もっと頑張らなきゃいけないと思いました。
俺は遥か彼方を見据え、ゆっくりと前進する。
変身してから、既に10数秒は経過しているが、これが解除される気配は見えない。しかし、時間が経過するごとに、段々脳が冷めていく感覚は然として存在し続けている。
それに、変身後、脳の奥の方、丁度この体の天辺辺りに、奇妙な疼痛が顕現されているのだ。それも脳の鋭敏化同様、時間経過で膨張を続けている。
この膨張が続き、許容限界に達するようなことになれば、「俺」はどうなってしまうのだろう。そんな不安がちらりと脳裏をよぎるが、それを打ち消すように俺は頭を振ると、超人的な身体能力のお陰で既に数メートルほどまで間合いを詰めていた眼前の妖怪に視線を向ける。
妖怪はまだピクピクと痙攣していたが、どうやら動くことはできないらしい。終わりだ。眼前の「生命」はものの数分で消失するのだと、客観的に見ても悟ることができる。
俺はその胸に拳を据えると、有らん限りの力を込めて殴り抜いた。拳はそいつの胸を貫通し、背後へと抜ける。
液体にーー否、スライムに手を突っ込んだ時のような感覚が腕に広がり、そして、数秒でその感覚が消えた。妖怪が霧散しているからだ。それは儚く、あっけない、「命の消失」だった。
俺はそれを見届けてから、ベルトに刺さっているボトルを引き抜いた。光の粒が宙に舞い、変身が解除される。
奴を殴ったとき、俺の腕は黒かった。もしかしたら、このベルトによって顕現された鎧は黒いのかもしれないーーなんて他愛のない思考を瞬かせつつ、再び来た道を引き返す。
元の場所まで戻るのには数分を要した。
元の場所には、不思議なことに足の傷が再生した魔理沙が立っており、こちらに好奇心を内包した視線を送ってきていた。
「お、オイ、あの力は何だーー?」
「このベルトの力だと思うけど、なぁ。そこの所は俺にもさっぱりで...」
そう言いつつ、地面に放り投げていたバックを拾い上げると、先ずポケットに入れていたボトルをしまい、丁寧にベルトを外してそれもバックへ押し込む。
「とにかく、早くその人の所へ行こうよ。この霧、浴びてたら危険なんだろ?」
「ん...そうだな。じゃ、改めてーー後ろに乗ってくれ。この箒の」
言いつつ、彼女は箒にまたがった。俺もそれに続いて箒に乗ろうとした瞬間、重要なことに気がついてしまう。
「あ、あのさ。そう言えば、空中だと何も支えがないけど、俺はどうすればいいんだ?」
バイクとかだと、ライダーの腰に手を回したりするけどさーー。彼女はその言葉を受け、少し考え込んでいたようだが、やがて、何かを察したようで、ひどく赤面した。
「わ、私は魔法でバランス取れるけどーー君は取れないわけだよな...」
腰に手を回させるしかないのか...と小声で言ったのを俺は耳ざとく聞き取ってしまった。
「俺、歩こうか? どれだけ距離があるか知らないけどさーー」
「いや、かなり遠いからーーええい、ここで迷ってたら時間の無駄だ。いいよ、わ、私の腰に手を回してーー」
そう言われても心の準備とかいやそもそもそんな経験ないわけだしーーと高速で流れる逃避の思考を振り払い、俺はおずおずと魔理沙の腰へと手を回し、体勢を作った。
「さて、飛ばすぜっ!」
そんな威勢のいいーーどこか吹っ切れたようなーー声とともに、箒は超高速で飛翔した。
飛行すること数分。ふと、魔理沙が懐疑の内包された声を出した。
「どうしたんだ?」
「だ、ダメだ。森を抜けられないーー」
森を抜けられない。俺はその言葉の意味を理解できなかった。
「どういうこと?」
「いや、ここから30センチ前に動けば、森から出られるーー筈なんだけどさ」
彼女はそう言い、箒に僅かな推力を発生させ、森から抜けようと前進した。
しかし、ある一定の距離進んだ瞬間、辺りの霧が刹那的に濃くなったかと思うと、さっきと同じ位置ーー森の中へと引き戻されてしまう。
「あ、あれ?」
この声を出したのは俺だ。ほぼ無意識だった。
「なんだこれーー? 結界か何かか...?」
そう言うと、彼女は箒を繰り、地面へと降り立った。俺もそれに続き、箒から降りる。
彼女は箒から降りると、ゆっくりと歩き出した。さっきと同じ方向へ向かって。そうして30センチほど歩いたところで、彼女は動画の遡行スキップのように、森の出口から30センチ後方へと引き戻される。
それに対し、魔理沙はうんざりしたように唸ると、今度は出口に向かって全力で駆け出した。
しかし、結果は同じだ。また引き戻されてしまう。
そこで俺は、地面に落ちていた小石を拾い上げ、それを出口に向かって投げつけた。
その小石は糸を引くように真っ直ぐ出口へと向かいーーそして、ある一定の地点でかき消え、俺の頬の真横へと顕現された。現在の小石の位置と、出口の位置までの距離は、目測約30センチ。
ーー間違いない。この森は「世界」から何らかの手段で分断されてしまっている。
普段なら、そんなことあり得ない、と一蹴してしまうような事象だ。しかし、彼女は言っていたではないか。ここは非常識の世界なのだと。
あり得ないなどということはあり得ないのだ。この世界に於いて。
霧はますます深みを増して、俺たち二人を覆い隠す。まだ高い日は、未だ深い霧の中ーー。それはさながら、芒洋たる悪意に隠された、件の真実のようであった。