野営地で急に意識を失った後、ンフィーレアは気がついた時にはどことも知れぬ場所でモモンと名乗る男と共にいた。
起きてすぐの時は流石にかなり混乱したが、それから数時間が経ち今では冷静に状況を把握出来るまでに落ち着いていた。
この数時間の間でモモンという男はンフィーレアを何かと質問攻めにしてきたが、やり取りを通してンフィーレアもモモンについて分かったことが幾つかあったのだ。
まずモモンは、顔と声から推測すると大人の男だ。
顔は光量が足りないために薄ぼんやりとしか見えないが二十代か三十代……、少なくとも十代の少年だったり、壮年に差し掛かった年齢ではないだろう。
野盗などという粗暴な行為をする割には物腰には荒々しさが感じられず、むしろ理性的な印象すら受けるが、その得体の知れなさが逆にこの男の不気味さを増していた。
そして何故か、やたらとンフィーレアに色々な質問をしてくる。
世間話のような体を装っているが、明らかにンフィーレアの回答に関心を持っていることが分かる。
その内容と言えばこの周辺の地理や王国について、そして魔法やモンスターのことなど多岐に渡るが、普通に生きていれば誰でも知っているような事柄でさえ興味深げな反応を返す。
かと言って全くの無知かと言えばそういう訳ではなく、魔法やモンスターについての知識量では恐らくンフィーレアを上回っている事を感じさせる。
そもそも第一位階魔法を複数使いこなせる時点で魔法詠唱者としてはンフィーレアよりも圧倒的に格上なのだ。
なのに何故単なる子供に過ぎない自分に今更魔法の知識などを質問してくるのか……。
経験豊富な者なら、これらの事柄を繋ぎ合わせてモモンの正体について考察が出来たかも知れないし、もしかしたら会話を続けるという行為自体が何らかの魔法や能力の発動条件となっているのではないかと警戒したかも知れないが、ンフィーレアはリィジーの教育を受けていることで同年代の子供と比べ知識量は多いとはいえ、思考力はまだ発展途上。
現在の彼にとってモモンは、ただただ得体の知れない謎の男という認識であり、質問に関しても男の機嫌を下手に損ねないように、自分やリィジー達に都合が悪くないものならば素直に答えていた。
ンフィーレアは話の流れの中で何度かモモンに関する質問もしてみる。
どこからやってきたのか、どうして自分達を狙ったのか、どこで魔法を学んだのか。
質問にはモモンは殆ど言葉を濁すか、答えないかだったが、ンフィーレアにとってみればそれは望んだ通りの反応だった。
モモンはンフィーレアを殺すつもりは無いと言っているが、それが本当かどうかは何の確証もない。
だが自分に余計な情報を与えないように配慮しているということは、少なくともンフィーレアを生きて帰した後の事を考えているということ。
逆に自分の事を気安く話し始める方がンフィーレアにとっては恐ろしい展開だった。
異常な緊張状態による高揚の為か、体感的にはそれ程長い時間を過ごしたつもりは無かったが、目の前の得体の知れない男との目的がはっきりとしない会話を続ける内に、既に東の空が白み始めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ンフィーレアという少年が百メートル程前方を歩いていくのを、モモンガは透明化を使って尾行しながら見守っていた。
昨夜のンフィーレアとの会話はモモンガにとってかなり有意義なものだった。
流石に他のプレイヤーの存在や、ユグドラシルについて知られているか、など自分の正体に直結するような質問はしなかったし、例えしていても所詮は子供の知識量、収穫は少なかっただろう。
だがその他の雑多な情報……、ユグドラシルと同じ位階魔法が存在すること、ゴブリンやオーガなどユグドラシルでも馴染みのある亜人やモンスターが存在することなどは、やはりこの世界はユグドラシルと何らかの繋がりがあるとモモンガに確信させるには十分だった。
ただ魔法に関してはモモンガには聞き覚えのない魔法や、第0位階などという独自の位階が存在しているなど、全てがユグドラシルと同じという訳ではなさそうだが……。
魔法を使えるのにも関わらず初歩的な魔法の知識をンフィーレアに質問したりしたことで、若干不審感を抱かれたことを感じた為、第0位階魔法については詳しくは聞かなかったが、独自の魔法というのはこれから先モモンガの脅威となっていくかも知れない。
ユグドラシルにあった魔法なら対策法も分かるが、未知の魔法やスキルを相手にしては手の打ちようが無いのだから。
生きて帰すことを前提とした場合は質問出来るような内容も限られるために、情報を完全に絞り出せないのは仕方ないことだが、未知の事柄の多さにモモンガはもう少し時間があれば更に多くの情報が得られたかもしれない……、と後悔を抱いていた。
だが夜が明けてしまえば暗闇という自分とンフィーレアを隠すものが無くなってしまう以上、尋問を切り上げない訳にもいかない。
もし捜索者に発見された場合、非常に危険な状態に陥ることは容易に予測できるからだ。
しかしながらンフィーレアを解放しようとした時、モモンガは厄介なことに気がついた。
本当は街道の方角だけを教えて、後は勝手に帰ってもらう計画だったが彼の話だと森のみならず草原もまたモンスターの領域らしい。
それでも森よりはモンスターの数が少ないらしく、モモンガもこれまではモンスターと遭遇せずに行動してきた。
だが子供の足でここから街道まで行こうとすると少なく見積もっても一時間から二時間はかかるだろう。
特にンフィーレアが心配という感情は湧いてこなかったが、彼がモンスターに襲われてしまえば折角生かしたまま尋問した努力も意味を成さず、彼の祖母のいらぬ恨みまで買うことになるかも知れない。
かと言って自分でンフィーレアを送っていくのは、護衛に雇われた冒険者という職業の者達と出くわす危険性が高く避けたい。
結果的にンフィーレアに街道の方角を教えて一人で歩かせ、モモンガがその後ろから透明化を使い秘密裏に見送る、ということに決めた。
既にンフィーレアが出発して一時間ほど。
山脈を背にして歩けばいずれ街道に出る、と教えた為に進む方角に問題は無いし、今のところモンスターとも出くわしていない。
このまま問題なく街道まで辿り着けそうだ、とモモンガは余計な戦闘をせずに済んだことに安堵していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
縄が皮膚に食い込む痛みに腕を動かすと、固い結び目が軋む音を立てる。
無意識の内に苦しげなうめき声がンフィーレアの口から漏れた。
そして少し離れた場所では自分達を護衛していた筈の、そして先程ンフィーレアを縛り上げた三人の冒険者が何事かを小声で話し合っている。
何故このようなことになってしまったのか。
あるいは昨夜攫われた時以上かも知れない不安と恐怖に高鳴る心臓の音を聞きながら、ンフィーレアは歯を食いしばった。
夜が明けたころ、モモンという男は街道へ向かう大まかな方向だけを説明して、直ぐに森の中へと走り去ってしまった。
モモンがモンスターの巣窟である森へと唐突に走り出した事にも衝撃を受けたが、それよりも自分が置かれた状況の方がその時のンフィーレアにとって深刻な問題だった。
つまり、自分は今たった一人でモンスターの領域に居るのだと。
壁で囲まれた街の外はモンスターが蠢く危険な領域であり、戦闘能力の無いものが一人で歩くなどもっての外。
物心がついた頃には教えられた、この世界で生きていくための常識だ。
モモンという得体の知れない男と居た時も、もしかしたら急に気まぐれを起こし殺されるかもしれないという恐怖は常にあったが、無事解放された今、別の恐怖がンフィーレアを襲っていた。
昨日冒険者に道中で聞いた、モンスターの多くは森を拠点としている為に、森の近くを避ければ出くわすことは少ないという言葉を思い出し、山脈を背にして全速力で走り出したが、やはり体力が続かずに間もなく立ち止まってしまう。
こうなってくるとモモンが自分を見逃したのは、自分を苦しませた末にモンスターに殺させようという悪意だったのかも知れないとすら思えた。
教えられた道も、もしかしたら間違っているのかも知れないと疑心暗鬼の感情に囚われつつも、ンフィーレアは足を止めずに進み続ける。
少なくともモモンという男の声にはそんな性悪な感情は籠っていなかった、という自分の感覚を気休めだと自覚しながらも信じ、悪い考えを必死で追い払おうとした。
そしてやっとのことで街道へと到着し、そこから街道沿いに十分程歩いて野営地まで到着したンフィーレアだったがそこに祖母の姿の姿は無く、ぎこちなくンフィーレアを出迎えた冒険者達に祖母の居場所を尋ねたところいきなり足首と手を後ろ手に縛られ地面に転がされてしまった。
自分が覚えている第0位階魔法の中には結び目を解く魔法もあったが、今使ったところで簡単にばれてもう一度捕まるだけだと、使用は思いとどまった。
ンフィーレアは男達が話す内容に聞き耳を立ててみるが、遠くで小声で話されている為に会話の内容までは分からない。
だが何故か彼らのもう一人の仲間、神官の姿が見当たらないのが気になるが……。
暫く後、何らかの結論に到達したようで、男達は腰を上げンフィーレアのところへと歩いてきた。
「すまねえな、ンフィーレア君。 こんなことになっちまって……」
チームのリーダーでもある戦士の男が、地面に転がされたンフィーレアを見下ろしながら呟く。
そのリーダーが着ている鎧の右手の部分が、何故か黒く焼け焦げていた。
どうしてこんなことをするのか。
自分をどうするつもりなのか。
聞きたいことは幾つもあったがンフィーレアは自分が最も気になっていた事を真っ先に尋ねた。
「お、おばあちゃんはどこに行ったんですか!?」
両親が亡くなった後、自分の唯一の肉親として育ててくれた祖母。
この状況にあってもンフィーレアがまず案じたのは祖母の安否だった。
「………ま、話す必要があるわな。 リーダー、そのくらいはこの子にも説明してやった方がいいだろ?」
「そう、だな」
リーダーの了承を得て、盗賊の男が淡々と語り出した。
「昨日は、トイレから戻らない君を心配したらしいリィジー殿の声で俺は目が覚めてね。 何事かとテントから出たら、ジードは地面に半裸で寝転ってるし混乱したよ。 で、まあこいつを起こして何があったのか聞いたら、急に意識を失って何も覚えてないって言うし………、急いで状況を確認したところジードの服と荷物、そして君がどこかへ消えてしまっていたんだ」
盗賊はそこでため息を一つ吐いて話を進める。
「それからリィジー殿は直ぐに自分と一緒に君を探しに行けって言うけどさ。 夜の暗闇の中を、どこに消えたかも分からない子供を探しに行くなんて幾らなんでも無理だ。 この広い草原から子供一人を探すなんて、湖に逃げた小魚を探すようなものだし何より夜の草原は危険過ぎる。 ジードの魔法でも夜の行動は難しいって言うしな」
話を向けられたジードは盗賊とンフィーレアに言い訳するかのように、呟く。
「私の覚えている第一位階魔法の《ダーク・ヴィジョン/闇視》には距離制限があるんですよ。
詠唱者の力量にも左右されますけど私の場合は十五メートルが限度。 そんな視界で草原に逃げた正体も知れぬ相手を追える訳が無いでしょう? 第三位階にある魔法を使うか、相当の実力を持つ野伏、そして先天的に闇視の能力を持つ種族なら夜でも昼間と同様に見通せると聞きますけど、リィジーさんや私達には無理でした。 諦めるしか無かったんですよ」
ジードの言葉に盗賊は頷く。
「リィジー殿にもそれは説明したんだけど、君が居なくなって精神的にも普通じゃ無かったんだろうな。 《ファイヤーボール/火球》の呪文で俺達を脅して君を探させようとした。 その時は撃つつもりでは無かったんだろうけど、それを見た俺達のチームの神官が後ろからリィジー殿を取り押さえようとしてな。 ……あいつは変に大胆な所があったけどそれがまずかった。 突然の衝撃に呪文を撃ってしまったらしく、火球はリィジー殿の間近の地面で弾けて二人の命を奪った………、リーダーもそれに巻き込まれて、怪我はポーションで治せたけど装備に跡が残っちまった」
そこで盗賊は口をつぐみンフィーレアはあまりの事に絶句する。
少しの間、周囲に沈黙が満ちた。
「これはリィジー殿が原因で起きた事故だけど、状況がやばい。 目撃者が俺達しか居ない以上ギルドに報告すれば、俺たちとリィジー殿が争った結果二人共死んじまったんだと推測される可能性が非常に高いんだ。 依頼の失敗によって依頼人に危害が及んだ場合は何らかのペナルティーは受けても、故意でないなら刑罰は無い。 実際護衛依頼で出くわしたモンスターが強すぎて依頼人を守りきれなかったなんてよくある話だし、依頼の失敗を国が定める刑罰で禁じると、国による冒険者の支配にも繋がるからな。依頼人も護衛として冒険者を雇う際にはその辺のリスクも受け入れる必要がある。 ただ当然その冒険者の信頼は地に堕ちるし、遺族への賠償って話にもなってくるんだが……」
だがこれが故意に依頼人を殺すとなると話は違う、と盗賊は言う。
「殺人の取締は国の領域だからな。 野盗とか犯罪者とか国からも討伐が求められている者でない限り、例え冒険者でも殺人は厳しく罰せられる。 場合によっちゃあ処刑まであるんだ。 流石にそんなことになれば不味いと思って二人の死体を土に埋め、ギルドには強い魔獣に遭遇して二人と……、そして君が攫われちまったことにしようと決めたんだ」
「じゃ、じゃあ、おばあちゃんは………」
「あっちの方に四百メートル程行くと窪地になってるところがあってな。 そこに二人を埋めた。 ……君も同じところに埋めてやるよ。 悪いけど、君を生かしたまま偽装工作をするのは無理だ。 というか殺されている可能性が高いだろうと、君が帰ってくることは想定していなかったからな。 今から君を探しに行ったリィジー殿とあいつがモンスターに襲われたらしく帰らなかった、なんて口裏を合わせたところで土の着いた靴や泥に汚れたスコップ……、そしてリーダーが火球に巻き込まれてついた装備の焦げ跡や、地面の草が焼けた跡を見りゃあ、その内真実に気が付く。 何せこれから色々な痕跡を消して、口裏を合わせてエ・ランテルへ帰ろうって相談してた所に君が来ちまったんだ」
冷酷に響く盗賊の言葉も途中からンフィーレアには聞こえなかった。
自分を育ててくれた祖母が、リィジーが死んだ。
その事実にただ涙がこぼれ落ち、口から漏れる嗚咽を止めることができない。
盗賊は苦しげに顔をしかめた。
「俺達だって仲間を君の婆さんのせいで失ってんだよ………、その上、下手すりゃ処刑になる事態は避けたいって気持ちも理解してくれ。 おいジード。お前、《スリープ/睡眠》の魔法覚えてたろ。 使ってやれ、せめて恐怖くらいは消してやりたいからな」
「お、俺がですか?」
ンフィーレアから目を背けていたジードが、急な指名に躊躇いを見せる。
「お前……、まさか自分はこの子供を直接殺してはいない。 そう思いたいんじゃないだろうな? そういえば、昨日二人を埋める時もそうだったよな? 運ぶときは手伝ったが、実際に埋めるとなると周りをウロウロするだけで何もしやしねえ。 自分は止めようと思ったけど、仲間たちが子供を殺すのを見ていることしか出来なかった。 そう自分に言い訳したいんじゃねえのか!?」
「そ、そんな……」
「やめろ。 こんな時に仲間内で割れて何になる?」
リーダーの静止にも盗賊は、語気を緩める気配はない。
「こんな時だからだよ。 一人でも中途半端な覚悟しか持っていない奴が居れば、そこから全てが発覚するもとになる。 ………殺すときは三人でやろうぜ。 全員で同時にナイフか剣を刺すんだ。 ジード、お前に覚悟があるって言うなら自分の手を汚せよ」
今度はリーダーも、特に異論を挟むことはなかった。
「う……、で、でも直ぐに殺して大丈夫なんですか? さっき子供が言ってた昨日彼を拐った魔法詠唱者は……」
「どうせ今更探したって見つからねえし、そいつも悪党だ。 そうそう公の場に姿を現しはしないだろ。 俺達はどうせ、この件が済んだらエ・ランテルから離れるつもりだしな」
「で、でも―――」
「でもじゃねえよ! まだ分かんねえのか。 今の俺達には殺すか死ぬかしかないって事をよ!」
「待て!」
突如響いた声に二人は、リーダーの方を向く。
「止めるのかよリーダー! さっきから黙っているけど、あんたの意見は―――」
盗賊の言葉をリーダーは、先程までとは別種の緊張感を纏いながら手で制する。
「その件は後だ、戦闘態勢に入れ。 血の匂いを嗅ぎつけたか、それとも偶然か―――、亜人が来たようだ」
リーダーの視線を辿った二人は、遠く離れた場所からこちらへと接近する複数の人型の影を目にした。
チーム内で最も優れた視力を持った盗賊が、影の正体を見極める。
「ゴブリンとオーガの群れだ。 数はオーガが二に、ゴブリンが十ってところか」
「まだ工作が終わっていない。 今逃げるのはまずいな……、その数なら迎え撃つぞ」
「はい」
幾度と無く修羅場を潜った冒険者としての経験が、一瞬で彼らを戦闘集団へと変化させる。
先程までの諍いは心の底に沈め、今は全員が迫ってくる敵に意識を集中させていた。