その悪夢は、私の部屋から始まった。
「お姉ちゃん、朝だよー」
「ん・・・おはよう、こい───」
おはよう、こいし。そう言いかけた私の口は開いたまま言葉を紡ぐことができなくなった。
「どうしたの?お姉ちゃん」
こいしが不思議そうに見つめてくる。しかし違和感がある。こいしが今着ているのは狂ったようにフリルだらけの私服ではない、とてもシンプルな白いTシャツ。そしてその真ん中にでかでかと筆文字で
───『湯豆腐』
見間違いか?疲れてるのかな私。その筆文字の左下に小さく鍋のイラストが描いてある。一目で鍋とわかるほど特徴を捉えたいい絵なのが腹立たしい。
「おーい、起きてる?目開けながら寝てる?」
どうする?この場合の正しい判断を私は知らない。さりとてこのファッションの差によって出来た明確な溝を埋める術も持ち合わせていない。その結果私は───。
「いいえ、なんでもないわ。おはよう、こいし」
見なかったことにした。なんかの間違いだ、そもそもこいしが急に変なことをするのは今に始まったことじゃない。ここは華麗にスルー、飽きるまで待つのが一番良い行動だ。
「お燐が朝ごはん作って待ってるよー」
「あら、早起きだったのね。すぐに食堂に向かいましょうか」
どうせ明日には飽きている。そう高を括る私をよそに上機嫌にスキップをしながら私の少し前を行くこいし。
「お燐!お姉ちゃん呼んできたよー!」
「ああ、ありがとうございますこいし様。しかしさとり様がお寝坊なんて珍しいですね」
「ごめんなさいお燐。すぐに朝食に───」
こいしに続いて食堂に入る。お燐に謝りながら椅子に座ろうとしたその時、私は見てしまった。お燐が着ているのはいつもの黒地の服ではなく真っ白なTシャツ。台所に向かっているため正面からは見えない。
まさか、まさかそんなはずはない。しかし料理を作り終えてこちらを向いたお燐のシャツの正面には
───『マグロ漁船』
なんでマグロ漁船なの!?しかも例のごとくイラスト付きで!?確かにお燐の好物は魚、それも赤身の魚だ。マグロももちろん大好物だが、当然海のない幻想郷は魚を入手する手段が乏しい。そのためマグロはなかなか手に入らないわけだが・・・。
「どうかしましたか?さとり様」
どうかしてるのは貴女の頭ではないの?と言い出しそうな自分の口を閉じる。マグロ漁船に同行してまでマグロが食べたかったのだろうか。しかし私は当然、
「いいえ、なんでもないわ。いただきましょうか」
見なかったことにした。下手に触れるのは得策ではない。
そうだ、もしやこいしとお燐は共犯で私を驚かそうとしているのではないだろうか。そんなドッキリがサトリ妖怪の私に通じるはずもない。その企み、暴かせてもらうわ!
「今日はポテトサラダと鳥ササミの燻製、豆腐の味噌汁です」
「おいしそー!」
「ふふ、おかわりもありますよ」
しかしお燐からは特にいつもと違う思考は感じ取れない。さもこのTシャツを着ているのが当たり前かのようだ。
「いただきまーす」
「いただきます」
「い、いただきます」
悟られるな、この疑心を。サトリ妖怪の私が悟られるなどあってはならない。まさか地霊殿全体がこんなことになっているのでは・・・。私の嫌な予感はよく当たる。
食事を終えた私は部屋に戻らずに地霊殿を歩いて回った。流石に人型になれない子は変なTシャツを着ていないが・・・。
「あ、さとり様だー!」
この声はお空。お空は私のペットの中でも力を持っていて、人型にもなれる。そして私の手伝いをよくしてくれるいい子だが・・・。
「あれ?おーい、さとり様ー!」
振り返るのが怖い。この古明地さとりが怯えているというの?いいえ、そんなことないわ。ペットを信頼せずして何が飼い主か!
「あ、やっとこっち向いた!おはようございます、さとり様」
───『鶏が先か、卵が先か』
なんかすごい難しそうなこと書いてあるー!?しかもイラストでは卵から親が産まれちゃってるよ!どう見ても鶏が先って主張してるじゃない!
「おはよう、お空」
しかし私の突っ込みを悟られてはいけない。お燐と同じくお空も特にいつもと変わらない、ということは私が不審な挙動をすると怪しまれてしまうということだ。
そして難なくお空と別れる。怪しまれることはなかった。しかしこのままではまずい、特にあれと同じものを着せられるのだけは御免だ。今日だけは地霊殿から離れておきましょうか。
誰にも気づかれないよう、そっと地霊殿を出る。とりあえず街に出よう。時間を潰すにはあそこが最適だ。と、その途中で例の橋を渡らなければならないことに気づいた。一抹の不安が私の頭をよぎる。
あ、遠目からでもわかる。あの子まあまあ人と違う格好してたもん。でもホラ見て、白いTシャツ着てる。あっち向いてるけど私には結末が見えるわ。
「あら、地霊殿の主ともあろうお方が優雅に散歩?妬ましいわね」
振り返った彼女、水橋パルスィのTシャツに書かれていた文字は
───『人類みな平等』
いやちょっと重い!貴女のキャラにそのセリフは重いセリフになりかねない!ていうかイラストないの!?まあないわねそりゃね!
「私の顔に何かついてる?じっと見つめて、その綺麗な瞳を見せつけようっていうの?妬ましいわね」
貴女の瞳も綺麗よ。いつもならそう言えるのに『人類みな平等』を見た後だと言いづらい。もはや切実な訴えに見えてきた。
「今日は街の方に用事があるのよ。貴女もどう?」
「嫌よ」
例によって心の中に変化はなし。これはもう異変だ、謎の侵略者によってこの地底が支配されつつある。私しかいない、私がこの異変を解決するしかない。
「よう、さとり。ここまで来るのは珍しいねぇ」
街で最初に会ったのは星熊勇儀。相当力のある鬼で、この地底の鬼のリーダーだ。いつも白いTシャツのような服を着ているが、今回に限っては
───『暴力』
似合いすぎー!!この違和感のなさがむしろ笑えてくる。しかしここで笑おうものなら終わりだ、侵略者に気づかれてしまう。私は必至の無表情でその場をやり過ごす。
「お、さとりじゃん。なんかあったのかい?」
次にあったのは黒谷ヤマメ。土蜘蛛の妖怪でいつもは黒をベースに独特なファッションをしているが、今日に限っては当然白のTシャツで
───『健康第一』
いや貴女がそれを言うの!?病を操る能力を持つ貴女と正反対の言葉だけど!?心の中では激しく突っ込みを入れながらも表ではポーカーフェイス。今年のナンバーワン女優は間違いなく私だ。
道行く妖怪誰を見ても白のTシャツと謎の一言。誰も疑わない、決して疑わない、もはや地底もこれまでなのか?いやまだだ、早く侵略者を見つけ出してこの現状を変えるしかない。
走る、走る、走る。地底の街を走る。どれだけ走っても道行く妖怪は白Tばかり。幸いにも私はまだ侵略者に気づかれていない。寝ていたからか?そんなことはどうでもいい、一刻も早く───。
「・・・?」
そこで更なる違和感に気づく。なぜ私だけ?そもそもあのファッションが当たり前なのにどうして私は誰にも気づかれなかった?誰も私に服のことを聞かない。彼女たちからすれば私の方が異端であるはずなのに。
「ま、まさか・・・」
恐る恐る、今日一度も確認しなかった自分の服み目を落とそうとする。あまりにも恐ろしい結論から目を逸らしたかった。だが一度考えたらもう止めることはできない。いつもより、走りやすかったその服は。
「う、うわあああああああ!!」
し・・・白T・・・ッ!これはいつものフリルのついた服じゃあないッ!最初から着ていたんだッ!自分では気づかないうちに、すでに私はヤツらの掌の上だったッ!いつだ・・・いつ着せられたッ!?すでに起きた時から着せられてたって言うのかッ!?
───『道化師』
ピエロの絵が描かれたそのTシャツを前に、私はがくりと膝から崩れ落ちた。
「────はっ!?」
ガバッと起き上がる。ここは・・・ベッドの上?地霊殿にある、私の部屋?そして、いつもの寝巻き。つまりあれは、夢だったと言うことだ。
「・・・はぁ」
珍しく目覚めが悪い。時計を見ると針は5の数字を指している。随分と早起きになってしまった。
「あれ?お姉ちゃん?」
物音が聞こえたのか、私の部屋の前から声がした。こいし?この時間に起きているなんて・・・。
「こいし?こんな時間にどうしたの?」
「頼んでたものが届いたから起きてきたんだー」
頼んでいたもの?何が何だかわからない、とりあえず部屋を出て部屋の前にいるであろうこいしに会うべきだ。
「うわ、すごい顔してる。変な夢でも見た?」
「まあそんなところね。ところで届いたものって?」
私がそう聞くと、こいしは笑顔で「これだよ」と足元の段ボールから何かを取り出す。
それは、折りたたまれた白いTシャツだった。
登場人物
・古明地こいし
イカれたTシャツも着こなすイカした女の子。最先端ファッション。
・古明地さとり
イカれた頭の女の子。今回は可哀想なポジション。
・ダサT被害者の皆さん
ごめんね。でもそんなTシャツ着てたら可愛いなって、そう思うんだ。