俺が療養している間に敵がまた鎮守府を攻めてきたらどうするか、という不安があったが、とりあえずその心配は杞憂に終わった。
やはりあの戦いで敵勢力も相当消耗したらしく、脅威と呼べる深海棲艦はすっかり鳴りを潜めたらしい。近海に出現するのも、残存兵らしき弱小の駆逐艦ばかりとのことだ。
練度の高い艦娘ならばその程度の敵、艤装がなくとも拳ひとつで倒せる。
なので当面は病院でゆっくり過ごしても問題はなさそうだった。
激戦の後の休養のようなものだった。
おかげで、重傷だった怪我も順調に治すことができ、俺は無事に退院した。
「う~ん、やっぱり外の空気はうまいな」
片腕のギプスはまだ外れていないが、提督業に復帰しても支障はない程度には回復した。
今日からまた世界の平和を守るべく、そして未来の嫁さんとの幸せな(エロい)生活のため、提督業再開だ。
いつまでも上官が不在では、艦娘たちも気の毒だからな。
「長い間、鎮守府に帰ってこられなかったからなぁ。アイツらには悪いことをした」
とは言っても、俺の回復スピードは医師が「本当にありえん回復力だ……」と驚くほどだったので、予定よりは早い復帰なわけだが。
もちろん、もう少しゆっくりしてもいいのではないか、とは言われた。
不肖ながら、あれほどの大戦果を残した後だ。確かに大本営に多少ワガママな希望を出しても、融通は効いた筈だ。
しかしそれならば、もっと別の方向で助力を求むことにした。
半壊した鎮守府の再建や、俺の帰りを待つ艦娘たちの支援などだ。
おかげで艦娘たちはあの戦いの後、不自由なくいつも通りの生活に戻れたらしい。
あとは俺の無事な姿を見せれば、完璧に元通りの鎮守府だ。
「おおっ。本当に直ってる」
鎮守府の門を通って、俺は感歎の声を上げた。
敵の攻撃であれほど蹂躙された建造物は、まるで時を巻き戻したかのように修復を果たしていた。
さすがは大本営だ。見事な仕事ぶりである。……実際凄いのは修繕作業を引き受けた妖精さんだが。
「ん? あれは……」
入り口の近くで箒を持って掃き掃除をしている艦娘の姿を確認する。
あれは霞かな? こんな朝早くから掃除をしているのか。感心かんしん。
……でも気のせいか、ちょっとしょんぼりしているように見える。
気が強い霞にしては珍しい。ここはいっちょ声をかけて元気づけてあげるか。
「お~い霞~! いま戻ったぞ~!」
俺の声に霞は掃き掃除の手を止めて、ピクンと反応する。
「司令、官……?」
まるで信じられないものを前にしたかのように、霞は目を見開く。
真面目な霞のことだ。長らく鎮守府を留守にしたことを怒っているかもしれない。
改二になってから少しは性格が丸くなった霞だが、こりゃまたこっぴどく「このクズがぁ! さっさと戻ってきなさいよ!」と叱られるかな。
「司令官!」
「ん!?」
霞の説教に身構えていると、何と彼女は箒を放り投げて俺に抱き着いてきた!
「よかった……やっと帰ってきてくれたのね」
「か、霞さん?」
予想外なことで、思わずさん付けしてしまう。
霞は温もりを確かめるように、ぎゅっと俺にしがみつく。
「もう、どんだけ心配したと思ってんのよ、このバカァ」
いつもの強気な言葉遣いにも、覇気がない。
まるで捨てられた子猫のように、その声は弱々しい。
「バカ、バカッ! 本当に、心配したんだから……うっ、ぐすっ」
霞はそのまま潤んだ瞳で、こちらを見上げてくる。
「よかった……司令官が無事で」
……え? なにこのカワイイ生き物。
本当にあの霞か。いや、霞はもともと凄くカワイイけど。普段の数百倍カワイイぞ、いまの霞。
「え、ええと、そんなに心配してくれてたのか?」
「あ、当たり前じゃないの! このクズゥ~……」
ん~、なんだろ。いつもどおりの「クズ」がやたらと甘ったるく聞こえる。
と、とりあえず。
「か、霞。わかったから少しチカラ緩めてくれ。ちょっと痛い」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
さらに意外。あの霞がこんなに素直に謝ってくるだなんて。
どうやら本気で心配してくれていたらしい。
あんなにも俺への当たりがキツかった霞がだ。
なんだよ、ちょっと照れるじゃないか。
思わずそう感慨に耽っていると……
「まさか、いまので傷が開いたの!? 死なないで司令官!」
「いや死なないよ!? これぐらいのことで!」
なに大袈裟なこと言っとるんだ!? いくらなんでも心配し過ぎですよ!?
「せっかく治ったのに、私のせいで……」
「か、霞?」
「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「ちょ、ちょちょっと落ち着けって霞! 大丈夫だから! ほら、ギプスは着けてるけどピンピンしてるから!」
目から光を消して錯乱し始めた霞を落ち着かせるべく、折れてないほうの腕をブンブンと振る。
すると霞はまた目の色を変える。
「ダメよ司令官! 安静にしないとカラダに悪いでしょ!」
「え? あ、はい」
何なんだ? 本当にどうしちゃったんだ霞の奴。
まるで別人ってぐらい俺のこと心配して。
「司令官、いい? 絶対に無茶しちゃダメよ? まだ病み上がりなんだから!」
「わ、わかったって。気を付けるよ」
俺が大人しくすると、霞も何とか冷静さを取り戻してくれた。
わからん。いったい霞に何があったんだ?
「と、とにかく、俺が戻って来たことを周知させたいんだけど。皆を呼んできて貰っていいか?」
「わかったわ。でもその前に……」
霞はきゅっと俺の手を握ったかと思うと、そっと、そのまま自分の頬に寄せた。
柔らかい、霞のモチモチほっぺ。
「お帰りなさい、司令官……」
いままで見たことのない優しげな笑顔で、霞はそう言った。
思わず見惚れてしまった。
見た目は小学生くらいの少女なのに。
男心を揺さぶる、大人びた艶らしきものが、その笑みにはあった。
「あ、ああ。ただいま、霞」
返事もどこか浮ついた感じになってしまう。
いつもの霞ならここで「シャキっとしないさいよ!」と喝を入れるところだが……
「ほら、手を貸してあげる。一緒に皆のところまで行きましょ?」
今日の霞は異様なまでに優しい。
まるで子どもを慈しむ母のように、俺の手をそっと曳いてくれる始末だ。
思わず「かーちゃん……」と呼んでしまいそうになった。それぐらい、いまの霞からは深い母性を感じた。
いかん。変な趣味に目覚めてしまいそうだ。
霞の急な変化への戸惑いは、もちろんあったが……。
まあ、しかしだ。前のように険悪な態度を取られるより、いまのように柔らかな感じで接してくれたほうが良いに決まっている。
どこか物足りなさはあるけれど……負傷した身としては、いまこの労りはありがたい。
お言葉に甘えて、俺は霞の手を借りながら歩きだした。
「……もう、絶対に傷つけないから、司令官」
隣で霞がそうボソッと呟いた。
……もしかしたら、俺が深手を負ったことに、彼女は罪悪感を覚えているのかもしれない。
バカだなぁ。あのときは俺が望んで戦火の中に残ったんだ。そんなこと霞が気にする必要はないというのに。
でも霞ですら、この調子だ。
他の艦娘も、負い目を感じて落ち込んでしまっているかもしれない。
ここは早いところ元気な姿を見せて艦娘たちを安心させてやろう。
俺たちの戦いは、これからが本番なのだから。
大きな戦いを終えて、いっときの平穏を手にしたかのように思えるが、深海棲艦が全滅したわけではない。
戦況が静まり返ったときほど、敵の動向に注意しなければならないだろう。
大本営は今回の大規模作戦の成功で俺を高く評価してくれている。
今後さらなる支援をすると約束してくれたし、見事に戦いを終わらせた暁には多大な報酬を用意してくれるとも言った。
何も富と名声に目が眩んだわけではない。
俺には責任があるのだ。
俺の行動、活躍次第では、部下である艦娘たちの戦後における扱いも変わってくる。
大戦果を残したからと言って、もし慢心して怠けていたら栄冠は一気に転落することだろう。そうなったら、命をかけて戦ってくれた艦娘たちまで、悪評に振り回されるかもしれないのだ。
信頼を築くのに時間はかかるが、失うのは一瞬だ。
そんなことに艦娘たちを巻き込むわけにはいかない。人類の希望である彼女たちの未来は、明るいものでなければならない。
もちろん俺の未来だって明るいものにしたい。
打算的ではあるが、幸せな家庭を築くためにも現実的に考えて予算は必要だ。除隊後、働き口が無事見つかるとも限らないしな。
そのためにも、やはり怠けてはいられない。今後ますます精進して、大本営の期待に応えなければならない。
……なにより、俺を英雄と信じてくれる人々の希望を裏切らないためにも、立ち止まるわけにはいかないんだ!
「霞。俺は、やるぞ。提督として、この世界を守るため(そして将来お嫁さんとエロいことをするため)きっと深海棲艦から海の平和を取り戻してみせる」
誓いを新たに、そう宣告した。
霞ならきっと「当然よ」と頼もしい返答をしてくれることだろう。
……しかし、彼女の返答は予想外なものだった。
「いいえ、司令官はもう頑張らなくていいのよ?」
「……はい?」
──────
艦娘たちの様子がおかしい。
俺の帰還に誰もが号泣してくれた。
豪華な復帰祝いをしてくれ、中には「お帰りなさい!」と言って抱き着いてくる者もいた。
そこまではいい(飯はうまかったし、おっぱいの感触も堪能できたし)。
しかし、いつもツンケンとしていた霞の急変といい、艦娘たちがどうも変だ。
なんというか……
すごく、過保護なのだ。
「ふぅ。入院生活が長引いたせいでカラダが鈍ってるなぁ。ちょっと軽く散歩でもしてカラダ動かしてくるか」
「いけません提督!」
「え!? 何でダメなの大淀さん!?」
「まだ治りかけのカラダで激しい運動をして心臓発作を起こしたらどうする気ですか!?」
「ちょっと散歩してくるだけだよ!?」
俺が外に出ようとすると、必ず誰かしら止めに入る。
何とか説得して外に出ることが許されても……。
「あの初月? そんなに警戒しながら歩かなくても大丈夫じゃないか?」
「甘いぞ提督。敵はいつどこから襲撃してくるかわからない。気を抜いたら終わりだぞ?」
外出時には必ず護衛の艦娘がついてくる。
敵影なんてまったくない晴れやかな青空の下でも、キョロキョロと周辺を見回し、俺を守ろうとする。
ちょっと神経質になり過ぎではないだろうか。
最近は敵空母艦載機の目撃情報すらないと言うのに。
それでも艦娘たちは俺に危害が加わらないよう、常に厳戒態勢を敷いている。
本当に、いったいどうしてしまったんだ、彼女たちは。
「安心しろ提督。お前は必ず僕が守ってみせる」
やだ、この艦娘イケメン。
夜寝るときすら、誰かしら同衾するようになった。
「しれぇ! 雪風がついている限り何も怖いことはありません! どうか安心してお休みください!」
「う、うん、ありがとな雪風」
「えへへ♪ しれぇ! あったかいです!」
最初のうちは甘えん坊な駆逐艦たちが一緒に寝たいのだろうとほほ笑ましく思っていたのだが……。
「提督……あの、今夜は、衣笠さんが一緒に寝てあげるね?」
「ここは譲れません」
「榛名は大丈夫です!」
「俺は大丈夫じゃないです!」
ついには重巡や空母戦艦までが同衾すると言い出した時点で、俺はこの異常性を嫌でも理解しなければならなかった。
間違いない……。
艦娘たち全員、過度な心配性になっている!
俺のことを案じてくれるのは大変嬉しいが、いくらなんでも、これはやり過ぎだ。
このことを秘書艦筆頭である大淀さんに相談すると、彼女は切なげに語り始めた。
「提督。私たちは気づいたんです。あの戦いから、どれほどあなたが掛け替えのない存在かということを」
どうやら艦娘たちにとって、俺が死にかけたことは余程ショックな出来事だったらしい。
「提督が鎮守府に残って、最後まで指揮を執ってくれて、本当に嬉しかった。あなたのそんな優しく強い思いがあったからこそ、私たちは戦えたんです」
確かにあのときは艦娘たちと心がひとつになった感触があった。
もしかしたらその瞬間に、艦娘たちの意識に大きな影響を及ぼしたのかもしれない。
「提督が意識不明だと知ったとき、とても不安でした。もう二度と会えないんじゃないかって。そう考えただけで、とても怖かったんですっ!」
なるほど。
それで俺が少しでも傷つきそうになると、過敏に心配していたわけか。
「もうこの鎮守府であなたを嫌う艦娘は一人もいません。みな等しく、提督を尊敬し、お慕いしています」
た、確かに、あの霞すら滅多に暴言を言わなくなったのだ。
霞だけじゃない。いつも反抗的だった曙と満潮までもがだ!
圧倒された。
まさかここまで彼女たちに敬愛されていたとは。
提督としても男としても誇らしいことだが。しかし……
「お願いです提督。どうかご理解ください。あなたを失うこと。それは私たち艦娘にとって最も恐ろしいことなんです。あなたのいない世界なんて……考えられません!」
「お、おう」
そうは言われても、いくらなんでも限度というものがある。
だって、さすがにねぇ……
「いくらなんでも一緒にお風呂に入るのはマズイと思うんだけどな大淀さん!」
「いえ! 入浴しているときこそ一番無防備になるんです! こ、ここは大淀が責任を持って混浴し、提督の身をお守りいたします!」
顔真っ赤にして言うことか! 無理しなくていいんですよ!?
「大丈夫だって! 何も起きないから!」
「で、でも、提督はまだお怪我をされていらっしゃいますし、カラダを洗うのに何かと不都合でしょ? よ、よろしければ大淀がすみずみまで洗ってさしあげます!」
なぜタオルで隠したところばかりチラチラ見るんですかね大淀さん……。
「遠慮なさらないでください提督! あっ! も、もし裸を曝すのが恥ずかしいとおっしゃるのなら、わ、私も生まれたままの姿をお見せします。これで、平等ですよね?」
「ストップ! タオルに手かけないで!」
童貞に美少女の生ヌードとかまだハードルが高すぎるわ!
そりゃ意識不明のとき夢の中で艦娘たちの裸見ちゃったけど……リアルだとぜんぜん破壊力が違う! 刺激が強すぎる!
「で、でも男性は女性と抱き合ったり、性的興奮を催すとストレスが軽減されると伺いました。もしかしたら提督が元気になられるのをお手伝いできるかもしれません!」
別の意味で元気になってしまうわ!
ええい! 鎮まれ分身よ! 耐えろ! いくら相手がたとえ食べ頃の美少女でも彼女は大切な部下だ!
そういう目で見るな! 提督として示しがつかなくなる!
「提督、その……大淀でよければ、そういうことも、喜んでお受けいたします。私、提督のためなら、どんなことだって……」
「……」
……あ、まずい。一瞬「もう艦娘が嫁でいいんじゃね?」と思ってしまった。
「提督」
追い打ちをかけるように、大淀さんはどこまでも献身的な眼差しを向けてくる。
「命をかけて鎮守府に残ってくれた、そんなあなたを大淀はお慕……尊敬しています」
本当にどんなことも受け入れてくれそうな雰囲気を湛えて、大淀さんは身を寄せてくる。
「どうか、我慢なさらないでください。これまで頑張ってきたご自分に、ご褒美を差し上げてください」
彼女の表情に、一粒の、妖艶が滲む。
「提督、いいんですよ?」
少女は囁く。
男を堕落させる、甘い蜜のように。
「私たち、艦娘に──いっぱい甘えても」
プッツン、と理性の糸が切れかけた、その瞬間。
「よっこいせ」
壁に頭をぶつけて気絶することにした。
「きゃあああっ提督うううう!!」
すまない大淀さん。
素敵なお嫁さんと幸せに暮らすという夢を叶えるためにも、俺は立派な提督を続けなければならないんだ。
だから、たとえどんなに艦娘たちが過保護に甘やかしてきたとしても、俺は絶対に屈したりしない!
英雄の名に恥じない漢を貫き通してみせる!
……と思いつつも「ちょっと勿体ないことしたなぁ」と惜しみながら俺の意識は闇に落ちていった。
その後、艦娘たちの心配性がより重症化したのは言うまでもない。