「……別れも言えず、か」
「はい」
私は、あの少女を。
父も、村も、何もかもを失った少女を放り出して……また、旅の中に戻って行ってしまった。
「仕方ない事だったが……辛ぇな」
「ええ」
式姫の主たる者には、絶大な力が要求される。
その為に、陰陽師は己を鍛え、ある者は自身の霊力で、またある者は、天地自然の力を味方につけ、それを借りて、彼女たちを支えた。
現に彼もそう……。
この庭に満たされた巨大な力によって、彼は、彼の下に集った式姫達の戦いを支えている。
だが、その小夜という少女には、陰陽道の心得も、霊地の加護が有るでも無い。
人の体一つで式姫を支えようと言うのは、凡そ、不可能な話なのだ。
童子切は、小夜の為にも、彼女と別れねばならなかった。
男は、黙って童子切の杯に、最後の酒を注いだ。
こくり……。
音さえ凍るような夜の中、童子切の喉の音が微かに響く。
「ご主人様」
「……何だ?」
「言って詮無き事は理解してるんですが」
「ああ」
「私は……どうすればよかったんでしょう?」
「そうさな……」
男は、杯に残った僅かな酒に視線を落とした。
どこか、そこに映る自身に問うように。
童子切の手にした杯の中の酒が、半分ほどなくなった頃、男が口を開いた。
「なぁ、童子切よ」
「何でしょう?」
「俺には童子切の行動の良し悪しは言えねぇ……けどな。」
俺の見も知らぬ、彼女の主だった人よ。
だけど、君も、多分俺と同じ。
陰陽師でも無いのに、いきなり彼女たちの主という立場に立ち……そして共に戦う事を選んだ。
「小夜さんは、気が付いていたんじゃねぇかな」
「……え?」
自分が童子切とは一緒に居られないと。
式姫と心を通じ合わせたその時。
童子切という存在の大きさと、それを納めるだけの器が、己に有るや無しやを。
「小夜様……が」
「本来なら、傷の治療を優先するもんじゃねぇかな……でも、彼女は酒とあてを準備してから、薬を取りに行くって童子切を一人にした」
「……あ」
あの時の彼女の表情が、時を隔てて、今、鮮明に思い出せる。
(本当にありがとう、私を助けてくれて)
もう、多分二度と会えない貴女に。
お別れは、私からは言えないから。
だから、せめて感謝だけは伝えたい。
ありがとう、そして、さよなら、童子切。
私の……式姫。
「小夜……様」
俯いた童子切の背に、羽織がふわりと掛けられた。
「……ご主人様」
「風邪ひくなよ」
それじゃお寝み、童子切。
それだけ言って、足音が遠ざかっていく。
それが聞こえなくなった頃、童子切は顔を上げた。
上げた目に映る月が滲んでいる。
百の時を隔てて、今ようやく、私は貴女にちゃんとお別れとお礼が言えそうです。
「私こそ、ありがとうございました、小夜様……」
貴女に出会えたあの日から……私は孤剣ではなくなった。
だから、私は、ここまで旅を続けることが出来ました。
そして、これからも。
きっと……。