青年と少女がふたり、蔦が絡む東屋で雨宿りをしている。
「吾の時代には斯様な驟雨に出くわしたことなど無かったのだがな」
「酷いゲリラ豪雨だ」
むっすりとした表情の少女が頬を膨らませ、雨に濡れた金の髪をハンドタオルで撫でる。分厚い雨雲から暗い日差しを受け、艶やかな金糸が薄く水色を湛えている。
「すぐそばに東屋が見つかったから良かったものの……次からは晴れておっても傘を持って出かけねばな」
少年がふやけた紙箱からケーキを取り出す。中身の無事を確認し、小さく息をついた。
「しばらく止みそうにないし、おやつにしちゃおう」
木机に置かれたふたつのケーキ。ふたつのフォーク。ふむ、と小さく眉を跳ね上げた少女が、興味深げに少年とケーキを見つめる。
「汝は『家まで我慢しろ』などと言うものだと思っていたが……気に入った。存分に喰ろうてやろうではないか!」
「はいはい、手拭いてからね」
自販機で買った缶コーヒーを開け、青年が笑う。
夜明けに似た薄暗さが、周囲に満ちていた。アスファルトを忙しなく叩く雨粒は、未だ止む気配も無く。遠雷が鼓膜を撫で、濡れる道路を走る車がエンジンとタイヤの音を引き摺っていった。やがて晩夏の空気が冷え、少しだけ肌寒さを感じた。
「これもまた、夏の風物詩というやつよ」
「茨木はこういうの好き?」
「然り」
「ふーん」
「汝も好きであろう?」
「そうだけどさ」
「着物が濡れるのは勘弁願いたいがな」
茨木が小さく笑い、着物の袖を握る。どうやらお互い、根っこのどこかに子供のような何かがあるらしい。未だに大雨に遭うと気分が高揚してしまう。雨垂れの音はどこか懐かしく、頬に跳ねる水滴が冷たさを伴い、古木の香りを運んでくる。暗い雲は未だ、体積を保ったまま天蓋に貼り付いている。
「カルデアのみんなは元気でやってるかな」
「心配するだけ無駄というものよ。彼奴等を束ねておった汝が一番良く知っておるだろう」
「それもそうか」
「どうしたのだ急に?ほおむしっく、とやらにでもなったか?」
「ちょっとエミヤのごはんが恋しくなってきたかも」
「む、吾の手料理では不満か?母上に教わった完璧な献立だぞ?」
「いや全然不満は無いけど。不満は無いけど、やっぱみんなで食べた味だからさ」
「それもそうだな……まぁ良い。この休暇が終わるまでの間、吾無くして生活ができぬようにしてやろう」
くっくっくっと笑い、謎の決意を見せる茨木。今晩の当番が自分ということを思い出し、青年はため息を吐く。
甘いケーキを崩しながら、とりとめのない話を続ける。散歩中に立ち寄った公園で名も知らぬ子供たちと遊んだこと、数年ぶりに会った友人たちが相変わらず元気だったこと、人理の異変が起きる前とも変わらぬ街並みがあったこと、見たこともない街並みを楽しんだこと、ふたりで一緒に見た夜空が綺麗だったこと。ここまで話を続け、ふと、不安になる。
「茨木はさ、今、楽しい?」
「ふむ?」
「俺に付き合わせて酒呑たちとも離れ離れになっちゃったし……」
「…………。」
「茨木?」
「ほれ」
問いかけには応えず、茨木が微笑みを浮かべ、フォークに突き刺された苺を差し出している。
「え?」
「目を閉じ口を開けよ。鬼に果実を食べさせてもらう僥倖など、そうそう無いぞ?」
いつもと様子の違う笑みを浮かべる茨木に一瞬戸惑い、
「んじゃ、お言葉に甘えて」
目蓋を下ろし、口を開く。雨音に混じり、深呼吸が聞こえた。瞬間、唇に柔らかさ。続いて苺の甘味と酸味。歯列を縫って襲い来る柔らかな舌。押し込まれる果肉。思いもよらない接吻に目を白黒させていると、顔を離した茨木が口を開く。
「吾はだな、吾は。汝の隣ならば、いつ何時であろうとも楽しく過ごせる。そう確信しておる」
薄桃に上気した頬を綻ばせ、茨木が言ってのける。
「酒呑が居れば更に楽しいに決まっているが、吾は今の汝でも満足しておる。これからも面白可笑しく過ごせるとわかっておる。酒を呑まぬのが玉に瑕だがな」
金の鬼がからからと笑う。青年は茹で上がった顔を隠すように頭を伏せることしかできなかった。
雨が止む。引き裂かれた雲の隙間から陽光が差し込み、地面を照らす。温められた水たまりから熱気が込み上げ、蝉が再び鳴き始めた。
「さて、そろそろ帰ろうではないか」
「ああ……」
ゴミを片付け、椅子から立ち上がる。金色の光に照らされた金色の少女の横顔が、温かさをもって眩しく見えた。
「ん」
差し出された手は鬼種のもの。肌は朱く、爪は鋭く。自分のそれとは明らかに違う、人類の敵対者の手のひら。それを青年は、一瞬の躊躇いもなく握り返した。
「帰ろっか」
「うむ」
繋いだ手の暖かさを感じながらふたりは帰路に着く。傾いた陽が、彼らの影を後ろへ長く伸ばしていた。