げんもの:5周年イベに寄せて。
2019年6月24日(月) 15:20
強い風が吹き抜けた。小さな悲鳴から数瞬遅れて、呼福童の顔に布製の何かが直撃する。それを追いかけて邸から出てきた彼女は呼福童を見て、顔を青くして赤くして、また青くした。
忙しいひとだ、とそれを手にどかしながら彼は問うた。
「お初にお目にかかる。そなたが薄幸佳人なるか?」
「そ、そうだけど、そうですけどぶつけて申し訳ないんですけどとりあえずそれを返してください……っ」
泣きそうな、鬼気迫る顔で懇願されて、呼福童は首を傾げながらそれを薄幸佳人の手に返した。
それが彼女の肌着であったと知るのはこの出来事が思い出話になってからのことである。
幻獣界あげての祝宴に、ちらとも顔を出していない幻獣がいるらしい。福の神の端くれとして会場に福を招いて回っていたとき、呼福童はそんな話を聞耳にした。
なんでもその幻獣は生来とても不運らしい。その不運はたびたび周囲をも巻き込むそうで、それを厭うた本人が引きこもっているらしい。
その幻獣と比較的交遊のある橙色の姫君や陽光の女神は、気持ちは分かるのだけど出てきて欲しい、と寂しげに笑っていて、一緒にいた姫君や女神も顔を見せて欲しいと語り合っていた。
せっかくの宴を楽しめないのは勿体無いと口にして、だから今年の会場は幻獣の住居の近くにしたと、すぐ側の邸を指さされた時は少しばかり理解に時間がかかった。しかもこの案はかのアマテラスから出たらしい。
ともかくどこにいるのか分かれば話は早い。
「我がその方を連れて参る! そうすればその方も貴女方もしあわせなのであろう?」
「ええ、今だって楽しいですけれど、彼女が来てくれればもっと楽しいですわ」
「お願いしても大丈夫?」
「我は福之神なれば!」
自信たっぷりに頷く呼福童をそれならと手土産を持たせ姫君達は見送った。
それから十日近く邸に通い、アクシデントのおかげでようやく呼福童は薄幸佳人と顔を合わせたのであった。
呼福童の方はすげなく門前払いをされていたため薄幸佳人を初めて見るが、薄幸佳人の方は当然呼福童の顔も目的も知っていた。なのでお詫びを兼ねてお茶ぐらいなら、とようやく対話を設けることにした。──した、のだが。
「その、我も手伝う、ぞ……?」
「い、いえ、お客様にお手伝いいただく訳には……」
「しかし、でも、その」
薄幸佳人が手に取った急須の蓋の取手が何故か外れ、茶葉を入れようとしたら風がさらっていき、ポットが何故か働かずお湯が出ない。
お茶菓子だけは大量に買いだめてあるとかでお茶請けには多過ぎる餅菓子や生菓子が机にのっているが。
時間をかけて薄幸佳人がどうにかこうにかお茶を用意できた時には、呼福童も一緒に安堵の息をついた。
「それで本題なのだが」
「私は行けません」
誘いを口にする前に、薄幸佳人から拒絶の言葉が出る。
「ご友人も待っているぞ」
「彼女たちは良くても、会場がこの近くというだけでもいろいろと起こっているのでしょう」
「む……」
確かにその通りで、原因不明で起こったあれやこれやの対処には呼福童も当たっていた。つい難しい顔をしてしまう。
「大事なひととはぐれた方やお菓子を喉につまらせる方がいらっしゃるという話は耳にしてます」
彼女は沈鬱そうに息を吐いた。
「そこに私が行ったら、次は何が起こるか……」
「行かないことを望んでいるのか?」
「…………ええ、その通り、私は望んで、邸にいるの」
口元に微笑みを乗せて、しっかりと頷く。
しかし薄幸佳人の答えに呼福童は頬を膨らませた。
「だったらもっと嬉しそうな顔をするべきだ。本当は貴女だって、宴に顔を出したいのであろう」
本心を指摘されて言葉を飲み込むことしかできない。
でも、だけど。喉の中で接続詞が渦を巻く。
「…………そもそもの問題としてね、宴に着ていくような服が、無いのです……」
性質とはまた別の、行けない理由をとつとつと語る。
一年に一度の幻獣界の盛大なイベント。それに行きたくないわけがなく、巷で噂の開運グッズや厄除けグッズも買い込んで、開催日を指折り数えていた。しかしどれを着ていこうかと服を出して判明。持っている晴れ着がことごとく虫食いにあっており、一番のお気に入りは箪笥を開ける時に隙間に引っかかって盛大に破けてしまった。
そしてこの性質はどうしようもないものだと諦めてしまったのだ。
呼福童も流石にかける言葉が見つからない。福之神とはいえ、純粋に慰めるには経験が足りない。特に女性の服ともなれば下手なことを言うと、今すぐにでも呼福童を追い出して引きこもりに戻るかもしれない。
居た堪れない沈黙が落ちる。
少しの後、沈黙を破ったのは空気が押し潰されるような妙な轟音だった。
「……何やら巻き起こしてしまったみたいです、すみません」
「貴女が望んで引き起こしてるわけではないのだから謝る必要などないであろう」
一気に影が差して不穏を感じ、ともかく御簾を上げて縁側に出て外を見る。空を見上げる。
薄幸佳人は目眩を感じて頭を抑えた。
「さすがに……これは、ないです、なんですかこれ……」
空を泳ぐ白い巨体、天空鯨が見た目にはゆっくりと薄幸佳人の邸に向かって落ちてきていた。どうやら眠ってしまい落下しているらしい。
おそらくこのまま放置しても落下しきる前に会場の誰かが吹っ飛ばすなりなんなりするだろう。
色を失った薄幸佳人を見た。彼女ひとり笑顔に出来ずに何が福之神だろうか。呼福童は心を決めた。
開運招福──扇を煽ぐ。呼福童の招きに応じて、何処からか水が天空鯨へと降り注ぐ。ひとがいる地上に余波が落ちたらしく近場で声が上がった。寝耳に水を受けた天空鯨は身を捻って空へ戻った。
「……今の、あなたが?」
「我は運気を引っ張っただけだ」
呼福童は扇を仕舞って薄幸佳人の袖を引く。
「まだ終わりではないぞ」
呼福童が指し示したのは先程声が上がった方向。思い至って慌てて外へ駆け出した。
「そこの方、大丈夫ですか……?」
心配ではあるが近づき過ぎるのは不安で、外壁越しに声をかける。
そこにいた彼女は濡れた髪が張り付いた様子が着ている和服と相まって、ホラーじみて少し怖かった。下半身が蜘蛛なので尚更だ。
「濡れただけだから大丈夫よぉ。……もしかして、噂の佳人さん?」
「ええと、たぶんそうです。噂ってろくな噂じゃないですよね……」
落ち込みながらもタオルを、と逡巡して濡れた彼女を邸に招く。
縁側の方で呼福童とも顔を合わせ、タオルを受け取った彼女は女郎蜘蛛と名乗った。
「渦中のふたりに会えるとは思わなかったわぁ。ラッキーねぇ」
「……ラッキー?」
「確かに濡れたことは不運かもしれないわぁ。でも佳人さんに会うのは、よっぽど運が良くなきゃ会えないって、思ってたのよぉ」
女郎蜘蛛がふわふわとした笑みをこぼす。
いまいち言葉の意味が飲み込めない薄幸佳人は首を傾げた。
「我が薄幸佳人に会えたのも、不運だけではなく幸運だったと言えよう」
女郎蜘蛛と頷き合う呼福童。自慢げな様子が、薄幸佳人にはよくわからない。
今まで薄幸佳人が素直に会っていたのは、不運が及ばない友人だけだった。だからそういうことを言われた記憶は、無い。
不運を責められたことはある。詰られたこともある。だけどもしかしたら、もっとこの二人のようなひとたちがいるのかもしれない。
友人たちが待っていると伝え聞いている。友人たちの友人たちも気にしていると聞いた。
「……宴、だけど、本当に私が行っても、迷惑じゃないかしら」
呼福童と女郎蜘蛛の不運だったけど幸運だった、というやり取りを上手く咀嚼できずに、ただその言葉だけが口をついてでてきた。
「当たり前だ」
「誰だって参加していいのよぉ」
嬉しそうな呼福童の表情がやけに幼く見えて、そういえばこどもだったなと、薄幸佳人は思い当たった。ということは冷静に考えたらこども相手に駄々を捏ねていたのでは。
「佳人さん?」
固まってしまった薄幸佳人に女郎蜘蛛が声をかける。
「い、いえ、なんでもないの、なんでもないのです、ただちょっと服をどうしようかと思っただけで」
要らぬ現実に気づいてしまったが、こちらも問題だ。外行きの服が無いことは変わりない。
「あらぁ、服がどうかしたの?」
「実は……」
簡単に事情を説明する。呼福童に話した時は愚痴めいたものを多分に含んでいたが、ちょっとあれだったと自覚してしまったためそのあたりはほとんど省いた。
「それなら私に任せなさいなぁ。これでも裁縫は得意な方よぉ」
「で、でも」
「我からお願いする。どうか手を貸してくれぬか」
「ええ。じゃあ佳人さん、まずは服を見せて頂戴ねぇ」
勝手に進む話にあたふたしてしまって流れ流され気がついたら採寸までされてしまったのだった。
元があったためすぐに手直しできたとはいえ、場所が場所だ。そのため時々不運に見舞われてだいぶ時間がかかり、宴に足を運ぶのは翌日にということになった。
「我がもう少し上手く福を招けたら、」
「心の準備があるからきっと変わらないわよぉ」
悔しそうな呼福童の頭を女郎蜘蛛は軽く混ぜる。
薄幸佳人の不運は不運であって厄ではない。払えるものでは無いため、呼福童の招いた福で結果的にプラマイゼロにできても、不運な出来事が起こらないように防ぐことは難しい。もしかしたら先達の福之神なら上書きのようにしてしまえるかもしれないが、呼福童はまだ未熟だった。
「さあ、リードは任せたわぁ」
「うむ」
女郎蜘蛛は先に行って待つという。
呼福童は着替え終わってるだろうに出てこない薄幸佳人の元へ迎えに行った。
ノックをふたつ。
「……入ってます」
「入っていなかったら困る」
「…………本当に大丈夫、でしょうか」
「大丈夫だ。我がついておる」
真っ直ぐな声に背中を押されてそろそろと扉を開く。瀟洒な服に身を包んだ薄幸佳人を見て、呼福童の中に湧き立つものがあった。それをそのまま口にする。
「綺麗だから、意識せずとも目が離れぬな」
「そう、なの、です?」
あまりにも真っ直ぐな予想外の言葉に思考がから回る。着替える時には思わなかったが、なんだか妙に暑い。
「どんな不運も福の種に変えてみせよう」
だから安心するが良い、といつものように自信たっぷりに告げられて、薄幸佳人は初めて心からの笑顔を見せた。
「呼福童くん、ありがとう」
宴に足を踏み入れて、今までにないほどのしあわせに溢れるまであと少し。
作中時間はもう少し増やすべきでした。
たぶん長編みたいな形にした方が丁寧になった。