深雪は瞬きする間に克也になんらかの現象が起こったのを察知していた。それは克也の側に長い間したからこそ気付けたことだ。
「早く終わらせよう七草弘一。」
克也は冷酷に告げる。それは遙か高みから見下ろす超越者のような声音だ。弘一はゆっくりと立ち上がりデスクの前に出て克也の前に立つ。
『取り敢えず俺の頭から出て行ってくれないかなゼウス。』
【我も楽しみなのだここで観戦させろ。】
克也は弘一に対して言葉を発しながら脳内で変なやり取りをしていた。
『頭の中にいると違和感があるから外で見てくれ。』
【嫌じゃ我はここがいいのじゃ。】
『この頑固爺。』
【やかましい小童。】
『変態野郎。』
【黙れ青二才。】
第三者からすればもう子供の喧嘩にしか見えない。克也は謎の疲労感を覚えていた。
【しかし奴も困ったものよのう。】
『何が言いたい?』
【ううむ…。】
ゼウスが顎を手でさすっているのが容易に想像できた。
【自分の野望に飲まれておるなさっさと片を付けた方がいいぞ。】
『言われなくてもそのつもりだ!』
克也は予備動作なしで弘一に肉薄し右掌底を喰らわす。
「がは!」
弘一は為す術もなく書斎の壁に叩き付けられた。立ち上がる弘一は足下が覚束ないらしくフラフラとしていた。克也の体術は達人の域を越えているので魔法師として鍛え上げた肉体でも大ダメージは免れない。
「…これほどとは身を以て知りましたよ。」
「この程度で音を上げるとは七草家当主の名は肩書きだけか?」
克也は傲慢とも取れる台詞を吐く。だがその表情や態度は傲っても見下してもおらず冷ややかに見下ろしている。その眼は怒りではなく哀れみを表し冷たく輝いている。
左眼は神の『哀れみ』の如く輝る碧眼、右眼は己の『憤怒』を表す紅く燃える紅眼が弘一を貫く。
弘一は恐怖を押し殺しCADを流れるように操作し火球を二つ作り出した。
「ここでは殺りづらいですから移動しましょう。」
弘一が左手でリモコンを操作すると壁が上に伸びる。いや、自分達が下がっているのだ。振動を感じさせない緩やかな降下は冥界へ誘う死神の手のようだ。
「広いなここは。」
床が停止した空間を眼球を動かすだけで把握し呟く。周囲はとてつもなく広い空間で普通の眼だけでは測ることができない。
「克也お兄様。」
「心配するな深雪お前には触れさせないから安心しろ。念の為に領域干渉を自分の周りに纏っていてほしい。」
「分かりました。」
深雪は一歩後ろに下がり想子を発生させる。想子は上空と床に流れ克也にはまったく干渉せず深雪を優しく無駄なく覆う。
「さすが深雪まるで聖杯だ。」
克也は深雪の領域干渉を見上げながら褒め称える。自分にはとうてい真似できない技であり力技を得意とする自分には全体を同量の想子で覆う方法は不可能だ。
「そろそろ始めましょうか我々の戦いを。」
弘一は二つの火球を同時に放ってきた。避けることは造作もない速度であり首を傾けるだけで後方へ抜けていく。火球は深雪の領域干渉に阻まれる前にUターンし克也を背後から襲う。
『どっかで見たことある技だな。』
【何のことかな?我には分からぬ。】
「この老いぼれ。」
【黙っとれクソガキ。】
何度とも知れぬ言い合いをしながらも克也は火球を避け続ける。動きには余裕がありどこから攻撃が来るか分かっているようだ。
『まったく攻撃方法が同じだな。』
【アテナは敵の攻撃を先読みしてそれを使うことが出来るからの。】
『何のことか知らないんじゃないのか?』
【『全能の神』に知らぬことは無い。】
言っていることが矛盾しているが胸を張っているであろうゼウスを思い浮かべ脱力する。まあ、そんなやり取りを頭の中でしていても避け続けられることが出来るのは克也の身体能力があっての凄技だ。
深雪は謎の魔法に驚きながらも克也が余裕の表情で避け続けているのを見て安堵していた。自分なら最初の数発を避けたところで集中力を使い果たしてご臨終していると分かっている。
だが、克也が汗一つかかず避け続けている様子を見ると自分との差が歴然としており悔しくなる。だが、それは仕方が無いことだ。まず男性と女性で体力差があるのだし幼い頃から陸軍の兵士と高校時代から教えを受けていた忍術使い 九重八雲と体術を互角に渡り合えるのだ。
一般の女性魔法師より鍛えている深雪とはいえ克也について行けないのは当然である。だから深雪は諦めるのではなく応援し続けるのだ。
弘一はこの日のためだけに作り上げた魔法がまったく通用しないことに焦りを感じ始めていた。一度も見たことがないはずなのにまるで攻撃軌道を先読みされている気がしていた。
{これが四葉家直系の力『神速』の二つ名を持つ司波克也だというのか。}
克也は弘一が焦り始めているのを視界の端に捉えていた。攻撃を避けながらも弘一の隙を逃さぬように眼を向け神経を張り詰めていた。そして攻撃が鈍った瞬間『偏位解放』を発動させる。
「ぐふ!」
圧縮空気弾が胸の中心胸骨部に直撃し前のめりに屈服する。火球は使用者の意思を無視して克也に進撃する。克也は二つの火球を想子を纏った右手で握りつぶした。
その爆発は凄まじく深雪は振動系減速盾魔法『氷反射(アイス・リフレクション)』を発動させ爆風を防いだ。克也は『想子鎧』で爆風と熱を防いだが爆風が直撃した弘一の皮膚は焼けただれていた。間一髪の所で顔面は守ったようだが重症なのは一目瞭然。
克也はそれに一切の感情を含ませない無機物を視るような眼を向ける。視線を感じたのだろう弘一は顔を上げてきたがその表情は恐怖に満ちていた。
「これが雫の分。」
「あが!」
「これがほのかの分。」
「うぐ!」
「これが亡くなった観客の分。」
「がは!」
克也は部分的に『燃焼』を発動させ弘一の四肢を消し去る。その度に弘一の手足は姿を消す。タンパク質を焦がしたときの特有な匂いはしないが音もなく手足が消える様子はそれ以上に吐き気を催す映像だ。
深雪は怯えることもなくましてや目を背けることもせず毅然として弘一を見ている。
克也が香澄と泉美を戦場に連れてこなかったのはこれを見て欲しくなかったからだ。対して二人は友人を殺し自分達と親子関係を断絶した父と相まみえたくなかったためここに来ることに立候補しなかった。
克也と二人の想いが上手く交差した結果だがそれで良かったのかもしれない。このような無様極まりない様子を克也は見せたくなかったし二人も見たくなかっただろうから。
「言い残したいことはあるか?」
仰向けに転がる克也が聞いた瞬間弘一の体が発光したがそれは一瞬の出来事であり弘一は何が起こったのか理解できていなかった。
「『ベルフェゴール』俺の固有魔法にしてあらゆる魔法式を燃滅させる対抗魔法。お前の体に仕込まれていた『自爆術式』は解除させてもらった。今までは心臓を消し飛ばすことが出来なかったのに何故出来たのか不思議に思っているのだろう?」
弘一が驚愕しているのを見ながら克也は説明を続ける。
「この『眼』のおかげで以前は視えなかったものが視えるようになったそこは感謝しているよ。」
それは左眼の蒼い眼なのかそれとも右眼の紅い眼なのか判断が付かない。ゼウスが克也の中に居るのであれば左眼だろうが克也自身の能力であるなら右眼だ。
「…これは四葉家に宣戦布告した罰だ。」
「うが!」
克也は最後に残っていた弘一の右脚を燃滅させた。何も出来なくなった弘一は恐怖を越え絶望の表情を浮かべている。
「俺の気持ちが分かるか?大切な女性(ひと)を殺された気持ちがぁ!」
克也は今まで忘れていた「怒り」否、「憤怒」を動けぬ弘一に向けた。
「大切な女性(ひと)を救えなかった自分の身熟さを!護衛がいるから大丈夫だという自分の愚かさを!何度後悔してももう二度と戻ってこないんだよ死んだ人は!それでもお前は人が魔法師が苦しむ姿を見ても平然としていられるのか!?答えろ弘一!」
克也は弘一の胸ぐらを掴みまくしたてる。その様子に深雪は涙を流し顔を背ける。克也がここまで感情をあらわにするなど一度たりともなかった。見たくなかったこんなに感情を「怒り」を周りに吐き出す克也を。
この「怒り」は一高前で「人間主義者」に襲撃されたときの比ではない。あれよりも深く深く悲しみを含んだ「怒り」だ。
「お前は救いようのない大馬鹿野郎だ!あんただって一人妻を亡くしているだろうが!例えそれが他人の手によるものではなくても救えなかった気持ちが分かるだろうが!」
克也は弘一を空中に放り投げ{ブラッディー・ローズ}から小規模な『レーヴァテイン』を発動させ弘一の存在を消し去った。その瞬間弘一の顔には死ねることへの安堵と何も知らない克也への嘲笑いが混ざった表情があった。
「これで、いいかい?水波。」
克也はそう呟くと前のめりに倒れた。
「克也お兄様!」
深雪の呼びかけも遠くに聞こえる。焦点の合わない眼を天井に向けると水波が穏やかに微笑んだように見えた。その笑顔に安心して俺は右手を水波の笑顔を掴むように伸ばし眼を閉じた。
「克也お兄様!」
私は克也お兄様が倒れ始めた瞬間には既に走り出しギリギリの所で抱き留めました。すると克也お兄様は右手を天井に伸ばし何かを掴むような仕草をして手を下ろしました。
眼を閉じている克也お兄様の脈拍や呼吸を計ると安定していたので目的を達成したことで緊張の糸が切れたようです。ほんの少しだけそのままにしておくことにし私は膝の上に克也お兄様の頭を置き艶やかなそれでも夜に輝る星を包み込む漆黒の髪を撫で続けました。
【面白い物を見せてもらったぞ『二神』の末裔よ。うぬは誠に興味深いまた会おうぞ。】
ゼウスは克也の中から飛び出し天へと還っていった。
克也が弘一の存在を消した頃達也達は苦戦を強いられていた。
「くそ!なんでこんな奴らがここに!」
「文弥、気をつけろこいつらは只者じゃない。気を引き締めてかかれ!」
「こんなことが有り得るの!?人間の法則に反しているわ!」
三人は耳に届く不快な音に顔を顰めながらも魔法を放ち応戦していた。このような事態になったのは十五分ほど前に遡る。
ジェネレーターのなり損ないを八割方殲滅した頃達也は不可解な想子を発する集団が亜夜子が指揮する部隊に接近しているのを視た。その数約二百。
「文弥、亜夜子のところに行け亜夜子が危険だ!部下を全員率いて迎え!」
「分かりました!」
文弥は部下を引き連れて亜夜子が応戦している七草邸の裏へ向かった。達也は{シルバー・ホーン}で『分解』を放ちながらリーナと背中合わせに立つ。
「何があったの?」
リーナが{アルテミス}から『ヘヴィ・メタル・バースト』を放ちながら聞いてきた。
「亜夜子が戦闘中の場所に謎の波動を発する敵が接近していた。」
「波動?」
「心地良くないむしろ胸の奥を掴んでくるような気持ちの悪い波動だ。」
リーナにはそれが何か分からなかったがよくないことが起きかけているのは否応なく理解できた。
「それじゃあ、急いでここを終わらせないとダメってことね?」
「ああ、一気に攻め込んで助けに行きたい。」
「あら奇遇ねワタシもよ。」
二人は腹黒い笑みを浮かべ前を向く。
「一人も残すなよリーナ?」
「それはこっちのセリフよ残したらUSNA公認戦略級魔法師である『アンジー・シリウス』が成敗してあげる。」
「ふん、リーナが残したら日本非公認戦略級魔法師である『大黒竜也』が片づけてやる。」
二人は同時に強力無慈悲な魔法を発動させ一カ所に固まっていた各々五十人の疑似ジェネレーターを一瞬にして消し去った。
そして次の瞬間には自己加速術式で亜夜子の戦闘場所に向かう。しかし到着する前に悲痛な叫びが耳に入る。
「姉さん!目を開けてよ姉さん!」
それは紛れもなく文弥の叫びだった。全速力で駆け付けた二人は文弥の様子を見て怒りを露わに魔法を敵に向けた。だが、不快な音に顔を顰める。
「これはキャストジャミング!何故『アンティナイト』がないのに発動できる!?まさか!」
「そうそのまさかだよ。」
声が聞こえ疑似ジェネレーターの間から一人の男が現れた。
「何故貴方がここに!」
男は一歩前に出てお辞儀をした。
「お手合わせ願おう司波達也。」
「…なるほどそういうことか。何故水波が簡単にさらわれたのかようやく理解できた。」
達也は硬質な声を出しながら{シルバー・ホーン}を構える。
「ならここで全てを終わらせてやる七宝拓巳(たくみ)!」
達也は声を荒げ叫ぶ。それは虎の咆哮に似た達也が失った「怒り」を現していた。
その間も克也は眠り続けていた。リーナは文弥は克也がここに来ることを今か今かと待ち望んでいる。達也は想子をこれまで以上に活性化させ眼前の二百の敵と対峙していた。
氷反射(アイス・リフレクション)・・振動系減速盾魔法で深雪が自分の領域干渉で防げない魔法や衝撃を受け止めるための対物理障壁である。