街を歩く。地底の街は地上と比べても栄えていると言える。一日中、年がら年中賑わっているこの街はとにかく利用者が多い。そのため昼も夜も関係なく大勢の妖怪によってこの繁栄がもたらされている。地底に住むほぼ全ての妖怪がこの街にいるといっても過言ではないほどだ。
「ん〜・・・お腹すいたなぁ」
私は空腹だった。贅沢な話だけど、この街には店が多すぎる。多すぎるが故に店選びにとても悩まされる。これでも地底の支配者(今でも疑わしいくらい)である古明地の妖怪なのでお金に困っているということはない。よく遊びに来ているから私の顔を知っている妖怪も多いので、勧誘もよくある。
「お、こいしちゃん!お昼ご飯かい?」
「うん、でも決めかねてるんだ〜」
「そりゃあ丁度いい!今朝とても質のいい鶏を仕入れたんだ、どうだい?」
「鶏、鶏かぁ〜・・・メニューは?」
「お好みで。唐揚げでも丸焼きでも好きなのを選びな!こいしちゃんが来てくれるならすぐにでも出せるぜ!」
こんな風に。そして迷ってる時の勧誘ほど効果のあるものもなく、断る理由もない私はその店に入ることにした。
「じゃあ丸焼きで!」
「あいよー!おい平八、こいしちゃんに今朝の上玉丸焼きで出してやんな!」
平八、と呼ばれた店員からの返事が奥の方から帰ってきた。
調理場の前に設けられた席に座る。お姉ちゃんの小説にカウンター、と書いてあったのを覚えている(最初に聞いた時、私の頭の中で低く構えた男が相手の拳を躱しながら相手の顔面にストレートを叩き込んだ)。目の前で炎に晒されている鶏肉は、素人目からもわかるほど脂がのっていて美味しそうだった。
「しかしこいしちゃん、久しぶりじゃねぇか。2,3週ぶりかい?」
「あはは、覚えてないや。ふらふら〜っと出かけちゃうからね」
「この間さとりの奴がウチに来てお前さんが尋ねてきたか聞いてきたぜ。ついでに飯もって言うから珍しいこともあるもんだと思っていたが、ちゃんと家には帰ったのかい?」
「うん、地底に帰ったらまず家に帰るもの」
数ある店の中でもここは私がよく行く店でもある、しばらく地上にいたから心配したお姉ちゃんが来たのかもしれない。しかし普段外に出ないお姉ちゃんが訪ねてくるなんて、耳を疑う話だった。愛されてるな〜私。
「なら良いんだ。さとりはこいしちゃんと違って少食なの忘れてたよ、ついつい大盛りで出しちまった」
「私が大食いみたいな言い方しないでよ!お姉ちゃんが少食なのはその通りだけど〜」
「なっはっは!鶏の丸焼きを一人で食っちまう女の子はなかなかいないぜ!」
「む〜・・・注文取りやめにしよっかなー」
「おおっと、別に悪く言うつもりは微塵もねぇよ。いっぱい食うことはいいことだ!妖怪っつっても飯と酒は美味いに限るだろ?」
不機嫌そうな顔をする私に軽い調子で流す店主。本来妖怪は人間を食べれば(妖怪次第だが)何年も生きることができる。だけどせっかく美味しいと感じることができるのだから、無機質な食事をするのも損だもの。
「でも、お姉ちゃんのことあんまり避けないんだね」
「そりゃあ頭ん中覗かれるのは気味がわりぃが、別に客を騙そうってわけでもねぇからな。隠し事がない奴もそういねぇが、鬼は嘘を嫌うもんだろ」
この店主は鬼の妖怪だった。地底では珍しいことでもない、そこら中に鬼が歩いている。そんな鬼でもあまりお姉ちゃんに近づこうとしない。何も優しくしようとしているわけではなく、何人も区別せずに一人の客として見るこの店主の姿勢が私は好きだ。
「ヘイお待ち!サービスで煮物も付けとくぜ!」
「・・・本当にこの量を女の子が食べると思ってる?」
「こいしちゃんは食べるだろ?」
「食べるけど!」
私の女の子としてのプライドは空腹の前に為すすべも無く敗北した。
「んん〜!美味しい!」
「へへ、そうだろ?美味そうに飯を食う顔、良いじゃねぇか」
「そんなに幸せそうな顔してた?」
「おうともよ、俺が言うんだから間違いねぇ」
心の目を閉じた時、失われたものがごく僅かで良かったと思う。私の変化に敏感なお姉ちゃんはひどく心配したけれど、それでも根本的に何か変わることがなかったのが救いだ。悟り妖怪が同じように目を閉じても、私のように無事で済むとは限らない。
そんなことも美味しいご飯の前ではどうでもよくなるくらい、この瞬間は確かに幸せだと言えた。どれくらいで食べきったか、私の前に用意された料理は跡形もなく消え去った。
「ふ〜、ご馳走さま」
「あいよ。しっかしその小さい体のどこにこんなに入るんだか」
「やっぱり多いんじゃない!」
食べ終えた私は、満腹を落ち着けて次はどこへ行こうか考えていた。しかしその前に、
「ちょっと一服」
「ん、なんだいそりゃあ。楊枝の代わりにしちゃあ太すぎねぇか?」
「煙草って言うんだって。葉巻みたいなものってお姉ちゃんが言ってた」
「へぇ〜・・・しかしこいしちゃんも意外に溜め込むタイプなのかい?」
「え?なにが?」
「鬱憤とか」
「別に?でもこの煙草、私はとっても気に入ったの」
そういえばお姉ちゃんは仕事のストレスで煙草に溺れてたっけ。その話をすると流石の店主も苦笑いだった。
「程々にしとけよ。物が心の拠り所になるのはあんま良くねぇ」
「お姉ちゃんはもう手遅れみたいだけど」
「そん時はこいしちゃんが止めてやりな」
煙を吐き出して、一息。私が顔を向けると店主は少し驚いたように目を丸くした。随分と大人びて見えるもんだな、だって。
「任せてよ」
「しっかし随分と大人びて見えるもんだな」
「ふふふふ、そうでしょ?私の魅力に今更気づいた?」
「まさか、とっくの昔に気づいてるぜ」
「子供っぽいところがでしょ。悪かったね〜」
「おお、さとりみてぇなことも出来んだな」
煙草の煙よりも、この店の空気が私には心地よかった。
「って、あの店主さん言ってたよ。お姉ちゃん」
「わかってるわよ!!わかってるけどそれだけでやめられたら苦労しないの!!!」
後日、書類の山の前に半泣きになっているお姉ちゃんに伝えてあげた。
登場人物
・古明地こいし
いっぱい食べる女の子。好きな調味料は醤油。
・古明地さとり
いっぱい食べない女の子。胃が終わっている可能性がある。好きな調味料はソース。
・店主
料理の鬼。お残しは許さない。好きな調味料は塩。