御都合主義がより一層強くなりますが予めご了承ください。
帝都グラレアを列車で少し進んだ先に氷神の亡骸がある。
世界中の人が知っているその渓谷には常に吹雪が吹き荒れている。
その煽りを受けて帝都では少しばかり雪が降る時期が早い。
今年も例年に習って秋の木枯らしが瞬く間に過ぎ去り、気がつけばさらさらの雪が街中に積もり始めていた。
「…雪。」
「ディザストロ?」
副官の仕事で帝都への外出許可が出たディザストロは付き添いの同僚と共に雪降る都を歩いていた。
帝都ではこの時期珍しくもない雪を感慨深げに眺めるディザストロに、同僚は首をかしげる。
彼の出自は公には謎に包まれているが、宰相に伴侶の影が見当たらないことから帝都出身かも怪しいと噂されている。
何処かでもうけられた隠し子説が有力だが、別の国や地域出身なら雪は珍しいかもしれない。
「ああ、いや。今年もよく積もるなと。」
「例年通りですが毎年悩まされます。子供達は楽しそうですけれども。」
「子供にとっては何年見ても新鮮なものだろうな。」
大通りを駆け抜ける子供達は暖かそうな服に包まれて楽しそうにはしゃぐ。
時折道端の雪を手にとってはお互いに投げ合い、また別の場所へと駆けていく。
人通りが少ない雪の季節は大通りですら子供達には公園だ。
「ディザストロも雪は珍しいですか?」
「珍しくはないが、ああやって遊ぶことは少なかったからな。雪と言うより氷の方が馴染み深いのもある。」
気になって聞いてみたが出自の手がかりにはなりそうもない。
氷が氷柱のことならば帝都でよくみられる。
遊ぶことが少ないと言うのは疑問だが、貴族階級出身の者がよく口にしていたことを思い出す。
やはり謎のまま。
これ以上突っ込む気もない同僚はそうですか、と植え込みの雪を摘んだ。
ディザストロの言う氷は魔法で生成した自らの氷を言う。
ほぼエレメントの塊と自然発生した雪は原理が似ていても気持ちの部分が大きく異なる。
なにもしていないのに、魔法のようにこの時期だけ降り積もる白く冷たい物を見るたびに心踊った。
王都インソムニアにも雪は降る。
しかし王子が風邪を引いてはまずいと心配そうにする侍女達に申し訳なくすぐにやめてしまっていたし、アーデンに引き取られてからはずっとジグナタス要塞に篭りきりだった。
雪で遊ぶと言う言葉に魅力を感じてしまうのは致し方ないかもしれない。
「雪が深くなってきましたね。早く戻りましょう。」
「そうだ…な!?わぷっ!?」
「ぷっ…すみません顔に当ててしまいました…ぷぷ…。」
遊んだことがないというディザストロに出来心で雪を投げつけてみた同僚は、持ち前のコントロールで顔面に見事ヒットさせた。
顔中雪まみれになったディザストロに思わず目をそらして笑う。
「くくく…ふふ、うっ!?」
「逃げるが勝ち!」
「あっ!待ちなさい!」
仕返しなのか、マフラーと帽子の間で皮膚が露出している場所に冷たい雪をぶつけて来た。
そのまま政府首脳部の職場まで逃げ去るディザストロを同僚は追いかける。
先ほど見た子供のように途中で雪を拾いながらお互い街中を駆け抜けた。
「それで風邪ひいたの。馬鹿じゃないの。」
「あいつも風邪ひいたから痛みわけだし。」
「有休消化になるからいいけど、子供じゃないんだから。もう二十一でしょ?」
「返す言葉もございません…。」
ズビズビと鼻を鳴らしながら鼻声でアーデンに看病される。
喉に無数の針が刺さったかのように痛い。
熱のせいでぼんやりするが、頭痛が無いのが助かる。
安静にしていれば一日で熱は下がりそうだ。
昨日びしょ濡れで仕事場に戻った二人は、急いでその日の仕事を片付けてお互いに帰宅した。
ジグナタス要塞はすぐ目の前だが、居住区に入るには人通りのない通路を通るしか無い。
経費削減の為に暖房がついていない道だ。
そこを多少乾いたとは言えびしょ濡れで歩けば風邪もひく。
同僚も寒い外を再び歩いて同様の症状で休みの連絡を入れたと聞いた。
いい大人が酷い様である。
因みに昨日はアーデンの帰りが遅い日だったので寝込んでいるのを見て不審に思い、事の顛末を聞き出したのである。
「はい。お粥と薬ね。」
「ありが…は?お粥?」
上半身だけ起き上がったディザストロの前に熱々の卵粥のようなものが差し出される。
それ自体になにかしら魔法がかかっている気配もないし、ドス黒いものが紛れている様子もない。
何の変哲も無いお粥である。
さて、ここで疑問が湧く。
これは一体誰が作ったのか。
「俺だけど?」
「これは間違いなく幻覚だな。相当重症らしい。」
「納得してるとこ悪いけど俺の手作り残したら休み明けの仕事五倍にするよ。」
「現実逃避すらさせてくれない!」
一体全体どう言う事なのだ。
何も知らない御坊ちゃまならぬ王子様時代だって、仕事で過労死しそうな新人時代だって一切手料理など振舞われたことはない。
むしろ台所に立っているところを見たことがない。
この胡散臭いおじさんが。
台所で。
料理。
「なんて地獄絵図。」
「本当に死にたいのかな?」
「すみません食べます。」
恐る恐る粥を掻き混ぜて確認するが、本当に怪しいものはなさそうだ。
何度か冷めるように息を吹きかけて口に入れると、出し汁の風味がする卵粥だった。
「え?親父殿、飯作れたの?」
「それ最初に聞くべき事だよね。風邪で脳細胞半壊してるんじゃない。」
「しょうがねぇだろ!ありえない現象に出会った人間の当然の反応だ!」
「煩い。黙って食べなさい。」
「理不尽…。」
普通に食べられる。
何もおかしいところはない。
出汁はおそらくこの間オルティシエの魚介類で作ったもの。
米は昨日の夕飯に炊いたもの。
卵は先日買い出しを頼んだ時の。
具材などほとんどないあり合わせだが、出汁さえあれば味は十分だ。
ジグナタス要塞に住み始めて早十五年。
始めてアーデンの手料理と言えそうな料理を食べた。
「あー。えっと。ありがとうございます?」
「どういたしまして。風邪薬は流石に市販のだから効き目は知らないよ。」
「あんた風邪ひかないもんな。」
人間は面倒臭いと言いつつ薬類は常備してくれている。
この風邪薬も冬場になると必ず薬箱に置かれていた。
なんだかんだ言って面倒見のいい。
そういえば病という病に罹ったことがないかもしれない。
ジグナタス要塞の居住区は厳重に管理されているので病原菌すら入る隙間を与えない。
そう考えるとこの風邪は完全に馬鹿をやった自分が悪い。
しかし、熱とは違う暖かさが体を包む。
「なんか今凄く楽しい。」
「半壊じゃなくて全壊かな。ご臨終。」
「死んでねぇよ!」
誰かと馬鹿みたいなことをして、慌てながらやる事やって、明日のことを考えながら帰って、馬鹿やった結果風邪引いて親に怒られる。
何処にでもいる子供が一度はやらかす物事をディザストロは大人になって初めて体験した。
"生まれた時から大人でなければならなかった"彼にとっては夢のような瞬間だ。
まるで自分が普通の子供になったかのような、そんな感覚。
あのまま王都で燃え尽きるか王子として生き続けていれば体験できなかった事が、この都に住み始めてからいくつもあった。
父親の手作りお粥も、その一つだろうか。
「…馬鹿なこと考えてないで寝なよ。氷枕もって来てあげる。」
「本当ありがとう。アーデン。」
パタリと扉が閉まる音と共に布団に潜り込む。
目が覚めたらまだ降り積もる雪でも眺めようと考えながら。
ーー本当、馬鹿な子。
一瞬だけ寂しそうな顔をしたディザストロを思い浮かべ、アーデンは金に近い橙の瞳を細める。
馬鹿過ぎてその辺に捨て置きたくなるような義理息子。
なのに寂しそうな顔をされるとどうしようもなく構い倒したくなる。
出かけようと思って着ていたコートを脱いで放り投げ、洗い物が積まれたシンクの横に置かれた携帯電話を手に取る。
今日休んでもなんら支障はない。
アーデンが宰相になってから始めて休暇を取った。