井江忠
名門高校に通う高校生。進ノ介の目の前で万引きを働き、享と進ノ介によって補導された。何やら隠された目的を持っているようで……。
井江加奈子
忠の姉。忠の万引きを知るや否や豹変した。
井江亮平
井江姉弟の父。都議会議員。
井江真美
井江家の母。大人しく、儚げな印象。
河西充
興信所職員。歌舞伎町で撲殺体で発見された。右京が捜査を行っている。
東京は警察庁、その上層にある長官官房室長執務室。そこでは二人の男が向かい合い、茶を楽しんでいた。ソファに深く腰掛け、温かい湯気が立つ湯呑にそっと手を添えて。
片や官房室の長である小野田公顕、片や警視庁刑事部長の甲斐峯秋。
「おや、このお茶……。結構なお手前ですね」
「そう言っていただけると、嬉しいものです。実は、私は茶を点てるのも好きなのですが、なかなか人に披露する機会がないもので」
「ああ、わかりますよ。私もね、店屋物だったり、回転寿司なんかにも興味があるんです。知っています? あれね、皿を戻したらいけないの。けどね、こちらから誘うとみんな遠慮しちゃって。昔も今も、誘ってくれたのは一人だけ」
「ほう……。あなたほどの人を回転寿司に誘おうとは……。ははっ、豪胆な人もいるものですね」
「けれど、その知人も誘ってくれなくなっちゃって。ちょっと残念。まあ、人間あまり偉くなるものじゃないですね」
そうして、二人して朗らかに笑いながら、世間話に花を咲かせる。
この国の警察組織を動かす上級官僚である二人。だが、その間には対抗心や火花の類は無く、終始穏やかな調子で会談が行われていた。
「それで、どうですか? 特命係の様子は」
小野田がまた一口、茶でのどを潤すと世間話を打ち切って、甲斐へ穏やかに問いかけた。その問いに甲斐は面白いものを話すようにゆっくりと答え始める。
「そうですねぇ……。まあ、あなたに言わせればいつも通りと言ったところでしょうか。気ままに事件現場に現れては、見事な手腕で事件解決へと導いていますよ。もちろん、あの泊君も一緒に。
着任当初は噂話程度に思っていましたが……。特命係、実に面白いですね。特にあの杉下、右京は」
「でしょ? ただ、杉下って奴は少しでも気を許すと無軌道に飛び回る、とびきりのじゃじゃ馬ですから。うっかり踏まれちゃわないように気をつけて下さいね。しっかり手綱を握っておかないと」
「ええ、肝に銘じておくとしましょう。ですが、小野田官房長ほどのお人が、それほど気をかける人材。私などに扱いきれるかどうか……」
甲斐が頬を緩めながら言うと、小野田はゆっくりと手を横に振って、
「そう持ち上げないでくださいよ。二年後には甲斐さんは僕の上司なんだから。その時はどうぞ顎で使っちゃってください」
「……その人事を決めたのが官房長でなければ、素直に従いたいものですがね。変わらず、上に立つ気は無いのですか?」
神輿は軽いに限る。その小野田の信条を甲斐も理解している。だが、長官とまではいかなくとも、その下の次長職くらいには進んでもいいのではないか。その問いかけに対して、小野田は、そうですね、と一言置いて。
「僕はこの位置が性にあっているようですから。それに、最近は失敗もしちゃったし」
その残念そうな言葉とは違い、小野田の様子は変わらず飄々としたものであった。
「あの件は何も官房長だけの責任ではないと思いますが……。まあ、私も無理にとは言いませんよ」
「物事には時期があるもの。今回はらしくなく急ぎすぎたと言ったところでしょう。そういえば、その件に関わっちゃった泊君。杉下とはどうなんですか?」
甲斐は問いかけた小野田の目に、先ほどとは違う色が浮かんだような気がした。泊進ノ介の人事に関しては、この小野田が直接的に働きかけたこと以外、詳細は知らされていない。だが、やはり泊進ノ介という男、あるいは仮面ライダーという存在には関心があるのだろう。
「杉下君との関係は分かりませんね。私も彼らの部屋を逐一見て回るほど暇ではありませんから。ただ、共に事件へ向かっているようですから、上手くはやっているのでしょう。
彼個人を見ると、……これは私の感想ですが、今時珍しいほどに実直な若者という印象ですね。特命係の悪い影響を受けなければいいのですが……」
甲斐は少しばかり個人的感情を交えて答える。そうすることで小野田の反応から、少しでも考えを読み取ろうとしたものだったが、それでも小野田は毛ほども感情を見せない。
ただ、それでもよい、と甲斐は内心で納得する。話す気がないのなら、時期が悪い、そういうことなのだろう。
甲斐も小野田の志には同調している一人だ。敵対する気もなく、彼が話す気がないのなら、仮面ライダーの特命送り等と言う黒い事柄を無理に追求する気はない。
「あら、けっこう買っているんだ。彼のこと」
「ええ。少なくとも、あれだけのことを成し遂げた人材ですからね。将来有望、品性良好に気骨もある。私の息子に煎じて飲ませたいくらいですよ」
「甲斐さんの息子っていうと、ご長男はずいぶんとご立派だと聞きますが?」
「下の方ですよ、問題は。……昔から私に反発ばかりしていたのに、何を思ったのか警察官になりまして。それ以来、碌に連絡も寄越しません」
そう甲斐が愚痴をこぼすと、小野田は面白そうに頬を少しばかりほころばせる。
「良いじゃないですか。もしかしたら、後を継いでくれるかもしれない。私のところの孫も、警察は嫌だ、なんてずっと言っていたから、じいじとしては悲しいものでしたよ。けどね、最近になって心変わりしてくれて。刑事になりたいって。
あれ、そういえば、そう言ってくれるようになったのも仮面ライダーの彼が出てきたあとだから、影響を受けたのかしら? だとしたら、僕も彼に感謝しないといけないのかな?」
「お互い、家族に関しては苦労するものですな。うちのも今頃何をしているのやら……」
一見すると好々爺同士の会話。ただ、その二人も、件の甲斐刑事部長の息子と仮面ライダーが共に事件を追っているとは予想できていなかった。
相棒 episode Drive
第五話「この出会いは何をもたらすのか II」
夜も更けた街の中、井江家を後にした進ノ介と享はとある駅前のラーメン屋で食卓を共にしていた。店主のおすすめと言うチャーシューメンを啜り、勧めに違わない味を楽しみながらも、頭の中に残るのは先ほどの家での一幕。
『裏切り者!』
そう叫んで弟を殴りつけていた少女の姿がちらついて離れない。その怒りに満ちた、あるいは焦燥に彩られた形相たるや、本当に弟を殴り殺さんばかりであった。そして、そのような事態になっても姉に反撃せず、殴られるままでいた忠少年。それだけでも家庭でよくある出来事で片づけるわけにはいかない。
そして、進ノ介がさらに気になるのは、その後の出来事。
殴りつける加奈子を享と進ノ介が押さえて弟から引き離した後。なおも加奈子は弟へと向かっていこうと抵抗を続けていた。未成年に対してそんなことはしたくなかったが、必要ならば手錠をかけることも考えた二人。だが、加奈子を落ち着かせたのは彼らではなかった。
『加奈子! 何をやっているんだ!?』
進ノ介たちの後を追いかけてきたのだろう、父親である亮平議員が加奈子へと叱責の声を上げた。その時の変化は劇的だった。加奈子の腕を抑えていた進ノ介が感じたのは、強い筋肉のこわばり。そして、それに続いて腕が小刻みに震え出したのだ。
『ご、ごめんなさい! 私、……忠があんまり恥知らずなことするのだから』
どもりながら、先ほどの恐慌とは別人のようにおとなしくなった加奈子。それきり加奈子は抵抗を止めて、二人や忠へと謝罪をしていた。そして、その間、忠少年は表情を消したまま俯いていたのである。
回想から現実に立ち戻ると、進ノ介は乱暴にチャーシューをほおばり、喉へ通す。そして、小さくぼやいた。
「家庭の事情、ね」
この家族には何かあるのではないか、そう疑問に思い始めた進ノ介と、表情から同じことを考えていたであろう享の追求を止めたのは亮平議員だった。
『息子を心配してくださったことには感謝いたします。ですが、甲斐刑事は刑事課ですし、泊刑事も、その特命係がどのような部署かは分かりかねますが、少年事件の担当ではないでしょう? あなた方の職務外だ。あとは家庭の事情ですから、今日はお引き取りを。
ああ、これ以上はお気遣い不要ですので、今後も我が家のことは放っておいていただきたい。あなた方も警察官だ、面倒は起こしたくないでしょう?』
彼は元々法務省出身であり、今は議員と言う職だ。警察方面にも多数コネはあるだろうし、そういうことなのだろう。
確かに『家庭の事情』だ。ただの少年の非行に、ただの姉弟喧嘩、家庭でよくあることと言ってしまえば、それで終わりである。警察も児童相談所も、法改正が進み、家庭問題への公権力の介入もし易くはなっている。だが、その言葉を前にすると追求しづらいのが現状だ。
進ノ介と享自身、亮平議員が言った通り、事件性がない中では一端出直すしかない。ただ、あの状況を見て、何かを思わない警察官では泊進ノ介は無かった。そして、そんな警察官がもう一人。
「俺は納得できていませんよ……」
その声に横を向くと享が強く箸を握りながら、鋭い視線を前に向けていた。まだ、事件は終わっていないと。いや、何も明かされていないと訴えるその目に、進ノ介は頷く。
「俺もです……。忠君は何の理由もなしに万引きしたわけじゃない……」
進ノ介の脳裏に忠少年の行動が呼び起こされる。
「あの子は理由があって雑誌を盗んだんです。きっとそれは」
「人目がつく場所だったから」
進ノ介のつぶやきに享も同意する。一見すると忠少年は自身に関係がない雑誌を盗み取ったように見える。だが、あの雑誌コーナーというものは立ち読み客も多く、レジにも近い。常に人目にさらされる場所だ。
「あの子は態と見つかるように万引きしたんですよ。だから、盗む雑誌の種類は関係がなかった。それに逃げているときも、最後にスピードを緩めた。捕まるために。それに……これ、俺の勝手な想像かもしれないですけど」
「もしかしなくても、ですよね……」
享の言葉に、頭を掻きながら進ノ介はため息を吐く。
「俺が、仮面ライダーが入った書店だったから、そこで事件を起こした……、んだろうなあ」
まだ可能性の話ではあるが。たまたま万引きに入った店に仮面ライダーがいて、その彼に逮捕されることはそうそうない。しかも、万引きをわざと起こしたのなら、進ノ介という名前と顔が知られた警察官がそこにいたことを偶然と片づけるべきではないのだろう。
あるいは最初から何かの軽犯罪で警察沙汰になるつもりだったかもしれない。だが、泊進ノ介を見つけたから、その場所を選んだという方が自然だ。
「問題は、『なんで万引きしてまで警察の注目を集めたのか』ですね。何か訴えたいことがあるのなら、俺に直接言うなり、補導された後に訴え出てもいいはず。けど、あの子は思わせぶりな態度は取っても、何かをいうわけじゃなかった……。
あの子は何を望んでいるんだ……」
あの姉の態度か、どこか歪な家庭の秘密か。それとも、あの子の背後にはまだ明かされていない深刻な事情が隠れているのか。今の段階で警察の出番が必要な事態は見えてこない。ただ、そうごちる進ノ介に享は静かに語りかける。
「俺は少し気持ちが分かるかもしれないな……。何かを調べてもらいたいなら、俺だって仮面ライダーに頼りますよ。
泊さんはあんまりいい気がしないかもしれないけど、世間一般だとあなたは英雄です。警察上層部に潜んだ敵の妨害も何のその。目の前の人は見捨てない警察官の鏡。それが世間の人が信じる仮面ライダーですから。
そう呼ばれるのは泊さんには重荷かもしれないけれど、あの子はそんな泊さんに何か気づいてほしかったんじゃないのかな……」
享はそう言うと、どこか遠くを見つめるように肩をすくめた。
「ま、実際には泊さんと関係のない一刑事も付いてきちゃったわけだけど」
「そんなこと……。俺は心強いですよ! 忠君のサインに気づいた人が一人じゃなかったんだから」
彼の存在に安心感を覚えていた進ノ介は笑顔と共に、享のぶっきらぼうな自嘲を否定する。あるいは旧特状課の仲間であったり、認めにくいことではあるが今はたった一人の同僚であったり。これまでも進ノ介は誰かと共に捜査を行ってきた。そして、信頼できる誰かが同じ方向を向いてくれるということは思うよりも多くの力をくれる。
あるいは、享が共に来てくれなければ、あの家の事情をさらに調べようとは進ノ介にも思えなかったかもしれない。甲斐享という警察官と出会い、同じ事件に立ち向かえているのは一つの偶然とは言えないほど、運命的なものを感じていた。
「ありがとうございます甲斐刑事。俺と一緒に捜査してくれて」
進ノ介はそう言って享へと手を差し伸べる。享はと言えば、その手を見つめて、少し照れたようにしながらもしっかりと握る。そして、
「あー、もし良ければだけどさ、俺のことカイトって呼んでくれないかな? 親しい友人や仲間はそう呼んでくれるんだ。今回の事件だけかもしれないけれど、一応はチームだし。堅苦しいことなしでさ」
「だって階級も年齢も甲斐さんの方が上じゃないですか……」
「ちょっとくらいだろ? そのくらいは仮面ライダーの功績があればお釣りがくるって」
享はそう言ってニヒルに笑みを浮かべて手をふるった。なんだか同級生や単なる友人のようで。そんな彼の言葉に進ノ介は苦笑いと共に肩をすくめる。少し気を吐くと、なんだか先ほどのように敬語で話すことが馬鹿らしくなってきて。そうするのが自然であったように気軽に話すことができた。
「じゃあ、カイト。この後どう進める? 俺としては姉の加奈子ちゃんのことが気になっているから、あの子のことを調べてみようと思うんだけど」
「そうだな……。俺はあの家庭のことを調べるか。近所や仕事先での評判とかを調べていけば、何かわかるかもしれないし」
まだ事件の全体像も分かっていない件だ。あらゆることを調べなければいけない。
「こうなってくると人手が欲しくなるな……。カイトのとこは協力してくれそうな人はいないのか?」
「うちは新しく来た署長が厳しいし、すげえ煩いから……。事件が明らかじゃない現状で応援は難しいだろうな。今日も有給使ってこっちに来たし。そっちこそ、その特命係だっけ? 誰かいないの?」
その質問が飛び出した瞬間、進ノ介の内心で冷や汗が噴き出し、それが表に出ないように我慢する。まさか、名前だけ大仰な窓際部署だというわけにはいかないし、二人しか人員がいないというのも言いづらい。
「あー、そ、そうだな……。一応、その一人頼れる人は知っているんだけど……」
「どうした? なんか顔色悪いけど」
「何でもない! まあ、名目上の上司なんだけどさ。頭とか記憶力が良い代わりに、デリカシーがない、所かまわず喧嘩を吹っ掛けるって人間性が最低の人で」
一度口をつくと、出るは出るは杉下右京に関する愚痴と不平。久しぶりに聞いてくれる人が現れて、進ノ介の口も動いてしまう。それらをつらつらと挙げていくと、カイトもその惨状に顔を引き攣らせて。
「マジかよ……。よく付き合ってられるな」
「ほんとだよ。一応、さっきから連絡してるけど、音沙汰ないしさ……。ああ、もう! 要らないときは近くにいるくせに、どこで何やってんだ、杉下右京!!」
「なんでしょうねえ、どこかで僕を呼ぶ声が聞こえた気がしたのですが……」
その頃、撲殺事件を追っていた右京はと言えば、追田警部と共に被害者の事務所を訪れていた。古めかしい雑居ビルの今にも崩れそうな階段を上ると、そこでは刑事たちがすでに家探しを行っている。
そして右京が部屋に入ると、そこには意外な人物がいた。
「これは大木刑事に小松刑事、どうしてこちらに?」
「杉下警部! それはこちらの台詞ですよ」
特命係の隣の組対五課、角田課長の部下である髭面の大木刑事と長身の小松刑事の二人が、被害者の事務机と思われるものを隅々まで探していたのである。
「お二人がいらっしゃるということは、亡くなった河西さんは暴力団との関わりがあったということでしょうか」
「まあ、そんなところです。新興の秀英組って連中でしてね。まだ小規模ですが、薬の売買を中心に勢力を拡大しています。しかも、その販路の広げ方がね」
「というと?」
「マルチ商法じみていると言いますか、まずは河西みたいな人間に有力者の周囲を探らせるんです。それで、そいつに裏ネタを仕入れさせ、そいつを使ってゆすりをかけ、売人に仕立て上げる。そうすりゃ、新しい販路が手に入ると、そういうわけです。芋づる式にターゲットが大物になっていきますし、その手で政財界にも入り込んでいるようでして」
「この間も、ほら、厚労省役人の妻が麻薬売買でパクられたじゃないですか? あれの出所も秀英組って話です。ただ、相手している連中がそんなセレブやら役人やらなんで、口も固いですし、ウチとしても突破口を探していたんですよ」
大木に続いて小松が説明を終えると、彼らは悩まし気に頭をふるった。
「なるほど、秀英組の子飼いである河西の事務所なら、それら取引に繋がる証拠が見つかる。そう、皆さんは考えたのですね?」
「ただ、今のところ収穫はゼロですが。そんなわけで、ご協力いただけると助かります」
そうして小松も大木も作業に戻っていく。そして、右京は何をするのかと言えば、ぼんやりと彼らの奮闘を尻目に部屋を眺めまわすだけだった。その様子に文句をつけたくなるのは追田である。右京の要望通りに連れてきたのに、何もせず置物と化しているのなら我慢ならない。
「こらっ! 何サボっているんだ、杉下!!」
肩を怒らせながら、そう怒鳴りつけるが、右京はかすかに微笑みながら首を少し動かしたのみ。まるでふわふわと動く雲でも相手にしているようだった。
だが、このままサボるつもりか、と思えば、今度は右京はおもむろに歩き始めると部屋の家具やら何やらを見つめていく。ぐるぐるぐるぐる。部屋を一週、二週と見渡す。
そして、彼の足は壁にはめ込まれている額縁の前で止まった。額縁の中では安っぽい絵がやるきなさそうにはまっている。一見すると下手なインテリアにしか思えないソレを前にして、
「追田警部!」
突然、水を得たように右京が大声を出す。
「な、なんでえ!?」
仰天したのは追田の方だ。まったく心臓に悪いことこの上ない。だが、そんなことを意に介さず、右京は追田を絵の近くまで来るように誘う。
「何処かに、仕掛けがあるはずです。恐らく、差し込み口か何かだと思われますから、それを探してください」
「お、おう?」
「何をぼさっとしているのですか? 時間がもったいないのですから、早く動いてください!」
どの口が、と、叱るような口調に追田の怒りが爆発しそうになるが、ひとまずそれを置いて右京の言う通りにする。怒鳴りつけ、追い出すのは右京の予想が外れているのを確認してからでもよかった。
だが、
「あ!?」
「見つかりましたか!」
右京が追田を押しのけて確認すると、確かにそこには縁と壁の間に、他とは違い、何かを差し込めそうな隙間があった。急いで近くの刑事に細い金属製の定規を借りると、右京はそれを奥まで差し入れる。
カチリ
そんな手ごたえと共に額縁がドアのように開いていった。その奥から出てきたのは、ダイアル式の金庫で。
「……どうして分かった!?」
「河西は日ごろあまり掃除をしないようです。そこかしこにゴミがたまり、埃も掃われないまま。ですが、ここだけ! 周りの家具と比べて、額縁につもった埃が少ない! おそらく、頻繁に使用していたのだろうと思いまして。
あ! 金庫の暗証番号ですが、この絵の隅に書かれたコレだと思いますよ? 小さい文字ですが、これだけは上からペンで書きこまれていますから」
そう面白そうに言う右京に、追田は疲れたように大きくため息を吐くのだった。いったい何なんだ、こいつは、と。まるで刑事らしくなく、どちらかと言えば育ちすぎた子どものようだ。
だが、そんな右京が指摘した通り、すぐに金庫が開けられた。中から出てきたのは河西の事務所経理や貴金属、ナイフ等、その中には組対が探していた秀英組とのつながりを示す資料も含まれている。しかし、殺しの動機につながりそうな、河西自身の調査記録は残されていなかった。
「あくまで河西は連中の下請けですからねえ。用が済んだものは上に提出してんでしょう」
そう大木刑事は資料が得られたことで上機嫌に呟き、追田は無駄足か、と肩を落とす。だが、右京が気になったのは、金庫の一番奥にぽつりと残された写真。日付を確認すると、撮影からそれほど時間はたっていない。
「これはどなたでしょうね?」
「うん? えらくべっぴんさんだな……。学生か? ……なんか事件に関係あるのか」
「それはまだわかりませんが。……気になりますねえ」
その写真の中央には、繁華街の街角だろうか、そこに佇む制服姿の女学生と、その少女に親し気に話しかける派手な姿の青年の姿があった。
翌日になると、カイトと進ノ介は本格的に井江家に関する情報収集を始めることにした。進ノ介が向かったのは加奈子が通う桜花女学院という女子高。仰々しい名前にたがわず、名家の子女が通うという女子高だ。午前中に井江家の犯罪歴の有無や詳細な書類上の家庭環境を調べた後。放課後で人が少ない時刻を選んできたが、流石に部活動やら何やらで学生が残っていた。
そんなところへ進ノ介が向かうとどうなるか。たちまち進ノ介は少女たちの歓喜の声に包まれることとなる。世界の英雄であるイケメン警察官とくれば、このくらいの歳の子たちが放っておくことは無い。さらにいえば、そこで働く、マダムという雰囲気の教員たちも。
「あらー、よくいらっしゃいました!! ささ、何でも聞きたいことをおっしゃってくださいませ!!」
「は、はあ……」
事情を聞こうと向かった応接室。何故か向かいではなく隣に座ってくる担任教師の強い香水のにおいと手つきに身の危険を覚えながら、進ノ介は加奈子のことを聞いていくのだった。
小一時間ほどの事情聴取だったが、果たして事情を根掘り葉掘り聞かれたのはどちらだったのか。進ノ介が退出したときには、その顔に疲労が色濃く浮き上がっていた。もっとも、その長くつらい時間を耐えたおかげで授業中の態度や、部活動のこと、友人関係などのいくつかの興味深い事実を知ることができた。
ただ、そうして疲れ果てた進ノ介を待ち受けていたのは、ぎらぎらと欲望に目を光らせた女学生たちの山だったのだが。
一方のカイトはと言えば、井江家の邸宅の周辺で聞き込みを続けていた。彼も家柄から、官僚や議員と言う連中の面倒さをよく知っているので、あの亮平議員の耳に入らないようにさりげなく。ただ、彼の家庭環境について詳細を知っている者は少ないようだ。
「それがねえ、ちょっと変なことがあるのよ……」
「変なこと?」
カイトへと耳打ちするように話しかける中年女性はここあたりの地域に顔が聞くと自認しているという。いわゆる井戸端会議の顔役だった。その彼女曰く、
「あたし、見たのよ。井江さんの家を伺っている、なんかね、ガラの悪い男!」
「ガラの悪い男? ちなみにどんな格好でしたか?」
「暗くて良くは見えなかったんだけど、金髪に、なんていうの? 皮のジャケットを羽織っていたわ。他にもなんだか、最近は見かけない人がうろついているのよ」
「それは何時くらいからですか?」
「そうねえ、ここ一ヵ月ほど。……刑事さん、ほんとにここあたりの防犯調査なのよね? あのご主人、いろいろと細かいところあるから。あたしがそういうこと言ったってばれないようにしてね。議員さんってみんなああなのかしら……」
「ええ、それはもちろん」
カイトが笑みを浮かべて頷くと、女性は安心したようにほっと胸を撫で下ろす。誰かに話したかったのだろう。さらに饒舌に近所の情報について口を開いた。
「他にも、井江さんの家の近くなんだけどね。近藤さんの家で番犬のワンちゃんが亡くなっちゃったり、なんでしょうねえ。なんだか嫌な予感がしてるのよぉ」
それらに加えてゴミ出しをしない人がいるだの、あの家が浮気をしているだの。果たして事件に関係があるのかもわからない情報が次から次へ。カイトもまた、ご近所のマダムの間で引っ張りだことなってしまった。
そうして互いにヘロヘロとなった即席コンビの進ノ介とカイトは夜になると「花の里」に集合していた。この店には先日訪問して以来、度々夕食を食べに来ている進ノ介。今日は、もしかしたら右京も来ているのではと少し期待して向かったのだが、そうでは無いようだ。
まだ時間帯も早いのか、あるいはそれがいつもなのか、人がいない店内へ入ると、幸子が笑顔で迎え入れてくれる。
「あら、泊さん、いらっしゃいませ。そちらはご友人ですか?」
「ええ。カイト、こちらは女将の幸子さん」
「初めまして、甲斐享って言います」
「『かいとおる』さんだから、カイトさん……ですか。ふふ、呼びやすいお名前ですね。なんだか初めましてなのに、私もその呼び方、昔から知ってたみたいなんです。不思議ですね」
幸子はそう言って穏やかに笑うと二人をカウンター席へと導いた。幸子の言葉はいわゆる営業トークかとも思えたが、実際にはそうでは無いようで。すぐにカイトと幸子は長年の知り合いのように会話を弾ませていく。不思議なこともあるものだ。
幸子から振る舞われた食事をひとしきり済ませると、二人は情報の共有を始める。進ノ介は手帳を取り出すと、カイトへと見せながら説明を始める。
「じゃあ、俺からだな。こちらは忠君と加奈子ちゃんの学校を中心に調べてみたんだけど。思った通り、変なことが多いんだ」
「って言うと?」
「まず、二人とも携帯電話を持っていない。送り迎えは父親の秘書が必ず車で。当然、部活にも所属していないし、放課後は誰とも遊ぶこともなく、家にいるらしい。クラスメイトの話では、そんな生活をしているもんだから仲がいい友人もいないみたいだ。正直言って、二人とも学校では孤立してる」
おいおい、とカイトは眼を開いて苦言を呈する。
「今時、どこの家でも子供は携帯電話持ってるだろう? あの家、経済的に困窮しているわけじゃないんだ。それに、そこまで父親が干渉してくるなんて少し異常じゃないか……」
進ノ介もその言葉に頷く。それだけでも彼らの家庭環境を怪しむには十分な判断材料である。そして、そんな閉塞的な彼らの生活に変化が現れていた。
「一ヵ月くらい前、あまり大事にはなっていないんだけど、加奈子ちゃんは無断で学校から抜け出したんだ。授業をサボって、柵を乗り出して。本人は気分転換したかった、みたいに語っているけれど、何をしていたかは不明。
で、ここからが変な話なんだが、その日以来、体育館裏で怪しい行動している加奈子ちゃんが目撃されている」
進ノ介もその話を聞いて、すぐにその場所へ行ってみた。すると、その場所には学校と外部を隔てる壁に、隙間が空いていて。簡単な手紙やら物の受け渡しはできるだろう。往年の時代には、秘密の恋人同士が密談するためにも用いられたという曰く付きの場所だった。
「なんだそれ、ロミオとジュリエットかよ……」
「そういうロマンチックな話なら良いんだけどな。あの子の昨日の態度を考えると、嫌な予感がする」
「そうだな……。俺の方も、それに関連してると思うんだけど……」
次いでカイトも進ノ介へと自身の捜査結果を話し始める。ちょうど加奈子が学校を抜けだしたという一件の後、目撃され始めた不審者や、飼い犬の死。カイトの調査でも井江家の特異な実態が分かってくる。ほとんど夫人も子供たちも外出する姿が目撃されず、外部への応対はもっぱら井江議員が行っていると。
近所の人がたまに訪れても、すぐに話を聞きつけて、議員が言外に不干渉を訴えてくるのだという。
「父親に何から何まで支配された環境に、その家を探る人間と、なにか企んでいる娘。ついでに騒がれると厄介な飼い犬の死って、これ……」
進ノ介とカイトの顔が曇っていく。
あくまで仮説の段階であるが。それに加えて警察が家に来ることをあれほど嫌がっていた加奈子の態度を考えると、二人の想像は中らずと遠からずと言ったところではないだろうか。
「ああ。これなら、忠君があんな回りくどいことしてきた理由にも説明がつくな。まだ事件が起きてないのに、姉を警察に密告するなんて、姉弟仲がよかったらためらうはずだ」
二人が家を訪れたときに、不敵に笑っていた忠少年を思い出す。あれは、目的が達成されたことへの安堵か、あるいは自身の裏切り行為への自嘲か。いずれにせよ、後は様子を見て、その件に対応すればいいのだが。
「進ノ介。俺、一つだけ疑問があるんだけど」
「うん?」
「いや、そんな環境だと家を抜けだすのも一苦労だろ? 進ノ介と出会ったのは偶然だったせよ、なんであの日、忠君は家を出ることができたんだ?
それに、加奈子ちゃんも、そんな環境で共犯者をどうやって探すことができたんだろう? たぶん、ネットの利用も厳しく制限されているはずだし」
そういえば、と進ノ介も思い返す。父親が過剰に家を支配してるような、そんな環境なら家を抜けだすのだって一苦労だろう。亮平議員は前日に起こった息子の万引きの件も知らなかったようであるし、何か、彼にも手が離せない要件があったのだろうか。
二人が何か見落としていることがあるのでは、と頭を悩ませている、その時だった。
「そのお話、僕も興味がありますねえ」
「うお!?」
「……誰?」
がらりと花の里の扉が開かれて面白そうに興奮した声。進ノ介にとっては聞き覚えがある、しかしてカイトには初対面の変人、杉下右京が現れた。その突然の出現に進ノ介は思わずのけ反り、カイトは珍妙な顔で右京の顔を凝視する。
「ああ、驚かせてしまったようで。どうにも泊君が友人と水入らずのようでしたから、お暇しようと思っていたのですが、どうにもお二人の話が気になってしまいまして」
「……それで店の前で立ち聞きしていたんですか」
二人が話し始めて都合二十分ばかり。
「マジかよ……。なあ、進ノ介。この人が、」
「ああ、杉下警部だ」
若者二人の控えめに言っても「ドン引き」と言う顔を前にしても右京は何処か曖昧な笑みを浮かべたまま。そして、右京は二人へと話を切り出すのだった。
「実は、僕も耳寄りな情報があるのですが、如何でしょう?」
話は聞かせてもらった! by 杉下右京
……次回が今話の最終パートです。