コテージのドアを開けると、天窓から朱色の光が差し込んでいた。
視線の先、一人で泊まるには少々あまる空間を抜けたところには、
夕焼けに染まる海が広がっている。
鮮やかな真紅のレトロ調キャリーバックを引いたラティス・T・ミルヒは、
部屋の中央で一息ついた。
紺色のビジネススーツにコサージュのついた麦わら帽子といった少々個性的な格好は、
彼女が七つの海と遺跡の世界テリメインに来た理由と心情を明確に投影していた。
ラティスは旅の荷物をベッドに放り投げたあと、
手持ちのショルダーバッグからタブレットを取り出す。
その後タブレットを持ちつつ耳につけていた小型イヤホンを調節していたところで、
スタッフの鳴らすベルに気づき、少し早めの夕飯を受け取った。
彼女は用心深くテラスへ続く窓ガラスを開き、
近くで手に入れた白ワインとともにテーブルへシーフードデリを置く。
「んー、噂通りの絶景ね。一足早く現地へついた甲斐があったわ」
ラティスは大きく伸びをしたあと、タブレットを掲げて朱に染まる海を撮影した。
パチリという機械音が、さざ波の音の中で響いてゆく。
「仕事とはいえ、折角のオーシャンビューですもの。
自腹で費用を上乗せしてでも、ワンランク上のcottageにするべきよねぇ?」
上機嫌でタブレットの画面に指を滑らせ、SNSアプリを起動させた。
全宇宙で120億ものユーザーを抱える、人気急上昇中の仮名登録型SNSアプリである。
ラティスも公開アカウントと非公開アカウントを持っており、
公開アカウントでいろいろな情報を発信するのが日課になっていた。
『ツナ先生のかがやき乙女塾:
夕暮れのオーシャンビュー♥ まるでプライベートビーチにいるみたい(^^)』
これを先ほど撮影した写真とともにアップし、
まるで自分がリゾートでプライベートビーチを闊歩しているが如く演出する。
もちろんSNSのフレンドからは、
リゾートが羨ましいだの私も休暇取って別荘へだのと返されていた。
これが仕事で来た未開の地などとは、口が裂けても言ってはいけない。
「まるで」プライベートビーチにいる「みたい」、というのがコツである。
「お料理が冷める前に写真を撮っておきましょうか。
今日のwineは辛口の白だって聞いたけど、香りは結構ふくよかね」
テーブルの上に並べられたシーフードを次々と写真におさめていく。
まだほんのり温かいレッドロブスターの黄金焼きやホタテのブロシェットが、
ガラス越しに海を映すワイングラスとともに美しい一枚となっていった。
『ツナ先生のかがやき乙女塾:
今日のディナーです(๑ˇεˇ๑)•*¨*•.¸¸♪ いただきます♥』
こちらも写真と一緒にアップした後、小さく切ったロブスターを口に放り込む。
白ワインを一口飲もうとしたところで、返信の通知音がした。
『PMCおじさんbot:Re:
美味しそうね! ウラヤマスィナァφ(゚∀゚ )』
この名前を見た途端、ラティスはその場で硬直した。
急ぎベッドの上にあるショルダーバックから、液晶電話を取り出す。
着信が3つほどたまっているのを見て、さらに彼女は震撼した。
十分に味わう余裕もないまま、口の中のロブスターが喉元を通っていった。
■■
ラティスがリダイアルボタンを押す格好のまま親指を止めて、数秒ほどたっただろうか。
彼女の手のうちにある液晶電話が、勢いよく振動をはじめた。
「申し訳ありませんレイズさん!
今まで移動していましたので、折り返しの電話ができませんでした!」
我ながら白々しいと思いながら、ラティスは続けた。
ここで少しでも口を閉じたら、即試合終了である。
「今も少しお電話が遠いようですが、もし聞こえないところがあったら……」
「問題ねぇって。SNSはちゃんと繋がったんだろ? 豪華なお夕飯は何よりで」
普段だったら舌打ちでもかます場面だが、ラティスは歯を食いしばって耐えた。
よりにもよって自分のSNSアカウントが上司に発見されてしまい、
しかも遮断できずにフレンドのままでいるという彼女にとっての三重苦を噛みしめる。
普通の上司ならシラを切ってオンラインでの関係を遮断する所だが、
昔から世話になっている上に自社のCLOとくれば、彼女の意思では断れない。
「まぁ無事ならいいわ、ライラックはどうした?」
「彼女なら自分も宿にチェックインすると言って、さっき別れました。
ここテリメインには8人で到着しましたが、私以外は拠点が一緒です」
「直接の上司とは違い、ごく真面目なライラックからすらも到着メールが来ないとなると、
テリメインって場所は、本当に通信もあやしいようだな」
「電話が通じただけありがたいと思ってくださいよ……」
連絡の件はうやむやにできそうかなと考えつつ、ラティスはタブレットで勤務予定表を見る。
サブチーフの欄に、『ライラック・C・カットフェ』という記載と、
穏やかに微笑む、真面目そうな女性の画像があった。
「しかし、来てみるとここには何もないですよ? 本当に商品になるものがあるんですか?」
「ある。資料を送ってやるから、その場で確認しろ」
液晶電話を耳から外し、レイズから送られてきたデータを受け取る。
中身は、テリメインの近くで観測された未確認波動の解析結果だった。
「このモデルと数値からすると、エネルギー波には間違いないですよね?
波長はごく短いようですが、計数管の値は低い……と。
普通なら測定ミスを疑うところですが、
このエネルギー波が存在するという確証でもあるのですか?」
「確証というほどではないが、このエネルギー波は水に吸収されるという報告がある。
よって中性子線と似た性質のエネルギーだと、研究班からはレポートが出た。
ラティス、お前がいるテリメインは水の遺跡だったな?」
上司の説明を聞いて、ようやくラティスは納得した。
波長の短いエネルギー波は物質に対する浸透率が高く、
通常ならば計数管で高い数値が記録される。
ただし水に吸収されるという特性があれば、
このテリメインにある限りなかなか計測されないだろう。
「あと資料にもあるが、テリメインで観測されたエネルギー波はシンチレータが多かった」
「あっ……、『波動の核水晶』の解析……」
「そういうことだ。俺達がやるべきはこのエネルギー波の特定、
できれば何らかの方法でエネルギー源を確保してしまいたい」
『波動の核水晶』とは、ラティスやレイズが勤務している
TZPマテリアルホールディングスが所有する、巨大なエネルギーを発生させる水晶である。
現状のところコストゼロでエネルギーを生み続ける魔法の水晶と謳われており、
かの会社が躍進する原動力となっていた。
「とりあえず、急ぎってことですかね?」
「そうでもない、急ぎといっても雲をつかむような話だしな。
探索チームを動かすためにもまずラティス、お前は現地で情報を集めてくれ」
「承知しました。有効な情報を得ましたら、そちらに報告してライラック達と対策を考えます」
ハンズフリーにした液晶電話から、遠くで犬の鳴き声が聞こえた。
そろそろこの業務電話も終わりだと、ラティスは安堵する。
「それにしても仕事でリゾートできるってのは、出張組の特権だよなぁ」
「忙殺されそうですから、良かったらかわりにどうです?」
「無理だわ、俺には犬がいるし」
ペットの世話をしてもらえる身内を探したらいかがです、と言いかけたが、
心身ともに怖い相手を敵に回すことはないと、ラティスは言葉を飲み込んだ。
「リゾート民を気取りつつ侵略の資料を作っているのは、商社の宿痾というやつですかね」
「おいおい侵略って言うなよ、こちらの知識なり技術なりと交換したらwinwinだろ。
奉仕活動は信用を勝ち取るには大事だぞ、頑張れな」
「さっきからご家族が呼んでいらっしゃるので、そろそろ相手をしてあげてはどうでしょう」
はやく電話を切ったらいいのにと思いながら彼女が液晶電話を見つめていると、
ふいに液晶から通知画面が出てきた。
「じゃあいつもの動画を送るから、ちゃんと社内クラウドからデータ落とせよ」
「……っ! ありがとう、ございます……」
ラティスが礼を言ったところで電話が途切れ、そのまま社内クラウドにアクセスする。
もう夕日も半分以上沈んで、すっかり夕飯も冷めてしまっていた。
■■
波の音だけが風に乗って耳元を通り抜ける中、ラティスは無言で液晶を見つめていた。
ダウンロードの残り時間を示す円グラフが、少しずつ満ちてゆく。
それを茫然と眺めていると、自分が今いる場所と時間を忘れそうになる。
「マネージャー、うちの弟がお世話になります。足を引っ張らないといいのですが」
ふと脳裏に、聞き憶えのある女性の声が響いた。
どんなに割り切ろうと思っても、1年前の記憶が頭にこびりついて離れない。
「足を引っ張るなどシツレイな、俺はこう見えてもスラムでは一目置かれた――」
記憶を手繰っている途中で、手の内にある液晶電話がふいに震えた。
ラティスはダウンロードが完了したことを確認し、受け取った動画を再生する。
動画には、静かに眠っている少年の姿が映し出された。
白い靄がかかっているが、その他は色素の薄い少年とベッドシーツが見てとれた。
いくら再生し続けても眉一つ動かさない少年の映像が、音を発することなく流れてゆく。
しばらくこの動画を眺めたあとで、ラティスは少年から顔をそむけた。
「どうしようもなかったの。
私に出来ることは、饐えた泥から這い出すよう時を止めるしかなかったの……!」
体の奥から絞り出すような声で、彼女は呟く。
頬をつたう雫を手ですくいとり、そのまま宵のテラスへゆっくり歩いた。
そして、テーブルの上にある飲みかけのグラスに口をつける。
ラティスは香りの飛んだ少し塩辛いワインを一気に飲み干した。
To be continued......