらメインスクリーンを見つめる。

 

「全艦散開しつつ急速後退せよ!的を絞らせるな!対艦ミサイル一斉射!!帝国軍の迫撃を許すな……!要塞砲の狙いは何処だっ!?」

 

 ジャスティン・ロベール・ラップ中将は咄嗟に必要な指示を飛ばす。尤もその命令がどこまで遵守されるか怪しいものであったが。既に周囲には命令など耳に入らないとでも言うように各艦がエンジン出力を全開にして一刻も早く主砲射程外へと避難しようと先を争っていた。焦る余りに衝突する艦艇まで出ていた。

 

 無論、艦橋にて業務をしていたコーデリア・ドリンカー・コープ中尉もまた今まさに発射されようとしていた破壊の光の前にその手を止めていた。気丈な態度を取ろうとしても無駄であった。手は止まり、目を見開き、口元は震え、その表情から血の気は引いていた。

 

 コープは咄嗟に横にいる同僚に視線を向けた。ウィレム・ホーランド中尉はコープに比べれば幾分か落ち着いていた。コープと違い初の実戦という訳でもなく、死の危険が迫った事も無い訳ではない。寧ろ怯えるどころか険しく、そして鋭く要塞を睨み返していた。コープはその姿に極自然に安心感を覚えた。

 

「で、出ました……!推定照準範囲宙域、3‐5‐6、4‐9‐2、7‐6‐7、3‐6‐3、5‐7‐7……!」

 

 オペレーターが主砲の仰角から鉄槌の下されるであろう宙域を計算し報告する。

 

「至近かっ……!当該宙域の艦艇は最大戦速で退避せよ!核融合炉が暴走しても構わん!何としても射線から抜け出せ!!」

「総員掴まれ!本艦も退避行動を取るぞ!」

 

 ラップ中将の命令に続けて「ドラケンスバーグ」艦長クリングウッド大佐が怒声で全乗員に通達する。同時に「ドラケンスバーグ」は急激に進路変更を行い出した。慣性制御技術でも殺し切れない遠心力がかかり、船体に僅かに軋みが生じ、多くの乗員が悲鳴を上げながら近場の物で体を固定する。

 

「きゃっ……!?」

 

 コープもまた多くの乗員と同様、その揺れに体のバランスを崩し、デスクを掴み体を固定する。余りに荒すぎる操舵は、しかしその艦長の咄嗟の決断が正しかった事はすぐに証明された。

 

「エネルギー波、来ます……!!」

 

 オペレーターの叫びと同時だった。メインスクリーン一杯に光が満ちた。

 

「ひっ……!?」

 

 身を竦ませてコープはそれを見た。要塞表面より生じたエネルギーの奔流は一つの柱となった。

 

 射線内の艦艇群は最後の悪あがきにエネルギー中和磁場発生装置の出力を全開にして後方に展開する。だが全ては無意味だ。

 

 艦隊の最後尾にあった戦艦「アガメムノン」がその最初の犠牲者だった。彼女が展開した中和磁場はコンマ数秒のうちに無力化された。莫大なエネルギーの濁流が一瞬のうちに中和磁場を飽和させたのだ。

 

 押し寄せる熱量を次いで三重コーティングされた対ビームコーティングが受け止め……瞬時に蒸発した。五重重ねの複合装甲は数千万度の熱の前にオレンジ色となり、次いで赤く焼け焦げ、液化するより早く気化する運命を辿った。内在する酸素は燃焼し、有機物は原子に分解された。

 

 それはある意味幸運な事であった。彼らは痛みを感じる猶予も、何が起きたのか理解する暇も無かったのだから。

 

 不運な運命を辿った艦艇の一例は巡航艦「ランカシャー」であった。射線ぎりぎりの座標にあった彼女は最大出力で展開した中和磁場によりぎりぎり艦が原子崩壊する運命から逃れる事が出来た。

 

 だが余りに至近から浴びた熱量の前に装甲は焼け焦げ、酸素は燃焼し、中の乗員はある者は防火性能のある軍服が肉体ごと発火し人間松明となった。ある者は溶けた船体と皮膚が焼け爛れながら結合し、またある者は肺を焼き血液を沸騰させる運命を辿った。いっそそのまま爆散出来れば彼らはこの苦痛から迅速に開放された事であろうが、乗員の生存率を一%でも向上させるため徹底的にダメージコントロールの為された船体の構造がそれを許す事は無かった。

 

 巨大なエネルギーの柱は拡散しつつも数百隻を超える艦艇を眩い光の中に飲み込んだ。鋼鉄の塊は原子へ分解され、次々と小太陽が生み出され、無数の生命を虚無へと還元した。「雷神の槌」、正にその名の通り神の一撃と言うに相応しい。

 

 だが、仮に遠方からそれを見た者はそれを別の物に表現するかも知れない。黄金に輝く幹に、拡散するエネルギーは枝木に見え、爆発の光は虹色に輝く葉か実にも見えただろう。同盟では敢えて無視されているが要塞の要塞主砲「雷神の槌」は別名「ラインの黄金樹」とも呼ばれていた。

 

「ドラケンスバーグ」は光の柱をほんの数キロ真横に拝む事が出来る位置にあった。凄まじいエネルギーの嵐が一キロを超える船体を激しく揺さぶり、その熱エネルギーが複合装甲の第一層を蒸発させ、第二層を焼き、第三層でようやく止まった。艦橋では天井の照明が割れ、端末から火花が散り、スクリーンの一部が罅割れ、乗員が泣き声に近い悲鳴を上げる。地震のような揺れは、人類が地球のみに居住していた時代ならばまだ耐性がある者も多かろうが宇宙暦8世紀は違う。地殻が不安定な地域に態々住む物好きなぞ滅多にいないのでその衝撃はひとしおだ。

 

 だが、それだけだった。ラップ中将も、クリングウッド艦長もその被害が艦隊指揮の面でも艦の航行の面でも重大な問題となり得ない事を理解していた。それ故に悠然、とはいかないまでも大多数の乗員と違い絶望に表情を歪ませる事も、情けなく泣き叫ぶ事も無かった。

 

「きゃっ……!?」

 

 当然のようにコープも艦橋にいた者達の多数派に漏れずに腰を抜かし、座り込んだ姿勢で涙目で頭を両手で押さえ身を守る。そして運悪くそんな彼女の頭上で照明が割れ、砕けた硝子片がコープに襲い掛かった。

 

「………!?」

 

 咄嗟の事でコープは動く事も出来ない。このままでは上から降りかかる透明な刃が彼女を傷つけるだろう、安全硝子製ではあってもこの高さなら切り傷程度ならば出来るに違いない。

 

「伏せろっ……!」

 

 殆ど反射的な動きだった。すぐ傍にいたホーランドがコープに覆いかぶさるように盾になる。

 

「っ………!」

 

 防刃繊維製の上着のお陰でホーランドの体は守られるが、頭はそうはいかない。ベレー帽で急所を守るが額や首の一部が硝子片で切れ、血が流れる。

 

「あっ……」

「思いのほか切れたな……。どうした?コープ、そちらは大事ないか?」

 

 どくどくと流れる額の血を手で拭い、ホーランドは茫然と自身を見やるコープに心底怪訝そうな表情で見やる。その声にはっと我に返ったコープはあうあうと言葉にならない事を呟き、最後に絞り出すように言う。

 

「えっと……ありがとう?」

「?ああ、別に構わん」

 

 本当に大した事が無いようにホーランドは答える。実際彼にとっては同僚に対する純粋な善意以上のは無かったのだろう、その意思が伝わり、かすかに不機嫌そうな表情を浮かべる。

 

「って、そうじゃないわっ!早く手当をしないと……!」

 

 艦内の震動が止むと、元々頭の回転が悪くないコープは思い出したかのように傷の手当をすべく立ち上がり……。

 

ぺちゃ……。

 

「…………」

 

 嫌な感触がして、コープは足元を見やる。床には生温かい水溜まりが出来ていて、自身の穿くズボンもまた完全に濡れていた。

 

「ドラケンスバーグ」の一角でアンモニアの臭いと女性の悲鳴が聞こえたが、ラップ中将は特に関心を示さなかった。「雷神の槌」が発射されると恐怖のあまりに失禁する者は決して少なくないのだから。実際艦橋内ではほかにも粗相をしでかした者は幾らでもいて、その中には古参兵すら混じっていた。事実探せば艦内がアンモニア臭に満ちた艦なぞダース単位で見つかるだろう。いちいち反応するべき事でもない。

 

 それ以上に重要なのは状況把握だった。

 

「R-3、R-7、R-16防空レーザー砲塔通信途絶、C3ブロック負傷者二名、E7ブロック予備電源喪失……」

「第247戦隊旗艦「トランスヴァール」通信途絶!第415戦艦群旗艦「ローデシア」の撃沈を確認……!」

「第1013、1078駆逐艦群は全滅、第689巡航艦群、レーダー反応消失……!」

「第278戦隊より入電です。旗艦「キングプロテア」撃沈、司令部は全滅したために副司令官トラーディ大佐が指揮を代行するとの事です」

 

 砲撃は第一一艦隊の最後尾と第二艦隊の一部を狙い撃ちしたものであった。幸運な事に艦隊の大半は射程圏外に脱出する事が出来たために消滅した艦艇は多く見積もっても一〇〇〇隻を超える事は無いであろう。

 

 だが、その被害は遠征開始から今日までに同盟軍が受けた損失の二割から三割に及ぶ。一か月以上かけて蓄積された損失の二割から三割である、決して軽い損害では無かった。

 

 その上、第二撃の攻撃は無くとも既に同盟軍の士気は地に落ち、陣形は崩壊寸前、最早同盟軍に継戦するだけの力は残っていなかった。

 

「……全艦、撤退せよ」

 

 ラップ中将はそう命令する以外の選択肢はなかった。それは総司令部も同様だ。

 

「………最後の最後でしくじったの」

 

 総旗艦「アイアース」の艦橋でブランシャール元帥は無念そうな表情で椅子に腰かける。

 

「はい、真に残念です」

 

 傍らに控えるゴロドフ大将も心底無念そうに返答した。

 

「……じゃが項垂れる訳にはいかんのぅ。……ふむ、第一一艦隊、第二艦隊、第三艦隊の順で撤退準備に入らせようかの。殿は第五機動戦闘団と第58、77戦隊を。亡命軍からも幾つかの部隊を回すように通達を頼む。帝国軍は迫撃してくる、これ以上の犠牲を出してはならん」

 

 戦況の報告から撤収手順についてスタッフ達にそう命じると、元帥は再び静かにメインスクリーンを見やる。

 

「はぁ、ハイネセンに帰るのが憂鬱だのぅ」

 

 陰鬱な気持ちになる元帥。恐らくは此度の遠征の責任を取り、虚飾に彩られた式典に出回り、遠征の成功を冷ややかな視線を浴びながら宣伝した後、最後は追い出されるように退役する事になるだろう。元より最後の奉公として半分腹切り要員の遠征軍司令官を引き受けた身である。どの道退役予定の老い耄れなので市民からのバッシングが怖い訳ではないが……。

 

「また、沢山若いのが死んだの」

 

 そしてまたのうのうと老人が生き残った。先の無く、能の無い老人ではなく前途有望な若者達が。スクリーンに映るイゼルローン要塞の容貌を見つめつつ元帥はこの時代の不条理を呪わずにはいられない。

 

 同時にまだ遠征が終わっていない事も自覚し、再度身を引き締める。帝国軍の追撃を撃退し、一人でも多くの兵士を帰還させるまで彼の役目はまだ終わっていないのだから。

 

 しかし、結果として同盟軍は半分秩序が崩壊しつつも殆ど無傷に近い状態で撤収を完了させる事が出来た。殿を引き受けた第五戦闘団前衛部隊司令官リンチ准将等の活躍も一因ではあるがそれは副次的な要因に過ぎない。

 

 撤収作戦が開始されていた頃、敗北に沈む同盟軍が予想していなかった事態が帝国側で起きていたのだった……。

 

 

 

 

 

 

「帝国万歳!皇帝陛下万歳!」

「ブランデンブルク大将万歳!ミュッケンベルガー大将万歳!」

「偉大なる銀河帝国に栄光あれ!黄金樹に永劫の繁栄あれ!」

 

 同盟軍の士気が地に堕ち切って限りなく敗走に近い撤退を行っていた頃、帝国軍の通信は祖国の勝利を賛美する内容に溢れかえっていた。黄金の大樹を連想する光柱の一撃が野蛮で劣等種族からなる叛徒共による帝国本土侵攻の意志を砕く、その姿は帝国人の愛国心を心地よくくすぐるようであった。

 

 尤も、そのようにはしゃぐのは兵士や下士官、あるいは尉官程度のものだ。司令部は敗走する同盟軍に、しかし先程の雷神の神罰が決して見た目程の損害を与えた訳でない事を良く理解していた。

 

 歓声に沸く要塞駐留艦隊「アールヴァク」艦内でもそれは同様であり、オペレーター達が喜色を浮かべるのと反対に司令官ブランデンブルク大将は鋭い表情でメインスクリーンを見つめていた。

 

「全軍に通達する。無線を繋げ」

 

そう命じ、無線機を取ると大将は演説を始める。

 

「諸君、御苦労。卿らの帝室と祖国への献身の結果、我々は辺境の蛮族の侵略を無事打ち払う事に成功した。此度の勝利は正に銀河帝国の体制の唯一無二の無謬性と正統性を人類史に改めて刻みつけるものであり、卿らの戦いぶりは勇猛なる帝国軍人の理想を体現したものである!帝室と祖国は諸君の働きに相応の恩恵を持って報いるであろう。今後も諸君の無私の体制への奉公を期待するものである」

 

 労いの言葉を語り、一度言葉を切り、ブランデンブルク伯は言葉を繋げる。

 

「さて、古来より戦いとは敗走する敵の迫撃が最も戦果を拡大させる機会であると言われる。我々はこれより高慢にも思い上がった叛徒共をその占領地まで追撃し、二度と思い上がった行いを出来ぬように懲罰を加える。全軍、補給と休息を完了させ次第、前進を開始せよ!」

 

 叱咤激励の言葉と共に追撃の意思を示した大将の言葉に再び帝国軍の通信は歓呼の声が鳴り響いた。小さく頷いた大将は自軍の士気が十分である事を理解すると無線を終える。その表情は演説中の力強さはなく、酷く疲れたように椅子に深く沈み込む。

 

「旦那様、御疲れ様で御座います」

 

 若い従兵がブランデンブルク伯の好物のラントヴァイン(領地の地酒)の白ワインを差し出す。惑星ブランデンブルクの白ワインは甘みが強く過労の体に良く合っている。

 

「うむ、御苦労」

 

 若い従兵に労いの言葉をかけた伯爵はグラスを傾け、その色を楽しみ、しかし陰鬱な表情で呟く。

 

「ルスドルフ、シュターディオン……此度の勝利は卿らの忠誠の賜物だ」

 

 此度の勝利の一因は「アールヴァク」が最前列で友軍を鼓舞し戦列崩壊を防いだ事、そして盾艦がその身を犠牲にして旗艦を守り、同盟軍の足を止めた事である。そしてその勝利のためにブランデンブルク伯に仕える盾艦の艦長と乗員はその義務を十全に果たしてくれた。

 

「卿らの忠誠を忘れる事はない。後は任せよ」

 

 代々伯爵家に仕え、その義務を果たした彼らの残された家族の生活と将来を保証する言葉を口にした伯爵はグラスの中身を一気に流し込む。甘い筈のワインは、しかし苦い味に伯爵には感じられた。

 

「司令官、第Ⅲ梯団が再編を完了致しました」

「うむ、第Ⅲ梯団を先鋒に、次いで第Ⅳ梯団に反乱軍の追撃を命じよ」

 

 オペレーターの連絡にそう答えるブランデンブルク大将。反乱軍の追撃のために旗艦「アールヴァク」もまた前進を始めた。

 

 この時、「アールヴァク」は二隻の盾艦を喪失し、また戦力を一隻でも追撃に回すために護衛は三隻の巡航艦と六隻の駆逐艦のみであった。

 

 尚も抵抗を続ける反乱軍の艦艇がデブリ帯より姿を現し、そして盾艦の代わりに脇を固めていた巡航艦が一時的に迎撃のためにその場を離れた。

 

 正にその瞬間であった。記録によれば推定時刻0537時、流れ弾の姿をした電磁砲弾が旗艦「アールヴァク」の右舷斜め上層に命中したのだ。

 

「っ……!?」

 

 何が起きたのか分からないままに爆発に巻き込まれ艦橋オペレーターのベック曹長、索敵主任クラインゲルト大尉が飛んできた破片で即死した。次いで作戦参謀ボーベンハウゼン少将と砲術参謀アウプフェン大佐が爆風で吹き飛び、前者が内臓破裂と頭部に受けた衝撃で死亡、後者が全治半年の骨折を負った。後方参謀アイゼナッハ准将は肋骨を損傷し、副官ヴェーラー中尉は軽傷ながら衝撃で気絶していた。

 

 艦内が赤く点滅し、悲鳴が響き渡る艦内、従兵のレーベル上等兵は自身が床に倒れている事に気付き周囲の状況から何が起きたのかを理解する。次いで自身の主君の身を案じ周囲を見渡しその姿を見出した。

 

 ブランデンブルク伯は指揮官席に悠然と座していた。そこには一切の恐怖の色はなく、選ばれし門閥貴族の末裔らしく堂々たるものであった。

 

その健在な姿に従兵は安堵する、しかし………。

 

 次に艦を襲った二度目の小爆発により艦橋のメインスクリーンの天井部が吹き飛んだ。その衝撃で艦材の一つが高速で飛び……次の瞬間ブランデンブルク伯の腹部に真上から突き刺さった。

 

「旦那様……!」

 

 レーベル上等兵は驚愕の表情と悲鳴を上げながら主君の下に駆け寄る。

 

「落ち着け、レーベル上等兵。卿が負傷したわけではない。無様な姿を晒すのは子孫の恥となる、気を付けよ」

 

 腹からどくどくと鮮血を流す伯爵は額から汗を流し、苦痛に僅かに口元を歪めつつも淡々とした表情でそう臣下に注意をした。

 

「ぐ…軍医!軍医を呼べ!早く!」

 

従兵の命令に、しかし伯爵は首を横に振る。

 

「良い、この怪我では治療は間に合うまい。ほかの者の治療を優先せよ」

「ですがっ……!」

「ふっ、どうやら所詮私は「ここまで」の器らしい。………遺言書は執務室の机の二番目の棚にある、委細の例外なく実行するように、特に盾艦の遺族は良く面倒を見るように、伝えてくれるな?」

 

 従兵を見つめる伯爵、その視線は有無を言わせぬ迫力であった。

 

「は……はいっ!旦那様っ!確実に御伝え致します!」

 

 蒼白な表情で、しかし力強く答えた従兵の態度に満足したように頷く伯爵。次の瞬間、彼はコップ一杯分の血液を吐き出すと同時に意識を失った。従兵は悲鳴を上げ主君の名を叫ぶ。

 

 0539時、軍医のゼッレ中尉が駆け付けて来た時には、しかし彼に出来たのはブランデンブルク伯が死亡した事実を確認するのみであった。

 

 5月17日0537分頃、死因は爆風で飛んできた破片が内臓及び動脈を傷つけた事による出血性ショックであった。艦隊司令官の戦死、この事実により士気高揚していた帝国軍は、しかし指揮系統の混乱と兵士達の動揺により迫撃を断念、結果同盟軍は帝国軍の追撃の損害を殆ど受ける事なく撤退を完了させたのだった……。

 

 




次は章の終わり、その次が幕間でその次が新章の予定です

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