アハーンジュルジュルレロレロレーン   作:宇宮 祐樹

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これから隔週くらいになると思います


なあ綾波…みんな心配してるし、そろそろ外…ひっ…ご、ごめん……そうだよな、綾波も頑張ってるし…悪かったよ…だから物を投げるのは…きょ、今日の分のおやつ、置いとくから…気が変わったら、出てきてくれよな…

 

 白い波の音が聞こえる。

 

「綾波」

「問題ない、です」

 

 潮風が、白い髪を揺らす。ぴりぴりと肌を焼くような感覚を、透き通るような一瞬の緊張を、綾波は全身で感じていた。

 

「いくら演習っても、気だけは抜いちゃいけないからな」

「綾波がそう見えますか?」

「はは、悪い。愚問だったか」

 

 からからと笑うクリーブランドに、綾波もつられて口元を緩める。けれどその眼光は鋭いまま、二人は同じ海に立つ同胞へと視線を向けていた。

 今回の演習は半ば模擬的なもので、新たに編成された艦隊の試験のようなものらしい。それに抜擢された綾波とクリーブランドは、けれどどこか軽い調子で、時間まで言葉を交わしていた。

 剣を水面に立てて座り込む綾波に、クリーブランドがしゃがんで語りかける。

 

「アレが完成すれば、私たちの『大戦』も終わるんだろ?」

「……だと、いいですけどね」

「でもなあー、それだと今後の身の振り方とか、考えないといけないしな。戦争が終わると、やることも無くなっちゃうし……私たち、ここでの生き方しか知らないからなぁ」

「じゃあ……クリーブランドは、戦争が終わるのは嫌、ですか?」

「まさか。あんなもん、早く終わってほしいと思ってるよ」

 

 その言葉に、綾波はどこか水に浮くような、心が浮遊する感覚を覚えた。

 戦争が終わり、この戦場も消えていく。それはとても素晴らしいことなのだろう。この世界の誰もが望み、待ちわびた未来なのだろう。

 けれど、どうしてか、綾波はそれが怖く感じた。そこでなくては、生きられないような気がして、それが奪われるのがとても寂しく、惨めな思いになった。

 暗い色は、泡の様になって、戦いの渦に溶けていく。

 

「……そろそろ時間です」

「だな。よっし、頑張るか!」

 

 しゃがんだ膝を勢いよく伸ばして、クリーブランドが高く声を上げる。それと同時に綾波も剣の柄に手をかけると、かきん、という子気味の良い音と共に、ふたつの短い剣へ分けた。

 

「クリーブランドは援護をよろしく、です」

「いいぜ、存分に暴れてきな」

「……頼もしいです」

 

 白い剣を両の手に握りながら、綾波がだんだんと姿勢を低くする。

 暗くなりかけた心も、沸き立つ闘争心も全て駆け抜けるように消え、残ったのは研ぎ澄まされた、紙縒(こより)のような平穏のみ。それは綾波がいつも感じている感覚で、未だに綾波の心を落ち着かせるものだった。

 紅の瞳が、揺れる。

 

「……行くです」

「ああ」

 

 すぅ、と綾波は息を吸い込んで――

 

「ポッキィィィーーーーーーーゲェェェーーーーーム!!!!!」

「は?」

 

 ブゥン!

 

「デュクシ!! デュクシデュクシ!! デュクシュッシュッ!! デュクシ!!デュクっ」

 

 

「あのさあ」

「大丈夫です」

「その……何? どうした? 何かストレスとかそういうのは」

「大丈夫です」

「何か辛かったら言ってくれよ? 本当に、綾波が頑張ってるのは分かるからさ」

「大丈夫です」

「お前も色々背負ってるのは理解してるつもりだし……何だったら、長い休みも、欲しけりゃやるから。気負わなくてもいいんだからな?」

「大丈夫です」

 

 心配そうな視線を向ける指揮官に、綾波は真顔でそう返していた。脳裏にはまだ、獣耳を生やした、ヴァーチャルな男性が「むずぅー……むっ、難しい問題じゃよね」と苦言を呈していた。

 

『綾波の艤装って、なんか色々できそうだよねー』

『双剣っぽいしな。鬼神化とか綾波っぽいじゃないか』

『……でも、綾波はランスですから』

『あーそうだよね……あ、でもアレは?』

『アレ?』

『音割れポッキーゲーム』

 

「綾波」

「聴いてるです」

「何か最近辛いこととかあったのか? それかイライラしてるとか」

「特にないです」

「でも俺、クリーブランドがあんなに怖がってるの見たのは初めてだぞ?」

 

 『しっ、指揮官っ! あ、あや、あやなみ、綾波がおかしくなっ、わた、私っ、どうしたらいい、か、わかん、なくて……ど、どうしよう…………しきかん……ど、どうしよぉ……ぅ、ひっぐ……、ぅえ…………』

 

「すみませんでした」

「謝るならちゃんとクリーブランドにな? 一応演習のデータ採取が成功したのも、あいつのお蔭なんだから」

 

 最早問題はそこにとどまるものではなかったが、指揮官はそう言うことしかできなかった。何か病気の時に見る熱と同じ様な、そんな違和感を感じていた。

 けれど綾波本人が言う通り、彼女は普段とは変わった様子もなく、ただいつものようにとろんとした瞳でこちらのことを見つめている。そしてこれもいつものように、その奥にある瞳の色は、指揮官は分からなかった。

 

「あー……まあ、何だ。綾波。自分で気づかない疲れ、っていうのもあるからな。一週間は休んだらいい。こっちで申請も済ませて――」

 

「嫌、です」

 

 遮るように、綾波の小さな言葉が響く。その変わりようのない表情に、指揮官は、とても触れない、理解できないような、どろどろの暗いものが見えた。

 

「ど、どうしてだ? お前、ここのところ毎日出撃してるじゃないか」

「……闘えないのなら、そっちの方がマシです。毎日出撃できるなら、綾波はそれでいいです」

 

 どこかぼんやりとしたその物言いに、指揮官は首を捻るだけしかできなかった。そんな彼を導くように、綾波の小さな唇が動く。

 

「……指揮官は、この戦争が終わると思いますか?」

「無論、そのつもりだ」

 

 そのために此処に居る。もう二度と血を流させないよう、悲しみを繰り返さないように、ここにいる。

 けれど指揮官の強い瞳とはまるで違って、綾波のそこに灯っているのは、弱々しく灯る、蝋燭のような光だった。

 

「じゃあ、この戦争が終わったら、私たちはどうなるです?」

「どうなる、って」

「私たちが行きつく先は、どこになるのですか?」

 

 その問いかけに、指揮官はすぐに答えることはできなかった。

 

「綾波は、闘うことでしか生きてこられませんでした。私がいられるのは、あの海だけです。あそこでしか、私は私でいられないです……」

 

 喪失のような虚ろが、綾波の心を満たしていた。それは未だに埋まる事は無く、ただあの海の、血と硝煙とがまじりあったあの戦場でしか、満たされる事はないように思えた。

 彼女は、縋る。消えていく同胞たちに、流れていく血と骨に。

 

「……たぶん、みんなはどこかへ行ってしまうのです。この戦争が終わってしまったら、あの海には誰も戻ってこないのです」

「それは、そうかもしれない」

「けれど……わがまま、です。綾波は悪い子、です。このまま戦争が続けばいい、って思ってしまってる、です。それはいけないことで……みんなが、望んでいない事です」

 

 自分の身体を抱きしめるように、綾波が自らの左腕を握る。今ではそれすらも無為なことで、自分の身体の感覚もすでにどこかへを消えてしまいそうだった。

 脳裏に孤独が蘇る。暗闇の中から手を伸ばす者は、誰もいない。あるのは紙縒の様に研ぎ澄まされた静寂で、それは綾波が恐れ――けれど、望んでいた光景で。

 

「――それでも、一人は、いや……!」

 

 掠れるような独白が、彼女の空白に響いていた。

 

「……行かせて、ほしいです」

「綾波?」

「私を、戦いに征かせて、ほしいです。そうなるなら、綾波は何だって、します」

 

 机を挟んで、綾波が指揮官へと迫る。覗き込むようなその双眸には、先程の蝋燭の灯は在らず、まるで全てを焦がしたような、焼け爛れた灰色が映っていた。

 顔と顔とが触れ合いそうな距離になって、指揮官と綾波が口をつぐむ。そこにあるのは圧されるような静寂で、それは綾波としての一つの悲願でもあった。

 白い波の音が。

 あの戦場の音が、聞こえていた。

 

「……お前が、そうしたいのなら」

 

 やがて口を開いたのは、指揮官のほうだった。

 

「お前がそうしたいのなら、何度でも海に出す。お前がそれで満たされるのなら、俺はいつだってお前を征かせてやる」

「……ありがとうございます」

「けれど」

 

 彼女の肩に手を置きながら、指揮官は綾波の事を見つめていた。

 

「もし、それでも戻ってきたかったら……その時は、お前の居場所を作ってやる。もうお前が独りにならないように、皆で受け入れられるような、そんな居場所を作ってやるから」

 

 両の手で、彼女を離さないように、彼女の小さな肩は、手を離せば二度と戻ってきそうになくて、それを離すことはとても勇気のいることのように思えて。

 

「だから、生きて帰ってこい」

 

 それだけしか、指揮官は信じることができなかった。

 二度目の静寂が流れる。けれど先程から聞こえてくる波の音はどこか遠く、時計の針の音だけが綾波の耳へ入って来る。それは綾波が遠くで望んでいた事で、二度と手が届かないように思っていたものだった。

 

「わかり、ました」

 

 縋りつくような、震える手を握りながら、綾波がそう答える。

 

「……綾波、すこしだけ自分の場所がわかったかもです」

「いいさ、少しだけでも。お前がお前でいられるのなら、それで。そうなれるなら、俺は何だってできるから」

「……やっぱり、綾波は悪い子です。こんな事にも、長い間、気づかなかったですから」

 

 そう語る彼女の瞳には、透き通るような色が灯っていて。

 

「綾波は、もう一人じゃなかったんですね」

 

 その言葉を何度も噛みしめるように、綾波は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「委託斑、戻りましたー」

 

 独特な間延びした声と共に、指揮官と加賀が同時に扉へと視線を向ける。そこに在ったのは軽巡洋艦の長良の姿で、彼女はまだ執務室の空気に慣れていないのか、少し恥しそうな笑みを浮かべていたまま、その場で立ち竦んで居た。

 それを確認したのか、加賀が机の上に置いてあった包みを手に取って、長良へと歩み寄る。

 

「ご苦労だった。軽食を用意してあるから、皆で分けて」

「わあー、ありがとうございます! ちなみに中身は……」

「……握りだ。ちゃんと人数分あるから、心配しなくてもいい」

「はい――あ、でも、今はちょっと……」

「ん? …………ああそうか、そういえば今回の委託は綾波がいたな。けれどいい。後で彼女の分も作っておく」

「ありがとうございます! 伝えておきますね」

 

 包みの代わりに委託の報告書を受け取った加賀が、再び指揮官の隣でペンを走らせる作業へ戻る。そうして彼女たちの会話を聴いていた指揮官は、ふと隣の加賀へと口を開いた。

 

「綾波、どうしたんだ」

「ん? ああ、指揮官は知らないのか」

 

 何かを思い出したように、加賀が語りだす。

 

「あいつはな、たまに一人で海に残ってるんだ」

「……それ、ちゃんと報告してくれよ。で、何で」

「何……というのは、私にも分からない。けれど、彼女はあそこに居る方がいい、とは言っていたな。そこがあるべき場所だ、とも」

「驚いたな。いつもおとなしい子だと思っていたけど、そんなこと」

「……大人しい? 彼女が?」

 

 おかしいように、加賀が笑みを浮かべる。それは海の上で見るそれと同じようだった。

 

「そう、だな。ここでは見えない景色もあるのか。そうか、あいつが大人しい、か。あの鬼の子が、か……くく、私よりも海を愛しているあいつが、か……」

「……どういうことだ?」

「なに、お前はあいつが海の上でどうしてるのか知らないのか?」

 

 そう、加賀は恍惚にも似た、艶やかな笑みを浮かべて。

 

 

 

「あいつは海の上で……私たちの戦場で――笑っているんだよ」

 

 

 

 

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