桜ノ宮研究会(コスプレ)
「八一、まだなの?」
「いや、着替え終わりましたけど…。」
「じゃあ、早く出てきなさいよ。」
…マジで?これで出ていくの?下半身がめっちゃスースーするんですけど…。
俺は意を決して、姉弟子のいる部屋へと戻る。
「八一。」
「なんですか、姉弟子?」
「きもちわるい。」
「…」
姉弟子はめっちゃ真顔。もうだめ。心が折れた。泣きそう…。
「ちょっと可愛いかなって思ってたけど、八一が着るとほんとに気持ち悪いわね。」
そう!俺が今着ているのは、本来とってもキュートな衣装、メイド服なのです!
「空さんちのメイドラゴン(キング)」なんちゃって!アニメ化しちゃう!
むりやりテンション上げようとしてるけど、実際はやばい。姉弟子の視線にさらされる間にも、がりがり心が削られていくのを感じる。
「…じゃあ、もう終わりでいいですよね…。」
さすがに姉弟子もここまで俺を辱めたらもう満足でしょ。これ以上は俺のハートが耐えられない…!
「はっ?あんた、私がコスプレしてた時は何枚写真撮ったのよ?まだまだこれからよ。」
姉弟子はそう言い切ると、スマホで俺の写真を撮った。ああ、俺の尊厳がお亡くなりになっていく…。
「ほら、八一。メイドっぽいポーズとって、セリフ言いなさいよ。」
「…いや、さすがにそれは…。」
「何言ってんのよ。私の時はさんざんやらせたくせに。」
「いや、あの時は姉弟子がノリノリでやってましたよね!?」
「は?」
こわい。姉弟子こわい。人を殺せそうな目で睨んできたよ。
「わかったわ。私も鬼じゃないわ。1回やったら、それで終わりにしてあげる。だから、さっさとやりなさい。」
もうどーにでもなぁれ!
俺はやけくそ気味に、ひきつった笑顔でメイドを演じる。両手でミニのスカートをちょんとつまんで、左足を右足の後ろに引いて膝を少し折る。
「お帰りなさいませ!ご主人様!」
「八一、きもちわるい。」
姉弟子は真顔で言い放つ。俺の心は死んだ。
私はハート型のピンクのベッドに飛び込んだ。ほんとはメイド服のほかにも、ナース服とか婦警さんの制服とかもあったんだけど、八一があまりに可哀そうになって1着で許してあげた。
その後「じゃあ、私泊まってくから、八一は帰っていいわよ。」と言って、用無しとばかりに追い出した。
…ほんとは、もう限界だったのだ。泣かずにいるのは。ベッドの上で丸まって嗚咽をもらす。涙が次から次へと溢れてくる。辛くて泣いてるんじゃない、悔しくて泣いてるんじゃない、嬉しくて泣いてるんだ。
竜王戦の八一を見て、どうしようもなく不安だったんだ。今まで私は努力してきた。ほんとに頑張ったと思う。桂香さんは「報われない努力はない」って言ってくれたけど、心の奥底では、どんなに努力しても八一のような将棋は指せないと気づいていた。
だから、今日まであの時のことを八一と話さなかった。話せなかった。
「竜王戦の時は姉弟子にひどいことを言ったことは謝ります。けど、これ以上姉弟子と研究しても強くなれないと感じているのは本当です。」
八一にそう言われるのが怖かったんだ。将棋指しは、自分にない物を持っている人か、自分と同格・格上の人としか研究会をしない。生石さんや八一が私と研究会をするのは、私がたくさんの研究を持っているからだ。それに私は、八一みたいな読みが鋭くて速い棋士が見落としそうな変化が、なんとなくわかる。いままでも、今日も、そういう勘が私に白星を与えてくれてきた。
でも、八一が将棋ソフトを使いこなしたらどうだろう。将棋ソフトは性質上、手を見落としたり軽視したりということが少ない。有り得そうな手は残らず読み進めてしまう。そうなったら、もう私が八一に与えられるものなんか、なくなってしまうんじゃないだろうか。
少し前に、清滝師匠に研究会に誘われたとき、私は傲慢だけれど、少し哀れに思った。今度は、八一が私を哀れに思いつつも、研究会に付き合ってくれるようになるかもしれない。そう思うとたまらなく不安だった。その時こそ、私の心はズタズタに引き裂かれるだろう。
でも、今日は、今日だけは違った。八一がソフトで研究した手にも、新しい変化を教えてあげられた。持ち時間がある将棋でも、勝つことができた。八一と盤上で対等に話をすることができた。殴り合うことができた。
今はなんの躊躇いもなく、胸を張って言える。
「…八一。ふたりで強くなろうね…。」
いつしか涙は止まっていた。抱き枕は帰しちゃったけど、この日はぐっすりと眠ることができた。
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それと、名人戦第1局見ました。まさに異次元でした…。