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鎮守府の片隅――小さな購買所で、重たい溜息がまた一つ。
「どうなさいましたか?」
「……また外れた。これで二十回目だ」
「それではもう一度お買いになられますか? 見たところ、まだお金は残っている様子……」
「いい。これ以上は予算を超えるから」
「それはそれは」
軽くなった財布を見て、不知火がにっこりと笑みを浮かべる。指揮官のそれとは対照的に膨らんだ包みは、不知火の小さな手の上に、ずん、と偉そうにのっかっていた。
装備箱と呼ばれるそれは、文字通り艦の装備が中に入っている箱型の装置であった。正確には対応した装備を開発できる『核』のようなものが入っており、それを改造して初めて装備と成り立つ、というのは明石の談である。
けれどおかしなことに中身は全くの秘密であり、開けてみなければ何が入っているのか分からない始末。効くところによれば、メンタルキューブだのかつての遺産だの、何やら不思議な技術を応用しているらしいが、指揮官にとってみれば、それは悩みのタネ以外の何でもなかった。
そして、通常は大本営から一定の頻度で配給されるその装備箱を、不知火はなぜか指揮官に高額で売り飛ばしていた。
「本日も、指揮官さまは運が悪いようで……」
「運の問題じゃないと思うんだがな」
「あら、妾を疑うのですか……? ですがそれは必然でございます。妾は言い方ひとつならいざ知らず、身の振る舞いでも欺いている嘘吐きにございますから……」
「……いや、言い方が悪かった。俺の運が悪いだけだな」
「ふふふ……指揮官さまは、そう言って下さるのですね」
珍しい方、と不知火は、困ったような顔をする指揮官の顔を眺めていた。
「しかしなあ……もう少し、値段がどうにかならないのか」
いくらか軽くなった財布を吊るしながら、指揮官がぼやく。
「どうにもございません。これで艦隊の設備が整うのであれば、妥当でありましょう」
「……本当か?」
「…………」
押し黙る不知火に、指揮官は財布の中からもう一箱分の金額を取り出した。
「これで、どうだ」
「…………本当に、指揮官さまは大うつけでございますね。これを聴いて何になるというのやら」
そう語りだした彼女の瞳は、とても虚ろなものであった。
「妾達の陽炎型は、姉妹が多いのはご存知でしょう?」
「ああ。皆、元気な子たちだ」
「……ですが、彼女らもまだ幼き赤子。甘味の類も、それ相応に欲しがります。ですが陽炎姉さまは妾たちが誇る陽炎型の長女。そんなあの子に、このような仕事など任せられるでしょうか」
目を伏せて話す不知火の背中が、指揮官にはとても小さなものに見えた。
「妾はあの子とは違い、陰でありますので……それに、これで妹たちは喜んでくれるのです。それであれば、陰のような妾がこのような仕事をするのが妥当であるかと」
「……君は」
「はい。陽炎型二番艦、不知火にございます」
淡々と語る不知火に、指揮官が何ともいえない無言で返す。すると指揮官はおもむろに財布を片手で持ち上げたかと思うと、不知火の前の机に、その中身を盛大に撒き散らした。
いきなりの指揮官の行動に、不知火のぼんやりとした目が見開かれる。そんな彼女を気にするわけでも無く、指揮官は隣に置いてある装備箱をかき集めていた。
「気が変わった。ここにあるものを全て貰う」
「……指揮官さま?」
「釣りはいい。君も、美味しいものでも食べるといい」
両手で抱えるほどの装備箱を持ちながら、指揮官が購買所を後にする。
未だに驚きが抜けていないまま、不知火はそんな彼の背中をぼうっと見続けていた。
■
「何と、あの指揮官がそのような事をか」
「はい……何か変なものでも食べたのございましょうか」
鎮守府の寮の一室。こまごまとした喧噪の中で、不知火と陽炎はそんな事を話していた。
「浦風さま! 磯風のこれと、そのお菓子、半分こしましょう!」
「……それ、食べかけよね。交換するならその手を付けていないのにして」
「は、浜風ちゃん、谷風と一緒に食べ合わせっこしない……?」
「いいよ。じゃあそのチョコがついたのを」
「あーいいなー! 谷風、雪風さまにも食べさせるのだ! ほら、あーん! あーん!」
「ゆ、雪風ちゃん……!? ちょ、ちょっと待っ……」
わちゃわちゃとお菓子を囲む妹たちを眺めながら、不知火はとても不思議な顔をしていた。確かに妹たちが喜んでくれるのは、不知火にとって唯一の喜びである。けれどその元である指揮官は、どうしてそのような行動に出たのだろうか。不知火にはそれが分からなかった。
そんな彼女を横目で流しながら、陽炎が袋に分けられた菓子を口の中へ放り込む。
「しかしまあ、指揮官がこれを見たらどうなるかの」
「別に、何も言わぬでしょう。あの大うつけさまにそのような事を考える頭はありませぬから」
「ほぉ? 随分と分かったような口を聞くではないか」
にやにやといやらしく笑う陽炎に、不知火は溜め息で返した。
「違います。あのお方は、もともとおかしいお方なのですよ」
呆れたように首を振る彼女に、陽炎がほう、と興味を示す。
「毎度損を分かっていながら、あのお方は私の所へいらっしゃるのです。それはもう、酒を飲まされた鴎のように。いなくなったかと思えば、またふらりふらりと私のところへ……こんな私がいるところです。二度と来たくは無いはずなのですが」
「なに、あやつも遊びでやってる訳ではなかろうて」
肩をすくめる陽炎に、不知火は少しだけ眉を顰めた。
「それに、あやつくらいの寡黙ならば、不知火も苦手ではなかろう? なに、いずれ彼もそなたに惚れるであろうに。悪い男ではないと思うぞ?」
「からかうのは止してくださいませ」
ぴしゃりと打ちとめたその言葉は、きゃっきゃっとした喧噪をどこか遠いものに感じさせた。
「妾は陰でございますれば」
そうして、不知火が自らの頭の上に載った兎の耳へと手をかける。はりぼてのように軽いそれはいとも簡単に外れてしまい、そこで隠し留めてあった艶やかな黒髪を宙へ躍らせた。
かかる前髪を翻し、紅の双眸を覗かせる。袖に隠してあった紐を後ろの髪で結うと、尾のような黒い束が、彼女の首に合わせて揺れた。
「こうして……しまえば、誰だか分からぬでしょう。不知火のことなど、誰も覚えていないのですから」
赤い瞳を持った、見知らぬ長い髪の少女は、そう静かに呟いた。
「この愚妹めが。どのような姿であっても、そなたは吾輩の自慢の妹。不知火に他ならぬ」
「……姉さまは、そうでしょう」
それは艦の記憶でもあるし、駒と素体としての関係でもある。陽炎の二番目の妹は不知火であるし、不知火の唯一の姉も陽炎以外に在り得なかった。
「けれどあの人には分からぬはずです。こうして姿かたちをすげ替えてしまえば、分からぬ存在だというのに……妾はそれまでの存在なのに……、どう、して」
その時だった。
こんこん、と軽く戸を叩く音が、不知火と陽炎の耳へ流れ込んでくる。会話の流れを遮られた二人は、しかし不思議そうな視線を扉の向こうへ向けた。
そして、聞こえてくるのは
「俺だ」
「…………は?」
いくらか沈んだ声の、指揮官の声であった。
「指揮官? 指揮官だ」
「その声は……磯風か。となると遠征班は全員いるな? 今入っても大丈夫か」
「ええと……陽炎姉さま、いいでしょうか?」
「うむ、よいぞ」
「いけません。今はいけませんよ。ええ。いけません。入って来てはだめでしょう」
自分でも驚くほどに声を荒げながら、不知火が立ち上がる。そのまますごすごと妹たちの間を抜けてドアの前へ立つと、その取っ手を押さえつけながら扉の向こうへと語り掛けた。
「そもそもあなたはどうして女子寮にいらっしゃるのですか。やはりあなたは大うつけでございますね。そこまでして憲兵に連れていかれたいのなら止めることはしませんが」
「差し入れのコーラを持ってきた。菓子ばかりでは喉が渇くだろう」
「それはありがたいことですが、それならば部屋の前に置いてしまえばよろしいでしょう」
「……いつもこういった事が出来ないんだ。たまには顔を合わせて返そうと思ったんだが……」
「うむ、良いぞ。入ってくると良い」
「か、陽炎姉さまっ」
思わず扉から手を離し、不知火が後ろの陽炎へと声を荒げる。奥の方で座っている陽炎は、とても面白そうな、また何か新しいおもちゃを見つけたような、悪戯めいた笑みを浮かべていた。
かちゃ、と扉の開く音がする。
「…………」
「…………」
いつもより不知火は静かで、けれどその頬は赤く染まっていた。
「不知火か」
「…………ああ、やはりお入りになられたのですね。まったく、年頃の女子の部屋に強引に入ってしまうとは……やはり指揮官さまはつける薬もない大うつ」
「お前、雰囲気変わったな。綺麗だぞ」
「――――」
ぽかん、と。
言葉を遮られたまま、不知火は口を開けて固まっていた。
「……ああ、そうだ。これ、コーラだ。ちゃんとみんなの分ある。分けて飲むんだぞ」
「わぁ……指揮官さま、ありがとうございます」
「ふん、来るのが遅いのだ! 雪風さまのこと、忘れてたんじゃないだろうな?」
「悪かったよ。でも忘れるわけないだろ」
「指揮官さまー、磯風コーラの瓶開けれないよー」
「磯風、あなたねえ……」
「いや、いい。持ってきたのは俺だからな。浦風のも貸してみろ」
妹たちの喧噪は既に不知火の耳には入っていなかった。ただ彼女を満たしているのは、どうしてそのような言葉が出てくるのかという疑問と、今すぐ海の真ん中へ逃げ出したいほどの羞恥であった。
やがて、ふるふると体を小刻みに震わせながら、不知火が後ろを振り向く。
「ほら、不知火の分もあるから」
「…………貴重な資源を妾に使うなんて。明石へ相談しに行きましょうか」
「俺は直すところなんてどこにもない。それにな、こういう時は素直に取っておくといい」
小さな手に冷たいコーラの瓶を握らせて、指揮官が不知火の横を抜ける。彼女の赤い二つの瞳は、その横顔を映し続けていた。
ふと、彼の動きが扉の前で止まる。
「不知火」
「いかが、いたしましたか」
「……その、もし良かったらで、いいんだが」
少し恥ずかしそうにして、指揮官が頬を掻きながら。
「また、その姿を見れたら、嬉しく思う」
それだけ残して、かちゃ、とドアを閉める音がした。
後に残っているのは、指揮官が入ってくる時と変わらないわちゃわちゃとした騒ぎ声。けれど不知火がその場から動く事は無く、業を煮やした陽炎は溜め息を吐いて、彼女の側へと歩み寄った。
ぽー、と心あらず、と言った様子の愚妹に、一つ。
「すけべ」
「なっ、何を……すけべはあちらの方でございましょう。こんな少女体型に興奮しながら、あんな逢引のような誘いを持ちかけるなど……不埒の極でございます。やはりあのお方は救いようもない大うつけ。いずれ檻の中で一生を暮らすことになりましょう」
「だがぬいよ。そなた満更でもなかったろう」
「うぐ……」
にやにやと笑う陽炎に何も言い返せず、不知火が紅潮した頬を隠すように顔を背ける。
胸の高鳴りは、しばらく止むことはなさそうだった。
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