アハーンジュルジュルレロレロレーン   作:宇宮 祐樹

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ハムマンすき


あ、ハムマンだ ハムマンすき

 

 それは机仕事が嫌になり、休憩がてら指揮官が鎮守府の外回りをしている最中だった。

 ぼけっとしたその視線の先にあったのは、委託から帰ってきたばかりの艦船たち。帰ってきたと同時にわいのわいのと騒いでいるその中でも、指揮官の虚ろな瞳に映っているのは、

 

「あ、ハムマンだ」

「げっ」

 

 指揮官がぽつりとつぶやいたその言葉に、彼女の頭の上にあるネコのような耳が、ぴくんと跳ねる。心なしか、頬に少し紅が差しているようだった。

 

「ハムマンだ。ハムマンすき」

「う、うるさいこのヘンタイ! というか仕事中でしょ!?」

「ハムマンすきだからサボってる」

「何だその理由は!」

 

 本当に訳が分からなかった。けれど指揮官は叫ぶハムマンを意に介さず、その小さな頭へ手を乗せる。

 

「ハムマンすき。かわいい」

「は、ハムマンをおだてても何も出ないわよ! というか撫でるのやめなさい! 恥ずかしいから!」

「そんな……ハムマンすきなのに……」

「だ、黙りなさいよっ! とにかく戻るっ! 仕事しなさいっ!」

「仕事したらハムマンすきだから撫でても良い?」

「それは……っ、とにかくあっちいきなさいよヘンタイ! 通報するわよ!」

「ええー……分かったよ。ハムマンすきだから帰るわ」

「だからどういうことなのよっ!」

 

 腕を振り上げてぎゃー、とハムマンがまくしたてると、指揮官は肩を落としながら、とぼとぼと自らが来た道を戻ってゆく。けれど彼女のいう事はちゃんと聴くようで、しょんぼりとした背中を見ながら、ハムマンはふん、と嘆息を吐いた。

 

 ここのところ、彼女は思い悩んでいた。

 

 言うまでも無く、先程のアレである。最近になってから、指揮官はハムマンを見つけるたびに「あ、ハムマンだ。ハムマンすき」と間抜けた声で言うのである。正直訳が分からなかった。何か狂気のようなものを感じた。

 始めは周りの艦船も急な指揮官の発言に驚いていたが、それは三日と続かなかった。それどころか指揮官の影響なのか、周りの艦船すら冗談まじりに「ハムマンちゃんすき」と言うほどになってしまった。

 

 けれど、それはまだいい。冗談であれば、やめろと言えば止めてくれるし、そんな冗談を許せないほどハムマンも心の狭い艦船でもない。

 本当の問題は張本人の指揮官である。彼ばかりはどうも冗談か本気なのか分からなかった。

 

「どうしよう……」

 

 いや、正直どうしようもないのだが、ハムマンはそうとしか呟けなかった。

 ハムマンも彼のことを嫌っている訳では無い。むしろ、こうして口に出して伝えてくれるあたり、指揮官も彼女のことを信頼しているのだろう。それだけは確実であった。長い時間をかけて作られた信頼は、胸が苦しくなるような気持ちと、少し似ているような気がした。

 いつもは恥ずかしくてつい悪口を言ってしまうけれど、ふと静かに考えると、ハムマンはやはり嬉しい気持ちになる。けれどそれは少しだけはみ出したような、歪なものに感じられた。

 

「……よし」

 

 そう独り言ちて、彼女がぎゅ、と拳をにぎる。

 すたすたと足を運ぶ方向は、学園の寮であった。

 

 

 小さな寮の一室、三人の少女が床に置いたテーブルを囲む。

 

「綾波ちゃん、そこのお菓子とってー」

「どれですか」

「右からにばんめ! あとその奥にコーラもあるからそれもおねがーい」

「はあ……よい、しょ」

 

 二リットルのコーラをどん、と置いて、白い髪の艦船――綾波がふぅ、と息を吐く。その隣に寝転んでいるのはロング・アイランドであり、袖を通しているのはいつもの青い制服ではなく、「焼肉」という文字が記された白いシャツ一枚のみ。彼女の後ろに同じような白い布が積んであるあたり、いくつか種類があるのだろう。

 

「それでハムマンちゃん、相談ってなにー?」

「あ、えっと……指揮官の、ことで」

「指揮官、ですか?」

 

 意外そうに綾波が首を傾げる。ぱす、と袋菓子を開けるまぬけな音に、ロング・アイランドが目を輝かせた。

 

「ふ、二人はこの鎮守府に始めからいたから、何か分かるかと思って」

「あー、そっか。そういやそうだったねー」

「……最初、って言ってもすぐ増えたですけどね」

 

 ハムマンの言葉に、思い出したように二人が顔を見合わせる。

 

「まあ、それはそれとして。指揮官に何かされたんですか?」

「……指揮官が、ハムマンと会うたびに変な事を言ってくるのだ」

 

 本当は二人も分かっているのかもしれない。けれど、自らの口から話す事に何か意味があるのだろう。ハムマンはここ最近の指揮官の奇行について、綾波とロング・アイランドに語って見せた。

 やがてハムマンの話を聴いた二人は、ふむふむ、と頷きながら思い出すように口を開く。

 

「んー、まああの人そういう変なところあるもんね」

「……綾波も、綾波じゃなくて『レイ』って言われてました」

 

 別に汎用人型決戦兵器には乗らないので、当時の綾波はただただ首を傾げるしかできなかった。

 

「私もスパーランドとか呼ばれてたけど、紛らわしいからやめて、って言ったらやめてくれたよ」

「綾波も、ちゃんと呼んでって言ってくれたら、直りました」

「むぅ……」

 

 やはり只の冗談なのだろうか。けれど、ハムマンはどうしてかそれでは落ち着かないようだった。

 うつむいて黙り込んでしまうハムマンに、ロング・アイランドがふと声をかける。

 

「ハムマンちゃんは、指揮官にすきって言われていやなの?」

「ふぇっ!? そ、それは……うぅ……」

 

 お手本のような反応に綾波は心の中で拍手をした。

 

「べ、別に嫌ってわけじゃないけど……分からない」

「分からない、です?」

「……だって」

 

 絞り出すように、ハムマンがぽつりぽつりと語る。

 

「ハムマンは、指揮官にあれだけ酷いこと言ってるのに、どうして指揮官はハムマンのこと好きっていってくれるのだ? 私、指揮官に何もしてあげられない……それどころか、指揮官を傷つけてるはずなのに……どう、して」

 

 その事実を口にする度に、ハムマンの肩に見えない圧のようなものがのしかかる。心が、重くて潰れそうだった。自分でもわかっているのに、それを認めてしまう辛さが、ハムマンを襲っていた。

 視界がぼやける。こんなものは、自分のわがままだって分かってる。

 なのに、なぜかハムマンの淡い翡翠の瞳は潤んでいた。

 

「……わかんない……わかんないよぉ……」

 

 ぽろぽろと、ハムマンの頬を雫が伝う。心の端から溢れ出したような、崩れるような涙だった。

 

「ご、ごめんなさっ……わ、たし、どうしたらいいか、わかんなく……て……」

「……とりあえず、落ち着くのです。胸に手を当てて、深呼吸、です」

 

 綾波に言われるがまま、ハムマンが胸に手を当てる。震える唇から洩れた息は、とてもか弱いものだった。

 やがていくらか落ち着いたのか、赤くなった目をこすっているハムマンに、綾波が声をかける。

 

「……多分、あの人はハムマンちゃんに思ってることを、口にしてるだけです」

「まあ会うたびに言うくらいだし、それは間違いないねー」

 

 だから、と綾波は一つ置いて、ハムマンに告げる。

 

「ハムマンも、指揮官に思ってることを、そのまま言えばいいと思うのです」

「…………へ?」

 

 むふ、と何故か胸を張る綾波に、ハムマンは思わず間抜けた声を出した。

 

「目には目を、歯には歯を、です」

「それ、実は使い方違うんだってねー」

「ロングアイランドのそういうところ、スレ民みたいです」

「あーっ! 人が気にしてるところをー!」

 

 なんだよなんだよー、といじけ始めたロング・アイランドをよそ目に、綾波がハムマンへ向き直る。

 

「相手がゴリ圧してくるならこっちもゴリ圧しで行くのです。これは闘いです」

「ん……? ハムマン、綾波の言ってる事がよくわかんないのだ……?」

「とにかく、ハムマンも指揮官と同じようにしてみるです。そうすれば、上手くいく、です」

 

 理屈は分からないけれど、綾波の目には確固たる自信が伺えた。

 やがて、うつむいていたままの彼女が、顔を上げる。すく、と立ち上がって涙の痕を拭うと、ハムマンは一つだけ息を吐いて、綾波へ確かめるように口を開いた。

 

「……わかった。指揮官に言えなかったこと、言ってくるのだ」

「ん、頑張れ、です」

 

 ぐっ、と綾波が遠くなる足音へ親指を立てる。口元には満足したような笑みが浮かんでいた。

 

 

 ハムマンは面倒な性格の少女だった。

 いつも本当の事は隠してしまって、自分の言いたい事が言えなくなる。その上に自分の上司に馬鹿だのヘンタイだの暴言を吐きながら、あわよくば小突いたり蹴ったりするほどの、大馬鹿者だ。

 自分でも、それは知っている。それで何度も悩んだり、落ち込んだりもした。

 だから、これ以上そんなことがないように。

 

「指揮官っ!」

 

 ばん、と執務室のドアを開くと、丁度仕事が終わったのか、椅子にもたれかかって沈んでいる指揮官の姿が見えた。

 

「……ハムマン?」

 

 間抜けに開いた口から、そんな言葉が漏れる。

 けれどそれに続くはずの言葉は、どこかへ消えていた。

 

「……なんで、言わないのよ」

「へ? 言う? 何が――」

「どうしてすぐに好きって言ってくれないのよ、この馬鹿っ!」

 

 自分でも何を言ってるのか分からない。けれど、心にできた空白を埋めるには、そう叫ぶしかなかった。

 やがて呆然としていた指揮官は、思い出したように、ハムマンと視線を合わせて口を開く。

 

「あー……ハムマン?」

「なに」

「……すき」

 

 たった二つの文字だけど、ハムマンの心にはそれがすぅ、と落ち着いた。こんな面倒な私でも、指揮官は好きだと言ってくれる。それだけハムマンは満たされたような気持ちになった。

 思わず笑みがこぼれる。こんな砕けた笑顔は、指揮官の前で見せたのは初めてかもしれない。いつもは怒ってばっかりだったけれど、こうして指揮官の前で笑えたのが、すごくうれしかった。

 そうして、心に思い描いたのは、ただ一つ。

 

「ハムマンも、指揮官のこと、大好きなのだ!」

 

 

 

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