「お姉さま、美味しいですか……?」
どこか自信なさげにハルピュイアは姉のイーリスを見上げた。
イーリスは少しだけいびつな、可愛らしいハート形のチョコタルトをひとつ丁寧につまんで口の中へ。さくり。
確かに形は整っていないし、物によっては喧騒の果てに崩れかけたりもしているけれど、味そのものはどれも変わらず美味しい。生地の甘さとチョコレートのほのかな苦みがバランス良くマッチしている。
「ええ、とっても。とっても美味しいわ」
ふわりとした笑顔を浮かべたイーリスに、ハルピュイアも顔をほころばせた。
「よかったです!」
今日も妹が可愛い。心の中で何度も頷く。
イーリスの大事な妹が何やらこそこそとしだしたのが数週間前。
そんなハルピュイアに気付いて父親が隠れて周囲に威嚇しだしたのが数日前。
(ほら、何も問題無かったじゃない)
界隈で有名な狐の知り合いにふるぼっこにされたらしいぼろぼろの父親を思い返し、少しの優越感に浸る。いまだ父親は、ハルピュイアからも彼女たちの母親からも、当然イーリスからもバレンタインの贈り物をもらっていない。
「ところで、これはお母様と作ったのかしら?」
「いいえ」
前言撤回、問題はあった。
「お母様とじゃないの? おともだち?」
「えーっとね、たぶん、おともだちですよ。お姉さま、どうしたのです?」
表情のこわばったイーリスを見て、ハルピュイアは首を傾けた。
どこぞの馬の骨に大事な妹のはじめてを奪われた。
ぼそりとこぼれそうになった衝撃のままの言葉は、かろうじて口の中にとどまった。
「お姉さま……?」
ハルピュイアの声かけに、イーリスは反応を返さない。ハルピュイアの表情が不安でみるみるうちにしぼんでいく。
「やっぱり、チョコタルト美味しくなかったんじゃ……」
「そんなことは無いわよっ! 今まで食べたチョコタルトの中で一番おいしいわ!」
慌てたイーリスは飛びつくようにしてハルピュイアを抱きしめた。しっかりと翼まで回して囲う。
「……本当の本当?」
「本当の本当!」
「……じゃあどうしてさっき変な顔したのですか?」
もっともな疑問に言葉が詰まる。抱きしめる腕にぴしりと力がこもった。
イーリスは少しだけ困ったような顔で。
「…………、ハルピュイアと一緒に、私もお菓子作りしたいなあと思っただけよ」
ぱぁっと表情が明るく晴れるハルピュイア。
「それなら、今度はいっしょに作りましょう!」
「ふふふ、あなたの頬が落っこちそうなお菓子を作って見せるわ」
「楽しみですっ」
ぎゅー、と嬉しさのまま抱きしめ返す。
そのままぎゅーぎゅーと微笑ましい姉妹の風景を繰り広げていたが。
「あら? そちらのクッキーは誰宛かしら?」
ふと気づいたのは可愛らしい籠に包装されたたくさんのクッキー。こちらも形はいびつだが、喧騒の影響は受けなかったのか割れているものはない。
「あっ」
途端にばつの悪そうな顔をするハルピュイア。
なるほど。
「あの子たちへの贈り物、ね」
「だめですか?」
「いいえ、いっしょに行きましょうか」
「はいっ」
喜色満面。翼もばさばさと跳ねる。
「ところでお姉さま、そろそろ放していただきたいのですが……」
「せっかくだからもうすこし可愛い妹を堪能させてちょうだい」
イーリスがハルピュイアを解放したのはそれから四半刻後だった。
最果ての跡地、その外れに現在その姉妹はひっそりと暮らしている。
玄関口に降り立ったイーリスとハルピュイアを出迎えたのは姉妹の長女、ステンノだった。
「久しぶりだわ。あいにくだけれど、エウリュアレとメデューサは奥に引っ込んでいるわよ」
「ステンノねえさまお久しぶりですっ。これどうぞ!」
会って早速、ハルピュイアはステンノへとクッキーの入った籠を差し出した。
その籠をステンノは微笑んで受け取る。クッキーの不揃いな形が愛おしい。
「あら、ありがとう。ちゃんと、三人でいただくわ」
「ハルピュイアの手作りだから、美味しく食べないと承知しないわよ」
「こわい顔だわ、イーリス。そんな顔しなくても分かっているわ」
顔を寄せて勧告するイーリスに、ステンノはくすくすと声を立てて笑う。イーリスもハルピュイアもステンノからすれば可愛い従妹なのだ。二人のことはよくわかっている。
そわそわと奥の方とイーリス、そしてステンノを順に見るハルピュイアに二人は苦笑した。
「メデューサもエウリュアレもそれぞれの部屋にいるわよ」
「しょうがないわね、いってらっしゃい、ハルピュイア」
「! はい! お邪魔します!」
許可をもらったハルピュイアはステンノの横を抜けて、邸の奥へと入って行った。
まあ、エウリュアレは顔を見せないでしょうけど。口の中で呟いて。
「イーリスも中にお入りなさい。玄関で立ち話でもいいのだけれど」
「……お邪魔させてもらうわ」
ステンノの招きに従って、イーリスも中へと入る。
居間に場所を移してお茶を淹れた。お互いに少しすすってから、ステンノが口を開いた。
「それで、イーリスはどうしたの?」
そう、ステンノはよくわかっている。
あの日以来イーリスが末の妹をここに近づけたがらないことも、その理由も。それでも連れてきて、なおかつ目を離した。
ならば別の用件があるはずだ。
イーリスは肩を竦めた。
「真面目な仕事よ。仕事内容はともかく」
「仕事?」
イーリスの仕事は神々の伝令だ。この邸へいったい誰から誰への伝令だろうか。
首を傾けたステンノの目の前で、ごそりとどこからか取り出されたのはピンク色の薔薇の花束。数えてみれば十本あった。
「メデューサに、ですって」
それだけで送り主が分かった。
受け取るべきか受け取らざるべきか。迷ってしまったがそれを決めるのはメデューサだ。
ステンノは小さく笑った。
「あとで、本人に渡してあげてちょうだいな」
「わかったわ。…………エウリュアレは、自分から引っ込んだの?」
軽く頷いて花束をしまうと、言いづらそうに問うた。
「ええ。飛べない翼を見られたくないそうよ」
「……そう」
ステンノの返答に、イーリスは小さく呟いてお茶を飲んだ。
鼻歌を歌いながら、ハルピュイアはメデューサの頭部の蛇を手入れしていた。あまりにも楽し気で、見た目で怖がられると思っていたメデューサの方がハルピュイアの行動におびえる始末である。
「あの、ハルピュイアちゃん?」
「なんですか?」
「何してるの?」
「メデューサちゃんを可愛くしてますっ」
今の自分の容姿が美しいとは思わないし、可愛らしいとも思わない。彼の神への憤怒こそあれど、積極的に見た目を磨こうとは思っていなかった。
(だってきっと、あのひとも私のことなんて忘れてしまってる)
そんなメデューサの憂鬱な胸の内などお構いなしに、ハルピュイアはいそいそと部屋の中を動き回る。というか飛び回る。室温や湿度を気にしているらしい。そこまでせずとも体調を崩したりもしないのだが。
「ちゃんと可愛い格好してお茶会をしましょう! きっとその方が楽しいです!」
きらきらと煌く笑顔を相手に否やは言えなかった。
諦めの息を一つ吐く。
「……ハルピュイアちゃん、私に会いに来てよかったの? イーリスさんは怒らない?」
「イーリス姉さまも一緒ですよっ。今はたぶんステンノねえさまとお話してます」
「イーリスさんが来てるの……?」
メデューサはぱちぱちと瞬きをした。うねうねと動いていた蛇も動きを止める。
イーリスが来ていて、ハルピュイアから離れている。そのことはそれほど驚きだった。
「そうです! どうかしたんですか?」
「ううん、なんでも。あんまり心配させないように、早く行かなきゃね」
そう言って立ち上がったメデューサにハルピュイアは飛びついた。
「可愛くするのが先です!」
頬を膨らますハルピュイアに、両手を上げて降参の意を示したのだった。
そして、イーリスから花束を受け取ったメデューサが泣き出したのは、また別の話になる。
着地点を見失って次回へ逃げました( ˇωˇ ;)