アハーンジュルジュルレロレロレーン   作:宇宮 祐樹

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三塁にしました


翔鶴ぅ……翔鶴……ッ……あ、ぁ、目……ッ……そんな目で見られたら……ううっ……お、俺、もうダメ……で、出ちゃう……ッッ!!!!!!! ア”ッ!!!! オ”!!!!! ン”ォ”ッ”!!!!!

 

「あれ、指揮官?」

 

 何てことはない、休日の午後だった。

 共用の小さな寮舎へ足を踏み入れようとしたとき、入れ違いだったのか、開いた扉を挟んで、瑞鶴が俺へそんな声をかけてきた。見るにこれからどこかへ出かけるらしく、いつもの白い着物を羽織ったまま、彼女は俺へと不思議そうな視線を向けていた。

 

「どうしたの?」

「少し翔鶴に用が」

「あー……そっか。うん、翔鶴姉なら縁側で休んでるよ」

「助かる」

 

 扉の向こうに広がる和風の休憩室の、さらに奥の方を親指で示しながら瑞鶴はそう答えてくれた。けれどその声色はどこか弱いもので、彼女の訝しげな視線は俺へと向けられたまま、しばらく動くことはなかった。

 寮舎から出てくる彼女へ道を譲りながら、どちらも語らないことしばらく。じとっとした視線を浴びせ続けてくる彼女は、やがてしびれを切らしたように肩を落とし、重い息を吐きながら俺へと語り掛けてきた。

 

「その、さ。指揮官」

「何だ」

「……いろいろと、頼むよ」

 

 聴くと、瑞鶴はやきもきしたような雰囲気で頭を軽く掻いた。

 

「……それは」

「みんなはもう前線の方に行っちゃってるじゃない。それこそこんな小さな基地、いつ用無しになって解体されるかも分かんないし。そうなったら私だって、もっと前の方の基地に行っちゃうかもしれないでしょ?」

「そうだな。よく分かってるじゃないか」

「……だから、頼れるのは指揮官だけ。あなたしか、翔鶴姉にはいないんだから」

 

 そんな瑞鶴は、まるで何かに縋るような、何かが来ることを恐れているような、そんな弱々しい表情を浮かべていた。

 

「……姉ちゃんはさ、ああ見えてとっても意地っ張りなんだ」

「ああ」

「いっつも赤城先輩や加賀先輩の背中を追って、そのくせして自分のことは後回しで。よく口が悪かったり、腹黒いとか言われるけど、本当は優しいお姉ちゃんなんだよ?」

「知ってるさ。これだけ長く一緒に居たんだ」

「だから……こんな今みたいな状況になったのも、本当は私のせいなのに……私が、間に合ってれば……なん、で……! 翔鶴姉は、ずっと笑ったままで……どう、して……!」

「……違う。お前のせいじゃない」

「違わない! 私が付いていれば……っ、私が翔鶴姉を守ってあげられた! なのに、どうして!? どうして、私たちは……また同じことを繰り返すの!? もう、嫌だ……翔鶴姉だけが傷つくのは、もう、見たくない……私は、私は……!」

 

「――――瑞鶴」

 

 両肩をしっかりとつかむと、彼女は震えた眼で、俺のことを見上げてくれた。

 頬を伝う涙が、地面へと落ちてゆく。空になった瞳が、彼女の心の空虚を映し出しているようで。そんな彼女は、俺も、翔鶴も望んではいなかった。

 

「お前が気負うことじゃない。翔鶴もそう言っていた」

「……それでも、私は自分が許せない」

「けれど、お前がそうでは……彼女のほうが、悲しんでしまう。俺だって、彼女が悲しむ姿はもう見たくない。瑞鶴だって、それは分かってるだろ」

 

 自らの全てである青い海を失ったとして、他に彼女に何が残るだろうか。戦いの中でしか生きられない彼女は、果たして何を希望にして生きてゆけばいいのだろうか。

 白い鶴が、夢の様に儚く映っていた。

 

「……ごめん。そっか、そうだよね。翔鶴姉の分も、私が頑張らないと」

「それでいい。それなら、彼女も笑ってくれるはずだから」

「でも、指揮官も……あまり、無理はしないでね。それこそ指揮官がいなくなったら、翔鶴姉、何するか分かんないんだから」

「……肝に銘じておく」

「お願いよ。だって、翔鶴姉は――」

 

 こつん、こつん、と。

 ()()が、聞こえてきた。

 

 俺と瑞鶴の会話を遮るようにして、そんな地面を鉄で叩くような音が、扉の向こうから俺の耳へと入ってくる。まだ慣れていないのだろう、断続的に響き渡るその音は瑞鶴の言葉を遮り、その顔に再び虚ろを思い出させていた。

 開いた口を、瑞鶴はつぐむ。そうして、彼女は一瞬だけ、灰色めいた表情のままで、俺の方へ向き直り、

 

「呼び止めちゃってごめんね、指揮官。私、もう行くから」

「……ああ」

「姉ちゃんのこと、幸せにしてあげて」

 

 ――私には、できなかったから。

 小さく動く唇は、そんな言葉を紡いでいるような気がした。

 

「あら、指揮官?」

 

 扉の向こうから姿を現したのは、壁に体を寄せながらこちらを覗く翔鶴であった。

 白い髪は寂れた羽のように透き通り、ふらついた体は今にもどこかへ飛んで行ってしまいそうで。壁にもたれかかりながらこちらを見上げる翔鶴の足先には、彼女の細い両足――ではなく、()()()()()()()()がふたつ。それが、今の彼女の身体を支えていた。

 こつ、こつ、と固い音を立てながら、翔鶴が壁を伝ってこちらへ歩み寄る。

 

「瑞鶴と会いましたか?」

「……ああ。さっき、少しすれ違ったよ」

「そうなんですね」

 

 くすくす、と翔鶴はどこかおかしそうに笑っていた。

 

「あの子、忙しいはずなのに、ああやって会いに来てくれるんです。私の事なんか放っておいて、もっと前線に出て行けばいいのに」

「……そう、思うのか?」

「はい。瑞鶴はもっと出来る子なんですよ? だってこんな私なんかより、もっと――ぁ」

 

 ふらり、と。

 倒れてしまいそうな、どこかへ行ってしまいそうな彼女へ、思わず手を差し伸べた。

 

「……翔鶴?」

「すみません、まだ慣れていなくて」

 

 俺の腕の中で、恥ずかしそうに笑みを浮かべる彼女の体は、まるで鳥の羽のように軽く感じられた。それが、彼女と言う存在そのものを表しているようにも思えた。

 

「立てるか?」

「はい……大丈夫、です」

 

 こつ、こつ、と。

 無骨で、とても軽い金属音を鳴らしながら、翔鶴は壁へ体を寄せた。

 

「ありがとうございます」

「別に気にするような事でもない。それより、中で少し話でもしよう。その方が君にとっても落ち着くだろう?」

「そう、ですね。丁度、おいしいお茶を貰ったんです。指揮官さえ良ければ、二人で……」

 

 そうやって笑う彼女の左目には――決して開けることのない漆黒が、映っていた。

 

 

 縁側に座って、海を眺めるのがここ最近の彼女の日課であった。

 

「翔鶴」

「…………指揮官? どちらに?」

「こっちだ」

 

 動かない左目を向けたまま、翔鶴は首を動かして俺の方を見上げていた。

 そんな彼女の隣に座りながら、盆にのせた湯気の立つ湯呑みを彼女へ。暖かい、けれど少し苦いような香りを感じながら、俺も湯呑みを手にとって、その中の熱い液体を一つ口に含んだ。

 

「お茶まで運ばせてしまって、すみません」

「気にしなくてもいい。その体じゃ不便だろう」

「ありがとうございます……それで、どうでしょうか」

「……美味いな。重桜のか」

「はい。赤城先輩が送ってくれたんです。そんなに気を使わなくてもいいのに」

 

 どうしてでしょう、とため息を吐きながら、翔鶴も同じようにして湯呑みを傾ける。初夏の日差しが、彼女の透き通る様な髪を照らしつけていた。

 

「それで、指揮官」 

 

 柔らかな呼びかけに、ふと顔をそちらへ向ける。

 

「こんな不出来な艦に、今更どのような用事ですか?」

 

 いつも変わらない、毒舌というか、少し皮肉めいた言い回しが、今ではとても脆いものに感じた。そんなことを言う彼女が今まさに何処かに行ってしまわないか、とても不安に感じた。

 

「別にこれと言ってない。ただ、ヒマだから話をしに来ただけだ」

「あら、それは意外です。てっきり解体の通知かと思いましたから」

「そんな事は、決してない」

「ふふっ、指揮官はそう言って下さるのですね」

 

 呆れたような、けれどおかしいように、翔鶴は彼女らしい笑みを浮かべていた。

 

「こんな(マト)にもならない艦船、早く解体してしまえばいいのに」

「俺ができると思うか?」

「いいえ、全く。だって、指揮官(あなた)なんですから」

 

 まるで、悪戯が上手くいったような、そんな子供らしい笑みであった。

 

「私のような、何もできない艦船と話してくれるような人ですもの。今更、そんなことをする度胸があるかどうか」

「……まあ、事実だな。けれど、度胸がない、って意味じゃない」

 

 無責任な励ましの言葉を掛けるわけでもない。けれど、彼女自身を否定するわけでもない。

 ただ俺が求めているのは、そのままの彼女であって。

 

「お前と、一緒に居たいから」

「…………」

 

 暗い左目からは、何も感じられなかった。

 

「……損な人ですね、指揮官も」

「お前と一緒に居て、損だと思った事は無い」

「こんな欠陥船と一緒に居て、ですか?」

「ああ。お前とここまで居られたことを、とても嬉しい、と思っている。幸せだとも」

 

 曇りの無い、本心からの言葉であった。彼女と共にいられるなら、全てを投げ出せる覚悟があった。

 そして――彼女と添い遂げる覚悟も。

 

「……指揮官?」

 

 上着の懐から取り出した箱を見つめて、翔鶴が不思議そうに首を傾げる。

 

「それは?」

「……何、と言って良いのかは分からないが……指輪だ」

「指輪? どうしてですか?」

 

 ……本当に、理解していなかったのか。

 

「結婚、と言えば分かるか?」

「結婚……ですか? 指揮官と」

「お前が、だ」

「私が、ですか」

 

 いまいち、どうしてか雰囲気がぎこちない。晴れない雰囲気に箱を弄りながらどうしたものか、と思索に耽っていると、翔鶴はくすくす、と小さく笑い始めた。

 

「お前なあ」

「ふふっ、だって、おかしいんですもの。艦船と結婚するなんて言い出す人、初めて見ましたから」

 

 すぅ、と笑みを消して、翔鶴は自らの足先を見つめていた。

 

「こんな、人にすらも足りえない欠陥品に、そんな事を言うなんて」

「違う。お前だから、この選択をしたんだ」

「……ずるい人。本気にしてしまいますよ?」

「俺は元々そのつもりだ」

「そう、ですか。それなら――」

 

 また、彼女の身体がふらつくのが、視界の端で見える。

 そうして次に感じたのは、肩に優しく寄りかかる、暖かな感触だった。

 

「……ねえ、指揮官」

「どうした?」

「これからも、翔鶴を傍に置いてくれますか?」

 

 崩れ落ちてしまいそうな彼女の肩を抱いて。

 

「ああ。お前が朽ちるまで、ずっと」

 

 ――鈍い銀の光は、あっけなく彼女の指で輝きを取り戻した。

 左の薬指に嵌められたそれを、翔鶴はただじっと見つめていた。その表情には曇りも、ましてや喜びもなく、ただ目の前の事象を捕らえるので精いっぱいのような、そんな不慣れなものが浮かんでいた。

 やがて、どうにかして絞り出したように、翔鶴が小さく唇を動かす。

 

「――……不思議な感覚、ですね」

「嫌だったか?」

「いえ、そうではないですけど……とても、嬉しく感じます。それと、満たされたような」

 

 言葉を聴くことはできなかったけれど、彼女の笑顔はとても眩しかった。

 

「それで」

「……それで?」

「どこまで、されるんですか?」

 

 含みのある深い笑みで、彼女がこちらへ問いかける。その答えにはとても迷ったけれど、やがて口にした言葉は、俺の心からの思いであった。

 

「……共に、行けるところまで。一緒に」

「はい。それなら、私はあなたの側に」

 

 ――やがて朽ちる、その時まで。

 お互いの瞳を見つめ合いながら、二人で向き直る。

 

 

「私には、あなたしかいませんから」

 

 

 そう薄く、儚いような笑みを浮かべている彼女の唇を、俺は――

 

 

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