ーー助ける道は、あったのかも知れない。
誰も死なない道が、存在したのかも知れない。
それでも泡沫は選ばなかった。
探そうともしなかった。
世界の真実に辿り着いて、誓ってしまったのだ。
あのクソッタレな神様に復讐してやると。
そんなところばかり育ての親に似てしまうって。
けれど、満ち足りた感覚がする。
あの人の子で良かった。
ハンマーヘッドから程なくの場に、まだ生きている標がある。
パルマの標へと辿り着いた五人は十年ぶりのキャンプへの支度を始めた。
ルナフレーナも来たいと申し出てくれたのだが、メディウムとレイヴスの判断によりレスタルムでお別れとなってしまった。
もし何もかもをしくじった時にルナフレーナが居ないとなると、もはや再建も危うい。
「それに、男だけでキャンプってのにアジがあるんだよなぁ…。」
「旅してる間はずーっとむさいってわがまま言ってたのにー。グラディオだっけ?」
「メディもいってただろ。何が悲しくて男五人でテントに潜り込まなきゃならないんだって。モーテルでも嫌がるくせに。」
「そして結局、メディとノクトしか料理を手伝ってくれなかった。」
「あ、悪りぃ。俺手伝うわ。」
「弟だけにやらせられないお兄ちゃん魂出るわー。」
ガヤガヤと騒ぎながら、三十路を超えたおじさん五人衆は楽しそうにキャンプの準備をする。
この時ばかりはシガイも空気を読んだのか、満天の星空以外に視界に入るものはない。
やかましい唸り声も、響き渡る剣戟の音もしない。
しかし、長らく戦場にいた皆の耳には木霊するような甲高い音が残る。
この痛みと、この音と、あとどれほど付き合っていくのだろう。
溜息を吐きたくなるような長い夜がもう直ぐ終わる。
大事な誰かの命を賭けて、やっと。
けれど今だけは。
今だけは、あの十年前のように。
明るくて、楽しくて、嬉しかったあの旅のように。
「兄貴、ほら味見。」
「あ、ああ。うん…うん、美味いんじゃないか?」
「ノクト、俺にも。」
「ほい。」
差し出されたスプーンを口に含み、曖昧な返事を返すメディウムにイグニスが助け舟を出す。
軽く頷いて何も手を加えない姿を見て軽く息を吐き、野菜を切る作業に戻った。
体のことや味覚のことに関して未だ明確に報告していない。
しよう、とは思っていても言い出せずじまいのまま誤魔化すことになってしまった。
味のない食事はただの作業だ。
このキャンプにとっての食事とは心に暖かさと栄養を届ける団欒の時だ。
その一端を失ったことは悲しむべきなのだろうか。
味覚を失って五年以上経つ。
なんとも思ったことなどないのに、今日だけは何故だか苦しい。
「…寂しいって言えばいいのか。」
「やっと気付いたのか。おせぇよ。」
「メディは本当にノクトがいないとダメなんだから。頑張り過ぎちゃうよ。」
「うわっ、こら、お前らテントはどうした!」
グラディオラスとプロンプトに囲まれ、手にしていた野菜のスティクに齧りつかれる。
後ろを向くとテントはいつの間にやら設営が完了し、後は夕飯を待つばかりとなっていた。
変なところで気があう二人につまみ食いをさせながら、自分も一本だけ口にする。
やはり味はしないのに、なんだか暖かい気持ちだ。
「お前達。つまみ食いはほどほどにしなさい。」
「はーい。ママ。」
「あんなリーゼントのお母様なんて俺嫌なんだけど。」
「あっそっか。ノクトとメディのママだと王妃様になっちゃうのか。」
「ふむ。なるほど。」
「いやなるほどじゃねぇだろ。」
馬鹿みたいな会話だ。
星の未来なんて考えもしない緩やかな流れ。
こんなにも簡単で楽しいことを何故十年も忘れてしまっていたのだろうか。
冷たく固まっていた心に暖かな光が射す。
夜明けの王様ってあながち肩書きだけじゃないものだ。
「ほら出来た。」
「おおー定番のカレー!」
「物資が少なくてな。こんなものしか作れなかった。」
「十分だ。王都の作戦行動中は三日に一回缶詰食ってる程度だったし。」
「おい、今盟主から問題発言が出たぞ。」
ジロリと周りからキツイ視線をもらい、軽く笑って流す。
シガイ化したのだからそもそも食事をあまり必要としないのだけれど、彼らには言っても無駄だろう。
器を受け取り、さっさと自分の席に座ってしまった。
「ほら。食べよう。冷めてしまう。」
小さな明かりが灯るささやかな時間だった。
何を喋るでもなく、静かに食べることに没頭する。
とても穏やかで幸せな瞬間。
味のしない食事に舌鼓を打つとは言い難いが、そう表現したくなる気持ちだった。
夜空にゆったりと流れる雲。
いつまでも天高く昇る月。
煌めくほど鮮やかな星々。
日が沈むことに怯え続けた三年。
いつの世もいつの時代も変わらぬ夜が日常になって七年と少し。
念願の夜明けの前、最後の晩餐。
豪華ではないけれど確かに美味しいイグニスの手料理。
ーーああ、幸せだな。
はらり。
視界が僅かに滲み、頬を生暖かいものが伝う。
味のしないはずの口に塩辛いような感覚を覚える。
何故そうなっているのか理解できず、軽く首を傾げていても頬に何かが伝う感覚が治らない。
目頭がどんどん熱くなって行き、気がつけば視界はぼやけて何も見えない。
どうしよう。
その一言が浮かんだ直後に、駆け巡るのは三十年の軌跡。
多くの苦難と苦痛に耐え忍んできた長き時がようやく終わりを告げる事実。
死という解放を経て眠りにつく自分。
何もかもが最期の時であることを誰にも告げず、迎えた今日。
人である最期のかけらの心臓が煩いほど高鳴る。
ぱちり。
瞬きをした拍子に視界がクリアになった。
驚いた様にこちらを見ているプロンプト。
困り顔でタオルを探すグラディオラス。
落としそうになっていたカレーをいつの間にか持ってくれているイグニス。
椅子から立ち上がり、メディウムの手を掴むノクティス。
あ、そっか。
みんなの顔を見られるのは今日で最後なんだ。
これから、俺は死ぬんだ。
カチリと頭の中で音がした。
嗚咽をこぼす喉が、震えと共に悲鳴じみた情けない声を漏らす。
忘れようと努力してきた感情が音を立て、雪崩のように崩れ行く。
誰に命令されたわけでもなく誰に頼まれたわけでもなく自分で選んだ事だった。
ノクティスを生かしたい。
アーデンを一人で死なせたくない。
全てを裏切り全てに嘘をついたあの神様を殺してやりたい。
最初はそれが願いだった。
叶うのならなんだって出来た。
死など恐れなかった。
今更何故。
まだ一緒に旅をしたいと考える。
見ていない世界が沢山ある。
知らないことが溢れている。
描きたい絵が残っている。
死にたくない。
死にたくない!
死にたくない!!
「…俺が泣くべきじゃないよな。」
自分すらも失う覚悟。
目の前の大切な存在を腕の中に入れる資格すらないこの体。
脈打つ心臓も、もうすぐ止まる。
自分は奪われるだけの情けない存在じゃない。
そう信じて進んできたのに。
正しいことをしてきた筈なのに。
「情けねぇよな…。」
彼等には弟を救えない兄の嘆きに聞こえているのだろうか。
此の期に及んでまだ心を捨てきれない自分への罵声は、涙声だ。
ノクティスが震える手を強く握りしめる。
「俺も、お前らの顔見てると…駄目だわ。」
顔を上げた。
同じように唇を歪める弟は気丈にも口角を上げる。
お互い様だけれど、酷い顔だ。
「やっぱ…つれぇわ。」
泣き崩れたいのを抑え込み、懸命に笑うような顔を作る。
お前にこんな覚悟をさせる駄目な兄でごめん。
こんなことしかしてやれない駄目な兄でごめん。
「そりゃ、つれぇでしょ。」
プロンプトが椅子に深く背を預けた。
下を向く目は悲しみに細められる。
「…ちゃんと言えたじゃねぇか。」
あまり自分の言葉を使わないノクティスの吐露にグラディオラスは小さく笑う。
上を向いた頬に零れ落ちた何かが伝うのも気にせず、まっすぐと夜空見見据えて。
「聞けて、良かった。」
一番側でノクティスを見ていたイグニスのか細い声。
叫び出したいだろうに、噛みしめる唇がそれを阻む。
ノクティスが眠る十年の間。
彼等は世界の理に辿り着いた。
本人の口から説明を聞くまでもなく、この戦いの終わりがどうなるか分かっていただろう。
他に方法はないのか、術はないのか、彼等は懸命に探した。
結局、他の方法など見つからなかったけれど。
何も言わず、去っていくのか。
父王のように。
自分の放った言葉が突き刺さる。
彼等は知らない。
メディウムがしようとしていることも、その先に待つ未来のことも。
ああ、でも。
言ってしまったらそれまでなのだ。
最初に描いたシナリオはありきたりでポップな終わりを迎える。
その通りに終わらせるには、ここで口にしてはいけない。
シナリオを演じる側が、役者がこんなに辛いなんて描いた時は知らなかった。
ノクティスが皆の方を向く。
しっかりと顔を見て、最後に兄へと笑いかける。
「俺、お前らのこと好きだわ!」
皆がテントへと潜り、寝静まった頃。
少し離れた王都へと続く道路の真ん中にコートをなびかせる男が立つ。
背を向けて、決してこちらを見ない男は小さく首を傾けた。
「お別れは済ませた?」
「…まあな。あんたも、こんな気持ちになったのか。」
「君とは違う感覚だったよ。俺は希望があるって信じてた。裏切られる、なんて微塵も思っていなかったから。」
「じゃああんたの方が辛かったのかな。」
「他人と自分は違う。…イオスの罪を背負った俺が保証してあげる。」
くすり、と小さく笑った。
終わりの時を待つ死者がやっと振り向いた。
手に持つのは瘴気を放つ彼の"心臓"だ。
「俺の魔力が詰まった心臓を使ってまで復讐してやりたい、なんて。君、馬鹿だよね。」
「その代わりに俺の心臓と交換って言ったあんたも相当イかれてるよ。」
「君の罪も背負ってやろうかと思ってね。」
「…大きなお世話だっての。」
「遠慮しなくていいよ。今更一つ二つ増えたところで変わらない。」
未来も、現実もね。
同じように、人間の部分の心臓を差し出す。
本来の役割から逸脱した心臓は動くことなくアーデンの手に収まる。
代わりにシガイを誘導することで、その肉体へと王の心臓を取り入れた。
他人の魔力特有の暖かさが、妙に馴染む。
あげた心臓はと言うと、同じようにアーデンのその胸に収まり本当に交換する気だったのかと呆れの混じった眼差しを向けた。
シガイの臓器移植などぞっとしないが、無駄な痛みがないのだけが取り柄だ。
「決戦の時はどっちにつけばいい。」
「好きにしなよ。君はもう"大人になった"から。親元を離れてもいいんじゃない。」
踵を返して王都へと戻っていくアーデンは今更なことを言う。
とっくのとうに大人になっていたのに、不思議なことだ。
「決別ってことでいいのか。」
「…そうだね。ここで君とは道を違えてお別れ。」
「じゃあ、あんたに伝えたいことがある。別れる前に。」
面倒臭そうに振り向いた。
早くしてくれと言わんばかりの顔に苦笑いが溢れる。
そう言うところだぞ。
「あんたは人に誇れるような奴じゃなかった。」
「なにそれ。ここに来て恨み辛み晴らそうっての?」
「まあ聞けって。アンタはずる賢くて手のつけようがないぐらいの悪党で、世界をこんな風にした最低な奴だ。」
「まあね。」
それがどうした。
肩をすぼめるアーデンにまた笑う。
ここまで言っても聞く姿勢は崩さない。
「でも、俺を拾ってくれた。」
たとえそれが定められたことだったとしても。
ただの好奇心だったとしても。
嬉しかった。
こんな出来損ないでも一緒にいると約束してくれた。
「見捨てずに育ててくれた。殴るし蹴るし怒るし馬鹿にしてくるけど、絶対に見放さなかった。」
逃げ出しても連れ戻しに追いかけてきた。
何度迷子になっても必ず迎えが来た。
帰る場所を教えてくれた。
「世界中に頭下げなきゃならないぐらい酷い奴だけど。」
ニッと笑った。
アーデン直伝の胡散臭い顔。
この顔が何よりも好きだ。
「俺にとって、父親だった。ありがとう。父さん。」
一度だって呼んだことのない呼称だ。
けれど、いつか呼ぶことがあったら。
呼べる日が来たら。
そう呼ぼうと決めていた。
アーデンはまた背を向けた。
見えない顔に、僅かに微笑みを浮かべて。
「君の選択はいつだって正しかった。君のその迷いは、人間らしい願いだよ。人であること自覚できてよかったじゃん。…人として誇れ。守れることを喜べ。進む未来を信じろ。"その程度のこと"に迷うな。…馬鹿息子。」
止まったはずの涙がまた頬を伝う。
振り返らない父の背中が滲む。
空も道も暗いのに、真っ黒なコートが溶けてしまいそうなほどなのに。
あの背中ははっきりと見える。
いつも見ていた赤が揺れる。
楽しかったよ。
君との"人生"は。
「次は、親と子でありながら己の信念をかけて闘おう。憎しみを掲げてあげる。君の罪と一緒に。」
だから、君は正義を掲げなさい。
光ある未来を、神なき世界を正しいと信じるのなら。
「…お見通しって、やめてほしいわ。マジで。」
「父親だからね。当然でしょ。」
お互いに歩き出した。
違う道を、背を向けあって進んでいく。
見えもしないのに示し合わせのように手を振った。