真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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張邈決戦編 第七話

 

 

 張邈軍の攻撃が、始まった。程遠志も、鄧茂も、張曼成や厳政も、考えることを一時的に中断することを止む無く受け入れた。そしてそれは、荀彧と程昱も同じである。程昱の策から程遠志に対してあからさまな監視をつけることは決まったものの、そちらに集中するあまり、この城が落とされては何の意味もない。

 すべての籠城準備は荀彧が済ませている。各部署の持ち場から、兵士の配置まで。それは恐ろしいほどの正確さ、精密さが含まれた的確な采配だったが―――その的確さにも、影が見えていた。張邈軍の元にいる、かつて曹操軍の兵士だった人間たち。その中のすべてが見知った者であるというわけではない。知らぬ人間もいる。ただ、元曹操軍の者が張邈の元へ住処を変え、曹操の虐殺を声高らかに叫び、流布するその姿は兵卒たちの胸を打った。

 

 結果、兵卒たちが十全の力が発揮できることは殆どなかった。

 

 荀彧と程昱は、最も籠城の最難関であり、激戦区である正門を請け負った。普段後方で軍師の仕事を為す彼女らが戦場に足を踏み入れたことは、兵卒たちの士気を上げたが―――それで、やっと本来と同程度。十全の力を発揮できたのはこの正門にいる部隊のみだった。

 程遠志ら四人は、俾倪と門楼をせわしなく駆け回り、張邈軍に矢の雨を降らせた。それによってある程度までの侵入は防げたが、そこまでである。最初の一日目から、難攻不落であるはずの鄄城に、敵兵士が乗り込みかける様子がちらほら見受けられた。

 そこまで追い込まれて尚、この鄄城に陽が落ちた現在まで敵兵士が一人たりとも侵入することが能わなかったのは、荀彧や程昱の正確な采配や、程遠志たちの奮戦。それに敵前線で揺れる「董」の旗以外の軍が緩慢な動きを見せていたことに他ならない。張邈はそこで妙な潔さを見せるように全軍を一里程退かせ、休養を取らせた。その余裕を見せることが相手の士気を落とす切欠になると考えたのかもしれないし、実際問題曹操軍の兵士の戦意は少しずつ喪失していったこともまた、事実である。

 

 

 

 程遠志たちは鄄城の中の一室に集まっていた。一日が終わった。張曼成の言葉が確かならば、この城の寿命は後二十日を切ったことになる。だが、果たして二十日も持つのだろうか。そんな弱気が、鄧茂や厳政の胸の内に溢れ出てきていた。

 

「張曼成、状況をどう思う」

「まずいな。兵士の士気がいまいち上がり切らない。厳政に演説させれば、一定の向上は見込めるが、それでも付け焼刃程度だ」

「すみません」厳政は頭を小さく下げた。「もう少し、上手くできればと思うんですが」

「お前よりうまく喋れる奴はこの城にいねえっつーの」

 

 程遠志は彼特有の乱暴な言い回しで褒めたが、厳政の顔は浮かないままである。その程遠志の言葉に反駁しようとしているのか、していないのか。結局何を言うこともなく、口をもごもごとさせて押し黙った。

 張曼成はそんな厳政を見て、やがて程遠志に目を移した。

 

「そろそろ、決断の時が近づいてきたぞ、程遠志」

「……なんのことだ、なんてすっとぼけるわけにはいかねえようだな」

「勿論だ―――この城から、早く抜け出すべきだ」

 

 ぼそり、と張曼成は呟くように言った。一室を貸し切り、誰も他の人間を入れていない。それでも、扉一枚挟んだ向こうには隠れてこちらを窺う兵士がいることは、この場の誰にも理解できていた。それを使わせたものが荀彧や程昱だとも、わかる。

 程遠志は苦い顔になった。それでも張曼成から目は離さない。

 

「どうしても、か」

「今日で理解できただろう。この城は、このままいけば二十日どころか十日持つか、持たないか。そして、それは荀彧や程昱も理解できたはずだ。彼女らが何故俺たちへあからさまな偵察をつけるだけ、なんていう中途半端な温いことをしているかは理解できないが―――今日が、分水嶺だぞ。良くて明日の夜。悪ければ明日の朝一番に、俺たちの首は野晒しになる」

「そんなことを、あの猫耳が本当にやるのかよ」

「この城が落ちれば、兗州における拠点はすべて消えたも同然だ。どれだけの大軍を率いているとしても、補給路が消えた状態では、曹操さまですら厳しい戦いになる。荀彧は、それは許せないのだろう」

 

 程遠志らを無断で処分すれば、必ず問題になる。二十日間兵士たちを盲目にさせ、騙くらかすことができたとしても、必ず最終的には露見する。それを曹操がどう決めるか。緊急時の判断だから仕方ない、と許すか。夏侯惇も、夏侯淵も。厳罰に処すべきだと発するはずだ。

 どういう判断をするのかは曹操にしか分からない。だが、仮に殺されるとしても、荀彧はそれを受け入れているのだろう。だからこその滅私奉公なのだろう、と張曼成は言った。自らが死に、曹操だけが生き残る。程遠志を悪人に仕立て上げた後は自分が悪人になればいい。

 

「馬鹿馬鹿しい」程遠志は、小さく吐き捨てる。「そんなの認められるかよ」

「だから、逃げるべきだというのだ―――そうだろう、鄧茂」

「うん。今ならまだ、間に合うかも」

「間に合わせる」張曼成は言い切った。「俺が、間に合わせてみせる」

 

 彼の額にも汗が噴出していた。鄄城から逃げる、というのも簡単なことではない。見張りを躱す必要がある。それでも、張曼成は脂汗を掻きながら言い切った。

 

「他の手も考えるべきだ。厳政、お前もそう思うだろ?」

「ええ」厳政は、何かを覚悟したような表情になった。「他の手だって、ぼくにもまだあります」

「だよな―――で、どんな手だ」

「ぼくが囮になります」

 

 場がしん、と静まった。外の人間に気取られる恐れからではない。驚愕、唖然、憤怒、悲嘆。様々な感情がごちゃ混ぜになった沈黙だった。

 

「たぶん、あの兵士たちはぼくたち四人を見張れ、という言付けを受けているはずです。雰囲気からして、外の兵士たち以外はぼくたちへの警戒心なんてもってないでしょう」

「……だから?」

「ぼくがここに一人で残るので、程遠志さんたちは逃げてください―――できれば、張宝さまたちも連れて。中に一人ぼくがいて、話してるふりでもすれば多少は誤魔化せるはずです」

「いつまでも気づかれねえわけがねえだろうが」

「気づかれたら、ぼくが死ぬだけです」

「馬鹿が」程遠志は口汚く怒鳴る。「意味がねえだろ、それじゃ!」

 

 すぐさま張曼成は目配せをした。声を大きくするな。

 程遠志は「わかってるよ」と言いながらも、続ける。「俺たちは、俺たちだろうが。誰も欠けるわけにはいかねえんだよ。そうだろ?」

「それは、そうだな」と張曼成も言う。鄧茂も頷いた。この一点に関してだけ言えば、長い付き合いの張曼成も、さらにそれより長い付き合いの鄧茂も、呼吸と同然のようにわかっている。必要だから斬り捨てるとか、諦めるだとかの、淡泊さや非情さなどいらない。程遠志の言う友人とはそういうものなのだ、と理解している。

 

「早々に、決断するべきだ。何をするにしても今のままここで黙りこくっていては死ぬしかない」

「そうだな、張曼成。何度も聞くが、お前はこの城から抜け出すべきだってんだな」

「ああ。それが最良だ」

「だったらよ、厳政は死ぬことになるぜ」

「なに」張曼成は目を瞬かせる。「どういうことだ」

「さっきの言葉を忘れたのかよ。厳政は張角三姉妹を見捨てれねえんだ。あの姉妹を連れて、黄巾の砦の時みたいに逃げ出すってのか? 今の、まったく流れが読めない俺に」

 

 張曼成は目を見開き、黙り込んだ。この四人で鄄城を逃げ出す算段は建てられても、その中に非戦闘員である張角たちを含めることは、非常に困難なことだった。ならば見捨てるか、とはいかない。厳政を見捨てない、という程遠志の方針は、誰もが理解していたし、共有すべき感情だった。

 厳政は小さくなって頭を下げた。自分の所為だ、とまた不運を感じているのかもしれない。

 

「―――そもそも、だ。多数決が割れた時点で、どちらかが譲らない限りこの議論は平行線を辿るよな」

「当り前だが、そうだな」

「俺が強引に残ると決めても、お前が強引に城外に俺たちを連れだしても、どちらにしても何らかの遺恨が残りそうで嫌だな」

「程遠志」張曼成は肩をすくめた。「それはない。俺たち四人に、遺恨なんて残りはしない」

「……なら、いいけどよ」

 

 程遠志がそっぽを向きながら言った。彼は、向こう見ずで豪放磊落な性格をしている一方、弱気や怯えが誰よりも敏感に表れる性格でもあった。

 張曼成は少しだけ、その様子を見て笑った。何かが吹っ切れたようだった。突き抜けた爽快感が身体を訪れた。この男には、不思議な将器がある―――と、厳政がいつしか思ったことを彼も考えた。「流れ」こそが自分の持ち味だ、と程遠志は考えているのだろうが、張曼成はそれだけではないと思っている。友達が少ない、と嘆いている彼は、その実誰よりも仁徳溢れる男なのではないか。そう妄想した。妄想ではあれど、見当違いなことを考えているわけではないと確信も持てた。そのまま、口を開く。

 

「程遠志。お前が何を選択しようとも、俺は恨みなんてしないさ」

「はあ?」

「最後に決めるのは、お前だ。この四人の選択を統合するもよし、強引に決め切るのもいい」

「ちょ―――ちょっと待てよ。お前は、城を出たいんじゃ」

「それが最良だ、という判断を変えるつもりなんてない。ただ、この時点で最悪なのは何も決め切ることができず、味方に捕まり、殺されることだ。何か、最終決定をするということは、必ず必要なことだ」

 

 そう言い、張曼成は黙り込んで程遠志を見た。厳政もまた、同じである。

 鄧茂だけは黙らなかった。「僕が―――僕は、程遠志に死んでほしくない」改めて、そう言った。僕が死ぬとしても程遠志は死んでほしくない。そう、彼は言いたかったのだろうが、程遠志の前でむやみに自分が死ぬなどとは言えず、「僕が」を「僕は」に入れ替えて言葉を発した。自己犠牲的な思考を、程遠志が好まないことは先ほどの厳政の例からも伺える。しかし、その程遠志自身は他の仲間のためならば命を張ってもいい、とよく考えることが何とも皮肉で、自己中心的だった。そういう男なのだ。

 

 程遠志は目を瞑り、黙り込んだ。その頬からは滝のような汗が流れていたが、やがてその発汗はなくなり、水を打つような静けさが場を包んだ。

 程遠志は追い込まれている。場の誰もがそれを理解できた。追い込まれると、程遠志は飛躍する。思考が突飛なものとなる。鄧茂と張曼成は黄巾にいた時のことを思い出した。荀彧、夏侯淵と戦った時。あの時もまた、降伏が認められず追い込まれた程遠志は、突飛な案を導き出した。どうすればいいか。どうするべきか。その二つは程遠志にはわからない。こうしよう、と決めるだけである。

 そして―――鄧茂だけは程遠志の身に纏う雰囲気が、少しずつ変容していくの気がついた。流れが変わっている。少しずつだが、確かに。今までよりも困難で、難解な状況に、程遠志の持つ「流れ」でさえも完全に場を掌握することができていない。誰よりも彼の近くで過ごしてきた鄧茂だからこそ、程遠志の変化が理解できた。

 

 少しして、程遠志は目を開いた。汗はもう掻いていない。彼は物事を決めると、梃子でもそれを譲ろうとはしない。流されるままなのが自分の行動理念、人生哲学であった。

 

「決めた。俺が―――俺たちが、どうするか」

「そうか」

 

 口数少なく、張曼成は返した。厳政も頷いたし、鄧茂は黙って程遠志を見つめた。

 

 

「―――荀彧に会う。今からだ。会って、話をつける」

 

 

 

 

 

 








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