「あの、提督……あたしに、甘えて、いいよ?」
勇気を振り絞るように、幼い少女が腕を広げる。
司令室の窓から差し込む朝日に照らされるその姿は、まるでこの場に天使が舞い降りてきたのではないかと錯覚してしまいそうなほどに、儚く、そして美しかった。
本日の秘書艦である、白露型8番艦、山風。
八の字に垂れ下がった眉とボリュームのある緑色の髪が特徴的な、幼い駆逐艦の中でも特に小柄な艦娘。
そのわりに程よく膨らんだ胸元で、彼女は俺を抱き留めようとしている。
艦娘たちが過保護になってからというもの、以前では決して見られなかった側面を見せるようになった艦娘は何人もいる。
山風もまた、その一人であった。
着任当初は、自分に対しても他人に対しても、どこか投げやりな態度を取っていた山風。
同型の姉妹とすら滅多に馴れ合おうとしなかったほど、無気力な艦娘だった。
しかし、提督である俺や他の艦娘たちとの触れ合いを通じて、彼女も徐々に心を開いていき、自然な笑顔を見せるようになった。
不器用ながらも、他人を気遣う場面も増えてきた。
そして、現在。
いつものように困り顔を浮かべながらも、その瞳に慈しみの色を宿して、山風は俺のために甲斐甲斐しく世話を焼こうとしてくれている。
甘えさせる、という形で。
「あたし、その……提督のこと、いっぱい……癒して、あげるよ?」
「山風……」
彼女は本当に変わった。
ダウナー系な雰囲気は相変わらずだが、自分の世界に籠もって他人を拒絶していた当初と比べれば、とんでもない進歩だ。
なにより、付かず離れずの距離感を保っていた山風が、その小さな身体で俺を受け止めようとしてくれていることに、感動を禁じ得ない。
山風も他の艦娘と同じく、負傷した俺を慮って、心境の変化が起きたものらしい。
本来コミュニケーションを取ることが苦手な彼女が、精一杯尽くそうとするほどに。
「山風、お前ってやつは……」
尊いとすら感じる気遣いに胸を打たれた俺は、ゆっくりと彼女の身体に手を伸ばし……
「いや、どう考えても甘えるのはお前のほうだろうがあぁぁ!」
山風を抱えて『高い高い』してあげた。
「ふわっ!? て、提督?」
動揺する山風に構わず、衝動のままにそのチッコイ身体を宙に上下させる。
くうう、山風め。胸にジーンと来るようなこと言ってくれおってからに。
そんな微笑ましい態度見せられちゃ、イヤと言われようが構いたくなってしまうじゃないか!
退院以来、すっかり艦娘たちに甘やかされてばかりな俺だが、今回は違う。
今日は……俺が艦娘を甘やかすのだ!
成熟した艦娘相手だと、ついつい誘惑に駆られて冷静でいられなくなってしまう俺だが、山風のように幼い駆逐艦ならば平常心を保てる。
いくら人一倍スケベな俺でも、さすがに駆逐艦に欲情するほど倒錯した性癖は持ち合わせてはいないつもりだ。
だって、人間で言えば、彼女たちは小中学生の年頃だ。そんな彼女たちに劣情をいだくとしたら……完全にロリコンじゃないですかヤダー!
俺は昔から年上好きの生粋のオッパイ星人だ。未成熟なカラダに決してときめいたりなどはしない。
……まあ、潮や長波、山風の姉たちである白露型、一部の陽炎型や秋月型のように、駆逐艦のくせにやたらと発育の良い駆逐艦もいるっちゃいるけど。
山風もまた、小さい背丈に見合わない女性らしいスタイルを誇っている。
女性の肉体に成長し始めたアンバランスな肢体。そういったものを嗜好する手合いからすれば、彼女たちは間違いなく垂涎の的になるだろう。
けれども俺の場合、駆逐艦たちを前にして真っ先に湧くのは、やはり庇護の情であった。
穢してはならない。彼女たちは見守るべき存在なのだと、根付いた倫理観が俺を冷静にさせてくれる。
特に山風に対しては、その気持ちが強く表出する。
それは、父性と呼ばれるもの。
山風が暖かな言葉を送ってくれたことで、その感情は現在進行形で膨れ上がっている。
いまなら全国のお父さんの気持ちが良くわかる。
普段素っ気ない娘にある日「いつも頑張ってるお父さんに、お返ししたいの」と健気に言ってもらい、嬉しさのあまり舞い上がってしまう。いま、それと同じ心境を味わっている。
言葉と態度とは裏腹に、とても傷つきやすく、寂しがり屋な構ってちゃん。それが山風という艦娘だ。
複雑な感情に振り回される、第二次性徴期を迎えた少女そのものと言えよう。
そんな娘が心を開いて、「癒してあげる」なんて言ってくれたのだ。
これが感動せずにいられようか。
逆に思いきり甘やかしてやりたいと思うのが人情ではないか。
ここで優しい気持ちにならない人間は、よほどの捻くれ者に違いない。
つまり何が言いたいかというと……
ちっくしょう! 本当にかわいいな山風は! 愛らし過ぎてどうにかなってしまいそうだぜ!
ということ、である。
「山風はいい子だな! よしよし。ようやくギプスも外れたことだし、今日は目一杯遊んであげるからな!」
休日に子どもと遊んであげる父親の心境でそんなことを言う。
執務はもちろん大事だが、艦娘たちとの適度な触れ合いも提督として欠かせない務めのひとつだ。
幼い駆逐艦とのやり取りは、将来、子どもができたときの予行演習にもなるしな。
というか真面目な話、将来は山風みたいな娘が欲しいものだ。
こんな風に、さぞ溺愛してしまうに違いない。
むしろ、もうこのまま養子として引き取っても構わんぐらいだ。
山風、俺のこと「おとーさん」と呼んでくれていいんだよ?
「よし、山風、なにして遊ぶ? トランプか? 将棋か? それとも『超リアル人生ゲーム(夢なんて存在しないハードモード)』でもするか? 入院中に(一人寂しく)暇潰しするために用意した遊び道具がいっぱいあるからな。好きなの選んでいいぞ」
「ほんとぉ? うわーい……って、違う~」
俺の提案に一度は喜ぶ様子を見せる山風だったが、すぐに不満顔を浮かべる。
ノリツッコミなんて砕けたコミュニケーションまでできるようになったのか山風。おとーさん感動。
相変わらずスッゲー棒読みだけど。
「違うの、今日は、あたしが、提督のお世話……するのっ」
俺に『高い高い』されながら、足をジタバタさせる山風。
気の抜けそうな声色の中に、わずかに怒気がこもっている。
俺の対応が気に食わなかったのか、頬をプクーっと膨らます始末だ。
かわいい。
「提督。あたしに、その……何かして欲しいこと、ない? 何でも……してあげるよ?」
いたいけにも、そんなことを言ってくれる山風だったが。
「と言われてもなぁ……」
何でもしていいと言うのなら、山風の頭をヨシヨシと撫でたり、膝枕させてあげたり等、思いきり甘やかしたいところだけど。
しかしそう言うとまたご立腹してしまうだろうし。どうしたものか。
そもそもの話。
いくらなんでも駆逐艦に甘えるってのは……いや、さすがに、ないわー。
大人の色気ムンムンのサラトガさんにならともかく、幼い少女相手にいい大人が子どものように甘やかされるなんて、絵面的にも世間体的にも完全にアウトじゃないか。
女学生寄りの大淀さんや衣笠に甘えることだって、本来なら危ういことだと言うのに。
しかし山風本人は、他の艦娘の例に漏れず、俺を甘やかす気満々らしい。
「提督、他の艦娘にするみたいに、あたしに、頼っても……いいよ? あたし、がんばるから……」
というか、これはアレだ。
周りに対抗意識を燃やして、自分も同じように構って欲しいという幼児特有の背伸びではなかろうか?
もしそうなら、なんと微笑ましいことだろう。
ますます山風の愛らしさが増していくではないか。
「ははは、いいんだぞ山風。その気持ちだけで充分嬉しいさ」
実際、この時点でもう充分癒されているようなものなので、紛れもない本音を伝えたのだが、
「むぅ~」
しかし、山風的には納得できないようで、またもや頬をプク~っと膨らましている。
かわいい。突っつきたい。
「頼ってよ」
ジト目で意気地にそう言ってくる山風。
不機嫌な彼女には申し訳ないが、こんな態度すら微笑ましく感じる。
「だから大丈夫だって。怪我も充分治ってきたし」
「むぅ~……じゃあ、せめて書類仕事とか手伝ってあげ……」
「それはやめて! 俺の唯一のやりがいを奪わないでくれ!」
なごやかな心地から一変。
反射的に切羽詰まった言葉を吐いてしまう。
書類仕事。これだけはたとえ山風でも譲るわけにはいかない!
「え? でも、あれぐらいの量なら、あたしスグに終わせられ……」
「わかってる! だがそれでも俺にやらせてくれ! たとえ君たちよりも処理速度が遅くとも、俺がやりたいんだ!」
艦娘たちは俺でも手こずる書類の山をあっという間に片づけてしまう。
その事実が露見してから一時期本気でショックで塞ぎ込んでしまった俺だったが、せめてもの意地として、やはり最高責任者である俺が書類に目を通すということで話は収まった。
というか、本来そうあるべきなのだ。
もちろん、過保護になった艦娘たちは「私たちがすべてやりますから」と甘々なことを言ってきた。
徹底して俺に何もさせないつもりのようだった。
さすがに堪忍袋の緒が切れた俺は、ヤケクソ気味にこう言った。
『こらお前たち! 書類仕事させないと治りかけのこの身体でラジオ体操やってやるぞ! 腕ブンブン振りまくってピョンピョン跳ねてやるぞぉ! 俺の身体がどうなってもいいのかあぁん!? わかったら素直に俺に書類仕事をさせるんだよオラアアアアン!』
俺の身体を人質にそう脅迫したら、艦娘たちは時代劇のように泣き喚き、なんとか了承してくれた。
「というわけだから山風、俺のことを思うならどうか書類仕事という楽しみを奪わないでおくれ?」
「むぅ~」
俺のお願いにも、やはり山風は不満げだ。
お手伝いができないことが、よほど不服らしい。
う~ん、それならば。
「あっ、じゃあ俺のお膝に乗るってのはどうだ山風! そしたら俺たくさん元気が出てきて、すごく仕事が捗ると思うな!」
小動物を膝に乗せると自然と癒されるように、かわいい山風が膝に乗ったら、それもう元気百倍になるってもんだ! もちろん危ない意味の元気百倍じゃないよ!
「提督の……」
「ん? 何だい山風。お膝じゃなくて肩車のほうがいいか?」
「提督のバカ!」
「っ!?」
大声!? あの山風が珍しく大声を出したぞ!
しかも泣いてる!
誰だ! かわいい山風を泣かした奴は!
俺か! ぶっ飛ばされてえか俺ェ!
「提督のバカばか! 何で、わかってくれないの!?」
自分を自分で殴ろうとした矢先、山風のほうからポカポカと拳を叩きつけてきた。
痛くはないけど、心が痛む行為だ。
「や、山風」
「どうして、あたしを甘やかすことばっかりするの? 違うの。提督が、あたしに甘えて欲しいのに……」
「い、いや、でもねえ山風。さすがに駆逐艦に甘えるのは情けなく感じるというか」
「あたしなんかじゃ、やっぱり、頼りにならないんだ……」
「え? いや、そこまでは言ってないぞ?」
いかんぞ。山風がまた昔みたいにネガティブモードに入っている。
なんとかフォローせねば。
お、そうだ。
「山風ほらペロペロキャンディあるぞ! これで機嫌直しておくれ!」
これが悪手だった。
子どもは子ども扱いされると余計に怒ることを、幼少時に自分も経験していた筈なのに。
山風はますます涙を浮かべて、怒りでプルプルと身体を震わせる。
そして感情を抑えきれないとばかりに、拳をギュッと握って、
「提督なんて……大嫌い!」
脳内に雷鳴が轟くほどの一撃を、俺の心に打ち込んだ。
「ぐはああああっ!!」
大嫌い、大嫌い、大嫌い……
その単語が頭の中でリフレインする。
つ、辛い。
娘のように可愛がっていた子に、こう直球に嫌いと言われることが、こんなに辛いだなんて。
「あっ……」
山風は「しまった」とばかりに、口を押さえるが、時すでに遅し。
山風にそんなことを言わせてしまった自分が情けなくて、俺はその場で膝を折った。
「て、提督、あの……あたし、そんなつもりじゃ……」
「は、ははは。い、いいんだ山風。お前の気持ちもわからずに、怒らせるようなことをした俺が悪いんだから……」
ダメだなあ俺。
これじゃ、いざ子どもができても、とてもいい父親になんてなれるわけがない。
己の不甲斐なさに落ち込んでいると、
「提督……」
ぎゅっと柔らかな感触に抱き寄せられた。
華奢ながらも、すべてを包み込むような温もり。
「や、山風」
俺の顔は彼女の胸の中に導かれていた。
「ごめん、なさい……。迷惑かけたいわけじゃ、ないの……」
傷つけたことを詫びるように、きゅっとさらに抱き寄せる。
……思っていた以上にデカイ。
って、こんなときに何てこと考えてるんだ俺は。
「ただ……わからない、から」
「え?」
「他に、お返しの仕方、わからないから……だから、皆と同じこと、しようって思って……」
お返し。
そのひと言をきっかけに、俺は山風と出会ったばかりのことを思い返した。
──────
『構わないで。ほっておいて』
何を言っても、何をしようとしても、山風はそう言って他人の優しさを拒んできた。
だが、それは鬱陶しいから、という理由ではなかった。
そうだ。山風は確か、こう言ったんだ。
『優しくされても──何も、お返しできないから……』
着任当初、山風は戦うことを極端に恐れていた。
少しでも砲撃を食らっただけでも錯乱し、夜戦になると完全にパニック状態になる。
軍艦時代で経験した壮絶な過去がトラウマとなる艦娘は何人もいる。
だが、その中でも山風のは重度のものだった。
艦娘なのに、戦うことができない。
そのことを、山風はずっと負い目に感じていた。
決して口にはしなかったが、それが他人を病的に拒絶する理由なのは、誰の目から見ても明らかだった。
そんな山風に、俺は言った。
『戦えないのなら、無理に戦わなくてもいい。他のことで、艦隊に貢献できることを探そう』
そうして、俺はなんとか山風の居場所を探そうとした。
そうしなければ……良からぬ者たちの魔の手が、彼女に届きかねなかったからだ。
大本営の機関のひとつに、深海棲艦の生態研究を専門とする機関がある。
通常兵器が一切効かない深海棲艦の生態を解き明かし、艦娘以外の戦力──即ち人の手で討伐できる手段はないか、それを主に研究している。
優秀な人材が集まった組織だが……研究のためならば手段を選ばないマッドサイエンティストな側面がある。
その特徴のひとつとして、『半死状態の深海棲艦を生け捕りにし、サンプルとして寄こせ』という命令が、以前に下された。
撃破された深海棲艦は、基本的に粒子状となって消滅してしまう。
ゆえに、その生態の謎を解き明かすには、生きたままの状態で捕らえなければならない。
理屈では理解できるが……正直、倫理性を疑う行為だ。
艦娘たちも、この命令ばかりには罪悪感を募らせた辛い表情を浮かべていた。たとえ、相手が敵だとしても。
そんなマッドな研究機関が、ある日鎮守府にやってきた。
戦闘に参加できない艦娘がいるようですね、とイヤに愛想の良い笑顔で彼らはそう言ってきた。
彼らの目的が山風なのは明らかだった。
正直、どんな話をしていたのかは覚えていないし、思い出したくもない。
難しい専門用語を並べられたところで、バカな俺に理解などできる筈もない。
ただ、奴らが好意的な口裏の中に巧妙に隠した本音だけは、聞き逃さなかった。
そう、決して言葉にはしなかったが、奴らは遠まわしにこう提案してきのだ。
──どうせ役に立たないのだから……■験サ■プ■として、寄こせよ。と。
傍らにある刀を抜かなかった自分を、褒めてやりたい。
仮にも相手は味方だ。
トラブルを避けるためにも、不用意な争いは避けるべきだった。
だから、努めて冷静に、穏やかに、俺は断りを申し出た。
『お言葉ですが、種族は違えども、艦娘もひとつの命です。安易な発言は、どうか控えていただきたい』
できる限り抑え込んだつもりだったが、どうやら上手くいかなかったらしい。
連中は顔面を真っ青にして、ガタガタと震えていた。
眼力ひとつで怯む肝の小ささに呆れつつ、俺は続けた。
『戦闘に参加できなかろうが、彼女は私の大切な部下です。彼女の今後の処遇は私自身が決めます。ですから、あなたがたの
そう言うと、彼らは逃げるように退室して行った。
見送らないのはさすがに無礼なので、帰り道は神通にご同行を願うことにした。
その後、彼らが鎮守府に顔を見せることも、過激な命令をしてくることは、なくなった。
どうやら大本営が大々的な人事異動をおこなったとのことだが……まあ、もうどうでもいいことだと、ある報告書と共に記憶の片隅に押し込んだ。
その出来事の後からだ。
山風が、とつぜん俺にこう言ってきた。
『あたし……戦うよ。お願い……出撃、させて?』
何が彼女を突き動かしたのかは知らない。
ただ、戦う意思を見せた山風は、改二勢にも引けを取らないほどの戦果を上げた。
『あなたも……沈めば?』
いまや山風も、大規模作戦には欠かせない、強力な戦力となった。
──────
「あたし、ずっとお礼が、言いたかった。こんなあたしを、提督は見捨てなかった……守って、くれた」
「山風、まさかお前……」
聞いていたのか。あんな胸糞の悪くなるような話を。
「このまま戦わなかったら、もっと怖い目に遭うかもしれないんだって思ったら……震えが止まったの」
そうか。山風は自分の身を守るために、戦うことを選択して……
「それとね……」
「ん?」
「……嬉しかった、から。あたしみたいな、艦娘を、大切って言ってくれて……」
ぎゅっと、山風はより深く、俺を抱きしめる。
「だから、頑張らなくちゃって、思ったの。提督の、期待に、応えなくちゃって……」
「山風……」
言葉が出なかった。
彼女はその小さな身体で、どれだけの恐怖を乗り越えて、勇気を出したことだろう。
「戦いも、夜も、怖いよ? でもね、皆が、一緒だから、大丈夫になった。皆優しくて、暖かくて……だから、ずっとここに、いたいって思えた」
覚えている。
お祭りのとき、パーティーのとき、困り顔を浮かべながらも、皆の中に溶け込んでいった山風に、もう悲壮の色はなかった。
「提督が、見捨てなかったから、あたし、いま、ここにいられる……。だから、お返し、したいの。だってあたし、提督にまだ、何も、お返しできてないから……」
そんなことはない。
山風が仲間たちと打ち解けて、元気に過ごしてくれさえいれば、それだけで充分なお返しだ。
……でも、それじゃ納得できないというのであれば──
「山風」
「え?」
「実はさ、昨日はあんまり良く眠れてなくてさ、ちょっと仮眠したいんだ」
塞ぎ込んでいた少女を、笑顔にすることができるのなら、
「よかったら、膝枕してくれないか?」
ちょっと恥ずかしいことだって、どうってことない。
──────
「提督、気持ちいい?」
「おう。こりゃ最高の膝枕だ」
「そっか……えへへ♪」
機嫌良さげにほほ笑む山風。
よかった、やっと笑ってくれたな。
弾力に富んだ太ももの上に頭を乗せつつ、俺もつい緩んだ笑みを浮かべる。
うーん、お世辞抜きで本当に心地がいい。
華奢な身体で膝枕なんて大丈夫かとちょっと心配していたが、思いのほかボリュームのある太ももは、俺の後頭部を柔らかく受け止めてくれている。
いかんな、本当に眠ってしまいそうだ。
優しく頭を撫でてくる山風の手つきも気持ちがいいし。
最初は躊躇していたけど、たまには、こういうのも悪くないかもしれないな。
滅多に見れない、山風の笑顔も見れることだし。
「……提督、あのね?」
「ん?」
「提督が、死んじゃうかもしれないって知ったとき、すごく……怖かった。もう、二度と会えないんじゃないかって考えると……夜、一人でいるよりも、ずっと怖くなった」
「……」
「だからね。恥ずかしがらないで、素直になろうって、思ったの……提督と、いっぱい、思い出、作りたいから……」
「そっか」
山風の悲しげな眼差しを受けて、改めて実感する。
自分は本当にバカな真似をしたのだと。
彼女たちをここまで追いつめてしまうほどに、心配させてしまったのだと。
だからこそ……
「心配するな山風。いまは、こうしてピンピンしてるだろ?」
ぎゅっと、山風の小さな手を握る。
確かな温もりを、お互いに伝え合う。
「約束する。もう無茶なことはしない。お前たちを放って、どこかに行ったりするもんか」
「提督……うん」
きゅっと、山風は強く俺の手を握り返した。
「約束、だよ? もう、あんなことしちゃ……ヤだよ? だって……」
頬をほんのりと赤く染めて、モジモジしだしたかと思うと、山風は気恥ずかしそうに唇を開いた。
「その……提督のこと……嫌いじゃ、ないから。居なくなると、寂しい……」
握りしめた手に、指を絡めてくる。
決して離れないように。
「また、一緒に間宮とかに、行きたいから……だから」
「ああ、そうだな。行こう。他にも、いろんな場所に」
そう。不安なんて、楽しさで打ち消してしまえばいいんだ。
またここから、作っていけばいい。艦娘たちとの思い出を。
そうすれば、いずれ彼女たちも元通りに……
ふわ。ヤバイ、本格的に眠たくなってきたな。
ちょっとの間だけ膝枕してもらうつもりだったけど……せっかくだから、このまま本当に仮眠を取ってしまおうか。
山風も、嬉しそうにしてくれていることだし。
瞳を閉じて、幸せな微睡みの中に落ちていく。
「……提督? 寝ちゃった?」
山風がそう尋ねてくる。
ちょっと悪戯心が湧いて、このまま眠ったフリをして反応を伺ってみることにした。
山風は引き続き、手をきゅっと握りながら、もう片方の手で、頭を撫でてくれる。
「……あのね? さっきは素直になるって言ったけど……まだ少し、勇気が出せないから……いま言っちゃうね?」
それは、いままでに耳にしたことがない、とても透き通った優しい声色だった。
「提督、いつも、ありがとう。あたし、この鎮守府に来れて、よかった」
思わず涙腺が緩みそうになるのを堪えた。
山風ェ……この、キュンと来るようなこと言ってくれちゃって。
起きたら思いきり『イイコイイコ』してあげるからな!
そう密かに感動に震えていると……
「──んっ」
ファサッと、絹のような感触が頬をかすめる。
これは山風の髪か? 何で? と疑問に思っている間に、少女の香りと、熱い吐息を顔間近に感じた。
一瞬、唇の辺りに躊躇うような吐息が当たったかと思うと……
──ちゅっ
頬のあたりに、とても柔らかなものがあてがわれた。
……え?
ちょっと待って。もしかして、いまのって……
「~~~っ!」
頭上から声を押し殺した唸り声が聞こえてくる。
「な、なに、やってるんだろ、あたし……はわわ……」
心なしか、頭の下の太ももに熱が帯びていく。
や、山風さん? あなた、まさか……
一通り悶えると冷静になったのか、じっと見つめてくる山風の強い視線を感じた。
おもに、唇のあたりに。
「でも、いつかは、ちゃんと……してあげたいな」
何を!?
というか山風さん、何その駆逐艦とは思えない色っぽい声!?
激しい動揺から飛び起きたい気分だったが、いま起きれば大騒動間違いなしなので、俺は必死に眠るフリを貫き通した。
山風はまるで何事もなかったかのように、再び俺の頭をナデナデし始めた。
「寝てる提督……かわいいなぁ……。いまだけ、独り占めしても……いいよね?」
まるで宝物に触れるように、山風の手つきはとても優しかった。
な、何だこの胸の高鳴りは。
まさか、俺、山風相手にドキドキしているのか?
駆逐艦相手に!? 娘のように可愛がってきた山風に!?
ち、違う! 俺は、ロリコンなんかじゃない!
そうさ! 実際、抱きしめられたときに味わった山風の意外にたわわなおっぱいの感触とか、ムチッとした太ももの感触で興奮したりしていな……
おい、待て。
なに立ち上がろうとしてるんだ、我がムスコ。
ダメだぞ!? 駆逐艦相手にそんなことおおおおお!
「よしよし……ふふ♪ 膝枕って、いいかも。なんか、癖になりそう」
俺の葛藤も知らず、山風は無邪気に俺の頭を撫で続けるのであった。
俺も癖になっちゃったらどうしよおおおおおおお!!
山風に「パパ」と呼ばせるイラストが多いですけど、自分的には「おとーさん」と呼ばせたい。