□
こんこん、とドアが優しく叩かれる。
「……姉さまだ」
「ん、そっか。入ってくれ」
加賀の言葉と同時に、ペンを走らせていた指揮官が扉に目を向ける。それと同時に執務室の中に入ってきたのは、何枚かの書類を手にした赤城であった。
背中まで広がる艶やかな黒髪に、紅を差した鋭い、しかし色のある瞳。そして何よりも特徴的だったのは、頭の上に生えている尖った耳と、九つの尻尾であった。
「指揮官様、遠征に行っていた子たちの報告書を持って参りました。ご確認をお願いしますね」
「ありがと。助かるよ」
「いえ、これくらいは秘書艦として当然の務めです。何かお困りでしたら、何なりと赤城にお申し付けくださいませね?」
にっこりと、目を細めながら赤城が指揮官の瞳を覗き込む。すると彼女は執務机の後ろへ回り込むと、座ったままの指揮官の両肩へ手を置いた。
「ふふふ……指揮官様、お疲れではないですか?」
「ん、大丈夫。だからそんな気使わなくてもいいよ」
「あら、そうですか……では、失礼いたします」
少しだけ残念そうな顔をして、赤城は指揮官の肩から手を退ける。けれどそこから離れる気はないらしく、赤城は指揮官の隣に立ち続けながら、彼の横顔をじっと見つめていた。
紙の上をペンが走る。隣で書類の整理を行っている加賀も何も言わない。
続く沈黙に耐えかねて、指揮官が思わず口を開いた。
「赤城」
「はい、赤城はここに」
「何か近くない?」
無駄に広い執務室、そこだけ人口密度が偏っていた。
「私は指揮官様をお慕いしておりますから」
「答えになってなくない?」
「そうでしょうか? 本当はもっと指揮官様とお近づきになりたいのに……」
割と素でこんな事を言う赤城に、指揮官は眉間に指を当てた。
「……まあ、赤城がいいならいいか。ごめん、変な事を」
「いえ、そんな事はありません。指揮官様がおっしゃるのなら、赤城はそのように致しましょう。私は指揮官様の言葉なら、何にでも従うつもりでありますので……ふふふ…………」
助けを求めるように指揮官が加賀に視線を向けるが、彼女も彼女で顔色一つ変えず、黙々と仕事をこなしている。彼女のメンタルも相当のものであった。
「ですが、赤城も少し困っていることがあるのですよ」
割と指揮官も現在進行形で困っているが、艦隊の監理をするのもまた、指揮官の役目であった。
「どうしたの?」
「はい。私は指揮官様を愛していて……指揮官様も、私を愛してくださっていますよね?」
割とスルーするのは勇気が要るが、赤城が嫌いか、と言われれば指揮官は首を強く横に振った。
「それなのに、どうして……どうして、なのでしょう」
とても困った、不満そうな顔で。
「どうして私は、指揮官様との子宝に恵まれないのでしょうか?」
………………。
「加賀」
「知らん」
「加賀」
「知らん私は何も知らん」
「指揮官様? どうして加賀の方を見るのですか?」
くい、と両手を頬に当てながら、赤城が指揮官の顔を覗く。その瞳には、とても強い圧がかかっていた。
「いやその……あぁ、いや…………え……? うそ? お前マジ?」
「指揮官様、何か知っておられるのでしょうか? まさか、他の子に何か――」
「いや、赤城の思ってることは無い。ほんとに。それは赤城が一番良く知ってるはずだ」
「……それも、そうでしたわ。申し訳ありません。指揮官様を疑うようなことをしてしまって」
トイレと風呂とか以外はほぼ赤城といっしょの生活である。赤城もそれは重々理解していたらしく、少しだけ安堵した様を見せて、指揮官の頬を離した。
しかし指揮官のほうは未だに理解が追い付いておらず、ぼんやりとしたまま赤城の顔を見上げていた。
「……あら? 指揮官様、私の顔に何か?」
「いや……」
指揮官と赤城との仲は、決して短くはないものだった。
セイレーンの進行を止めるべくして構成された連合組織、アズールレーン――その中の重桜でもかなり高い位置に存在する艦、赤城。滅ぼされた人類の中で、成り上がって指揮官に圧しだされた彼は、そんな彼女の運用を任されていた。
最初は無理だと思っていた。指揮官どころか、軍に入るだなんて思ってもいなかったのだ。このまま逃げ出したいと思ったときもあった。
けれど、彼はそこに居た。いついかなる時でも、彼女と共に居た。
戦友としての絆、と言えばそうなのかもしれない。もしかしたら、それはまた別の何かなのかもしれない。けれど、偶然によって出来たその力は、赤城と指揮官との繋がりをより一層強いものにしていた。
そして、赤城の方は――彼の事を、心の底から愛していた。それこそ、彼に目に見えて分かるように。そして、それが拒まれていないということも知っていた。
なのに。
「……もしかしたら、私の愛情が足りないのかしら? けれど、私は指揮官様のことを想って……おかしいわ。ええ、不思議……どうしてしまいましょう?」
今まで知らないでいて、あの振る舞いである。呆れを通り越して、指揮官はかつてない心配と不安に包まれていた。
なんと声をかけていいか迷っていた時、ふと今まで黙っていた加賀が口を開く。
「姉さま、飛龍と蒼龍の改装が済んだようです。迎えに行ってやってください」
「あら、ありがとう加賀。それじゃあ指揮官様、赤城はこれで……」
すんなりと加賀の言葉を呑みこんで、赤城は執務室を後にする。
後に残った加賀と指揮官がお互いの顔を見合わせ、先に口を開いたのは加賀の方だった。
ため息とともに、言葉が漏れる。
「……私たちは、戦いの中でしか生きてこられなかった。それは、あなたも理解しているだろう?」
重たく語る加賀に、指揮官が頷く。
「弱き者は淘汰され、強き者だけが生き残る。ここはそう言う世界で、私たちはそのために此処に居る。だから、他の事を知らなかった。知る事なんて、許されていなかった」
「……けれど、あれではあまりにも」
「ああ。常識離れしているだろうな。だが、我々が常識の範疇に居ると思うか? 人の力から溢れ、あのような化物と戦う我々に、ヒトと同じような常識を求めるのか?」
問いかける加賀の眼には、強い意志が込められていた。
「……あのような姉さまは、見たことが無かった。あれだけ満たされ、幸せそうな姉さまは……本当に、初めて見たのだから」
何もない天井を仰ぐ加賀は、どこか昔の灰色の記憶を思い出していた。
「あなたにだって感謝はしているんだ。姉さまを満たしてくれるのなら、それはどのような形であれ、正しいことなのだろう」
「……いまいち、実感が持てないけれど」
目を伏せる加賀に、指揮官が答える。
「加賀がそこまで言うのなら、それは確かに受け取っておこう」
「……何だ、その私が固いような物言いは」
むすっと頬を膨らませる加賀に、指揮官がおかしいように笑った。
「まあいい。とりあえず私の仕事は終わった。帰らせてもらうぞ」
「ん、ありがと。ゆっくり休……む前に、ちょっといい?」
「何だ。私は忙しいんだぞ」
面倒くさそうに頭を掻きながら、加賀が指揮官の方へ振り向く。
「赤城は子供の作り方を知らないんだよな」
「……まあ、そうだな」
「加賀はそのことを前々から知ってるんだよな?」
「ああ。姉さまと一緒にいるから、それくらいは」
ふむ、と指揮官が首を傾げた。
「……加賀ってさ、どこで」
「今ここで首を落とすか、口を閉じるか、どっちがいい」
向けられた青い札に、指揮官が急いで口を閉じる。尋常じゃないくらいに冷や汗が出ていた。
けれど加賀もやはり分かっていたのか、溜め息を一つ吐きながら手を下ろす。そうしてしばらく考え込んだ後に、少し躊躇いがちになりながら口を開いた。
「……重桜の中にも、そういった奴らはいる。私はたまたまだ。たまたま」
「たまたま」
「話はもういいか? まったく、くだらん……」
そっぽを向いたままで、加賀が執務室の扉を強く締める。ばたん、と音を立てた扉を見て、指揮官は困ったような笑みを浮かべていた。
□
加賀は思い悩んでいた。
無論、先程の事である。あの時は思わず指揮官という立場に対して無礼な態度を取ってしまったが、考えてみればそれはあまり加賀らしくない行動だったのだろう。
少しの後悔と自責に苛まれてふらふらと鎮守府を歩いていると、ふと加賀は廊下の遠くに自らの姉の姿を見た。
「姉さま」
「あら加賀。もうお仕事は終わったの?」
そこには敵意も熱望も籠っていない、純粋な赤城の笑顔があった。
「ええ。これで本日の分は終わりました。指揮官にも暇ができるかと」
「そうなの……ふふふ、それはいいことね…………」
先程の笑みとは一変し、ぐちゃぐちゃになった何かを含ませて赤城が笑う。
そんな彼女に、加賀はふと思い立って口を開いた。
「姉さまは、指揮官との子供が欲しいのですか?」
その問いかけに、時間はいらなかった。
「もちろん。指揮官様と私との、愛の結晶なのよ? それさえあれば、私と指揮官は永遠に一緒に……もう、離れ離れになることなんてないわ」
「そう、ですか」
その笑顔は加賀が見たこともないほどに満たされていた。目の前の姉は、とても幸せそうで――それこそ、加賀が憧れるほどに、輝かしく映っていた。
それがこのままずっと続くのなら。その姉が、幸せになれるのならば。
加賀は。
「姉さま、すこし話が――」
□
その夜、指揮官は実家の犬を思い出していた。
もふもふとした肌触りのいい毛並みに、かわいらしく自分にのしかかって来る姿。きらきらした眼はこちらを覗き込んで、興奮しながら立てている鼻息は、とても荒い。
もふもふとした毛並み。自分にのしかかって来る姿。きらきら――とは言えないけれど、こちらを覗く瞳。興奮したような鼻息。
「指揮官様……? お目覚めに、なられましたか……?」
犬ではないけれど、指揮官の真上に乗っているのは、黒い狐であった。
「赤城? 何してるんだ?」
「申し訳ありません……本来ならば、指揮官様が眠っている間に済ませようと思っていたのですが」
目を伏せて首を振る赤城に、指揮官は首を傾げたまま動かなかった。動けなかった。
手繰る腕には細い指が絡みつき、彼女の華奢な体が指揮官の上へ。完全に動きを封じられた指揮官は、目の前に迫る赤城を止める術を持ち合わせていなかった。
吐息がかかるほどの距離に近づきながら、赤城がにっこりと目を細める。
「指揮官様、私、分かったんです」
「何を?」
「……ふふ、ふふふふふふ…………」
そうやって笑みを浮かべながら、赤城は指揮官の耳元へ、
「赤ちゃんの、つくりかた、です」
そう、囁いた。
「加賀に教えて貰ったのです。ああ、私ったら愚かだったのですね。やはり、愛するのなら、それ相応の行動をとらなければ。赤城は未熟者でした……でも、指揮官様は許してくれますよね?」
許す許さない以前の問題ではないと思う。眠気のはざまで、指揮官はそんな事しか考えることが出来なかった。 けれど赤城はそんな事すら露知らず、身にまとった黒い浴衣をはだけさせながら、指揮官へ顔を近づける。
「さあ指揮官様、力を抜いて、くださいませ……全て、赤城に任せて…………」
「あか、ぎ」
何もできずに言葉を放つけれど、指揮官の頭にあったのは、拒絶ではなく許容であった。
彼女に全てを包まれる。あの細い指に、艶やかな黒の髪に、艶めかしい流れるような目に、全てを支配されるのだ。けれど、彼はそれを良しとした。それが赤城の望むものなら、指揮官はそれに応えるだけだった。
そして。
唇に、ほのかな甘い香りが広がった。
「…………」
「…………」
…………。
「は?」
「うふふ……これで、指揮官様は私のもの……指揮官様と私は、永遠に一緒になるのですね……」
唇の甘い感覚を反芻しながら、指揮官が思考を回転させる。驚きすぎて眠気が吹き飛んだ。
言ってしまえば、それは軽い口づけだった。それも出来たての恋人がするような、初々しくも甘い、穏やかなもの。指揮官の想定していたそれとは程遠い、優しいキスだった。
けれどそれで満足したのか、赤城は指揮官の上で笑ったまま、何度も確かめるようにして唇に指を当てる。
「……赤城? ええと……、その、さ。加賀に聴いたって?」
「そうですわ。加賀が教えてくれましたの。本当の子供の作り方、というのを」
そろそろこの艦隊は駄目なのかもしれない。思わず指揮官は顔を手で覆った。
けれど考えてみれば、それは当然の事であった。ただでさえ戦いの場に身を置いている艦たちなのだ。それらが噂している情報が全て正しいわけではない。そう考えると、加賀が勘違いをしてしまうのも、おかしな話ではなかった。
ならば、ここで正しいことを教えるのが指揮官の役目なのだろうか。それで赤城は満たされるのだろうか。そうすることが、本当に彼女の幸せなのだろうか。
指揮官が赤城の事を理解するには、まだ長い時間が必要らしかった。
「……赤城」
「はい、いかがいたしましたか?」
「その恰好じゃ寒いだろ。ほら、布団入って」
横のほうをぽんぽんと叩くと、赤城がすっぽりと指揮官の横へ入って来る。ふわふわの尻尾は、指揮官の冷えた体をほどよく包んで温めてくれた。
「……尻尾って、いいな」
「今日はお手入れに時間をかけましたから」
体にかかる尻尾のうちの一つに、指揮官が指を梳く。指の間を通る毛並みは、さらさらと心地よい感触を与えてくれた。
「赤城はそんなに、俺との子供が欲しかったのか?」
「ええ。もちろんですわ。欲しくて欲しくて、たまりませんでしたの」
「……どうして?」
「そんなもの、決まっています」
指揮官の顔を見つめながら、強く。
「指揮官様のことを、愛しておりますから」
そう語る赤城は、とても満たされた笑顔を浮かべていた。
□
大学始まったりオリジナル書き始めたんで投稿する頻度遅くなります
ゆるして