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「しきかーん、ちょっといーい?」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、サラトガの声だった。
「いいぞ、入ってこい」
「はーい」
扉をくぐった彼女の片手には、何やら数枚に纏められた書類が握られている。手元のそれに視線をやったまま、彼女は少し考えるようにして俺へ声をかけた。
「えーとね、明石ちゃんと夕張ちゃんが、装備の改修について相談があるって」
「……嫌だ…………」
十中八九、予算をせびられるのだろう。彼女らは暇さえあれば、倉庫のジャンクパーツや代用品をいじってとんでもない兵器の実験をしているのだ。彼女らの相談といえば、大体の予想はついた。
悪いが断っておいてくれ、と続けようとすると、サラトガは書類から目を離して俺へ答えた。
「でも指揮官、二人とも頑張ってたよ? 見るだけ見てあげたら?」
「うーん……」
確かに彼女らの装備開発への頑張りには目を見張るものがある。いつも二人には装備関係の大部分を任せているし、だからこそ装備の開発自体は全て許しているのだが……
「おねがい、指揮官。かわいいかわいいサラトガちゃんの頼みだと思って!」
「……まあ、聞くだけ聞いとこうか」
観念したように息を吐いて、立ち上がる。いかんせん、俺は彼女に頼まれると弱いのであった。
サラトガという少女を一言で表すならば、無邪気、というのがしっくりくる。
イタズラが大好きで、周りの艦娘をからかったり、おちょくったりするのをよく見かける。それでも冗談と迷惑のラインはきっちりしているようで、それも含めてサラトガは皆から慕われるような存在であった。
また、その性格とは裏腹に人望は厚いらしく、大規模な作戦での中心的な人物になったり、またこうした頼み事も多くあるらしい。それも全て二つ返事で了承するあたり、こちらが彼女の素なのだろう。
イタズラするほど無邪気ながら、時には芯の強い頼れる艦娘、それがサラトガである。
……もっとも、いつもイタズラされてる身からすれば、たまったものではないが。
□
倉庫に辿り着くと、重たい金属音が響いてきた。
「入力する数値、右から六〇、二三、一〇二にゃ」
「りょーかい……ってあれ? ここの排熱管増やした?」
「ああ、それ昨日付けたやつにゃ。もう一本余裕あったからだけど、いけなかったにゃ?」
「いや、これで入るなら、確か奥のほうにもっといいパーツあったぞ。取ってくる」
「明石ちゃーん、夕張ちゃーん! 指揮官連れてきたよー!」
金属音に負けないようにサラトガが叫ぶと、何やら話し込んでいた二人は、同時にこちらへ目を向けた。
「おお、サラトガ、ありがとにゃ」
「ご主人も仕事中にすまない」
「そう思うのなら予算をせびらないでほしいんだが……」
溜め息混じりに呟いた言葉に、夕張と明石はきょとんと首を傾げていた。
「よさん……? 別に明石たち、今月はオーバーしてないにゃ」
「オーバーしてるのは艦隊の方の予算だぞ」
…………。
「マジ?」
「マジだ」
「こっち来るにゃ」
ぶかぶかの袖のままの手招きに促され、夕張の持つ書類を覗く。いくつもの数字と罫線が並ぶその紙の上に、わかりやすいように赤いペンで記されたところを見ると、確かに予定していた金額よりも少ない金額が充てられていた。
「多分、こことここの予算が入れ替わってるんじゃない?」
「……あ、本当だ」
サラトガの指が示したところを見ると、確かに明らかに過剰なまでの桁が振られている。
寝ぼけでもしない限り、こんなミスしないはずだが……
「まあ、この前まで大規模作戦で忙しかったからな。入力ミスだろ」
「悪い。すぐに直しておく」
「許してほしいならもっと予算ちょうだいにゃ」
「……考えとくよ」
元はと言えば身からでたサビなのだ。それに、彼女等も先日の作戦では頑張っていたから、それくらいは妥当なのかもしれない。
「そういえば明石ちゃんたちは、今なに作ってるの?」
「よくぞ聞いてくれたにゃ!」
待ってました、と言わんばかりに、明石が目を輝かせる。そして飛び跳ねるように先程まで弄っていた部品――ブーツのようなものだが――を持ち上げると、興奮気味にこちらへと戻って来て、口を忙しなく動かした。
「これ、足に着けるタイプのブースターにゃ! 普段の五倍は速度出せるやつにゃ!」
「艤装とかが足にさえ干渉しなきゃ誰でも使える。それに可動域も広いから、蹴りとかできるぞ」
「この管から一気にぶしゅー、って排熱するにゃ! 浪漫にゃ!」
「その分、風ものすごいけどねー……」
早口でまくしたてる彼女等に思うのは、どうしてそんな発想が生まれてくるんだ、という疑問だけだった。
自慢げに見せてくるそのブーツに、ふとサラトガが問いかける。
「でもこれ、風向き的にスカートめくれちゃうんじゃない?」
「今時そんなの気にするやついないにゃ」
「そうかなー」
確かに艦隊には短いスカートを着用している艦娘が多い。今目の前にいるサラトガも、細い太ももに掛かっているスカートを確認するように、ひらひらと指でつまんで遊ばせていた。
…………やっぱり、短いと思う。それだけでちょっと見え――
「あれ~? 指揮官、今なに想像してたの~?」
はたと気づいた時にはもう遅かった。視線がストッキングに包まれた太腿から、彼女の顔へと移る。何か新しい玩具を見つけたように、サラトガは意地の悪い、とても嫌らしい笑みを浮かべていた。
「……いや、何もしてない」
「えー? でもサラトガ、指揮官のことずっと見てたけど……私のお尻、ジロジロ見てたよ?」
気が抜けていた。いやまあ、釘づけになっていたのは否定しようもないが。というかそれよりも後ろ二人からの視線が痛い。頼むからそんな目で見てないでほしい。死ねる。
「まあ、指揮官の気持ちもわからないでもないにゃ。でも表に出したら待ってるのは鉄格子にゃ」
「擁護してるかしてないか分からんからやめてくれ……」
「この事黙ってほしいならもっと予算を回すのだな」
「……わかった…………はあ」
元はと言えば俺の管理の問題である。溜め息とともに抜けていくのは幸せではなく、お金だという事は、ここ最近で知った事であった。
「それじゃあ、私たちもう行くね? 明石ちゃんも夕張ちゃんも、頑張ってー」
「にゃー、ありがとにゃ」
「明日までには試験できるようにしとくからな」
そんな風に手を振って、サラトガと俺は倉庫を後にする。
明石たちが去ったあとでも、サラトガはにやにやとこちらへ笑みを浮かべているままだった。
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「あはは、指揮官ったら面白いんだから」
「まったく……お前も少し、節度を弁えろ」
「でも、あの時の指揮官の顔……ふふっ、思い出したら笑えて来ちゃったっ」
執務室に戻る道で、くすくすと面白そうにサラトガが笑う。
「頼むからもう許してくれよ……」
「え~? うーん、そうだなあ……サラトガちゃんの、今日の色当てたら、許してあげる」
そんな事を言いながら、サラトガは短いスカートを指でつまんで、ひらひらと振った。
おそらく、ここで聞き返すのは得策ではない。聴いたらそれで「そんな事も分かんないの~?」とからかわれるのは、火を見るより明らかである。同じ轍を踏むほど馬鹿ではない。
だから、あえてここは正面から突っ切る。回りくどい手を使う必要はない。サラトガのパンツの色を当てれば済む話なのだ。セクハラが何だ。非難するなら存分に非難しろ。
彼女の今つけている下着の色は、
「……黒だろ」
「ふーん、指揮官ってそういうのが好きなんだぁ~」
勝てる気がしなかった。否定できないところも含めて。
「ま、正解だから許してあげる」
「本当か?」
「ホントよ? 何だったら、今見せてあげよっか?」
にまにま、という疑問が聞こえてきそうなほどの笑みを浮かべて、彼女がスカートを少しだけ翻しす。そろそろ使い物にならない頭を抱えていると、サラトガはまたくすくす、と口元を押さえて笑うのだった。
「指揮官、今日はいつにもましてひっかかるね」
「……ああ、本当に疲れてるのかもな」
先程のミスといい、この状況といい、自分でもわからないほど疲れているらしい。別の意味で痛くなってくる頭を抱えていると、サラトガはまた何か思いついたらしく、にまー、とした笑みを浮かべながら、俺の顔を覗いてきた。
「やっぱり指揮官も、溜まってるのかな?」
唐突に駆けられた言葉に、思わず息が詰まる。
「……お前なあ、さすがにそれは」
「いやー、指揮官も人間だし、疲れも溜まっちゃうよねえ~、仕方ないよ」
うんうん、と大げさに頷いたサラトガが、ふとわざとらしい笑みを浮かべ、こちらに問いかけた。
「あれれ? 指揮官ったら、また何か変な妄想しちゃったのぉ?」
「…………」
「ふふっ、指揮官も大変だね~。でも、ガス抜きも必要だよ?」
大変なのは誰のせいか分かっているのだろうか。いや、恐らく知っているのだろう。その上で、彼女はくすくすと笑いながら、頭を抱える俺を面白そうに眺めていた。
既に執務室の前へついているけれど、もう仕事をする気にもなれない。サラトガと話すと疲れる。別に悪いわけではないのだが、心労がひどく積み重なるのだ。
思えばここから、少し思考がおかしくなったのかもしれない。
「しきかーん、もしよかったら、サラトガちゃんが今夜のお相手してあげましょうか~?」
どうせ本当は晩酌とかそういう意味なのだろう。それは分かる。けれど疲れた頭では、すぐに切り返すことができなかった。上手く返せる気がしない。
しかし、やられてばっかりも癪である。どうにかして彼女に一泡吹かせてやりたい。こちらを伺うようなあの視線を、一度でいいから見開かせたい。そんな意地の悪い感情が、少し芽生えた。
「……お前さえ、良ければ」
彼女の肩に手を伸ばしながら、そうつぶやく。
「今夜、開けておく」
なるべく平静を保ちながら、一言一言伝わるように、強く。
何か言いかけたらしいサラトガは、俺のことを見上げたまま、ぽかんと固まって、
「――――…………ふぇっ……?」
顔を真っ赤にしながら、そんな声を漏らしていた。
「じゃあ、また夜に」
ぱたん、とドアを閉じる。しばらく経ったあとに、どたばたと激しい足音が聞こえてきた。
かなりきわどいラインまで行ったが、これで彼女も懲りたはず。これで彼女のイタズラが減るといいが、まあ直ることはないだろう。そこも含めて、彼女の個性なのだから。
「疲れた……」
ペンを執る気にもなれず、窓から見える夕陽をぼんやりと眺める。
空は暗く沈んでいき、夜はすぐそこまで来ているようだった。
□
こんこん、と静かにドアを叩く音が、一人の執務室に響く。
既に日は堕ち、時刻は十時を過ぎている。皆ももう寝ているだろうに、はて、こんな時間に誰か呼んだだろうか。不思議に思いながら、俺は寝室に向かおうとした足をそちらへ向けた。
「誰だ? こんな時間に、もう俺は寝るぞ」
「……指揮官?」
返ってきたのは、震えたような声で、
「サラトガ?」
いつものような彼女の元気な様子からは、とても想像できないようなものだった。
「……入るよ」
「あ、ああ……いいけど」
かちゃ、と恐る恐ると言った様子で、ドアが開く。
果たして、姿を現したのは、声のとおりサラトガであった。髪を下ろしたその表情はいつもよりも随分しおらしくなっており、何よりも身にまとっているのは、いつもの可愛らしい制服ではなく、薄い布のワンピース。枕を両手で抱きしめながら、彼女は俺へ潤んだ瞳を向けていた。
「何から、するの」
「は? 何、って……」
「……言わせる気? 指揮官の、バカ……」
つん、と口を尖らせて、頬を赤く染めたサラトガが、軽く体を寄せてくる。胸に収まったサラトガの身体はとても熱く、彼女は俺のことを見上げながら、こう呟いた。
「夜のお相手、って……言ったでしょ」
頭が大事故を起こした。疲れている頭のはずなのに、全てのことが一瞬で理解できた。
つまり、彼女は俺が昼に言ったことを、正直に受け取っているということ。手の内から聞こえるサラトガの鼓動が、それを明確に教えてくれた。
「……なに? 指揮官、冗談だったの?」
「そ、ういう訳では」
「ちゃんとこっち見なさいっ」
ぐい、と胸倉を引っ張られる。こちらを睨む瞳には、潤んだ熱がこもっていた。
「……やっぱり私じゃダメなの?」
「そんな訳ないだろ」
すぐに否定をするけれど、サラトガはふと俯きながら、声をもらす。
「分かってるよ。こんな生意気でイタズラばっかりしてる子、指揮官は嫌いだよね」
「違う」
「いつも周りに迷惑かけて、それで自分勝手で……ほんとの事なんて言えずに、いつも誤魔化して」
崩れるように、彼女の小さな体がもたれかかる。
「じつは、ちょっとだけ嬉しかったの。指揮官からそうやって誘ってくれるなんて、思ってもなかった……それこそ、冗談だったんだから」
「…………」
「でも、そうだよね……私みたいなちっちゃな女の子なんて、やっぱり指揮官の役に立てないや。こんな私じゃ、指揮官に、何も……」
照れくさそうに笑う彼女の背中を、優しく包む。
「ぁ……」
「そんなこと、ない」
柔らかな体を抱きしめると、微かな声が漏れた。
「……私で、いいの?」
「お前がいいんだ」
「いつも、指揮官にイタズラばっかりしてるのに?」
「ああ、それがお前の個性だろ」
「……からかったり、馬鹿にしたりしてるのに?」
「可愛いと思う」
「……指揮官に、好きって、言えなかったのに……」
「大丈夫」
今更引き下がるつもりもない。彼女が答えてくれただけで、俺は嬉しく思えた。
視線が交錯する。鼓動が高鳴る。腕の中にある彼女は、とても綺麗に映っていて、
「……指揮官」
「何だ?」
「好き、だよ」
そう笑う彼女の唇を、俺は――
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