アハーンジュルジュルレロレロレーン   作:宇宮 祐樹

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『テセウスの船』

 

 扉を開くと、そこにあったのは、こちらを覗く虚ろな金の瞳であった。

 

「よ、指揮官」

「……勝手に座るなって言ってるだろ」

「なんだよー、少しくらいは労わってくれてもいいだろー?」

 

 執務室の椅子にふんぞりかえりながら、何やら外に見える夕暮れ色の海をみていたらしいダウンズは、こちらに視線を向けながら、いつものような明るい笑みを見せていた。そんな自由気ままな秘書艦の隣へ立って、少しの溜め息を吐きながら、手にした書類を机の上へと放る。

 

「……ん、なんだそれ」

「気になるなら見てみるといい」

「ほーい」

 

 机に手をかけてもたれながら呆れたように言ってやると、彼女はその小さな手で書類を掴み、書類へと目を通していった。

 

「今回の海域の戦闘報告書だ」

「……あー…………」

「被害報告がまだ一つ、残っているようだが?」

 

 少し力を込めて言うけれど、当の本人は両手を頭の後ろへ回しながら、わざとらしくそっぽを向いていた。

 

「し、知らねえな。あたいは被害だと思ってないぜ? 本人が気が付かなかったら仕方ねえんじゃねえか?」

「……カッシンが言っていたぞ。お前が被弾したって」

「だーっ! なんであの姉はこういうところで!」

 

 寧ろ、姉だからこそ妹の被害を気にするものだろうが。

 それに気づいていないらしい彼女は机にばたりと伏せながら、横たわった瞳で書類を眺めていた。おそらく姉の字なのだろう、被害艦の欄には丸っこい字でダウンズとだけ書かれており、それ以外には何も書かれていなかった。

 そんな白紙の欄を指でとんとんと何度も叩きながら、ダウンズが気だるそうに口を開く。

 

「だいだいさぁ、こんなもん、もう意味ないじゃん」

「どういうことだ?」

「いまさらあたいの傷が増えたって、関係ないでしょ?」

 

 そう言って彼女はおもむろに、身に着けた白いシャツをまくり上げて――その下に刻まれた、いくつもの傷を俺の視界へ映した。

 既に色を失った傷は、まるで何かを縫い付けたように全身に跨って存在して、その小さな体を半分――否、それよりも多く支配している。刻まれたその証は痛々しさを感じさせて、しかし俺はそれから目を離すことができなかった。それは、彼女を否定しているような気がして、彼女を拒むことは、俺には出来る筈も無かった。

 けれどダウンズはその痛みを感じるそぶりも見せず、片手で下腹部から左胸へとかかる火傷の痕を細い指でなぞりながら、上目使いで俺へ金と紅の双眸を向けていた。

 

「ほらほら、もっと見ていいよ?」

「……止めろ」

「指揮官がそういう趣味だったら、あたいも付き合ってあげなくないけど」

「止めろ」

 

 強く良い放つと、ダウンズは不満そうに口を尖らせながら、捲った布を元へ戻した。

 

「何さ、あたいの裸くらい何度も見てるだろ?」

「修理するたびにな。けれど、俺はお前のそんな姿はもう見たくない」

 

 長い時間というのは、全てを変えていった。俺達を囲む環境も、俺自身の心情も、そして彼女の身体も。それは決して否定できることでもなく、戻ることもできないものだった。

 負った傷を自慢しないようになったのは、半分を超えてからだった。刻まれた戦いの歴史を自慢げに語っていた彼女は、自らの瞳を失っても、何も言うことはなかった。自らの身体が別のものへと変わっていくのを、彼女は淡々とそれを受け入れていた。

 見開いた眼を、しかしいつものように細めながら、ダウンズが軽く笑う。

 

「なんだよ指揮官、あたいみたいな女の裸には興味ないか?」

「そういう意味じゃない」

「じゃあ何さ、もっと綺麗でいてくれ……って言うのか? あたいみたいな存在に、戦うな、って言って――」

 

「ダウンズ」

 

 震える声を遮って、彼女の名前を告げる。

 それが避けられないことを知っていたのだろう。けれど、そうやって受け入れる彼女は、いつ消えてもおかしくなくて、彼女が、だんだんと何処かへ消えてしまいそうで。

 

「……お前を失いたくない」

 

 彼女の頬に手を添えながら、虚ろな金色を覗き込む。小さな波の音はどこか遠くに聞こえていて、それがどうしてか、俺の心へ強く残っていた。

 視線の交錯と、しばらくの静寂。流れる時間が、どろどろになって溶けていく。

 

「……わ、わかった! わかったからっ!」

 

 ふと我を取り戻したかのようにダウンズは俺の手を振り払い、頬を膨らませながら机へと向き直る。顔に差した紅は、夕日のものか、それとも――結局それは、俺には分からなかった。分からない方が、幸せのように思えた。

 

「きゅ、急にそんなこと言わないでくれよ。こっちだって焦るだろ?」

「本心だ」

「ああもう……指揮官、あたいみたいなヤツにそんな気ぃ使ってたら疲れちまうよ?」

「知らん。それが俺の仕事だ。そして、これを書かせることも」

 

 胸にしまってあったペンを取り出しながら、それをダウンズの前へ転がす。放り出されたその黒いペンを、彼女は渋い顔をして取り上げながら、未だに白く空いた書類へと向き直る。

 けれど、その手が動くことは、無いように思えて。

 

「ダウンズ?」

「………………」

 

 やがて彼女は持った筆を、静かに机の上へ降ろした。

 

「やっぱり嫌だ」

「お前」

「――……嫌、なんだ。傷を負うのが。傷を負って、この体を直すことが」

 

 ぽつりとつぶやかれたその言葉に、思わず続く言葉を呑みこんだ。ゆっくりと振り向いた彼女の瞳には、まるで助けを求めるような、縋るような色が映っていて、造られた片方の眼へ手を当てながら、ダウンズは途切れ途切れに話してくれた。

 

「あたい、さ……もう、分かってるんだよ」

「……何を?」

「もう二度と、元に戻れないってこと」

 

 沈みゆく夕陽を眺めるその瞳には、どこか懐かしむような色が差しこんでいて。

 太陽にかざした彼女の左手には、無機質な鉄の骨格が透けていた。

 

「戦って、直して、また戦って、また直して――気が付いたら、こんなに遠くまで」

「ああ。お前と共に歩めたことを、誇りに思う」

「嬉しいよ、あたいにそんなこと言ってくれるなんて」

 

 本気の謙遜なのだろう、いつもの彼女からは想像もつかないような、しおらしい笑みをダウンズは浮かべていた。

 

「でも……やっぱり、怖いんだ。上手く言えないんだけど……あたいが、あたいでいられないかもしれなくて。いま、ここにいるあたいも、本当のあたいか、時々分からくなる、から」

 

 自らの左目を抑えながら、ダウンズが天井を見上げて呟く。何の含みも無い、からっぽの機械の駆動音が、彼女から幽かに聞こえてきた。

 

「海の上に立ってるからには、傷つくのは覚悟してる。沈むことだって。怖く、なんかないさ。この海の上にもう一度立てるんだから。できるところまで、行ってみたい」

 

 軽く続ける彼女は、けれどどうしてかとても儚いものに見えて。

 

「けど、本当に怖いのは……自分の体が無くなっていくこと。だんだん、自分がどこかへ行っちまうことなんだよ。傷を負っていくうちに、直していくうちに、体もどこかに行っちまって……そのうち心だって、おかしくなるかもしれない。あたいは、どこまであたいなんだろう。あたいは……一体、誰、なんだろう」

 

 既に半分を超えて、もうその言葉は誰のものかも分からない。それは自らの口が紡いだものなのか、果たしてダウンズではない、顔も名前も無い誰かが紡いだものなのか。

 けれど、そうやって俺の事を見つめているのは、確かにダウンズという一人の少女であった。

 

「なあ、指揮官」

「……何だ?」

「手、握ってくれねえか?」

 

 差し出された左のてのひらを、両手で優しく包み込む。肌触りの良い柔らかな人工皮膚と、その下にある細い機械軸は、とても冷たかった。

 

「あ、はは……あったかい…………あったかい、なあ……」

「……ダウンズ」

「指揮官、あたいはここに居るよな? あたいの体も、心も――全部、指揮官の手に」

 

 脈の通っていない、透き通るようなその腕を、けれど強く握り締めた。力の込めた腕は、不自然なほどに触り心地の良い肌の上から機械の腕を押さえつけて、けれどその痛みが彼女に届くことは、決してなかった。

 

「なあ、指揮官……頼み、あるんだ」

「言ってみろ」

 

 暗い瞳を覗き込んで、彼女に応える。

 

「これからもずっと、側にいてくれよな。あたい、心も、体も、ぜんぶ指揮官にあげるから……だから、指揮官。どうか……あたいを、あたいのままで、ここに居させてくれよ……」

 

 彼女の笑顔も、温もりも、全て見てきた。悲しむ顔も、喜ぶ顔も――そして、こうして縋りつく顔も、全て。

 小さな体を抱き寄せると、少しだけ彼女の声が漏れて、けれどそれは胸の中へ収まっていった。ただ感じるのは、半分だけ残った、けれど確かに伝わってくる彼女の温もりだけ。くすんだ白い髪に指を通すと、それははらはらと揺れて、銀の輝きを見せてくれた。

 

「……大丈夫だ。お前を……離したり、しない」

 

 彼女はいま、ここにいる。俺の腕の中で、生きている。

 その温もりを感じられることは、これ以上にない喜びに思えた。

 

「……はは、なんだか、湿っぽくなっちまったな」

「いい。それがお前の望んだことなら、お前の全てを受け入れる」

「…………………………」

「……ダウンズ?」

 

 黙ってしまった彼女は、ぎゅ、と俺の服を強く掴んで、

 

「ありがとう」

 

 そう、くぐもった声で告げた。

 

「――――よし! 指揮官、晩メシ行こうぜ! あたい、ハラ減ったよ」

「そうだな、行こう」

 

 紅に染まった部屋を駆け抜けて、ダウンズはいつものようにこちらを向いて笑っている。そんないつもの光景が、彼女がそばに居る光景がとても素晴らしいものに見えて、夕日の照る彼女の笑顔が、輝いているように映っていた。

 儚げな白い少女は、けれど俺のことを確かに見つめていて。

 

「ほら、指揮官。手ぇ繋いでくれよ」

「……ああ」

 

 差し出されたその左手は、どうしてか――とても暖かく、感じられた。

 

 




モソスターハソターワーノレドの小説書いてたら更新空いちゃいました
でも完結まで持ってったので許してください
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