失恋したから剣にて空を目指した男のラブコメ学園生活 作:神の筍
「どうして、猫屋敷さんにあそこまでするんです——かッ!」
「……っ——特に意味はない」
細身の白い腕。
しなやかな脚。
女性らしい腰付き。
その見た目からは到底思いつかない強烈な突きが沖田さんから繰り出される。
風を裂く音——それを知覚した瞬間にはすでに刀は引かれた状態にあり、追いかけようと床を踏み込むが重心の崩さぬ体勢のまま彼女との距離は十数メートルに離れてしまう。
思考する。
無闇に間合いに入ればこちらが蜂の巣になってしまう。
こと突きという攻撃は、武器の種類に依存せず威力を発揮する。たとえ丸い石であろうが、近接格闘を考えていない銃身であろうと突きに至っては相手を致命傷に至らしめんとするのだから末恐ろしい。
ならば、と。
今し方突きを逸らし、抜身のままとなった愛刀——『姫鶴一文字』を納刀する。
最速の突き。齢十五といえど、一〇〇年に匹敵するほど錬磨されたそれを完全に受け止め無傷にいられる保障は皆無。
腰を下げ、右肩を出すように居合をとる。
その姿は異様、一般的なものとは格別する。
あわや背中が見えるほどに肩を迫り出し、柄は握り込まずに掌は開き、親指の付け根に触れているだけだ。
袴着から足首が見えるほどに脚を縦に開き————彼女の瞬き、間隙。音を消し、そのままの姿で彼女へ迫る。
審判役で見ていた武蔵は二人に悟らせないように目を見張った。なぜなら、その移動法は数秒前に沖田さんが見せた、相手から距離をとった技術と同じものなのだから。重心を崩さず、袴着は脚の動きによって揺れず、地面と平行のままに移動する技術。相対してわかる厄介さはその距離感の測り難さ。見ている景色がほとんど変わらないために、脳の理解が付いてこないのだ。
「な……」
当人が動いているというよりは、景色が動いているあり得ない動き。
接敵まで〇秒以下、彼女は避ける選択を外し、己への被害を最小限に収めるため受けることを選択した。
一、
朝の鍛錬が終わった三人は、使用した体育館を軽く掃除して学園に向かっていた。
旧講堂等を抜け、池のほとりに出る。淵を沿うようにつづく道は大して舗装もされておらず、本当に昔使われていたのかと疑問に思ってしまう。入学前、学園長は風情や情緒に拘る人物であると聞いていたのでもしかすると軽い山道のようなここに何かを感じたのかもしれない。
「鴨だ」
「鴨ですね」
「鴨だな」
池に浮かぶ鴨が……十二羽。毛繕いをし、時折水中に頭を下げて何かを食べているようだ。小鴨が親鴨に追いつくべく必死に脚を動かしている姿は可愛らしく、自然と目尻が下がってしまう。
「そういえば、あと少しで梅雨の時期ですね」
「雨かー。嫌いじゃないけど、髪がべたつくから好きでもないんだよね」
「ですね。縁で庭を眺めてるぶんには良いんですけど、家は木造なんで湿気がすごいです」
「山のほうだったか。寝起きは辛いな……」
「ええ……なので起きたときはいつの間にか脱ぎ散らしてます……」
沖田さんは「たまに風邪を引くときも」と付け足すと項垂れた様子を見せた。
朝方に脱ぎ散らした沖田さんか……良い。
この前、適当な休日に出かけたとき、寝巻きの話になったのだが沖田さんは古くなった襦袢を寝巻き代わりにしていると言っていた。即ち、汗をかいてしまう季節、薄い襦袢は彼女の二房の、仰向けであるがゆえに形の歪めた柔らかい胸に押されて透けているに違いないのだ! 困ったときの神頼みというが、仮に襦袢になりたいと願えば叶えてくれるのか。
俺が襦袢になりたいと願い、叶えてくれない神様など存在していないに等しい。たとえ神様が存在していても、俺を襦袢に変えてくれない神様なら——神様だって切り刻んでみせる。
盛り上がった妄想、汚れた煩悩を流すかのように小鴨を眺める。きっとこの池は俺の煩悩まみれに違いない。
梅雨の話もほどほどに、ようやく池を抜けて歩道に出る。ここからは歩いて少しなので、駄弁りながらでも十分間に合う。もとより余裕を持って鍛錬も終わっているので、わざと遅く歩いて登校しているくらいだ。
普段はしょうもない会話を交わしながら歩く道のり、武蔵が口を開いた。
「それで剣心君や、なぜ猫屋敷さんをあそこまで目をかけているのかね」
やけに演技口調だ。
先ほど沖田さんにも聞かれた内容なため、同じように返す。
「特に意味はない、と言っただろう」
「本当かなぁ? たとえば顔が好みだったとか」
「む、たしかにそうですねぇ……猫屋敷さん、可愛らしい顔をしていますし」
悪戯っ子のような眼差しで武蔵の言葉に、沖田さんが乗ってくる。
これは面倒臭くなりそうだと思いながら、どうしたものかと考える。
「本当に理由はないんだが……」
顔は……可愛いだろう。それは同意しよう。
胸も——ある。あれは驚異的だ。
しかし、それくらいで何かを教えるほど、俺は他者に何かを教えることができる人間ではない。
日頃道場で過ごす沖田さんは、師範位を持っているがために門下生たちに技を教える。それが可能なのは彼女が昔から''教える''という行為を間近で見てきたからであり、また彼女もそれが当たり前だと思っているからであろう。しかし、俺の場合、武蔵も入るかもしれないが何かを教えることには向いていない。教えるという行為には何かを収めている必要があり、少なくとも俺の収めるという行為に''教える''行為は入っていなかったからだ。
何度も言葉を繰り返したが、要するに俺は流派という一般向けに開かれた門を潜ったわけではなく、師匠という無茶苦茶な人に首根っこを掴まれ、絶対開かない門をこじ開けるわけでもなく門の上を通るように投げ入れられたタイプなので教えるには向かないだけなのだ。
より簡単に言えば、生まれてすぐ崖に落とされた子ライオンである。
「……」
「……」
少し長く考えてしまったためか、人知れず黙認のように感じた二人がジト目でこちらを見ていた。
「…………が、我流と名乗ったからな……」
適当。
その場凌ぎ。
突発的。
怒涛の視線が俺を刺す。
「んん——それに、俺と似ていた。
彼女は、猫屋敷は何か新しいことを始めようとして、偶然剣術を見つけた。俺は沖田さんや武蔵みたいに生まれた頃から刀に囲まれて過ごすことが決まっていたわけじゃなかった」
こういうときにだけ達者になる口は本当に頼りになる。
「俺もそういう感覚で今の道にいるからな。やはり、似たような人を見れば手助けしたくなる」
どうだ——といった感じに視線を合わせる。
邪な気を感じたのか訝しげに見ていた二人は発していた妙な緊張感を緩めた。
「剣心くんの言う通り、猫屋敷さんはすごいです。まったくの素人でありながら、一所懸命について行こうとするその姿、私も見習わなければなりません」
「うん……私たちにとっては当たり前のことでも、やっぱり他人から見れば特異な目で見られることがある。彼女もそれを知りながら頑張れるなんて、強いよね」
……ふぅ。
「ああ。別に三年間でもかまわないから、最後まで続けてほしい」
「剣心くんがしっかり向き合えば、猫屋敷さんもそれに応えてくれるはずです」
「だね。頑張りなよ、剣心」
二人の声を受けて、俺は放課後のことを考える。今日は剣術部に向かう四日目だ。一日目に彼女を知り、二日目にスタートラインに立った。三日目には素振りを見せ、今日も教えるつもりだ。今週が終わってもたまに見に行こうとは思うが、毎日行けるわけではない。それに、自分の立場も理解しているので剣術部に足を運びすぎるのも良くない。
今週のうちに、基本の骨くらいは教えられれば良いと俺は思った。
ニ、
四日目。見慣れてきた道場の端に俺と猫屋敷の二人は立っていた。
互いに持っているのは小太刀の二本。猫屋敷が自ら振りやすいと選んだものである。素人がいきなり二本持つのも大丈夫なのかと思われるが、幼児がかっこいいと憧れて持ったわけじゃない。ある程度考えと、自身の動かせる身体にあわせて選んだのだと彼女を尊重したい。
「今日も素振りを行う。基本となる構えはとってもらったが、まずはその確認からしよう」
横並び、剣術部でもよく見る素振りの位置をとる。
膝を曲げ、脚幅は猫屋敷が動きやすいと言った幅。右小太刀は刀身が額に来るまで上げ、左小太刀は隙ができないように脚を囲う。
「行くぞ——壱」
「壱!」
「弐」
「弐!」
「参」
「参!」
肆、伍、陸と続いていく。
囲った左小太刀はそのままに、腰の位置を動かさぬように右小太刀を振り下ろす。鋒がおよそ水月のあたりを狙うのは、頭を打つときに油断なく昏倒できる力を入れられるようにするためだ。
こちらが平坦な声にもかかわらずやる気のある声を出してくれる猫屋敷は、横目で見ると真似るようにして素振りをしている。いくら中学でテニス部に所属していたとはいえ、腰を下げた体勢はしんどいのだが三十を超えてもへこたれる表情は見せない。仮に表に出にくいとしても、汗一つ流れるはずなので、やはり運動能力は高いようだ。
五〇に到達し、一度切り上げる。
少し肩で息をしている。
休憩を入れても良いが、事前に休憩は剣術部全体の休憩時間だけで良いと言われているのでそのまま継続する。よほど顔色が悪い場合は無理にでも休憩するつもりだ。
今度は振る速度を遅めにし、丁寧に形を削っていく。骨盤や肩の骨、余分な動きがあればすぐに訂正していくことに限る。
「構え」
「はい!」
「触るぞ」
「はい!」
猫屋敷は基本的な構えをとる。
首から肩に触れ、変な強張りがないか確認する。
肩が硬い。
「鋒を上へ」
「……」
……よし。
柔らかくなった。
肩が硬ければ、振り下ろす際の時間はそうでないときと比べてかなり変わる。もとより人間の関節は上に上げることに向いておらず、それだけで負担が掛かるのだ。付け加えて、肩は損傷しやすい箇所でもあるので他の部位より注視しなければならない。
「脚はどうだろう。踵が、側面が痛いとかはないか」
「痛みはありません。ただ、まだ慣れていないためか少ししんどいです」
「まあ、それは始めたばかりだからな。……よし、楽な姿勢で良いぞ」
ふむ。短い期間だが、我ながらマシにはなったのではないか。正直、最初は無闇に手を出すのはどうかと思ったがこの猫屋敷、存外呑み込みが早い。一を言えば二を飛ばし自分に合わせて三や四を考え、適応して行動に移すことができる。この分だとテニスもかなり良い成績だったに違いない。さすがの一週間、正確には四日で基本を作るのは不可能な気もしたが彼女の才能は俺の予想を凌駕してみせた。
半年も経てば、一芸特化の妙手くらいには届きうるのではないか……。
「あの、剣城さん……?」
彼女を透視でもするかのように見ていると、それに気付いた猫屋敷が声を上げた。
一言謝りを入れ、俺は次の鍛錬に入る。
「素振りはあのままで続けるんだ。あれを基本な形にするのならば、あの形が身体に悪影響を与えずに負担がかかる。何日も続けていれば、自然と必要な筋肉は付いていく」
「わかりました」
「ならば、次は足運びについて——」
構え、素振り、そして足運び。
戦いに向くための要素として一番大切な部分と言える。初めは難しいかもしれないが、彼女なら何とかできるだろうと思いながら説明に入るとき、いやに常人を越した俺の聴覚はその言葉を拾った。
「——じゃあ、折角だし私と戦ってみる? 口宮副主将」
声音の主は——武蔵。
俺の口も止まり、同時に周囲の音も無くなる。
一体なにがあったのかとそちらを向くと、いつものようににへらっと笑う武蔵と鳩が豆を食らったかのような顔をした剣術部副主将、口宮冬三郎がいた。
「え——お、俺と宮本が!?」
「うん。そう」
どうやら、別に喧嘩とかではないようだ。
いきなりの展開に口宮副主将も驚きの様子を隠せないでいる。てっきり武蔵がなにかをしたかと思ったが……いや、悪いやつでも嫌なやつでもはないこともわかっている……ただ、トラブルメイカーに属しているのは間違いない……。
「少し外す」
「うぇ、ええ……」
「もし剣術部で集合があれば、行ってもらってかまわない」
「わかりました」
さて、なにがあったのだろうか。
俺は武蔵のほうへ、ちょうど俺と武蔵の間くらいに立っていた山内主将の下へと向かった。
「一体何が?」
尋ねると、山内主将が話し始める。
「剣城様。実は——あちらの一年生勝草君と言うのですが、彼の流派が口宮副主将と同じでして」
「田宮神剣流ですか」
「ええ。田宮神剣流は主に居合術に力を入れているのですが、中には二刀流で名を馳せた武人もおられます。ですので、近年では二刀流を派生流派として生み出そうと動いており、あの勝草君の一族が田宮神剣流二刀において一代目開祖になる予定なのです」
ふむふむ。
「あそこで勝草君が二刀流の鍛錬をし、二刀流の経験がある口宮副主将が勝草君の動きを見ていたのですが……」
なるほど、何となくわかった。
ぶらぶらとしていた武蔵は二刀流がいたのでちょっとくらい口を出せるかなと思って口を出したのか。ただ、それくらいなら口宮副主将と試合する理由が……。
「実は……あちらの勝草君。口宮副主将を偶像崇拝するほどに慕っておりまして……」
「……」
ぐ、偶像崇拝……。
山内主将からとんでもない言葉が現れた。たしか妹の部屋にそんなジャンルがあった気がする。信仰系ヤンデレ同性愛者なのか……。
「あ、いえ。もちろん恋慕ではなく尊敬の意でございます。口宮副主将は田宮神剣流道場にて、積極的に後輩の支持をしていると聞きます。
まあ……それはそれでアリなのですが……」
たとえ小声で言おうが、胸の内は声に出さない方が良いものである。
それから山内主将に聞いたのは、口宮副主将に丁寧ではなくとも、できればこうした方が良いと話す武蔵で、それを聞く口宮副主将とその二人を見る勝草。口宮副主将に教えてもらっていたにもかかわらず武蔵が入ってきた状況に軽く憤慨した彼は、武蔵に向かって口宮副主将は「そんなこと言われなくともわかっている」と言ってしまい、それに目を丸くした武蔵はからからと笑って今に至る、というわけだ。
本当は恋慕じゃないのか……。
「武蔵」
名前を呼ぶと振り返った武蔵。
「本当にやるつもりか?」
「いやぁ、別にダメだったらダメで良いんだけど……やっぱり二刀を見ると、ね?」
なにが
果たして大丈夫なのだろうかと口宮副主将を見たとき、隣にいた山内主将が二人に向かって歩き始める。
「良いのではないでしょうか、口宮副主将。
お相手は帯刀許可者——国に実力を保障され、仕合うことを許された武士。こんな機会、並の人生ではあり得ないでしょう。
それを踏まえて考えなさい——口宮冬三郎」
「……主将」
これがカリスマ性、か。
この場の空気を支配し、一瞬で言葉が通る。剣術部の主将、どうやら単に剣の実力だけではないようだ。
「宮本様。大丈夫でしょうか?」
「うん、良いよ。それに、人形相手に剣を振るのも良いけどやっぱり強くなるには斬り合わないと!」
「口宮副主将」
「——やります。
やらせていただきます……!」
「では——」
ふむ、と腰に下げた真剣を触る。
その出番はずるいだろうと思いつつ、同情、心配をした。
帯刀許可者と、そうではない剣術家。
その差は一体何なのかと、ほんの先週考えた記憶が新しい。
「帯刀許可者様真剣術部。そして私たち剣術部、
——三本勝負といきましょう」
どうやら、山内理念という女性は思っていたより強かな人であったらしい。