極大の光が網膜を焼く。
「……良かった。これなら何とかなりそうです、マスター」
光を目前に押し留める、大切な後輩の背中が見えた。
「わたしは、守られてばかりだったから───」
人理の炎は膨大な熱量を湛えている。主を守護する大盾は揺るぎなく。されど、彼女の肉体はあまりに脆く。
「最後に一度ぐらいは、先輩のお役に、立ちたかった」
視界を塗り潰す光が次第に弱くなり、消えた。そこにあったのはマスターを護り切った白亜の盾。ただそれだけだった。大切な後輩の姿は何処にも無い。
「───マシュ」
いつもそばに聞く、だがしかし、酷く悲痛な声が響いた。
▽
───土砂降りの中、山を駆ける。泥を踏みしめ朽木を踏み砕き崖を滑り降り、ひたすらに逃げていた。奥歯を砕かんばかりに噛み締めながら、骨刀の柄を断たんばかりに握りしめながら。
どれだけ走ったかわからない。憎くて、怖くて、悲しくて。ただ生き延びるために走っていた。
大樹の洞に身を休めても押し寄せる激情は止まず、独りでわんわんと泣いた。母上に仕立ててもらった大切な着物は泥に塗れ裾は破け、武者に貰った刀傷が酷く痛む。同胞の死を目前にしても逃げ出すことしかできなかった我が身が酷く恨めしい。雨垂れに混じり、涙がぼたぼたと零れ落ちる。目蓋を固く閉じ、胴体からずれ落ちた義兄弟の微笑みを思い出した。
「酒呑」
いつもそばに聞く、だがしかし、酷く悲痛な声が響いた。
▽
「立香よ、起きておるか」
入るぞ、と一言。返事も待たずひたひたと朱い素足を運ぶ。ぽすん、と軽い音とともに、少女が寝台へ腰掛けた。
「どうしたのさ急に。まだ夜の2時だぞ?」
「汝こそ何故起きておる? さては汝も嫌な夢を見たか?」
「『も』?」
聞き返せば茨木は顔を引きつらせ黙ってしまった。どうやら彼女も夢を見ていたらしい。シャドウボーダーに備え付けられた発電機で現界を維持している以上、カルデアにいた頃のように半受肉状態として夢を見るのだ。
「……まあな」
引き結ばれた唇から、苦々しい返事が零れ落ちた。
まだ温かさの残る寝台に並んで腰掛ける。片方は鬼で、片方は人間で。片方は過去の影法師で、片方は今を生きる生命で。なんとも奇妙な取り合わせだった。
思案を巡らせているうちに、茨木が口を開く。
「汝の言う通り、吾は夢を見た」
彼女は語る。少女が主のために大盾を構える光景を、振り向いた彼女の笑顔を。振るう者も亡く、ただ大地に佇む雪花の盾を。今でもあの瞬間は鮮明に思い出せる。
「大切な同胞を最期まで護り切る、吾には為し得なかったことだ」
先程の夢は茨木の過去だったのだろう。刎ねられた酒呑の首が落ちる瞬間、彼女の唇が「早よう逃げ」と緩く動いていた。
「その分だと汝も見たようだな、吾の過去を」
彼女ら英霊たちの過去はあまりに大きく、重い。何と言葉を返したらいいのかわからず、硬直する。
「そうだ、吾は逃げた。酒呑の死を目前にしてな。憎くて、怖くて、悲しかった。吾は酒呑の手を握れなかった」
自嘲めいて言葉が落ちる。
「だが、吾と酒呑は死後に汝の下で再会を果たしておる。何の因果に依るものかわからぬが、汝とマシュもふたりとも生きて日々を戦っておる」
真剣な目でこちらを見据える茨木からは、ある種の憂懼を感じた。
「汝は今でも夢に見るのだろう、マシュを喪った瞬間を。いいや、それだけではないな。汝の中にある澱は、今までの旅路で守り切れなかった生命に対する後悔だ」
「……そうだね、マシュだけじゃない。あの時こうしていたら、あの時俺に力があったら、所長やロマニ、ダヴィンチちゃんや職員のみんなも死なずに済んだんじゃないかなって、そう思うんだ」
「吾にも似た後悔はある。最愛の酒呑だけでなく、武者共との戦に死んでいった同胞に対してもな」
「だがな、人は……ああいや、吾は鬼なのだが。全く、ここまで人に染まるとは……ともかく!吾らが生きていく上で取りこぼしは必ず生まれる、それも深刻な取りこぼしが。それはどうしようもないことだ。しかし、後悔を抱えたまま歩いていくしかない。吾はそう思うのだ」
「……ああ、そうだったね。前を向くことを忘れかけてたや」
澱んでいた心が少しだけ、軽くなったような気がした。少女の声には心を励起する、暖かなものがあった。歩みだけは止めてはいけないと、そう思った。
「わかったら背筋を伸ばして胸を張れ、正真正銘人類最後のマスター。我が物顔でこの星に踏ん反り返るうつけ共を蹴散らし、未来を取り戻すのだろう?」
茨木の表情がいつものニヤニヤした笑みに戻り、背中をバシバシと叩いてくる。
「勿論だ。連中と戦うことになったら茨木も手伝ってくれるか?」
「当たり前よ。マシュが汝の盾ならば、吾は汝の剣となろう。同胞を護り、敵を蹂躙するためならばこの大骨刀を喜んで振るおう、吾らの底力を異聞の侵略者共に見せつけてやろう」
そう宣言し、薄い胸を張る茨木。何とも頼もしい限りである。
「だから立香よ、心配するな。吾やマシュ、ホームズやダヴィンチ。そして数多の英霊が汝の肩を支えてやる。仲間が増えれば取りこぼしも多くはなるまいて」
「そのうち頼光さんや金時も戻って来るだろうしね」
「むぅ、牛女と金時は勘弁願いたいが……もしや綱まで来ることにはなるまいな? まぁ、来たら来たらで楽しめそうではあるがな」
いつもの調子に戻ってきたことを実感する。これぐらい気楽な方が俺たちには似合っている。
気付けば時計の針が午前3時を指していた。
「夜分遅くに邪魔したな、吾は戻るとしよう」
小さなあくびをひとつ、茨木が寝台から立ち上がる。
「茨木」
部屋を出ようとする少女に声をかけた。
「いつもありがとう」
「ま、真正面から言われるとなんだか小っ恥ずかしいものがあるな…… まあ良い、同胞を支えるのも首魁たる吾の役目よ」
ニッと笑顔を返し、金の鬼は自室へと戻っていった。ひとり減った部屋に残されたのは、わずかな酒気の混じる少女の残り香とふたり分の温もり、前を向いて歩み出す勇気だけだった。