XDシナリオafterstory 『晴れ煌めく陽光』 作:nagato_12
おかげさまでグレ響が出ませんでした。ありがとうございます。
◇ ◇ ◇
リディアンからの帰り道。特異災害《ノイズ》の発生。
絶体絶命に瀕したワタシのことを救ってくれたのは、特異災害機動部二課所属の装者、翼さんだった。もしも彼女が、シンフォギアを纏い、ワタシたちのもとに駆けつけてくれていなかったら――今ごろ自分は、この世には居なかっただろう。
しかし。
ワタシはそんな彼女の背中を――最後まで見届けることはしなかったのだった。
助けてもらった礼を言わなければいけないのはわかっていたけれど、どうして耐え切れなくなってしまって、気が付けばワタシは逃げるようにその場を後にしていた。
(いまさらワタシに、あの人と交わせる言葉なんて――なにもないから)
『誰かに護られる』という経験。それがなんだか、とても居心地が悪いものであるように思えて。
ガングニールを纏っていたあの頃――彼女とは決して良好とはいえない、ほとんど敵対していると言っていいような険悪な関係を築いていたワタシだったけど、そんな相手でさえも、翼さんは身体を張って救ってくれた。
ううん、救ってもらえたのは、別にこれが初めてじゃない。
別の世界から渡ってきた未来に、手を取ってもらったあのときでさえも――翼さんは、どうしようもないほどにワタシを手助けしてくれていた。
敵対していた人間でさえも、全身全霊を懸けて救おうとする、あの人の装者としての在り方。
『防人』の生き様を自らに課しているあの人は、どこまでも真っ直ぐで――そして、格好よかった。
だからこそ――ワタシはそんな翼さんに、申し訳なくなってしまったのである。
誰かを護って剣を握る彼女を見て、ただ護られているだけの自分が、なにも出来ない無力な自分が、どうしようもなく情けなくなってしまって、顔を合わせることが出来なかった。
救出した女の子をその場に残して、フラフラとした足取りでその場を離れると、それからどこへ寄り道するということもなく、まっすぐ寮へと帰ったのだった。
寮に帰ってからしばらく間を置いて、未来が帰ってきた。
「今さっき、そこでノイズ警報があったって……っ! 大丈夫だったの響っ!? 怪我とかしてないよねッ!?」
物凄い勢いで問い詰めってきた未来に、ワタシは少し呆気に取られる。
「……大丈夫だから。未来こそ、平気だったの?」
「う、うん。ノイズは二課の人たちが対処してくれたみたいで、すぐに収まったみたいだから……」
「そう――なんだ」
自分がその場に居合わせていたということは、未来には話さなかった。
せっかく遠方から会いにきてくれた親友に、余計な心配をかけるのは嫌だったし、正直に話せば「どうしてそんな危ないことをしたの」と、怒られてしまうことが目に見えてわかっていたからだ。
誰に文句や嫌味を言われたって、今さら気になんてならないけれど、未来に怒られるのはなんとなく嫌だった。
「なんだか最近、ノイズの発生が頻繁になってるって聞いたよ……?」
「……うん」
よく見れば、どうやら未来は走って帰ってきたらしく、彼女の肩がわずかに上下しているのがわかった。
彼女の心配そうな声。
心配――してくれたんだ……。
「お願いだから、無茶しないでね、響……」
「……うん」
こっちがなにも言わなくたって、ワタシの身を真っ先に案じてくれる親友の存在。ワタシはそんな彼女からの問いかけに、頷くことしか出来なかったのだった。
翌日、ワタシはリディアンを休んだ。
昨日、未来から釘を刺されたばかりだというのに、一日だって言いつけを守れないのかと我ながら落ち込みそうになったが、どうしても今日は、学校へ行く気分になんかならなかった。
幸い、今日はワタシの隣に幼馴染の姿はない。
彼女は昨日の夜、ワタシと夕食を取った後すぐ、一度引っ越しの準備をするために盛岡にある実家へと戻っていったのだった。
「本当は正式に入学する日にこっちへ来る予定だったんだけど、少しでも早く響の顔が見たかったから……」
明日の朝には戻ってくるからね、と残念そうに言い残して、彼女は帰っていった。
つまり今日は、ワタシ一人。
未来と一緒に生活を始めたら、こんな風に学校をズル休みすることも許してもらえないと思うので、つまり今日は実質最後の、気ままな独り暮らし生活だというわけだった。
(……まぁ、学校をサボったところで、別にしたいことなんてなにもないわけなんだけど)
あてもなく、街の景色をぼんやり眺めながら歩く。
昨日、ノイズが出現した場所へにでも行ってみようかとも考えたが、途中で通行止めになっていた。
当然かと諦めて、なんとなく足の向くままに歩き続けてみる。
ぼんやりと思い出すのは、もちろん昨日のこと。
(――結局、ワタシはなにも出来なかったな)
誰かを守って戦うことも、守るために逃げることも。なにひとつ満足に、成し遂げることが出来なかった。
それどころか、守らなきゃいけない命を危険に晒して――
もしも翼さんが助けにきてくれなかったら――そう思うと、いまさらになって嫌な悪寒が自分の背中を撫で付けていく。
歩くワタシと、まばらにすれ違っていく人々の姿。ノイズと戦う術をもたない、ただの普通の人たち。
『この人』たちと同じようにワタシも――護られる側になったのだと、そう自覚してしまう。
誰かを護る側ではなく、誰かに護られる側へ。
それはもう――あんなに恐ろしい戦いに、自ら飛び込んでいかなくても良くなったということ。独りぼっちでがむしゃらに戦い続けなくても、良くなったということ。
もうこれ以上、痛い思いをしなくてすむ。苦しい思いをしなくてすむ――それはとても、幸せなことであるハズのことなのに。
救われたということ――であるハズなのに。
(……なんで、歌えなくなってしまったことがこんなにも〝辛い〟んだろう)
近くにあったショーウィンドウに映り込んだ自分の表情は、救われた人間が浮べるべき晴々しいソレとは、遠くかけ離れたものだった。
……だめ、こんなこと考えても仕方ない。
思い直して、ワタシは映り込んだ自分の顔から目を離す。
もうこれからワタシの傍には未来が――〝陽だまり〟が居てくれるんだ。だから、こんな顔をしていちゃ彼女に嫌われてしまう。
早く慣れなきゃいけないんだ――自分の、この気持ちに。
こんなの、へいき、へっちゃらだ……。
そんな風に、まるで自分に言い聞かせるように心の中で呟いていた、そんなときだった。
――ブルルンッ。と。
大きなエンジン音が一回、ワタシの耳に届いてきた。それは、若者がエンジンを意味も無くカラ吹かししている様な、そんな耳障りな音などではなく、まるで誰かに合図しているような――そんな音だった。
反射的に、音がした方を見る。すると、そこには。
「こんなところで――奇遇だな。息災だったか、立花?」
ブルーのライダースーツを着込み、ヘルメットのバイザーを上げてこちらに微笑む、すらりと研ぎ澄まされた日本刀のような少女がバイクに跨って佇んでいた。
◇ ◇ ◇
嘘かまことか国内のみならず、その熱狂的な人気は海外にまで轟き渡っているという、現役トップアーティスト――風鳴翼。
そんな彼女の周りには常に、黒服を着た屈強なSPが張りついていて、その身を手厚く警護しており、彼女が一人きりで出歩く時間など、プライベートであっても無いに等しい――というのが、彼女を支持するファンの間では、当たり前の常識として知られている話だった。
それは風鳴翼の真の姿を知っている人間でも、同様のことだ。日々、人類をノイズから守護する役割を担っている特異対策機動部二課。その中で唯一の実質戦力として登録されている彼女が、たった一人きりで行動することなど、精々ノイズとの戦闘時くらいのものである。
《アーティスト》と《人類守護の切り札》という、二つの顔を持ち合わせている彼女。その両方を知る存在であるワタシであっても、それについては当然のことだと異論を挟まなかったし、そもそも疑いすら持たなかった。
どんな場面においても、その凛々しさと堅強さを失わない日本刀のような彼女。
ノイズを追って、ワタシが彼女と鉢合わせしてしまった際には、『風鳴翼』というこの少女の身体には、果たしてワタシと同じ赤い血が流れているのかと、幾度と無く思わされてきたものだったけれど。
そんな彼女が――予定していた仕事のスケジュールをすべてドタキャンして、たった一人で護衛も連れずバイクに跨りあてもなく外へ出掛けるような、そんな自由奔放でアウトドアな一面を持っていただなんて、いったい誰が想像出来ただろうか。
「――仕事をズル休みしたのは、これが初めてなんだ。ゆえに勝手がよくわからなくてな。よかったら、手伝ってくれないか?」
「えぇ……?」
思わず、驚きの声が漏れてしまった。
本当に収納スペースなんてあるのかと思うくらい、スマートな流線型をしているスポーツバイクの車体から、二人乗り用のヘルメットを取り出して、彼女は微笑んでいる。
つまり、ドライブに付き合えということであるらしい。
予想外な誘いを前に、ワタシが返答に窮していると、彼女は持っていたヘルメットをこちらへ放り投げて寄越した。どうやらワタシに、拒否権は許されていないようだった。
この人、こんなに強引な人だったっけ……?
「なに、ズル休みをした者同士、気晴らしに出掛けてみるのもそう悪いものではないかと思ってな。コイツで風を切ると、心まで軽くなっていくような気分になる」
バイクのボディをブーツの先で軽く小突いて、翼さん。
「…………」
バイクと徒歩じゃ、機動力に天と地ほどの差がある。ここで逃げてもすぐに追いつかれてしまうだろう。まぁ、翼さんがわざわざ逃げたワタシなんかを追いかけてきたりするとは少し考えにくいけど。
それにしても、あの風鳴翼が――ワタシと同じズル休み? そんなことするようなタイプじゃ、絶対ないはずなんだけど……。
ワタシに、なにか個人的な話があるということなのだろうか。
だとしたら――もうシンフォギアさえも纏えなくなってしまったこのワタシに、一体どんな話があるというのだろうか。
ここは断わらないほうが、賢明かも知れない。
ワタシはそんな風に判断を下して、なにも答えずに無言で渡されたヘルメットを被った。
「ふふっ。これで立花も、私と共犯者だな。ここで私と出会ったということは、くれぐれも他言してくれるなよ?」
翼さんはそんなワタシを見て、満足そうに上機嫌でそう呟くと、また一度、バイクのエンジン音を轟かせてみせた。
バイクの二人乗りというのは実はと言うと、ワタシにとって生まれて初めての経験だったわけだけれど。
クラッチをスムーズに繋ぎ、弾丸のような加速力を生み出しながら、翼さんの操るバイクが高速道路の上を駆け抜けていく。
ワタシは振り落とされないように、前に座る彼女の身体へしがみつきながら、目まぐるしく変わっていく風景を前に、少しだけたじろいでいた。
ちょ、は、はやくない……?
車に乗っているときのそれとは全然違う感覚に、戸惑う。直に身体で風を受ける分、バイクの座席シートの上で感じる体感スピードは、段違いだった。
一体これ、どのくらいスピードが出ているんだろう。
後ろの席からは、翼さんが見ているだろうスピードメーターが覗けないので、具体的な速度まではわからない。わからないが。
翼さんのことだ。きっと法的速度はきっちり守ってくれているはず。
……はず、だよね?
カーブに差し掛かったのか、ぐっと身体に掛かってきた強い慣性力に驚いて、ぎゅっと彼女の身体に掴まる力を強めた。なんだかみっともなく抱きついているみたいで、ちょっと情けない。
すると、吹き荒む風の音の中、翼さんの声があった。
『……おっとすまない。怖かったか、立花?』
「!?」
風を切る音以外、なにも聞こえなくなってしまうほどの速度。そんな中で突然、耳元で翼さんのクリアな声が聞こえてきて、ワタシの身体が驚きで跳ねる。
どうやらワタシが被っているこのヘルメットには、小型のインカムが取り付けられているようだった。二人乗りでも会話が可能なように、前もって翼さんが用意していた設備なのだろう。
ならばこちら側の声を拾うマイクも、どこかに搭載されているはずだ。そんなあたりをつけて、返事をする。
「べ、別に……怖く、ないです」
どれくらいの声量で話せばいいのかわからなかったが、どうやら向こう側にはちゃんとワタシの声は届いたらしい。ややあって。
『悪いな。これに跨ってる間は思わず、熱を上げてしまいがちなものでな』
悪い癖だ、と翼さん。
そして続けざまに自分の身体に掛かっていた重力が、少しだけ和らいだ。どうやらスピードを落としてくれたらしい。
だけど。
なんだかそれが、ワタシが怖がっているような構図に取られてしまったみたいで、少しだけカチンときた。
「……だから怖くなんか、ない。むしろもっとスピードが出せないのかなとか、そんなこと思ってたくらい。映画でそういうの、ちょっと憧れてたから」
つい、そんな風に強がりを言ってしまうワタシなのだった。言ってからしまったと焦ったが、時はすでに遅く、
『む? そうなのか? せっかく立花が私の後ろに乗ってくれているのだ。そういうことであるのなら、少しサービスして見せてやらねば、礼を失するというものだな』
と、翼さんからそんな応答が入る。
あれ、これヤバくないか。自分で墓穴を掘ってしまったパターンじゃないのか。
ヘルメットの中で冷や汗を掻きはじめたワタシをよそに、翼さんはハンドルをぐっと握り締めた。そのまま流れる様な動作で、クラッチを足で踏み込む。
『立花をがっかりさせないためにも、私が日々研鑽し続けてきた人馬一体の妙技を見せてくれよう――しっかり掴まっておいてくれ』
「ちょ――あのっ」
待ってください、と。
そう言い終わる前に、ぐんっと感じたことのない重力感がワタシの身体へ襲いかかってきた。
思わず強がりを言ったことを後悔しそうになったワタシを、まるでその場へ置き去りにするかのような加速と共に、翼さんが駆るその鉄の怪物は、本領発揮と言わんばかりに牙を向いてみせたのだった。
決してスピードに怯えたわけではない。慣れない感覚を前に、身体の三半規管がついて行かなかっただけである。
つまり何が言いたいのかと言えば、原理は車酔いと同じなのであって、それは人間にはどうやったって回避しようのない生理現象みたいなものなのである。
シンフォギアを纏うことの出来ない今のワタシには、うっかりバイクの後ろから振り落とされてしまった場合に自分の命を守る術を持っていない為、過剰に反応してしまったに過ぎないのだ。
そう、だから決してワタシが、大袈裟に怖がったわけではまったく無くて――
「だ、大丈夫か立花……? 水を持ってきたぞ、少しは落ち着くといいんだが……」
「……ありがとうございます」
ベンチにぐったりと身体を預けていたワタシに、ヘルメットを脱いだ翼さんが、近くの自販機で買ってきてくれたらしいペットボトルの容器を差し出してきてくれた。
礼を言いながらそれを受け取りつつ、ワタシはきちんと自分の足が二本とも地面に着いていることを、何度も何度も入念に確認している。
へいきへっちゃら、へいきへっちゃら、へいきへっちゃら…………。
「すまない……私としたことが少々、調子に乗り過ぎてしまったようだ……立花がこんなにも繊細だったとは」
ぐさっ。
「帰りはもう少しゆっくり走ることをこの場で約束しよう」
ぐさぐさっ。
「…………」
ワタシはなにも言い返すことが出来ず、貰ったミネラルウォーターの蓋を乱暴にねじ開ける。冷えた水の感触が、渇いた喉に心地が良かった。
そんな様子を眺めながら、翼さんがワタシの隣に腰を下ろす。
「……どうして」
「む?」
一息ついて、ようやく落ち着きを取り戻してきたワタシは、そこではじめて、翼さんの方へと向き合った。
「ワタシなんか……放っておいて、くれればよかったのに」
ワタシの口から最初に零れたのは、そんな疑問。
胸のガングニールを喪った今のワタシは、彼女が所属している機動部二課にとって、もはや一般人とさして変わらない。
以前までの『戦えた』ワタシならともかくとして、今のワタシはただの、彼女たちに護ってもらうだけの立場にある、民間人の一人に過ぎないはずなのに。
そんなワタシを翼さんがわざわざ構う理由が、ワタシにはどうしても思い付かないでいるのだった。
「……相変わらず、どこまでも無愛想なヤツだなお前は」
「…………」
ワタシの言葉を訊いて、翼さん。
なんだか呆れた調子の含んでいる声だった。そんな彼女に、ワタシはまたしてもムッとしてしまう。
「それとも『昨日は助けてもらってありがとうございました』とでも、言ったら良いんですか?」
露骨な挑発の意を込めて、翼さんに皮肉をぶつける。
口にした反面、あぁどこまで自分は嫌なヤツなんだろうかと、そんな自己嫌悪がワタシの胸を塞いだ。
「……そんな苦しそうな顔で挑発されても、挨拶に困ってしまうな」
「っ」
しかし、対する翼さんはどこ吹く風で、苦笑気味に掛けていたベンチから腰を浮かせてみせた。
「――さぁ、それほど毒を吐く元気があるのなら、休憩はこのくらいで構わないだろう。目的地はもうすぐそこなんだ、支度をしてくれ」
「……目的地って、どこへ」
「それは着いてからのお楽しみだ」
普段の彼女らしからぬ強引さに、ワタシも有無を言わさずにベンチから立たされる。
文句やぼやきの一つでも言ってやりたいところだったが、先ほどあっさり受け流されてしまったばかりなのもあって、なんだかそれさえも上手く出来なかった。
「今度はゆっくり走ろう。立花が怖い思いをしないように」
「こ――怖がってませんっ!」
◇ ◇ ◇
目的地はすぐそこだと言った翼さんの言葉は、実際にその通りだったようで。
再びワタシが翼さんの後ろに乗り込んで10分と経たない内に、その場所には辿り着いていた。
「さぁ――着いたぞ」
翼さんの言葉を聞いてから、ワタシは地面に足をつけると、被っていたフルフェイスのヘルメットを外す。
ただでさえ癖っ毛な自分の髪が、ヘルメットに抑えつけられていたせいで変に型が付いてしまったらしく、少しだけ鬱陶しい。
前髪を撫で付けながら、ヘルメットを取ったおかげで広がった視界を見渡してみると――
「――ッ。こ、ここって……ッ!」
予想外の衝撃に、思わず言葉に詰まってしまった。
『その場所』に着くまで――ワタシは気が付かなかったのだ。
バイクを止められるまで、自分たちがどこへ向かっているのか。
周りの風景を見ていれば大体の察しが付いても良さそうなものだったというのに、その建物を眼前にするまで、ワタシの意識はいっそ不思議なほどに『そこ』へ向けられなかった。
ずっと下を向いて俯いていたから――気が付かなかった。
そこは、巨大な建物だった。
近未来的な独特なデザインをした、ドーム状の施設。翼さんと二人だけじゃあ、思わず雰囲気に呑まれてしまいそうになるほど、広大な面積を有しているその場所にはしかし、ワタシたち二人以外の誰の気配も感じない。
がらんどうとしていて、ワタシたち以外の人間の姿が全くない――当然だ。
なぜならこの場所は、久しく人の出入りが禁じられた場所であり――忌み嫌われている場所であるはずの、そんな場所なのだから。
「……な、んで」
ついさっき水を飲んだばかりなのに、喉が干上がっていくような、嫌な感覚に襲われる。
そこはかつて――大規模な催しが毎日のように開かれる、超大型の屋内型会場施設だった。
数百人規模での観客の収容が可能な、かつてのこの場所は、歌手や競技者などの業界人にとって、憧れの地として等しく認識されるような、そんな場所だったのである。
国内屈指の広大さを誇る、近未来感をコンセプトに設計された、芸術的なデザイン。多くの人々を魅了し続けてきた、娯楽文化の発信地。
――それが、近代日本史上最悪とまで言われる災害事故によって、たった一日で跡形もなく倒壊し尽くされたのは、今から3年以上も前のことである。
「……驚いたか? 実は秘密裏に、政府主導で改修工事が行われていたのだ」
ワタシの脱いだヘルメットを、バイクの中へと収納しながら翼さんが言う。
「な――なんで」
そう繰り返すのが、やっとだった。
もう二度と目にすることはないと思っていた、目の前の景色に、ワタシの思考は完全に停止してしまう。
なぜならこの場所は――この場所こそが。
ワタシの――『立花響』の人生すべてを破壊し、そして、そのなにもかもを奪っていった、そんな場所なのだから。
「……立花にとっても、因縁が深い場所だろう」
翼さんの呟くような言葉に、ワタシはハッとして振り返る。
彼女は、停めたバイクの車体に身体を預けるような格好で、ライブ会場の外観を眺めていた。
どこを見ているわけでもない、ここではないどこか――遠い場所を映しているような、そんな眼。感情の見えない眼だ。
そうか、この人にとってもこの場所は――
「……さぁ。今日は特別に許可をもらってきているんだ。せっかくだから、中も見ていこうじゃないか」
翼さんが、そう言っておもむろに歩き出した。
ワタシはそんな彼女になにも言えず、ただそれを後ろから追いかけることしか出来ないのだった。
現代史上類を見ないほど、夥しい数の犠牲者を出してしまったライブ会場での特異災害事故。
事故後、特別封鎖区画として日本政府によって管理されていたこの場所には、一般人はおろか犠牲者の遺族でさえも、不用意な立ち入りを規制されていたという。
当然だ。ここで命を落とした人間の数は、10や20などではない。それこそ想像すら出来ない数の、大量の死者を生み出してしまった土地なのだから。
事故が発生した3年前のあの日――ここでは、ある超人気歌手ユニットの二人が、ソングライブを行っている真っ最中だった。
天羽奏。そして、ワタシの前を歩く彼女――風鳴翼。
『ツヴァイウィング』。
あの日、客席には一つの空席も見当らないほど多くのファンが、会場内に詰めかけていて、彼女たちの歌を心の底から楽しんでいた。
そして会場内の熱狂がピークに差し掛かかろうかとしていたそんなとき、突如として会場に現れたのが――ノイズ。
少し触れただけで人体をあっけなく炭素分解させてしまう、悪魔のようなその化け物達の群れはなんの前触れもなく、観客の前に姿を現した。
数百もの席を埋め尽くしていた観客たちは、突如として出現した特異災害を前に、なす術もなく一斉にパニックを起こして逃げ惑っていった。
つい数十秒前までは、幸福が満ちていたはずのその空間には、瞬く間に悲鳴と怒号が溢れ返り、歓声の代わりに辺りを飛び交ったのは、我先に逃げようとする人々と、それを襲うノイズ――そして人〝だった〟炭素の塊。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図へと様変わりしたのだった。
そして3年前のあの日。
ワタシもその地獄の真っ只中に――立っていた。
「……大丈夫か、立花」
誰も居ない、静まり返った会場内。
ステージ壇の上へと立った翼さんからのそんな問いかけに、ワタシはハッと我に返る。
「随分、顔色が悪いぞ……この場所に誘ったのは、やはりまずかっただろうか」
こちらを気遣うような、そんな翼さんからの言葉。
翼さんとは少し離れた場所――観客席にただ立ち尽くしていたワタシは、ステージに立った彼女に、自らの表情を隠すように下を向いた。
「……べつに。それを言うのなら貴女の方だって、顔が青いよ」
「……そうか。そう――かもしれないな」
ワタシの指摘を受けて、翼さんは壇上で力なく微笑む。
ワタシと彼女、たった二人しか居ない会場の中は、耳に痛いほどの静寂に満ちていて、ただそこに立っているだけで、言い表しようもない不安感に駆られるかのようだった。
ここで起きた、凄惨な悲劇。
生き残った者より死んだ人の数のほうが多いという、そんな悪夢みたいな現実の中には、ライブを主催していた側の人間も数多く含まれていたという。
その中でも、とりわけ目を引く存在。それが――天羽奏。
あの日、ライブを開催していたボーカルユニット『ツヴァイウィング』の片翼であり――そして翼さんの、欠けがえのない存在だった人。
そしてワタシに、胸の歌を託してくれた人。
「……もう3年以上も経つと言うのに、締め付けるようなこの胸の痛みは、一向に収まってくれる気配がない」
また、翼さんが遠い場所を見つめるような目をしている。
あの日あのとき。
この場所で、共に背中を預け合いながらノイズと戦った仲間のことを――見ているのだろうか。
「…………」
ワタシは、なにも言うことが出来なかった。
『天羽奏』という一人の少女のことをよく知らないワタシには、翼さんに投げ掛けてあげられるような言葉なんて、何ひとつ持ち合わせてなどいなかったから――あるいは。
観客のいないステージの上。その中心で、憂いの表情を浮べて佇んでいる、孤独な歌姫の立ち姿に、ただ言葉も忘れて見入っていただけなのかもしれない。
「――ここに来て、私と一緒に、立ってみないか? 立花」
遠い目をしていた彼女の瞳がそこで、観客席にいたワタシを映す。手招きこそしていないが、囁くような彼女の問いかけには、少女らしくもない妖艶な響きが籠もっているようにワタシには感じられた。
ワタシの視線と、ステージの上に立つ彼女の視線が、真っ正面から交じり合う。
「……ワタシには、そんな資格はない」
会場に差し込んだ陽光によって、輝いて見えるステージの上と、日陰になって暗い観客席ではまるで、別の世界同士であるかのようだった。
ワタシは、答える。
そんな眩しい場所に行く権利なんて――ワタシにはない。
「――資格? 誰かの隣に立つことに、いったいなんの資格が要るというの?」
ステージの上で静かに問うた翼さんの姿は、まるで美しいアカペラを披露するオペラ歌手のようだ。ならばそれを遠くから眺めているワタシは、それを見ている観客の一人に過ぎない。
そう、それはあの日のワタシと同じだ――観客席から彼女の姿を夢中で追いかけていた、あのときと。
「……ワタシが纏っていたあの槍は――奏さんのモノだから。あの日ここで、命を賭けて、みんなを護るための歌を歌っていた、奏さんのモノ……それを、たまたま横から掠め取っただけのワタシが――たまたま近くに居ただけのワタシが、貴女の隣に立つことなんて、許されるハズがない」
あの日、あのとき。
もしワタシが、奏さんに命を救ってもらうことがなかったら――ノイズによって物言わぬ灰へと還されていたのなら。
そんな風に考えたことが一度もないと言えば、それは嘘になってしまう。
もしもあのときに、ワタシが死んでさえいたのなら。なにもかもを喪って、この世界に心の底から絶望することなんて、実はなかったのかもしれない。
骨が凍えるような、あの寂しさも。誰にも助けてもらえないときの、あの胸の痛みも――知らずに済んでいたのかもしれない。
……違う。それはただの言い訳だ。
言い訳まみれの自分の人生の中で、最も醜くて汚い、最低の言い訳だ。
――生きるのを諦めるな。
瀕死だったワタシにあのとき、奏さんは叫んでくれた。自らの命すらすべて燃やし尽くして、ワタシのことを救ってくれた。
『誰も助けてくれなかった』なんて、ただの薄っぺらい恨み言だ。
たとえその後のすべてに絶望することになっても――あの日あのとき、ワタシのことを真っ先に助けてくれていたのは、血を吐きながらも歌うことをやめなかった、あの人なのだから。
……だからこそ、ワタシには翼さんの隣に立つ資格なんてない。
奏さんが授けてくれたチカラを――誰かを護るための歌を、自分の八つ当たりじみた復讐の為だけに使い潰したワタシが、翼さんの隣に立てるわけがない。
「……ふっ」
しかし、そんなワタシの言葉を訊いて、翼さんは――
「ふふっ……なるほど、ははっ……なるほどな」
くすくすと肩を震わせながら、笑っていた。
「……なんで、笑うの」
自分の噓偽りない本当の気持ちを一笑に伏されたと思ったワタシは、彼女のことを睨み付ける。ワタシの言葉は、彼女にとってそこまで滑稽だったというのか。
「あぁ、すまない。違うんだ。違うんだよ、立花――やはり、世界を渡ってきた彼女たちの言葉は正しかったんだと、そう思うと」
嬉しかったんだ。と。
翼さんはそんなことを呟いた。
「……は?」
「……これは逆に私からの質問なんだが、私が再三に渡って立花のことを二課に誘った際、すげなく断られ続けていたのは、もしかしてそれが原因だったのかな」
「……それは」
そうだ――とも単純に言い切れない。
あのときのワタシは、誰かに裏切られる痛みがとても恐ろしくて、信じるという行為そのものに耐えらなくなってしまっているほど、脆くなっていたから。
どこの誰であろうとも、それがどんな言葉であろうとも、信用するものかと頑なに心に決めていたから。
でもいつだって、そんなワタシの根底にあったのは、あの日ワタシを助けてくれたあの人の――奏さんの意思を、自分の為だけにしか歌えない、湿ついた後ろめたさだったことは、言い繕いようがない事実だった。
「まったく――お前が一緒に戦ってくれていたら、どれだけ心強かったことか」
「……ごめんなさい」
ワタシは、謝った。
彼女からの誘いを拒み続けていたことに対しての謝罪――ではない。
「奏さんのガングニールを――奏さんの歌を、喪くしてしまって」
「…………」
翼さんが、ワタシの言葉に押し黙る。
ずっと心の奥底に沈んでいた気持ち――ずっと自分の中で引っかかっていた気持ち。それは奏さんが遺してくれた意思を、自分の弱さのせいで消してしまったという、そんな負い目。
「まったく――お前は、どこまで真面目が過ぎるんだ」
よくもそんなにガチガチで、今までポッキリいかなかったものだよ。
静かな会場の中。翼さんの歌声のように澄んだ声が、ワタシの耳に届く。
顔を上げるとそこには、翼さんの困ったような笑み。
「立花、お前が私に謝ってみせたように、一つ、私からもいいだろうか?」
私からはお前に――礼を言わせてもらいたいんだ。
「お、れい……?」
「奏の歌を――大切に想ってくれて、ありがとう」
「ッ!!」
世界を渡る孤高の歌姫は、観客のいないステージの上で微笑む。まるでその場所こそが、自分が在るべき場所に相応しい地であるかのように。
「ど――どうして」
「どうしてもこうしても、当然だろう? かつて、奏の片翼であった身として、お前がそんな風に奏の歌を大切に想ってくれていたことが知れたのだ。こんなに嬉しいことはないさ」
「……でも、ワタシは」
ワタシは、そんな大切な奏さんの歌を今までずっと……。
「立花――お前は一つ、勘違いをしているよ」
翼さんは言った。
「お前は『天羽奏』という、一人の少女の代わりではない――ましてや、彼女が携えていた槍を、横から掠め取っただけの盗人などでも決してない」
「代わりじゃ、ない……?」
「お前は他の誰でもない――立花響だろう? 奏の歌を大切に想ってくれる、私の友人で、灰の舞う戦場で何度も私と共に戦ってくれていた、心強い戦友さ」
私は誰かに、奏の代わりになって欲しいわけではない。立花――お前だから、一緒に戦い続けてきたお前だからこそ、私と一緒に飛んでもらいたいのだ。
「独りで歌い続けるのは、もう疲れただろう? この私と一緒に――飛ばないか、立花?」
ステージの上から、観客席にいるワタシに向かって、手を差し伸ばす彼女。
「…………」
ワタシはそれを見て、身体を震わせる。
ワタシはもう――独りじゃ……ないの……?
一緒に暮らそうと言ってくれた未来。そして、目の前で手を差し伸べてくれている翼さん。
そして――世界を渡ってまでして、暗い場所に居たワタシを照らし出してくれた彼女。
もしもワタシに、差し出されたあの手を、握り返す資格があるのなら……。
今すぐにでも手を伸ばして、それを握りたい。暖かなお日様の光を身体いっぱいに浴びたい。
でも、それがたまらなく怖い。
もしまた、裏切られたら――そう考えるだけで、泣き出してしまいそうになるほど恐ろしい。そうなってしまえばワタシは今度こそ、世界を信じることが出来なくなってしまう。
手を握ることが、怖いよ……。
――大丈夫だよ、響。
「ッ」
手を握り締めて怯えていたワタシの耳に、ここにはいないはずの彼女の声が聞こえてきたような、そんな気がした。
――言ったでしょ? 武器を持たないあなたのその両手が、誰よりも人と手を繋ぎたいと想っている証拠。
――その手こそが、立花響のアームドギアなんだって。
――だから、大丈夫。へいき、へっちゃらだよ。
「……あ」
気が付けば。ワタシは歩き出していて。
「――よくぞ、私の手を取ってくれたな、立花」
目の前にはにっこりと笑っている、翼さんの姿があって。
ステージの上。
どこまでも暖かい太陽の温もりが、ワタシの身体を照らし出していた。
「……今までいろいろと、すみませんでした」
「うむ。問題ない」
改めてよろしく頼む、立花。と。
力強くワタシの手を握る翼さんの手の感触に、少しだけ戸惑いを覚えながら、ワタシは小さな、本当に小さな声で「……はい」と返事をしたのだった。
そんなわけで、二章目に入ってさっそくのズバババンとの和解回でした。
なんだか展開が早歩きな気もしますが、そこは優しく目を瞑っていただけますと幸いです。
次回からようやく話が進み始める……ような?