とある奇蹟の断律歌姫(ディーヴァ)   作:柳雫あもる

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第二章 聖人を判定する聖人

 薄暗い空間に、一人の女性がたたずんでいた。

 彼女の名は、シャンタル=フラゴナール。

 ローマ正教列聖省(カウシス)所属の職員であり、同時に世界に二十人といない『聖人』でもある。

 とはいえ、シャンタルはほかの名の知れた聖人たちとは違って魔術界で活躍することはほとんどない。彼女の聖人としての『順位』は、その主な指標が社会への貢献度であることを差し引いても、後ろから数えたほうが早い。その程度には、比較的上位に位置し、かつ強豪で有名なイギリス清教の神裂(かんざき)火織(かおり)や、同じローマ正教所属の後方のアックアに比べて目立たない存在だ。

 彼女の業務はその名の示す通り、『聖人を判定し、(つら)ねさせる』こと。彼女はその内、聖人の可能性があるとされる人物を現地に(おもむ)いて監視、観測し、対象が本当に『神の子』の特徴を受け継ぐ聖人であるか否かを見定める実務を担っている。

「……『ド・タオンの動物寓意集』を参照。動、植、鉱の三界を適用。獣は走れ、草木は(しげ)れ、石は留まれ」

 シャンタルはローマ正教の人間であり、聖人でもあるが、魔術のほうは専門ではない。普段、彼女はあくまで列聖省(カウシス)のいち職員として業務にあたっている。聖人判定にはそれ専用の手法や魔術がたしかに存在するが、イギリス清教の必要悪の教会(ネセサリウス)やローマ正教のシスター集団のように、実地で戦闘をすることはほとんどない。

 彼女が専門とし、いま儀式場をこしらえて準備しているのは、『動物寓意譚(ベスティアール)』と呼ばれる術式だ。

茫漠(ぼうばく)たる世界を、ここに写し取れ。北は上に、東は右に。世界の中央には聖ピエールの(とな)えたヴァティカヌの丘を」

 シャンタルの前には、彼女の胸くらいまでの背丈を持った一つの台があった。台の上面には円や直線、矩形(くけい)を組み合わせて描かれた魔法陣のようなものが複数存在し、その上に、一枚の巨大な羊皮紙が置かれている。

「『ド・トロワの聖杯物語』を参照。聖杯を『奇蹟』に対応。谷破りの騎士ペルスヴァルが導きにより、隠された『奇蹟』を(さが)さん」

 ぼう、と淡い紫の光が羊皮紙に(とも)った。シャンタルが手をかざすと、指にまとわりつくように光が揺れ動き、ゆっくりとなにかを描きだす。

 それは、世界地図だった。

 彼女は元々フランスの田舎出身で、十二歳になるまで魔術とは縁もゆかりもなく生きてきた。その影響もあって、自らが聖人と判定され、ローマ正教傘下で地位を得て任務をこなすようになってからも、彼女は『十字教らしい』魔術をほとんど使ったことがない。

 魔術の手ほどきを受けたのはローマ正教の神父からだが、魔力の運用を習得してからは、もっぱら自分に馴染みの深いものばかり扱っている。すなわち、

瑪瑙(アガット)海豚(ドーファン)魔の薬草(マンドラゴル)──展開」

 フランス由来の魔術。

 シャンタルは懐から、あめ玉ほどの大きさをした三つのイミテーションを取り出した。形は様々で、それぞれ硬い石のようなもの、鼻先の尖った流線形で突起があるもの、そして人の顔をした植物のようなもの。金色に塗り上げられたそれらを、シャンタルはくるりと回して指先に挟む。

「緒言は省略。イミテーションを適用。儀式場、ペルスヴァルとの同調、完了。──霊装『聖歌探索(シャンシェルシェル)』、完成」

 不可思議な輝きを放つ台の前に立つシャンタルは、相変わらず仏頂面を保っていた。

 彼女は『聖人』であるが故に、扱える魔力の量そのものは並の魔術師とは比べ物にならないほど膨大だ。ただし、彼女の所属はあくまでも列聖省(カウシス)。その業務には魔術による攻撃や防衛など、あらゆる戦闘行為は基本的には含まれていない。

 そのため、彼女は刻一刻と状況が変わっていく戦場のような場面での、いわば即物的な術式ははっきり言って不得意だ。その代わり、自身の内にある『天使の力(テレズマ)』の存在を強く感じ取り、時間をかけて練り上げて扱う強固かつ精強な魔術においては、たとえ上位の聖人であろうと引けをとらない自信がある。

 現在、シャンタルはもちろん交戦状態ではない。その事実が示すのは、いま『時間をかけて』準備しているものこそ、彼女の最も得意とする強固かつ精強な魔術であるということだ。

「『奇蹟』をもたらす歌声を、その真珠のごとき輝きを、汝らの力をもって()ぎ分けよ」

 声と同時に、シャンタルは軽く腕を振るって三つのミニチュアのイミテーションを台の上に(ほう)った。それぞれ異なる形をしたイミテーションが、不自然な軌道を描いて羊皮紙に現れた地図の中を転がる。

 瑪瑙(めのう)海豚(いるか)、マンドラゴルは、どれも中世ヨーロッパに広まった『動物寓意譚』に登場する鉱物、あるいは生物だ。『動物寓意譚』とは様々な動植物、鉱物を対象に、その特徴や習性から象徴的、魔術的意味を見出して、それぞれに当てはめた魔道書の総称。起源を辿れば古代ローマの『博物誌』にまでさかのぼる、博物学という大きな学問の流れ、その発展系の一つだ。

 地域や時代、書き手によって細部は異なるが、シャンタルが用いるのは、そのフランス版。

「…………」

 異様な植物の形をしたイミテーションは、まるで止まりかけの独楽(こま)のような動きで羊皮紙の外周をゆっくりと回っている。石の形のイミテーションは淡い光でできた『陸地』を、流線形のイミテーションは『海』を、それぞれ体を揺らしながら進んでいく。

 

 さながら、執念深くなにかを探すように。

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