「今宵こそ、我らが吸血鬼の高貴さを知らしめる時ぞ!」
威勢がいい我らが当主様の掛け声が、図書館中にこだましています。というのも、我が主の魔法で、大広場で演説している我らが当主様の映像を図書館にて水晶玉で見ていたのですが、愚鈍な我が主は自分の声量を基準に音量を調整したため、吸血鬼の肺活量を十全に使ったその声量が、もはや質量をもって私たちの耳を劈いているのです。
「ちょっと、パチェ! 音下げて、早く!」
「わ、分かっているわよ」
当然のごとく父親にハブられてしまった我が主の親友であるクソガキは、私の願いを叶えるためにわざわざ大図書館まで足を運んでくださいました。別に、悪魔だけよこしてくれれば良かったんですけど。
「お嬢様、ご無事でしょうか?」
音量が段々と落ち着いた頃に、突然メイドが現れました。まさに神出鬼没。ですが、音量が小さくなってから現れるあたりいい性格をしていますね。流石は人間。愛おしい程に卑しいです。
「え、ええ。大丈夫だ。……それよりも、早くそこからどいてあげなさい。美鈴を踏んでいるわよ」
「おっと、ごめんなさい、美鈴。わざとじゃないのよ」
「ひ、酷いです。流石に重かったですよ、咲夜さん」
「今、何と?」
「いや、あの、何でもないです」
哀れですねぇ。やはりこの世はピラミッド式。上の立場の者に逆らえないのは人間も妖怪も変わりません。妖怪が人間の下にいるというのも、奇妙な話ですが。
「……そろそろかしらね。魔法に集中するから、暫く黙っていなさい。特にレミィ」
「分かったよ。……何で私なのかしら」
普段の行いが悪いんじゃないですか、とこちらを物言いたげに見ているクソガキに口の動きで伝えようとしましたが、残念なことに上手く伝わらなかったようです。……面白くないですね。
我が当主様の演説がラジオのように流れる中で、本を片手にブツブツと詠唱をしている我が主。今日は喘息の調子も良いらしく、普段よりも早口で多種多様な言語を織り交ぜて、意味のない支離滅裂な文章を作り上げていきます。……今のところ間違いは無いようですね。少しでも間違えたら、この紅魔館ごと木端微塵になってしまいます。それはそれで面白そうですが、死ぬのは大広間の木っ端妖怪だけでしょう。やはり、幻想郷に行った方が面白いに決まっています。今回は邪魔せずに応援しておきましょう。
「ふぅ、こんなものかしらね」
「なんだ、もう出来たのか?」
「ええ、後は当主様のご命令を待つのみね」
「父上の演説は長いからなぁ。……咲夜」
「はい。お紅茶とクラッカーでございます」
「わあ、美味しそうですね」
「美鈴の分は無いわよ」
「何故に!?」
今から戦争に向かうのに、優雅にティータイムとは……。余程自信があるのか、それとも本当の戦争を知らないのか。おそらく後者でしょうね。彼女らは戦争というものを本質的に理解していない。戦争というものを自分たちが相手を一方的に惨殺するものだと、そう思い込んでいるに違いありません。確かに、それは妖怪としては間違っておりませんし、(若干一名人間がいますが)大妖怪としては正しい姿なのでしょう。ですが、三下がやったところで惨めなだけでございます。そんな余裕綽々な彼女たちが、これから死よりも恐ろしい絶望を味合わせられる、ああ、想像するだけでも、楽しみで愉しみで仕方がありません!
「そういえばレミリア様、妹様はどうなされるんですか? 向こうでも引きコウモリのままですかね?」
「ああ、アイツは余り乗り気ではないらしい。父上も待機を命令しておられるしな。パチェ、魔導書でも貸してやってくれ」
「私は忙しいのよ。美鈴、頼めるかしら?」
「別に構わないですよ。妹様と話すのは楽しいですし」
「……まだ私には会わせて下さらないのですか?」
「当然だ。下手しなくても食われるぞ」
「えー、そんなに怖いお方では無いですよ。少々過保護なんじゃないですか?」
「子供は独占欲が強いですので、大目に見てあげましょうよ、美鈴さん」
「小悪魔、立場をわきまえなさい」
首を咄嗟に傾けると、耳元に風を切り裂く音を残して銀のナイフが通り過ぎていきました。どうやら番犬の尻尾を踏んでしまったようですね。別に、そこまで気に病む必要も無いのに。超上の力を持ったところで、所詮は人。その心は、脆く汚く、だからこそ美しい。
「ちょっと、暴れないで。こぁも黙っておきなさい」
「承知しました。我が主」
我が主によって、不本意ながら落ち着きを取り戻した図書館では、我が主が本を捲る音と、クソガキがカップを置く音、門番の菓子をバリボリと食べる音ですら聞こえるほどに静かになってしまいました。だからでしょうか、最早BGMと化していた水晶玉の声が一層はっきりと聞こえてきました。
「皆の者、時は満ちた! さぁ、今こそ宴の始まりぞ! 好きなだけ殺し、犯し、蹂躙するが良い!」
「パチェ」
「分かっているわ」
我が主は、読んでいる本をパタンと閉じると、その本の表紙をポンと叩きました。その瞬間、館が徐々に振動を始め、段々とその揺れは大きくなっていきます。ああ、本棚から本が零れ落ちてしまいました。全く、結解を通るときの抵抗による振動くらい計算に入れておいてくれてもいいと思うのですが。まぁ、所詮魔女といったところでしょうか。
段々と振動が収まっていき、完全に静止した時、また水晶玉から愉快なBGMが流れ始めました。さてさて、では一仕事と行きますか。
「無事、成功したみたいだな」
「当然よ、失敗するわけないじゃない」
「あのぉ、私って門の前に行った方がいいですかね?」
「当然だ。それが仕事だろう」
「はぁ、幻想郷かー。ひと段落したら一緒に散歩しません? 咲夜さん」
「あなたとは嫌よ」
「酷い! いい加減機嫌直してくださいよぉ」
敵地に来たという事を忘れてしまっているかのような反応ですねぇ。ですが、どうやら皆さん少し緊張していらっしゃるようで、表情が硬いです。流石にそこまで平和ボケはし
ていませんか。
「そろそろ行ってきますね、レミリア様、悪魔を召喚してくださいませんか?」
「ああ、分かっている」
そういった我らが主様は目をゆっくりと閉じ、小さく言葉を紡ぎ始めました。すると、大図書館の至る所に魔法陣が現れ、そこから何十もの悪魔達が飛び出してきます。……ふむ、中々使えそうな悪魔たちですね。少しは見直しましたよ。少しですけど。
「私の道具と成り果てた、哀れな悪魔よ。命令だ。館の外にいる妖怪共を殲滅しろ。いいな?」
悪魔共は小さく頷くと、そのまま首を垂れて服従の姿勢を取りました。契約成立ですね。
「それじゃぁ、屋敷の外へと転移させるわよ。……小悪魔も無理はしないように」
「大丈夫ですよ。私はそこのなんちゃって吸血鬼みたいに、はしゃいだりしないんで」
「おい」
「それでは行ってきますね。我らが当主様」
霞んでいく視界の中、最後に映ったのは鋭い目つきの我が主ときょとんとしておられる紅蓮の吸血鬼の姿でした。
「ふぅ、……どうやら中々の場所に転移したようですね」
突然空中に投げ出されるあの感覚は好きではありませんが、結果オーライってやつですね。しかし、少し計画を変えねばなりません。
まさか、いきなり妖怪の山の領地内に入ってしまうとは。
いやぁ、懐かしいですねぇ。山頂付近から出る煙も未だに健在のようで安心しました。……では、仕事の前に準備運動といきますか。
「さて、悪魔の皆さん、お久しぶりですねぇ。2000年ぶりくらいでしょうか? あちらの世界では元気してました?」
「……」
おお、折角この私が話しかけてあげているのに無視ですか。中々にいい根性をしていますね。……あー、そうでしたそうでした。こいつら、契約の時に発言の許可を獲てませんでしたね。残念ですねぇ。久しぶりに故郷の話でも聞こうと思ったのですが。
「まぁ、冗談はこのくらいにしておいて。私ちょっとお腹空いてるんですよね。ええ、まぁつまりはそういう事です。残念でしたね。呼ばれて早々ですけど、この世からバイバイです」
いつもは隠している妖気を少し出してあげると、途端に静かだった悪魔達がうなり声をあげ、私の周りをくるくると周りながら包囲網を作り始めました。なるほど、数の利を生かそうと。いい考えですが
「下策も良い所だ」
その言葉を挑発と受け取ったのか、何匹かの悪魔が襲い掛かってきました。しかし遅いですねぇ、これなら門番の方がまだ速いです。さあ、ただの捕食にならないように少しは足掻いてくださいね。
犬走椛は激怒した。必ずかの邪知暴虐の烏を焼き鳥にせねばならぬと決意した。どうして彼女が徹夜で山の見張りをしなければならないのか。確かに、彼女は白狼天狗であり、その仕事は懲戒である。だが、普通は一晩3人体制を取っているので、徹夜で見張りをするという事は、まず無い。では、なぜ彼女は徹夜で見張りをさせられたのか。それは、射命丸文という烏天狗に命令されたからである。何でも嫌な予感がするということだ。いくら内心で嫌っていようが馬鹿にしていようが、白狼天狗は烏天狗に逆らえないのである。
「はぁ、なんで烏天狗はああも勝手なんだろうか。少しは姫海道のような烏天狗も増えてほしいものだ」
深くため息をはく彼女の姿は、酷く哀愁が漂うものだったが、その目は鋭く研ぎ澄まされていた。彼女は千里先まで見通す程度の能力を持っており、この妖怪の山に侵入者が現れれば、即座に気付くことができる。その優秀さが仕事の多さに密接に関係していることを彼女はまだ、知らない。
「むっ」
その優秀な彼女の目が何かを見つけた。いや、正確には違和感に気づいたというべきか。雲一つなく、まん丸で綺麗な月が夜空を照らしていたはずの空が、やけに歪んで見えたのだ。それは、ほんの些細なもので、見間違いという可能性も一瞬考慮したが、彼女は即座にそれを否定する。彼女の千里眼が何かを見間違えたことなど、ない。鞘にしまわれている剣に手を伸ばして警戒態勢をとり、ゆっくりとその歪みの近くの丘へと近づいていく。しかし、彼女はこの時大きなミスをしたことに気づいていなかった。彼女の任務は所詮懲戒。少しでも違和を覚えたならば、烏天狗や更にはその上司の大天狗に報告するべきだったのだ。
「ここら辺から……」
監視しておくか、と声を出そうとした彼女であったが、実際には声どころか息を吐く事さえも出来なかった。それ程までに目にした光景は衝撃的だったのだ。突如として、見たこともない妖怪が虚空から一瞬で姿を現した。それも、一や二ではない。軽く見積もっても30体はいるであろう。その姿は様々で、人間のような姿のものから、牛鬼のようなものまでいるが、一つだけ分かることがあった。
(私では、到底太刀打ちできない……)
遂にあのスキマが攻めてきたのかもしれない。ならば迅速に報告しなければならないだろう。だが、彼女の意思とは裏腹に、身体が金縛りにあったかのように動かない。死への恐怖。匂いに敏感な狼を基とする白狼天狗だからこそ分かる濃厚な死の匂い。それが彼女の四肢の自由を奪っていた。
そんな状態でも彼女はその異形の侵入者達から目を離さなかった。僅かな隙をも見逃さぬように、奴らの息遣い、仕草を注視する。
すると、一体の侵入者が群れから外れ、何やら群れに向かって話し始めた。そいつは薄紅色の長い髪と一般的な人間女性と同じ体の攻勢をしていたが、頭と背中に蝙蝠の羽のようなものが一対ずつ生えていた。それはあの憎らしい烏天狗の羽よりも遥かに悍ましく、そして冒涜的に感じた。理由は分からない。だが、そいつを見ていると止め処なく不快感が押し寄せてくる。
謎の不快感と戦っていた彼女だったが、侵入者たちの様子が何やらおかしい事に気が付いた。件の女形の侵入者の周りを他の侵入者が囲み始めたのだ。まさしく狼が鹿を群れで刈るときのように。
(仲間割れか? だとすれば都合がいい)
侵入者は全員が全員臨戦態勢に入ったのか、件の侵入者を一様に睨んでいた。彼女は、犬走椛はそんな好機を逃すほど愚かではない。それは本来の彼女であれば、だが。
(今のうちに報告を……いや、あの気に食わない侵入者が屠られた後でもいいだろう。いや、その方がいい。その方が正確に状況を伝えられる)
彼女が逃げそこなっているうちに、戦闘は始まっていた。何匹かの大柄な牛のような奴らが突っ込んでいき、それに追従するかのように数多の化け物が中央に向かい突進していく。
(いけ! そのまま倒して仕舞え!)
その様子を見ている彼女もまた興奮していた。両手を強く握りしめ、目を限界まで見開いて、まるで相撲を観戦する河童のようにその戦闘に見入っていた。
その彼女の意思に沿うように、戦闘は一方的であった。囲まれていた侵入者は見る見るうちに、四肢を千切られ、腹に穴を空けられ、挙句の果てに首を撥ねられていた。
だが、首だけとなったそいつは声を上げて笑っていた。もはや体すらないその姿でも、心底楽しそうに、無邪気な子供のように。その余りにも常軌を逸した姿は、犬走椛を冷静にさせるのに十分であった。
(私は、何をしている! 何を呑気に見ているのだ! 早く報告に行かねば!)
カチコチに固まってしまっている足を何とか動かし、報告に向かおうとした時、ふと、首だけとなった侵入者と目が合った。いや、合ってしまった。その瞬間。にやりと笑っていた首の、目、耳、鼻、口、毛穴、ありとあらゆる穴から真っ黒な液体が溢れ出す。よく見るとそれはもぞもぞと蠢いており、彼女の優れた目は、それが黒色の蛆の集合体であることを認めた。それは、むくむくと膨らむように大きくなっていき、周りにいた侵入者どもをあっという間に巻き込んでいく。巻き込まれた侵入者は、触れた部分から、まるで鬼に踏まれたかのようにペシャンコになっていき、悲鳴にもならない声を上げながら吸い込まれていった。
(拙い。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬシヌシヌシヌシヌシヌ!)
逃げなきゃと思えば思う程、上手く走ることができない。空を飛ぼうと思い地を蹴ろうとするものの、足を滑らせて転んでしまった。それでも、我武者羅に土を這って逃げようとするが、後ろからそれ以上の速さでアレが流れてくる。
(せめて、せめて仲間に危機を伝えなければ!)
地面を這うのを諦めた彼女は、目前まで迫った死を前に、大きく口を開き、吠えた。
「ワオォォ────────ン!!」
妖怪の山に響き渡った彼女の声を受け、にわかに山全体がざわつき始めた。どうやら無事に伝わったらしい。
しかし、勇敢にも緊急事態を仲間に伝えた彼女だったが、悍ましい蛆の大軍をよける時間はもう残されていない。
(ああ、私は死ぬのか、ならば……ならば! 少しでも動きを抑えてやる!)
いつの間にか手から滑り落ちていた剣をとる。見るだけで吐き気を催すそれに怖気づいてしまっている身体を、強引に奮い立たせ、何時ものように剣を構えた。だが、彼女が奮闘したところで、それの勢いは大して変わらないだろう。それは、彼女自身も分かっている。
(けど)
「あのムカつく烏に、犬死したなんて絶対に言われたく、無い!」
蛆の川はまさに目と鼻の先に迫っており、蛆が蠢くビチビチとした音でさえ、彼女の耳に届いている。だが、最早彼女は怖気づかなかった。手に持った幅の広い剣を大きく振りかぶり、蛆の群れにむかい叩きつける。わずかに後退したそれは、即座に勢いを取り戻し、彼女の身体へと津波のごとく押し寄せる、はずだった。
「あややや、酷い言われようですねぇ」
聞き覚えのある嫌な上司の声がしたかと思えば、剣を振り下ろした瞬間に、ドスンと腹付近に強い衝撃を感じた。中々に勢いがあったのと、当たり所が悪かったのも相まって、無視できないほどの激痛が走る。息を吸おうと口を開けるが、酸素は一向に入ってこない。少しの浮遊感と、激しい風にさらされて、腹の痛みが増しているようにも思える。ふと下を見下げると、先程の悍ましい黒い波はすでに小さな点ほどにしか見えなくなっていた。腐っても烏天狗、幻想郷最速の名は伊達ではないらしい。
「先程から黙ってどうしたのですか? 犬みたいにハァハァと息をしていますが、もしかして発情でもしたのですか? あまりの私のかっこ良さに惚れるのは良いですが、残念ながらノーセンキューです」
早口で捲し立てる烏を見て、これは怒らせてしまったな、と思った。不本意ながらも長い付き合いなので、烏の心の機微は何となく分かるようになっていた。全く持ってうれしくない。いつも饒舌な烏だが、怒りの強さに比例してさらに口が回るようになるのだ。だが、その原因が思いつかなかった。強いていうなれば、最後に言ったあの言葉だが、流石にあれだけで怒る程彼烏の心も狭くな……、いや狭いな。間違いなくアレが原因だろう。
「さて、早く大天狗様に報告しますよ。……あの禍々しい物を放置するほど老いぼれてはいないはずですし。それと、折角助けに来た上司に対して暴言を吐くという愚行。きちんと折檻しなければいけませんからね」
「……堪忍して……くだ……」
「あややや、よく聞こえませんねぇ」
のちに訪れる罰の恐怖と、理不尽な上司のわがままに彼女の腹の痛みはさらに激しさを増すのであった。