可奈美の進学先の希望を聞いてから二ヶ月ほどが経ち、季節は梅雨に入った。可奈美のお勉強が始まった。
「うう…おべんきょうつまんない‼︎かたなふったほうがたのしい‼︎」
「そんなこと言ったって、美濃関に行くには剣術以外にもお勉強が必要なんだぞ?」
「むう…‼︎」
目の前の可奈美は難しい顔をして、問題集に取り組む。まあ、言っても小学校受験の問題集だから、そこまで難しくはないんだけれども、いかんせん可奈美の頭は弱い。どれくらい弱いかというと、「バナナが五本あってお猿さんが二本食べました。残ってるのは何本?」と聞いたとき、「かなもたべたい‼︎」というぐらいだ。妹よ、ここでお兄ちゃんはバナナの本数を聞いているのに…可奈美の心情は聞いてないんだぞ?まあ、そんなところも含めて可愛いのだが。
「ほらほら次の問題解いてみようか」
「むう‼︎」
可奈美は難しい顔を続けたが、机に座り続ける。…この短期間でここまで成長してくれて、お兄ちゃん嬉しいよ。最初の方なんて、問題集を見せただけで鬼ごっこがスタートしたもんな。
「できたか?」
「もうちょっとまってて」
問題集と格闘する可奈美を見てると、心が和む。
ピンポーン
すると、玄関のチャイムが家の中に鳴り響く。どうやらお客人のようだ。
「ん、お客さんかな。可奈美、今日誰かと約束してた?」
「あ!きょうはまいちゃんとおうちであそぶってやくそくしてた‼︎」
「あ、可奈美…‼︎ったく約束してたのかよ」
可奈美は舞衣ちゃんとの約束を思い出すと、ベルが聞こえた玄関へと急いだ。勉強したものはそのままだったので、俺が片付ける。
「にい‼︎まいちゃんつれてきたよ‼︎」
「その前にお片づけしてから行こうよ、可奈美」
「あの…おじゃまします…」
可奈美の勉強の後片付けをある程度終わらせ、可奈美の声のする方を向くと、そこには可憐な少女が頭を下げていた。顔をよく見ると、可奈美のように可愛いというよりも綺麗という印象が持てる。それでも、可奈美のように美少女であることには変わりないのだが。
「ん、はじめましてだね。俺は、可奈美の兄の剣です」
「え、と…やなせまいです。きょうはかなみちゃんと、あそびにきました」
「んー、ちゃんと言えて偉いね」
やはり柳瀬グループの一人娘だ、うちの可奈美とは育ちが違うと思える。まあ、それでも可奈美の方が可愛いと思うけどな‼︎
「ふあ…」
「にい‼︎」
「おおっと、ごめんな舞衣ちゃん」
「い、いえ…」
いつも可愛い可奈美の頭を撫でる癖で、ついつい舞衣ちゃんの頭を撫でてしまった。
「ありがとな、可奈美。止めてくれて」
「ふにゃあ…」
可奈美は俺に頭を撫でられるのが好きらしい。見てよこの顔、緩み切って幸せってこういうのをいうって確信できるよ。
「あ、あの…」
「ん。可奈美、舞衣ちゃんが戸惑ってるから、ほら遊ぶんじゃないのか?」
「あ、あ!まいちゃん、へやであそぼう!」
「う、うん。では、これで‼︎」
可奈美は舞衣ちゃんを自分の部屋に連れて行くと、俺の前からいなくなった。舞衣ちゃんは、去り際も俺に挨拶を忘れなかった。いやー育ちがいいんだろうね、うちの可奈美とは大違い。まあ、うちの可奈美もいいところがあるから、それでいいんだけどね。
俺は可奈美と舞衣ちゃんが部屋に入ったのを見て、いつもの日課のために外へと出た。
「すみません」
「ん?」
庭の外からの声に稽古開始を見送ると、そこには三十代ぐらいの男が立っていた。
「衛藤可奈美様のご家族でいらっしゃいますか?」
「どちら様で?」
「申し遅れました、私舞衣お嬢様のお迎えを担当させていただいております佐藤と申します」
「はあ、ご丁寧にどうも。可奈美の兄の剣と言います」
「今後もお世話になると思いますが、よろしくお願いします」
そう言って佐藤さんは車に乗り込んで、家から去って行った。
その後も舞衣ちゃんは、衛藤家へと何度も遊びに来てくれ、主観だが結構仲良くなった気はした。
だから俺はこの時、簡単に考えていた。有名グループの娘だろうと、結局は俺の妹と変わらない一人の女の子だと。
しかし、俺の予想は大きく裏切られた。
この日から五年後、俺が十五歳になり可奈美が十歳になった十二月、可奈美と舞衣ちゃんが誘拐された。
そして、俺はこの家から居なくなる。