最近、明石のところへ行った艦娘。
そして名前のイニシャルがSの艦娘。
それが、明石に『艦娘に甘えたくなる薬』を作らせた依頼人《S》なのかは、正直わからない。
情報が不足している現段階では仮定としか言いようがない。
しかし、いまはその仮定を信じて動くしかない。
とにかく俺が真っ先にすべきことは、依頼人《S》が持っているだろう解毒剤を手に入れること。
でないと、本気でいまの俺は艦娘に何をしだすか、わからない。
手っ取り早いのは、疑わしき艦娘全員を司令室に呼び集め、ボディチェックすることだが……
これは愚策だ。
もし本当にその中に犯人がいたら、解毒剤を持ったまま司令室に来るなんてバカなことはしないはずだ。
そのまま解毒剤を捨ててしまう可能性だってある。
俺を無理にでも甘えさせようと画策するような艦娘にとって、不要なものでしかないのだから。
……つまり、こうしている間に、すでに捨てられていても、決しておかしくはないということだ。
そんな危うい状況下で、呼び出しの放送なんてしたら、事態はより悪化する。
お前の目論見に気づいたぞ、と相手に報せるようなものだ。
もちろん、明石にもう一度同じ解毒剤を作ってもらおうかとは考えた。
しかし彼女は俺の失態で気絶してしまっている。
とうぶん目を覚ます様子はなかったし、いざ作業に取り掛かってもらっても、いつ完成するのかも定かではない。
となれば、やはり地道に捜索するしかない。
このわずかな手がかりだけで黒幕を見つけ出すだなんて、はっきりといって砂の中から針を探すような無茶だが。
だからって、このまま何もしないまま、黒幕の思い通りになるわけにもいかない。
とにかくアクションを起こして解決の糸口をつかむのだ。
現状、俺は完全に後手に回ってしまっている。
だが相手はまだ『俺が事情を把握して動いている』ことには、さすがに気づいていないはずだ。
今ごろ『明石さんはうまくやったかしらん? そろそろ甘えたくてしょうがなくなっている頃かな? うふふふのふ』なんてニヤつきながら油断しきっているかもしれない(※セリフはイメージです)
これは俺にとってアドバンテージだ。
利用しない手はない。
作戦はこうだ。
容疑者らしき艦娘と接触した場合、まずは薬の効果で完全に甘えん坊になっているフリをする。
もし相手がクロなら、きっとそれで「効果抜群!」と警戒心が緩むはずだ。
その隙に、懐に解毒剤を忍び込ませていないか調べ、あるならそのまま奪う。
相手に気づかれずに懐から道具や武器を抜き取る技術は、訓練生時代で鍛えられている。
仮に持っていなければ、さり気なく誘導尋問をして、うっかり口を滑らせ、吐かせる。
これも訓練生時代で身に着けた技術だ。
とりあえず、この作戦で行こう。
すっかり艦娘に戦闘を一任させるようになって久しいが、軍人としての腕は鈍らせていないつもりだ。
さて、問題はまずどの艦娘からアタックを仕掛けるかだが……
「しかし、本当にタチの悪いことをしてくれたよな」
誰だかは知らないが、さすがに今回ばかりは俺も怒っている。激おこである。
ひと言なにか言ってやらないと気が済まない。
しつこいようだが、俺が提督である以上、戦いが終わるまで安息の日は許されないのだ。
その責任ある立場を、怪しい薬を使ってまで台無しにしようとするなど……
過保護を通り越して身勝手ではないか!
許せん。
今日という今日は俺もビシッと言ってやる!
犯人が誰だろうと、厳しい処罰を与える所存である。
「ふんっ。待っているがいい《S》。俺を本気にさせたらどうなるか思い知らせてやろう……」
頭の中でお仕置きのプラン(もちろんエッチな意味ではなく)を考えていると、ふと背後から……
「あ、提督! よかった。ちょうど探していたんです」
怒りの感情も引っ込むような、穏やかな声に呼び止められる。
なんという美声だろう。
軟弱な男なら、この声を聞いただけで腑抜けになってしまうに違いない。
されど、いま俺の怒りのゲージは限界突破している。そう簡単に静まるものじゃない。
こんな切羽詰まっているときに誰じゃいボケェ。と、ちょい悪オヤジみたいな心境で足を止めて後ろを振り向くと──
そこには天使がいた。
純白の衣を纏い、まばゆい銀髪を靡かせ、柔らかにほほ笑む、美しい天使が。
「お疲れ様です提督。いまお時間頂いてもよろしいですか?」
「……え? あ、ああ、構わないぞ
間違えた。
天使ではなく、涼月でした。
羞恥で顔が熱くなるのを感じる。
いや、しかし。
言い訳をさせていただくと、そう見間違えるのも無理はないと思うんだ。
彼女の美貌は、その……『天使』と形容しても、決して大袈裟ではないからだ。
これは何も、薬の影響で頭がイカれたわけではない。
冗談抜きで、涼月という艦娘は、美しすぎるのである。
「? どうかされましたか提督? 涼月のお顔に何かついていますか?」
「あ、いや、そんなことないぞ」
きょとん、と首を傾げる涼月に、俺は上ずった声で答える。
いかん。
相変わらず涼月を前にすると、冷静さをたもてん。
彼女が着任してから随分と経つというのに、いまだに、その限度を越えた美貌に慣れないでいる。
艦娘は誰もが見目麗しい美女、美少女ばかりだ。その容姿に格差をつけるなんて、愚かと言えよう。
しかし、そうわかっていても……
この涼月の美しさは、群を抜いている。そんな言葉が出てきてしまう。
なにせ、同じ艦娘ですら、涼月と初めて対面すると、息を呑んで心を奪われるほどだ。
先ほどの意気込みもどこへやら。
俺は完全に毒気を抜かれた状態になって、涼月の美貌に目を奪われる。
防空駆逐艦、秋月型、その3番艦。
見た目が駆逐艦離れした秋月姉妹の中でも、特に等身が高く、大人びた容貌を持つ涼月。
健康的で清潔な色白の肌。長いまつげの下にある青灰色の瞳は、見る者を引き寄せ、魅惑的な曲線を描いた肢体は、彼女が
衣服越しでも隠せない強烈なまでに艶めかしい肢体は、不思議なことに品がないとは思わせない。触れがたい神聖的な美さえ感じさせる。
頭から足の先まで、まるで天の贔屓と慈愛と根気で創られたのではないかと疑うほどの、完成された造形美。
涼月が立つ場所だけで、別の空間ができたかのように、壮麗なものへと一変する。
不浄の地も、たちまち清涼に浄化されてしまうのではないかと本気で信じ込むほどに、涼月の美しさには異質なものがある。
想像を絶した美貌というのは、本当に心を鷲掴むものらしい。
容貌はもちろん、その肉体、佇まい、纏う空気まで──涼月は、何もかもが美しい。
だからといって、このままいつまでも惚けていては埒が明かない。
俺は「こほん」と咳払いし、できるだけ顔を引き締めて涼月と向き合う。
「そ、それで、どうした涼月? 何か俺に用か?」
表面上は上官としての態度を装って、内心の動揺を悟られないようにしたが……やはりいつもより声の調子が外れている気がした。
しかし尋ねられた涼月は気にした風もなく受け応える。
「はい、実は先日の件で……」
「先日?」
「その、お初さんが大変ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ございませんでした」
そう言って涼月は心苦しそうに頭を下げる。『お初さん』とは彼女の妹である初月のことだ。
「ああ、そのことか……」
初月が『僕を飼ってくれ』と爆弾発言をして、俺を唖然とさせたあの一件。
律儀な涼月は改めてそのことを謝罪しに来たらしい。
姉妹の中でも特に初月と密接な仲である分、気が咎めたのだろう。
「お詫びと言っては何ですが、カボチャのケーキを作ってきたので、よろしかったら召し上がってください」
涼月は箱とビニールで上品にラッピングされたパンプキンケーキを差し出す。
自家菜園を作るだけあって、相変わらず熱いカボチャ推しである。
しかし、食生活が質素な秋月型である彼女からすれば、ケーキなんてとんでもなく奮発してくれた手料理だ。
これは相当、初月のことを気にしているご様子。
「そんな気を遣ってくれなくてもいいんだぞ涼月? せっかくだから、そのケーキは秋月たちと一緒に食べるといい」
そうフォローを入れたが、しかし真面目な涼月は首を横に振る。
「いえ、そういうわけにはいきません。妹の不始末を詫びるのは、姉の務めですから」
キリっとした顔で涼月は言いきる。
優しさと厳しさを併せ持った姉としての一面が垣間見える。
やはり出来た娘さんだな涼月は。
「この先、提督にご迷惑をかけないよう、あの後ちゃーんとお初さんにお仕置きをしておきましたから」
「え? お仕置き?」
「はい。悪い子さんにはお仕置きです」
眉をつり上げて「私だって怒るんですよ?」と姉の威厳を示すように、ご立派なお胸を張る涼月。
涼月のお仕置きだと?
何ソレ、めっちゃ気になる。
普段は優しさの塊である涼月が──というより、もはや善性の化身である涼月がいったいどんなお説教をするのだろう。まったくイメージができん。
いや、でも涼月のような娘ほど、実は妹の前ではSッ気のあるお姉様になったりするのかもしれない。
たとえば、このような……
『うふふ。いけないお初さんには、たっぷりお仕置きしないといけませんね』
『あっ、涼姉さん、やめて。姉妹で、女同士でこんな……はうぅん! ダメだ姉さん! 僕、はしたない女になっちゃうぅぅ!』
『ふふっ。とっても可愛いですよ、お初さん♪』
やべえ! オラちょっとワクワクしてきたぞ!
上官権限で是非詳細をお聞きしたい!
……でも、あの日以降、初月のやつ変わらず俺のとこへ来ては『提督よ。フリスビーで遊びたくはないか?』とか『さいきん骨をかじるのが僕のマイブームなんだ』とか言ってチラチラ意味ありげに見つめてくるんだよな。
お仕置きとはいったい……
「かわいい妹にお仕置きするのは、とても心苦しかったのですが……でもお初さんは聞き分けの良い子ですから、すぐに反省してくれました♪」
「ソウカ。ソレハ、ヨカッタ」
涼月さんや、どうやら君の妹さんは随分とふてぶてしいようですよ?
やっぱり優しい涼月にはSっぽいことは無理難題だったということかな。
でもSっぽい涼月もそれはそれで……
ん?
S?
涼月のイニシャルはS……
……あああああああっ!
うっかり忘れていたけど涼月も依頼人《S》の可能性を持つ容疑者の一人じゃないか!
最近工廠に行った艦娘リストの一覧にも涼月の名前はあったし!
……いや、でも。
さすがに涼月は違うんじゃないか?
だって、あの涼月だぞ?
マジで天使のように優しい涼月だぞ?
菜園のお手入れしているときだって、小鳥が彼女の肩に止まるぐらいだぞ?
そんな小鳥を愛しげに見つめながら、優しく語りかけるような地上に舞い降りた大天使なんだぞ?
もし涼月が今回のこと企てたって言うんならショックで三週間ほど寝込む自信あるよ俺。
うぅむ。
できることなら涼月のことは信じてあげたいのだが……
しかし、容疑者は全員疑うと決めた手前、例外は作れないし。
「じー……」
俺は涼月に向けて熱い眼差しを……ではなく、疑いの目を向ける。
「提督? あの、やっぱり涼月のお顔に何かついていますか?」
何かついているかだって?
とっても綺麗なお顔がついているよ?
だが俺が見ているのは、その瞳の奥にある君の本性だ。
こんな良い子を疑うのは心苦しい。
信じてあげたい。
だからこそ、見極めなくてはならない。
はたして彼女の心が見た目と同じく美しいのか、どうかをな。
「じ~」
「提督、その、どうされて……」
「じ~……」
「あう」
あまりにも凝視したためか、涼月の白い頬が徐々に赤くなっていく。
きょろきょろと目を泳がし、おろおろと顔を逸らす様子は、彼女があどけない駆逐艦であることを思い出させる。
「提督、そんなに見つめられると──涼月、恥ずかしい……です」
そう流し目を向けて恥じらう姿は、とても儚く、それでいて色っぽく、そして、どうしようもなく、尊かった。
……うん! これはもうシロだよ!
こうして見つめられただけで恥じらうような純情な乙女が、薬を盛るなんて腹黒いこと考えるわけがねえ!
真に心が綺麗な女性は、見た目までその美しさが現れるもんなんだよ!(極論)
「あのぉ提督? もしかして、このカボチャのケーキお気に召しませんでしたか?」
「何を言う涼月! とってもおいしそうじゃないか! 喜んでいただくさ!」
疑ってすまなかったな涼月。
謝罪の意味も込めて、そのケーキはありがたく頂くとするよ。
厚意は素直に受け取るのが礼儀というものだ。
俺の言葉に涼月はホッと胸を撫でおろした。
「よかったぁ。てっきりお初さんのことで、とても怒られているのかと……」
「おいおい、俺がそれぐらいのことで怒るわけないだろ」
薬を使ってまで俺を甘やかそうとする謎の艦娘と比べたら、初月の『飼ってくれアピール』なんてまだ可愛いものだ。
……いや、だからって『服を着ているとペットとは言えないかな……』とかボソッと呟かれるのは、焦るからやめてほしいけどね!
とにかく、涼月はきっと無関係だ。
早いとこケーキを受け取って、次の容疑者のもとへ……
ドクン。
「あ」
しかし、つくづく試練というものは発生するらしい。
こんなときに。
よりによって涼月が目の前にいるときに限って。
──艦娘に甘えろ
「あ、う、あ……」
またもや俺の意識は『艦娘に甘えたい衝動』によって掌握される。
「提督? お顔の色が悪いですけど、どこか具合が……」
「……涼月」
「はい、何ですか提督?」
「もし本当に申し訳ないと思うのなら、是非ともしてほしいことがあるんだが……」
完全に弱みに付け込んだ脅しみたいなことを口走る俺の口。
だが止められない。
意思とは無関係に、口が勝手に動く!
「あ、はい♪ 涼月にできることなら何でもおっしゃってください♪」
涼月もそんな素直に了承してはダメだ!
ああ、マズイ。
言ってしまう。
またもや内に秘めていた願望を!
涼月、俺は……
俺は、君に……
「ケーキを『あーん』して食べさせてほしい」
「え?」
……ああー。
言ってしまった。
男なら一度は体験したい、女の子に『あーん』と言ってもらって、食べ物を食べさせてもらう行為。
いや、お祝い事やパーティーのとき積極的にそういうことをしてくれる艦娘は毎回数名いるので、未経験ってわけではないのだが……
だからこそ、いままでにやってもらったことのない相手、特に涼月のような包容力いっぱいの美少女に同じことをしてもらいたいと、密かに考えていた。
考えてしまったのだ。
結果、こうして薬の効果で、あますことなくその願望を垂れ流しにしてしまう。
それどころか……
「涼月に思いきり甘えたいんだ」
ついには彼女の肩を掴んで迫る始末。
ダメだ。
やっぱり薬の効果に抗えない。
口もカラダも勝手に動いてしまう。
「て、提督……」
「頼む涼月。何も言わないでくれ」
困惑する涼月に、切な声色で、俺は頭を下げる。
「情けないと思ってくれて構わない。ただ、いまは誰かの温もりが欲しくてしょうがない……いや、涼月だからこそ、甘えたくてしょうがないんだ」
「まあ……」
何を調子のいいことを言っているんだよ俺の口ぃ。
やっべーよ。これが公共の場だったら絶対に事案として通報されているレベルだよ。
涼月もきっとドン引きだよ。
いくら天使のように優しい彼女も、さすがにこれには難色を示すに違いない。
いやだな~、涼月に冷めた目を向けられるのは。ショックで三年間寝込む自信がある。
強引な言動と行動の裏では激しく焦りつつ、涼月の様子を伺うと……
「──うふふ♪」
そこには、本物の天使がいた。
不純なものなど一切感じられない、神聖の光がそのまま少女の姿となったのではないかと思うほどの、美しい存在が、笑いかけてくれていた。
「珍しいですね。提督がそんなにも、素直に気持ちを打ち明けてくださるなんて」
ほほ笑みを絶やさず、暖かなものに満ちた瞳で、こちらを見つめる涼月。
なんて、澄んだ眼差しだろう。
不安や恐怖など、瞬く間に吹き飛んでしまう。
見つめられるだけで、深い安堵が込み上がってくる。
ひょっとしたら彼女には悪意や害意の概念すらないのではないか。
そう信じ込んでしまうほど、彼女のほほ笑みには絶対的な慈しみが込められていた。
「提督、私は嬉しいです。そこまで、涼月を頼ってくださるなんて……」
ふと、彼女の眼差しに、熱いものが宿る。
天上の祝福が、ただ一人の人間のために、ひと筋の光となって降り注ぐように。
「情けないなんて思いません。提督はこれまで、弱音を吐かずにずっと頑張ってこられたのですから」
涼月の言葉のひとつひとつが、胸の奥に眠るものをドクンドクンと呼び起こしていく。
「そんな提督が、こうして正直に私に弱音を打ち明けてくださったのなら……受け入れないわけには参りません──いえ、是非、そうさせてください」
涼月、君ってやつは……
「提督。ご遠慮なさらないでください」
いったい、どこまで慈しみ深いんだ。
「涼月でよければ──貴方を癒してさしあげます」
そう言って涼月は「うふふ♪」と、いつものように心を射抜く笑顔を浮かべるのだった。
心も、カラダも、意識のすべてが、涼月のほほ笑みに屈服する。
薬の効果など関係なく、魂そのものが、涼月という少女を、求めだす。
世界のすべてが、涼月で満たされる。
彼女は、光そのものだ。
「では提督。よろしければ、涼月のお部屋にいらしてください。たくさん、おもてなしいたしますから。うふふ♪」
涼月の美しい手に曳かれて、そのまま彼女の部屋に招待される。
涼月の自室。
そこは、至福のいっときが約束された聖地。
天国のお父さん。
今度こそ、俺は、ダメかもしれません。
「月夜海」で艦これ第一期のEDを飾り、CDジャケットとして描かれた涼月こそ、艦これにおける真のヒロインではないだろうか?(争いの火種)