「はぁ!?残業手当出ない!?」
競馬場での霊災修祓から9時間後、俺は祓魔局修祓司令室室長宮地磐夫に詰め寄っていた。
宮地室長は、さほど体格は大きくなく、口とあごをわずかに覆うヒゲが特徴的な俺たち祓魔官のリーダーである。
祓魔官として数々の武勇伝を持つ凄腕の呪術者なのだが、そうとは思えないほどにフランクでなんというか……適当な人である。
「いやいや考えてみろ太一。今日お前は何時に祓魔局に来た?」
「えーと、修祓してそのあと処理をしてから来たので午前10時くらいです。」
「たった今お前の勤務時間は終了した。今の時刻は何時だ?」
「午後6時です。」
「ほら、ぴったり8時間だろ。労働基準法通りの8時間勤務だ。」
宮地室長はそう言うとドヤ顔で俺を見る。
「イヤイヤ、意味がわからないんですが……たしか俺、午前6時に室長に呼ばれて修祓に向かったんですけど……」
「ん?あれは命令ではなく個人的なお願いだぞ。」
「はぁ!?」
「まぁ若いうちは働いておくもんだぞ〜。」
宮地室長は勝手に一人で納得して室長室へと帰って行ってしまった。
「クソヒゲ野郎ー」
祓魔局に俺の魂の叫び声が木霊した。
職員皆迷惑そうにしていたが、職員全員俺の気持ちが痛いほど分かるのでそっとしておいてくれていた。
「何をそんなに荒れてるんだ?」
乙種言霊を乱れ打っていた俺に話しかけて来たのは、先輩の木暮禅次郎だ。
「あっ!木暮先輩お疲れ様です。」
「取り敢えずみんなの迷惑になってるから祓魔局出るぞ。」
木暮先輩に半ば強引に連れていかれ、祓魔局を後にする。
祓魔局を出ると入り口に祓魔局ではあまり見かけない顔がいた。
「おっ!太一じゃねぇか。そろそろ呪捜部に移籍する気になったか?」
「いや……そんな気は全くございません。」
「へっ、相変わらず釣れねぇ奴だ。」
天海さんは俺に会うなり、呪捜部への勧誘をしてくる。
大友先輩が退職してから天海さんは大忙しだそうで、腕の立つ呪術者が一人欲しいらしい。
よく大友先輩から天海さんの愚痴を聞かされていた俺は、絶対に天海さんの部下にはならないと心に誓っている。
「それはそうとどうだこれから木暮と一杯やるがこないか?」
天海さんは楽しそうに笑いながら誘ってくる。
この人は不思議な人である。呪術者として相当な力を持っており、対人呪術においては敵うものなどいないと言われている。
しかし天海さんと話していると不思議とそんなことは忘れて会話が弾む。もっと話したいと思ってしまう。
これはこの人の乙種呪術なのだろうか。
「はい。ご一緒させて頂きます。」
十二神将3人は意気揚々と夜の街へと繰り出して行った。
✳︎
銀座の天海さん行きつけの高級クラブへと向かう途中、目の前から世間の人々からすれば見慣れない、しかし俺からしてみれば見慣れた黒の服に身を包んだ女性が前から歩いてくるのが目に入る。
その女性もこちらに気付いて向かってくる。
「2日連続の夜勤頑張って。」
「明日は1日中非番にしてくれるって約束してくれたから仕方ないわ。」
麻里は家で二人きりの時とは違い文句の一つも言わずに祓魔局に向かおうとしていた。
「おうおう、若いもんのイチャイチャは見てて面白いな。」
天海さんがニヤニヤしながら冷やかしてくる。
小学生かよ……
「お久しぶりです、天海さん。ご病気などはされてませんか?」
麻里は天海に向き直り、話しかける。本当に家の外だと完璧な社会人になるんだよな……
「まだまだ現役よ。あんたも気を付けな、働き詰めは肌に良くない。今度宮地に休暇を増やすよう進言しといてやろう。」
「是非お願いします。」
天海さんは基本的に女性にとても甘い。ついでに俺の休暇も増やすよう言ってくれないだろうか……
ーーープルルルルーーー
突如鳴り響く携帯のコール音。俺たち独立祓魔官は1日に何度もこの呼び出し音を聞く。
「はい、弓削です。……タイプキマイラ……了解です。三鷹……すぐ向かいます。……はい。……マリリンはやめて下さい!!!」
麻里は雑に携帯を切った。
「では仕事が入ったので失礼します。」
「おう。気を付けてな。」
「行ってらっしゃい。」
「あ、そうそう。パンが切れたから帰りにに買っといて、それと洗濯が干せてないから帰ったら干しといて。」
「りょーかい。」
「行ってきます。」
麻里はそう言うと走って祓魔局へと向かって行った。
✳︎
クラブに到着して晩酌がスタートすると、様々な話になる。天海さんの武勇伝、大友先輩の現役時代、大友先輩の学生時代、天海さんの昔の恋の話、いくら飲んでも話題は一向に尽きる気配がない。
天海さんの恋愛話が終わると、木暮先輩がマジマジと俺を見つめてきた。
「なんですか、先輩?」
「前から思ってたけどさ……お前と弓削ってあんまり付き合ってる雰囲気ないよな。」
「え、いきなりなんすか?」
「だっていくら弓削だって言っても相手はフェーズ3の霊災だぞ。一歩間違えたら死ぬ現場にこれから向かうのにあんなにあっさり別れてよかったのか?」
「そんな修祓に行くたびに今生の別れしてたら精神が持ちませんよ。」
「そうかなぁ……」
木暮先輩は眉間にしわを寄せて本気で分からないといった表情だ。
「逆に木暮先輩はどういう別れ方なら納得できるんですか?」
「そうだなぁ……普通映画とかなら熱いキスとかプロポーズとかじゃないか。」
「あれは映画の世界だから成立してるのであって、現実でしかも道の上でであんなことしたらキモいですよ。」
「うーん、そんなものなのか……?」
俺と木暮先輩が議論しているとここまで黙って聞いていた天海さんが突如口を開く。
「それはそうと、あんまり冷たくしてると他の男に取られるぞ。弓削は美人な上に仕事ができて気立ても良い。寄ってくる虫はたくさんいるだろう。」
「そんなまさか、麻里に言い寄れるような度胸のある人そうそういないですよ。」
俺の言葉を聞いて天海さんがニヤリと口角を上げた。
「それがなぁ……見ちまったんだよなぁ、弓削が男に言い寄られてるとこ、場所は確か陰陽塾の前で相当な寄ってたなあいつ、『弓削さんのことがずっと好きでした』なんて言ってキスを迫ってたな。弓削も独立祓魔官とはいえ女だ。男に力で押されて抵抗できなくて…….名前はなんて言ったかなぁ、たしか本因坊。」
そこまで聞いて俺はカバンからわら人形と釘を取り出す。
しまった、
金づちがない、まぁおとっくりで叩けばいいか。
俺はわら人形に釘を刺してとっくりを振りかぶって……
「待て待て!?それは禁呪だから。」
「離してください先輩。今から本因坊を殺します。」
「そもそもうちに本因坊なんて奴はいない。全部天海さんの嘘だから。」
なに、嘘だと……
天海さんに目を移すと扇で口元を隠して笑っていた。
「や、やられた……」
驚愕の表情を作る俺を見て天海さんは上機嫌に酒を煽った。
完全に弄ばれてるな……
「まぁ、おふざけはこの辺にして真面目な話をしよう。」
天海さんは顔から笑みを消して真面目な顔になる。
その雰囲気に釣られて俺と木暮先輩も表情を硬くする。
「最近俺が個人的に追ってる案件があってな、その中で割と有力な情報を得た。」
「何故呪捜部の人員を使わな……」
「D案件……」
木暮先輩が核心をついた。
「その通りだ。今の呪捜部の若い奴らじゃDの相手はつとまらねぇ。」
天海さんはヤケクソ気味に酒を煽る。
天海さんは今の呪捜部の状況にやはり危機感を覚えているようだ。
「今はその話はどうでもいい。俺は既にちと警戒されててな。できれば二人にD案件の協力をして欲しいんだが……」
「D案件ですか……」
木暮先輩は答えを渋っている。あまり乗り気ではないのか。
Dの脅威はよく知っている。なんせあの大友先輩の足を奪った張本人なのだから。
しかし同時に純粋にその凄腕の呪術者に会ってみたい、そうも思う。
呪術者なら誰もが思うことだろう。
「その話受けさせて頂きます。」
「お、おい!?」
隣の木暮先輩が驚いて振り向く。
天海さんはニヤリと笑みを浮かべた。
「大丈夫です先輩。祓魔官の仕事には支障が出ない範囲でやりますので。」
「でもな……」
木暮先輩が頭を抱えて、唸っていた。
「やっぱりお前一人で行かせるのは心配だ。接敵の可能性がある時は必ず俺を呼べよ。」
「先輩……」
木暮先輩も大友先輩の足を奪ったDに対して警戒をしている上で、後輩である俺を心配してくれている。
木暮先輩の優しさに触れて嬉しくなる。
「そうと決まれば、今日は資料を渡してお開きにしよう。」
天海さんからDについての捜査資料を受け取り今日の飲み会はお開きになった。
にしても捜査資料37枚っていくらなんでもありすぎだろう……
✳︎
愛車の三菱デボネアの中で天海さんからの捜査資料に目を通す。
Dの目撃情報は都内各地で見られている。しかし、最近の傾向として多摩地域東部で頻繁に目撃情報が上がっている。Dは腕の立つ呪術者に『術比べ』と称して戦闘を挑む。
見た目は
また大友情報によればDはほとんど死にかけと見える老人で、二体の鬼を使役していることがわかっている。
「多摩地域東部っていうと……三鷹もだな。」
なんとなく胸騒ぎがする。
捜査資料のページをめくろうとした瞬間に突如、体中に寒気が走る。
莫大な鬼気を感じて、体中から嫌な汗が滲み出してきた。
「まさか……」
デボネアのエンジンをふかしてアクセルを一杯に踏み込む。
夜中の首都に低く重いエンジン音がこだまするーー