アクロバッター、ロードセクター……それに、ライドロン。
仮面ライダーBLACK RXこと、緑谷出久の擁する三大マシンの朝は遅い。
いや遅いというほどではないのだが、彼らの主には後れての起床となることには変わりない。
まあ、それも致し方のないことなのである。彼らの生活スペースであるガレージには窓がなく、シャッターが閉まっていれば昼も夜もない。
だから、朝のルーティーンをすべて終えた主がシャッターを開けてくれた瞬間こそが、彼らの起床のときとなる……はずなのだが。
(今日こそ……今日こそは!)
真っ暗なガレージの中で、独り神にも祈る気持ちでいるマシンがある。真っ赤な四駆、その名もライドロン。"気持ち"というからには彼はただの車ではない。そのボディには、かつてゴルゴムを裏切り仮面ライダーを助けた、クジラ怪人の魂が内蔵されている。
ゴルゴムとの最終決戦において壮絶な戦死を遂げたクジラ怪人だったが、ライドロンに宿ってからはともにクライシス帝国との戦いを生き抜き、今では同居までしている。当初より出久に対して深い親愛の情を抱いていた彼にとって、願ってもない理想の生活のはずなのだが……ここ暫くは、懊悩の日々が続いていた。こうして、暗闇の中で目覚めてしまう程度には。
程なくして、ガラガラと音をたててシャッターが開かれる。差し込んでくる陽光を眩く思いつつ、来た、とライドロンは身構えた。
「おはよう、みんな!」
『おっ、おはようイズク!今日も絶好の運転日和のようだな!』
同輩たちに先立って、そう応じる。声が上擦ってしまったという自覚はあった。
「ふふ、そうだね」
『イズク、今日モ学校カ?』アクロバッターが訊く。
「うん。今日は誰と一緒に行こうかな?」
『!』
ライドロンの心は色めき立った。出久の脳内には今、恋愛ゲームよろしく三つの選択肢が浮かんでいるのだろう。だがこれは現実だから、ゲームであれば攻略対象NPCであるマシンたちにも主張する権利はあるのだ。
だが、ライドロンはそれをしない。彼の心中を察してか、最近はアクロバッターもロードセクターも沈黙しているのだが。
「じゃあ──」
出久の視線が滑り……一瞬、ライドロンを捉える。ライドロンの心臓……もといエンジンは高鳴った。このまま急発進してしまいそうな勢いである。
しかし──
「出久くん、ちょっといい?」
「!」
背後からの呼び声に、出久の選択肢選びは中断されてしまった。
「どうしたの、響子さん?」
呼びかけの主は、的場響子。クライシス帝国に両親を殺されたことをきっかけに、仮面ライダーの仲間として行動をともにした少女である。出久よりひとつ年長であること、物静かで落ち着いた振る舞い、何よりその名前は、出久にかつての想い人を思い起こさせるのだった。
閑話休題。
「電話よ、学校から」
「えっ、雄英から?」
出久は首を傾げた。台風やらインフルエンザの流行でもあるまいに、よもや休校の連絡ということもなかろう。
いずれにせよ考えていても仕方ないので、彼はいったんガレージから離れていった。
数分ほどして戻ってきた出久は、童顔にばつの悪い表情を貼り付けていて。
『何ダッタンダ?』
「あー……ごめん、みんな。今日は電車で行くことになっちゃった」
『!?』
一同、驚きの声をあげた。発声器官をもたないロードセクターにしても、『ガガー、ピー』と作動音で感情表現をしている。
『な、何故!?』
「事情はよくわからないんだけど、駅に迎えの車をよこすからって。依怙贔屓はされたくないけど、そういうわけでもなさそうだし、今回は従うことにしたよ」
『………』
それが主の判断ならば、もはやライドロンたちには何も言えない。電車の時間が差し迫っていると踵を返して家を出ていく出久を、表向きは温かく見送るほかなかった。
ただし彼が去れば、本音を抑えきれないのも事実で。
『ようやく、と思ったのに……イズク……』
『……残念ダッタナ、ライドロン』慰めつつ、『シカシイズクハ、オマエヲ蔑ロニスルヨウナヤツジャナイゾ』
それは無論わかっている。朝と帰宅時だけでなく、就寝前の遅い時間にも出久は必ずひと声はかけてくれる。整備だってこまめにやってくれるのだ、蔑ろにされているだなどとは思っていない。バイクであるアクロバッターとロードセクターに比べると、高校生には使い勝手がよくないことも理解しているつもりだ。
──ただ、寂しいのだ。
(もっと、イズクの……ライダーの役に立ちたい!)
純粋な想いは着実に膨らみ、最早いつ破裂してもおかしくないというところまで来ている。しかしそれが今日この日だなどとは、ライドロン自身も含め誰も予想だにしていないのだった。
*
朝のホームルームを目前に控えた雄英高校1年A組の教室は、元気のいいヒーロー志望の高校生が集っていることを差し引いても騒然としていた。
おしゃべり好きな性質の者も含め、とりとめもない雑談で騒いでいるわけでは決してない。ゆえに昨日は「もうすぐチャイムが鳴るから席に着きたまえ!!」と皆を注意していた飯田天哉も何も言わなかった。
いや……彼自身、未だ唯一姿を見せないクラスメイトのことが、気がかりで仕方がないのだった。
「遅いな……緑谷くん」
仮面ライダーこと緑谷出久が、まだ登校していない。飯田のすぐ後ろに座る麗日お茶子もまた、彼のことを心配していた。
「まさか、
「……そうだな、ぼ、俺たちですらあそこを突破するのは至難だったんだ。直接の標的ともなろう彼の場合は……」
安否を気遣うような言葉だが、命の心配までしているわけではない。ただ──
「……デクくん、」
一日ですっかり定着させてしまった呼び名をつぶやいた直後、前方のドアががらりと開かれた。
「はぁ~ッ、ま、間に合った……」
「デクくん!」
滑り込んできた少年の姿を認めて、思わず立ち上がるお茶子。彼や飯田に限らず、大勢の視線が彼に集中していた。
「遅かったね、かめ……緑谷。外のあれ、大丈夫だった?」
出久に声をかけるには距離のある飯田とお茶子に代わって……というわけではないのだろうが、最前列に座る太い尻尾を生やした少年がぎこちなく声をかける。彼の名前を思い起こしつつ、出久は応じる。
「うん。その件で電話があって、今日は急遽電車で来ることになったんだ。ギリギリになっちゃったのはそのせいというか……」
わざわざ職員の車が迎えに来てくれたことは、念のため伏せて話した。ある意味特別扱いされているのは覆しようのない事実なのだが、要らぬ火種は持ち込みたくなかったのだ。
「そっか、確かにあのバイクだと目立つもんな」
「まあね。心配してくれてありがとう、──尾白くん」
下の名前までは流石に失念していたのだが、名字だけでも十分功を奏したらしい。尾白少年の薄い顔立ちが目に見えて綻んだので、出久も嬉しくなった。
同時に、迎えの車中で聞かされた話を思い返す。
──マスコミが、校門前に詰めかけている。
一昨日も昨日も、その兆候はあった。ただオールマイトの赴任と仮面ライダーの入学という要素が重なっている以上予想しえたことであって、対策も十二分になされていたのだ。鞭だけでなく、飴も与える形で。
ゆえに昨日、一昨日と至って静かなものだったのが、突如として状況が変わった。不自然だ。雄英側はそう考えているようであったし、出久もまた同意見だった。ただここにいる生徒たちは与り知らない話である。警告めいたことを言うにしても、それは自分ではなく雄英の役割だ。ノリの良いグループが初めて受けたであろうインタビューにはしゃいでいるのを横目で見つつ、出久は席に着いた。
「かっちゃん、おはよう」
「………」
返事がないのは、およそ一年ぶりのことだった。視線すら合わせてくれないから、昨日のことをどう思っているのかもわからない。ただきちんと登校しているのなら、あの退学届は自分の中で握りつぶしたのだろうと思う。今はそれだけでも僥倖と思うほかなかった。
それから一分もしないうちに本鈴が鳴り、担任であるイレイザーヘッドこと相澤消太が入室してきた。流石に三日目ともなると皆、私語を慎み彼を迎える準備を整えている。
さて、一昨日、昨日と連続でここがヒーローアカデミアの頂点であることを新入生たちの胸に刻みつけてくれたわけだが。果たして、今日はどんなイベントが待っているのだろうか──
「今日は学級委員を決めてもらう」
「学校っぽいのキター!!」
厳粛になりかけた教室内の空気ががらりと変わった。相澤が来る前……否、それ以上の熱気に覆われる。入学式さえも出られなかったので、普通ならだらけそうなイベントで盛り上がるのもうなずけた。同時に彼らはただの高校生ではない、ヒーローの
「先生!俺やりたいっす!」
「俺も!」
「ウチもやりたいです」
「オイラも!そしてゆくゆくはハーレムを………」
普通なら雑務のなすりつけ合いになるところが、皆が一斉に挙手をしていく。皆をまとめ、導いていくリーダーシップ──トップヒーローには重要な資質だ。
緑谷出久の場合、ヒーロー像と同時に理想とする世界像までも持っているので次元が違うのだが、ひとつ前に座る少年以外はまだ与り知らないことである。
その少年はというと、頬杖をついたままぼうっと窓の外に目を遣っている。関心のあるなし以前に、そもそもいま教室で起こっている出来事を認識すらしていないかのような態度。きみはそんな奴じゃないだろう、と内心思う出久だったが……ことここに至って、昨日ぶつけた言葉に勝るものはもう持っていない。これ以上、彼に対しては何もできない。己が万能でないことなど、強大な超・世紀王の力を得てからも嫌というほど身に染みているのだ。
堂々巡りの思考をいったん頭の中のゴミ箱に捨てて、出久も皆に倣って挙手する。収拾がつかなくなりつつある教室内、担任よりも先んじて、その鎮静化に挑む者があった。
「皆ッ、静粛にしたまえ!!」
突然響いた大声に、教室は波を打ったように静かになった。声の主は言うまでもあるまい、飯田天哉その人である。
一同の視線が集まったところで、彼はよく通る声で高説を述べはじめた。
「他を牽引する責任重大な仕事だぞ、やりたい者がやれるものではないだろう!周囲からの信頼あってこそ務まる政務!民主主義に則り真のリーダーを皆で決めるというのなら、これは投票で決めるべき議案……!!」
確かに、内容的にはうなずける部分もある意見だ。当の本人が、身体がぷるぷる震えるほど目いっぱい挙手をしていなければの話だが。
「いや説得力……」
「言いたいことはわからなくもないけれど、出会って間もないのに信頼もクソもないと思うわ。例外はあるでしょうけど」
蛙顔の少女──蛙吹梅雨が尤もなことを言うが、一同の耳に残ったのは最後部だけだった。"例外"──
「………」
皆の視線が、ひとりの少年に集中する。容姿のうえではクラスで一、二を争うくらい地味な彼だが、知名度と実績では生徒どころかNo.1ヒーロー・オールマイトに匹敵する。信頼という意味では、彼に敵うものなどいるはずもなかった。
──と、いうわけで。
「じゃ、あとよろしくね。委員長」
寝袋にくるまった相澤に仔細を文字通り"委ね"られて、出久は口をムズムズさせた。
大方の予想通りというべきか、彼は二位以下に圧倒的大差をつけて当選を遂げた。これが国政選挙であれば支持者に囲まれて万歳三唱でもするところだが、自身に投票した者も含めて全員が潜在的なライバルであり、納得半分、あきらめ半分というムードが漂っている。ただあれほど意欲を滲ませていた飯田天哉だけは、握った拳を震わせているが。
そして二位につけ、副委員長に選出された八百万百などはむしろ嬉しそうだ。自分自身以外に票を入れてくれた者がいるのだから、気持ちはわからなくもない。
望んだ通りの結果。ただその内実は、出久にとって必ずしも手放しで喜べるものではなかった。入学三日目にしてクラスの信頼を得ているといえば聞こえはいいが、それは遥か遠い存在であろう仮面ライダーへの憧憬にすぎない。対等なクラスメイトである緑谷出久への友情や親愛を込めた一票が欲しかった、などと一片でも思うのは強欲にすぎるのだろう。しかし求める理想は、そんなささやかな我儘の遥か先にある。