その日、ミハルはマトイを連れて市街地を目的もなく歩いていた。
ここのところ、ミハルは18連勤、マトイは15連勤で、誰の目から見ても二人の疲労は明らかであった。アフィンやイオから「あの二人をちゃんと休ませてくれ」という要望が入っていたことも合わさって、ようやく実現した休日だ。
シエラから言い渡された休日は3日。初日の昨日は二人揃ってほとんど寝て過ごした。寝て、トイレにいって、寝て、食事をして、寝て、トイレにいって、寝て、風呂に入って、寝た。
そしてようやく今朝、過眠でやや強張る全身を伸ばしながら、どちらからというわけでもなく会いに向かうと、その道中で鉢合わせし、せっかくだから出掛けようと言って今に至る。
「マトイは昨日何してたの? ボクはほとんど寝て一日が終わったよ」
「じゃあ同じだね。わたしも、昨日はほとんどそんな感じだったよ。むしろ起きてたのが3時間くらい」
「ボクなんて2時間だよ。ごはんもお昼しか食べなかったし。やっぱり18連勤とかするもんじゃないよね」
とはいえ、どれだけ多忙だとしても、それは誰に強いられたわけでもなく自分が受けた
もちろん、ミハルとマトイもせいぜい10連勤くらいで留めるつもりであった。それ以上は、自分たちのコンディションに影響が出ることがわかっていたからだ。が、よりにもよってその10日目に緊急の呼び出しを受けたせいで、マトイは5日、ミハルは8日間に亘って対応に追われたのである。
シエラ曰く「途中で何度も休暇を挿むよう要請した」とのことだが、任務そのものが急を要するものであったことと、機密性・対応力の両方の面から
「さて、そろそろ歩き疲れたし、どこか喫茶店にでも入って腰を落ち着けようか」
「そうだね。わたしもちょっと疲れちゃった。甘いもの食べたいね」
近くの喫茶店を軽く見繕って、雰囲気のよさそうなところを一件みつけると、お互い特にこだわりもなく「じゃあここにしようか」とその喫茶店へ向かった。
入ってみると、客はそこまで多くなく、かといって閑散としておらず、店内に響く音楽も相俟って、落ち着きのある雰囲気が二人にとっては有り難かった。注文を済ませて談笑に耽っていると、ふとマトイが思いついたように問いかける。
「ミハル、今日がなんの日か覚えてる?」
「今日……? マトイと初めて会ったのは12年前の7/13だし、再会したのが3年前の2/20……マトイがアークスに入隊したのはその翌年の1/7だし……」
「すごい! わたしとの想い出、ちゃんと全部覚えててくれたんだ!」
「もちろん。もしマトイがまた記憶喪失になっても、ちゃんとボクが覚えてるからね」
「そんなに何度も記憶喪失になったりしないよ!?」
頼んでいたココアとコーヒーが届き、お互いにひとまず一服すると、改めてミハルは「
となると、ルーサーの支配から脱却した翌日。つまり知り合いのアークス全員で打ち上げパーティーをした日がそうだった気がするが、打ち上げパーティーなど3年も引っ張って祝うネタではない。
「……ダメだ、わかんない」
「うーん……ミハルはわたしのことはたくさん知っててくれるのに、自分のことはあんまりわかってないなぁ」
「ボクのこと……? うーん……誕生日はもうちょっと先だし、アークスに入隊した日でもないしなぁ」
「正解は「ミハルが初めてわたしのマイルームに遊びに来た日」でしたー!」
あー……という気の抜けた返事を返すミハル。しかしそういう返事になってしまうのも致し方ない。なぜなら彼がマトイのマイルームに初めて入ったのは3年前の今日。遊びにいったというより、前述の打ち上げパーティーでいつの間にかアルコールの類を飲まされてフラフラになっていたところを送り届けた、というのが正しい。
しかも、その日を境にマトイは休日が重なる度にミハルを部屋に招いているので、この3年間――とはいっても、内2年はコールドスリープしていたわけだが、少なくとも両手両足では足りないくらいには、マトイのマイルームには赴いているし、マトイを自分のマイルームに招いてもいる。
何度かお互いの部屋を出入りしているところをアフィンやパティエンティアの姉の方に見られては、気まずそうな表情であったり面白いものを見たという顔で走り去っていく彼らを必死で止めて事情を説明したりもしたが、少なくとも今のところお互いに清い関係を保っている。
「むしろマトイがよく覚えてたね。初めて行った日って、マトイ酔い潰れてたから忘れてると思ってたよ」
「ミハルがわたしのことを覚えててくれてるように、わたしだってミハルとの思い出を忘れたりしないよ。それに、あんなにフラフラだったのに不安じゃなかったのは、わたしを部屋に運んでくれたのがミハルだったからだよ」
「そうかな。アフィンとかゼノさんだったらどうしたの?」
「うーん……二人には悪いけど、びっくりして転んじゃってたと思う」
ならボクでよかったのかな、胸をなでおろし、コーヒーを一口含む。
もしも、とは言ったものの、あの時マトイを運ぶと言ったゼノを制止して、代わりに連れて行くと言ったのは他でもないミハル自身だ。それはマトイを他の男に触らせたくないという独占欲のようなもので、決して褒められるようなものではなかった。
マトイの部屋を見ることができたのは、後から気付いた役得であった。少なくとも、彼女を連れて行くと言ったその時は、彼女の部屋のことまでは考えておらず、結果的に「立候補してよかった」と安堵することになった。
とはいえ、その日からしばらくゼノからはからかわれたし、あの打ち上げに参加していた女性アークスの面々からはコソコソと噂された。その噂がマトイの耳に入らなかったことだけが幸いだったと言えよう。
「あの後、いろんな人から「ミハルとあの後なにがあったの?」って聞かれて大変だったよ」
前言撤回。耳に入っていたようだ。
「なにが、って言われても、何もなかったんだけどね」
「…………」
「……えっ? ねぇミハル、こっち見てよ。えっ、別に何もなかったよね? ねぇってば!」
「……いや、その……うん……」
気まずそうに視線を逸らす彼の頬が少し赤く染まっているのを見て、マトイは慌てて問い詰めるが、ミハルは何も言わない。
実はあの日、マトイを部屋に運んだ後、部屋に戻ろうとした彼の手をマトイが離さず、しばらくベッドの横で彼女の寝顔を見ながら手の力が抜けるのを待っていると、思いっきり引き寄せられてベッドに連れ込まれるという事件があったりした。
一時間ほどの葛藤と抵抗の末、なんとかベッドから抜け出してマトイのマイルームを後にしたが、その翌日にサラから「あなたからお姉ちゃんの匂いがする……」と言われて死ぬほど焦ったというオマケつきだ。
ちなみにサラには事情を説明して口封じした上で、二時間に及ぶ説教をいただくことになったが、それでマトイの耳に入らないなら安い代償だとミハルは甘んじて受けいれたという。
「ミハル、わたし何したの!? お願いだから教えて!」
「いや……あれは事故だから。うん、気にしなくていいよ……。むしろボクがごめんって言うべきだと思うし……」
「何を!? 何に対して謝られてるかわからないよ! 教えてよミハル!」
「……怒らない?」
怒らないから! と断言するマトイに折れ、渋々といった様子でその時の出来事を話すと、今度はミハルではなくマトイの方が耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
仕方ないといえば仕方ない。いくら酔っていて、なおかつ寝ぼけていたとはいえ、男性を部屋に引き留めてあまつさえベッドに引きずり込んだとなれば、女子としてあまりにも慎みがないと言わざるをえない。
大丈夫だから、というミハルのフォローもまったく大丈夫ではなく、もはや声にならない悲鳴をあげながらテーブルに突っ伏してしまう。
「大丈夫だよ、あれは仕方ないことだったんだ! マトイが誰にでもああいうことする子じゃないってことはちゃんと知ってるし、たまたま意識が朧げで甘えたくなってただけなんだよね! お酒のせいだよ! マトイのせいじゃないから!」
「うぅ……! もうお嫁にいけない……!」
「大丈夫だってば! もしそうなったらボクが責任もってマトイをお嫁さんにもらうから!」
「本当に? ちゃんともらってくれる?」
もちろんだよ、と言い切ったものの、ミハルはこの時、この会話はここだけのものだと思っていた。マトイが望むのならそうなりたいとは思っているが、それはもっと先の話で、今はただ彼女を安心させられればいい、そう考えていた。
まさか、二人よりも先に、この喫茶店にパティエンティアの二人が入ってきていて、後から来たミハルとマトイの会話をずっと録音しながら様子を窺っていたなどとは露ほども知らずに。
「約束だよ、ミハル」
「うん、約束しよう、マトイ」
こうして二人の知らぬ間に、恐ろしい勢いで外堀が埋まっていくのだった。