黒森峰七不思議   作:イリス@

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3話:影

 

 ガレージの中は至る所が『影』だらけだった。

 

 形容しがたいうめき声を上げながら周囲を徘徊していた化け物たちは、私の姿を見るや次々と親の仇と言わんばかりの形相で襲って来る。

 悪霊なのか、それとも妖怪の類なのか。情報も考える余裕も存在しない今の状況ではあれの正体については判断しようもない。

 ただ、あいつらが間違いなく危険な存在であるということは本能的に理解できた。

 

 私はその追跡から逃れまいと無我夢中に走り回ったが、ガレージという密閉空間においては大勢を相手に逃亡するという行為自体があまりに無謀だった。

 徐々に追い詰められ、行き場を失った私は最終的にガレージ最奥の整備専用スペースに逃げ込まざるを得なかった。

幸いにも整備スペースに化け物の姿は見当たらず、背後から追って来る集団も歩みの遅さからまだこちらにたどり着いてはいなかったけど、悪いことに整備専用スペースは重戦車でも余裕を持って出入り出来る巨大な搬入口こそあるものの、専用の鍵が無ければ開けることも出来ず、それ以外には外と出入り出来るような扉も存在しない。

 無理は承知で工具を手にシャッターの鍵をこじ開けようと試みるものの、周囲に傷がつくだけで状況が改善する気配は一切ない。

 

『アアアァァ……』

 

 背後から強まる寒気と嫌悪感に、姿をこそ見えないものの奴らが続々とこちらへ向かってくるのが肌で感じられた。

 

「どうしよう……一体どうすれば……」

 

 突きつけられる絶望的な状況と迫り来る恐怖で私の頭はパニック一歩手前の状態に陥っていた。

 脱出口は無く、正面突破をしようにも多勢に無勢な上、相手がこの世の者ではない以上は今手に持っている工具による打撃も期待できない。 

 外へ助けを求めようにもスマホの入ったカバンは逃げている間にどこかで落としてしまった。

 

『媚ヲ売ッテレギュラーニナッタクセニ……調子ニノリヤガッテ……』

『ゴメンナサイゴメンナサイ隊長……約束守レナクテゴメンナサイ』

 

 化け物たちの集団が掠れた声を轟かせながら整備スペースに続々と侵入して来る。

 どれもこれも顔は黒い霧状で表情こそ窺えなかったけど、先頭の『影』だけは様子が違った。

 

『ドウシテ……ドウシテヨ……私タチニハ何モ言ワズニ出テイッタクセニ……』

 

 そいつは見た目の形状も表情も、他の化け物たちと何1つ変わらない黒い影のはずなのに。

 

『アンナ子タチトハ笑ッテ楽シソウニ戦車道シテルノヨ……』

 

 私には、みほへの憎悪に狂っていた頃の自分にしか見えなかった。

 

『許サナイ許サナイ許サナイ……絶対ニ叩キ潰シテヤル』

「来ないで! あっち行きなさいよ!?」

 

 自身の忘れたい闇を見せつけられているような苦痛から逃れようと、先頭の『影』目掛けて手持ちの工具を放り投げる。

 見事胴体に命中させて仰け反らせることこそ出来たものの、後ろから他の化け物たちが倒れた『影』を乗り越えて次々とこちらへ向かってくる。

 

『ヨクモ……ヨクモ自分ダケ裏切ッタナ』

 

 間近に迫りくる死への恐怖で体は震え、瞳からとうとう涙まで零れてくる。

 まだこんなところで死にたくない。

 藁をも掴む想いで薄暗いガレージを見渡す私の視界に、見慣れた武骨なシルエットが飛び込んでくる。

 それは西住隊長と共にフィールドを駆ける黒森峰の象徴。

 隊長不在の間、オーバーホールのため整備区画に安置されていたティーガーⅠが漆黒の中でなお堅牢に佇んでいた。

 

 最早私に選択肢は1つしかなかった。

 震える足を奮い立たせて真っすぐに駆け出し、追いすがる化け物たちを必死に引きはがす。

 そのままティーガーの左側面に到達した私はそのまま砲塔へと駆け上がり、車長用ハッチに手をかけて、慣れた動きで体を車内に滑り込ませると、ハッチを力いっぱいで引き込んで車内を密閉した。

 

 重装甲で守られたティーガーの車内ならあいつらでもそう簡単に手が出せないはず。

 ここで朝まで籠城することが出来ればきっと助けが来るに違いない。

 僅かにだが見えてきた希望にホッと息をつこうとしたその瞬間――

 まるで重戦車が衝突したかのような凄まじい衝撃がティーガーを襲った。

 

「……っう!?」

 

 あまりに強大な振動で壁面に頭を思い切りぶつけてしまう。

 痛みに耐えかね、患部を手で押さえながらうずくまった直後、再び強烈な衝撃が走り、戦闘室の床に叩きつけられる。

 

 私が体勢を整える余裕を持つことすら許さず、奴らはそのまま止まることのない攻撃をティーガーに与え続ける。

 幾度となく凄まじい衝撃と轟音が密閉された空間に響き渡る。

 生半可な砲撃では貫くことを許さない重装甲も、化け物相手に対しては気休めにしか感じられなかった。

 このまま攻撃が続けられれば、車両をひっくり返されるか、下手をすれば装甲に穴を開けられるかもしれない。

 いや、それ以前にハッチや構造上脆い部分を狙われたらそれだけで致命的になる。

 

 車内に逃げ込んだ際、ほんの一瞬和らいだ死への恐怖が再び湧き上がってくる。

 恐怖のあまり目を瞑り、耳をも両手で塞いだ私はただただ嘆くことしか出来なかった。

 

「ごめんなさい、隊長……助けてぇ……小梅……みほぉ……」

 

 あの時居眠りさえしなければ。

 隊長の言いつけを守って時間通りに隊長室を出ていれば。

 音を無視して帰宅さえしていれば。

 

 頭に浮かんで来るのは後悔することばかりで、それが余計に私を惨めにさせていた。

 私はいつだってそうだ。

 みほが黒森峰からいなくなった時も、そして抽選会の日に再会した時も。

 本当にやるべきことは出来ないくせに、余計なことはその場の勢いで実行して、最悪の結果を残してしまう。

 もっとちゃんと考えて、やるべきことをやっていれば今だってこんなことにはなっていなかった。

 

『出テコイ出テコイ出テコイ出テコイ卑怯者』

『私ダッテティーガーニ乗リタカッタノニ』

『妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ妬マシイ』

『コイツサエイナクナレバ私ダッテ』

 

 時間が経つにつれて外から加わる衝撃はさらに勢いを増していき、先ほどまではおぼろげにしか聞こえなかった奴らの掠れた声まではっきりと耳に入ってくる。

 

「お願いだから……誰か……誰か助けてよ……」

 

 絞りだすような声で縋ったところでそれを聞いてくれる人は誰もいない。

 周囲にいるのは正体もわからない化け物だけで最早助かる道はどこにも見えてこない。

 もうダメかもしれない。

 希望も尽き、抵抗する気も無くなった私が諦めようとしたその瞬間――

 

 先ほどまでとはまったく別の振動と騒音が車内に響き渡った。

 

「これって……まさか」

 

 想像もしていなかった事態に私は驚きを隠せなかった。

 聞きなれた重低音に体を揺らす豪快ながらも心地よい振動。

 それは紛れもなくティーガーのエンジンが始動した証だった。

 

『逃ゲルノカ、コノ臆病者メ。勝負シロ』

『絶対ニ逃ハスナ』

『私タチダッテ頑張ッテルノニ……私タチヲ無視スルナ』

 

 『影』たちの攻撃で車内には幾度も衝撃が走るものの、ティーガーはそれをものともせずにゆっくりと前進を始める。

 速度が上がるにつれて外からの伝わる打撃音と衝撃はどんどん減少していって、いつの間にか感じられるのはティーガーのエンジンから発せられる音と振動だけになっていた。

 恐る恐る立ち上がってペリスコ-プから外を眺めたところ、車外の光景は化け物たちで埋め尽くされた漆黒のガレージではなく、月明りに照らされたグラウンドに変わっていた。

 

「助かった……の?」

 

 化け物たちから逃れられた安堵感から私はすっかり腰が抜けてしまい、戦闘室の床に座り込む形になってしまう。

 そのまま時間もわからずひたすら戦車に揺られ続けていたところ、ティーガーは急な制動をかけることもなく、まるで熟練の運転手が操る送迎車のように丁寧な動きで動きを止めた。

 

 突然の停車に私が戸惑っていると、操縦席の方から微かに人の気配を感じた。

 この人がティーガーを動かしてくれなかったら命が危なかったに違いない。

 「ありがとう……」とまで言いかけたところで、ある1つの噂が私の脳裏によぎった。

 

 黒森峰七不思議の1つ。

 誰も乗っていないはずのティーガーがグラウンドを走り回る噂。

 与太話だと思っていた噂がガレージの怪談が真実だったのだから、他の噂が真実であっても決して不思議なことじゃない。

 もし、そのティーガーの噂も真実で、今操縦席にいるのもあの『影』たちのような存在だとしたら――

 

 再び湧き上がる恐怖に体が凍える。

 慌ててハッチから逃げ出そうとするものの、足腰は完全にコントロールを失い、立ち上がることさえ出来なかった。

 身を隠すスペースすら存在しない戦闘室で怯え震える私の元に、少しずつ操縦席から何者かが近づいてくるのが感じられる。

 最早目を瞑ることすら叶わず、私はただ迫りくる恐怖に怯えるばかりだった私の前に現れたのは、黒い霧状の容貌や掠れた声の『影』ではなく、黒森峰の制服を身に纏い、青みがかったセミロングの髪を持つ女性だった。

 

「……大丈夫? 怪我はなかった?」

 

 心配そうな表情を浮かべ、まるで子供を安心させるように私の頭を擦ってくれるその姿に恐怖で固まっていた身体が一気に弛緩していく。

 

 化け物じゃなかった。

 溢れ出る安心感と感謝の気持ちにお礼を口にしようとしたものの、思うように声が出なかった。

 かろうじて「なんとか」と答えると、女性は安心したのか「良かった」と胸を撫でおろす。

 そのまま「掴まって」と肩を貸してくれて、さらに私が車外に出られるよう体まで持ち上げてくれた。

 私は冷や汗でずぶ濡れになった両手で外側を掴んで、どうにか上ることに成功する。

 周りを見渡してみるとそこはガレージと正反対の位置にあるグラウンドの北端。願いが叶う噂が飛び交う祠のすぐ側だった。

 

 蒸し暑さの中で感じる心地良い風と死への恐怖から逃れたことへの安堵感で冷静さを取り戻した私にふとある疑問が浮かんできた。

 助けてくれたこの人は一体誰なのだろうか。

 

 落ち着いて思い返してみるとと何度か練習中に見かけたことがあるような気がするし、ティーガーの操縦の巧みさから考えてもチームのメンバーであることは間違いない。

 授業等でも関わる機会の多い同級生は皆鮮明に顔を思い出せるのでから候補から外れるし、親しくも無い先輩相手に1年生がタメ口をきいてくるとも思えないので、おそらく3年生の先輩だろうという所までは推測できたが、何故か名前が出てこない。

 

「どうしたの? ホッとしたと思ったらそんな難しい顔して?」

 

 私に続いて車長ハッチから出てきた先輩であろう人が不思議そうな顔をしている。

 さすがに名前を忘れてしまったので、思い出そうとしていたとはとても言えるはずがなく、「いえ、なんでもありません」と誤魔化した後、助けてくれたお礼を述べた。

 

「ありがとうございます……先輩のおかげで助かりました」

「いいよいいよ、気にしなくて。後輩を助けるのは先輩の義務だからね」

 

 どうやら推測通り3年生だったらしい。

 自身の予測が当たったことに胸が軽くなったものの、名前を思い出せないことを誤魔化すために無難に先輩と呼ぶことに関してはかなり罪悪感を感じた。

 

「でも、ダメだよ、あいつらが出る時間までガレージにいるなんて。私が悲鳴を聞いてなかったらどうなっていたことか……」

 

 どうやら先輩は私の悲鳴を聞いて慌てて駆けつけてくれたらしい。

 助けてくれたことへの感謝、そしてごもっともな叱責に私は何も反論できず、「すみませんでした」と素直に謝罪する以外の選択肢は無かった。

 事実として私が隊長の言いつけをしっかり守ってさえいれば何も問題が無かったわけで、その上危険を犯してまで助けてもらったのだから当然の話だ。

 

「わかってくれればいいの。次からはちゃんと気をつけるようにね」

 

 表情の見えない『影』を目の当たりにし続けた反動か、朗らかに笑う先輩の豊かな表情に自然と心が安らぐ。

 体も頭も少しずつ冷静さを取り戻していくにつれて、いつしか先程までは考える余裕が無かった最大の疑問が脳裏をかすめる。

 

 ガレージに巣食う化け物たちは一体何者だったのだろうか。

 

「あの……先輩はあの黒い影について何かご存知なんですか?」

 

 先程の話しぶりを聞く限りどうも先輩はガレージの化け物について何か知っているように思えた。

 あいつらがあの時間、ガレージにしか出現しないのであれば良い。

 でも、もしそれ以外の時間や場所にも出現するとしたら何かしらの抜本的な対策が必要になる。

 今後の自衛手段として、そしてチームの皆の安全を守るため、少しでも情報が欲しかった私は躊躇することなく先輩に問いかけてみた。

 

「う~ん、わかりやすく言うとあれだね。いわゆる、残留思念ってやつかな」

「残留思念ですか?」

 

 先輩が口にしたのは心霊系のワードにあまり詳しくない私でも聞いたことがある言葉だった。

 確かその場所に残った強い思考や感情を差す言葉だったはず。 

 

「ほら、うちのチームって競争が激しいでしょ? だからどうしても溜まりやすいらしいんだよね、悔しいとか妬ましいとか、そういう暗い気持ちが」

 

 原理はよくわからないんだけどね、と笑いながら語る先輩の話でなんとなくだが合点がいく。

 あの『影』達はどれも恨み言のようなことを口にしていたし、見た目がはっきりしなかったのも、幽霊という個別の存在ではなく、あくまで残った残留物みたいなものだと仮定すれば辻褄も合う。

 黒森峰の戦車道チームは確かに競争が激しい。

 一度もレギュラーになれずに3年間を終える者、せっかくレギュラーになっても失敗や怪我でライバルにその座を奪われてしまう者も少なくないし、もしかしたら理不尽な理由で不遇な目にあった者も大勢いるのかもしれない。

 それに例えレギュラー陣であっても、少し前の憎悪に染まっていた私のように何かしらの暗い感情を持つ人がいないとは言い切れなかった。

 

「知りませんでした。あんな化け物が本当にいるなんて……」

「まあ、出るのは日付が変わった頃から夜明け前までだし、外には出ないからその時間帯にさえ中に入らなければ平気っちゃ平気だから」

 

 呑気な口調で「うちの生徒ってほんと生真面目だよね、あんな風になってもきっちり練習の邪魔にならないような時間しか出てこないなんて」と語る先輩に「いや、その重要なことをどうしてちゃんと伝えないんですか?」とつい不満を漏らしてしまう。

 

 正確な情報は最良の判断に必要不可欠なシロモノだ。

 私だってあんな危険な存在がいるとわかっていれば例え書類が残っていようと絶対に残ったりしなかった。

 にもかかわらず、こんな重大な情報が伝わっていないのは何故なのかと問いかけたところ、先輩は苦笑しながら「じゃあ、幽霊が出るから夜中ガレージに近づくなって言って全員大人しく従うと思う?」と逆に質問してきた。

 そして、困ったことに私はその問いに対して自信を持ってイエスと断言できなかった。

 確かにそのように伝えれば心霊現象が苦手な子は決して近づかないかもしれないけど、オカルト系に興味津々な子は逆に一目見ようと夜中に侵入しかねない。

 そうやって考えると、下手に怪奇現象には触れず、時間外にガレージ使用禁止のルールを作った方が逆に安全と言えるかもしれない。

 

「といっても、何かしらの形で噂は広まっちゃうんだけどね。それが七不思議の『夜中にガレージで練習する子」の噂」

 

 おそらく、その噂が広がったのも私のように夜中ガレージで装填練習する音を偶然聞いたからなのだろう。

 聞いた子が音の原因たる『影』そのものを見たかどうかまでは定かではないけど、そこから尾ひれ背びれが付いて『レギュラーになれなくて自殺した』というもっともらしい言葉が加わったのは想像に容易い。

 

「そうだとしたら、もしかして他の噂も……」

「ふふ、噂っていうのはどれも何かしらの原因や意図が絶対あるものなの。ただの妄言だって切り捨てないでよく注意しておかないと、今回みたいに怖い目に遭うかもね」

 

 ほくそ笑む先輩の視線につい目線を逸らしてしまう。

 実際に噂を軽視した結果、痛い目を見てしまった私にはなんとも耳の痛い話だった。

 次からは噂の裏に何か隠されていないかしっかり検討しようと決意して、耳にした七不思議のいくつかを思い返している内にある1つの仮説が脳裏を過った。

 

「あの、先輩。どんな噂にも必ず理由があるって言ってましたけど」

「うんうん。言ったね~」

「まさかとは思いますけど、七不思議の『勝手に走り回るティ-ガー』って先輩がこっそり乗り回してるからじゃないですよね?」

 

 それはただ何気なく思いついた可能性に過ぎなかった。

 先輩がどうしてこんな夜中まで私に悲鳴が聞こえるほどガレージの近くにいたのか少し不思議だったけど、隠れてティーガーに乗るタイミングを見計らっていたと考えれば説明がついてしまう。

 私がずっと残っていたのでなかなか乗ることができず、諦めて帰ろうとしたところで悲鳴が聞こえてきたので駆けつけた。

 多少強引なこじ付けではあるけど、そうして考えるとどこかしっくり来てしまう。

 

 そんなわけないですよね、と先輩の方に視線を向けると先輩はそれが図星だと言わんばかりに気まずそうにして顔を逸らした。

 

「……先輩、わかっているとは思いますけど指定された時間以外に許可無しで戦車に乗るのは規則違反ですよ」

「ごめんね。わかってはいるけど、偶にどうしても乗りたくなっちゃって……」

 

 まさか本当にこっそり乗り回しているとは思わなかったので正直驚きを隠せなかった。

 悪戯のばれた子どものように「お願い隊長には内緒にして」と懇願する先輩に対して私はどうしたものかと苦悩していた。

 

 本来であれば、例え先輩であっても副隊長として規則違反は厳密に対処しなければならない。

 でも、その規則違反のおかげで私の身が救われたのもまた事実と言えば事実だったので、厳格な規則適用はどうも気が引けてしまう。

 次回の練習試合でメンバーからは外す、という無難な処罰は思いついたものの、レギュラーメンバーやそれに近い乗員なら私が名前を忘れているはずが無いのでおそらくはこの方法も使えない。

 

 それにしても、不思議な話だ。

 短時間の乗車ではあったものの、それでも先輩の操縦技術は私の知る限りトップクラスの腕ではないかと感じられた。

 それなのに先輩はレギュラーメンバーどころかその候補としても名前が挙がらない。

 やはり、こうやって戦車を勝手に乗り回していることが原因なのだろうか。

 疑問に思い、「先輩の腕ならこんなことしなくたってレギュラーになっていくらでも戦車に乗れるのに」と問いかけたところ、先輩は少し悲しそうな顔してボソリと呟いた。

 

「一応昔はレギュラーだったんだけどね。私、病気でチーム辞めちゃったから……」

 

 軽率な質問をしてしまったと後悔した。

 練習場で何度も顔を見たことがあるはずなのに名前を思い出せない理由は、何かしらの事情で今はチームを離れているから、という可能性は少し考えれば思いつくであろうことだった。

 あれだけの腕を持ちながら戦車を降りざるをえないなんて、どれだけ悔しくてそして悲しかったのか。

 私には想像することも出来ないぐらい辛かったであろうことは間違いない。

 本来なら口にすべき、「部外者が勝手に乗るなんて余計にタチが悪いです」などの指摘も安易に行える気分ではなかった。

 

「すみませんでした。助けてもらった先輩にこんな無神経なことを……」

「いいのいいの。気にしないで。悪いのは勝手に戦車に乗った私なんだから」

 

 申し訳なさそうにする私を気遣ってか、先輩は「ほら、湿っぽいの無し。ほら、何か飲み物取ってくるから飲もう」と朗らかな様子に戻ると戦車を駆け下り、傍らの『お供えをすると願いが叶う』と噂される祠に足を運ぶ。

 何をしているのだろうかと視線を向けてみると、驚くべきことに先輩は祠の前に供えられていたお供え物を物色していた。

 

「ちょ、ちょっと先輩。一体何をしてるんですか!?」

 

 驚いた私が尋ねると先輩は「いや、このまま放置してても腐るだけだし、勿体無いでしょ?」とあっけらかんに返し、そのまま置いてあった缶コーヒーを私に投げて渡す。

 厚意は嬉しかったものの、受け取った私からすれば暑い中長時間外に放置されていたのに大丈夫なのか、そもそも勝手に取って罰は当たらないのかと不安しかなかった。

 特に後者に至っては、実際の怪奇現象を見てしまった今としてはなおさら気になって仕方ない。

 

「ん~、たぶん夕方に供えられたばっかりのやつだから大丈夫だと思うよ。ちょっとぬるいかもしれないけど」

 

 何故供えられた時間までそんなことを知っているのかという疑問は感じたものの、また先程までのような重い空気に戻るるのは回避したかったし、『影』の正体について精通していた先輩が、この手のことで危険を招くような行為はしないだろうという見通しもあって、私は素直に受け取ることにした。

 

 蓋を開け、恐る恐る中のコーヒーを口に含むと、先輩に言う通り生温い温度ではあったものの、味や風味に劣化は無く、心地よい苦味がカラカラの喉に染みわたり、生き返るような気分だった。

 

「ええっと……確かお菓子もあったんだけど、これは期限切れだしなあ」

 

 声を聞くにどうやら先輩は甘味まで物色しているらしい。

 さすがにこれ以上お供え物を頂くのは先輩にもいるかどうかもわからない祠の主にも申し訳無いので私は再び先輩の方を向き、「もう大丈夫なので気にしないでください」と口に出したのだが、その時、私は今まで認識すらしていなかった恐ろしい事実に気がついてしまった。

 

 私の視線の先にあるのは祠に向かって屈みこみ、置かれたお供え物を物色する先輩の後ろ姿。

 

 月明りと祠の近くに設置された小さな街灯に照らされているはずのその場所には――

 

 

 

 先輩の影がまったく映っていなかったのだ。

 

 

 

「あ……ああ……」

 

 震える手が中身の残っていた缶を取りこぼし、足元に中身がぶちまけられる。

 音に気づき、物色を止めた先輩は私の足元に視線を向けてゆっくりと私の方へ近づいてくる。

 その足元から本来伸びていなければならないはずの影は、祠から離れた今も一片たりとも存在しなかった。

 

「あ~あ、やっちゃったね。 ほらほら、早く脱いで洗わないと染みになっちゃうよ」

 

 もはや染みなんて些細なことを気にしていられる余裕は今の私には無かった。

 

 先輩は、人間じゃない。あの『影』たちと同じ存在なんだ。

 

 先程までは消え去っていたはずの恐怖が再び体中を襲う。

 恐ろしさのあまり、後ずさりで距離を取ろうと試みるものの、足はおろか体全体が完全に凍りついていてまともに動かず、それどころか、悲鳴すら上げることも出来ない。

 

 少し考えればわかる話だった。

 先輩はどうやってあの化け物たちを掻い潜って操縦席に搭乗したのか。

 いや、そもそも『チームを辞めた人間』がどうすれば施錠されているガレージの中に入って、整備スペースの搬入口を開けられるというのだろうか。

 どれもこれも生きている人間には決して出来るはずがない行為ばかりなのに。

 

「どうしたの? 怖い顔して。顔真ッ青ダヨ」

 

 あれだけ朗らかな笑顔だったはずの先輩の顔は、私にはもう黒い靄にしか感じられず、表情は何も読み取れない。

 声も段々、あの『影』たちのように掠れて聞こえてきた。

 

「キット疲レタンダネ、私ガ見テテアゲルカラチョット休ンダラ?」

 

 怯え震える私の体を掴んだその手は氷のように冷たく、まるでどこか遠いところへ連れて行かれることを物語るような感触だった。

 ただでさえ弛緩していた緊張の糸は瞬時に限界まで張り詰め、抵抗することも許されないまま両断されてしまう。

 

 目の前の光景が真っ白に染まり、私はそのまま意識を失った。

 

 

 

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