場面は切り替わり、天界へ戻る。
一つ、一つ。外へとつながる階段を踏みしめるように下りながら、ジストメーアは大きなため息をついた。
それは声を掛けた人物へのものが半分。もう半分は目覚めたばかりのダイについてだった。
その姿を初めて見たときは正直なところ死体か何かではないか、とジストメーアは思っていた。
勇者が大魔王に勝利し消えるまでの一部始終を見ていたジストメーア達天界の精霊は知っている。黒の核晶の爆発に飲まれて生きていられる生物など存在しないことを。
だから辛うじて息をしたまま天界にダイが流れ着いたことは本当に奇跡だったのだ。
だがその怪我は酷く、無事と言えるのは頭だけ。と言っても火傷を負っていない箇所はなく、無事と言っても原型がわかる程度。
身体の方など大火傷という言葉すら生温い有様だった。
至近距離で爆風を受けたためか、鍛え上げられていただろう身体は反対が見えるほど穴だらけ。足など炭化しており、骨まで焼かれてしまったのか、異様な細さで辛うじてくっついているという有様。
これで何故生きていたのかわからない。
回復魔法においては天界最高峰の腕を持つジストメーアと、神々の宝物がなければ五体満足で復帰させることなど土台不可能であっただろう。二週間程度で治療できたのはまさに奇跡だ。
……だと言うのにダイが死を享受していたのは、そこまでの治療を施した身としては誠に遺憾なものであった。
思い出すのは治療中のダイの表情。
全てを諦め、死を享受する穏やかな顔は、これまで幾人もの精霊を治療してきたジストメーアですら見たことがないほど澄み渡った色だった。
それこそぞっとするほどの。
たかが十代前半の少年が浮かべていいものではないことは明白だ。
ジストメーアはその表情が大嫌いだった。
(仕方がないことだってわかってる。あいつがやらなきゃ全てが大魔王の思うままになってたんだから、何もできなかった天界は感謝する他ない。
それでも……あんだけ頑張った奴があんな顔をするのは、やっぱり許せねえ)
勝者は勝者らしくその後の幸せを勝ち取るべきなのだ。だから早いところダイを地上に返してやりたい。
そんなことを思い返しながらジストメーアは玄関の扉を開いた。
「ジストメーア、わざわざ呼びつけてすまないな」
「別に構わないぞ、フラッグ。患者の容体もひと段落したところだ」
そこにいたのはやや小太りな男、フラッグだ。
ジストメーアと同じ天界の精霊である彼だが、普段は居住区の外の警備をしている男だ。
瘴気に汚染された天界では神々の命によって、精霊たちは居住区画以外では原則二人以上で行動することを義務付けられている。
これは彼ら精霊が容赦無く襲ってくる瘴気に対抗するために必要なことだ。
しかし常であれば相棒と共に行動している筈の彼がここにいることはおかしいことだった。
そんなジストメーアの訝しげな視線にフラッグは薄く微笑みを浮かべた。
「いやあ何、相棒が怪我をしちまってね。治療が完了するまでは居住区内の警邏だよ」
「ふん。それで俺に治療の依頼か? これでも重症患者の手当てに忙しい身なんだがな」
「いやいや、天界最高の回復呪文の使い手に頼む程の重症じゃない。峠も越えてるし、三日も経てば現場復帰さ」
それより、とフラッグは口元を釣り上げた。
その視線はねっとりと玄関の先にある階段を見つめている。
話の先が見えたのだろう。ジストメーアは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「竜の騎士、いるんだろう? 会わせて貰いたいんだが」
「竜の騎士は重傷だ。治療に携わるもの以外は面会謝絶としている」
「神々の秘宝を使っておいて治ってないって? 冗談にしては笑えないぜジストメーア」
挑発するようなフラッグの物言いにしかしジストメーアは無視を決め込んだ。
フラッグの目的はわかりきっている。竜の騎士であるダイに、天界を脅かすあの瘴気を一掃してもらおうというのだろう。
非力な精霊である彼らにとって味方である竜の騎士に助けてもらうことは当然のことだ。
というか、それを目的に神々も秘宝をジストメーアに預けていたのだからこうなることは時間の問題であった。
それにしてもフラッグの行動は早すぎるものであるが。
(目覚めたばかりで碌に力の戻ってないガキを前線に立たせるなんてどいつもこいつも馬鹿げてらぁ)
内心神々とフラッグへの悪態をつきながらジストメーアは首を横にふった。
「帰れ、フラッグ。竜の騎士はまだ戦えない」
「……ジストメーア、お前の実力は皆理解してる。竜の騎士は回復しているはずだ。
分かるだろう? 天界の汚染はもうどうしようもない。俺達の力だけでは抑えるだけで精一杯。神々を守るためにも竜の騎士の力が必要なんだ」
(その神々が俺たちに何かしてくれたのか?)
込み上げた不満の言葉をジストメーアは何とか飲み込んだ。
天界が瘴気に汚染されてから神々は住居である天上から出てきたことがない。天界の浄化を進めているとの噂だが、その出所も怪しいものだ。
少なくともジストメーアが知る限り、守るべき民である天界の精霊達が瘴気に食い荒らされていても、神々が自ら赴いて瘴気を駆逐することは決してなかった。
ふつふつと込み上げてくる怒りを押し込み、ジストメーアは努めて落ち着いた表情を浮かべた。
「……あのなフラッグ。つい先日まで死闘をさせられ、挙句に生死の境を彷徨ったばかりのガキを戦わせるなんてどうかしていると思わないか?
少なくとも俺の目が黒いうちは戦闘行為なんて絶対に許可しないしさせてたまるか」
「完全回復しているなら問題ないだろう? 今代の竜の騎士は毛色が変わっているが、神々の作り出した戦闘兵器だ。天界の……神々の為に働いてもらって何が悪いんだ?」
断固拒否と言わんばかりのジストメーアの表情に、フラッグは心底理解できない、と肩を竦めた。
その言い分は精霊としてとても正しい。
ジストメーアとて本来は自身もそうしなければならないことを理解している。それが天界の精霊として正しい在り方だからだ。
それでもそれは間違っているとジストは思うのだ。
「……天界のことは天界のものが決着をつけるべきだ」
絞り出すような声だった。
肩を震わせているのは怒りか、罪悪感なのか。ジストメーア本人にすらわからないその激情を胸に堪え、ジストメーアはフラッグを真っ直ぐに見据えた。
「親が竜の騎士とはいえ、地上の人間を矢面に立たせるのは……間違いだ」
「彼は竜の騎士だよ。生来の紋章だけならともかく、継いでしまった以上、こちらの所属だ。ジストメーア」
「違う。あいつは人間だ。地上に帰すべき人間だ」
「ジストメーア」
「…………俺は譲らねーぞ」
これ以上は話が進まないと悟ったのだろう。フラッグは深々とため息をついた。
「……分かった、今日は帰ろう。また来るよ」
「ああ、帰れ。治療でも警邏でも俺に関することなら話は聞いてやる。尤も、あのガキは絶対出さないがな」
「やれやれ。十五年前からすっかり口が悪くなって……日課のアレもだけど、本当に捻くれてしまって叔父さん悲しい……」
「うっせー余計な御世話だ帰れ!!」
「ははは。また来るよ」
フラッグはしてやったりと笑みを浮かべると、名残惜しそうにジストメーアを見つめ……ゆっくりと歩き去って行った。
残されたジストメーアは一人黒い靄に覆われた天を睨みつけた。
「……てめーのせいで全部十五年前から狂いっぱなしだ。いつか絶対この手でぶっ倒してやる……」
十五年前に天界をこのようにした元凶への怒りを胸にジストメーアは玄関の扉を固く閉ざす。
そして手にした短剣を改めて握り直すと、彼を待つ患者の元へと行くのであった。
◇
ダイはパッと目を見開いた。
白光が顔にかかるように小窓から差し込んでおり柔らかな暖かさを肌に伝えてくる。見知らぬ白い部屋に一瞬硬直するも、ダイは自分がどこにいるか思い出した。
(ここ、天界だ! えーとえーと、おれはライトとジストの兄弟に拾われて……絶対安静って眠らされて……どれくらい寝ちゃったんだろう?)
清潔な印象を与える真っ白な部屋はとにかく落ち着かない。ダイはベッドから降りるとライトとジストの姿を探した。
その身体は眠りに落ちる前とは比較にならないほど軽い。
今なら普通に動くこと程度ならできるだろう、と判断すると、奥の扉が開いた。
「物音がすると思ったら……おはよう! ちょうどよかった!」
扉の影から覗くようにライトが現れた。その手には盆があり水差しとコップが乗せられている。
ライトは小走りでダイの元へ近づくとそれを差し出した。
「はい、どうぞ。ずいぶん長く眠ってたねえ……やっぱり疲れてたんだ」
「ありがとう、ライト。……おれってどれくらい寝てたの?」
「地上でいう三日くらいかな? でもその分疲れは完全に取れたんじゃない?」
体力は落ちただろうけど、と付け足すライトにダイは目を丸くした。
予想外に長い時間眠っていたらしい。しかしよく考えれば極限の状況の中から生還したのでそれも当然だろう。
言われてみれば随分と体に力が入らず、ダイにしてはたどたどしくコップを受け取るその直後、大きな腹の虫が鳴った。
少年たちの間に沈黙が走る。先に口を開いたのはライトだった。
「ごはん、食べる?」
「……うん」
流石の竜の騎士も食欲には勝てなかった。
ちょっと待っててと扉の向こうに引っ込むライト。扉の先にはジストが居たのだろう。暫しの会話の後、扉の先からふわりと米の炊ける匂いがかおる。
胃を刺激するそれにダイの喉はゴクリと音を鳴らした。
それからほどなくしてライトはエプロン姿のジストを連れて戻って来た。
その手には暖かい湯気を放つ粥が載せられている。
眉間に皺を刻んだ精霊の兄はぶっきらぼうにダイに告げた。
「眠れたか」
「うん、ばっちりだよ。ありがとう、ジストさん」
「礼は要らねえ。ライトもよくやってくれたし、礼ならそっちに言え」
「にいちゃん……本当素直じゃない……」
「うるせえライトちょっと黙ってろ。ダイはちょっと手を出せ」
ジストはそういうと徐にダイの手首に触れた。
「……うん、もう大丈夫そうだな。あとはよく食ってよく休め。それで身体は良くなる」
「あ、あのジストさん!」
「悪いが少し手が離せない。食べて待ってろ」
小さなテーブルに丁寧な動作で粥を乗せるとジストは部屋の外へ出て行った。
素気無く出て行ってしまった兄の姿にライトは小さくため息をついた。
「もーにいちゃんたら……代わりに謝らせてね、ダイ。ごめんなさい」
「大丈夫だよ。ぶっきらぼうだけどジストさんが優しいのは分かるから」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……」
ライトは困ったように視線を彷徨わせると小さく息をついた。
「ダイの方が大人だなあ。ジストにいちゃん、基本ああいう感じだからよく誤解されるのに」
「そう? ジストさんが優しくて丁寧な人なのは見てたら分かると思うよ」
そう言ってダイはジストの用意した粥を口にした。程よい塩気を帯びた白米が疲れた身体に染み込むようだ。
三日も寝ていたダイを労ってか普通の粥よりも水気が多いが、そのお陰で枯れ気味であった喉をよく滑る。
かつて、遊びすぎて疲れて寝込んでしまった時、ダイの祖父ブラスが作ってくれた粥ととてもよく似ていた。
不意にダイの目尻に涙が浮かんだ。
「ど、どうしたの? にいちゃんの味付け、濃かった?」
「違うよ。ちょっと爺ちゃんのことを思い出しちゃっただけ」
「そう? いきなり泣き出すからびっくりしちゃったよ」
そう言って誤魔化すように目尻を拭うと、ダイはあっという間に粥を平らげた。
食べたことで身体にエネルギーが補給されたのだろう。ダイは自分の身体が回復に向けて動き出したことを感じ取った。
(そう言えば……父さんの声、聞こえないなあ)
竜の紋章が宿っているはずの額に手を翳す。
額に紋章が戻ったのはつい最近であるが、紋章が発している暖かさをダイが忘れる筈もない。
けれどダイの額はただの人のようにひんやりとしていた。
その様子を見たライトは訝しげに眉間に眉を寄せた。
「どこか不調でもあるの? 細かいことでもちゃんと言ってね、俺はこう見えてにいちゃんの助手なんだから」
「あ……うーん、不調、と言えば不調なんだけど……」
ダイは少し悩み、正直に話すことにした。
竜の紋章の存在を感じ取れないと聞いたライトの眉間の皺が深まる。
「闘気を感じる力がまだ回復してない? それとも黒の核晶に込められた魔力の影響? うーん、ダイ、普通の闘気は使えそう?」
「やってみる」
ダイの意識が集中する。
生命力を闘気へと変換し己の武器に通すのは、アバン流を修めた者にとって朝飯前の技術だ。
武器ではないが握っていたスプーンに闘気が通ったのを感じ取り、ダイは小さく頷いた。
「……うん、大丈夫だよ」
「じゃあ次は竜の紋章の力を意識してみて。一応言っとくけど闘気技として出しちゃダメだよ?」
「や、やらないよ!」
どうかな、と揶揄うように笑みを零すライトにダイはムッと唇を引き締めた。
これはライトを見返してやらねばなるまい、と気合いを入れ、額に意識を集中する。
闘気ーーその元となる生命エネルギーが身体の中を循環しているのがダイにははっきりと感じ取れた。
だが竜の紋章から生まれ、ダイの身体を流れるはずの竜闘気の気配は微塵もない。
(父さん……父さん、どこにいるの?)
かつて竜の紋章が分かたれていた両手にも竜の気配は微塵もなく、ダイの心に焦りが生まれる。
しかし、どんなに集中しようとも紋章を通して心が繋がっていた父の残り香すら感じ取れない。
まるで自分が竜の騎士ではなくなってしまったかのような喪失感。
父との最後の繋がりすら消えてしまったような空白に、ついにダイの目から涙が溢れた。
「父さん! 父さん……返事してよ! おれを助けてくれたんだろう!? まだ紋章の中にいるんだろう!? なのにどうして……ッ」
感情の決壊によって溢れ出したダイの光の闘気によって、室内だというのに風が吹き荒れる。
そよ風程度だったその勢いが段々と増して行くことに危機感を覚えライトは扉へと叫んだ。
「ちょ……やっちゃった!? ジストにいちゃんへるぷ! へるぷー!!」
「ああ? うるさいぞライト……ってなんだこの惨状!?」
まるで室内に竜巻が発生したような有様に、袋を携えたジストは目を見開いた。
そして素早くその発生源であるダイに目を向けると弟の頭をひっぱたいた。
「患者を刺激してどーする! いくらあいつが色々規格外で回復傾向といってもそれは身体面! 精神面じゃまだまだズタボロなのを忘れたか!」
「返す言葉もありませんごめんなさい!! 竜の紋章が感じ取れないって言ってたから少し話を聞いたらこうなっちゃって……!!」
「竜の紋章!? あー……大切な形見ってやつか!?」
ダイを中心に飛び回る家具から身を守りつつ、ジストは袋から何やら取り出す。
それを見たライトは滲み出る刺激臭に顔を歪めた。
「ちょっ……にいちゃんそれ……!!」
「良薬口に苦し! とりあえず一発正気に戻りやがれクソガキィ!!」
「ダイ、強く生きてーー!!」
一言断っておくとこれはただの薬である。
ただジストの薬は煮詰めすぎた薬草を更に腐らせたような強烈な匂いが著しく飲む気を失わせてくるだけなのである。
被験者にされたライトは知っている。その薬の凶悪さを。
吹き荒れる暴風も、行く手を阻む家具類もなんのその。兄の執念を知る精霊の少年は静かに十字を切った。
ーーその直後。悲しみに支配されていたダイの口の中に、形容し難い複雑な味が広がった。
◇
結論から言うと竜の騎士も薬には勝てなかった。
「…………」
「……はい、お水」
複雑怪奇な薬の味が未だに残る舌に、苦い表情を浮かべながらダイは無言で五杯目の水を煽った。
一杯目は全く役に立たず、三杯目で残渣が消え、四杯目でやっと口の苦味が薄れた為だ。水で膨れた腹を抑えるダイにジストは呆れたように肩を竦めた。
「普通に飲めるように準備中だったんだがな……恨むならライトを恨め」
「……元が殺人的な味なのはどーかと思う……」
「それはホラ、にいちゃんの性格の悪さが滲み出てるから……ってあばばばば!! にいちゃんごめんごめんギブギブギブ!!」
「原因はお前だろう反省しろ愚弟」
口の滑る弟にはきっちり仕置きを与える兄であった。
似たようなことをポップにやられたなーと思い返しながら、ダイは先の疑問を頭に入って思い浮かべていた。
(結局、紋章はどうなっちゃったんだろう?)
竜の紋章を使えないダイは戦力としては半減以下だろう。素の彼が弱い訳では決してない。紋章無しでもアバン先生級の実力はあるだろう、とダイは正確に理解している。
だが竜の紋章が備わればその強さは異次元に跳ね上がる。
それほど強大な力なのだ。
ただ今のダイにとって竜の紋章は……戦う力ではなく、父の形見であると言う比重の方が遥かに大きかった。
額に触れても、あの暖かさは今はない。ダイにはそれが堪らなく寂しかった。
そんなダイの様子に気づいたのだろう。
兄の肘固めから何とか解放されたライトが気遣わしげにダイを見やった。
「ダイ……竜の紋章が使えなくなったのがそんなに悔しいんだね」
「そういえばそれが原因で暴走したんだったか? 何があったんだ一体」
不機嫌そうに眉間に皺を寄せるジストに、ライトは簡単に説明をした。
「……そう言う経緯か。俺も、竜の騎士そのものについては正直専門外だからなんとも言えんな。そもそもお前例外しかないし」
「にいちゃんでも分からないの?」
「奇跡の末生まれた竜の騎士と人間の混血児が、奇跡的に自前の紋章を持っていて、それが歴代の紋章と融合し奇跡的な成長を遂げたなんて予想できるかボケ。
神々とて理解に苦しんでるだろうよ」
なんという奇跡のオンパレード、と吐き捨てるジストにダイは申し訳なさそうに視線を下げた。
そんな少年の様子に深いため息をついてジストはその頭を叩いた。
「お前を責めてる訳じゃない。寧ろ親父の形見を取り戻してやれなくてこちらが申し訳ないくらいだ。
……俺に出来るのは回復による経過を見守ることだけだよ。畜生」
心底悔しいのだろう。ジストの身体は悔しさを滲ませるように震えており、その表情は苦痛に歪んでいた。
「……にいちゃん、ダメ元で神さまに聞くのはダメなの?」
沈黙が流れる中、最初に口を開いたのはライトだった。
天界には竜の騎士を創造した神々が実在している。竜の騎士を創った彼らから何かヒントを貰おうと思っての問いだ。
弟の真っ直ぐな眼差しに、ジストは瞠目し答えた。
「……神々はここ数年天上の間から出てきてない。俺が宝物を預けられたのも、天上の門番経由で直接会えてなんかない。
それに潔癖症なあの門番のことだ。汚染区域にほど近い居住区に住んでる俺たちを通すことなんてないだろうな」
余程嫌な思いをしたのだろう。門番の顔でも思い浮かべたのか、ジストの端正な顔立ちは怒りに染まっていた。
怒気の溢れる兄の様子にたじろぎながら、それなら、とライトは続けた。
「あの人に聞こうよ! にいちゃんの一番の患者のーー」
「ラズライト」
冷え切った声が響いた。
視線を向ければ本気の怒りに身を震わせるジストメーアがそこにいた。紫の眼差しは燃えるように揺らめいており、遣る瀬無い怒りの感情が伝わってくる。
「俺の患者は皆重症だ。安易な接触は認めない」
「……それは分かってるよ。でも、だからこそ彼女にダイを会わせるべきだと思う」
けれど今度はライトも引かなかった。ライトの瑠璃色の目がダイを見やり、また兄を見据えた。
互いに全く引く気のない真っ直ぐな眼差しが交差する中、ダイは遠慮がちに尋ねた。
「……盛り上がってるところ悪いけど、そもそも彼女って誰?」
「聖母竜マザードラゴンだよ」
「オイコラ勝手に患者の情報漏らすんじゃない!」
ライトの言葉にダイは目を見開いた。
聖母竜マザードラゴン。それは竜の騎士の母だ。
かつてダイが大魔王に敗れ、命を失いかけた時に助けてくれた白い竜。ほんの僅かしか会話しなかったが、優しくて暖かな雰囲気を纏っていたのはダイも良く覚えている。
竜の騎士の母として歴代の竜の騎士の誕生と終焉を見守ってきた彼女ならば確かに竜の騎士について詳しいだろう。
特にダイにとっては祖母とも言える存在だ。
会えるのなら会ってみたいという気持ちがたちまちの内に湧き上がる。
そんなダイの内心を察したのだろう。ジストは居心地悪そうに頭を掻いた。
「……全くライトめ、言うなと言うに……! だが諦めろ。彼女は天界一の重症患者だ。瘴気による汚染も酷く、近づくだけで命懸けな場所に隔離されている……。
ここ数年は意識も戻らない。会いに行っても望みは薄いし、何よりお前がまず回復しないと話にならない」
それに彼女は孫とも言えるダイを危険に晒すことを望まないだろう、と付け加えジストは口を閉ざす。
言われてみればそれはそうなのだろう、とダイは思った。
頭の中では冷静な部分が身体の回復を優先するべきだと訴えている。戦士としてそれが正しいとダイは思うのに、感情がそれではいけないと叫んでいる。
(マザードラゴンはあの時言っていた。自分は邪悪な力によって生命が尽きようとしているって)
かつて交わした会話を思い出す。死の淵にいたダイを迎えにきたマザードラゴンは同じく死の淵におり、その身体も儚いエネルギー体であった。
それでも最後の力であるエネルギー体としての身体をダイに与えて助けてくれたのだ。
ーーその彼女にお礼を伝えないまま別れるのは、絶対に出来ない。
「おれは行くよ」
確固たる決意を持ってダイは天界の兄弟を見つめた。
回復してきたと言っても本調子には程遠く、装備を失くした今攻撃力も防御力も心許ない。そんな状態で未知の場所であり、危険な状態となっている天界を歩くのは危険極まりない。
だが今を逃せばマザードラゴンにはもう二度と会えないだろうという確信が、ダイの背を押した。
「マザードラゴンに会いたい。竜の紋章のこともそうだけど……一回目に大魔王にやられた時、助けてくれたお礼を言いたいんだ。
いつどうなるか分からないくらい危ないんだろう? なら、今行くしかないと思うんだ!」
「却下だ馬鹿野郎! お前自分が死に掛けたばかりだということを忘れたのか!? お前の身体はお前が思う以上に深刻なダメージを受けている!
道中は危険極まりない、激しい運動、まして戦闘行為は絶対に許可できない!」
「大丈夫! おれ、走ってるうちに元気が湧いてくるから!」
「激しい運動はすんなっつてんだろーがああああ!」
「そんなに言うならジストにいちゃんが一緒に来れば良いじゃん」
俺は勿論一緒に行くけどね。そう言って悪戯っぽく笑ったのはライトであった。その腕にはいつの間にやら大きなガラス瓶が抱えられている。
それを見たジストの顔が露骨に歪んだ。
「げ。お前それいつの間に引っ張り出してきた……」
「聖水の常備は基本! ってにいちゃんの言いつけをちゃんと守ってるからね。第一マザーのところはいつも行ってるじゃん、今更すぎるよにいちゃん」
「いつも?」
「そう。ほとんど毎日。マザーを苦しめてる瘴気を少しでも払おうと、にいちゃんいつも頑張ってるの。ダイを助けたあの日も行っててね」
「ばっ」
「いつも成果が上がらなくてしょんぼりしてるのに、家に帰ったら心配させまいとカッコいい顔作っててさ」
「おま、」
「そうやって小難しい顔してるけどこっそり溜め息ついてたり分かりやすいんだよねえ」
弟の容赦のない暴露にジストの顔に朱が差す。
図星を言い当てられた反応にダイは既視感を覚えながらも生暖かい眼差しを向けた。
「……うん、ジストさんがそう言う人なのは何と無く分かってたから良いと思うよ。ポップもよくそんな顔してたし」
「ちょっと黙れ。マジで黙れ」
「なーに? もしかしてにいちゃん行かない気だったの?」
「んな訳あるか! 今日もこれから行く……ッ…………。………………、…………」
言質取ったり。小声でライトが呟いたのをダイは聞き逃さなかった。
「ウンウン。じゃあちょっとダイ用の装備持ってくるから待っててねー。俺の予備だけどダイなら大丈夫でしょ」
「あ、ありがとう……ライト、ジストさんはどうしたら……」
「ほっときゃ後で落ち着くから大丈夫。にいちゃんマザー大好きだから、ちょっとしたことで動揺しちゃうんだよねえ」
それじゃあね、と赤面したまま固まる兄を放置し、ライトの姿は扉の外へ消えた。
扉の閉まる音が響いた直後、ダイはやっと既視感の正体に気づいた。
(……ああそっか……ライトはレオナに似てるんだ……)
この兄弟の関係性がなんとなくみえてダイの口元に小さく笑みが浮かぶ。
それはそれとして、固まり続けるジストにダイは小さく合掌した。