むっすりとした顔で雪の中を進む、テネブラエ行きの列車に揺られる。
目の前には楽しげにこちらを観察するアーデンおじさん。推定千九百八十何歳。四捨五入して二千歳。
フェネスタラ宮殿を襲撃したことで完全なる属国になって三年。
十七歳になったディザストロはテネブラエ側の要求により外交官を任されていた。
正確には俺ではなくアーデンが行なっていることになっているが体裁を保つための名目に過ぎない。
そもそもディザストロは帝国軍人ではない一般高校生という枠。
こんな無理が許されるのかと言われれば許されないのだがそこは宰相の権力。
テネブラエ側の"ディザストロ・イズニアを外交官として指名したい"という無茶苦茶な願いを、ギリギリのところで叶えた。
外交官はアーデンでありディザストロは観光客。
入国規制などもない今は観光客の扱いはテネブラエ側が好きにすればいいことなのでたとえ宮殿に招こうが、外交の場に立たせようがアーデンがなにも言わなければ罷り通ってしまうのである。
アウトに近いセーフ、いやもうスレッスレだ。
これはもうアウト判定じゃないのか。
バレなきゃいいとかのレベルではないぞ。
「せっかく遊びに行くのに、全然乗り気じゃないね。テネブラエは好きじゃない?」
「いいところだとは思うが、俺は帝国に属した覚えはない。なんで外交をしなきゃならない。」
「要塞に住んでるのに?」
「あんたの家があの薄気味悪いジグナタス要塞だったからだろ。」
高校に通っているといってもそうなっているだけで実際は外へ出ていない。
定期試験で一定の点数を叩き出せれば授業が免除されるという制度がある名門校に籍を置かせて、相変わらずの軟禁生活だ。
定期試験でさえ高級車の送り迎え、運転はアーデン。
お陰で変な噂が流れ、めくるめく一般男子高校生の青春などありはしなかった。知ってたけど。
「帝国じゃなくてあんたに仕えてんだよ。あー仕えてんじゃなくて飼われてんのか?」
「今のところはペットでしょ。懐き始めた猫。」
前髪だけ適当に切られただけの長い髪を黒いリボンで無造作に一括りにしたその姿は少し生意気な猫。
敵の総大将に見せる姿とは思えない無防備さと緊張感のなさが自由奔放な猫そのものである。
無駄に気品のある猫なので攫われないように監禁か軟禁する必要があるが。
高校でもどこかの王子様か貴族ではと噂されているのを知らないのだから困ってしまう。
やれやれっと無駄に様になった動作で首を振るアーデンに、何も知らないディザストロはイラッとするが怒鳴りはしない。
ペットと言われるのならば自分はペットだ。
アーデンの所有物なのだから言う通りにせねばならない。多少反抗はするが。
因みに反抗したことで列車旅になった。
揚陸艇や飛行戦艦でくる観光客なんているわけないと最もな意見を発言し、自分はゆっくり行くと一人で電車に乗ろうとしたところ止められ、妥協案として二人旅となった。
宰相が護衛なしでいいのかと思うがイドラ皇帝は気にも留めない。
自由にさせているのかさせざるを得ないのか、堅苦しくなくて助かるといえば助かる。
「向こうに着いたらちゃんとした呼び方してよ。一応、外交に行くんだから。」
「ちゃんと働く気なのかよ。神凪の一族が正体知ってて要求してんなら肝が据わってるな。まあいいや、なんて呼べばいい。」
現時点でシガイの王様だとわかっているのは次期当主で神々に神凪を任されたルナフレーナだけなのだが、あとで考えればいいやと今重要なことを優先する。
何より神凪を少なくとも嫌うアーデンがまともに交渉する気なのが驚きだ。
「いい機会だから考えて。"あんた"とか"おい"とか"お前"とかいつもの熟年夫婦みたいなのなしね。」
「おっさんと夫婦になるくらいなら真面目に考えるわ。」
「うわひどっ。」
特に呼び方など決めておらず、適当に声をかけていたためここで知恵を絞る羽目になった。
真っ先に浮かんだのは主人としての呼び名である。
「マスター、とか。」
「それっぽいけどダメ。」
「宰相。」
「役職でしょそれ。」
「ご主人様。」
「そそられるけど却下。」
「不審者。ど変態。ドS。愉悦シガイ。」
「それただの罵倒だよね?」
主人ではダメらしいので正式な役職を呼んだが却下。
趣向を汲んだら最低な発言をしたので罵ったが笑って流された。
「アーデン宰相ってのが無難だろう。何が悪いんだよ。」
「外はそれでいいけど、部屋の中じゃどう呼ぶつもりなのかな?家族を紹介してって頼まれた時とかも。」
「あー、それは考えてなかった。というか紹介するほど仲良くなるような人間ができる日がくるのか?軟禁生活終了のお知らせ?」
「今の所出す気ないけど。」
じゃあなんでいったんだよ。
非難の目を向けるが素知らぬ顔。
今まで通りにしようかと思ったが熟年夫婦呼ばわりは嫌なので真剣に考えた。
アーデンと俺の関係は使命の上では主人と所有物であり、帝国の上では宰相と息子。
親と子の関係と言われるとしっくりこないし、遠い親戚と言われた方がまだわかる。
あながち間違いじゃないし。
「…"親父殿"なんてどうだ。」
「人の捉え方を逆手に取った呼び方だねぇ?」
苦肉の策として提案して見たが、アーデンは満更でもなさそうだ。
親父殿という呼び方を聞いて、自分の父親をからかう呼び方と捉える人もいるが本来は全く違う。
他人の父親を敬う呼び名となる。
本当の父親ではないアーデンをシガイの王として、シガイの父親として敬うという意味の呼び名になるが大半の人間は勘違いしてくれるだろう。
親父殿と呼んで首を傾げられれば親父と呼び変えればいい。
外に出て呼ぶことになるとは思わない。
「外であんたについて聞かれた時に使う。部屋の中じゃアーデン、でいいだろ。」
「あれ?そこは名前で呼んでくれるんだ。」
「俺ももう大人になるしな。幼いとか物理的な気後れを感じる歳でもない。熟年夫婦は嫌だ。」
「引きずるね。」
変わらずムカつく顔でニヤニヤとしてくるが少しだけ嬉しそうだ。
名前を呼ばれるのがそんなに嬉しいのか、シガイの王なのに。
確かにいつもイズニア宰相とかばっかりで名前を呼ぶ人を見たことがないが、たかが名前だろうに。
考えが顔に出ていたのか、アーデンはさらにムカつく笑みを広げその唇に柔らかい音を乗せた。
「メディウム。」
ぶわりと背筋に得体の知れないものが走った。
反射的に身を震わせ、体を抱え込んで椅子の端側による。
気持ち悪いものを見る目でアーデンを見るが反応が面白かったのか小馬鹿にしたように鼻で笑う。
ゾワゾワと身体中を駆け巡る感覚は吐き気がするほど甘い声で正式名を読んだアーデンが原因だと理解した。
なるほど、固有名詞を呼ばれることはとても強い感情を引き起こす。
俺の場合は憎悪だ。きっとそうだ。胸が高鳴るとか乙女チックなのは吊り橋効果だそうに違いない。
ここで大人しく引き下がっていればいいものを、無駄に倍返しでやり返す精神のあるディザストロは精一杯をやり返してしまった。
わりとずれた方向性で。
無駄にタイミングよく。
「アーデン。」
帝都の堅苦しい街並みから氷神の亡骸を通り過ぎ、トンネルを抜ければ一転して幻想的な樹海が広がって行く。
木漏れ日を浴びながら走る列車のコンパートメントの一室で、溢れんばかりの光を浴びてにこやかに微笑みながら、優しくその名を呼ぶ。
慈愛に満ちたその瞳は太陽のような暖かさを宿し、まっすぐな赤毛がふわりと揺れた。
壁に体を預け、足を抱えるあざとい姿勢。
一瞬絶句してしまったアーデンに勘違い的に勝ったと思い込んだディザストロがふにゃりと笑う。
はぁーっと重苦しいため息をついて、アーデンはその頭をひっぱたいた。
「いっ!?負け惜しみか!?」
「だから軟禁生活のままなんだよ。」
「話が見えないっ!」
頭の出来と知識量は圧倒的なくせに精神は幼い頃の方がまだマシだった。
少なくとも無防備に人を惹きつけるような顔をする子供ではなかった。
手に入れたオモチャが昔の人間のように逃げては困ると俗世との関わりを断たせたのだが面倒なのが出来上がってしまったかも知れない。
逃げ出すという思考に成らないようだし、そろそろ外に出してみるか。
昔のトラウマからくる無意識の独占欲で軟禁生活を強いられていることなど知らないディザストロは珍しく笑みを浮かべないアーデンを不思議そうに見ていた。