「二人ともおくれてごめん──っ!」
息を切らしたなでしこが山梨市駅入り口から飛び出してきた。
耳当て付きニット帽についた飾り紐ボンボンを揺らして走る様子が、彼女が如何に急いできたのかを如実に表していた。
水色の耳当て付きニット帽に、桜色の髪の毛と首元を抱くオレンジ色のマフラー、チェック柄のダウンジャケット。
デニム生地のハーフパンツから伸びる黒ストッキングの脚。
そして、リュックサックと両肩に掛けられた二つの鞄という重装備。
それが本日のなでしこの出で立ちだった。
「おお来た来た」
「甲府駅で迷っちゃって……」
「えーよえーよ、まったり行こかー」
既に駅前で待機していた野クルメンバーである千明とあおい。
申し訳無さそうに謝るなでしこに対して、あおいはのんびりとフォローを入れる。
ふわり、と柔らかい髪の毛をころん、と丸みを帯びたフォルムで覆うキャスケット帽。
花柄を控えめにあしらったマフラーを首に巻き、女性らしさを十二分に魅せるスタイルを覆うスカートとコート。
全体として綺麗に纏まった淑女スタイルがあおいのコーディネイトだった。
下ろした長髪に被さったボンボン付きの黒色ニット帽。
首元の防寒がしっかりと成されたフード付きダウンジャケット。
ファー付きキュロットから伸びる脚はなでしこ同様、厚手の黒ストッキングで覆われている。
ユニセックスの中で女の子らしさが控えめに主張するコーディネイトが今日の千明の格好であった。
なでしこと異なり二人はキャリーカートに荷物をコンパクトにまとめて運搬性を高くしていた。
「よし、冬シュラフも何とか手に入れたし、テントももう一個買い足した!」
キャリーカートに詰め込んだ980円のテントと、化学繊維の冬用シュラフ(定価3980円)を確認し、千明が気合を入れる。
それは結局、自作シュラフカバーの計画が頓挫したという証左であった。
夏用シュラフにアルミホイルと梱包用プチプチシートを巻き、ダンボールで雁字搦めにした見た目。
最終的に暖を取るという目標はクリアされたが、携帯性そして利便性を著しく欠くことになった野クル謹製シュラフカバー。
お蔵入りは必然といえた。
「んじゃー今日の目的地、『イーストウッドキャンプ場』へ────しゅっぱーつっ」
『おーーーーっ』
野クルキャプテンである千明の号令。
あおいはのんびりとした中に期待を込め、なでしこは楽しみな気持ちを隠さずに、それぞれ腕を高く上げて答えた。
ゆるキャン△
Fan fiction
チート転生者 in キャンプ物
「あきちゃん、今日泊まる所ってどんなとこなの?」
「よく聞いてくれた!」
駅からの道を三人娘がてこてこ、と歩いているとなでしこから素朴な疑問が口を突いて出てきた。
それに対し千明は眼鏡を光らし、待ってましたとばかりに答える。
「薪がただで温泉が近くて夜景がキレイで、一泊1000円!! ってゆーナイスキャンプ場らしい」
「夜景かぁー、楽しみー」
「温泉もええね」
千明の口から出てくるキャンプ場の圧倒的プラス面。
それを聞いた二者はまだ見ぬキャンプ場への期待に想いを馳せる。
「駅から4キロ、徒歩で50分くらいやって」
「ちょっとした遠足って感じだねー」
「そうだ『夕飯は任せて』、て言ってたけど何作んの? 言われたとおりパックご飯は持ってきたぞ」
本日のキャンプ飯担当はなでしこ。
日頃から高級食材で試行錯誤を繰り返している彼女を炊事係に据えるというのは名采配である。
抜擢されたなでしこは、鉄砲の形をした手を顔の横に持ってきて自信満々といった様子で答えた。
「キャンプっぽいごはんだよ! 何かは夜のお楽しみ!」
「カレーとか?」
「お、お楽しみだよ!」
──カレーか。
──カレーやな。
夜のお楽しみは非常に分かりやすかった。
なでしこの狼狽した反応から、あおいと千明は満場一致の可決で今晩のキャンプ飯がカレーであることを確信した。
だが。
なでしこ飯が何かは分かったが、本日のキャンプ飯は二段階構えである。
「なぁ、なでしこちゃん。小太郎くんがキャンプご飯の材料を持ってきてくれるって話やったけど、もうなでしこちゃんが持っとるん?」
「ううん、コタくんが新鮮なまま現地に届けるから心配しないでって言ってたよ」
二刀流キャンプ飯の片割れは小太郎が用意する海の幸。
しかし、なでしこは海の幸とリクエストしただけで、その内容の詳細は小太郎本人しか知らない。
故に、着いてからのお楽しみになでしこは心を躍らせていた。
それは小太郎の持ち寄った材料にハズレ無しと経験則で身体が理解してるからだ。
「でも昔からコタくんがくれるものは全部美味しいから、今晩は楽しみなんだぁー」
「へぇ、それは楽しみやねぇ。て、あき? 急におとなしくなってしもうてどしたん?」
えへへー、と想像の羽を広げ、小太郎が持ち寄るであろう食材に胸躍らせるなでしこ。
その一心不乱に心待ちしている様子にあおいも期待が膨らむ。
しかし。
如何にもこういった話題で騒ぐであろう野クルメンバーの一人の反応が芳しくない。
怪訝に眉の角度を下げたあおい。
「へ、いやなんでもないぞっ…………そっか、小太郎、今日来るんだ」
二人分の視線に我に返る千明。
しかし、すぐにニット帽から垂れる髪の一房を人差し指でくるくる、と弄んで独り言を零す。
その様は何時もの騒がしさが成りを潜めた花を恥らった乙女のものであった。
大垣千明にとって田中小太郎という同級生は異性を意識せざるを得ない男子であった。
意識し始めたのは初対面の時である。
油断から大股で棚に腰掛けた所作を注意された際に思わず乙女然とした反応を返してしまった。
それから小太郎の前ではなんとなく同学年の他の男子よりも異性として自身の所作を気にしてしまう癖が付いてしまった。
普段は大雑把な、悪く言えばがさつとも表現できる行動をする千明であるが、小太郎の前では借りてきた猫状態。
千明にとって小太郎の目がなによりの異性の視線であった。
「前々から思うとったけど、あきは小太郎くんを意識しすぎやない?」
「い、意識なんてしてねぇーし!」
「小太郎くんと会うたんびにしどろもどろやないかい。かと思えば嘗め回すように見とるし」
「ちょっと筋肉見てただけだろっ! 嘗め回してねぇーし!」
からかい調子で友人を揶揄するあおいであったが、彼女もまた小太郎と相対するとその筋肉をチラ見する癖があった。
しかし、それは別段おかしな話でもない。
容姿、身長、知能、学歴、収入。
現代社会では様々な要因が異性に気を惹く要因となっている。
その中で純粋な腕っ節の強さは、相対的に異性へのアピールとして些か弱い傾向にあると言えた。
完成された社会の中で必要なくなってしまった要素故、それは仕方の無いことであった。
だが。
そんな理屈を度外視して蹴り飛ばすような超弩級の強さを持つ男が現れた場合はどうであろうか。
強い。
ただひたすらに強い。
地球上において唯一にして比類なき強い雄──それが小太郎であった。
僅か2mにも満たない体躯に秘められた圧倒的な膂力。
理性理屈ではなく原始的な本能が、小太郎という雄の優秀すぎる遺伝子を感じ取ってしまう。
ある意味で小太郎という存在は、大人でも子供でもない少女達にとって目に毒な存在であった。
故に、少女達が小太郎の筋肉に興味を持つことは当然の帰結と言えた。
「あー、確かにコタくんの筋肉ってすごいよね。お腹さわらせてもらったことがあるけど凄かったよ。
カッチカッチでおっきな板チョコにさわってるような感じだったなぁ」
「なでしこちゃん、さわったことあるん?」
「うん、コタくんにお願いしたらさわらせてもらえたよ。男の子の筋肉ってあんなに硬いんだね、私たちとは全然違うの」
その時の感触を手に描きながら、なでしこは回想する。
ソファーで寛ぐ小太郎。
幼少期から同じ時間を過ごしてきた男の幼馴染みに、好奇心からなでしこはお腹を触らせてくれ、とおねだりをする。
当然、断る理由も見つからない小太郎はこれを了承。
一緒に居た綾乃も巻き込み、少女二人は異性の肉体を合法的に接触する権利を得た。
そして。
暖かな皮膚のすぐ下に眠る筋繊維の鎧を感じた。
少女達の丸みを帯びた女性らしい柔らかな身体とは全く趣を異とする男の肉体。
当初は服の上からの接触であったが、悪ふざけに興が乗った綾乃が服の下に手を突っ込んでから後はなし崩し。
同年代の異性の肌と直接触れ合うという初体験をなでしこも済ませることとなった。
余談であるが、腹筋を直に触る綾乃となでしこは顔を赤くして終始無言であったそうな。
「や、やっぱり六つに割れてるもんなのか?」
「うん、ちゃんと数えたから間違いないよ。指で埋まるくらいデコボコがはっきりしてたお腹だったよ」
『へ、へぇ~……』
なでしこの飾らない感想。
その当事者の発言に、あおいと千明は知り合いの男子の裸を想像してごくり、と思わず喉を鳴らしてしまった。
「……なぁ、あきはなでしこちゃんが言うたような腹筋さわったことってあるん?」
「ない。ていうか男の腹を直に見たことなんて父親の三段腹くらいなもんだ」
「小太郎くんのってそんなにすごいんやろか」
「すごいんだろうな」
「……今日って小太郎くん来るんよね」
「……来るな」
「……あかん、絶対お腹周り見てまうわ」
「……ガン見はしないようにしような」
『……』
無言で頷き合う野クルメンバーの二人。
知らずの内にいたいけな少女を筋肉フェチの世界へ引きずる小太郎は罪な男である────
◆
富士山を望み、甲府盆地を見下ろし眺望することが出来る『ほっとけや温泉』。
泉質はアルカリ性の単純温泉であり、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・冷え性・疲労回復・健康増進など様々な症状に効能がある。
二つある浴場は『こちちの湯』と『あちちの湯』。
事件は富士山を望むことが出来る『あちちの湯』の男湯で起きていた。
違和感に包まれる男湯。
休日の昼間であれば少なくない利用客の喧騒が聞こえる筈であるが、男湯を支配するのは静寂。
その異変は一人の男が内湯に入ってきたことにより発生した。
男──小太郎が内湯の扉を開けた瞬間────音が消えた。
雑談に興じていた老人。
風呂場ではしゃいでいた子供。
友人と馬鹿話で盛り上がっていた若者。
その全てが静寂という沈黙を選択していた。
一歩。
小太郎が浴場のタイルへ歩を進める。
動きに合わせて盛り上がり収縮する各部の筋肉。
まるでワイヤーを筋繊維として束ね、人型を形成したような肉体。
その内側に収められた膂力は、圧迫感を伴って周囲に己が力を泰然と誇示していた。
生物としての格が違う。
違いすぎる。
この動物が一度暴れるようなことがあれば自分達など濡れた紙の如く、文字通り引き千切られてしまう。
如何に外側が純朴そうな少年であっても事実は変わらない。
理屈ではなく本能で男湯の利用客は理解した。
故に凡百の徒は小太郎の関心を引かぬように息を潜めて身を硬くする。
それはさながら天変地異が過ぎ去るのを祈りながら待つ行為に似ていた。
小太郎が洗い場に腰掛け、シャワーの栓を捻る。
湯気を伴った温水が小太郎の肉体を這うように滑り落ちていく。
ボディーソープを良く泡立て、身体を洗う。
その動作一つ一つで強靭な筋肉が蠢き、温水の艶めきもあり、一種の美しさを伴っていた。
小太郎の隣に居た男達はすぐさま席を立とうとしていたが、その肉体美に思わず動きを止めて見入ってしまっていた。
そして。
身体を洗い終えた小太郎は、内湯から露天風呂へと歩を進めた。
小太郎が露天風呂へと消えてゆくまで、息を潜めていた利用客が声を発することは終ぞ無かった────
◆
富士山を望む『あちちの湯』の露天風呂。
そこでは背中に刺青を彫った強面の男が一人で入浴していた。
年の頃は三十半ばであろうか。
他の利用客は、その刺青が意味する所を察し、嫌な顔でそそくさと内湯へと移動してしまった。
そのことに優越感を感じた刺青の男は上機嫌で露天風呂を独占していた。
カラカラ、と内湯と露天風呂を繋ぐ引き戸が開かれる。
それは露天風呂へ新たな利用客が入ってきた証左。
刺青の男は、己の背中の和彫りを見ればすぐに居なくなるであろうと高を括っていた。
しかし。
ざばっ、とすぐ近くで掛け湯をする音が奏でられる。
まさか、と思う前にその発生源である人間がちゃぷり、と温泉にその身を浸からせた。
闖入者からは己の刺青が見えていた筈だ。
自分の存在を認識しながら温泉に入ってきた人物を見やる為に、男はその強面を更に凶悪に歪めて隣を睨みつける。
そして。
その表情が一気に凍りついた。
男の心境を例えるのであれば、お隣さんは閻魔大王でした、といった所だろうか。
それほどの心的衝撃が男の全身を駆け巡った。
生物として逆立ちをしたって勝てはしない存在。
象が蟻を踏み潰すより容易く己を捻り潰せる益荒男が其処に居た。
刺青の男が考えていた脅し文句はその喉の声帯を震わせることは無かった。
驚愕から正気へ戻るまで長過ぎる時間を要した男が取った次の行動。
それは逃亡の二文字に他なら無い。
恥も外聞も、そして矜持も金繰り捨てて男は逃げた。
そうせざるを得ないほど彼我の戦力差は隔絶していた。
この場を無事に切り抜けることが出来るのであれば、今やっている稼業から足を洗おう。
男はそう誓い、股間の一物を盛大に揺らし、脱兎の如く露天風呂から飛び出していったのであった────
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき
お待ちかねの入浴シーンだぞ。
小太郎が周囲に威圧的な印象を与えていたのは、注目を浴びて緊張していたからです。