魔法が使える事を確認したモモンガは、ユグドラシルの他の機能についてはどうなっているのか、と疑問に思う。
GMコールや強制終了、チャット機能が効かないことは既に確かめた。
一応、今覚えている三つの魔法の一つ《メッセージ/伝言》でも運営に連絡を試みてみたが、それも失敗に終わった。
それにイベントリも開かないとなると、後はアイテムボックスか。
例え開いても、あのボスのスキルで全てのアイテムが消えているはずだが……。
モモンガはユグドラシルでアイテムボックスを使う時の感覚を思い出しながら、右手を宙に差し伸ばす。
すると指の先端から、何かに潜り込むような感覚が伝わった。
引き戸を開けるように手を動かすと、空中に窓が現れたかのように周りの景色とは別の光景が映し出された。
そこにあったのは何も無いがらんどうの空間だった。
これがアイテムボックスだとすれば、やはりあのボスに倒された後は何も残らなかったのか。
今まで溜め込んだアイテムを尽く失ったことに虚脱感を覚えながらも、モモンガは手を動かしてアイテムボックスをスクロールしていく。
すると一つだけぽつんと残った、革表紙の本を発見した。
その本を手で掴み、モモンガはアイテムボックスから引き出してみる。
別に始めてみる物ではない、むしろユグドラシルに存在する書物の中では最も見慣れた存在。
それはモモンガの
適当なページを開いて見ると、そこにはモモンガがかつて倒したモンスターのイラストが、名前や神話の出典データと共に記載されていた。
(百科事典は残ったか……。 まあ、このアイテムに限ってはプレイヤーが望まない限り絶対に破棄不可能だからな。 運営が言っていたほぼ全てのアイテムっていうのは、開始時に配られるこの事典以外という意味だったか)
自分の足跡とも言うべきアイテムが残っていたことに、モモンガは不思議な嬉しさを感じる。
ただ別にモンスターを調べたい訳でもない今は、とりあえず百科事典に用はない。
モモンガは再び、他の確認事項に意識を移した。
先ほど魔法は使えた。
ならばスキルの方はどうだろうか?
確かめる必要があるだろうが、あいにくレベル1のスケルトンメイジになっているらしい自分には、使用可能なアクティブスキルがない。
刺突武器耐性や斬撃武器耐性は初期でも所持している筈だが、残念ながらそれを確かめる為の武器を持ってはいないし、確認の為に自分に傷を付けるのは愚行という物だろう。
(だが今呼吸をしていないが特に問題は無いようだし、空腹も感じない。 これは酸素不要と飲食不要によるものかも知れないが……、そもそも臓器が無いのだから息苦しさや空腹を感じるほうがおかしいか)
先ほどモモンガが自分の身体中を触った所、胃や肺どころか眼球も鼻も無いことに気がついたが、不思議なことに味覚以外の感覚は全て異常が無く、若干鈍くなった触覚以外はむしろ冴えてすらいるくらいだ。
そして、そのことについて特に違和感も感じない。
後確認しやすいのは暗視だろうか。
モモンガは手に持っていた百科事典を開くと光を遮るように太陽に背表紙を向けて、開かれたページを自分の顔に押し当ててみた。
普通ならば光量不足で押し当てられたページに何が書かれているのかはわからなくなるだろう。
だが、モモンガの目にはその普通に反してページに書かれた文字やイラストを確認することができた。
近すぎる為若干見辛くはあるが、少なくとも暗いことは特に問題になっていない。
アクティブスキルや他のスキルはどうなっているのか、という疑問は残るがユグドラシルのスキルが作用している可能性は高い、とモモンガは一応の結論を出した。
(さて、いつまでもこんなところでつっ立っている訳にも行かないが……、どうすればいい?)
空を見れば既に太陽は傾き始めている。
現在草原の真っ只中にいるモモンガだが、遠くを見渡せば幾つか目を引くものもある。
モモンガに天文学の知識は無いが太陽が東から昇り、西に沈むとすれば東側だろうか。
黒々とした領域が地平線から盛り上がっている部分がある。
それ程大きくは無いようだが、恐らく森だろう。 リアルには森など無いが、ユグドラシルでは森は大抵モンスターの巣窟となっていた。
とは言え、ここがユグドラシルの中だと考えるのは早計だし、もしかしたら洞窟など身を隠す場所が見つかるかも知れない。
この隠れる所すらない見晴らしの良い草原の中央では、周囲の警戒に忙しくて落ち着いて考え事をすることは出来ないし、一先ずあちら側に行ってみるのも手だろう、とモモンガは思う。
そしてモモンガから見て森の反対側、暫定的に西とした方角にはかなり遠くはあるが灰色の塊が見える。
岩山にしては形が不自然だしもしかしたら都市なのかも知れないという印象を与える存在だった。
この世界の情報を得るには、都市というのはいかにも都合の良さそうな場所に思えるが、懸念事項もあった。
それは果たしてアンデッドの身体になった自分が、問題無く入ることが出来るのだろうか、ということだ。
ユグドラシルでも異形種のプレイヤーが入ることが出来ない街が数多く存在したし、この世界の都市もそうではない保証はない。
それに、もし追い払われる程度ならば良い。
だが、もしあの都市の住人がアンデッドを敵視する存在だったら?
レベル1の脆弱な肉体と、僅か三つの魔法、しかも召喚魔法と伝言と魔法を使ってしまったせいで今日は後八回しか魔法を使えない自分が生き残れるのだろうか?
それを考えると、やはり都市へ近づくのは余りにもリスクが大きいと判断せざるを得なかった。
死がどのような結果を齎すのかは分からないが、ユグドラシルと同じようにすぐに復活しレベルも1以下にはならないと考えるのは楽観的にすぎる。
情報が何も無い以上、この世界での死はリアルでの死と同じように考えて行動するべきだ。
これからの方針を考える上で、やはりモモンガにとって大きな要因となるのは自分の強さだった。
これがもし転移魔法や数々の防御魔法を使える状態ならば、あるいは多少のリスクは犯せたかも知れない。
だが、一つのミスで容易に命を失うかも知れない今の状況では、モモンガの身を脅かすリスクは努めて避けなければならなかった。
(やはり問題は強さか。 もし百レベルのままこちらへ来ていれば、ここまで怯えながら行動をせずに済んだかも知れないな)
こんなことになると知っていれば、あのような戦いに参加しなかったのにとモモンガは後悔するが、かと言ってそれで状況が好転する訳ではない。
都市へ向かうことは余りにもリスクが大きいと判断したモモンガは、百科事典をアイテムボックスに戻すと、身を隠して腰を落ち着けることが出来る場所を探しに森の方角へと歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
モモンガが草を踏みしめると、時折小さなバッタが驚いたように跳ねる。
特に危険でも、注意を払うべき光景でも無いのだろうが、モモンガは始めての光景に地面から目を離せなかった。
植物があるのだから当たり前ではあるのだろうが、この世界はとても多様な生命に満ち溢れているようだ。
草の中に潜む小さな虫に、空高くを飛んでいく鳥達。
大自然を再現したユグドラシルのフィールドでも、動物といえば自動POPモンスターのみで、こんな小さな生命は存在していなかった。
モモンガが今までに見たこの世界の生命体は、鳥といい虫といい、地球にかつて住んでいた物とそれ程大きな違いは無いようだ。 だとすれば、ユグドラシルのモンスターのような凶暴な存在がこの世界に存在するかも知れないというのは、案外杞憂かも知れない、と思いながら歩き続ける。
やがて日がかなり傾き、橙色の光が草原を照らし始める頃、モモンガは森の近くにたどり着いた。
思った通りに、そこまで大きな森ではない。
モモンガの居る位置から見る限り、幅は精々一キロと少しだろうか。
深さはどれくらいあるのかは分からないが、恐らく迷って出られなくなることは無いだろう。
広々とした草原とは逆に、鬱蒼と茂った葉が地面への光を遮る薄暗い原生林が目の前に広がる。
それはまるで何かが、草原と森とは異なる領域だということを不気味に主張しているようだった。
だが、いつまでも眺め続けているわけにもいかない。
もし危険な生物が居ればすぐに引き返す。
脅威になりそうな存在がいなければ、落ち着いて今後の行動を考えることが出来る隠れ家を探す。
モモンガは事前にそのように決め、意を決して森の中に足を踏み入れた。