結論から言おう。その一撃で、妖怪は砕け散った。一瞬だった。冷酷な「死」のイメージが奴に上書きされ、漆黒の霧となって宙に舞ったのは。
「ふぅ...あいつは光の耐性がないようだ」
言いつつ、魔理沙は八卦炉を下に降ろした。そこから、ポケットに左手を突っ込み、何枚かカードを取り出すと、それを片手で弄び始める。
「今の音で、他の妖怪が集まってこないか?」
ふと、俺は気になっていたその疑問を投げ掛けてみた。実際、ここで立ち止まるのは危ないのではないか。そう思ったのだ。
「そうだ。だから「これ」を使うんだよ」
そう言うと、魔理沙は取り出していた二枚のカードのうち一枚を俺の胸に貼り付け、もう一枚を自分の右手の甲に張り付ける。
「ええと、これは?」
「探索用のとっておきだ。ああいう妖怪を一匹ずつ対処するのは想像以上に骨が折れそうだったからな」
そう言いつつ、彼女は何やら呪文のようなものを唱え始める。俺と魔理沙が出会った直後の戦闘で使っていた、不明瞭な日本語による詠唱だった。
この詠唱は恐らく、魔術現象を、「言霊」を用いることによって引き起こすためのものだろう。
こういう思考は現実的ではないが、この世界に「現実」が介在するかどうかは怪しいところだ。だから神憑りな考察をまかり通すとして、とにかく、この詠唱は「言霊」だろうと俺は思う。
「言霊」とは、言葉には霊が宿るという思想の一つである。難しいので砕いた言い方をすると、言ったことは回り回って本当になる、ということだ。
それを魔理沙は魔術的な現象のための媒体としているのだろう。不明瞭な発音は、恐らく、相手に魔術の形式を悟らせないためだ。「言霊」は、魔術の知識に乏しい人間でも解読できてしまう。
俺がそんなことを考えているうちに、どうやら術式は完成したようだ。ずっと感じていた生暖かい感覚が急に消滅し、体が半透明になる。
「これは一定時間、世界に影響できなくなる魔術だ。現実を体感することはできるが、干渉することはできないという隠匿用の魔術。今、何かを攻撃しても無駄だぜ。現実の「そいつ」は傷一つ負わない」
俺はそれを聞き取ると、真横にあった樹を徐に蹴り付けた。しかし、樹はびくともしないどころか、音すら響かせない。
「成る程」
「じゃ、行こうぜ。森の奥」
歩くこと1時間。香霖堂のあった地点と比較すれば大分霧が濃くなっていることが分かる地点まで差し掛かった所で、ふと、前方に何かを捕捉したらしい魔理沙が立ち止まった。何やら切迫した表情をしている。
彼女は視界を確保するための魔法を使うことができるようだ。俺にはかけられないようだが。
「ど、どうしたんだ」
「前。集落がある...」
軋るように発音された魔理沙の言葉に、俺は固まってしまう。
こんな森の奥に、しかも、遅行性かつ毒性の霧が蔓延する土地に、集落がある、だと?
普通じゃない。十中八九、妖怪の集落だ。人間の住む所じゃないのだから、ここは。
「どうする、潜入するか?」
「ここまで来て手ぶらで帰ることはしたくないーー。できる範囲で情報収集をしよう」
そう言うと、魔理沙は小走りになってその「集落」とやらに向かっていく。俺もそれに続くが、彼女は見た目に反して身体能力があるのか、追随するのがやっとであった。並走することはできない。
「集落自体はあんま大したことない広さだな、ただーー奥に巨大な建物がある。どうやら邸らしいな、あれは」
「邸、か」
邸は自身の権威を外に露呈させることで不安感を消滅、もしくは減殺するための施設だ。無駄に広い家は逆に実用性がなく、住み心地が良いとは言えない。そのことを誰しも本能的に理解しているために、邸を見た人間は、憧憬よりも畏怖が先立つという。
あの館の主は恐らく、『深淵に棲むもの』を産み出している者なのだ。そいつは一体、どんな不安があるというのかーー?
決まっている。『深淵に棲むもの』を使った自分の悪行を糾弾され、打ち止めにされることに対するものだ。
俺たちは数秒で集落の入り口にたどり着くと、そこに居た、門番らしき『深淵に棲むもの』の真横をすり抜け、集落へと入る。
この、「世界に影響しなくなる魔法」は、世界に影響できなくなる。そう。「姿」を誰かが視認することも影響という区切りに入るのだから、当然、俺たちは姿を見られることもない。
そのまま閑散とした雰囲気の集落を抜け、邸へと急ぐ。
邸にたどり着くのには数十秒を要した。思ったよりも集落の幅があったためだ。
「さて、入ろうかーー?」
「そうだな。まだこの魔法は続く。尤も、私の意識が続く限りこれが解けることはないんだけどな」
俺たちはまた見張りらしき妖怪の横を通り抜け、邸へと足を踏み入れる。
そして、そこで認識する。
通路の向こうから、『深淵に棲むもの』が向かってくることを。そいつはさっきまで戦ってきた奴とは造形が違い、より人間らしいフォルムをしていた。足が二本あり、腕が二本あり、掌がある。しかし、全身を悉く覆う深淵だけは剥落しようとしない。
やはり、どこまでいっても妖怪なのだ。
本来なら俺たちは見つからない。出会って一日と経っていないのにこういうのは軽薄かもしれないが、俺は魔理沙の腕を信頼していた。
だからこそだろうか。俺は、否、俺たちは見誤ってしまった。
次の瞬間。その通路の向こうから向かってきていた妖怪二匹とすれ違う刹那の一瞬、片方の妖怪が動いた。轟速、という形容が似合う速度で拳を打ち込んできたのだ。俺はそれをまともに受け、要塞の壁に当たって痛みにあえぐ。
攻撃が命中したのは右脇腹。別にそこが弱いわけではないが、全力の右ストレートは泣くかと思うくらいに痛かった。
しかし、いつまでも痛みにうちひしがれている場合ではない、と己を叱咤し、俺は立ち上がりつつ、ポケットからボトルを二本取り出した。ベルトは既に装備済みだ。ボトルさえ挿入すれば、変身することができる。
次の瞬間、俺は大きく飛び退きつつ、胸のカードを取り払った。今必要なのは逃げるための手段ではなく、戦うための力だ。これはたった今をもって必要のないものとなった。
ボトルを握る手に力が篭る。無くなっていた体感が復活する。
刹那。勢い良くボトルを挿入されたベルトは、『